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2023-11-28 40:31

V.56-1 人の未来が好きな人・木村宣崇さんに聞く「バリ島の村の村長になった」

今回は、人の未来が好きな人・木村宣崇さんにお話を伺いました。
とあるきっかけでバリ島の村の村長になり、今も続けている、という木村さん。それはつまり、どういうこと?と、まずはその村長になった経緯について、お話を伺いました。
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ゆいなわさんの聞く人ラジオ 皆さんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
今回は、人の未来が好きな人・木村信隆さんにお話を伺いました。 とあるきっかけで、バリ島の村の村長になり、今も続けているという木村さん。
それはつまり、どういうこと? と、まずはその村長になった経緯についてお話を伺いました。
そもそも、バリ島に行ったのがなぜかというところは、まず聞きたいんですけど、どういう経緯でバリ島の村長になったのか、
みたいなところは、
やっぱり、こないだ聞いて、僕もわーって思ったんですけど、そこを聞きたいです。
そうですね。
まずだから、こないだよくおっしゃってたのは、鎌倉にいるということですね。
そうですね。
鎌倉にいて、いろんな方がいた。
そこで木村さんがお話をしに行ったというところあたりから、どういう感じだったんでしょう?
高校時代というか、ずっと小学校、中学校、高校と過ごしていて、正直自分の高校生活っていうのが退屈だったんですね。
あんまりワクワクしなかったっていう日々を送っていて、
友人たちも普通にいたことはいたんですけども、放課後何するのっていうと、ゲームセンターに行ったりとか、
海が近かったんで、海に行ったりとか、そういう遊び、ビリヤード行ったりとか、ダーク2やったりとか、
そういう遊びぐらいしかなくて。
特に朝起きた時に、今日学校行って授業受けて、放課後は多分あいつらとあの辺に行って遊ぶんだよな、みたいな生活だったんですよね。
まあそれぞれで別に楽しい、もともと楽しめたのかもしれないけど、あまり、僕にとってあまり楽しくなかった。
一方で僕が趣味として、僕一人で始めた行いがあって、
鎌倉っていうのが、昼間からカフェで小説読みながらずっといるおじさんとか、
03:05
それから公園でお散歩をしている。
おじいちゃんおばあちゃんとかじゃなくて、全然働けるようなおじさんおばさんたちがいるわけですよ。
この人たちは何してんだろうなと。
僕の父親っていうのは、普通に会社員をやってたので、朝早く会社に行って、夜遅く帰ってくる。
土日はゴルフとかに行ったりとか、海外出張が多かったりとかしてて。
あまり楽しそうに見えなかったというところが所持であって。
それで高校を卒業したらみんな大学受験で大学行くんだなと。
大学って4年間で終わるんだなと。
その後何するのかなというと、みんな会社入ってるなと。
海が近かったんで、要するに大学生だとか会社員の若い連中とかの友人たちもたくさんできるんですよね。
そうするとそういう人たちに聞くわけですよ。
そうすると一日の生活っていうのは、大学生っていうのは自分たち高校生とあまり変わらない生活してるんだなと。
ってことはこの高校の生活があと4年間延長するだけなんだなと。
会社員に入った連中もいるので、会社員に入ってみんなやってんだ。
全くワクワクしなかったんですよね。
これでそれなりにみんな年をとっていくんだっていう。
一方で昼間からプラプラしてるおじさんおばさんもいるんだなということで、
おじさんおばさんたちが一体何してるんだなっていう。
どうしたらこの人たちみたいになれんのかなって。
自分はそっちの方がいいんだけどなっていうのが何にもわからなかったんで。
そういう人たちにそのまま言うとナンパしてた方がいいですよね。
カフェに行ったらちょっといいですかっていうので聞いて、声かけて。
一体何してるんですかって。
