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有田市のコーヒーショップARCの上田です。この番組は、和歌山で活躍するゲストの方にインタビューしていく番組です。
kisenradio第65回です。本日は、君の町にある笑達さんのご自宅で、はい、収録しています。
今回のゲストは、絵描きの笑達さんです。笑達さんの生まれから現在に至るまでのルーツ、現在のこと、これからのことについてお聞きしていきます。
そして今回収録には、むやのむやさん、のるむのさかがみさん、えんすのかわいありささんも参加してくれています。
みなさんよろしくお願いします。よろしくお願いします。それでは、笑達さんのプロフィールを簡単にご紹介させていただきます。
笑達さんは、1982年和歌山県生まれ、19歳から京都の路上で似顔絵を描き始め、
18年間ひたすらに人とその縁に向き合う、2020年地元和歌山に移住、土地に息づく風土や冷静に導かれ、絵画を描き始めるということで、
はい、大丈夫な感じですか?何か補足など、いやいや、君の出身で、地元に戻りました。
では、むやさん、さかがみさん、ありささんもちょっと簡単に自己紹介してもらいたいんですけども、はい、
むやのむやと申します。和歌山県白浜町で、喫茶と宿泊と衣類の販売をしております。
よろしくお願いします。よろしくお願いします。ノルムのさかがみと申します。
和歌山市尾野町の旧西本組本社ビルという古いビルの1階でギャラリーをやっております。
今日はお邪魔しております。よろしくお願いします。
私は、かわいありさって紹介していただいたんですけど、今日はもう正達くんの嫁っていう感じで、
のポジションで、しゃべらせてもらいます。
はい、よろしくお願いします。お願いします。なんか急にちょっと固い感じ。
普段わからない。スイッチオンになると、緊張感が実装にされてきた。
みなさんの出会いとか関係性とかを教えてもらいたいんですけども、しょうたずさんとさかがみさんってどういう感じで知り合ったとか覚えてますか?
結構偶然ですよね。偶然であった、ほんまに。ご縁があったっていう感じで。
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さかがみさんのノルム始める前に、あそこの空間使って展示したいって言って、その当時はオフィスのほまれくんが管理してたんですよ。
空間。1階の空間を。で、もともとそこで展示をする。何月何日に展示しますっていうのが決まってて、日程が。
そのつもりで準備してたらほまれくんから連絡来て、ちょっと次、あそこ店入ることになったでとか言って、僕ら展示決まってるんだけどとか言って。
それで、じゃあちょっと一回会いましょうみたいになって、それがさかがみさんだった。
っていうかね、会いましょうっていうか、それもたまたま、あそこで僕自分の会で喋ったと思うんやけど、
あそこイベントスペースやったんで、そこ借りてある人がイベントやってたんですよ。そこのお客さん同士で。
ほんまに紹介してくれたのか。
そこでたまたま初めましてで、会った時にその話してくれて。でも、できたらうちでやってくださいみたいになって。
やらせてもらえるならぜひやらしてほしい。それでほんまにオープンの一発目?
オープンは一週間後に、たっちゃんと黒岩くんっていう写真家の方との二人でやらせてもらって。
なんかね、すごいいい縁をいただいたというか。
そうです、それがご縁です。
コケロ落としみたいな展示をたっちゃんと黒岩くんにしてもらって。
ありがとうございます。
そこから結構定期的にずっとコテンは乗り渡されてて。
僕は初めに似顔絵しか描いてなかったんで、似顔絵展とかもやらせてもらったり、夫婦でお世話になったりとか。結構定期的にずっと。
今まで通算何回くらいやってるんですか?
たっちゃんの展は3回?4回?夫婦で入れて4回くらいやってると思う。
年一くらいのペースで。
初めは年一やってたじゃん。
2年に1回とかになって。
でもほんまに僕は似顔絵じゃない絵の展示の一発目はノルフなんですよ。
でっかいライブペイント。
急に飛ぶけどね。
15メートルぐらいのライブペイントやったんですよ。
それをどっかで展示したいなと思ってたら、ノルフの空間の天井から床までのサイズがぴったりあって、
端から端まで3方全部使ったらぴったり収まったんです。
うちの壁ほとんど?
全部絵になって。
あの時に似顔絵以外の?
初めてお披露目したのがノルフなんです。
すごいご縁があるんです。大事なことを。
宮さんは翔太さんとはどんな感じですか?
06:00
坂上さん通して。
どこで会ったの?
ドルムかアーケードじゃない?
数回お会いしただけで、一番です。
それこそ宮さんのところの新しいスペースができるって言って、絵を描いてほしいって言ってくれてたので、
もうちょっとミッドになった。
めっちゃ嬉しかったです。
今回の収録の経緯も、前回配信させてもらった、
最近どうですか会を翔太さんが聞いていただいて、
そこで僕と宮さんが勝手に翔太さんの話をしていて、
めちゃくちゃ面白かったです。
そこで連絡して。
宮さんにメールが行って、その後ラジオの方にもDMでお話いただいて、
今回この収録になってるわけなんですけど。
全然喋れへん。
本日はよろしくお願いします。
あの収録聞いてなかったらこんなことになってないけど。
宮君から連絡したの?
