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ゆいなわさんの聞く人ラジオ。皆さんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。今回は好きを追う人、坪谷真実さんにお話を伺いました。
物を作るのが好きとおっしゃる坪谷さんは、現在千葉県南房総市で農業を営まれています。
自分なりの農業の方法を探しながら日々奮闘する坪谷さんの今に至るストーリー、そして今思うことを伺いました。
じゃあ、今ちょっと軽くお話きましたけど、農業ですね。農業をやっている、普段。ここのファームっていうの、農場っていうのは、2021年からやっていると。
それまでって何してたんですか?
いろいろやってたんですけど、高校の時は国際関係だったりとかに進みたくて、高校2年生の時に1回アメリカに留学に行ってるんですね。
それはどっちかっていうと、国際関係系に進みたいんだったら語学も必要だし、あとは文化っていう面との理解も必要だしっていうところで。
だったら単なる自分が行きたかったっていうのがずっと前からあって、行かせてもらって、帰ってきて、自分の国も不思議な高校だったんで、そこの1年間留学してた部分を単位としては認めてあげると。
ただ、成績はつきませんよと。
だからその1年間はあなたは優秀でもないけれども、一応勉強しましたという単位をあげるから、そのまま3年生に進んでいいですよっていうことで。
例えば留学としての一年休むみたいなのはなかったんですよね。
でも帰ってくる時がアメリカの一応就学スケジュールに合わせなきゃいけなかったんで。
何月だったかな?5月とか?忘れてましたけどずれてきて。
帰ってきて、とりあえずテストだったんですよね。1学期のテストかな。
大学に出す成績っていうものが、そのテストと1学期の成績と1年生の時の成績、合わせたもので出しますっていう感じだったんで。
だから参ったぞって思いながら、とりあえずどこに行きたいのかわかんないし、何をやりたいのかもまだ決まってないし。
なんとなくこんなことがしたいぐらいしかないのに、そんな大学決めろって言われてもよくわかんなくて。
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でもなんかみんな意気地ないみたいな。それでしょうがないからとりあえずテストは真面目に受けて、これしかないぐらいの勢いで。
である時友達と喋ってたら、東京農業大学、そこに結局は行ったんですけどに、JICA、青年海外協力隊とか出してるあの団体と組んでやってるプログラムがあるみたいよみたいな感じで。
で今パーッと調べてみたら、途上国に行って農業的支援をやったりとか、農村開発だったりとかをやってるような感じのことがパーッと書いてあったんですよね。
じゃあこれは面白そうだなと思って。
国際関係とかにつくって言うと、結構固いところについて、なんかいろんな書類作りをしたりとか、資産の計算してみたりだったりとか、どっかから支援金をなんとかっていうことをやったりとかっていうイメージがすごくあって。
で世界情勢だとかなんだとかってもう無理みたいな。
じっとテーブルとかに座って、何かそういうオフィスワークみたいなことやるのは絶対できないと思ってたんで。
でもやっぱり国際関係には進みたいと思って。
そうなった時に何があるのかなって思ったら、農村開発だったりとか農業だったんですよね。
それで結局その友達が見つけてくれたのを鵜呑みにし、農大を受けたんですね。
そしたら面白いことに、JICAと農大がコラボしてつくってたプログラムっていうのは大学院のプログラムだったんですね。
農大に入ったところで、そのプログラムに進むまでには4年終わらせて、5、6年、次の大学院に進まないといけなかったんです。
入学してから気づいたんだ。
本当は前に気づいてきたかったけども。
本当に基本的なリサーチとかも全然しないで、あ、それだみたいな感じで進んじゃったもんなんで。
なるほど。
やってしまいましたっていう感じ。
でも全然その進んだ学校も悪くなくて。
農大って言うとみんな農学科だったりとか野菜の作り方調べたんでしょうとかそう思いがちなんですけど、
自分の学校もまた変な学科だったんで、国際農業開発学科っていうところだったんですね。
今さっきも言った感じで、どちらかっていうと農業っていう分野を通して国際関係に携わりましょうとか農村の開発をしましょうみたいな学科だったんで、
野菜の育て方を学ぶとか、何かに特化してやるようなとこっていうよりかは、じゃあ今日はどっかの文化を学びましょうとか。
ちょっと違うんですね。
じゃあコミュニティ開発っていうのはどういうもんなんでしょうとか。
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でも農村に入るなら多少の知識は農民としてのないったんだよねっていうことで、
農業実習っていう名前だったかな。野菜科、果樹科みたいな感じで選べたんで、
それが週に何回あったかなとか、ある年もあればみたいな。
とにかく何かあれもこれもやってみるみたいな。
最終的には自分で気に入ったところを見つけて、研究室に入るなり入らないなりして論文書いて終わりみたいな学科だったんで、
4年間終わって結局、やっぱり何になりたいのか分からなかったんですよね。
ただ一つあったのは、いろいろ開発事業のことを学んだりとか、土壌国のことを学んだりとかした中で、
一応農業部門に特化しながらそういうことは学んでたんで、
今まで農業って聞くと緑の産業みたいな感じで、
木植えたりとか野菜植えてればいいじゃないっていうのは思ってたんですけど、
でもどっちかっていうと、今起こってる環境の問題の中で、
およそ60%が農業を占めてるって言われたんですね。
それが土壌流出のことであったりとか、森林伐採だったりとかによるCO2の増加になるのかな?だったりとか、
あとはいろんな農薬だったりとか、農体の汚染っていう部分もありましたし、
なんだかんだ蓋を開けてみると農業っていうのがすごく大きな問題になってるってことに気づいたのと、
それの一番大きな影響を受けてるのが、途上国って言われる人々だったんですよね。
いろいろ学んだけど、結局本で学んだことだったりとか、教授が見てきたことを言われてるだけだったりとか、
いろんなプログラムもあって、あちこち行かせてもらってたんで、
げんちゃん見に行ったんですけど、東京農大と手を組んでる海外の農業学校って結局トップクラスなんですよね。
その国での本当にトップクラスの農業学校が農大と手を組んでるんです。
そのところに通えてる方達っていうのはやっぱり現地の方でも割と裕福だったりとか恵まれてたりだったりとか、
だからもちろん言語も達者だったのでコミュニケーションは取れますし、
っていった意味ではやっぱり本当に本当の意味でその途上国の助けを必要としてるっていうのもおかしいですけど、
なんか開発していかなきゃいけない、発展していかなきゃいけない部分の生まれの人たちっていうのはすごく少なかったから、
結局なんだかよくわからない感じだったので、じゃあ行ってみようかっていう感じで、
もう大学院のプログラムだったしみたいな。
とりあえず4年で卒業だけをして、たぶんここで休学とかやって、
学生だといろんな支援金の補助金とかもらいやすいけれども、
でもたぶん区切り食っとかないと自分はまたズルズル引っ張ると思ったので、
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とりあえず卒業はして学生を辞め、ボランティアっていう形で中米に1年行ったんですね。
行った先がセント・ヴィンセントおよびグラナディン諸島っていう小さなカリブ海の福島国と、
あと反対側カリブ海挟んで陸側のメキシコとグアテマラの間にある小さな国のベリースっていうところの、
そこの2つの国に半年ずつ行って、そこでパーマカルチャーだったりとか、
パーマカルチャーっていうのがまたこれも話が長くなっちゃうんですけど、
どっちかっていうと生き方のデザイン学みたいな感じで、
人に対するケアもそうだし環境に対するケアもそうだし、
いろんなエネルギーを自分で自立したりとか、食もそうですしっていう感じで、
環境にも負担をかけず、人にも負担をかけず、
