どっちかましてやりましょう。
普段着着物好きのタワゴトラジオ的には、ちょっと避けてきたテーマなんですよ、これ。
そうだねー。
だけど、今回は喋るぞっていうので、もしかしたら話が収集つかなくなって前後編になる可能性もあるなって思いながら喋るので、
わーって思う人もいるかもしれないけど、私たちが喋りたいから喋るんだよね。
私たちのね、出口が欲しくてこれ喋るので。
うん。
というわけで、本日の着物談義に参ります。
はい。今日のテーマは何だろうな。
本日の着物談義は、
着物警察って本当にいるの?
はい。
これさ、ほんとにみんなに映像が見せられないのが残念で仕方がないんだけど、
今のうーんはね、箱みたいなの持ってきて口つけてわざわざサイレンっぽいの出してるからね。
たらこ いや、ねえ!どうやってさ、舞台裏をさ、
おっぴろげるのさ、やめてよ!
うさこ ええ、嬉しいくせに
たらこ たらちゃんがまるで、そういう、なんていうの、
まあ、今度の話はいいや、はい
うさこ そう、このさ、着物警察って言われる話ってさ、
着物着てるんですって言うと、
言うとっていうか、まあ私の場合着てるんだけど、
たらこ 定期的に聞かれるんだよね
うさこ まあね、っていうことはさ、着物着てない人にもさ、
やっぱりちょっとなんとなくこのワードっていうのはさ、
刺激的で耳に入りやすいんだろうね
たらこ そう、で、実際、私が会った中には、
着てみたいけど、なんか怖いんだよねの人たちの向こう側には、
こういうことがあったりとかするなって思ってるんだよね
うさこ ああ
たらこ だから、まあ、今日は普段着物好き的、
私たち的に掘り下げるよっていう話なので、
一般かどうかわからないなって思ってる
うさこ うーん、まあ、一意見だよね
たらこ そう、で、なんでこんなにグツグツ言ってるかっていうと、
私はね、燃えたくないの
うさこ そう、あのね、みんなね、
このポドキャスト、たろちゃんがさっき裏をおっぴろげられたから言っとくけど、
しーなちゃんはね、本当にね、話題選びとか、
ネガティブなことはとりあえず絶対私たちは言わないようにしているの
たらこ さっきね、じじいのナンパ無視みたいなこと言ってるから、
うさこ ちょっとあれだけど、毒も吐くんだけど
たらこ じじいのナンパはあれじゃん、毒は吐いたけど、
面白いし、じじいに幸あれと思ってるよ
うさこ ね、そうそうそうそう、別にね、あの
バルスとは思ってないから大丈夫なんだけど、
そうなんだよね、なんか、
これいろんな立場の人がいろんな見方をしてるような気がしているし、
この話ってちょっと誰かを傷つける可能性があるのかなっていう気がしてるから、
あんまりね、取り扱いたいかって言われたらそうでもなかったんだけど、
でもなんかちょっと避けては通れないような気もしてて、
たらこ いつかはね
うさこ いつかはねっていう感じがしてる。ただね、一つ言っておきたい。
私は着物警察っていう言葉嫌いなんですよ、そもそも論として。
そうなんだよね。
武蔵、小島、みたいなね。
そうなんだよね。ごめんね、ポケモン見てないからね、反応が薄くてごめんなさいね。
いや、そもそもだってさ、洋服でさ、いろんなファッションの人いるじゃん。
うんうんうん。
そんな人でもさ、別に言われないじゃん。
例えばさ、右の袖の長さと、じゃあ右の袖が半袖でさ、左の袖が長袖だったとしてさ、
あなた袖の長さが違うわよってわざわざ言ってくる人なんてさ、いないじゃん。
見たらわかるからね。
ファッション、ファッションみたいな。落ち着いてみたいな。
いやいやいや、過去から来た、もしかしてみたいな。
例は何ですよ、ここみたいな。
今は、みたいな、2000円みたいなね。
いやでもさ、太郎ちゃんが言ってたようにさ、金があったら振りの長さ揃えられるじゃん。
で、揃えたいじゃん。揃えられるもんならよ。
もちろん。
だからさ、それはさ、またちょっと違うような気もするけどさ。
右袖と左袖の長さが違うやつは、ほんまにただのオシャレやからさ。
え?でも、そういうさ、いろんなファッションがあると、洋服では、なんか急にさ、突き放すくせにさ、
なんで着物だとさ、服装を豊かく言われるのかが、まず太郎ちゃんは意味がわからなくて、
震える。ブルブルブルブルブル。
寒いから、寒いから震えてるんでしょ、それ。
あ、そっかそっか。季節のせいだった。
季節のせいだった。そうそうそうそう。
いやこれさ、ここからは私の考察なんですけどね。
予測の予測。だから本当はどうなるかわかんないんだけど、
これね、ほんまの親切な人もいると思ってるんだよね。
なにさ、ピュアな気持ち。
そうそうそう。ピュアな気持ちで親切な人って私、一定数いると思っていて、
一定数っていうか割と多いんじゃないかと思ってるんだけど、
そう信じたいよね。
これね、言ってくる世代の人たちって、結構上の世代の人が多い気がしない?
