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金曜日は焚火の日
金曜日は焚火の日
金曜日の焚火会
この番組はサラリーマンキャンパーの梁と横山と中富が
金曜日の仕事帰りに九州各地のキャンプ場に行って
焚火を囲む番組です。
こんばんは、横山です。
中富です。
梁です。
めちゃめちゃ滑らかですね。
農家ダンサーノッポです。よろしくお願いします。
農家ダンサーノッポさん、ありがとうございます。
今日は最高の夜を過ごさせていただいていますよ。
おかげさまで。
最高ですね。
風呂入って
風呂入って
海入って
海入って
海入って
塩投掷して
今、飯食って
ちょっとまったりしているところですね。
そうですね。
ようこそ豊浦町へ。
いいとこですね。
いいとこ。ほんとにいいとこです。
俺知ってるけどね。
地元やのか。
そうですよね。梁さん地元ですよね。
家から30分くらい?
40分くらい。
何か俺、悪いことした?
今、3人制のワンマンカーが
終電ですよね。
なんで今鳴らしたんですか?
今多分、獣がいたんじゃないですか?
そういうこと?
本当?
本当にそうです。
ほぼ自然です。
ほんといい。
いいとこですね。
いいとこですね。
今、でもようこそって言ったかもしれないですね。
なるほどね。
中泊さんと横浜さんに対して。
梁さんは地元だから。
お帰りなさい。
いろんな意味合いがある。
僕、あれ乗ってここ来てました。海入りに。
そうなんだ。
小串駅。
小串駅ですね。
小串駅に来てました。
いいとこ、ほんとに。
いいとこですね。
ノッポさんってどんな人から行きましょうか?
まずは。
ノッポさん、ここ近くですよね?
ここも近くです。豊浦町生まれ。
同じ町で。
そうです。下関市は豊浦町生まれ豊浦育ちです。
そうなんですね。ずっとこっちなんですね。
ずっとこっちでした。
何中?
何中?
伝わります?
大丈夫ですか?
天国ですよ、これ。
なんならワールドワイド。
大丈夫ですか?何中って。
これ放送してるんですかね?
いいんですか?
高校中学校という中学校です。
一人しか反応してない。
だと思いましたけど。
そうなんですよ。
高校中学校。
そして下関工業高校という。
石工ですよ、石工。
石工通称。
下関工業の。
下関の関と。
下関だけど関やな。下じゃないんだ。
そうなんですよ。
石工ってやつ。
今はもう無くなってしまいます。
無くなってしまいます。
何ですか?
合併してしまって。
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そうなんだ。
高科高校。
中央。
中央工業。
有名どこで言うとロンドンブーツの。
あつさんの。
マジですか?
ここが中央工業。
あつさんは彦島ですよね?
彦島です。
彦トランドね。
と呼ばれる。
彦トランド?
もはやそっちの方が有名かもしれません。
彦島のことは彦トランド?
彦トランドって言います。
そう。
彦トランドはすごいね。
すごいとこですから。
原平合戦の平家が最後に陣地を張ってた島が彦島です。
結構変わった苗字の人が多いですね。
多いですね。
歴史的なものユカリノみたいな。
そうそう。
ユリノさんとか。
平家。
そうそう。平家の末裔。
末裔。
なるほどね。
ノップさんは何をされているんですか?
一応自己紹介的なやつ。
戻すとね。
だいぶ戻すと。
私は農家ダンサーをやっておりまして、農業とダンスで生きています。
日本で一番踊れる農家ですよね?
確かに。
たぶん農家か、日本で一番育てれるダンサーかもしれない。
逆に言えばね。
なるほど。
何育ててるんでしょうか?
今ですね、国産レモンを新たに生み出そうとしていまして、海峡レモンという名前なんですけど、関門海峡の海量から取っているんですけど、
この海辺の町じゃないですか、レモンってどう言ったらいいんですかね、シチリアとか海辺の町、
中海の町。
中海の。
そういうところに立ち並んでいる景色って結構世界的にもあると思うんですけど、関門海峡でもそういう景色が作れたらなっていう、まずビジュアルのイメージから始まっていって。
へー、そうなんですね。
そうなんですよ。
なるほど。
レモンって適したところってあるんですか?