みんながハーモニーの中で生きていけるような暮らしをデザインしますよよっていう学問ではあったんですけど、
それを取ったりだとか、
ベリースの方だったりは、まさにそれは途上国の開発事業だったので、
トイレがないから外にトイレを作りましょうとか、
どっかからの先進国って言われてる国々は、
1年間でこれぐらいのお金を途上国にあげなきゃいけませんよっていう、
オディエっていう支援金の決まりがあるんですね。
それは日本も一定の額をどっかの国に毎年出したりとかしてるんですけど、
その額が決まってるため、先進国家の人たちは国を選ぶ、
どういう仕組みでは実際はわからないですけど、
一定額どっかに出さなきゃいけないんですよね。
出されてもらった側もやらなきゃいけないんですよ。
いらないとか、いや必要でないからいいですとか言うのはなくて、
もらったらやらなきゃいけないんですね。
そのやらなきゃいけないもらったお金も、
これを作りましょうみたいな。
もうプランが決まってるやつと、
これだけのお金をあげるから必要なことに使ってくださいねっていう感じで、
割とフリーなお金とあって。
枠が決まっちゃってるものっていうのは、
もうそれ作ることしかできないんですね。
いらないっていうものも正直あったんです。
例えば、女性グループで、
基本的に女性の方が地位が下だったりとか、
お金っていうのを持ててないっていう意味で、
女性たちのグループだけで自分たちで何か資金集めだったりとか、
活用をして、
少し何か必要な時に使えるお金を持ちましょうみたいなことを
やらなきゃいけなかった時とかも、
どこからの支援金で豚小屋を作るのと、
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小豚ですけども、2匹分のお金が入ってきてたんですね。
それはその決まりだったんで、
それをやるしかなかったんですけど、
街中だいたい2つの村があったんですけど、
どこ行って全部の家族、
1個1個こんなプロジェクトがあるんですけど、
どうですかどうですかって聞き回って、
欲しいって言った人誰もいなかったんですね。
っていうのも、みんな豚は飼ってるんです。
話し合いなんです。
自分家も人の家も関係なく豚はフラフラ歩いてて、
森の中から豚がピャーって飛び出てくることもありましたし、
別に困ってないんですよね、彼ら全然。
自分家の豚か人の家の豚かも見飽きられてるし、
全然わからなかったですけどね、自分からそれは。
うちの豚じゃないからとか言ってるぐらいわかってたんで、
全く困ってなかったんですよね。
そのよくわからん建物を自分家の敷地に建てられて、
しかも共同で使わなきゃいけない物だからっていうことで、
人が出入りしてみたりとか、
あとは餌やらなきゃいけないから、
今日はあなたが餌買う日で、
あなたが餌買う日でお金どうするのとか、
そういう方がめんどくさい。
やりたくなかったんです。
でももうお金来ちゃってるし、やらなきゃいけないし、
これでうちはもういらないから返しますって言ったら、
もう次の年来なくなっちゃうし、お金が。
そうなのか。
そういうごっちゃごちゃがある中で、
1年やってみて、
本当に必要で、必要な物を作ってあげられたプロジェクトもありましたし、
こんな感じでグタグタだった物もありましたし、
必要で作ったんだけど、
結局後がゴタゴタになっちゃった物とかもいっぱいありましたし、
そういう感じで、
実際、ボランティア授業だったり、
JICAのそれもボランティア授業ですけど、
色々あるけれども、
何か本当に変えたいってなった時とか、
変わりたいってなった時って、
誰かからの外からの要因で、
変えてあげましょうとか、やってあげましょうとか、
こういうのやりませんかとか言うよりかも、
うちから来る、本当にこうしたいから何かやってくれないかとか、
こうやりたいからとか、
うちから来る物がないと変わらないんだろうなって、
すごく思って、
本当にもう一回、
さっきの女性たちのグループの話に戻りますけど、
多少のお金を5ドルぐらいだったかな、
10人ぐらいいたんですけど、グループのお金。
出し合って、50ドルじゃないですか。
少し小さな物を買って、何か作って売って、
増えたら、また少しずつ5ドルずつ、
MOTOKINが戻してあげて、
そしたらグループのお金としても残る物を、
また活用していけばいいじゃないって言って、
なんとなく分かっているのか分かっていないのか、
よく分からない状態で、
始めたプログラムがあったんです。
それなんかもう、
結構ポンポンポンとうまくいって、
アイス作ってみたりとか、ピザ作ってみたりとかで、
結構最初、それこそ5ドルずつ出し合ったのが、
300ドルぐらいにはなったのかな。
しかもそれも2、3週間の間に、
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それだけポンと膨らませることができたんです。
やったじゃん、やったじゃんなんて言って、
じゃあ何しようかっていうことになるわけじゃないですか。
それは、プログラムを始める以前にも、
このプログラムを通してお金がもしできたら何をしたいかっていうのを
考えてよって言ってたんです。
で、みんなうんうんうんって言って、
お金が欲しい、お金が欲しいって言いながら、
まあいいよ、やらないと、
自分たちの人気もあったし、
またお金使わないと、
持ってかれちゃったら帰ってこないし、
いいよ、やろう、やろう、やろうって言って、
やりながら考えればいいよぐらいの感じでやったら、
やっぱり結局、
お金が欲しいが目的になっちゃってたんで、
その先が全くなかったんです。
で、それが例えば、
100ドル集まろうが200ドル集まろうが、
もっとね、1億集まろうが、
全然関係なくって、
自分たちはお金がないと何もできない、
お金が欲しい、お金が欲しいって、
そこが最終目的の着地点になっちゃってたんで、
じゃあ、一旦お金が集まった時に、
自分たちの生活を良くするためには、
何がしたいの?っていうそこが全くなかったんですよね。
なんでそのせっかく袋と300ドルだったか何百ドルだったか忘れちゃいましたけども、
知らぬ間にチラッと消えて、
もうどこ行っちゃったかが分からないみたいな。
そういえば誰かが妊娠して、
バスのお金が必要だったから貸したよとか、
そういえばあそこつけだったとか、
なんかそんなんでチラチラチラッと消えてって、
なくなっちゃったんですよね。
だから結局やっぱり、
何か変わる変えたいって、
そう思った人が、
まず自分で何かやってみて、
それでも足りない部分を、
外に援助っていう形で、
何かできることありませんか?とか言うんだったらいいけど、
多分こっちからいろいろ提案してあげても、
向こうに本当に本当に何かやりたいっていう目的がないんだったら、
結局パーッと消えるんだなっていうところで、
自分は今まで、
そう、ボランティアボランティアって感じで思ってたんですけど、
その道はちょっと違うのかなっていう感じで、
とりあえず離れたんですね。
そのプログラムも1年だったんで。
終わったので、とりあえずじゃあ日本に帰ろうっていう感じで、
日本に帰る間際に、
みんながコロナの話をし始めてて。
自分はまだ中米にいたんで、
ビールかなぐらいだったんです。
何かまた新しい味でも出したか、
それか何か、
コロナのブランドが問題でも起こしたかで、
騒いでるのかなと全然違くなって。
で、そこで帰ったから逆に帰ってこれたんでしょうけど、
ちょうど2月だったので。
プリンセス号が何とか言ってるところで、
一応飛行機が通ってたんで、
一旦帰ったんですよね。
ただまだ自分は、
ボランティアはやめたっていう気持ちはありましたけど、
でもやっぱり、
農村開発だったりっていう道は諦めたわけではなかったんで、
もう一回じゃあ戻ってみて、
今度は自分一人を気になる場所だったりとか、
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あとはこんな風にできたらいいなっていう構想だけは頭に持ちながら、
いろんな場所をふらふら歩いていって、
で、やりたいっていう人を見つけたりとか、
いや自分実はこんなことを夢持ってるんだっていう人とか見つけたとか、
あと場所があったとか、
