高校生活のスタート
はい、皆さんこんにちは。金髪社長のエンタメ経営ラジオにようこそ。
はい、函館2日目なんですけども、今日ですね、朝からゴルフに行ってきまして、午前中、なんとか12時くらいまでで終わったんですけど、
で、そうしたかっていうとですね、午後からすごい大雨になるっていう予報だったので、本当はね、お昼くらいからゴルフする予定だったんですけど、
やめて、朝一でやってきたら、ギリギリ間に合いました。よかったです。
いやー、で、午後はオフなので、ゆっくりホテルに戻ってきて、お風呂入って、ちょっと仮眠して、夜はこれからご飯を食べに行こうかなみたいな、なんかそんな感じで過ごしています。
はい、今日はですね、高校時代、僕の高校時代についてお話をしたいなっていうふうに思っています。
高校時代はですね、中学で結構頑張って勉強して、県で2番目の男子校に入学することができました。
この高校は結構県内でもイケてる高校っていうふうに言われていて、スポーツも結構強いですし、頭もいい子が揃っていて、
イケてるというか、なんか陽気な人たちが多いっていう、なんかそんな印象の高校なんですよね。
そこにですね、無事入学することができまして、これから僕の高校ライフ、青春が始まるなという、そういう時ですね。
髪もですね、坊主から伸ばせるようになったんですけども、昨日もちょっと話したんですが、
さらさら部屋に集まっててですね、なんかちょっと悲しいなみたいな、もったりって感じになってたんで、ちょっと悲しかったですけど、
でもね、髪を伸ばせたからね、ちょっと嬉しかったですね。頑張ってモテようというふうにしてました。
僕はバスケ部に入りました。バスケ部は結構強い部活だったんですね。かっこいい先輩もいて、先輩たちも強くて、というような感じでした。
1年生の時はレギュラーになりませんでしたけど、2年生になって、ユニフォームもらえて、先輩たちが卒業して、2年生の秋からは僕たちの台になるので、
2年生の秋からはレギュラーとして。強いから結構上まで行くわけですよ、決勝ぐらいまで。
昔はね、今もそうかもしれないですけど、高校のコートって、学校のコート使うんですね。そうすると2面使うわけですよね。
準決勝は2面なんですけど、決勝は1面になるんですよ。1面になると注目度が全然違うんですよね。
それで試合に出させていただいて、決勝はその時は負けちゃったんですけど、結構女子校の子たちとか見に来るわけですよね。
試合が終わって、日曜日試合をやって、月曜日とかになると、僕の中学の友達とかから連絡が来て、
ちょっと会いたいっていう子がいるんだけどとかですね。僕は電車通学だったんですけど、声かけられたり、試合見ました?みたいな。
そういうふうに言われたり。このほんかちょっと芸能人みたいな。そんな気分でおりました。
バスケ本番が高校3年生なんですけど、2年生から3年生に上がるとき、監督が変わったんですよ。
県から要望されたような監督が来て、2年生中心のチームを作るというふうに宣言をされて、僕たち3年生は機械に回るということになったんです。
なぜかというと、僕たちが卒業した翌年に県の国体があると、その教科高校、うちの高校が選ばれたらしいんですね。
なので、2年生中心のチームを作れと県から言われ、外部から先生を呼び出して、2年生がレギュラーになってやるみたいな。
ちょっと待って、俺たちの青春、これから3年生になって最後、俺たち全国大会行くっていう、俺たちの青春はどうなるんだみたいな。
そんなの、県からするとどうでもいいっていう感じなんでしょうけど。これはちょっと残念な気持ちでしたね、すごく。
先生とも話しましたし、練習ももう行かないとか言って、ボイコットしたりとかしてたんですね。
そしたらですね、僕レギュラーも外されまして、最後の試合、ベンチも入れてもらえなくて、スタンドから応援する。
部活を辞めるっていうのはちょっと嫌だったので、部活はバスケ部にはずっといたんですけど、最後はギャラリーから応援すると、すごい悔しい思いをしました。
むちゃくちゃ苦手腐れましたね、その時は。
僕の中では輝かしいバスケライフがあるって思ってたんですけど、こんな感じでバスケライフが終わってしまいました。
受験への道
終わって今度は受験になるわけですけど、じゃあどこ受験するのっていうことなんですか。
僕は東北、山形出身なんですけど、頭いい子は東北大行くんですよ。
あと北大って北海道大学に行くんですよね。
東北大がちょっと難しいなっていう人は、北大か筑波に行くんですよね。
北大か筑波がちょっと難しいなっていう人は、山形大学とか千葉大学とかっていうところに行くっていう。
基本的に国立を狙って行って私立はあんまり行かないという、そういう高校でした。