あ、そうね。私たちより断然年上って感じだよね。
そうなの。それでね、なんで私がそれってもしかしたら親切心がベースなんじゃないかって思ってるかって言うとね、
私らよりも上の世代って言っても100歳より上とかじゃないじゃん、言ってくる人たちって。
100歳より上の人たちと喋る機会がちょっとないからなんともあれなんだけどさ、
100歳よりも上の人たちって普段着が着物だったんよ、リアルに。
そうだね。
で、そうすると親から教えられてるんだよね、着方とか。
うん、作法っていうか。
そうそうそう。それはさ、どういうことかっていうと、
私たちが子供の頃にボタンを止めるみたいなことを教わるのと一緒なわけよ。
靴紐の結び方を教わるとかさ。
そうやって私らも日常で、親なのかジーバーなのか分かんないけど保護者に教わってくるでしょ。
そうですね。
で、そうやって家庭内で教わることって多分すごく多かったんだと思うの。
それは着物の着方も、それはね、着物の着方は普通に着なきゃ寒いから教わってると思うんだけど、
だったりとか、ご飯の作り方、それこそかまどに火を焚くみたいな時代だと思うから、
そういうことを教わるみたいなのとか、
壊れたから買いましょうっていう時代じゃないから、つくろいものの仕方だったりとか、
ちょっとした作法の話だったりとか、
っていうのは多分ね、親とかおじいちゃんおばあちゃんとか自分の祖先から聞いてるんだよね。
で、地域のコミュニティとかそういうので聞いてるんだよね。
これがさ、戦後だんだん着物というものが普段着じゃなくなっていくじゃん。着なくなってくるじゃん。
そうだね。
で、そうすると親から教わることがなくなるわけよ。
で、各家族化していくから、おじいちゃんおばあちゃんみたいなのから教わるっていうのも多分少なくなっていくんだよね。
そうだね。
そんな中、着物はもちろん生産数が減っていくんだけど、
どういうふうにこの業界を残そうとしたかっていうと、
単価を上げる方向に舵を切ってるのよ、着物業界って。
ラグジュアリーな存在になって。
そうそうそうそう。
それはさ、マーケティングとしてはすごい正しくて、
集客を伸ばしたりするよりも単価を上げた方が効率がいいんだよね。
今もね、わざと高級にするっていう手法あるもんね。
10万円のカツサンドとかね。
そうそうそうそう。
そうやってやった方が、マーケティング的には正しいとされている手法なので、
そこに舵を切ったわけよね。
そうするとフォーマルな着付けっていうか、フォーマルな場に着ていく着物っていうのが
着物としていっぱい流通するようになるわけよ。
パーセンテージが増えるわけよね。
それまで流通していた綿の着物だったりとか、
普段着に着るような汚れてもいいような着物とかじゃなくて、
だんだんこうラグジュアリーなものが流通が増えるパーセンテージが。
で、親からはその着方を教わらない。
でなってきたら、着付け教室に行くことになるわけよ、今度。
そうだね。自分で着ようと思ったらもう着付け教室に行くしかないね。
そうそうそうそう。外に教えてもらいに行くっていう風になるんだよね。
料理教室とかも多分似たような時期にあるんじゃないかなって、
僕すら想像してるんだけど、花嫁修行みたいなのがあったんじゃないかと、
勝手に私は妄想しているのだが。
で、そうすると今度、教室で教える方の人たちからしてみれば、
みんなに同じクオリティのものを持って帰ってもらわなきゃいけないわけよ。
商売としてやってるから。
そうだね。
そうすると、最終的に同じ形のお太鼓ができていれば、
どんな結び方でもOKだった、
おうちそれぞれにやり方がある帯の結び方じゃなくて、
それが必要になってくるんだと思うんだよね。
うーん、そうだね。
みんなに同じものができるようにならなきゃいけないから、
そういう風になっていくわよね。
まあそうだよね。
そう。で、そうなった時に教科書というものができると、
ここに正解というものができちゃうわけよ。
あー、できちゃった。
そうなのよ。
できちゃった。
できちゃった。
ってなるでしょ。
で、その時代に教わった人たちっていうのが、
今の私らの親ぐらいの世代とか、親よりちょっと上ぐらいの世代とか、
だと思うんだよね、多分。
で、そうすると、その人たちは外で習った、きちんとした学校で教わった正解っていうのがあるから、
それ以外は恥ずかしいっていう風に習ってるわけよ。
あー、そうだね。
ってなると、外で見かける若いお嬢さんが、せっかく可愛いの着てるのに、
