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2024-08-16 19:02

【せつなさを殺せない】吉川晃司(1992年)/ 天才HSPの音楽ノート#23

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Apple Musicに保存してある約10万曲を、敏感すぎるHSPならではの視点で曲解説を行う番組です。「HSPは一周回って超天才だ!」という感性をフルオープンして世界一前向きにHSPと非HSPの橋渡しを行なっています。

▼パーソナリティ

きらてん(強度のHSS型HSP/ラジオパーソナリティ)

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▼プロデュースPodcast番組:

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▼今回ご紹介した曲

【せつなさを殺せない】吉川晃司(1992年)

▼参考web

『ウィキペディア(Wikipedia)』 https://ja.wikipedia.org

▼番組で使用しているポッドキャスト機材:

・マイク:Yeti USB Microphone

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・オーディオインターフェース:フォーカスライト

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▼オウンドメディア・ポッドキャスト制作

株式会社ジョブオール


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サマリー

このエピソードでは、吉川晃司の楽曲「切なさを殺せない」の背景やその影響について探求されています。パーソナリティのきらてんは、HSPという視点から音楽へのアプローチを語り、リスナーとの共感を深めています。菊花康二の「切なさを壊さない」は、HSPの感性と自己表現についての深い理解を促しています。この曲は、他者の影響を受けながらも自己のオリジナリティを確立する過程を描いています。

