前回に引き続き、コワーキングスペースオーナー・小山拓さんにお話を伺います。
今回は、これからどうしていきたいか、ということについて伺いました。
ベイカンシーオフィスゴタンダ:https://www.vacancy.jp/
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サマリー
コワーキングスペースオーナーの小山拓さんが自身の活動や新しいアイデアについて話しています。彼は気晴らしを目的としたワーキングスペースの探求や、さまざまな人とのつながりを大切にし、コロナ禍の中で新しいプロジェクトに取り組んでいます。また、利用者との良好な関係を築くために工夫し、気晴らしワーキングやモバイルベースなどの新しいアイデアを実践しています。アメリカでの経験を通じて、自分の好きなことを見つけ、柔軟にキャリアを進めてきた様子が伺えます。小山さんは、学生時代にシリコンバレーで得たインスピレーションや生き方について話し、さまざまな出会いの大切さを強調しています。「なんとでもなるだろう」という心持ちで新しいことに挑戦し続ける姿勢が印象的です。
コワーキングスペースの未来
ゆいなわさんの聞く人ラジオ、皆さんこんにちは。 ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
前回に引き続き、コワーキングスペースオーナー・小山拓さんにお話を伺います。 今回はこれからどうしていきたいかということについて伺いました。
なんかじゃあ、こうしていきたいとかってあったりします? この番もしっかりですし、他のものでもいいですし。
今さっき話してるのは、もうちょっと流れで話しましょうか。 コロナになってしまって、さすがにここも閉めたりという時もあったし、
あと、まあそういう今までやってたような、大人数を連れて何かどっか行くとかっていうのは、なかなかご法度なんで、
とはいえなんかずっと自宅にいてても、なんか気がめいるなとかちょっと思ってて、
なんか一人でも、一人で活動する分には行っても大丈夫なのかなと思ってて、一人でぷらっと行って、
気晴らしができるような空間ないかなって思ったんです。
で、それを調べたら、まあ出てこないんですよ。ネットで調べても。
じゃあちょっと自分で探して、それをなんか世の中に発信してみようかなと。
気晴らしワーキングとかって名前つけて、勝手に一人で、いろんな自分の家から2時間以内で行けるような場所。
千葉の海っぺりの喫茶店で、むちゃくちゃ気が晴れたとか、
人とのつながり
埼玉の山奥の川っぺりにある、なんか小ワーキングみたいなところで仕事したら気が晴れたみたいな。
っていうのをまとめてる中で、今度それはそれでいろんな繋がれる歴史になるんですよ。
一番仲良くなっちゃったのは、千葉県の白駒町。
あ、白駒町ありますね。
あそこでハイプールを活用した、なんか場作りをしてるおじさんがいて、池おじがいて、
なんか気があったんですね。そこで結構やることが、イベントやったり、コロナの後やったりという繋がりにもなってるし、
勝手にそこもなんかね、コンテナを一つこういう仕事ができる場所にしてて、勝手にベーカンシオス白駒とかいって、
誰も使ってないですけど、やってみたりとか、
そういう繋がりができてきましたね。で、彼は彼で不動産の事業もやってて、なんか何もない原っぱとか持ってたりするんですよ。
こんなのどう使ったらいいんだろうねみたいな。でもなんか何かがあったら、場が作れるかもね。
要は何もないハイプールにコンテナ1個あるだけでちょっと場ができちゃったりするんですよ。
だから原っぱにも何かがあったら、できるんじゃないみたいな。っていう思いはあったんですね、僕はその後。
で、何気なく調べてる中で、さっきの繋がる、すぐ組み立てられてすぐ解体できる屋台みたいなのを作っている人たちがいて、
これめっちゃいいやんと思って。で、連絡して、今は作ってませんみたいな。えーと思って。
それ大分県の山奥で作ってる人だったんですけど、どうしても気になっちゃったから行ったんです、それ。
大分県です。おー行きますね、はい。
で、ご夫婦でやってて、その方たちはバルンバルンの森っていう、バルンバルンの森っていう、
