幼少期の思い出
皆さん、こんばんは。金髪社長のエンタメ経営radioにようこそ。
今日はですね、自己紹介を前回やりましたけど、もうちょっと深掘りをしてですね、小さい頃の話なんかをしてみたいなというふうに思ってます。
幼少期ですね、どこで生まれたのかとか、家庭環境どうだったのかとか、そんな話をすると、ちょっと親近感を感じてもらえるのかなというふうに思って、そういう時間にしたいなと思ってます。
僕が生まれたのは、山形県の小さな町で生まれました。
人口が12,000人ぐらいしかいない、小さな町なんですね。
そこはもう本当、盆地で、周りがもう田んぼで、丘のような山に囲まれて、すごくのどがいい場所ですね。
山形でいうと、もがみ川というのが有名なんですけど、もがみ川も流れていて、自然の中で育ちました。
家族構成はですね、両親と三人兄弟の僕真ん中で、男三人兄弟の真ん中という、そういうよく言われる忠誠心ですよね。
育ちまして、二つ上に兄がいまして、兄が遊び相手でありライバルだったって感じですね。
結構、兄はですね、すごい優秀な兄です。弟はすごくのんびりしたような、性格の穏やかな弟なんですけど、
真ん中の僕はですね、もう本当に機関棒って言われて、言うことを聞かない。
今で言ったら、間違いなく発達障害って認定される子ですよね。よく通知表とかだと落ち着きがないって言われる子ですよね。
僕は活発っていうことが褒め言葉だと思った。なんか活発で怒られてるって褒められてるんだなっていうふうに。
この辺りもちょっとアスペルガーな感じがするかもしれない。ADHD感が出てるかもしれないんですけど、そんな感じの真ん中で結構活発な子でした。
ただですね、両親は公務員だったんですよね。父親が公務員だったので、結構真面目にコツコツと、あまり正しいことやりなさい。あまり目指すなみたいな。
母親は着物職人で、お家にいたんですけど、やはり公務員のお家と言うと税金で成り立てるっていうことなので、あまり目立ってほしくなかったんですよね。
なので僕が結構目指すの大好きだったので、かなり手を焼いたっていうふうに思います。
僕は保育園に入りまして、保育園に入ったときのことを覚えてるんですけど、兄が常に保育園に入っていて、僕が入ってたんですけど、やっぱり兄が入ってるので結構かわいらってもらったと思います。
他の子よりも。目立ってたので結構重宝されて、兄が体が昔弱かったんですね。ご飯食べると戻しちゃうみたいな。おやつの時間のパン、菓子パンみたいなのが出るんですけど、あれも全部食べれないみたいな。
僕はバクバク食べる子だったので、兄の分もらって食べてたりとか。そんな感じでした。
3人兄弟の中で僕はすごい存在感を示したかったんだと思うんですよね。周りを喜ばせたりとか、派手なことをやったりとか、注目をされたい。
母親を独り占めしたかったっていうのもあると思いますね。なので結構目立ったり怒られたりしたんですけど、それが幼稚園に入ってもそのままなわけです。幼稚園に入っても先生を独り占めしたい。みんなの注目を集めたいみたいな感じでリーダーという立ち位置でやってました。
今は経営者をやってますけど、その頃から人の上に立ちたいみたいな、そういうのがあったんだなって思いますね。昔の自分の行動とか自分の考え方を考えると。
誰かについていこうとか、誰かの下に行きたいなんてね、これっぽっちも思ってなくてですね。自分のやりたいことを全力でやって、友達も巻き込んで、友達もほら面白いでしょみたいな感じでやっててですね。
後々それが事件になるんですけど、それは次回、明日かな。小学生の時の話をしようと思うんですけど、その小学生の話の中でこれが事件になるという、そういう流れになってきます。
自己表現と影響力
なので、目立ってたのでですね、例えばお遊戯会があったり、劇ってあるじゃないですか。幼稚園とか保育園で。
写真を見るとですね、やっぱりセンターだし、主役なんですよ。多分活発だったので、先生たちがこの子ならいいだろうみたいな感じでやってたと思うんですけど、やっぱり気持ちよかったんでしょうね、それが。
で、きっとね、主役だったりね、センターだったりっていうことをね、やりたかったっていう思いがあるんですが、両親の方針は目立つな、普通でいいよっていう感じだったので、
多分それがですね、爆発して、僕は一度役者になろうと思ってチャレンジをする。20代ですね、っていう風になったんですけど、これ面白いですよね。
幼稚園の時の、小さい時の楽しかった、いい思い出みたいな。これをですね、大人で再現しようみたいな。そういう気持ちになるっていう。
僕はやっぱりそうですよね。経営者になろうなんて、全く思わなかったんですけど、目立つ存在になろうとか、影響力のある存在になろうとか、誰かを引っ張っていこうとか、そういう気持ちはずっと、
この時から、5歳とか6歳、6歳じゃないか。まだ小学校の前ですからね。その頃から強かったっていうのは、振り返ってみると、僕の原点ですね。
まさかね、社長をやるなんてね、公務員の親に育てられて、人口1万2000人しかいない、小さな町で田んぼしかないところで育った僕が、そうなるとは夢にも思いませんでしたけど。
何か影響力、多少でもですね、影響力のある存在にちょっと慣れたのかな?どうなのかな?これからかな?みたいな感じですが、今そのような形で歩んでいるという状況ですね。
こんな感じでですね、まず今日は幼少期の思い出とですね、僕の生まれた家庭環境の話をさせていただきました。いかがでしたでしょうか。
また明日はですね、小学生時代の僕の性格とか、その時の考えてたこと、夢とか、そんなことを話してみたいなと思いますので、またよかったら聞きに来てください。ありがとうございました。じゃあねー。