急にそれ言われてもちょっとえっって感じしますけど、そうやってたんですよね。
その辺はやっぱり高校生の特権だと思うんですよ。
まあまあこいつは若いからまあみたいな感じですよね。
変なやつが来たなみたいな感じで。
おじさんみたいになるためにはどうしたらいいのかなとか。
おじさんって大学行ったんですかとか。
その時の疑問をね。
いろんな疑問があるわけですよ。
もともとがそんなに一生懸命努力をしてどの子のっていうのが好きな人間ではないので、
06:09
なんか楽しく生きたいなっていうところがあったんで。
そういう風になるためには。
おじさんおばさんたちと知り合いになって家に行ったりとかいうようなことをしてたんですね。
高校時代に。
そしたらその中の一人のおじさんに音楽をやってるおじさんがいて。
その人がインドネシアのバリントンの奥地でサンプリングデータとして生録音で取りに行きたいという話があったので。
高校生の夏休みにそれを声掛けしてもらって。
お前来るかって言われて。
よく分かんなかったんですよ。
よく分かんなかったんだけど、なんかちょっとワクワクしたんですよね。
なんか面白そうだなって思って。
なのでちょうど受験時期でみんな遊びに行くというよりはみんな大学受験で勉強してたっていうのがあったんで。
じゃあ俺これ行こうかなと思って。
もうすぐ行く行くって言ったのがインドネシアのバリントンの出会いだったんですけど。
普通に行ってだいたい2週間ぐらいで帰ってきたんですけど。
ただ僕の中ではその後にすごく残っちゃって。
なんでバリントンの奥地の人たちっていうのは当時バブルも弾けてないかったので。
着てる服だとか持ってる物とかいうのは自分の方がたくさんある。
決して豊かではない。見た目ですよね。見た目では豊かでない。
他も日本で使ったら色々な物が手に入るとか。
そういう状況であったにも関わらずバリントンの村の人たちは幸せそうなんですよ。楽しそうなんですよ。
日本にそのまま帰ってきて友達なんかと会うと悲壮感漂ってるわけですよ。
なんなんだろうなっていう。ものすごく自分の中に疑問が湧いて。
よくわからないんだけど。ちょうど受験のシーズンだったので。
図書館とかに行くんだけど、もう全然受験勉強する気がなくて。
バリ関係の本ばっかり読んでいたんですけど。その疑問を探りたかったというか。
どういうことだと。
それに単純に取り憑かれてしまって。
でも結局、いろんな本だとか文献とか書いてあるものはファンタジーみたいなことが書いてあるんですね。
09:06
神々の島がどうのこうのとか。文化人類学みたいな感じのものだとかいう情報しかなくて。
全然しっくりこなかったんですよ。
なんか違うよねと思っていて。もうちょっとリアルな感じのものが欲しいんだけどって言った時に、
僕の最終決断は行くしかないなっていうのが僕の中で起きて。
行く決断っていうのを高校卒業式の日。一応高校は卒業した方がいいかなっていうのが、
一応親の手前とかもあったので、一応卒業はしようとは決めたんですけど、
もうそこから先は自分の人生だと思ってたので。
卒業式の日にリュック一つ持って、バリーのそこの家に込んで、
もうそこで生活をしたいということで行動を起こしたっていうのが最初ですね。
なのでもう本当に親に対してはかきおき一つ残して、僕の旅だったというのが。
そうですよね。びっくり。親としてはびっくり。
親としてはびっくりですよね。
なので、そこから村に行くんだけども、ただそこの村っていうのは基本的に、
あまりよその国の人が来るような村ではない。観光地でもなんでもないんですよね。
奥地。奥地なので、本当に自給自足ができて暮らしてる村なので、
逆に言うと外国の人が入り込むことはあまり良しと思わないっていうところがあって、
僕もその村に行った時に、正直拒絶されたんですよね。
帰れと言われて、土下座して頼んで、とりあえず1週間の滞在の許可はいただいたんですけども、
その1週間のうちに、逆にその1週間っていうのが割と軟禁状態で、
自分が、村は自由に歩けるんだけど、5メートル先に村の人がいると人払いされて、
村の人とはコミュニケーションを一切させない。