キャンプ場みたいな。で、もともとは多分大分県中津市の、今もその後の市の持ち物でキャンプ場だったんですけど、全然人も来なくて廃れてしまって。
で彼ら、そのご夫婦がそこに指定管理者みたいな感じで入って再生していった。
今、で、自分らでその固定室作ったりとかして、どんどん増やしてるんです。
その中の一環としてその屋台みたいなのを作ってる。
で、我々はもうそれは作り終わったから、もう違うものをどんどん作んなきゃいけない。
そういうことなんですね、つって。だったら僕に、これ一台作り方教えてもらって、僕が作ってもいいすか、みたいな。
最初はなんかそういう人たちいっぱいいるんですよね、大手の会社とかも。
でも、あなただったらなんかいいような気がする、って言ってくれて、え、ほんとっすかって言って、一台実機を貸してもらって。
で、ここワーキングスペースなんで、いろんな能力者の人がいるんで、一級建築士の人とかもいるんですよ。
で、それ見て図面描いてもらって、図面落としてもらって、それを元にまず自分で作っていく。
で、やっぱなんかちょっと自分でやったら立て付けはどうしようって言ったら、さっきの白小町のところで知り合いの大工さんにちょっと手伝ってもらって。
新しい挑戦
じゃあ、白小町を作業場として、ちょっと屋台作ってみるかって。なんかそんな感じで流れてきてる。今はなんかその5分で作れる屋台みたいな。
なんかパーツパーツなんですよ。パーツをなんか5、6個組み合わせて、はめるだけで屋台みたいなものができます。
で、それをモバイルベースって今呼んで、これを使って何しようかなって、今のやってるというか取り組んでることを。
そうっす。まだ飽きてない。
え、でもその話もだって人が繋がってっていうか、小山さんが面白そうって思うとか、例えば大分行っちゃうとか、何かそういう思いと面白そう行動みたいな嗅覚があっていって、
で、そこで出会った方が貸してくれたことから、また小山さんが持っている人の繋がりから。
まあ、かもしれないですね。
ですよね。すぐ、例えば一級建築士の人とか大工さんとか、白小とかに繋がれないけど、上までやられてきたことがちゃんとパッパッパッと繋がっていく。
そうっすね。だからみんないい人だったってことですね。
すごいですね。そのモバイルベースが一つの形として、何かいろいろ展開していければいいなみたいな感じ。
まあ、より知ってもらうために、自分でこの屋台使ってみないとより良さがわかんないなと思ったんで、
衛生管理責任者とって、千葉県の中でできる営業許可書をとって、今コーヒー入れてます。
あ、それを使って実際に。
ドキドキ。
へえ。コーヒー入れるのはどこか場所に行ってんですね。
まあ、そうっす。それもゲリラ。
ゲリラで。
面白そうだなと思ったら、ここでちょっとやらせてもらっていいですかみたいな。
おー。で、コーヒー入れて。
お客さんゼロみたいな。
ゼロみたいなことも。まあ、実験で。
実験で、実験で。
この前は、党の省ってあるじゃないですか。千葉県の。
党の省。
調子の手前にある町があるんですよ。
朝日とかの。
で、廃坑があって、それを活用してる人がいるんですよ。
そこ行って。
そこはなんかね、1ヶ月の第何日曜か、1回だけフリーマーケット行ってます。
じゃあ俺行きましょうかって。
行った時はちょろちょろ売れましたね。
でも俺が想像してたフリーマーケットな感じではなかったですけど。
フリー、ゆるい感じで。まあ僕は好きですけど。
そっかそっか。
すんごいお客さん来られても、できないんだよ俺。
修了中なんで。
そういうことですね。
で、コーヒーのことに関しても、もともとカツウラで、
自転車を漕ぎながらコーヒー売ってる方って知らないですか。
知らないです。
いるんですよ。今は有名人になっちゃってる。
テレビとかちょいちょい出てる。
彼はもともと僕が知ってて。カツウラで活用してる時。
そこにちょっと相談しに行って。
その時なんか営業教師をとったりするとか、いろいろ教えてくれて。
豆を今焙煎とかしてたんで、ちょっとそれを買わせてもらって。
それをこっちで振る舞ったり、こっちで使う。
背後で振る舞ったりして。
そんな感じです。