あれは不正解。恥ずかしい。この子が恥かいちゃう。教えてあげなくちゃ。
っていうので教えてくれてる可能性があるんだよね。
あー、なんかね、それは確かにあると思うんだけどさ、
これ世代のだから違いかな。
太郎さん一回ね、みんなでどっか行こうよって名古屋で集まるとき、着物友達たちとね。
そんでね、その日たぶん祭りがあったんだよね、どっかで。
で、女の子がよく待ち合わせ場所に使われるところで立ってたんだよ。
全然知らない子だよ。
たぶん彼女は誰かを待ってたんだけど、遠くから見たら合わせがさ、襟の。
反対だったんだよね。
一緒にたまたま人待ちしてたんだけど、私と一緒にいた人が。
あの子さ、みたいになって、本当に反対だねってなったときに、
どうする?教えてあげる?ってなったの。
私が取った行動は、でもさ、これで教えたら、
たぶんあの子って自分で浴衣着てない気がしたの、私はね。
なぜなら帯も刺すだけの作り帯やから、
いやーと思って、これで教えてしまったら、
あれだよ、トイレ行ってすぐ着付け直せる子だったらいいんだけど、
それもわからないし、もしこれで教えたときに彼女が着れない人間だったら、
一日私は正しくない着付けをして恥ずかしいって思って一日過ごさなきゃいけないじゃん。
私はそれよりは、なんとなくみんなと違うけど、
私今日すごく浴衣でお出かけできて、ハッピーイエーイって思ってほしいと思った。
なるほどね。
だから太郎ちゃんはそのときほっといたんだけど、
そう言われると、あのとき言ったほうがよかったのかなとも思ったりする。
これさ、例えばさ、すぐ直せることとすぐ直せないことってあるじゃん。
あるね。
さっき言ってた襟合わせみたいなのとかもそうだし、
私もその浴衣のときにある下着が透けてる人に教えるかどうかみたいな問題とかってあると思うんだよね。
例えばさ、トイレから出てきた人の帯が後ろがペッて跳ね上がってるってやつって、
すぐそっと直してあげられるじゃん。
だから帯跳ね上がってるんで直していいですかって言ってそっと直してあげることはできるし、
例えばお洋服でもさ、ストッキングとかタイツにさ、スカートが挟まっちゃってさ、
メラオンってめくれてるみたいなことってたまにあるじゃん。
そういうときってさ、後ろにさっと行ってさ、スカート挟まってるねって言ってそっと直していいですか?
それともご自分で直されますか?みたいな話ってできるじゃない。
だけど、襟合わせとか下着が透けてるって、教えたとってその場でささっと直せないじゃん。
そう。ミッチもサッチないよ。
そうなんよ。それはさ、私がさ、カバンの中にさ、3枚ぐらいステデコのストックを持ってたらさ、
お嬢さんこれを着たらいいんじゃないですかって言えるかもしれないけど、そんなことないじゃん。
かっこいいけど、不審者。お嬢さん、このステデコの。
新品なんでお気になさらず。
いやー、あのお名前を名乗るもののほのんじゃありません。ステデコ仮面。
タキシード仮面じゃないのよ。ステデコ仮面。
それだとステデコかぶってる人になるから、それは話変わってくるね。
あ、そうだね。ごめんごめん。
そう、だからさ、それって迷うよねって思うんだけど、でもさ、声かけるときにさ、もう一つさ、これ声かけたらさ、
自分も着物警察自警団って言われるのかなとか、どういうふうに受け取られるんだろうって思って、ちょっと怖いことない?
怖い。
そう、だからね、私はね、今私これさ、すごい親切心の可能性もあるんだよって話したけど、
親切心で教えてあげた方がいいっていう気持ちと、親切を装った嫌味っていうのもあるから、これまたね、悪意があるパターンのやつもあるんだけど、
その根底にある気持ちと、伝え方って分けて考えなきゃいけないと思ってるの。
例えばよ、さっき言ったトイレから出てきた人の帯がちょっと跳ね上がってますっていう、お太鼓のさ、後ろ部分とかペッて跳ね上がってたりとかするじゃんか。
まあ私もよくやらかすんだけどさ。
それをね、例えば、あ、帯跳ね上がってるんで、お直ししてもいいですかって先に声をかけて、あ、お願いしますって言われたらさってやればいいし、あ、大丈夫ですって言って自分でやられたらいいじゃない?
だけどさ、突然さ、無言でさ、パンパンって直したらさ、親切心かもしれないけどさ、え、なに、怖いみたいな話になるじゃん。
そうね、あの、同性だけどちょっとセクハラの香りが感じるよね。
そうそうそう、え、どういうこと?みたいな感じになるじゃんか。
誰?
