00:04
皆さんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
今回はアマチュアイベントカメラマン・砂田耕治さんにお話を伺いました。
子供の頃から写真への馴染みがあり、現在はイベントや舞台風景の撮影をされている砂田さん。
まずはそのカメラマンのことについて伺いました。
まずはそのカメラマンのことについて伺いました。
まずはそのカメラマンのことについて伺いました。
まずはそのカメラマンのことについて伺いました。
まずはそのカメラマンのことについて伺いました。
まずはそのカメラマンのことについて伺いました。
そうですね、何をやっているかということの意味では
時々名刺が必要になっちゃう時があるので
使わないんですけど、ほとんど。
初登場の時に名乗るというか
名刺は持っていますけど、今は出していませんけど
アマチュアイベントカメラマン
アマチュアイベントカメラマン、はいはい。
実は名刺は持っていますけど、出さないというのは間違っていました。
アマチュアイベントフォトグラファーになっています。
フォトグラファーというのは私は気に食わないんですけど
写真家という本当の意味から見れば
かなり横道それるカメラマンなので
生徒肌ではないと思うので直すと思っています。
それでこの次に作る名刺は
せっかく出しますけど、別の名刺になりますけど
アマチュアイベントカメラマン
そうすると幅広く、フォトグラファーというと作品を作ったり
撮ったものを商品にしたりするので
アマチュアといってもそういう世界をイメージしますけど
ただボランティア的に撮ってあげる
記録係のイメージと、そんな感じで来ていますので
あえて言えば、初めての人に聞かれたら
アマチュアイベントカメラマン
このぐらいでいいかなと思います。
カメラというのは前からやられているのですか?
それはですね、そう
03:01
私も何でここまで無茶になっちゃったかという理由がありましたが
子供の頃、僕らの子供の頃というのは
カメラというのは高級なもので
カメラ少年というのが
子供の頃ちょっとあって
おもちゃのような二眼レフを持って
撮って遊んだというか
親がある程度、裕福じゃないけれども
子供は一人だったものですから
趣味の世界にはちょっと金使ってもいいだろうと
本なんか書籍類は何でも買ってくれたんだけど
大人のカメラ雑誌をね、端から端まで見て
いい写真というのはどういうものかという感覚だけは知っていましたけど
子供の頃に
白黒写真、完全に白黒写真で
有名な写真家の名前も今でも有名な人は子供の頃から
そういう馴染み方はしたんです
だけども、あと
中学からはスポーツの世界に入りましたから
大学が体育会に入ってくると
東京で生まれて東京に育った
生まれたのが広島なんですけどね
生まれる前から東京の星のところに一生出港しろという約束が
親同士的になっていて
気がついたのは社会人になるときに
役所から書類を取り寄せてこうだったという
そんな後になってわかったという
話はあれですけど
親が勉強のためになったというものというのは
書籍類はいろんなものを読みましたので
それはすごく役に立っていました
だけどカメラについてはスポーツに打ち込んでいない
社会人になっても買いましたけど
ほとんど仕事の方で
カメラになりましたけど
そのカメラも本格的なカメラじゃなくて
昔はバカジョンと言いましたけど
何でもシャッター押せば撮れる
そういう流れからボランティアな写真を撮っていくうちに
パソコンとカメラとの関係というのは
これからとても楽しくて大事な時代になるなと思って
カメラの方に力を入れていくと
イベントの写真とか
子どもたちの
ミュージカルの
06:01
いろんな舞台風景とか
撮っていくうちにだんだんムチになっていって
それでイベントの写真という世界が広がっていき
特に応援している人たちの人物の撮り方というものに
やっぱりだんだん熱中していく
その流れの中でカメラに不満が出てくるから
どうしても買い替えたいということで
振り返ってみればだいぶ無駄をしましたけど
特別なカメラ 高いものじゃないですけど
プロとかアーマーちゃんが使うようなカメラじゃないけれども
何とか十分自分では満足しているような機能ですけど
今はそれで一生懸命撮りまくっている
そんな状況ですね だから話戻りますけど
アマチュアイベント カメラマンとして
そうやって楽しんでいる
今 例えばカメラマン 撮るものって対象物って何でもあるじゃないですか
特に人が多いんですかね そうなると
人だけが言わなきゃいけない
人によっては例えば風景とか生き物とか
いい質問ですね 私は自分が
フォトグラファーではないと思っている理由が
そこには一つあるんです
いろんな写真を撮って魅力的なものが
作品いっぱいあるというのは子供の頃から
すごい印象になっていますけど それを知っているから
私はそちらよりも たまには庭の花とかもちろん撮りますけど
やっぱり綺麗だなと思いますけど
目で見て素晴らしいものに勝るものはないので
自然のものとか 立山の夕日とか
ダイヤモンド富士っていうのがあるんですけど
私は目でしっかり見て
それでも撮ります 撮らないと
落差が大きいですね
目で見た感動と撮った写真とは全然違いますけど
もちろん撮る以上
いい写真をしたいという気持ちがありますから
圧倒的に人を撮ることが多いんですよ
それはなぜですか?