いやいやいや、僕から僕から。
拝聴しましたって。
なんか僕のこと言うてましたねみたいな。
そんな悪い感じはない。
いいようにめっちゃいいように言ってくれてて、前回の方。
いいようにね。
宮君の会で。
ちょっとおかしいとこあったら嫁が突っ込んでくれるってことですよね。
今日はお願いします。
ちょっといいように言いすぎちゃってるから、
そんなことないよっていう時だけ突っ込ませていただきます。
よろしくお願いします。
小達さんの子供の頃からちょっと現在に至るまでねほりはほり聞かせていただきたいんですけども、
1982年和歌山生まれっていうことなんですけども、
幼少期は小達さんどんな感じだったんですか?
いやもう田舎ですくすく育ってた感じですね。
小学校とか今暮らせる場所が近いんですけど行ってたとこが。
ほんますごい少人数の分校やって、
僕同級生6人しかおらんかったんですけど、
そこで伸び伸びと育ったっていうのは山を駆け回って。
山を駆け回って。
秘密岸とかめっちゃ作ってました。
家族構成とかどんな感じだったんですか?
家族はおじいちゃんおばあちゃんも一緒に住んでて、
両親と妹でみんな一つの家で暮らしてたって感じですね。
お父さんお母さんのお仕事とか?
いやもうめっちゃ全然違うんです。
親父は営業マンで母親は先生ですね。
小学校の。
そうなんですね。
でもうちのおじいちゃんが庭師なんですよ。
09:03
おじいちゃんまでの代で多分3代ぐらい庭師の家系で。
結構おじいちゃんの影響はわりと僕は受けてる気がします。今思えば。
どういう影響ですか?
庭を自分で考えてデザインして作る仕事やから、
絵とかもすごい上手やったっていうのは後から聞いてなくなってからやけど。
そうやったよなとか。
おじいちゃんコットすごい好きなんですよ。古いものが。
僕もすごい好きで。知らず知らず影響を受けてたのかもなみたいな。
なるほど。子供の時からずっと絵は描いてたんですか?
絵は好きでよく。落書きぐらいですけど。描いたり。
あとはそのおじいちゃんの持ってる道具っていうかのこぎり屋とか金槌とか使って山で小屋建ててました。
小屋?
小屋っていうか秘密基地。
ガッチリ建物?
そこなんじゃないけど台風とかで倒れた木の根っこの跡とかに穴がここになってそこに屋根つけてそこにお菓子とか持って行って。
Xのことで前に話したかもしれないけど半分ぐらい翔太くんが建物を作ってくれてるんですか?
好きですね。作ったり工作とか。映画部もそうですし。ずっと好きは好きでした。ずっと小さい頃から。
じゃあそのまま黄身野町でのびのび育って。
のびのび育ちましたね。
小中黄身野町ってこと?
学校中学校。実家は黄身野でずっとなんですけど高校は市内の青林高校っていうところで行ってました。
子供の頃に絵を描いてたとかそういうのは?
描いてたと思うよ。漫画をちょっと真似したりとか。
あとは文校の6人しかおらんから同級生が。先生の指導がめっちゃ行き届くんですよ。もう少ないからね。1人で6人しかおらんから。
結構わりと熱血の女性の先生やって。でもこの子はこれが伸びるんじゃないかみたいな結構厳しく指導する人やって。
僕は多分絵が得意って思われたのか、すごい1人だけ残らされて芋掘りとかの絵を一生懸命めっちゃ泣きながら描いたんですよ。
すごいめっちゃ怖い先生。厳しい先生で。いやいやって思いながら。
でも描いたのが何回か賞を取ったんですね。そんな大きな賞じゃないんだけど。
それで結構小さい学校だけど廊下に自分の描いた絵がバーンって貼り出されて、それがすごい嬉しかった。そっから結構絵画の好きってなったかも。
12:00
写生大会とかでこの辺のお寺の絵とか描いたりしてたんですけど、それは学校行事として。そういうのもすごい好きでよく描いてました。
でもその絵を描いてるのは辞めるタイミングとか特になかったんですか?
辞めるっていうか結構子供の時って描いてるけどある時も急に辞めちゃうみたいなのあるじゃないですか。
うちの子とかも幼稚園の時むちゃ描いてたんですけど、最近ゲームしかしてへんなみたいな。
どうかな。でもなんだかんだ描いてたかも。そればっかってわけじゃないけど。時々振って描いたり、授業中にちょっと暇な時に描いたりとか、なんだかんだずっとは描いてましたね。
辞めるって感じはなかったかもしれないけど、かといってずっとは描いてなかったかなっていう。
別に部活でやるとかそんな感じにはなってなかったんですか?
部活ではやってないですね。
じゃあ高校行ったら絵は描かずに野球部に?
中学校から野球部で。青林行って野球部入って。でも野球は高校入った瞬間に自分の住む世界じゃないって分かったんですよ。上手すぎて周りが。
青林って野球強いんですか?
それがそんなにそこそこですよって言っても。当時ベスト8ぐらいで。でもその高校ですら自分より同学年の子らが全然桁違いレベル違うって分かるぐらい上手で。
でもそれでベスト8なんやみたいな。地弁とかもっとやばいんやと思って。それで脱節してガーンと。
でも野球は好きやから続けたんですけど、野球一本って感じはなかったです。
じゃあその時も野球とA等って感じですか?
野球は授業中にちょっと描くぐらいで。
他に好きやったこととかあるんですか?
高校の野球ばっかでほんまに最多時間といえば。あと行き帰りが長いんですよ。めっちゃ遠いから。
君野から青林で。
君野から青林でどうやって行くんですか?