そうそう、だからこの伝え方が結構大事な気がしてるんだよね。
あー、わかる。
どんな親切心だとしても。
羽根はそう、要素を限らず、なんていうの、全てのことにおいて、そうだよね。
そうそうそうそう。
あとね、リアルなコミュニケーションとSNSのコミュニケーションもこれ分けて考えたいなって思ってるんだけど、私は。
SNSってやっぱさ、文字数が限られてるしさ、すごく長く書いたからってさ、最初から最後までみんなが読んでるかって言うとそうじゃないから、
そうだね。
真意が伝わらないと思うの。
まあそうね、伝えたいことも3分の1も伝わらないんだよ、きっと。
シャムシェイト的に。
尋常な感情が、みたいな。
そうそう、っていう気がしてるから、そこもなんか分けたいなって思ってるんだけど、でもなんかなんだろうね、
そういうのってコミュニケーションスキルだなって思うから、コミュニケーションって結構さ、スキルだったりするじゃん。
そうね、技あり一本みたいなことあるもんね。
そうそうそう、だから私ね、帯がちょっと崩れてる時に触られたことがあるのよ。
え、知らない人に?
知らない人に。
急に?
急に。
これは本日最初の地獄行きでよろしいか?
そう、でも私なんか、それこそSNSでそういう輩がいるっていうのを聞いていたので、
ああ、それあれじゃん、これ真剣ゼミでやったやつじゃんじゃん。
そうなの、だからそう、履修してたからさ、私はね、崩れかけてるの知ってたの。
ああ、知ってたんだ。
知ってて、ああ、これちょっと崩れそうだから、この後寄ったところでトイレに行って直そうって思ってたのよ。
そのタイミングでいきなり触られて、それを履修してたもんだから、人のもの勝手に触んないのよって言って普通に叱っちゃったのね、私。
え、相手は何歳ぐらいに育った?
えー、多分70代とかだと思うよ。
まあさ、その70代は勝手に人のもの触んないよって言ったらなんて言ってたの?
あ、あ、って言って去って行った。
顔なしじゃん。
顔なし、肩なし、みたいなね。
そうなの、でもなんか、でも私がね、言いたいのって、帯が崩れていることを教えてくれてること自体は多分親切心なのよ。
うん、それは嫌な気分じゃないね。
そう、だけど、人のものに勝手にいきなり触るのは絶対ダメって思うから、そこの部分はダメだよって言ってるんだけど、
でもあの人がどう受け取ったかっていうと、帯が崩れていることを教えてはいけないんだって受け取ってるんだとしたら、これ今度私の伝え方が間違ってんだよね。
あー、そうだね。難しいよね。
そうなのよ。
なんかその辺。
そうなのよ。
でもさ、そういうのってさ、せっかく教えてあげたのにって言ってさ、私はコミュニケーションスキルはちゃんとコミュニケーション取るつもりだったのにってなってくると、
それなんかさ、あのセクハラ親父みたいなさ、いつもなんかこうしりぺんぺんってやってくるおじさんとかって一緒になってくるから、
そこはやっぱりどうやって伝えたら真意が伝わるのかっていうのは考えていかないといけないし、
タロちゃんが言ったやつって多分うまく伝えたりとかうまく改善してあげるっていうところまで自分が責任持てないって思ったから伝えなかったわけじゃんか。
それはそう。
だからもしもっと上手に伝えたりとか、じゃあその後直してあげるだけのスキルがあったりとか時間的な余裕とかも含めてね、
するんだったらもしかしたら、こうなんだけど直して差し上げることもできるけどどうするって言ってあげられる可能性もあるわけじゃん。
だからやっぱり透けてる下着のお嬢さんのために新品のステテコをカバンに忍ばせておいたらいいかもしれないじゃん。
怪しい。
パンパニュやな。
そうだよ。カバンもパンパニュだよ。
カバン、パンパン、パンパンパンよ。
まあね、ほんと難しいね。
そうだよ。
難しいけど考えていきたい。
じゃあ例えばさ、財布を落とした人に対してさ、とっさに落としましたよっていう時ってさ、どうやって言ったらこの人に不信がられないかしらとか考えないじゃん、ぶっちゃけ。
瞬発力だからさ、早く伝えなくちゃってなるじゃんか。
だからさ、早く伝えなくちゃってさ、帯をキュッてやったのかと思ったら、いやでもね、ごめんね、引っ張られた方向がむしろ崩れる方向だったからね。
っていうのはあったりするよね。
そう考えると洋服ってさ、正解がないじゃん。教科書で学んでないじゃん、私らって。
だからそのきつけ教室で教科書を持って習ったっていう世代がいないから、あの人恥をかくから教えてあげなくちゃみたいなのが発動しにくいんじゃない。
あー、かな。
なんかさ、よくさ、言うじゃん。昭和の時代はさ、近所のおじさんでもめっちゃ怒ってきたとかさ。
うんうんうんうんうん。
それはその時代としてはよかったと思うね、サロンさんはね。
うん。
ただね、今はね、令和なの。
まあね、でもなんかそういうの全部口塞がれるみたいな感じになるとさ、それはそれでよくなかったりとかするじゃない。
まあね。
だって都会とかでさ、人が倒れてる、アメリカかな、アメリカの人が言ってたんだけど、
うん。