知らないけど 出会っているその時の中に
人の姿に感動するものは
理屈の抜きにあったからじゃないですか
表面上 いいなと思うのがありますよ
どう説明していいんだろう
夢中になった人たちは 南ソ文化ホールで
ホールで主催のミュージカルみたいなのが 何度かありました
そこで紹介してもらって
09:03
その時は記録カメラの
メンバーとして参加させてもらって
そういうことが結構あって
その時の例えば舞台の
写真のイメージっていうのは
すごく感動したのは 照明さんとか
音響さんという
スタッフがいるじゃないですか
その人たちと触れ合いながら
役者さんが入ってきて 稽古の時
台本から入ってきます 僕は勉強しますけど
その時の演出家の人がどう指導するか
役者さんがそれをどう反応するか
山場なのかとか そういうことをずっと見ていくうちに
だんだん写真を撮るのが
要するに夢中になっちゃう 人を撮るのに
だから出来上がっていく
最後の完成っていうのは
一番大事なのは
お客さんがいる本番の前に 最終リハーサル
この時が一番
カメラマンとしては 近くに寄れて好きなところを撮れる
それまで舞台に上がって お邪魔したりして
カメラマンとして馴染んで 裏方の人とも馴染んで
一緒になって雑談してあげた いろんな話を
あそこの照明の時はこうだったね といろんな相談も
そういうことをしながら いよいよ
本番と同じ最終リハーサルの時っていうのは
どこが山場で
役者がどこでどう力が入って
流れとしてそれが どう余韻を引いていくかっていう
どこが決定的なシャッターチャンスなのか
ここに矛盾になってしまうと
取り憑かれてしまう
ものすごいシャッター切りますけど もう使うのは伸ばすか
まあそれはしょうがないかな
だからそういう
自分がカメラを持って
自分で作ったもので感動する そしてそれが人である
その人が舞台の上の全体としての上下の中の
人というイメージもあれば
ぐーっとその役者さん一人の世界もあれば
いろんな流れを
自分が選んで大事なとこだけは
12:00
写真で撮るっていうのは
緊張感もあるし
気がついたら焦りしてしまう
それが人を撮るということになるんでしょう
いろんな演劇も
今ついこの間も撮ってきましたし
それから一般のイベントでミュージシャンなんか来たりする
それから地域の芸能祭みたいな
こういうのも私好きで
友達がいっぱい出演して歌って踊ったりする
その友達を撮ったりする
撮るのは人
何らかのステージがある
こういうことが多いっていうのは
結果的にあれこれできないし
自分ができる範囲内でいけば最高のものだから
そこに絞り込んで今やっているという感じですね
カメラマンとして人の姿を撮るのは
どこが決定的なシャッターチャンスなのか
人物を撮るのに夢中になるというのも
好きだからこそなのだろうと思います
2000年 立山に移住されてきて
そこまではカメラはそんなにやっていなくて
立山に移住されてきてから
カメラを本格的に始めていってっていう感じなんですよね
カメラといっても本格的なカメラじゃなくて
簡単なおもちゃのようなカメラで
仕事時でも使ってましたから
それ以外に関心ないカメラなんだ
大事なのはやっぱり人とのつながりから
写真撮影になったっていうことの意味は
ボランティアが人ですから
ボランティアからスタートして
大勢の人と関わり合いながらやっていく中に
パソコンの楽しみ方の延長戦に
要するに高齢者が多かったですから
現役をしりといた人が便利なパソコンを覚えるということ以外に
遊び道具として使っていくということが
やっぱり大事だろうと
ところが状況は
カメラがだんだん身近に