あったらちょっとそこで何かやってみようかなぐらいの気持ちでいたら、
今度帰ってきたら出れなくなっちゃったんですよね。
そうですね、そうですよね。
で、どうしようみたいなときに、
ちょうどベリースにいたときに、
どこかで多分出てくると思うんですけど、
再生農業のコンフェレンスがあったんですね。
まだそのとき、再生農業っていうこと自体も、
ブワーンと聞いたことあるし、
なんとなく分かるけどなんとなく分からないぐらい、
自分に落ちてなかったワードだし、
新しいコンセプトだったしで、
ブワーンとはしてたんですけど、
でもなんかね、よく聞くようになったんですよね。
多分どこかで意識し始めたからこそ、
それでアンテナが張られて耳に入ってくるようになった。
多分そういうことだったんでしょうけど、
コンフェレンスやるって言うから、ちょっと行ってみようって言って、
で、それの前にもフラーっとバスで、
隣になったおじさんと喋ってたら、
何やってんの、何やってんのって、
外国人なんて基本的に聞かれるんですけど、
そしたらこんなことやってる、あんなことやってるって言って、
それだったらこの本読みなお、きっと気に入るよなんて言われた、
本が一冊あったんですね。
全然知らない人ですよ。
全然知らない人から2回か3回ぐらい勧められてたんです。
それがDirt to Soilって言って、
ゲイト・ブラウンさんかな。
日本語訳にもなって本を出されてるんですけど、
それだったんですよね。
なんか知らないけど、この本をみんな勧めてくると。
わかんないけどな、みんな。
なんだっけ、なんか本だけどそれ聞いたことあるとか思ってたら、
そのコンフェレンスで売ってたんですよ。
買おうと思って。
買おうと思って買って、
バーッと読んだら、
ゲイト・ブラウンさんっていう方が年生まれの人で農家に入り、
その農家さんも普通の観光農業ですよね。
ガーッと土耕して、
大きく一面に何を植えたって言ったかな、
大豆だったりとかそういう何かをバーッと植えて。
あと牛を飼ってた農家でもあったんで、
牛をやりながらみたいなことやってる農家に入った時に、
なんか腐り落ちない部分がいくつかあって、
その人なりにいろいろ試していって、
今があるっていう、その人も農業士じゃないけれども、
4年とか5年分くらいのいろいろあった事例だったりとか、
だから今自分はこうしてあるんだよっていう本を書いた人で、
その人もこの再生農業っていう中では、
もうパイオニアじゃないけど、みたいな人だったんですよね。
それでそれをバーッと読んでる時に、
自分もはぁ、この人面白いと思って、
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そしたらどうしても牛が飼いたくなっちゃったんですよね。
なるほどね。
それで北海道の落農家に行ったんですよね。
そうなんだ。
っていうのもまだヤギとか羊程度なら、
飼いたいから飼うって言ってやれたかもしれないですけど、
さすがに牛ってなるとちょっとね。
でもやっぱり知りたいことは知りたかったんで、
じゃあ飼ってる人のところに行けばいいじゃんっていう感じで、
いろいろ調べた中で、
その北海道に行った時の落農家の人は、
炭素循環農法っていう名前のもとをいろいろやってる方で、
基本的に牧草地は福岡っていって耕さないような状態で、
刈り取りだけやって、
あとは自分の乳牛から出る糞尿を戻す。
毎年それを繰り返すっていうだけだったんですけど、
ちょっとばかし再生農業にも似てる部分もあり、
ちょっと違うなと思った部分もあり、
それで結局牧草の方はジャスの有機栽培を取ったんですね。
でも牧草売ってるわけじゃないじゃないですか。
乳製品の方を売るわけだから、
牛乳のジャスとかチーズのジャスっていうのとまた話が違うんで、
最終売ってた牛乳がジャスかって言われると違うんですけど、
牧草食べてるものはジャスが通ってますっていうところまで来たんですよね、
自分がいるときに。
ただやっぱりずっと牛の世話して分かってたことで、
病気がかかれば抗生物質入れるし、
病気を防ぐためにもいろいろ薬入れるしっていう感じで、
何か起きたらやる?何か起きたら治す?っていう感じで、
でもそれが起こらないようにするっていう根本的なところ、
ついてないよなって思ってて。
確かにジャスキンは取ったしっていろいろあるんだけれども、
抗生物質なんかがちょこっとでもそれこそ牛乳に入れば就活停止。
どのくらい就活停止になるか分からないですけど、
本当にちょっとでも出れば終わりぐらいやっぱりダメなものなのに、
それが例えば注射で牛とかに使ってダラダラって流れたのは
糞尿に入り、それが牧草に戻りってそこは別にどうでもいいんですよね。
検査すられる場でもないし、それはごく微量としてカウントもされないです。
その微量の差ってなんだ?とか、
それを不思議に思い始めちゃったら、やっぱりやりたいことは自分でやりたいと思って。
それで、その年も終わりかけてたので、
ちょうど年終わりかな、それこそ12月の終わりぐらいにそこの牧草を辞めて、
実家の方、実家は柏なんですけど、柏さんが戻ってきて、
半年ぐらいかな、ふらふら何しようかなってまだ考えてて。
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みんながいつも何やってるんだっていう感じがあったんで、
じゃあ何かしなきゃいけないのはわかってるけどな、みたいな感じで。
ある時、5位まで、千葉県の5位まで車でお父さんが行くって言ったんで、
あ、じゃあそこまででいいから自転車乗せてって言って。
っていうのも千葉県一周ができるサイクリングロードっていうのがあるんですよね。
ってことは多分一周回れるかなと思って。
農業はやりたかったし、でも家からの、実家からの、
車でも何でもいいですけど、移動距離考えた時に、
このぐらいの距離までだったらいいなとか。
あとは自分がずっと土壌国境に関わってきたんで、
熱帯植物だったりとか、熱帯の方の知識の方が全然多かったんで、
暖かい地域がいいなと思った時に、
じゃあ坊主をちょっと回ってみようかなって言うんで、
自転車乗せてもらって、5位から、そこからは自転車でずっと坊主を回ってみたんですよね。
で、その時に多少なりの下調べをして、
どうやって土地を探すのかもよくわからなかったし、
どうやって場所を調べるのかもよくわからなかったし、
手当たり次第に調べたところにとにかくメールを送りまくってたんですね。
今とたっては鴨川にいる農家さんだったりとか、
その時の地域保守協力隊の方だったりとか、
いろんな人にはメールはしたんですけど。
で、とりあえず帰ってきたところをポンポンと回りながら、
坊主を回るみたいな。
あともう一つ調べてたのが、
場所探しなら不動産。
まあ王道かなということで、不動産を調べたんですけど、
でもネットで出てくる不動産ってほとんどないんですよね。
現地行って不動産みたいな感じだったら、
そこ泊まってみなきゃいけないかなと思いつつ。
ただ一見ネットで出てきたところに、
しかもその不動産屋さんだけが、
なぜかこう、いろんなリゾート地とか山とか、
いろいろうやがんの中にボロ屋っていうのがあるんですよ。
そこにこうあれってなったわけですね。
なんだろうなこのサイト。
でもボロ屋をポチッとしてみると大したことは書いてないんですよ。
で、やっぱそれだけじゃわからなかったので、
ここだけは行こうって。
あとは見つけたら見つけたで寄るけどぐらいの感じで、
ボロ屋って書いてあった超本人の不動産屋さんに寄ったんですね。
それがもうほんとにすぐそこなんですけど。
で、そこ行ってこんなことやりたくて、
あんなことやりたくてっていう話をしてたら、
なんか土地の話というか場所の探しに来たはずなのに、
その社長が養蜂やってる方で、
2時間ぐらい蜂の話をされて。
はいはいはい。
生物もいろいろ住み分けがあってみたいなそんな話をしてて、
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全然関係ない話をずーっとしてて。
そしたら、まあわかったと。
なんか見つけるから2日ぐらい待っててっていう感じで、
じゃあわかりましたって言って、
そのまま自転車に乗って。
自転車で来たの?自転車で帰るの?どっから来たの?