簡単に言えば、日本ってみかんをすごい育ててるんですよ。お米かみかんかってあるんですけど、みかん育ててる土地でもいけます。
へー。
簡単に言えば。
なるほど。
すごいですね。
斜面のイメージがありますよね、みかん育ててる。
そうですよね。もともとみかんの歴史もそういうところから来てるんですよね。
昔、お米って何万石とか、お米がどれくらい作れるかっていうのが結局財力っていうか。
セーター数になってたんですね。
その時に、とはいえ大和の国っていう山の人みたいな言い方があるじゃないですか。
だから山多いですよね、日本って。
なるほど。
じゃあ山どうすんの問題があるわけですよ。
はいはい。
田んぼは、もちろん段々畑みたいにして田んぼ育てるアイデアもあるけど、とはいえ難しいじゃないですか。
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じゃあこの山どうやって活用するっていうところから、みかんっていうのがハマる。
へー。
だからみかん謎に多いんですよ。
へー。
なるほど。
そうなんですよ。だから斜面で日射がよくて、水はけがよくてとか、田んぼで言うとちょうど条件悪いというか逆なんですよ。
あー。
だからそういう土地の有効活用で、お米とみかんっていう歴史がどうやら。
なるほど。
私も調べてわかった話なんですけど、あるらしいんですよね。
へー。
じゃあそこにレモンが入っていく。
そうなんですよ。
なるほど。
しかもかつ、
え、国産レモンってないんですか?
国産レモンは有名なところで言うと瀬戸内レモンっていうのがあります。
あー。
ありますよね。
国産レモンというか瀬戸内レモンは調べると100年以上歴史があるんですよ実は。
へー。
ただ面白いのが、昔からレモンって人気があるらしいんですよ。
でも普通考えたら、だったらもっとレモン多くても。
確かに確かに。
でも未だにレモンって足りてないんですよ。
確かに。
それはまあ、
海外から輸入するわけね。
輸入する。
スーパー行ったらもう大体海外なんですよね。
海外なんです。
東京もレモンは海外です。
どこですかあれ。
どこでしたかな。アメリカやったかな。
アメリカね。
アメリカに渡って。
アレンユーレカっていう。
ちなみに国産レモンって言いますけど、代表的な3品種があるんですよ。
リスボン、ポルトガル、シティリアスペイン、アレンユーレカ。
これはねカリフォルニアかどっかなんですよ。
へー。
日本産というか、実は元は海外からなんですね。
割ってるのは日本でもってことですね。
始まりは面白くて、インドぐらいかららしいんですけどね。
へー。
そうそう。インドぐらいから始まって。
ヨーロッパに渡り。
渡り。
ヨーロッパ時代は、ヨーロッパ寒いから、レモンって実はちょっと話が交差してるんですけど、
なんで広まらないかって一つの要因としては、ちょっと日本って寒かったんですよね。
はいはい。
レモンってマイナス5度下回ると枯れるしぬれる。
なるほど。
そうなんですよ。
で、みかんってマイナス7度なんですよ。
へー。
たった2度で?
たった2度。で、これが大きくて、
日本の皆さんもインターネットで気象庁とかのそういう最低気温調べてもらったりとかあるんですけど、
日本ってマイナス7ぐらいまでなんですよ。
あー。
ただ、マイナス5を超えることはちょいちょいあるんですよ。
はいはい。
だからみかんは、
ギリセーフ。
ギリ合ってるんですよ。
なるほど。
レモンは、
若干難しいんですね。
難しいんですよ。
なるほどね。
で、そういう理由から、予想ですけど、これは半分本当っていうか、もう一個の理由だと思うんですけど、
まあ、ただ今で言うとちょっとこう、赤道からの温かい海流が日本付近を巡る関係で、温暖化が口の中にしてもではない。
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実はレモンはおすすめなんですよ。
へー。
そういうことか。
いけるんだ。
いけるんですよ。今レモンの時代。
へー。
今の日本の事情からして適して出してる。
出してる。
なるほど。
日本って結構変わるじゃないですか。
はいはい。
江戸時代ぐらいだったら、例えば東京とかも雪がすごく降って、
はいはいはい。
あの、ぷち、あのー、なんていう、氷河期みたいな感じで、
だから日本史とかは、あのー、いわゆるこう、圧巻が多かったっていうのは、
へー。
寒かったからなんですよ、あれ。
へー。
なるほど。
だから日本って意外に結構気候条件が変わってるらしくて、
まあとにかく今はちょっとレモンにとっては、
いけるんですね。
いける時期に入り始めてます。
もう特に九州の南の方とか行くと、もうより良くなってるというか。
良くなってると思いますし、ただこれが、あのやっぱりこううまくいってないというか、
逆もありまして、温かくなりすぎて育たなくなった作物も出始めてるんですね。
なるほど。
まあでもまあこれは農業の宿命というか、やっぱりこう僕らは、
へー。自然が相手で。
そうそう。で、変えれないですからね。
その時々合うものをやるしかないっていうところなんですよね。
なるほど。なんでレモン農家だったんでしたっけ?