自転車やったんですよ。めちゃくちゃ遠かったり。
片道1時間ぐらいかけて自転車で。20キロぐらい。
帰りしんどいんじゃん。
帰りめっちゃしんどい。ちょっと微妙に登りやから。行きは下りないけど。
帰りの方がしんどい。
高校なんか他に出来事っていうか、その後芸大に進むわけなんですけど。これはどういう感じで?
15:01
野球は一生懸命やってたんですよ。自分の世界じゃないと知りつつも。一応頑張ってたんですけど。
かといって進路全然決められてなくてどこ行きたいとか。
3年の春ぐらいまでのらりくらり決めずに行ってて。
その進路の先生にもういい加減に進学するならするで。学校決めなあかんし就職するのかどうするのかみたいな。
進学はしたいなあと思いつつ、普通の大学で教科の勉強をして楽しく4年間過ごせるイメージが分かんかったんですね。
何やったら楽しいんだろうなって思った頃に、たまたまですけど地元の友達が大学案内みたいなやつで。
僕いったのは京都造形芸術大学ってとこなんですけど。今は京都芸術大学かな。
京都造形のパンフレットをお前ええすぎやったらこんなのあるでとか言ってくれたんですよ。
あれ美大とかあんのやと思って、京都かってなってそこから急に美大、芸大行きたいっていうのが思ったって感じです。
芸大行く人とかもっと事前に勉強するっていうか。
めっちゃ遅いほう。うちの奥さんも遅いんやけどね、それで言ったら。
遅い組です。
それまでもずっと描いてたんで、技術はあった的な。
技術は全然なくて、でもその高校の美術の先生がすごい良い人やったんですよ。
割と若い、当時30代の先生で。その人に野球部の後輩で一人実は美大目指してた子がおったん、たまたまそれも。
すごいラッキーやって。その子に実は美大行きたいと思ってんのよって相談したんですよ。
後輩の人じゃん。
行くって言ってたんやなって。行きたいって言ってたんやなって。でも行き方わかれへんからどうしたらいいやろって。
じゃあその美術の先生紹介しますよって言って。紹介っていうか、僕授業で取れてなかったんでその美術っていうクラス的に。
そこで紹介してもらって、その先生に相談したら、いやもうちょっとだいぶ遅いでみたいな。
でも本気でやるんやったら見たるからって言って。その野球の練習終わってから美術教室来なさいって言って。
すごい厚い先生で。その人のおかげでちょっとだけデッサン勉強させてくれて。
野球が引退というか退院退学終わってから本気で現役合格目指すんやったら画塾、絵の塾にちゃんと行った方がいいよって言ってまたそれも紹介してもらって勉強したんですよ。
でなんとか入れたっていう。
すごい。
18:00
そうです。
それってめっちゃすごい感じですかね。
いやでも、私とたんちゃん結構境遇が近いっていうか。
部活やってて、部活引退してからやり始めたから。
あとでも大学によると思います。なんか東京とかの方が難しいんじゃないですかね。
たぶん。私たちの行った関西の京都同型芸術大学当時、老人生もいたけど結構現役生も多かったんで。
あとね、デッサンとかじゃなかったんですよ。その入試が。
学校によるんじゃないかな。
デッサンとかって無理やったと思う。たぶん。
技術力よりちょっとなんか発想とかアイディアとか感性みたいなのをたぶん重視するような内容の試験。
どういうテストやったんですか。
なんか変わったテストで。
例えばこういうコップとかが出てきてお題として。
このコップから想像するできるありとあらゆるアイディアをこのでっかい文章紙5枚に書き出すんですね。
5時間くらいかけて。
その文章紙の中でそのアイディアをちょっとずつ絞っていって。
最終的に一つの絵画表現と文章表現で提出するっていう試験があったんです。
アイディアだしみたいな。
コップとは透明でとか水を汲めるとか。
そんなところからもっと飛ばしてもいいし。
ちょっと今わかんないけど。
難しい。
難しいんだけど。
そういうのをやって最終的に文章で提出っていう試験やって。
アイディアが面白かったりしたら割と取ってもらえたりしたんですよ。
合格できたって。
で、何とか入れたって。
その時は実際コップやったの?
いやコップじゃない。
その時何やったっけな。
2回受けてんのよ僕。
1回目落ちて。
2回目で受けたって。
そうそうそうそう。
前期後期みたいな感じ?
そんな感じで。
そうなの?
何やったかもう全然覚えてない。
ほぼ日曜日みたいな感じ?
ほんまにホッチキスとかそんな。
消しゴムとか。
消しゴム?
僕は消しゴムだと思った。
他の大学は受けてなかったんですか?
いや、受けました。
同じく京都の成賀大学ってとこと、
あと滋賀の西安造形っていう。
両方美大っていうか関西の。
なるほど、そして無事合格して京都へっていう感じで。
ちなみに高校の時なんか趣味的なこととか、
21:00
こういうの好きだったとかそうなんてあるんですか?
え、高校はいや。
ほんま家の往復しかしてなかったの。野球。
野球は好きだったんですけど。
野球都営というかまあ。
なんで私を見て。
知らなかった。自分は高校で好きだった。
どんな人物やったんですか?
どんなやったろうね。
クラスでの立ち位置とか。
ちょっとクラスに一人くらいおる絵の上手い子みたいな。
野球部やけど。
体育祭の旗描いたりとか。
はいはいはい。
絵上手いし描いてよみたいな。
唯一言えることがあるとしたら、
その当時翔太くんは多分女の子と話せないようなタイプの男の子だったと思う。
恥ずかしくて。
まあそんな方法をしたい。
そして晴れて大学生活が始まるわけなんですけど、
京都行ってどうでした?