なんか日本で酔っ払いが倒れてるのを見かけたら、大丈夫ですかって救急車呼びますか、お水飲みますかってなったりするじゃない。
うん。
でも、そもそもアメリカ人の私の知人に言わせれば、道端で寝そべるっていうこと自体が危なくてできないし、
そんな奴がいたら、こっちが話しかけてもどういう危険があるかわかんないから絶対声かけないみたいな。
ああ。
感じなわけよね。
うん。
どちらもが警戒じゃないけどさ、みたいな感じになるわけよ。
ああ。
でもさ、責任が持てないからとか、自分に火の粉がかかってくるからやらないみたいなのってさ、突き詰めていくと若干ディストピアよねって思っちゃうから。
ああ。
そうね。そう考えると、その親切心を持つことが悪いんじゃなくて、伝え方のトレーニングのほうな気がするんだよね。
うん。そうだね。
あとさ、これはちょっと脱線なんだけど、いつも脱線するからさ、するんだけど今日も。
例えばさ、たろちゃんはシャープペンシルをおすすめして、私はボールペンをおすすめします、みたいな設定でディベートをするみたいなことをやったときに、
シャープペンシルのこういうところが良くないです。ボールペンにはそういうことはないからボールペンがいいでしょ、みたいな話をするじゃん。
そうすると、否定してるのはシャープペンシルなのに、たろちゃんはなんか自分が否定されてるような気になったりとかするじゃん。
ああ、するね。
あれって、なんかディベート慣れしてない人間、議論慣れしてない人間らしくって、
これ変だよって言われたときに、私が変なのっていう風になる思考回路って、たぶんそこなんだよね。
例えば、親とか先生とかに注意されたときに、その物事じゃなくて、人格を否定されたりとかしてきた経験がある人たちって大抵あるような気がするんだけど、
1回もそういうの通ってない人いないと思うんだけど、そうなってくると、何かを否定されたときに、私のこと否定されたっていう風に、
すごい強く感じすぎちゃってるような気もするんだよね。
日本人ってディベート慣れしてないって言うもんね。
何と比べてなのか分かんないけどさ、ポリネシア人とか。
そうそうそう、それなんかサムネイルしか見てないからどういう状態になったのか全然知らないんだけどさ。
っていうのをやってたりとかするから、そういうことになるのかな。
いやでもさ、派閥がはっきりしてたら、あ、そっちはそうだよねっていうふうになるのか、
タロちゃんのさっきのみたいに、なんかオタクが変わったことやってますね、あの件なのかわかんないけど、どうなるんだろうね。
ふわー、でも見たくない。
お互いのさ、お互いのさ、服装直そうとしてさ、なんかレスリングみたいになったらめっちゃ面白くない?
こうやってお互いの帯とかさ、直そうとしてさ、ジリジリジリ、ジリジリジリ。
高島屋とかでそんなの起こっとったら、タロちゃん絶対実況会に入るわ。
それあれかな、だから教室とかさ、お茶とかお花とかでもリューフがあるじゃない?
そうだね、あるね。
そこがなんかね、着付けまで違うのか一緒なのかは知らないけどさ、あと合服店とかさ、なんかこう、いろんな経緯的な何かの人たちの相撲。
経緯相撲。
バカにしてないからね、一応言っとくけど。
そうだね、でもね、私これそれ思うんだけど、別にさ、どこが間違いでどこが正しいわけじゃないじゃん。
その相撲大会。
ってことはさ、参加者全員一人相撲してるじゃん。
めっちゃ誰も土俵に上がらず、全員が土俵の周りをウロウロして戦ってる。
めっちゃ面白いじゃん、バカにしてないよこれ。
でも出会わないのかな、なんかさ、夫の人がさ、ちょっとこれまた話脱線するんだけど、夫の人がさ、ゴルフをやるんだけど、
で、ゴルフをね、一瞬私も一緒にやろうかなって思った時期があったの。
全然ハマんなかったから、全然やってないんだけど。
うん。
で、練習場に行ってさ、いわゆる打ちっぱなしってやつよ。
はい。
行くじゃん。でもさ、一緒にスケジュール合わせて行くのが難しいじゃん。
まあね。
そんでさ、それをね、受けて私が、じゃあ一人で練習に行ったほうがいいのかなって、上手くなろうと思うんだったらって言ったの。
そしたら、いや、やめたほうがいいと思うんだよね、一人で行くのって言うから、え、なに、変な癖がつくからなの?って一人でやったら、やっぱさ、変な癖つくじゃん、ああいうのって。
だから、そういうこと?って言ったら、いや、あのね、教えたがりおじさんがいるんだよねって言われたの。
だから、もしかしたら、自分より分かっていないやつと見るや注意するみたいなことだったりとかするような気もするのね。
ああ。
だとしたら、その権威相撲みたいなことはならんくない?
そうね。私思ったの、本当に権威を背負ってる人いるじゃん。
例えばさ、お茶のすごい、めっちゃ、タロちゃんお茶とかお花とかきつけとか全然詳しくないんだけどさ、その界隈のこの人って言ったらさ、もうこのもんどころ状態になるとするじゃん、その業界が。
っていう人って多分ね、あんま何も言わん気がするんだよね、その辺歩いてる人に。
その辺歩いてる人には言わないんじゃない?