あの、なぜかっていうと、これは自分発信というよりは、
海峡レモンって関門海峡で、関っていうのが下関、本ての文字口なんですけど、
以前多分この金曜日の旅行に出演を。
大スポンサー様ですね。
大スポンサー様が文字口のポルトのキースさんがアイディアとしてまず持ってたんですね。
なるほど。
へー。
で、それでただ農地と農家がないと。
ないと。
で、その時に私が2019年に農家ダンサーやってますということで、
いろいろな場所を巡って宣伝をしてたんですよ。
へー。
で、それがキキさんの耳に入って、2020年全てのコロナによって全ての社会が止まった時に、
キキさんも今何ができるんだろうって考えた時に、
もう仕事ないわけじゃないですか。
もう海峡レモンしかないって言って、うちに2020年4月にいらっしゃって。
それまではレモンじゃなかったんですか?
みかんなんですけど、ちょっと話が途中になったんですけど、
農業の問題って今若い人たちがどんどん減っていってしまった関係で、
工作放棄地と呼ばれてるんですけど、
もともとは育ててた土地がそのまま放棄されてるんですよね。
うちにもそういう土地があったんですよ。そこを有効活用した。
なるほど。
そういうことなんですよ。
それまでは農家じゃなくてダンサーだったんですか?
いや、もうその時は2019年時点で、
みかんのお手伝いと田んぼのお手伝い、農業もお手伝いしながらダンサーもやるってことで、
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一応もう15年間、皆さんも今会社員されてると思うんですけど、
私も実は15年間会社員していて、
そこなんですね。
そうなんですよ。何ならだってまだまだ会社員、長かったけどほぼほぼ忘れたんですけど。
で、その会社員を辞めて、
でもその時に、いろいろ考えた時に一つ自分の肩書きというか、
覚えてもらうために、呼び名が必要だった2つなんです。
それで農家ダンサーを名乗り始めたんです。
農夫さんはダンスはずっとやってたんですか?
ダンスはですね、これが不思議なもんで、
うちって両親はダンスで知り合ってるんですよ。
そうなんですよ。
お父さんとお母さんが。
社交ダンスで知り合ってて、
おじちゃんとおばちゃんも社交ダンスで知り合ってますよ。
なんだけど、お正月とかの集まりで、
父と母が社交ダンスを踊るんですよ。
親戚が集まって。
おもろ。
出し物を。
おもろいっすね。
農家なんで、
昔って兄弟6人、7人普通じゃないですか。
だからそういう家系なんですよ。
だから親戚の集まりってフェスじゃないけど、
多いんですよ。
めちゃめちゃ多い。
親戚の集まりフェス。
めちゃめちゃ多いんですよ。
そしたら当然余興みたいになってきて。
3、40人ってちょっとすごい。
うちもそうやん。
そうですよ。
これ田舎あるあるかもしれないですけど、
その時に父と母がやるんですけど、
それを見て僕は嫌だなって思ったんですよ。
小さい頃って。
やっぱり両親がないんで。
だからダンスは嫌だって思ってたんですよ。
ずっと離れてたんですけど、
これが不思議なもんで、
なんか思春期になり、
テレビでダンスを見て、
社交ダンスじゃなくて、僕だったらストリートダンス。
なんかいいなって思って、
でも田舎なんで、
ダンス教室っていうのがないんですよ。
だからそれで見るだけでもいいかと思ってたけど、
どうしても諦めきれずに、
21歳の時に島根県の増田市っていうところで、
当時僕が21歳の時の増田市はまだまだどいなかだった。
今はもうちょっと発展してますね。
そこで諦めきれずに始めたっていうのが始まりだ。
ストリートダンスを。
ストリートダンス。
だいぶ遅いです。
そうですよね。
ダンスされてる人5歳から始めた。
今となってはね。
当時も自分と同世代の人もやっぱり中学生くらいから、
やっぱり多感な時期じゃないですか。
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雑誌とかテレビの深夜の。
深夜ですよ。
深夜のテレビとか見ていいなと思った
多感な人が始めるのがダンスで。
21歳から始めるっていうのは、
当時としても遅かった。
へーおもろい。
今もう日本一ぐらいでしょ。
いやなわけない。
ストリートダンス。
僕のことですね。
まず日本一じゃないです。
日本一じゃない。
それはそうですよね。
それはそうなんだけど。
ただ、なんて言ったらいいんですかね。
もちろんすごくかっこいいストリートダンサーの人たちは
いっぱいいるんですけど、
僕は今プロのダンサーとしてもやれてるんですけど、
なんでやれてるかっていうと、