そこにいてもいいけど、コミュニティには入るみたいな感じの、
常に監視状態があった。
自分が寝る部屋の前には人が必ず監視しているし、
自分がトイレとか水浴びとかしてる時も常に監視がいるっていうような状態で、
12:02
割と結構礼遇されてたんで、
現実ってこうなんだなーって思ってた。難しいんだなーって。
行きたいっていう思いがまずあって、
行くことが目的になってたんですかね、どうなんでしょう。
まずは、行ったらなんか分かるかもしれない。
そっかそっか、まずそれしないことにはってことがあったから、
まあ行ってみようって。
実際行ったら、ちょっとそういう感じになって、
礼遇されちゃったみたいな状態だったってことですね。
録音の件も結構村の中でも得たみたいで、
前のおじさんと一緒に行った方の話。
そういう背景を知らなかったんですね。
こういう録音みたいなのを強化するから、
また訳のわからないこういうやつが来るんじゃないかみたいな話になって。
だからあの決断は良くなかった。
とりあえずこれはもうこれ以上は無理だから帰れっていうような判断だったんですよ。
僕はその経緯を知らなかったんで、
僕が録音しに行った時は温かく迎えてくれてるような感じだったので、
実はそうではなかったんだなっていうことが後で分かったんですけど、
一応そういう状態で、
自分の滞在の許可を得たっていうのが最初ですね。
そこから実は180度変わる出来事が起きたっていうのが、
僕の人生にとって非常に変わったというか、出来事が。
前村長のおじいちゃんがいて、その人のお孫さんに4歳の女の子がいたんですけど、
その子が僕が行った当日から僕の膝の上に座ってくれたんですね。
すごく懐いてくれたんですよ。
これが前村長の判断を180度、決断を変えることにつながったんですけど、
その子っていうのが耳の聞こえない女の子だったんですね。
耳も聞こえなかったっていうところがあったんで、
その村長のおじいちゃんには懐かないし、お父さんにも懐かなかった。
常にお母さんの膝の後ろにずっと隠れているような。
村人も友達も一人もいないっていう感じの子だったんですよ。
なので村長的には非常に心配だった。
要するにお孫さんだったんですね、その女の子が。
心配だったのが、よく訳の分からない外国から来たお兄ちゃんの膝の上に、
15:01
なんで当日からこの子は座っているんだ?
誰にも打ち解けなかったはずじゃないの?
お母さん以外は一切もう打ち解けなかった。
完全に壁を作ってた子が、なんで膝の上に座っているんだ?
っていうのが村長の中でうわーってなって、
僕のことを出て行けって言ってたのも、
こいつを日本に返すなって話になったんですよ。
僕を村長の家の息子に勝手にしてしまい、
もう一週間後には次の村長の儀式みたいなのを開かれる。
執命儀式みたいな。
現地はバリヒンドウ教なので、そこの神様との執命儀式を開かれるっていう経緯に至ったっていうのが、
18歳にして、なぜか全く血縁も知縁もないバリヒンドウの村長に執命することになったっていう経緯。
なるほど。
まさか自分も思いもよらずにそういうこと自体が起こる。
完全に。
計算して起こったことじゃないっていうことなんですよ。
はい、そうですよね。
しかも耳の聞こえなかった彼女っていうのが、その後気づいたのが、
なんで僕になついてくれたんだろうなっていう疑問があったので、すごくありがたかったんだけど、
疑問だったんで、しばらくして聞いたときに言われたのが、なついた覚えはないって言われて、
え?っていう感じだったんですけど、寂しくもあったんですけど、
なんでかっていうと、なついたんではなくて、僕を守ってたって言うんですよね。
理由としては、僕が、現地はバリヒンドゥ語なんですけど、
バリヒンドゥ語っていうのは基本的に辞書も何もないし、僕は単語一つわからなかったんです。
なので、今コミュニケーションしてるように話をしてますけど、コミュニケーションはできてないんですよ。
そうですよね。
完全にボディーランゲージで自分の意思を伝えなきゃいけないから、土下座したりとか、そういう行動なんです。