いや、いいんです帰りますって言って。
ちょうど雨が降る日だったんで、
もうその時は自分は祝いにいたんですけど、
立山ぐらいまでも雨がせめて来てたんですよ。
もう帰らないと雨が来るんでさよならみたいな。
で、飛び出てて結局木更津あたりで雨に捕まったんで、
部屋は木更津で辞め、でまた次の日行って、
ずんと帰ったんですけど。
そしたら本当に2日ぐらいで電話が来て、
見つけたからおいでって言って。
で、見に行ったらここだったんですよね。
それがまさにここで。
だから見に来て驚くなよって言われて、
何を言いたいのかわからないけど、
まあ大丈夫でしょうぐらい感じで来て、
見たら本当に中も何もかもが全部残ってる形で、
床も抜けそうだし、
お化け屋敷とまでは言わないけど、
なんかすごいことになってて。
これね、いいならどう?みたいな。
自分もバカだからいいです。
いいな、でも出会いですもんね。
本当にそれで。
で、蓋を開けてみれば本当にね、
土地がこれだけ横にはついてたし、
これだけいい条件って基本ないと思うんですよ。
これだけ屋根がある場所もあるし、
物を置きたいって言ったりして、
どこにでも置けるし。
なんで薪作ればこれだけ貯めとく場所もあるし、
向こう側の下全部空いてるんですよ。
上もあるし、
ドモ屋があって、
ドマがあって、
2階があって、
最高じゃん。
なるほど。
持ってますね。
ここに出会うっていうのがね、なかなか。
本当に。
そんなんでフラッと来ちゃったもんね。
なんかいろいろルーリーハンなんですよね。
結局みんな収納収納っていう感じで、
例えば2年間の研修を受けるとか、
あとは農業大学っていうところがあるんですけど、
そこを出て、2年間の学校かな。
出たら農業資格って言われて、
農地を借りたりとか貸したりとかできるっていうのだったりとか、
いうのもすっ飛ばし、
みんなが苦労する家、
畑は見つかったけどどこに住もうみたいなのもすっ飛ばし、
逆に岩は見つかったけど畑がないみたいなのもすっ飛ばし、
一気にポンみたいな。
でも逆に一気にポンって全部が揃っちゃったから、
知り合いがゼロだったんですね。
そりゃそうですよね。
みんなだったらいろんなのを探す。
やりながらやりながら。
こんな人と知り合ったとか、
あんな人と知り合ったとかっていう流れになるんでしょうけど。
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何もなかったね。
そうですね、それはその分の手に入れてるわけだから、
こっちはないな、しょうがない。
よし、みたいな。
基本的に自分が農業をやるとなったときは、
誰でもできる農業をやりたかったんですよね。
例えば、すごい農業をやって成功してる人とかでも、
結局農家出身だからでしょうとか、
まずはどっかの企業で働いてて、
いっぱい貯金があったからできたでしょうとか、
何かしらのアドバンテージがまだあるみたいな。
なんとかだからできたんでしょうみたいなことを絶対言われたくなかったのと、
あとはやっぱりそれだけの、
途上国でやったりとかってあったのがあったんで、
日本で通じる農業だけじゃダメなんじゃないと。
結局目指したかったとこは、
みんなが自分の職に関して関心を持って、
少しでも関係問題だったりとか、
自分の職の安全だったりとかっていうのに
携わってほしいなっていうところがあったんで。
それが基本じゃないですか。
どんな生物でも基本的に生きるっていうことが、
人間のことに関して言うとまたね、
いろいろごちゃごちゃあると思いますけど、
どんな生物を見ても基本的に生きるっていうことが
主の目的とはあって、
その生きる上で、
職だったり異だったり、異職充ですよね。
職の部分が崩れかけてて、
職ならず住み家っていう意味での地球っていう環境も、
もうガタガタ寸前まで来ていて、
それでいいのかなっていうところで、
一人が何か変わったところで何が変わるって話になっちゃうかもしれないですけど、
でもそういう一人一人が少しずつ変わっていって、
コミュニティ単位、あとは自治体単位、
あとは国の単位っていうふうに少しずつちょっとでもいいから
動いていけばいいんじゃないかなと。
他人事じゃないからまずは自分が動いてほしいっていうのもあったんで、
これがあったからできたんでしょって言われたくなかったし、
あとはこれがないからできないとも言わせたくなかったんですよね。
あるあるって。やり方なんて100通りあるからっていう感じで。
あとはいろんな不条件があったとしても、
ちょっとした考えの型変えればうまくいくことっていっぱいあるだろうから、
その人ならその人なりのあったものっていうのを見つけてやるっていう感じでやりたかったんですよね。
だから畑も本当は自分は欲しくなかったんで、
それもラッキーだったんですよ。畑じゃないから。
どちらかというと庭だし、ボコボコだし、
雑地みたいな原野みたいな感じだし、
車面だしみたいな。
例えば軽トラ乗り付けることもできないし、
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何か大きなトラクターが入るって。
一応ここだったらトラクターは入れるんですけど、
向こうの下とかになってくると入れないし、
いろんな不条件はあるけど、それこそ自分にとってはやりたかったものだなって。
あと畑だと、じゃあ鶏飼いたいです、果樹植えたいですってなったときに絶対できないなって思ったのと、
せっかくそれまで自分が何か構築したものがあって、
何かのタイミングで返すとかになったときに、
全部元取りに戻さなきゃいけないじゃないですか。
それでもったいないよねっていうので、
基本的に畑はやりたくなかったし、
あとは農家になる気もあんまりなかったんですよね。
別に農産物で収益を得てどうにかしようとかもあんまりなかったので。
それでちょうどいい感じでこんなのが見つかったんだから。
まあ本当にラッキーですね。
じゃあここの出会いからまたスタートしてるわけですね。
そうですよね。
もしたまたま見つかった土地でも何でもいいですけど、
これじゃなかったらまた全然違う方向を取ってたと思うんですね。
だからその人なり、例えば自分が何かやりたいって、畑やってみたいって思ったときに、
ここにスペースがこんなのしかありません。
ならそれはそれでいいと思うし、
大きくあるって言ったらそれはそれなりのやり方があるしっていう感じで、
例えばいろんな農業史とか見て、
例えば自然農だったらこうしなきゃいけませんとか、
例えばなんとかならまずはこうしますみたいな、
そういう手順とかをバカ真面目にやっても、
原則、あれこの農業史は北海道で書かれたやつだったときは、
これ使えないじゃんみたいなことになってほしくなかったんで、
こんなやり方もあんなやり方もある、これだけある中で、
じゃあ自分だったらどうしますかって。
自分の土地だったりとか環境だったりとか、
あと時間とかお金もそうですよね。
そういったいろんな資源を考えたときに、
どの方法を取りたいですかっていう提示の仕方がしたかったので、
ポストだったら1年かけてどんな作物でも基本的に育てられるし、
果樹はやって、マニアウトリーやったりとかして、
ここに来ればとりあえずなんかやってるよねっていう。
そっかそっか。
なんか気になったらいけばいい、なんかわかるでしょぐらいの感じの場所でありたかったとか。
あとは農業やってますじゃなくても、
普通にみんなが集まって、道具もこれだけ揃ってるんで、
なんか作ってみたいっていう人がいればやってもらえばいいし、
みんなが好きなことをやれる場所だったらいいかなと。
大谷なんかもすごい大きい広村になってるんですね。
なんでなんかイベントをやりたいけど場所がないとかいう人であれば、
全然使ってもらえばいいし、
位置的にもすごくいいんで、
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フラリまでだったら高速バスとかでも来れるし、
巨難の人からも近いし、
大谷山とかフッチからの真ん中にもあるしっていう感じで。
白浜とか言われると、
うーんっていう人も出てきちゃうかもしれないですけど、
来れるよねっていうぐらいの場所にあるしっていうので、
そんな感じでみんながうまく利用してくれたらいいなと。
なんか自分一人で頑張るっていうよりかは、