会社員から始めた、
ダンスを21歳から遅く始めた、
田舎から始めたっていう3つありまして、
この3つの条件って、
実は若くしてダンス始めた人が
ダンス辞める条件の代表的な3つなんです。
つまりだから、
年がいったから辞める、
田舎だから辞める、
あとは年齢、
田舎、
あとさらに仕事始めたから辞めるっていう、
なんですけど、
僕は実はその3つが揃った時点で始めたから、
言ったらイメージで言うと、
墓地から急に土がバーって手が出てきて、
生まれたゾンビみたいな。
ゾンビから。
中田旧ですよね。
ゾンビみたいなやつ。
もう死にようがない。
死にようがない。
最初は死から始まってる。
なるほど。
その結果、
いろんな意味で感覚っていうのが、
皆さんとちょうど1個ずつずれてる。
そのままだったら無理だったんだけど、
それを長く続けた結果、
おそらくオンリーワンな感覚。
なるほどね。
生まれがそうだったっていうのもあるんですけど、
続けてきても余計にそうなって、
もちろんいわゆる王道メジャーっていうか、
全ての環境が恵まれた最高の、
現代における至高の作品みたいな人もいるじゃないですか。
でもやっぱりダンスとかって、
どれだけその人に、
ある種の個性があるかって重要なわけなんですけど、
それとさっき言った通りで、
おそらく日本で唯一の、
土の中から生まれたゾンビなんで。
なるほど。
個性めっちゃある。
かぶらないので、
いまだにダンサーとしてやれてる。
かなり特殊だと思います。
すごいな。
逆に良かった的なとこありますよね。
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まさに今活躍されてる土台を作ってるというか、
たまたまかもしれないけど、
それがもうブランディングになってんじゃん。
なるほどね。
野村おいくつ?
今39です。
同じ年?
同じ年?
59年生まれ。
りょうさんと同級生。
何月でしたっけ?
11月です。
学年は一個一緒ですか?
はいはいはい。
マウント取ったのか?
いやいや、
ほら、
ジモって言いやがって。
ちゃんと書かれてる。
早友高校2年前と、
土の中高校1年前って今言いたかったんやけど。
1年で言うことを今りょうさん言ってますね。
なるほどね。
ここでマウント取ったのかもしれません。
40くらいになったらさ、
どうでもいい。
そうですそうです。
そういう感じで。
なるほど。
本当に20代とかって、
やっぱり結構わかると思うんですけど皆さん。
どっちかって言うと、
わかりやすい肩書きの世界ってあるじゃないですか。
例えば足が速い、
頭がいい、
顔がかっこいいとかあるじゃないですか。
でもなんか徐々に世界って変わり始める。
そうですね。
不思議なもんで。
不思議不思議。
どうでもよくなるもんね、途中で。
一部の選ばれし人たちっていうのはいるけど、
それを広く見るとなんか変わるじゃないですか。
その時に本当に田舎にいたとか、
始めるのが遅かったとか、
さらに始めたとかっていうのが、
実は結構良くて、
かぶらないから、
今の、だから40前ですけど、
多分今からずっとかぶらないんで。
いや、それめっちゃいいっすね。
そうなんですよ。
めっちゃ僕も恵まれてるってもはや思ってるんですよ。
えー。
もうなんかスタート時点で100万分の1になってたみたいな。
そうですそうです。
そう、いい感じですよ。
マジでそうです。
そういうことですよ。
100人に1人、100人に1人、100人に1人。
そうそうそうそう。
やりながら徐々に、じゃなくて、
スタートがそうで、
後は続けるかどうかみたいな。
そうっすね、そうっすね。
そうなんですよ。
いや、継続は力なりっていう、
まさにのっぽさんが証明してくれてる。
ありがとうございます。
嬉しいっすね。
はい。
何さ、そのさ、
俺いいこと言ったよみたいな気持ちでさ、
ほんとさ。
いや、いいっすね。
これ全部カットするね。
いやいやいや。
このたき火越しのね、このお互い描写とか。
俺なんか今さ、
閉めたやろみたいなさ。
いやいやいやいや。
今中締めですか?
はい。
はい、ここまで聞いていただきありがとうございます。
いやー、のっぽさんおもろいっすねー。
のっぽさんのね、人柄、
滲み出てましたね。
めちゃくちゃ楽しい人です。
で、まあ、
ものすごく盛り上がってたところなんですけども、
一旦ここで中締めさせていただいて、
続きは次回の放送でということにさせていただきたいと思います。
次回はですね、
21:01
のっぽさんと踊るフェーズに我々が入っていきますので、
どうぞお楽しみにということで、
それでは、良き金曜日を。
サンクコツイッツフライデー。