HSPの視点からの音楽
【HSS型HSP】天才HSPの音楽ノート、パーソナリティの【きらてん】です。
この番組は【きらてん】のApple Musicに保存してある約10万曲を、敏感すぎるHSPならではの観点で曲解説を行っています。
【HSPは一周回って超天才だ】という歓声をフルオープンして、世界一前向きにHSPと非HSPの橋渡しを行っています。
本週も音楽三昧な時間がやってまいりました。
HSPの方が聴いてくださっているというふうなことをよくお声がいただくんですけれども、なかなか音楽好きでもヒットするよというふうなことを当初スタッフの方とか私たちが思っていたんですけど、
思っている以上に音楽好きにはあまり刺さっていなくて、刺さっていなくてって怒られますけど、
それよりもHSPとか敏感な感性を持っているよという方からの声の方が多いねというのが現状のポジションのようです。
ですからPodcastのランキングかな、音楽っていうジャンルのランキングで13位でしたっけ、その辺に入らせてもらったというふうなタイミングもあったみたいなんですけど、
それは非常にすごくありがたいことです。本当に皆さん聴いていただいてありがとうございます。
だから音楽という側面とHSPの方との歩み寄りと、2つの属性を行ったり来たりしているというところがいい部分というか個性的な部分でもあり、
それだからこそ音楽への刺さり方がまだまだ弱いという見方もできますので、正解はないです。これが私ですというところしか言いようがないんですけれども、やめないです別に。
もっとHSPとか属性を減らして音楽に特化したらいいじゃないかという声もあるんですけど、嫌です。
HSPだからこそ気づけるんだよというふうなことが言いたいんですから、なんて言ったって私は。私自身はHSPですからね。
ですから音楽をドレミファソラシドでなぞられたらこうだよみたいな学術的なことっていうのはもう他の音楽解説番組の方が面白いと思います。
そっちの方にお任せします。私も聞いてますからね。そうじゃなくて、この曲のここを拾えるのはHSPの僕たちならではじゃないかというふうな考え方、その楽しむ方を、
今日も皆さんと一緒にいい時間の中でシェアできれば嬉しいなと思っておりますので、ぜひぜひお付き合いください。
吉川晃司の楽曲紹介
では本日お届けする曲です。タイトルを言うだけで結構ドキドキしちゃうかなと思うんですけども、
その前にこのタイトルの中であんまり言葉にしたらダメだなっていう単語が一個入ってます。
だからできるだけネガティブな単語を聞きたくないなという方はちょっとだけ耳塞いでおいてください。
決してそういう意味で使っているわけじゃないんですけど、たまたま使われている言葉があんまりよろしくないなというものなんで、
今から私がタイトルを言いますからちょっとボリュームを落とすなり耳塞ぐなりしてまた後で戻ってきてくださいね。
それでは本日お届けする曲はキッカー工事さんの切なさを殺せない。
もう戻ってきてもらって大丈夫です。タイトル言いましたから。
ちょっと表現がね、バイオレンスというか空いて使っちゃってるんですけど、
これはあくまでそれぐらい愛しいんだよっていうふうなことを言いたいがためにこういう乱暴な言葉を使っちゃってるというものです。
日本語だけじゃなくて英語でもあるじゃないですか、こういう表現って。
例えばクイーンの、我らがクイーンの、私も大好きなクイーンの中でtoo much love will kill youという言葉あるじゃないですか。
kill youなんてもう怖い怖いってなるんですけど、別にそのkill youを言いたいわけじゃなくて、
loveが言いたいが故にそのloveを膨らますためのkillだよねとか、そんなのあるでしょう。
このキッカーさんの曲もそれの一環だというふうに捉えてもらったら嬉しいかなと思います。
とはいえ、このキッカーさんの切なさを殺せないという曲、知らんという方が万が一いるかもしれませんので、今回もwikipediaの情報をちょっとだけお借りしますね。
では読みます。切なさを殺せないはキッカー康二さんが1992年2月6日にリリースした14枚目のシングル。
少ない情報量が。これだけって思うぐらいの他にもあったんやねきっとね。
うちのスタッフがあえて抜粋していただいたのがこの情報量。1992年の2月にリリースされた14枚目のシングルだよということです。
少ないやんか。これは少ないからこそなぜこの曲を私が選ばせてもらったかというと、これで肉付けしてねっていうスタッフの愛だと思いますので、早速そこに行かせていただきますね。
このシングルのみの曲というか、アルバムには入ってない曲なんですよね。
ベストバンドだと入ってるんですけど、シングルとして4に出たんですけれども、その後のアルバムに入ってたかというと入ってないという曲なんです。
だから余計に情報量も少ないのかなと思うんですが、曲自体は知名度は私はあると思っております。
ちょっと皆さんのところとはずれがあるかもしれないんですけど、私はこの曲が出た時とか92年っていうのはいろんな思い出がたかんな時代だって覚えてるんですけども、
少なくともこの情報量じゃないぞというふうなところは一言申し上げたいところではあります。
私が選ばせてもらった理由の一つに、ボーカルのスイッチを入れてもらったのはこの曲じゃないのかなというところだったんですよ。
それで選ばせてもらいました。
というのも、もともと私はドラムだったよっていうのは何回かお話ししてるんですけど、92年ですから自分たちがバンドブームっていう去っていってしまったという時ぐらいなんですよ、92年。
昨日までギター握った友達がいきなりスケボーを持ち出したみたいな、ある意味裏切られ感というか。
あとその裏切られても自分が選ぶ道はやっぱり音楽だったみたいなことに気づかされた、自分の清々しさとか。