僕も、現役で入ってくれよって言われてましたし、国立行ってくれよって言われてたんです。
結構勉強頑張っていたんですけど。
僕は第一志望が横浜国大っていうところを第一志望にしてました。
なんで横浜国大かって、なんで筑波とかで、学力的には、東北大はちょっと難しかったと思うんですけど、
筑波だったり筑里とか、なんでしょうがなんでかっていうとですね、東京出たかったんですよね。東北にいたくなかった。
っていうのがあって、なるべく東京の方の国公立で自分の学力に合うようなところってどこだろうと思ってやってたら、横浜国大とかが行けそうだなって。
最初、B判定ぐらいだったし。
11月ぐらいの模試で判定がCかなんかになったんですよ。これやばくねえかって思いまして。
実はね、うち兄がいまして、兄結構優秀なんですけど、東北大学A判定みたいな、そんな感じだったんですけど、
センター試験こけまして、実際東北大学に受け入れられるセンター試験の数字じゃなくて、結果地元の大学に行くみたいなことがあったんですよね。
あれ見てね、あの兄貴が受験失敗するんだと思ったら怖くなっちゃって。
それで僕C判定でしょ。
やべえなこれって思ったんですね。
その時に推薦の話が来たんですよ。
僕は学校内での成績結構良かったので、推薦は僕何でも選べたんですよ。
中央大学か明治学院大学かどこかがあったんですけど、中央大学って八王子にあるじゃないですか。八王子に嫌だなって思って、明治学院大学に行くことになりました。
まあちょっと逃げたんですよね。
でもね、僕何もわかってなかったなと思うけど、中央大学行った方が良かった。
良かったですよね、今聞いてる方。
中央大学と明治学院大学両方選べたらどっち行きますかって言ったら、ほとんどの人が中央大学って言うはずなんですよ。
でもね、僕わかってないわけ。
中央大学ってすごい大学で、明治学院大学は最初横浜なんですけど、3年4年から品川になるわけですよ。
そっちの方がいいじゃんって思って行ってしまったんですけど、良かったですよ。
良かったですけど、これね、経営者というキャリアだったら僕は中央大学にも良かったと思います。
なぜならば、大学つながりって結構いいんですよ、社長同士で会うときって。
経営者とかそうなんですけど、経営者だけで結構先輩が仲良くしてくれたりするわけです。
経営者の人たちってね、結構若い時からまあまあチャンスがあったりするんですよ。先輩引っ張ってあげるんで。
明治学院大学にいないの、社長がほとんど。
一番有名なのは、うの社長ですね。テレビのね、アプリをやってるうの社長。
昔は優先ですよね、優先の社長をやってました。代々当たりしてるんですけどね。
つなげてくれるんですけど、明治学院大学っていないからあんまり経営者に会ったこともないし、最近ちょこちょこ何人か会いますけど、同世代なんですよね、上野先輩とかいない。
中央大学はね、やっぱいるわけですよね。
だからね、本当に経営者を目指すっていう風になったら、ある程度出身大学、経営者が多い大学みたいなところを選ぶのは、僕はなんかお勧めというかいいですよね。
すごい人とも同じ大学だっていうことだったら、ご飯連れて行ってもらったりできるんでしょうしね。
経営者も経営者のチャンスをつなげてくれたりするので、先輩同士で。
なのでそういうふうになったら良かったかなと思いますけど、無知なのでね。
東京への憧れ
なんかおしゃれだなぁみたいな感じだけで選んでしまいました。
こんな感じで、高校生活、山形というところで生まれて、いろいろあって。
なんかね、やっぱり閉鎖的なエリアなんですね、東北ってだいたいそうですけど。
監視もあるし、噂もあるし、あと飛び抜けてる人をあんまりよく思わない。
みんな平均がいい、みたいな。
なんかそういう文化というか空気感っていうのがどうしてもある。
これ山形だけじゃないですね。僕東北の人とも結構関わってますけど、みんなやっぱりそういう感じらしいですね。
これはまあいいんでしょうけど、僕にとってはちょっと物足りなくて、どうしても東京に行きたかったということで進路を選んだ。
なんで東京かって言ったら、東京面白そうじゃん、なんか最先端じゃん、かっこいいじゃん、そういう好奇心だけですよね。
それで行くことになって、しかも受験もせずに、推薦という救いの手に乗っかっていくことになりますが、
これがですね、大学に入るんですけども、ここでちょっと選んだことがいろいろあるわけですね。
僕の気持ちの中、心の中でもあるし、何も知らなかった山形の妹少年が東京に行って、どんなことを味わっていくのか。
それが今度大学でのお話になりますが、今日は高校でのお話ということになりますので、この辺でお話としては終わりにしたいなと思います。
次回は大学の話しますので、楽しみにしていてください。ではまた。