そうですよね。身振り手振りでどうにか伝えなきゃいけないんですよね。
お願いっていうのを真剣に伝えるために、そういうボディーランゲージをしてたっていう。
18:00
ボディーランゲージをしてる僕の姿を見て、その4歳の女の子は、生まれて初めて自分と同じ人を見た。
そうですよね。
だから、この人は自分と同じ悩みを抱えてる。僕のことを耳の聞こえない人だと思ったんですよ。
なので、僕のことをいじめちゃダメと思ったらしいんですよ。
守らなきゃと。
この人の気持ちは私が一番よくわかるから、この人はいじめちゃダメ。
何かあったら私がお母さんに言いつけるからっていう感覚で、僕の膝の上に座って、みんないじめないでっていう。
だからその女の子からしたら、初めて出会った自分と同じ境遇の人だったんですよ。
その中では外国人との関係がなかったんですよ、彼女にとっては。
一番自分に近かったのが僕だったんですよ。
だからこれと本当に出会いっていうのは計算して出会ったわけではなくて、
その4歳の女の子っていうのは僕は録音した時には同行してなかったので、実はその時初めて出会った子なんですよね。
たぶん家にいたんだと思うんですけど、録音っていうのはお祭りの時の録音とかなんで、
どちらかというとおじさんたちに囲まれて録音してたっていうところがあったんで、
その時に全然出会わなかったんですよね。
その子が僕に一番懐いてくれたっていうのがあって、それで僕はバリーの生活が始まるっていうことになって、
1週間で出なくて良くなったっていう感じですよね。
実はバリーの村長に就任したっていう時も、僕のバリヒンド語は全然わからなくて、
僕に許諾とか一切なく進んでたことなので、村長になったっていうことも4ヶ月後ぐらいに初めて知るんですよ。
耳の聞こえなかった4歳の女の子が絵を描きながら、どうやらこの人わかってないらしいって思ったらしくて伝えてくれたんですよ。
村長って理解したのはどういう感じで理解したんですか?
それまで就命の儀式みたいなのがあって、なったんだけどその時はなってるかどうかもよくわかってないじゃないですか。
しばらく4ヶ月ぐらい経って、どうやら俺は村長なのか?みたいな自覚が訪れるわけじゃないですか。
それは伝えられたから?
そう、僕4歳の女の子に伝えられたからですね。
どう伝えられたんですか?
絵を描きながら伝えてもらったんです。
絵を描いてあなたはこれだよ?
全村長と同じだっていうことを伝えたんですよ。
21:00
次があなたっていうことを伝えてもらったんですけど、
僕は今でも笑いながら言われるんですけど、
僕のその4ヶ月までの儀式っていうのは、
1週間後に就命の儀式があるんですけど、
その就命の儀式がどういう状態だったかっていうと、
いきなりおじさんたちが6名ぐらいいきなり入ってきたんですよ。
部屋の中?
部屋の中に。
はがいじめにされ、強引にすっぱだかにされ、
なんか豪華そうな衣装を強引にさせられて、
帯みたいなのを結べられて、
両脇完全に固められた状態で、
されるままですよね。
部屋に出され、
そしたら部屋の外にたくさんの人たちがいて、
僕の方をすごく見るわけですよね。
そのまんま行けとか言われて、
押されて、
ステージみたいなところの上がったところの椅子に
座れって言われて、
座らされてっていう状態で、
祭りの儀式が始まったので、
自分の中では子供の頃に、
ドキュメンタリーとかで見るじゃないですか。
部族とかも。
だから僕は、
これ、俺、生贄の儀式じゃないかなっていう感覚だったので、
俺、殺されると思ったんですよ。
自分は勝手に、
そこの村に行くっていうことは、
知ってるのは誰もいないんですね。
そっかそっか、最初もバーって出てきちゃったから。
だから親にはインドネシアの代わりに行くっていう、
そこまでしか行ってないので、
ここで俺死んだら、
多分、そのまんま行方不明で処理されるっていう状態だったので、
もう恐怖しかなくて、
祭りの間はもう何回も逃げたんですよ。
それごとに捕まって、
連れ戻されるっていう状態ですね。
祭りが終わって、とりあえず殺されなかった。
でも、その後も、
村の村長からすると、
僕は村長に就任したので、