自分の教室にその人が来たら、あ、もっとこうしようがいいよって言ってあげると思うんだけど、
例えばさ、きつけですごく有名な先生がいらっしゃるとするじゃん。
その先生は多分ね、道行く着物を着てちょっと違うなって思ってる人に対して、まあそれこそいきなりは、ああ、なんとかよとか言わない気がする。
でもさ、これ。
気がするだけだよ。
知らない人に話しかけるって別の話じゃん。
さっきのさ、伝え方みたいな話になっちゃうけど、あれってどうなのかしらと思ったとするじゃん。
例えば太郎ちゃんのさ、振りの長さが違うのはどうなのかしらと思ったとするじゃない。
でもさ、全く知らない人に話しかけるってさ、そもそもハードルがあるじゃない。
そうだね。
ものすごい親切心だったとしても、ちょっとハードルがあるじゃん。
ある。
ってなるとさ、そこに行くって別の案件よね。
知らない人に話しかけるって、わざわざどうして?ってなるじゃん。
もちろんな。知らない人に話しかけるのに、すっごい鮮やかな人って一手すぎると思うの。
ああ、太郎ちゃんとか。
ええ、そうなの。
だって、なんかものすごい知らない人にフレンドリーに話しかけよるやん、太郎ちゃん。
だから太郎ちゃんのことを慣れ慣れしくて嫌な奴だなって思う人だっているかもしれないよ。
ああ、なるほどね。
でも、それこそ私としーなちゃんの共通言語ってさ、だいたい着物か酒なんだけどさ、
居酒屋でもさ、なんかこう話しかけてきて全然不愉快じゃない人とさ、
この人は不愉快の佃煮でできてるの?みたいな人もいるじゃん。
いるね。
すごいね、あえて悪い言葉を使うなら、クソを煮詰めたやつってこういうこと?みたいなね、あるじゃん。
なんかさ、私今さ、喋りながらさ、私さ、嫌な奴の佃煮になってたらどうしようしょんぼりって思ってしまって目を閉じる。
大丈夫だよ、本当に嫌な奴になったらどうしようって思ってる人は嫌な佃煮にはならない。
嫌な奴100%佃煮の人はね、自分が佃煮だということを気づいていない。
ああ、そっか。
白米ぐらいに思ってるように。
やだー。
なーに。
ここで言いたい。
ちょっとね、着物はね、昨今って言ってもだいぶ戦後からの振り幅よ。
フォーマルになりすぎてんのよ、結局。
ああ、なるほどね。
そう。
なんかさ、浮世絵とか江戸時代を見ろよと思うんだよね。
はいはいはいはいはい。
まあ、たろちゃんは江戸時代を見てきたわけじゃないんだけど、浮世絵のね、もしあの絵の情報が本当にあの時代の載っているリアルな情報だったとするよ。
うん。
そうしたらさ、ぐずぐずやん、着付け、ほんまに。
まあね。
ぐずぐずって言ったら言い方悪いけど、生活を感じる。
うんうんうんうん。
趣味であの人たちは着てないじゃん。
そうね、生活だからね。
それこそ中にシャツ着てるっていう絵も残ってるし、帯もさ、まさにそれは逆にどうなってんだいっていうくらいダイナミックな結び方の絵とかもあるじゃん。
うんうんうんうん。
感覚としては私たちも普段着物好きとしてはさ、日常で着てるじゃん。
はいはいはい。
ほっといてほしいよね。
マジで。
それでさっき言ったさ、時代の流れとともにフォーマルの方に単価が上がる方に舵を切ったんだよっていうのが一つの理由なんだよね。
まず日常着としての文化みたいなのが薄くなってるっていうのが一つあると思うの。
そうすることで、御服産業っていうのは生き残ったんだと思うんだよね。
うん。
っていう過程が一つあるじゃない。
うん。
あともう一つね、着物って決まりごとが多いよねって思ってる人たち多いじゃん、私たちも含め。
そうだね。
これってね、どこが分岐になってるかって意外にね、はっきりしてんのよ。
え、その時歴史が動いた瞬間があんの?