というのがあった時に、とはいえ打楽器だから曲表現できないよねっていうぐらいの時にキッカーさんがこの曲をバーンとリリースしてくれたんですよ。
あれ?キッカー講師さんってね、僕ビジュアルとか液状音楽全部好きなんですけど、何よりこの曲だったらドラムである私でも歌って様になっちゃうかもって思ったんですよ。
決して上手いとかそういうなんじゃないです。
じゃなくて、僕は花があるとか様になるとかっていう表現をよくするんですけど、様になってない時はできるだけ人前に出たくないんですよね。
ドラムも一生懸命練習して舌出さえがあったから、こんな俺を見てくれみたいにやっとできたんですけど、そんな打楽器の人間がボーカルとかっていうマイクを握るなんてって思ってた時に、
不思議とキッカーさんのパフォーマンスって僕でもできちゃうかもしれないっていうふうな親近感で言うとちょっと失礼ですけど、勇気をいただけたんですよ。
その最たる例がこの曲だったなというふうに思います。
この曲はキッカー工事さんが作られた曲なんですけど、そういうバランスもあるから、自分が今までドラムを演奏するっていうことだけが表現に対して、
歌を歌う、あるいは作曲をするっていうふうな、そんな表現方法の扉を開かせてくれたというところも多大なるヒントをいただけたかなと思います。
ヒッカーの影響力
キッカーさんってハイキックをしてシンバルをバーンってやるとか、ちょっと乱暴なメッセージを出してた時期があったというふうなイメージもあるかもしれないですけど、
私は一貫して品がある方だなというふうに見てるんですよ。
というのも、私が一番苦手なパフォーマンスが奇抜なんです。
奇抜って、簡単に言ったら、すっぱだかで世の中、すっぱだかでその辺の道を歩いたりパフォーマンスするっていうことが奇抜です。
簡単に言うとね、シンプルに言うと。
それって何の解決もしてないやんって思うんですよ、僕は。
注目はもちろん浴びますよ。
あいつは裸やーって注目を浴びるんですけど、それを見て脳みそが快感になるかというとならないでしょうし、
注目を浴びるまではそれで言ってたでしょ、その後のメッセージが何って言われたらそれもない。
それを奇抜というふうに自分では定義してるんですけど、
奇抜なことだけしかしない人たちっていうのは本当に自分が一番縁通いなと思っている中で、
キッカーさんは、たとえそれがちょっと注目を浴びるようなパフォーマンスだったとしても、
そこに品格があるから結局俺はこういう生き様なんだっていうことのメッセージが同時にこっちにも伝わってくるというものが、
親近感という、おこがましいんですけど、本当に勇気をもらえたなという表現になります。
そのうちの一つに、キッカーさんって僕らみたいなバンドキッドとかパンクロック上がりで、
バンドが音楽なんだみたいなことだけのイベントじゃなくて、
音楽は好きだけれどもその後芸能界に入ってアイドルとしてとにかく売れなきゃみたいなところで、
事務所のパワーもそういうアイドル扱いをしてた時代があったみたいなんですよ。
だから歌が上手いとか曲がいいとかじゃなくて、かっこいい、身長が高い、逆三角形だみたいな、
そのかっこよさでまずは注目を浴びるようにしなさいみたいな、
事務所の大人の世界の中でいろいろ抗ったりとかされてたっていうこともあったんで、
結果的にこの92年の時っていうのは、アイドル枠もロックという枠も両方とも
行き来できるパスポートを持ってたような方だったんですよね。今でもそうだと思います。
今は役者とかもされてるから、どのジャンルにも行けたりするという。
マルチタレントという言葉が今ありますけれども、当時やっぱりあれもやろこれもやるっていうよりかは、
これだけはやるみたいな人の方がまだ世間一般では受け入れやすかった時代に対して、
ヒカーさんほどいろんなとこ行ける人いないだろうなって思うぐらい生き生きしてたんですよ。
どっちにとっても大丈夫よ、どっちやっても様になるよっていう風な、
そんな影響力を上手に使う見本の先輩というかお兄ちゃんというかかっこいいなって思う、
そんなシンボルがヒカーさんだったんで、そういう打楽器だけの私を解放してくれたという背景がある中でこの曲を選ばせてもらいました。
ではそんなヒカーさんの曲のエピソードなんですけど、このキラテンはシングルを買いました。
自分のお金でちゃんと買っている。
途中でパキって折ってちっちゃくできるってやつ。
これ知ってる人しかわかんないですよね。
CDというものがシングルCDというものが馴染みがある世代の人しかわからないと思うんですけど、
まさにあの状態で買ってきて、
曲かっこいいなって思ったんですよ最初。
いいやんいいやん私こういうの好きよみたいなのがあって、
コンプレックスの時もお話したと思うんですけど、
やはり私はそのヒカーさんのままビートロックとかそういうロックが好きなんだっていうヒカーさんのズバリのスタイルが好きだったんですよ。
ギャップの方じゃなくて。
ヒカーさんこんなこともできるんだっていう風なんじゃなくて、
もうまんまキッカーさんみたいなのが好きだったんで、
曲の影響と自己学習
この曲はまさにそれに該当するんですけども。
それで買って改めてなんですけど、
ハイトーンだからいいんだみたいな風潮ではなくて、
喉を開く感覚とかがこの曲で学んだなっていうのは本当に思いますね。
自分で買ったCDだから余計に思うのかな。
レンタルじゃないってことですつまり。
今でこそこうやって言語化できてますけど、
自分で買って何回も聴いて、こういうのモノマネとかをして、
中でハイトーンのシャウトの練習ではなくて、本当に喉を開くっていうことを自然にできてたんですよ。
本当に習わぬ今日を読む感覚です、まさに。
インタビューの記事を当時見てたら、
キッカーさんのインタビューの記事を見てたら、
スタッフと揉めたよとか、いろんな攻撃的なことを書いてるんですよ。
自分のやりたいことと周りが違うんだみたいな、
俺はこうなんだとか書いてるんですけど、