もう次の日から、
村長教育っていうか、
村長っていうの権限が、
警察とか自治体だとか、
そういったところの上にあるので、
日本みたいに民主主義ではないので、
決裁権が結構強いんですよ。
だいだい村長やってきた人っていうのが、
24:02
後悔した決断とかたくさんあるんですよね。
それを村の人たちには言えないんだけど、
次の村長には伝えるということで、
どういう決断をして、どういう失敗してきたかっていうのを、
すべて共有していくっていうのが村長教育なんですけど、
それが次の日から始まってたんですけど、
僕は村長になったことに知らなかったので、
全村長っていうのが結構怖い人で、
暴力的な人なんですよね。
いきなり決断みたいなことをくられても、
僕は言葉がわかんないので、
ああとか思って、
でもどっちか選べってことを言ってるのかなと思って、
もう全然わかんないから適当にこっちみたいなことを言うと、
後ですげえ怒られたりするんですよ。
物とかも飛んできたりするんですよ。
そうすると、僕の中では、
1週間で出ていかなくなった。
でもなんで出ていかなくてよくなったかわからないけど、
とりあえず俺奴隷みたいな扱いをされてるなと思って。
殺されなかったけど、
どうやら奴隷なのかなみたいな。
なんで俺こうなっちゃったんだっけ?
すげえ虐げられてるっていうイメージだったんで、
4ヶ月の間も何回も逃げたんですよ。
それごとに捕まって、
連れ戻されてやってたんで、
それで多分女の子は、
どうやらわかってないなと。
村長だってこと伝わられたけど、
僕はその時の反応は、
そんなことはどうでもいいんだ。
俺は殺されないのか。
そこ大事ですね。
大丈夫なんだ。
生きた心地してなかったんですよ。
ずっとそうですよね。
胸裸にさせられて、豪華そうな服着せられて。
どういう状態なのか。
どうやら殺されないけど、何か怒られたりするし、
逃げたら捕まれて戻されるし、
いついつ殺されるかわからない。
そういういろんな疑問があるのを、
殺されはしないのかと。
棒みたいなの持ってたんですよ、村長が。
棒みたいなのが叩かれるんですよ。
なんで僕叩かれなきゃいけないのか。
理由がわからないから。
怖いですよね、そういうのって。
理由がわかればちょっとは、
叩かれるのは嫌だけど、
それは叩かれて仕方ない、
それもない状態っていうのは、
混乱するというか。
叩かれても誰も止めないわけですよ。
27:01
当然のごとくみんな接しするわけですよ。
やってるわけがわからないじゃないですか。
確かに。
いつかは殺されるのかもしれないなとか、
それで何回も逃げてたっていうのが、
その時の状況ですね。
一応村長なんだ、どうやら村長だぞっていうのが、
わかってからそこはちょっと変わるってことですかね。
そうですね、やっぱり理解してからですね。
村長ってことか、みたいな。
だから視野がだいぶ広がったし、
価値観とか置かれてる、
俯瞰して見れるようになったので、
そしたらいろんな今までの物事とか、
そういうことだったのか、
そういうことだったのかっていうのが、
初めて理解できたんですよ。
そうすると自分の対応の仕方も、
言葉もわからないなりにもわかるじゃないですか。
どうやらこういうことかな、みたいなことには、
耳が開くというか。
そしたら4歳の女の子にも、
あのおじさんはどういう人なのかとか、
初めていろんな人に興味を持って始めたんですよ。
それまではもう訳わかんなかったので、
人に興味というよりは、
自分の身を守ることに決してたので、
Aさん、Bさん、Cさんっていうのを
どうでもよかったんですよね。
誰かしらってことですね。
それがわかったことによって、
じゃあこの人はこう、この人はこう。
なので初めて村の人たちを意識できるようになったっていうのは、
そこからですよね。
なるほど。
そこからどのくらいいたんですか?
3年間ほどいたんです。
そこは一応そういう村長的な振る舞いと言いますか、
少しずつでしょうけど、
そういうのをしていきながらって感じで。
そうですね、最初はそこからでしたね。
それしたら3年で1回帰る?