そうなんですよ。
あら。
これはどこから引っ張ってくるかっていうと、着物の国のアテナっていう片野由加さんっていう方が書かれている本の中にあるんだけど、
着物文化と日本という本に出てくるのですが、戦後の着物ルールの土台を作ったのは浦仙家十四代家元の長女だったと言われています。
その人が出した、昭和40年代に出された本がベストセラーになってその影響が大きかったようです。
その本によると、昭和45年、1970年に観光総裁入門という本が出版されている。
著者は塩月八重子さんという方で、日本の各家族が住む中で、世間のしきたりやマナーの正解を示して大ベストセラーになったという。
この続編として昭和47年に着物の本が発売され、合わせて700万部も売れたというからすごい。
着物の本には作動の決まりごとをベースに着物を着る上でのこと細かな注意事項が書いてあるという。
その数、なんと390個。
一日一個覚えても間に合わない。
そうなの、そうなの、そうなの、そうなの。
なんかね、うっすら読んでみたいような気もするけどね。
私はもうこれを読んだらね、切る気が失せそうな気がするから読まないことにしてるんだけど。
というわけで、結構はっきりしてるんだよね。
今私たちが。
そうだね。
この時代に覚えなきゃいけなかった人たちが、今だいたい70代ぐらいだったりとかするから、
さっき言った、あの世代の人たちが正解を持ってるんじゃないかっていう予測は、私はここから来てるんだけど。
もう一つ、太郎ちゃんがさっき言ってた浮世絵とかのやつが本当なんだったらねって言ったじゃん。
これね、意外にね、本当な部分もあれば本当でもない部分もあって。
たけひさんイメージさんとかすごい有名だけどさ、
同じようにあの頃美人画で高畑歌唱さんっていう方がいらっしゃって、
私はね彼の絵すごく好きなんだけど、
この人が描いていたやつっていうのは、その絵になって美しいものっていうのが基本に描かれてて、
例えばさ、街ではそれは着ないのよね、パリこれ、みたいなことになったりとかするじゃんか。
ああ。
ああいうような感じで、車の着物をそのまま背肌に着てるような絵があったりとか、
ものすごい短くスカートと着物を合わせてる絵があったりとかっていうのの絵が残ってるんだけど、
その時代を生きていた人のコメントで、
いやこれはなかなか奇抜な着方よね、そんな人見たことないわ、みたいなこともあったりするから、
じゃあ絵に描かれてたりとか、そのデパートのポスターとかに残ってるものが、
いやこれで良かったじゃんっていうのもこれまた違う話なのよね。
そうやな。
ちなみにそのさっきの高畑歌唱さんの絵っていうのはあんまり現実には見なかったよっていうやつは、
昭和モダン着物っていう中村圭子さんっていう方が編集されている本の方に描かれてます。
もし興味がある方は。
あれじゃん、この前私が気になるって言った本じゃん。
そうそうそうそう。
なるほどな。
なのでこれも踏まえてなんだけど、フォーマルのルールが決まったのが1970年。
私が生まれるより前。
多分これを聞いてる人はほとんど生まれてないのではないかと思う。
あの頃はっていう人もいるかもしれないけど、
ちなみにうちのソボンヌは当然それよりも前から生きていて、
その本が出てお茶会のルール、着物のルールみたいなものが
わって厳しくなった瞬間のことを彼女は覚えてた。
じゃあやっぱりあれなんだ、みんながぼんやりしてて決まったって感じじゃなくて、
なんとなくこうだよねみたいなルールが、言い方悪いけど、
飲酒運転って良くないよねって言ってたけど、
なんかやってる奴いるじゃんっていう中で、
ああもう本当にダメマジで警察、みたいなことになったみたいな感じ。
それだと普通に法律だから、
まあ別にね。
自警団。
自警団ではないからあれだけど、そうなんだよね。
だから着物を着るにおいてのお茶会のルールっていうのが
すごい変わったみたいな瞬間はあったらしい、彼女をいわく。
だからその瞬間をリアルタイムで経験しているうちのソボンヌは、
私が結構フリーダムに来てるみたいなのを見ても、
ああそういうのあったよね、みたいな反応されたりとかするから、
意外にね、昔に戻っている説あるんだよね。
あ。
まあ私としてはそっちの方が嬉しいんだけどね。
まあね。
あまり怒られたくないから。
それはそう、私も怒られたくない。
良い大人だぜ、本当さ。
良い大人だよ。
本当ね。悪い大人なんだけどさ。
ね。
あとね、さっきの観光存在の本がそのベースになってるよっていう風な感じだから、
そのルールをね、まんま残したいと思うんだったら、
そのフォーマルをフォーマルのまま残すしかないんだよね。
ああ、だからもう何、結婚式は正しこうだ。
普段は知らんけどね、みたいなね。
そうそうそうそう。
うん。
ってなるとさ、もうさ、今結婚式、今たらちゃん言ったけどさ、
結婚式は私もあげてないけど、
あげる人は減ってるし、じゃなこうと立てる人は減ってるし、
うん。
とか、なんかその式典そのものがさ、減ったりとか簡略化されてるものってすごい増えてるような気がするんだよね。
うん。お葬式もね、もう今や家族だけとかもね。
そうそうそうそう。
ってなると、そのフォーマルをフォーマルのまま残したいと思うなら、
式典そのものを昔の状態のまま残さないと、
1970年だったら1970年の状態のものを残さないと無理よね。
まあそうね。
うん。
っていうのを踏まえるとさ、彼らが本当に求めてるのって何だと思う?