京都は楽しかったですよ。
結局18年いたんです京都にも。
大学入ってから卒業してからもずっとしばらく京都にいたんで。
延べて18年おったんですけど。
結構重要な今につながる出会いは京都でもすごく大きな良い出会いがあったな。
奥さんとも京都で出会いましたし。
大学で。
はい、そうですね。
チラチラ。
もう一人で喋ってるなって思って。
そうだよね。もうちょっとね、多分坂上さんとか、
いやいや、今はそうですよ。
今は坂上さんがめっちゃ黙ってる。
翔太くんの恋人達というのが。
そこでまあ僕まだ現れてないし。
まあまあ私京都でまだ出会ってないもんね。
あんまりなんか上手いこと自分は言えてないと思うんですけど、
多分その当時から真面目さみたいなのは今も一貫して持ってそう。
野球部とかもなんかあんまり自分のことあんまり喋ってなかったけど、
たぶんすごい一生懸命真面目にコツコツやるタイプっていうか、
ほんとなんか積み上げて積み上げて毎日コツコツとする性質みたいなのは
多分もうその時があったんじゃないかなって思いますよ。
むやさん坂上さんはなんか気になることとか大丈夫ですか?
いえいえ、ところは。
ポジションどこやったのかな?
キャッチャーですね、キャッチャーです。
中高。
でも大学からかな?
いっぱい話せるのって。
いろいろ面白い話ができるのって。
キャッチャーで。
キャッチャーですね。
キャッチャーで広がる。
24:01
最近気づいたんですけど、自分の性格が
ほんまに当時の自分のキャッチャー像と結構かぶってて、
受けんのすごい得意やったんですよ。
投げてきた球を取るっていう。
いい音で取るっていう。パーンって言って。
それだけは得意やったんですけど、
いわゆるすごいキャッチャーって試合を全部コントロールしてるんですね。
いろんな指示出したり、ピッチャーのサインもそうだし、
戦略立てを試合にいかに勝つかみたいな。
このバッターをいかに抑えるかっていうの。
全くそれができないんですよ。
全くできんくて試合にたまに出るんやけど、
全く試合が上手いこと進まないんですね。
ピッチャーのリズムも狂って、パワーボールの連発みたいな。
試合時間だけがどんどん乗り抜けるみたいな。
でも音をやるみたいな。
キャッチャーの音をやるなって。
受け止めには得意やったんですけど。
体は今もでかいけど、当時からは一応チームの中で大きい方やった。
だけど打っては全然飛べへんし、投げても弱点で、
投げても弱点で、ほんまひどかった。
でも今の自分の性格に、
戦略全然立てれんくて、
ほんまに来たものを受け止めるだけ。
マジでね、そんなもんなんやなみたいな感じで。
最近思いました。
一緒なんて、何も変わってないなって。
キャッチャーから。
あのキャッチャー像に全て現れたんやなみたいな。
確かに。
キャッチャーから広がりましたね。
ちょっとだけちょいと広がりました。
逆にすごいいいこと聞けたな。
ほんと?
めちゃくちゃ怒られて、
なんであそこでスライダーやとか言って。
なんとなくみたいな。
ダメですかね。
特に自分なりの考えはないんやけど、
そういうのが全然頭に浮かばなかったんで。
受け止めるってどういうことですか?
自分から制作してるっていうか。
結構、来たご縁とか来た出来事を
割と素直に受け止めて今に至ってるって感じです。
自分から何年後にこうなってたいなとか、
じゃあ今はこうしようみたいなことを
全然高校の時から一緒で思いつかないんですよ。
戦略だけとかもできやんし。
そう、だから怒った出来事を
じゃあ今これが怒ったことを自分が頑張ろうみたいな感じで
受け止めて。
で、それをやってったら今になったみたいな感じ。
なるほど。
ラジオで話してたこと、穴がち嘘じゃないですね。
27:00
嘘ではないですよ。
穴がち本当嘘じゃなくて、
大きくしょたつくんどんな人っていうと
間違いじゃないんだけど、
すごいそれを超美化した頂上に持っていってる感じがしたから。
どこまでじゃないよって。
断らないみたいな感じ。
でも、全部断らないは違うなとか、
そういう感じで。
傲慢はあってるんですけど、
うやくんが良いように言ってたから。
何も断らなしですよ。
そんなことないよね。
何度か断ってるなって感じで。
でも、ベースは素直に受け入れて、
それに対して自力で応えていくっていうスタイルですよね。
なんかこう急に振ってくるものとか、
誰かが言ったこととか、
こんなのやってみたらみたいな。
じゃあ何かやってみようかなみたいな感じで。
なるほど。
珍しい人だと思いますよ。
いろんな作り手を私は知ってますけど、
珍しいと思います。
しょたつくんみたいな人で、
絵を描いてる人って。
ただ、でもそれが絵にも出てますね。
いやいやいや。
自分も言ってるやん。
その辺の計画の話は、
また後ほど詳しく聞かせてもらうとして、
大学生活編ですかね。
大学、はい。
当時2000年くらいの京都にってことなんですけど。
2001年かな。
2000年ちょっと過ぎたくらいですね。
その時の京都ってどういう感じでした?