全然そんな感じ受けないんですよね、この曲を聴く限りでは。
なんかね、世の中に対して怒ってるんじゃなくて、
単なるそれこだわりですやんって、子供ながらにもフォローしてるような感覚なんです。
キッカーさん決して同情表を集めたくて書いてるわけじゃなかったんですよ、インタビューの記事。
けど、もう僕からしたら、それがスタッフと揉めて、
俺の作りたい曲とか作りたい作品にはやつらはいらないんだみたいなことをどんだけ乱暴に書こうが、
いやいや、それはもうあんたこだわってるだけですやんっていうふうに解釈しちゃうんですよね。
そんな不思議さもあったなと思うんですから、
なんか僕がこれじゃなきゃいけないみたいなどっかで決めつけてたところを、
いろんな角度から解きほぐしてくれたのがキッカーさんの曲だなというふうに思い出がありますので、
そんなエピソードが今お伝えしたところでは、
HSPならわかってくださるかなっていうところです。
オリジナリティの確立
では、そんなHSPの方とぜひシェアしたいなと思うところがこちらです。
世の中の癖が強い人っているじゃないですか。
周りの人はちょっと一旦置いておきましょう。
ネットさんとかユーチューバー、ユーチューバーあんまりいないか。
テレビというメディアをよく使う人の中に癖が強い人いるじゃないですか。
その癖が強い表現をする人って何人かはクオリティが低いというか、
単に誰かのモノマネしてるだけやんみたいに感じることってありません。
私はあるんですよ。
個性を出そうかとか何か爪跡を残そうとしているんだろうなっては伝わってくるんですけど、
学芸界レベルやんかって思ってしまうときあるんですよ。
大変失礼なんですけど。
言い悪いとかじゃなくて、もう見てられへんみたいなとき、
このHSPやったらわかってくださると思います。
そうそうじゃないとかあるんですよね。
そういう感覚があるだろうという前提でお話を続けさせてもらいたいんですけど、
私個人、HSPである私個人っていうのはモノマネっていうのは絶対に嫌だという流儀があるんですよ。
モノマネタレントの方を否定するっていう意味じゃなくて、
自分は誰かの二番煎じでその人のふんどしで今のポジションにいるんですっていうことが本当に嫌なんですよね。
仕事でも何でもそうなんです。
それと対称に学ぶの語源はマネルであるという考え方も同時に持ち合わせてるんですよ私は。
つまりモノマネっていうのは嫌なくせに最初はモノマネから入りますってことを堂々と言ってるっていう、
そういう矛盾を抱えてるのが私です。
これはタイミングを間違えたら矛盾になるんですけど、
タイミングを合わせると大丈夫っていう持論、つまりモノマネしてるときは世間にお披露目しないってことです。
それは自分の稽古としてモノマネするんですよ。
あの人のやってることを自分もやってみることによってより早く近づける。
ただそれは全然公表しない。
誰にも見せない。
こそっと自分の練習時間こそれに使うぞっていうふうな、そういう区別、区分けですね。
私はずっとそれでやってきたんですよ。
ですからそこにはビーズ・イナバさん、エクステ・バヌヨシキさん、ギッカ・ゴージさん、アンド・モアがいっぱいいるんですよね。
モノマネをしてるときはもう絶対披露はしない。
けどそれだけ自分が影響を受けた人っていうのが複数にいたら、
必ずお披露目するときにはもうミックスされて、誰かの影響を受けてるんだろうけれども、
トータルで見たらあなただよねっていうふうな、僕の個性が出るっていうふうに思ってるんですよ。
これは漫画家さんとかもそうですよね。
ちょっと作風というかタッチが似ているけれども、その影響を受けた人が数人いるからこそ、
今見たらもうその漫画家さんズバリのオリジナルの作品じゃないかっていうふうなあれです。
あれにやっぱり是非行きたいというふうな自分の流儀があるんですよね。
このHSPという感性はまさにそういう上手に融合できるセンスは持ってると思うんですよ。
モノマネしてるときはお披露目しない。
そのモノマネ、また他の人のモノマネ掛け算、2掛ける3掛けるとかなってきて、
これモノマネしてたつもりだったけど、もう誰でもない、
俺だけのオリジナルになってきたぞみたいなときぐらいにお披露目するっていうふうな、
この感性ってHSP得意だと思うんですよね。
つまりかっこいいというところにまで行き着けると思うんですよ。
私がそうだっていうのはちょっとおこがむしいかもしれないですけど、
少なくとも私はそれ上手にできるっていう自負があるので、皆さんもできるはずです。
なんかそんな初めて聞いたし分からんわって思ったとしても、
なんとなくニュアンスが伝わっているはずなので、それを胸張ってやってみてください。
私はそういったことの観点の一つに、この菊花康二さんのこの切なさを壊さないという曲は間違いなく僕の一部になってます。
それがあってこその今の自分のオリジナルだなと思ってますので、
皆さんにもぜひそういう自分の細胞の一つだって言い切れるような影響を受けてもらってあると思いますから、
それをお披露目する頃にはオリジナルになっているよっていうことを上手にできるHSP、
バンザーイっていうふうにみんなで思いましょう。
それでは本日ご紹介した曲は菊花康二さんの切なさを壊さないでした。
番組でご紹介している曲をセレクトしたSpotifyのプレイリストもご用意しております。
HSP音楽ノートという名前で検索してみてください。
その他の情報も概要欄に記載しております。
ご興味ある方は詳細ご覧くださいね。
HSS型HSP天才HSPの音楽ノート、お相手はキラテンでした。
番組への感想はハッシュタグHSP音楽ノートとつけてXに投稿してください。
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19:02

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