大谷山が好き勝手にいろんなことをやってもらえたらいいなっていう感じで、
やり始めて、
もうなんかゴダゴダしながら2年経っちゃいましたね。
2年ってかあっという間だったじゃないですか。
あっという間でした。
一番最初はそれこそ作物植えるとかいうよりも土地に、
ここをどうにか使えるようにしなきゃいけなかったんで、
なんかスコップもなかったし、
バカみたいな話もあって、
それこそシャベルスコップ、この小さい小屋あるじゃないですか。
あれもなかったんですね。
でも、この1事業として取った時に、
から出た収益からでないと何も買いたくなかったんですね。
例えそれが100円だろうが200円だろうが、
まあ普通の人って100万でも200万でもいいですけど、
資本権というものがあって、
そこから買い業じゃないですけどして、
1年なり2年なりの収益で戻していくもんじゃないですか。
そこがなくて、お金なんてないし、
何もないからとりあえず収益があるまでは何も買いたくないと。
いごちになってペットボトル切ってなんかショップとか作ったみたいな。
そこから、そこから。
それこそ苗作るぐらいのふわふわな土じゃないんですけど、
ここ多分、ここそうですよね。
もうね、ガッチガチの粘土なんです。
ここなんか本当にみんなが生き生きして踏み固めてるし、
雨も降らないからこんなのがコンクリートみたいになってるんですけど、
向こうにしろあっちにしろ指一本刺さらないような場所で、
逆に支柱なんか建てれば動かなくなりますけどね。
そういうことね。
このシャブル使えない。
ペットボトルですね。
で、どうにかしなきゃいけないなと思って、
とりあえず何本かトマトとか茄子とか植えとくだけ植えといて、
ちょこっとそっちに。
それ取って、最初は道の駅フラリにちょこっと降ろして。
最初はいくらだったかな。
それこそ何百円の単位ですよね。
だからシャブル買おうみたいな。
それはすげえエキなことですよ。
そのね、100円とか言うけどね。
それが非常に大きな一歩じゃないですか、まず。
ここでね、できたことだから。
そんなこんなんで。
でもみんないろんな人から、あれあげるよとかこれあげるよとか言って、
最終的にはいろいろ集まってきたりなんかして、
39:03
どんどんね、それこそやれることもどんどん大きくなってはいきましたけど、
そういうちょっとガンプなところもあったんで。
まあ、バカなぐらいイコ人になってはいる。
シャブルがなかったら作ればいいぐらいの。
いや、そのパワーというか、そうやりたいんですよね。
そうやりたかったんですよね。
実際やって、でもそれがやっぱりコツコツやっていって、だんだん人のご縁が生まれていって、
みなさんがこう助けてくれて。
で、今なんか南某総がに行くっていうグループで、
おかまかまだったりとか他のメンバーたちともいるんですけど、
に入れさせてもらっても、それも本当に偶然で。
そんなバカなことやってたら、あんまり家にもバカなことやってるもんだから、
そういう噂が広まり、おかむファームの奥さん小泉さんの耳に入ったんですよね。
いわゆるバカなことやってる奴がいると。
どうしても会いたいからって言って来られたんですよね。
小泉さんここに来たんですか。
ここに来たんです。
で、それこそその話を多分持って帰ったんでしょうね、旦那さんの方にも。
したら多分南某総がに行くの方も、
当初が農家の集まりだったのもあるんですけど、
だんだんメンバーがいなくなっちゃったりとか、
違うことを始めちゃったりとかっていう感じで、
農作物もなかなか集まらなくなってきたらしいんですね。
で、おかむさんとかも自分のお客さんに出す分もあるから、
1ヶ月に1回やってる日曜マルシェとか開いても、
なかなか種類も揃わないし、これで大丈夫なのかっていうところまで来てたみたいで。
そんなときにいろいろ育てる人がいるし、自分たちのコンセプトにも合ってるし、
売り先もないだろうっていうことで声かけてくれて。
で、メンバーにならないかって言って、
いや、農家でないですし、収納してないですし、いいんですか?
はいはいはい。
いいよ!
いいんだ。
いいんだ。
いいんだ、それ。
そういうやり方もありでしょっていう、
柔軟な岡本さんの考えなんかもあって、
そういうメンバーに入れてもらって。
だから最初メンバーの誰も知らなくて、
小泉さんしか岡本さんでさえ知らなかったんですよね。
ほんと小泉さんがどこかで知って、
訪ねてきて、そこスタート、そこ発信なんですね。
それもなかなかすごい出会いですね。
引っ張っていってもらって、
で、自分は本当にね、それこそ売り先もなかったので、
ありがたかったらしいで、
で、少しずつ日曜マレーシアだったりも出させてもらったりして、
ほんとそれでの仲間がまた増えていきましたし、
メンバーからいろんなところに増えたりなんかもして、
で、自分なりにふらふらしてる部分もあったんで、
それでいろんな仲間も増えたりなんかもして。
そうでなんか最近なんかは、
なんで今まで知らなかったんだろうって向こうに言われて、
こっちの方も同じこと言いましたけど、
普通のかなやっていうところのインターをすぐ降りたら、
42:03
ある朝ごはん屋さんがあるんですね。
朝ごはん屋。はいはい。
それも奇跡の話ですね。
なんでそこに朝ごはん屋って感じなんですけど、
でもそのところの店主は、
とにかくかなやの町が好きだと。
で、夜っていうよりかも、
かなやの海あり山ありで、
ちょうどね、そのお店からパッと見ると、
綺麗にかなやの海が見えるんですね。
で、自分は山を背負ったっていう感じの雰囲気で。
で、朝市の朝焼けがすごく綺麗だと。
その朝市にみんながおはようっていう感じで、
いい気持ちになって、
たまにはしっかり朝ごはんを食べてほしいと。
ないがしろに朝ごはんがしがしだったりとか、
このオフラインの時代に、
人と人が会うっていうこともあんまりないっていうときに、
やっぱり朝市にいい朝焼けを見て、
みんなでおはようって言えたら、
1日が素敵じゃないかと。
しっかり朝ごはんを食べてと。
そういうコンセプトがあって、
そこに朝ごはん屋さんをオープンした方がいて、
その人ともとにかく偶然で会ったんですよね。
で、その会ってから2、3ヶ月、
まあ落とさたなしで、
自分も話もかけなかったし、
向こうも話もかけなかったし、
多分忙しかったのもあるんでしょうけど、
ちょうどお店を立ててたところだったんで、
その人も原野みたいなところを自分で言語を入れて、
なんか一から全部お店立てちゃったような人だったんで。
それでふとしたときに、
メッセージを送ろうと思って、
その人にちょっと手伝ってもらったことがあって、
そしたらちょうど向こうからメッセージが来て、
タイミングとか言っちゃって。
そこからだいぶいろんなことに協力してもらってて、
朝ごはん屋さんにもいろんな野菜だったり、
卵だったりとかも動かせてもらったり。
その店主も勝手にここに来て、
勝手に物積んで、勝手に帰るみたいな。
そうなんだ。
自分がいない日が主任2回あるんですけど、
それがちょうど彼女の休みなんです。
仕入れだったりとか仕込みだったりとかしたいけど、
いないから、まあいいよねとか言って、
社長いないから取り放題とか言って勝手に来て、
こっちもいちいち取って測っていけないんですけど、
めんどくさいから好きにやってみたいな。
そうなんですね。
でもそれはその人だから許せるっていう部分もありますけど、
そうやってもらったりなんかもして、
ぜひ時間があるときにはゆっくり朝ごはんを食べていただきたいですね。
そんなこんなでいろんな繋がりがあって、
そっちから派生してった金谷周りの人も繋がりがあったりして、
どんどんどんどん何が起こるかよくわからないですけど、
広がっていくもんだから、実に面白いですね。
そしてね、あっちこっち面白いことばっかりに歩いていくと、
こっちがないがしろになったりして。
45:01
それはちょっと困ったかな。
今とどこおってまーすみたいな。
それはそんなとどこおり中になっちゃうんですね。
なるほどなるほど。
本当にそんな感じで、
それこそね、みんな半農半業だったりとか、
家族さんの中だったら半農半プレイワーカーとか、
自分の中は半遊びみたいな。
半分遊んで4分の1ぐらいは、
なんだろう、ぼーっとして、
あと4分の1ぐらいちょっと働くかなみたいな。
優先順位的には一番下みたいな。
大丈夫なの?