帰る。
それ何で帰るんですか?
やりたいことが見つかったっていうのは大きいんですけど、
村に行って村長だからといって、
やることが何もなかったんですよね。
もちろん決断とか判断とかしなきゃいけないっていうので、
それはそれでやらされるんですけど、
農業できるわけでもない、漁業できるわけでもないっていうことでいくと、
僕の指導係みたいな、
5、6歳の男の子だったりするんですよ。
その子から指示を受けて手伝いをするっていうような状態。
その子から指示を受けて手伝いをするっていうような状態。
その子から指示を受けて手伝いをするっていうような状態。
大人は割と僕が外国から来た人間だっていうのを理解してるので、
そんなにひどいことは言わないんですけど、
子供っていうのはストレートなので、
子供っていうのはストレートなので、
完全にダメ人間といっている僕にはめるんですよ。
30:01
完全にダメ人間といっている僕にはめるんですよ。
何やってもダメじゃないですか。
自分たちより劣っているのが大きいんです。
自分たちより劣っているのが大きいんです。
頭体がデカいだけで何もできない。
頭体がデカいだけで何もできない。
高校生までの人生的には、
高校生までの人生的には、
特に体力だとかスポーツだとかあんまり劣等感感じていなかった。
特に体力だとかスポーツだとかあんまり劣等感感じていなかった。
それに関しても、
例えば、枝のない木に登れるかどうか。
枝のない木に登れるかどうか
枝のない木に平気で登れるのが
現地の子たちなので
ナイフ一本で登っていくんですね
枝がない木にナイフで片足掛けて
次に飛び上がったのと同時に
もう一つ掛けてた足のナイフを
抜いてもう一本掛けて登っていくって
そのリズムでだんだん上がっていくんで
すごい速度で上がっていくんですけど
それができない人間じゃないですか
ズーターブでかいのに
そうするとスポーツじゃないんだけど
運動神経こいつないなみたいな
という風に見られちゃうんですね
僕は枝のある木にしか登ったことがないんで
まあそうですよ
そんなないです
片足掛けて次どうしたらいいの
これ取ったら落ちるよねみたいな
みんなそうです
なので本当に次の課題としては
すごく劣等感に落ちたわけです
何もできない人間に
そこの村でなっちゃったっていうか
日本にいた時はそんな劣等感だとか
なんとなくいろんなものは
そうかそうか
感じだったのに
いきなり何もできない人になっちゃった
どうしたらいいっていうところに
たまたま父親のカメラを勝手に持ってきた
もともと持ってきてた
なんか撮ることもあるかもな
とか思いながら持ってきてたので
それを当時はデジカメではなくて
アナログフィルムだったので
小新聞に行ってフィルム買って
4時間くらいかけると観光地なので
そこでフィルムやって原像プリントして
祭りが結構いろいろやるので
そういう時の写真とかを撮って
みんなに配ってあげると喜んでくれたので
みんながやってないことをできるので
33:03
それまでは写真に興味を持ったことはなかったんですけど
とりあえず喜んでくれたので
俺一つ見つかったっていうので
それは子どもたちに渡しても
子どもたちも喜んでくれるので
自分の居場所っていうか
承認欲求というかそういったものはできた
というのがスタートですね
ただある程度すると
気に入ってくれるので
みんな家とか部屋とか行ったりすると
写真貼ってくれてはいるんですけど
ただ僕的には
全然関係ないお祭りだったりとか
全然違う喜び方をしてるっていう記憶があったにも関わらず
僕の写真を見ると
金太郎神みたいな顔の写真が多いんですよ
別にこれ別の時に撮ったのに
同じような顔してるなとか
なんでなのかなっていうのがあって
僕はそれを見た時に直感的に
これもう飽きられるなと思ったんですよ
いい悪いじゃなくて
このままの状態だったら
このままを続けてると
もうそれいいわっていうのが
早い段階で来るなと
だって僕が見てて面白くないんだから
それ渡されても最初はもの珍しいから面白いと思ったかもしれないけど
多分飽きるなと
興味がなくなる日も近いなと思ったんで
都新聞とかに行った時に
いろんなカメラマンがいるんですよね
観光地に