携帯電話が出てきて
携帯電話に写真のカメラ機能がついた
その頃からあれという感じで
15:03
パソコンのボランティア活動とそういう変化というものが
現役世代の人たちを中心に広がっていく中に
高齢者の生活の中に
やっぱりできる形で取り込んで
盛り沢山に充実した
高齢者の生活というのがあるのではないかと
考え始めていく中にどんどん
携帯電話がガラケからスマホに変わり
スマホがまたカメラ機能の
勢いが止まらないぐらい素晴らしいものになっていく
こういう流れというものをボランティアの中から
基本のパソコン
これまでパソコンの世界はまだまだ
年配者の世界に限っていえば
問題や課題がいっぱいあると思うんですけど
要は楽しく生活知識も
友達とのやりとりも
そのような形で楽しむには
今も動画機能も
写真それもカメラ機能ですが
カメラ機能を引き付けたパソコンの
この道具がやっぱり
我々高齢者の世代には
とても大事じゃないかというのは
定流にはありますけど
カメラをそこからどんどん意識し始めたことは確かだけど
要は途中から
舞台の世界に
子供たちが天使のような素晴らしい
舞台を見せてくれたことから
一気にボランティア活動が傾いて
取り憑かれたいように
舞台撮影
子供
どう素晴らしいかといまだに撮ってますけど
子供というのはやっぱり
自分の孫と重ね合わせますけど
子供をいっぱい集めて
保護者もそばにいて楽しんでるけど
子供というのはやっぱり地域にとっても
国にとっても当然だけど
子供では宝物だけど
本当に守らなきゃいけない
素晴らしい未来のある人たちで
その人たちを大人がどうやって
応援していくか
それは他人様であっても
何かのパイプがあれば
身近でそれはできるんじゃないか
というふうに繋がって
私は何もしない
壁際で子供たちの稽古を見てるだけ
写真撮ってるだけ
そのうちに終わってさよならですけど
でも10年以上やってきましたけど
子供たちが成長して
どんどん大人になって
昨日も電話がかかってきて
前の写真が欲しいんです
という保護者の考えと
それはもう
8歳の子供が今中学生
18:00
変化というのは
いろんな稽古や
舞台の姿というものが
どれほど変化していくか
それはね
私自身の手元にあるわけですから
過去の記録が
私だけがそれだけの
保護者の方が
その部分を私に買ってくださいと
言ってくれて
すごいことだと思うんですけど
そういう体験の写真の
カメラの写真の世界だ
なってくると
もちろん大人の友達への
いろんな感動的な付き合いもあるので
それはおろそかにしませんけど
なんといっても
子供たちに勇気をもらって
自分自身が夢を少しでも繋いで
あとは現実的な
友達との関係を
暖かいもの台にという
こういう意識構造というのは
カメラを持った私には
あるということは確かです
なるほど
立山いらっしゃって
24年
わかりやすい
2000年ぴったりに来ました
そっかそっか
最初に来た頃と
今とで何か変化というか
福田山自体の
実はね
今の南武蔵市
前は立山市だった
そこにうちの神さんが実家がある
結婚して
すぐも
夏休みそのとき
文句で言えば
必ず立山来てました
だから
馴染みはないんですよ
で
魚釣りが好きですから
魚釣りが好きなんで
カメラよりも魚釣りですから
車にはいつも
鯖とか
どんどん積んでて
砂浜から
遠くに投げて
キスをする
今もいらっしゃいますよね
海岸から
それが私の東京のときからの趣味
忙しくても
品川に
社宅住まいだな
品川にいたときは
東海道で
湘南方面
電車で
帰りに
冷たいビール飲んで
これが私の楽しみ
で
結構
時間を見つけては