はいはい、まあそっか。
でもなんだかんだみんながそれで助けてくれたりとかして、
うまくうまくしていけてるから、
本当に周りのおかげですよね。
自分がやってる部分はほとんどないですね。
いやいや、そんなことないです。
あ、そうっすか。
そんなことない気がします。
自分からアクションして行動してやっててるから、
見るから見てくださってる感じがやっぱりしますけどね。
見てもらえてありがたいですよね。
それで出会いが決まって、ご縁が。
ご縁は強いですね。
そうですよね、ご縁強いですよね。
2年っていう時間だけども、その間でわーっと広がって。
わーっと本当に。
どこからそんな人知り合ったのみたいな、
自分も思い返せば、
ねーみたいな人いっぱいいますし。
そうだと思います、そうだと思います。
だからありがたいですよね。
だからそうやって広がっていったわーもあるから、
こんなとこで出展してみないかとか、
あっちに来てくれないかとか、
こっちに来てくれないかとかって呼ばれていって、
どっちが届こうってみたいな。
そこがどうしても出てくるんだな、そうか。
でもやっぱりそうやって広がっていくと、
面白いんですよね。
全然農業と関係ない人とつながれるから、
多分農業だけは自分でやってて、
自分も農業、
西科ってことでもないですけど、
基本的に興味があることは植物だったり、
環境のことだったりとかっていうのが、
自分から多分向かってアクセスしていくってなると、
やっぱ分野も限られてくるとか、
いろんな人に出会える場所に自分を突っ込むとか、
結構いろんなね、
ことをやってる人たちがいるもんなんですよね。
そうですよね。思いがけないところが、
自分も想像してないことが起こるんですね。
自分も軽い人なんで、
さっそくやってみようとか、
すぐなっちゃうんですよね。
でもそれで今があるんですよね。
今がありますね。
これから先も何が起こるかわからないですし、
また面白い何かがね。
何かがあるかもしれないし。
いいですね。いいと思います。
もともと岡本さん夫妻からご紹介いただいたので、
こうやってお話聞けるのもそういう流れですよね。
そういうことなんですよね。
不思議なもんで。
だって絶対岡本さんだって、
もっと紹介できる人いっぱいいたと思うんですよ。
48:01
そっかそっか。
なんで?と思ったんですけど。
紹介しといたからみたいな。
そうなんだ。
お話ぜひ聞くといいと思うよみたいなことを
おっしゃっていただいて、
いいですね。
実際なんだろう。
普段仕事で好きなことを聞くんですけど、
好きってなると何が好きってなるんですかね。
農業に関した話だけじゃないですけど、
物を作るっていうことは昔から、
それこそ子供の時から大好きで。
例えば何でもいいんですよ。
製品があるとするじゃないですか。
製品って結局やっぱり誰かが作ったものなわけじゃないですか。
工業的に作られたとか、
職人が作ったとかいろいろあるでしょうけど、
だったら自分にも作れるっていうすごい思いがあって。
絶対買えば安いでしょみたいなものでも、
気になったら作り出しちゃったりとか。
基本的に成功したらというのは一つもないんですけど、
やってみたくなっちゃうんですよね。
別にそれでうまくいこうとかうまくいかないとか
そこはどうでもよくて、
こうやって作られてるのをね。
そういうことか。
本当にどこかでね、
何作ったかな一番最近。
生麩とかも作ったんですよね。
生麩?
生麩?
それも大学の時にバイトしてたときで、
生麩って言って、お麩なんですけど、
すごいもちもちでお餅みたいな麩なんです。
麩と生麩の違いが何かって言われたらパレパーなんですけど、
お麩って言うと軽くっていう感じはしてて、
乾燥してるだけじゃないですか。
そうじゃなくって、
お餅なんですよね。
麩って何で作るんですか?
そうって思うじゃないですか。
分かんない。
分かんないから調べてみたんです。
何だよって思って、
実際分かってるようで分かってないことがすっごいいっぱいあるから、
麩って言われて、
麩は分かるけど、
じゃあ何だ?みたいな。
ってなったんで調べてみたら、
生麩の作り、
生が美味しかったっていうのがそもそもあるんですけど、
これ食べたいってなって。
どこで手に入れるのかもよく分かんないから、
作ってみようっていうところからだったんですけど、
調べてみたら、
小麦粉に少量の水を入れて、
とにかく練るんですよね。
そうすると基本的にグルテンが形成されるじゃないですか。
ただ、
そのグルテンだけを最終的に残したものは、
生麩になるんですよ。
小麦粉の中って、
澱粉もあれば、
いろんなものがあるじゃないですか。
だから最初固い生地を練り込んで、
1個にまとまったら、
またそこに水を足すんですね。
水を足して練るんですよ。
そうすると、
水も生地になっちゃってるんで、
水が生地に吸われてどうこうっていうことは基本的になくって、
どちらかというと洗うっていう感じになるんですね。
で、
多分基本的には澱粉質なんですけど、
出てきて水が濁るじゃないですか。
それを捨てる。
また洗って捨てる。
洗って捨てる。
もう1個生麩以外にも作りたいんだったら、
51:00
出てきた水、
白く濁った水を何かに入れて、
溜めとくんです。
そうすると時間が経つと、
澱粉だけが下に溜まって、
水が上に。
で、その水だけを捨てて、
下に溜まった澱粉を乾かせば、
片栗粉じゃないですけど、
要するに澱粉粉。
そういうことか。
そう、澱粉粉になる。
はいはいはいはい。
で、残ったこっちの方の、
グルテンのクチョンクチョンになった方をまとめると、
それが生麩になるんですよね。
あー、そうなんだ。
で、いろいろ調べたら精進料理だったんです。
へー。
それに醤油とかで色付けて焼いたりとかして、
昔はお肉として精進料理で使われてたっていうのが始まりだったみたいで。
そうなんだ。
で、意外とそうし合って調べてみると、
話がまた広がっていって、
今それこそ海外とかでビーガンだったりとかしていて、
お肉も魚もダシも基本的には食べませんっていう人たちは、
そうかそうか。
それをお肉に見立てて、
なんか食べて、
結構こう割いて、
鶏肉みたいな感じになるとかなんとかって言いながら食べてる人たちもいて、
結構流行ってたと。
流行ってた。はいはいはい。
ほら、みたいな。
なんかそういうことなんですよね。
何が物を作るのってすごく好きだ。
そっか。
だから、実際不でもそうですし、
こんにゃくでもそうですし、
こんにゃくって言われてこんにゃくわかるけど、
じゃあ実際こんにゃくって何よって、
うんとってなるじゃないですか。
そういう感じで何か気になったら、
誰か作ってるし、
で、こんにゃくとかだってまたねそうじゃないですか、
どうせ昔の昔から機械とかない時代から作ってたんだから、
そうですね。
現代だってできるでしょ。
そっかそっかそっか。
そうなってくるとやりたくなっちゃう。
こんにゃく作った?
こんにゃく作っちゃうみたいな。
こんにゃくってお芋?
こんにゃくはお芋です。
そうですね。
でそれを、あれも面白いですよ。
こんにゃくもお芋を煮るふかすして潰して、
でアルカリ性のものと混ぜると、
ゼリーみたいなポニョポニョになるんですけど、
昔はそれが肺だったんですって。
アルカリ。
肺?