世界中からいろんなカメラマン来て
そういう人たちを捕まえて
自分のカメラを見せて
どこのスイッチとかボタンとか
どこをいじればあなたみたいな写真が撮れて
どうして僕は金太郎みたいな写真が
あってしまうのかっていうのが疑問だったんで
それを教えてほしいっていうので
いろいろヒアリングしていくと
毎回毎回ちゃんとやれとは言われるんだけど
僕の中では飽きられちゃいけないっていう
切羽詰まってた状況だったんで
いいからちょっとでもいいから変わったテクニック
ひとつでも教えてほしいっていう
ような状態で続けてたっていうのが
バリで尊重教育を受けながら
もうひとつの僕の
やってたことだったんですよ
とりあえず本当に自分の居場所だったりとか
いうのを持続するための行為が
写真という行為だったんですけど
それが
初めて写真というものに
やってトライアンドエラー
トライアンドエラーっていうのを繰り返して
探求していったっていうところがあって
初めて興味を持ったり
写真というものをちゃんと勉強したいな
と思ったんですよね
36:01
逆に言うとその時は
勉強したいというだけだったんですよ
ちゃんと学びたい
なんで高校の時代の友達に
バリから連絡して
男子を出しててほしいんだけどっていう
ちゃんと学校で
写真を学べるところって
どこあんだっけって言ったら
あ、一箇所あるよって言って
それで大学に行ったっていうのが
入ったんですよね
じゃあそれがあったからこそ
帰って
それで学校に行ってみたいな
そうですね
その間の村長業務は
別の方?
別の方っていうか
僕は村長になったっていうことは
契約で仕方ないので
そのぐらいから村長代行として
実は4歳の女の子だった子が
するようになった
その時はまだ前村長のおじいちゃんが元気だったので
その4歳の女の子と
そのおじいちゃんが
サポートしてくれるっていう形で
やってたんですよね
もうその頃にはある程度
言葉とかそういうのの
コミュニケーションみたいなのも
できるようになってきてて
何をもって発音とかが
よくわかんないんですか?
まだにわかんないんですけど
なんとなく通じてたら
コミュニケーションできてるのかなっていう
こういう風に言えば
こういう風なこと
っていうような感じです
探り探り
発してどうのこうの
っていうのを繰り返していったって感じですね
そうですよね
向こうもそんなに理解してるかどうか
まず理解できないところからスタートしてるわけですから
向こうもどうにか伝えようみたいなところがあるでしょうし
こっちも伝えようみたいな
なるほど
繰り返しで何となくやってるっていう
ような状態でしたね
今もやってるんですかね?
今もやってますね
たまに行く?
そうですね
行ったり来たりのスパンみたいなのって
どんな感じなんですか?
時々行くって感じですね
日本の方が長いんですか?今は
このコロナ禍もあったので
ちょっと日本の方が長く出ますね
行ったら行ったで
数ヶ月いるみたいな
数ヶ月いることもあるし
今数週間のときもあるし
本当に数日でとんぼ帰りみたいなときもあるし
行ったら行ったで向こうでやることもあったりして
そうですね
だから今オンライン受けたので
そっかそっか
向こうでオンラインでできることもある?
39:03
普通にZoomだとか
そういうのやったりはしますけど
そっかそっか
実際にリアルに
やっぱり身体を出席しなければいけないとか
そういうのもあったりするんで
そういうときはやっぱり行って
っていうのはやっぱりあるって
そっか
だから行ったら
それがお仕事になるってことですか?
そこが
お仕事ではないんですか?
ないですよね
村長は村長ですけど
仕事は仕事で別にあるっていう感じで
普段はされてるっていう
そうですね
それは単純にもう
もう一つのプライベートな顔っていうだけ
それとは関係なく
仕事は仕事っていう感じですね
日本でやってるって感じ
そうですね日本でやってます
淡々とお話をされながらも
実際には相当な経験をされてきた木村さん
そんな木村さんの好きなことや
お仕事のお話については
次の後編に続きます
40:31

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