キス釣り
キスが
キスだけを狙って
それだから
立山に行ったら
どこ行ったって釣れると思って
結婚してから
来てましたから釣ってましたよ
だから
もうやめたら
そっちはできると思ったら
逆ですねいつでもできるから
と言ってさっきから言っているボランティアの方に
傾いちゃいました
あんまりやってない
そうなんですね
21:00
鯖を磨いてます
時たまやっぱり
シーズンがありますし
いつぐらいですか
ゴールデンウィーク
開けて
一番活発になるのは
11月頃まで
今ぐらい
だんだん状況が変わってきて
うちの近くの
この辺でもよく釣れていたのは
トウガサになってしまって
陸地から繋がず
沖合に流されて
トウガサになってきて
魚が
餌を取るような
変化
起伏がなくなってきて
前のようには釣れなくなってきて
それがちょっと寂しいですよね
そっかそっか
だけど
遠くから来る上手な人も
ベテランもすごいですよ
ちゃんとしっかり釣ってきますから
だから
もうちょっと勉強しなきゃいけない
そっかやっぱり
住んでしまうといつでも行けるっていう
気持ちがあるから
行かなくなっちゃう
こっちで釣ってると
遠くからみんなすごい格好してくれる
そっかそっか
話しすぎて
みんな良い人なんですよ
地元の人たち
水槽の人たち
良いところ住まいですね
調治できますよね
実は私は昔はそうだった
来てみたら
いつでもできるんで
他の方にも
ボランティアが無情になっちゃって
魚釣りが気のつきになっちゃいました
もったいない
もともとやりたいって気持ちがありながらも
恵まれてるって
全部贅沢な感じ
それは確かに
釣れ前ほどじゃないですけど
それはもう地元にいれば
1日3匹釣ってもね
5日ぐらい
釣れればまとまったですよね
ケースの天ぷら食べられる
もう良いですね
そっか
この間も
ちょっと天ぷら食べたいんですって
行ってくるって
1匹しか釣れなかったんですよ
ベトナムの若い
釣り師が
地元の人の間に1人いて
楽しい話をして
帰ってきた時
追差場で一緒になったんです
今のような
地元の水槽なんですけど
話してて
いや
そろそろケースの天ぷら食べたくなって
来たんだよ
完全に来ますよって言ったのも
ちょっと待ってくださいって
その日釣ったら
23匹かな
全部食いたい
どうぞ
ちょっと待って
その話聞いて
やっぱりなんとなく
腕の差もあるんだろうけど
1匹じゃ
ちょっとフーフーで
24:00
食べられないんだ
喜ばしてやろうと
あとから
千葉市にいますけど
家族が来た時に
天ぷらで買いました
そういう人もいる
何でしょうね
腕のたまたまなんですか
いやいや
その人の持ってるものとか
ブログ
っていうか
ちゃんと自分の
持ってますからね
そこに全部持ってるものが
わかるわけです
仕掛けも何も全部わかるわけです
そっかそっか
そっかそっか
数は小さいけど数が出る
私はその中でも一番大きいのって
1匹だけです
っていうことは違います
餌の大きさ、針の大きさ
その人が小さい針で
針の数を
たてんばり
距離を出す
それだけ
釣れる確率が高くて
数も
揃って
彼らの世界ではそれが常識
結果で見せられちゃった
理屈ではわかるけど
結果で見せられちゃった
正直言って
瞬間的にショックでした
感謝の気持ちに変えて
また来て
今度会ったらまたちょっと
家にでもご案内しましょう
そういう付き合いもね
初めてだと
写真を撮ることを通して
子どもたちに勇気をもらい
自分自身が夢をつないでいく
というお話
そして魚釣り
砂浜から岸を釣る
というお話など
立山での生活についても様々に伺いました
そしてお話は
次回に続きます