京都どうやったかな。
僕ら行ったのは査協区っていって、
大学が査協区にあったんで、
学生街みたいなとこで、
いろんなとこから人が集まってて、
ちっちゃいお店とかもいっぱいあって、
楽しんでたよね、普通に。
京都の中でも独特な地区だったかもしれないです。
芸大卒業した人がお店開いたりとか、
っていうようなのがより集まっているような街だったから、
京都の中でも独特な街に住んでたかもしれないですね。
大学入っていきなり結構なじめた感じですか?
まあなじめ…
そうですね、サークルに入ったんですよ。
それがバスケットボールサークルなんですけど、
僕は野球はもういいかっていうのを大学入って思ってたけど、
一応野球サークルも見に行ったんですけど、
その野球サークル、うちらの大学はグラウンドがなくて、
体育館でみんなキャッチボールしたりしてたのが活動だったんですね。
30:03
ちょっとこれは別に無理に…
体育館かみたいな…
別に入らなくていいかなって思って、
まあいいかと思ってたら、
高校時代の一校上の芽塾の先輩が同じく造形大入ってて、
高平君が大学でも先輩で、
その高平君がバスケットボールサークルに入ってたんですよ。
で、誘われて、そっちはやろうやみたいな。
そっちは行ってみますって言って、
行ったところのOBの先輩で、
すごい人生を変えたというか、割と大きな出会いやったんですけど、
木村さんっていう、通称キムさん。
写真に自分が載ってる人ですね。
そうです、主人のね。
その当時一世を封じてた。
ロングセラーのね。
キムさんに行った初日ぐらいだと思うんやけど、
当時野球ばかりの坊主で、
ちょっと機体の形が反り込み型っていうのが別にそってないのに、
そもそも反り込み型になってたんです。
機体の形が。
それ見てヤクザが来たっつって、
いきなり第一声で、やっちゃんかみたいな感じで、
それですごい仲良くなったんですよ。
そのおかげですごいなじめたんです。
バスケサークルで結構今の人生に至る割と、
うちのおっさんもバスケサークル入ってて、そこで出会って、
キムさんとかコウヘイ君もそうやけど、
割と今の人生に影響を受けた出会いは、
バスケとサークルで結構あったなっていう。
大学時代の。
結構大きい出会いでした。
19歳で身代えをかけ始めるっていうことなんですけど、
大学の2回生ぐらい。
大学1年ですね。
それに着隠れたのがさっき言ったキムさんが、
当時その自分で撮った写真にCを乗っけて、
路上販売してたんですよ、キムさんは。
キムさん多分当時20歳か21歳ぐらいかな。
で、京都の道端で布広げてその路上で自分の作品売ってたんやけど、
超人気でその時の。
すごい人だかりで、そういうふうにそれが売れてたんですね。
すごかったよね。
布広げた瞬間にうわーって人が集まってきて、
みんなこうやって変わってくるっていう感じで。
1枚100円のポストカードがさ、
1日で10万とかぐらい売れてる日とかあった気がしない?
10万円分とかやね。
33:01
1枚100円とかで、
多分家でさ、プリンターで手摺りで擦ったポストカードが。
京都のどこの道で売ってたんですか?
新京国とかのアーケードの寺町とかの。
え、それ売ってよかったんですか?
当時はギリ、ギリというかグレーやったんです。
具体としてはギリいけた。
グレーゾーンやったんです。
割と黙認してくれてて商店販したら、
若い人は頑張っとるわみたいな感じで。
ギリギリだよね。
ギリギリやね。
そのキムさんに誘われて路上で行ったんですよ、自分も。
当時僕は人の顔を描いてて、人物画。
プレバスとかで描いてて、
それをキムさんに見せたら結構いい絵やんかって言って、
うちでポストカード印刷してあげるから売ろうって言って。
そのキムさんの隣で布広げて、
僕も自分で描いた絵を売ってたんですね。
でもそれは全く売れなくて、
人物画、この前でも自分の…
お前?
いやいやいや、僕じゃない。
売ってたのは友達の顔とか、
うちの親の顔とか、
結構身近な人の顔の人物画を描いて、
それをポストカードで売ってたんですけど。
その時の画風っていうか、
今の翔達さんの似顔絵みたいな。
いや、ちょっとでももちろん通じるものがあるけど、
もっと未熟で荒削りっていうか、
単純に下手でした。
情熱はあったと思うけど、
たくさん塗り込んで描いてたんで。
でも全くそれが売れなくて、
買う人からしたら、今思えばそうなんやけど、
うちの親父の顔とかを、
それはポストカードで買わんもんなっていう。
確かに使いどころないなみたいな。
なんでだろうな、当時はわからず。
翔達さんも100円だった?