木を燃やした草木の肺を混ぜてたんですって。
あ、そうなんだ。
そしてやっぱ肺が肺色だからこんにゃくも肺色になるじゃないですか。
で昔からこんにゃくはあの色だったんですって。
芋自体は別に色も名もないので。
肺の色ってことですね。
そう肺の色でこんにゃくができてたんですって。
で時代が進んで草木を燃やすっていうことがあんまりなくなってきた時代に、
じゃあどうしようかってなった時に、
貝殻、ポタテの貝殻とかを粉末させたもの、
だからカラーパウダーじゃないけど、
を代用品として入れて、
あれもアルカリなので。
でこんにゃくを作ったんですって。
そしたら白くなるわけじゃないですか。
そしたら気持ち悪いと。
売れなかったんですって。
そうなんだ。
全然こんにゃくが流行らなかったというか売れなかったというか、
白いこんにゃくが気持ち悪いと。
肺色でしょっていう感じ。
しょうがないからそこに海藻を足すようになったんですね。
で現代のこんにゃくがある。
54:01
黒いポチポチはヒジキだったりとかわかめだったりとか、
何だか分かんないけど海藻。
色を黒っぽくというか。
そっかそっか。
それ肺の名残ってこと?
そういうことらしいんですよ。
今だったらそんなもうしなくてもいいのかもしれないけど。
だから今ならね、
白こんにゃくとか刺身こんにゃくとか、
大阪入ってみどりとかいろいろあるから、
現代の社会の中では基本的に色でなんとかとかいうのはないのかもしれないんですけど、
工業的にこんにゃくを作り始めた当初はやっぱり全然白いこんにゃくが流行らなかった。
どうするかって、
それだけのために草燃やすことにもならないし、
じゃあ黒いもの入れればいいっていう感じで海藻を足したとか。
そういう話を聞くと面白くなっちゃって、
自分でも何でも作りたくなっちゃうんですよね。
自分でやっぱりやりたくなっちゃう。
今やってること自体も、
座ってるとこも自分でやりたくなっちゃうって言ってやるっていうことですもんね。
全部そうですね。
大変な冗談とかも買えばいいだろうけど、
自分でやりたいように作りたかったんで。
そこに関しては調べていきながら、
こうやってやるんだ、こうやってやるんだみたいな。
これはね、わりとただ周りの小屋を作ればいいっていう頭があったんで、
適当にこの辺の廃材を引っ張り出して、
廃材がない部分は竹ですし、
でもこれは竹の方がオシャレだよとか言って、
あとは空気がその方が通るからいいんじゃないなんて言って、
上は編み戸ですし、
そこのなんかもどこかから出てきた戸ですし。
そう思うとこの環境があるからまたできてるんですよね。
いやーすごいなー。
でもね、今ね、ちょっと雨で見れないですけど、
下にある鳥小屋なんかも全部廃材で作ったんで、
多分動かせる鳥小屋があるんですけど、
なんかもね、真面目に作ろうとか、
思ったら多分何万円とかかかるんでしょうけど、材料買ってとか。
全部廃材で作ってるから3000円もかかったかなみたいな。
ただその代わり、ああじゃないの、こうじゃないのって言って、
一緒にみんなでやりながら間違えたとか、合わないとか。
それはいいんじゃないですか、それはそれで。
なるほどね。
いろいろ言ってありましたけどね。
でも自分で作れば壊れても直せるし、
わかりますもんね、どうなってるっていうのは。
誰かに欲しいって言われたら、作ればいいじゃんって言うし。
あーすごいなー。
こうしたよ、こうしたよみたいな。
絶対これだけやらないほうがいいよとか。
わかりますもんね。
なるほどねー。
物を作るっていうのは本当に好きですね。
箸とかね、竹で作ってやろうとか言って、
かびて捨てたとか。
でもそうなると、売ってる竹の箸とかって、
なんでかびないの?ってなってくるじゃないですか。
そうなりますよね、疑問が生まれますよね。
57:00
そうやってことを考えたりとか、不思議に思ったりとかしたのを調べてると、
また滞るんですよ。
っていうかパリから滞りっぱなし。
本当にどうしようもないです。
なんか気になることがあると全然関係ない話っていうところがありますね。
そういった意味で好奇心みたいなのが強いっていうのはあるんですよね。
知りたいとか、物を作るとかに関してもそうだし、
これはなんだ?ってなると、わーってそっちに行くみたいな、
行動力みたいなところっていうのは。
もうちょっとやらなきゃいけないことを、
優先順位につけて終わらせてからやればいいんですけど。
そこは多分できない。
でもそれでいいって思ってる部分があるんじゃないかなとは思いますけど、
もちろん優先順位をつけてこうやったほうがいいのかなってある。
それもあるけど。
やらない、やれない。
いいんですよ。いいんです、それは。
いやー素晴らしい。
いやー面白い。
好きは物作りですかね。
クラフトとかも大好きですし、
小さいもの作ったりとか絵描いたりとかも好きですし、
野菜とかも別に野菜が好きっていうか、
何か作ってることが好きっていうだけで、
別に野菜じゃなくても土ができあがるのも好きですし、
その辺で虫が湧いてるのとかも自分が欲してる虫だったら好きですし、
もし例えば3年後とか5年後に再びお会いしたとしたら、
また違うものを作ってくるってことで、
あれ、あそこはとどこ置きっぱなしですか?みたいな。
そこで鳴りうるんですよね。
で、こっちも何か違うことをやってるみたいな。
ああ、やめましたとか言って。
やめるんだ。
それはそれでその時の興味の向き方がありますから。
本当に。
面白い。
そうやってワクワクするというか、そういうところを大事にしてるってことですよね。
すごいですね。
その時に言って違うわけですか?
全然。
約束してる人たちからそれは迷惑ですけどね。
えー?みたいな。
そこはちゃんと守ってちゃんとやることはやって、
滞るときは滞りますけど、でもやりたいことにガッと向かっていく感じ、
そのパワーがあるうちにやるべきですから、素晴らしいと思います。
間違いやって取り返しつけるのも今のうちかなと。
そっかそっか。
そうですね。
間違うのは恐れてやらないよりは。
どんどんやっちゃおう。
それは本当にいろんな方、今までお話聞いてますけど、
やっぱりそういう方たくさんいらっしゃって、間違えるんだよどうしても。
で、頭をぶつけるけど、それがやっぱり今なんで、次に行くっていうのはおっしゃるので、
それで恐れてやらない人はあんまね、それで終わっちゃうから。
1:00:00
もったいないなと。
だからやっぱりね、大学の時もそれを思っていろんな休みもあればふらふら出かけてましたけど、
なんかそれこそ30代、40代、50代になって、
まだそんなことやってるのかよみたいな言われるぐらいだったら、
今のうちにやりたいことやりたいだけやって、まだ若いからねって言われるぐらい。
それはあるうちですからね。
ご愛嬌で進むぐらいの時に。
わかってやってるんで。
暴れておこうかなと。
それはそうですよ。暴れておくべきですよ。
いやーすごい。
まだに何やりたいのかわかんないですし、結局のところ。
だいぶやってる感じしますけどね。でもまだまだまだ。
何がしたいんだろうって。
これだっていうのが。
みんなも何がしたいんだろうって多分ずっと思ってる。
そっかそっかそっか。
それこそなんかね、例えば、弁護士になりたいとか、医者になりたいとか、先生になりたいとか、
名前のある職業があったらよかったなってすごい思ってて。
今の自分にってこと?