あーでもさ、わーわからん。
まあそれもさ、さっき分類したじゃん、こういう人もいる、こういう人もいるって。
うんうんうん。
それは色々あるかもしれないけど、
もうめちゃくちゃ良い人も悪い人も全てめちゃくちゃ乱暴な枠に入れるとしたら、
自分の信じたものが正しいってずっと思われてほしいんじゃないかなと思った。
あー自分が思うじゃなくて他人もそれを思ってほしいみたいなこと?
だって別にまあ他人は知らんけどねっていう人はその道行く、
例えば合わせが逆の人に対して、とか中にシャツを着てる人がいるとかさ、
いろんな人に対して多分時代が変わったんだなと思うと思うの。
まあエリア合わせが逆になるのはちょっと時代の話じゃないんだけどね。
中にシャツ着るとかさ、ブーツ履くとかもそうだけど。
でもそうじゃなくて、自分がこれはこうってそのね390個も釣られた、
そのルールが今も正しいんだっていうのを適応させていきたいし、
ずっとそうであってほしいと思う人、ちょっと強みの人はちょっとあなたってなってるのかなと思った。
それってさ自分が信じてるだけじゃダメなのかな?
自分で信じてるだけでオッケーの人は時計台にならない気がするんだよね。
あーなるほどね。
これはSNSの話なんだけどさ、なんでそんな着こなし方するんだろうみたいなことを言ってる人にさ、
別に良くないですかみたいなコメントをしてる人がいたのよ。
着物の写真を上げてる人がいる。
それに対してなんであんな着こなし方するの?って言ってる人がいる。
と別の人が別に良くない?あの人が自由に着てるのとあなたの人生関係なくない?
みたいなコメントしてる人がいたの。
そしたらそれに対するコメントが、自分はそういうものを見たくないからこうやって注意したいんだみたいなことを言ってる人がいたんだよね。
それは知らないのかな。その時って多分ツイッターだよね。
そうだね、ツイッター。
ツイッターにはね、ミュートとかブロックとか自分でね、蓋をする機能があるのを知らねーやつでございますか?って思っちゃうね。
まあ知らないのかしたくないのかは知らないけどさ。
ねえ。
珍獣ハンター超えちゃうよ。
本当は自分が気に入らないんだよっていうところにたどり着けてるば、私なんか一旦それは自分の中に理由があるってわかってるじゃん。そしたらじゃあなんで気に入らないの?の次の段階がある気がするの。
どこの部分が気に入らないの?それはなんでなの?とか。
おのれと対話してほしいみたいな感じなんだよね。本当の理由は何?みたいな。
本当に自分で対話できないから相手を排除しに行ってるわけじゃん。
たぶんね、私は想像してるっていうだけだから本当は違うかもしれないんだけど。
シーナちゃんの理論でいけばね。だからその人たちが本当のところっていうのは私たちもわからないけど、確かにそう言われると聞いてみたいよね。
学校の校則とかもさ、校則だから決まりだからって守るんじゃなくて、なんでそのルールって必要なのかしら?みたいなことをやると、過去こういうことがあったからこれって禁止されたんだよねみたいなことがあったりとかするとさ、
それってもうなんか時代が変わって境外化しててもうそのルールいらんくない?みたいなやつも結構いっぱい残ってたりとかするって言うじゃん。
ああいう感じのものってさ、なくしていいと思うの。私はね。だけどそれを残すことによって、例えばその教師だったりとかがその生徒を管理しやすいっていう側面があるんだとするならば、
管理しやすいからなんだよねっていうところをまずなんかこうさ、きちんと認めてほしいんだよね。
振りかざすんじゃなくて、いやまあぶっちゃけさみたいな。
そうそうそうそう。その管理はそのレベルで必要なんですかね?みたいな話とかをそこからできるような気がするの。
そうじゃないと、いや決まりだからってなっちゃうと思考停止じゃないけどさ。
それってなんでなのっていうのをやってみたい気がする。ああなんか気に入らないな、なんで?っていうのをやってみたいように。
やってみたいっていうか、私は割となんかそれをやってる、自分ではやってると思ってるけどもしかしたら足りないのかもしれないけど、
だから今度私に声をかけてくる時系団の人はすごいとつかまって、それってなんでなんですか?それってなんでなんですか?っていう風に声をかけられるって覚悟を持って声をかけてほしいんだけど。
うざっ。ミイラ取りがミイラになるどころの話じゃねーのよ。
いや時系団時系団になっちゃうね。
本当だね。でもなんて言うんだろうな、学校のさっきの拘束の話で言うところのさ、なんでこれはダメなんですかって聞いた時に規則だからだよって言われると、
だからこのルールを守るんだって言われてさ、納得できるやつって多分相当素直か考えを放棄したやつだと思うの。
もしくはうっせーからそういうことにしとくかって思って、結局そういうことを言ってくる人のこと馬鹿にし始めない生徒って。
する。私してた。
でしょ。だから本当に自分が目指す世界を作ろうと思うんだったら、そこで決まりだからなんだよとかっていう風に従わせる方向に行ったら純粋に馬鹿にされちゃうのかもしれないね。