そうそう、ポストカードで100円とか150円とかで売ってて。
なんでフィルムさんこんな売れるんだよ。
結構いい絵なんだみたいな感じで。
結構寂しくおったんですよ。
でもあんまりに暇なんで、
ある日画材持って行って、
その来てるお客さんに練習剤になってもらおうと思って、
自分の絵の。
ちょっと声かけて、女性に。
そしたら全然私いいですよ、モデルになりますって言って、
描かせてもらったんですね、その場で。
下手なりに未熟なりに描いて、
とりあえずできたんでプレゼントしたんですよ、その人に。
すごい喜んでくれて。
その様子を見てた別のお姉さんが、
次私描いてくださいって言って、
その人がのけたらすぐパッて来てくれて、
え、いいんですかって。
そのまままた続けて描いて、
またプレゼントしようとしたら、
そのお姉さんが、私が描いて欲しいって思ったんで、
36:01
いくらでもいいかな、値段言ってください。
私お金払いますって言ってくれて、
じゃあ100円いただいていいですかって言って100円で、
その日パーってそのまま8人ぐらい描いたんですよ。
似顔やっためっちゃ。
こうやって来てくれた人の顔描けば、
こんなにいっぱい人が来てくれるなったみたいな。
感動してそっから似顔やみたいな。
そうです。
ええ話ですね。
普段は学校で授業を受けて、
休みの日は似顔絵を描いてみたいな。
路上で似顔絵を描いてみたいな感じで。
そうなんですね。
そっからどうなっていくんですか。
そっからね。
たっちゃんはね、
ずっと似顔絵を描いてましたね、路上。
初めは1年半ぐらいずっと路上で描いて、
京都でずっと描いてて。
そうこうしてた後、
キムさんが自分の会社を立ち上げたんですよ。
今はいろは出版という名前なんですけど、
京都に今もあって。
そこが取引先が大手の雑貨屋さんとか、
ショッピングモールみたいなところと取引があって、
たっちゃんはそこで似顔絵のイベントやれへんかとか言って、
誘ってくれて。
いいんですかって言って、
いろは出版からの派遣みたいな感じで、
似顔絵屋さんを各地でやるようになって。
それが大学時代のほうがバイト代わりというか。
ずっと描いてました、似顔絵を。
その時は値段はちょっと上がってたんですか。
ちょっと上げましたね、さすがに。
でも1人300円とかで描いてるんですか。
初めの路上の時で、2回目か3回目で300円に上げて、
500円にして最後800円になって、
お店でやるってなって、1枚1000円とかになったのかな。
でも1人は800円だったんですか。
1人800円か、初め。
2人1000円とか。
2人が1200円に上げて。
あれも覚えてるな。
あれもほとんどそんな感じ。
ちょっとずつちょっとずつという感じで。
その休みの日はそれをしながら、
普段の学校での作品とかって、
どんな感じのものを作ってたんですか。
もう無理やり似顔絵にこじつけてって感じですね。
デザイン科やったら、コンセプトっていうのをちゃんと言えば、
結構何作ってもOKやったんですよ。
だからお題というかテーマというか、課題が出されたら、
いろいろいろいろんなこじつけて、
だから僕がこの似顔絵で。
どのお題が来ても最終的に似顔絵で出すって。
だいたい。
ちょっとどうしても無理な場合もあったんですけど。
そうですそうです。
そんなに似顔絵ハマったのは何やったんですか。
いや何だろうね。
39:01
ほんま単純に楽しかったのと、
自分が描いた絵が人に渡した時に、
ワーって喜んでもらえるっていうやり取りが、
たぶん毎回楽しかったんやと思う。
どんどんハマって、これずっとやってたいな、
面白いなみたいな感じで。
なるほど。
そしてキムさんの会社イロファ出版で、
似顔絵チームを作るっていうね。
その前にお辺路の話した方がいいと思う。
それはとんでもあるけどね。
でも大学時代の話。
イロファ出版になると社会人になっちゃうから。
そうか。
お願いします。
どうぞ。
いや、どこにないですよ。
ただちょっとそういう話は、
ふわっとそういうとこに行ったっていうのは聞いてたんで。
あ、お辺路さん。
聞きたいなと思ってたんで。
どこでこの話がしたのかイメージの時?
20歳の時かそれは。
春休みというか冬休みというか、
結構長いんで大学の休みって。
行こうと思ったきっかけは?
きっかけは、
めっちゃ話が長くなりますけど。
ちょっと面白いよね。
夢が終わる前で、その当時付き合ってた彼女の
お父さんがお坊さんとかちょっと話が面白い。
全部言ってるけどね。
路上で来てくれたお客さんと
お付き合いすることになったんですね。
あら。
そうなんですね。
そうなんですよ。
素敵な出会いがありまして。
年上のね。
4つぐらい年上の女性と京都の出会い。
友達やったから、その当時は。
アリさんにも相談したりしてた。
ダブルデートとかしてた。
ダブルデートとか行ったりとかしてました。
そうか。
一緒の大学で。
1年で出会ったけど。
付き合ってはないんですか?
全然。
友達っていうか。
相手がいたりとか、ただの友達。
その付き合った女性のお父さんがお坊さんで。
しかも結構偉いお坊さんやったよそれは、たまたま。
で、実家に遊びに行った時に
君は旅とかするのかみたいな、大学生時代で。
ちょっとやったことはないですけど
ほんまにその時小説とか読んで、ちょっと憧れてたんですね。
バックパッカーみたいな、海外放浪みたいな。
海外そういうのでやってみたいなって思ってますって言ったら
いや、海外行かなくても日本にいいとこあるよって言ったら
お返路っていうのがあるから
もし本気で行くんやったら
行き方とか教えてあげるからって言って
じゃあぜひ行きたいですってなって
で、じゃあほんまにやるんやったら
その本気の返路をしてみろって言われて
本気でなんですかって言ったら
お金を持って行かずに
もう体一つで行ってきなさいって言われて
42:02
ご飯とかは宅発のやり方を教えてあげるから
宅発でやってみたら多分すごくいい仕事になるからって言って
で、各家回ってお経を唱えて
時々こう、お伏せじゃないけど
施しを受けてその日を乗り切るみたいな
で、徒歩で全部一周するっていうのをやったんですよ
え、すごいな
いやいや、これもめちゃくちゃ
何日ぐらい歩いたんですか?