そうです。
例えば自分別に農家にもなりたくないし、活動家ってもないし、企業家になりたいわけでもないし、
あなたは何ですかってそれこそ言われたときにわかりません。
そういうことですね。
みんな子供とかにも将来何になりたいのって。
何になりたいみたいな、ないんですよね。
もしかしたらまだ職業、例えばそういう肩書き的なものになってないものになってくる。
だって今ある職業、肩書きっていうのは、昔あるとき誰かが必要だからなって生んでいったというか、みんなそうじゃないですか、全部。
そうですよね。
そういった意味では、もしかしたら菅谷さんはそういうのを何かこう自ら開拓していって、やりたいことに見つかって、
やっているうちに、私実はこれなんだっていう、今はまだ世の中にないものをやっている可能性もありますので。
そうでやりたいですね。
そうですよね。
そんな革命的な人であったら嬉しいですけどね。
そのためにはいっぱい間違ったりとか、凍らせたりとかしながらやりたいことをやっていくっていう、まだまだ若いうちに。
聞く人ってこういうことやん、こういう感じなんです。
こういう感じでお話を。だから岡本さん、高森さんにも、小泉さんにもこんな感じで話をわーって聞いて、お二人ともすごいわーって喋ってくれて。
で、こういう感じで聞くんだよって言ってたら、あ、これこういうことねって言ったら、やっぱりいきなり言われてもわけわかんないじゃないですか。
確かに。
話聞くって言われても、何それみたいな。
僕もそう思いますし。なので、まず聞きますってことで聞いて、やっぱりやる。お話聞けば、あ、そういうことですねってのはわかってもらえるので。
今こういうことやってます。
1:03:02
で、昨日は高森さんにお話聞いてきて、いろいろお話聞いて、あ、こういうことされてる。で、こういう感じで、あ、そうなんですねみたいな。
なので、こんな感じです。
聞く人って初めて聞いたときに、あ、賢いなってすごい思ったんですよ。
例えばそれこそ、なんかね、ホームページ立ち上げるのに、なんかやりたいことあるからやるので自己紹介とか言って、
まあそういうことじゃなくても、学校とかの話でもいいですし、本当に何かの集まりのときに自己紹介でも、何でもいいですけど、すごい簡単なものでも、
何やってるんですかとか言われても、文字に起こして改めて書くとかしてみると、案外難しいものなんですよね。
いざ言われても。
書いてみて、消してみて、また書いてみて、いやちょっと紹介文にしたら長すぎるから消してみてとか、うーんとまとまらないみたいな、
どこから言うべきかとか、どこ端折ろうとかでめんどくさくなるみたいな、結局書いてないっていうことになったりとかしたときに、
改めてね、文字に起こすとか書いてみるとか自分一人で考えるっていうよりも、誰かに聞いてもらうってなると案外出てくるもんだなって。
そうだと思います。
聞く人ってすごい賢いなって思ったんですよね。
改めて何か始める人たちってみんなそうだと思うんですけど、自分こういうことやってますって、売りに行くっていうことはありそうですけど、
紹介していかなきゃいけない部分あるじゃないですか。
でも改めてこうやって聞いてもらうと、自分でもあんまり気づいてなかったものだったりとか、
ほぼこうだったなとか出てくるもんだなと思って。
そうだと思います。
面白いってすごい思ったんですよ。初めてだなと思って。
そっかそっか、そうかもしれないですね。
やっぱり皆さんお話聞いてると、話しながらそっかみたいな気づいてくれるんですよ。
そうですよね。面白い視点だなって。
改めて、それはすごい思ったことなんですけど、改めてどこかに行って誰かと話しするときも、
自分が聞かれたことを話すのもそうだけど、改めて相手のことを聞いてみるっていうのも面白いんじゃないかなって。
そうですよね。そうだと思います。
それこそベリースにいたときも、しょっちゅうヘッジハイクをしてたんですね。
村が割と入ってくる外国人だって、
自分たちが団体の名前を背負って入ってきてるから受け入れやすいっていうのもあるんでしょうけど、
割と入ってきた人たちにはみんなすごいウェルカムなんです。
名前も聞かなければ誰だかもわからないし、でも一緒にご飯食べちゃうみたいな。
1:06:03
だけど自分たちの子供だったりとかを隣の村に行かせるのをすごい嫌ったりとか、
バスに乗せてちょっと遠出とかをすごい嫌ったりとか、何かがあるとか危ないとか。
ニュースとかでもそうですけど、あまり嬉しい話っていうよりも事件が起きるとニュースになるみたいな。
そういう部分があるのかな。
これはベリース特集の話なんでしょうけど、とにかくいろんな民族が混じり合った国なんですね。
植民地にされてた国の経緯もあったりとか、奴隷で連れてこられた人だったりとか、厳重な人だったりとか、
あとはメキシコとかグアデマとかからの人もあったりとかして。
言葉も全然違うし、文化も全く違うし。
でも一つのベリースという国でベリース人としてみんなある。
けどもその中には私はマヤです。
そっかそっか、違うんですね。
私はヒスパニックです。
そっかそっかそっか、ルーツが異なってくるんだ。
っていうのはあるんですよね。
ってなった時に、やっぱりちょっとご年配の方だと、
マヤ民族はマヤ民族の中でも、自分たちがちょうどその村にいたんですけど、
こっちの村はマヤモパン。
こっちの村はマヤケチっていって。
マヤの中でもまた違うんです。
そっかそっか。
ってなると、モパンの人はケチと交わりたくないし、ケチの人はモパンと交わりたくないし、
言葉もわかんないから恥ずかしいじゃないけど。
あったりとか。
あとは良い意味でも悪い意味でも仲間意識みたいなのがあって、
例えば、なんだろう、
しかもその村は例えばマヤの村とか。
で、ちょっと行くとまた違う村があるんだけど、そこはヒスパニックの村だったり。
で、その民族ごとに村がやっぱり違うんですよね。
だからそれぞれのところで何が起こってるのかもわからないし、
例えばどこかで何とかの事件が起きたって言って、
その民族が例えばガリフナの民族とかだと、
ガリフナは危ないとか。
っていう風に他の民族からはなるし、
良いところもあれば悪いところもある。
なかなかね、他の同じ国だし、
まどなりなはずなのに、
あんまり交流をしたがらないところだったし、
外に出したくない、危ない危ないっていう意識がすごくあった国だったんで、
そういうことないよっていうのを見せよっかっていうのもあったし、
自分たちが原住民じゃないっていうのもあって、
ヘイチハイクしやがったっていうのはすごくあるんでしょうけど、
とにかくみんなにやめろ危ない、やめろ危ないと言われ続けながら、
3人で自分たちはいつもこうとしてたんですけど、
みんながいつもヘイチハイクして、
みんなやっぱり乗せてくれるし、
いや乗らないでしょみたいな車が乗るよ乗るよとか言って止まってくれたりとか、
いやいいよみたいな子供があったりとかいろいろありましたけど、
ヘイチハイクなんかしてると、
1:09:01
やっぱ全然向こうの人も知らないし、向こうもこっちを知らないし、
自分たちなんかは自分がこんなに背の小っちゃい日本人、
日本人というか明らかにアジア人、
もう一人がポーランド人ですごい背の高くて白人で、
しかも女性だったんですけど、ボーズのタトゥーを全身に入れてピアスだらけだったんですよ。
あともう一人がセント・ヴィンセントの出身の子で、
その子も背が高かったし、結構が体も大きくて、
黒人だったんですよね。
そんな3人が一緒に歩いてヘイチハイクしてるわけなんですよ。
そりゃ向こうも誰ですかと、何やってるんですかとなるわけでして、
いつもヘイチハイクして、運転手だったり一緒に乗ってた人だったりとか話をしてみて、
話し終わって、じゃあもうここまでだからねなんて話で、
ちなみに誰なの?何してるの?とか、
次に会った時はね、とか、
あとはすごい仲良くなれたりとかすると、
じゃあここに連絡しようとか、また会おうよみたいになると、
ふと開けてみるとどっかの市長だったりとか、
なんかのでかい会社の人だったりとか、
で、案外分かんないもんだなって。
そっかそっかそっか。
普通にその肩書があってスーツでも着てこられたら、
それこそはじめましてみたいになってたところが。
そういう出会いでまた会って企画に話してるうちに、
分かろう。分かんないもんだよなって。
そうですよね。
みんなすごい人だったね。
誰しもみんななんかあるけど、
例えば一対一で喋ったらそれはその人だし、
その人ができるし。
みなが食の安全に興味を持ち、
住処としての地球で、
少しでも環境問題や食の安全に携わってほしいという思い。
一言ではなく自分から動くというその行動力。
偶然の出会いに導かれて至った今いる場所で、
やりたいことを存分にやっている坪谷さんの、
パワーあふれるお話をお聞かせくださいました。
坪谷さんありがとうございました。
それでは次回、
ユイナワさんのキクヒットラジオでお会いしましょう。