結局は何回かに分けて行ったけど
3回かな、3回に分けて行ったんやけど
でも全部延べで2ヶ月ぐらい
夏休みとかすると
そうそうそうそう
歩いて
お金もたずに
お金もたずに
そのお経はどこで覚えたんですか?
いやいや、本読みながら
本読み
めちゃめちゃ上手ですよ
声がね
まあまあまあ、声が低いっていうのもあって
ちょっと下手なお坊さんより上手だと思うんですけど
本当に当時はね、結構本気でお坊さんになろうかなって
一瞬思ったぐらい思ってました
ねえ
そんな話したら
そうなんですよ
いやいや、それも
そのお付き合いしてた女性が
3姉妹だったんですね
お寺の娘なんですけど
兄弟おったけどみんな女の子で
後取りがおらんみたいな話で
4つ目やったから結構そういう話とかしてたんですよ
僕は当時20歳とかやけど
なんていうかな
なんとかせなみたいな気持ちになってその話聞いて
泣きながらその後取りが
みたいな話
結構真剣に悩んでてその子が当時
お父さんすごい偉い人だったね
私も実家のお寺好きやし
このままじゃお寺がなくなっちゃうみたいな
僕はなんとかせな
しおたつくんって付き合う女の子と
結婚するとこで付き合ってるタイプみたいな
かわいい男の子だったんでその当時から
真っ直ぐで真面目
でもそのおかげでお縁のご縁をいただいたんで
めぐり合わせやなと思って
でもほんまに言ってよかったです
お縁のほんまその人と縁を大事にしたら
次へ進んでいけるというか
でもとにかくその出来事に感謝して
また次の出来事が起こるみたいな
それをずっと歩きながら実感として
いろんな出来事が起こったんでそこで
どんなことがあったんですか
ただただ生きてるだけでも奇跡やなと思って
お金も持たず職にありつけること自体が
45:02
だから食事ね
だから奇跡の連続みたいな
ほんまに景色一つ撮っても全然違って見えるというか
いろいろ話しとんでも
あんこが苦手だったんです当時
とにかくあんこというかぜんざい
小豆系の食事が食べれんくて嫌いで
でもほんまに2日くらい何にも食ってなくて
あるおばあちゃんがおへのさんこれ食べなよって
ひらがなであんぱんって書いてる安い菓子パンじゃないですか
駄菓子屋みたいなコッペパンにあんこ入ってますみたいな
いただいてありがとうございますって
でもあんこかと思ってその時は
でもこれを食わんとほんまに倒れてもすごい腹減ってたし
このままじゃやばいなと
何か入れやがったと思って
とにかくしょうがないから食べたんですよ
ほんとはもう何て言うかな
味の洪水みたいな
口の中でブワーみたいな
ザラーみたいな感じで味が
小豆パンかな
小豆って豆やったんかみたいな
もう砂糖の味かな
反応ある
フワフワする
あれでしょシマとか入ったと思うんですよ
ずっとお風呂入れてなくて
そうそう気持ちよかったな
その当時の話よ
その当時に聞いたことがあるんですけど
お風呂とか何日も入ってないとほんとすっごく臭いし
気持ち悪い体がベトベトで夏とかだと
何日もお風呂入ってない状態でのシマとかは
ほんとにやばい
お風呂じゃなくて
川で入って
船頭行こうかなと思ってないから
時々お辺野さん用に
無料で提供してくれるお風呂屋さんとかあったんですよ
結構四国にそういう風土があって
下辺野さんには施しようというか
無料で止めてもらえる場所とかもあって
でもそれ常にあるわけじゃないから
しばらくない区間とかもあって
冬場やから結構粘ってたんですけどずっと風呂入らず
時々公園で顔洗うとかぐらいで
いよいよやばいなっていうときに
島本川にたどり着いて
これは入らねばと思って
冬?
冬めっちゃ寒かったけど
いやでもほんま気持ちよかったよ
目良くして
そうです
お辺野さんの感想なんか
あんパンおいしいとか
なかなかなかった気持ち
感動したほんまおいしくて
シンプルな
あんも好きになったみたい
あんも好きになった
感覚が研ぎ澄まされた
研ぎ澄まされた
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一粒一粒の
もう味が分かるぐらい
舌に限らずってこと?
全身やね
全感覚
それで言ったらまた遠くけど
山の中で
一夜を過ごすことになって
ちょっと巡り合わせで
真っ暗で結構雨も降ってて
すごい初めてなの
山の中で寝るっていうのが
寝袋一個やしテンドも持ってへんから
休憩所みたいなとこで
屋根の下で寝転がってたんです
寝てたんやけどあんま寝れんくて
雨の音もすごいし
暗いし山の中やし
どんどん怖くなってきて
もうちょっとここでずっと降りたないなみたいな
多分4時か5時か
6時かちょっと忘れたけど
ちょっとだけなんていうかな
青地獄というか
世界がちょっとだけ
明るくなりだしたぐらいの時間に
もうここから出ようと思って
山の中を歩きだしたんですよ
うっすらこう
おへんの道筋というか
たまに矢印とかがあるんやけど
ギリ見えるぐらいのときに
バーって歩きだして
そのときに
大雨で寒くて
とにかく
真っ暗やし
雨の音以外なんも聞こえへんみたいな
肌の感覚もどんどん
雨に打たれて寒いし
無くなってきて
あるとき降っても
ほんまに
自分のこう
肌の境界線
普段やったら自分って
ここからここって分かるじゃないですか
頭の先、足の先
指の先とか
それがファンって無くなったの
山の中で
どこまでも広がっていくんですね
自分が
山の中に土にも
山の木々にも
うわーってなって
どこからどこまで自分やみたいな
感覚になって
でその
ふと我々帰ったときには
山も自分やし土も自分やし
全部自分とも
言えるかみたいな
全部に溶け出せば
ほんまにここの境界線なんて
薄い皮一枚だけなんや
っていうのをそこで実感できて
それも感動しました
全部自分とも言える
自分なんてないとも言えるし
なんかこう
すごい不思議やけど
言葉にしづらいんやけど
すごい大事な感じをそのとき受け止めてな
どうぞ
全く茶化されへんぐらい
お話が
すごい当時
その話を聞いて大学生ながらに
すごい人だなって
思ったのは今でも覚えてます
その当時別に
付き合ったりしてなくて
友達だったけど
タッチャンすごいなって
すごい思ったのを覚えてる
51:01
良すぎてそのエピソード欲しいです
当時だったら
普通にコンビニとかで
お金下ろそうと思ったら
下ろせるじゃないですか
でもタッチャンってほんとに
他にもいろいろ長く一緒にいて
マジで一回決めたこと
絶対ぶらさないんですよ
自分の中で
ほんとに
久しぶりに会ったら
ガリッガリに痩せてて
ほんとにお金を
買わずに歩いてもらったから
10何キロとか
痩せてて
夏休みの後だったから
やけどで
ただれてるの
今の会話だと
過酷さが全然伝わらへん感じ
だったかもしれへんけど
すげーこの人って思ったの
めっちゃ覚えてて
これもすごいことは
あんまりタッチャン自分で
すごいって感じで言うの
得意な人じゃないから言うんだけど
お金も持たずに
行きと帰りの電車賃だけを
持ってあとは何も
使ってないのにプラス5000円とかで
帰ってくるんですよ
すごくないですか
すごいなって思って
ほんとに
でもその
お布施でもらったお金は使うの
もちろんもちろん
それしかないからご飯を買って
でもそれでもプラス5000円
ときどきすごい
大金を頂いたりしたんですよ
5000円とか1000円とか
1万円とか
だからって
できないじゃないですかそんな大事なお金で
お金あるから
使おうって気持ちにならんくて
大事にとっとこうみたいな気持ちになって
最終残ったのが5000円やったっていう
あとあれですよね
世話になった人にお返しとして
似顔絵そのときも書いたじゃないですか
そうですね
結構大事なこと
大事なこと言えよ
って思いながら書いてた
似顔絵も書いてましたね
出会った人の
これちゃんと大事にしとこうみたいっていうご縁は
似顔絵に残して
時々お礼でプレゼントしたり
っていう
感じで
お返路経て
具体的に変化っていうか
特に
今思えば
すごい大きな出来事だったし
今もその
続きをやってる感覚なんですよ自分の中では
よく分からんと思うけど
お返路の
あの時の感覚を
今も割と続けてる感じっていうか
表現は変わりましたけども
もちろん
実際歩いてはないけど
でも
今思えばすごい大きな出来事だったなっていう
感じで
当時は生き切った満足感しかなかったですね
歩き切ったみたいな
なんとか生き延びれたし
なんかこれで結構どんなことがあっても
大丈夫な気がするみたいな
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自分はみたいな
ちょっと自信がついた
当時に言ってたので
すごい印象に残ってるのは
僕は語彙も大事にさえすれば
生きていけるって思った
みたいなことを
言ってて
そうやって生きてるんだよな
この人っていうのは大人になってから
感じること
めっちゃあります
皆さんどうぞ
いやないですね
もういい話で
いい話で
それが続いてる感覚
そして
いろはしょっぱんの似顔絵チームに
つながっていくって感じですか
そうですね
卒業間際に
始めてたキムさんに
結構ずっと誘われてたんですよ
うちの会社一緒にやれへんかみたいな
ありがたいなと思いつつ
似顔絵で自分が
食ってくるみたいなのを
想像全然当時できてなくて
就職活動もしてたし
ある会社の内定もらってたんで
そこに
行くつもりだったんですね
でもそのキムさんが
結構
ずっと色んな話で
説得してくれてて
ある日
結構長い時間
こんなことをやって
具体的な未来図を
一緒に話してくれたんですよ
似顔絵
今描いてる絵をもっと良くして
値段も上げて
それでもちゃんと人に届くものにして
世界中に広げようみたいな
結構その話が具体的で
なんかこう
今まで全然
自分の中でモヤっとしてたものが
割とバーンってクリアになって
その時に
今思ったらやけど
大学4年間ずっと
似顔絵しかやってきてなかった
それをやろうって言ってくれてる
キムさんが
チャンスをくれてる
その時に初めて
実感が湧いた
大学4年のギリギリだったんですけど
卒業の
いろは出版におさようなるっていう
話に決めて
一緒に
頑張ろうって
うちの会社入ったら似顔絵事業部作れって
言ってくれて
自由に
やりたいことやったらいいから
みたいな
すごいありがたい話だったんです
それで入るってなって
一人で事業部作るの大変やから
もう一人ぐらい雇っても
いいんじゃないみたいな
誰がいいやろうってなった時に
アリサさんを
誘って
当時
アリサも似顔絵を描いてたんですよ
路上とかで
似てることはまだ
似てるのない
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だ