なんか繋がってきますね。すごく。
そうなんですよね。だから繋がるっていうかなんか、
なんていうんですかね。
ダメなやつですよね。
そんなことないと思います。そんなことないと思います。
小山さんのやりたいって思いとかがないと、だってならないじゃないですか。
やりたいっていうのに、無理やりみんなが付き合わされてる感じはしますけどね。
そっか。
申し訳ないなと。
なんか熱しやすく冷めやすいみたいなところもありつつ、
でもそれのためにもともと繋がってきてる皆さんみたいなところが。
それはあるかもしれないですね。
ある感じがしますね。
でもそこに対して小山さん自身はすごく、
やるぞーとかじゃない感じというか、ゆるっとしてる。
ゆるっとやりたいです。
そこがもしかしたら皆さんが一緒に参考するような部分。
もしかしたらやるぞーっていう人だと、
ちょっといいんだよなりがち。
そうですね。僕も苦手。
そうじゃない適度な力の抜け方、抜けた加減が。
ここにいる人たちはどっちかっていうと、
喋れる陰キャみたいな。
そういうイメージですね。
そっか。
そうですね。
場も集まる人が構成していくみたいな。
そうです。もう完全にそうですね。
それによって経路が変わっていく。
入りやすい人、入りにくい人が。
まさにそうです。
場を作ってみないと分かんないじゃないですか。
そうですね。
あとは自分に無理しないほうがいいなと思います。
自分に無理しない。
最初の頃は結構無理しいだと思います。
そっかそっか。
ちょっとすごい陽キャの人と一緒にとか。
やっぱり俺は喋れる陰キャだからなと思って。
そうですよね。
そういうのはダメだなと思って。
ちょっとウッってなっちゃう。
そこを無理する必要はないなというのは途中で。
やっぱり思ったかもしれないです。
そうですね。
利用者との関係構築
そういう素晴らしい利用者の人たちだと僕は思ってます。
いいですね。
やっぱり小山さん自身がちょうどいいところを発見しているというか。
かもしれないです。
それに賛同してくださる方が。
そうですね。
集中できないコワキンスペースという名目で。
集中できないコワキンスペース。
やります。基本は。
僕がちょいちょい話しかける。
ああ、そういうことですね。
それで居心地がいい皆さんだったりするんですか。
そうです。それに耐え切れた人たちだけが残っているので。
それが嫌な人は多分言うことが来ないので。
まあでもちょうどいいんですよ。
無理して利用者も合わせる必要はない。
僕もそうだし。
なるほど。
全然良くないと思いますけど。
授業をやる上では。
ああ、そういうことですね。
そう、寄り混ぜにしている場合じゃないです。
気晴らしワーキングと名付けて様々なスポットを巡るようになったというお話。
ご縁が紡がれ、今はモバイルベースという5分で作れる屋台を出かけているとのこと。
面白そうだと思ったことに素直に飛び込み、
人との縁や偶然を大切にしながら広がっていく。
そんな小山さんだからこそのお話が続きます。
キャリアの柔軟性
じゃあお仕事ってもう一つ。好きなこと。
好きなことですね。
何ですかって言ったら何ですか?
何なんですかね。あんまり考えていないですね。
好きなようにやっているという感じですね。
そういうことですね。
そういうことです。
だから無理せずにやりたいと思ったこと。
やりたいと思ったことが好きなこと。
それはずっと移り変わっているという感じなんですか?
そうですね。好きなものが変わっている可能性がある。
長年ずっとこれはやっていますみたいなことはあったりするんですか?
ワーキングスペースぐらいですかね。
ああ、そっか。
例えばその前のセキュリティのITの仕事というのは。
今もやっていますよ。
それは全然好きじゃないですね。
好きじゃない。若い頃からそれはやっているという感じですか?
そうですね。若い頃からITに関わっていたからやっているという感じですね。
それは例えば学生の時に勉強していたとか。
全然。
全然ですか。社会に入ってから。
若い時の大きな僕の転換というか刺激は、大学生の時にたまたまアメリカに行く機会があった。
たまたまですね。
僕がアルバイトしていたところの社長さんが結構大きな、昔パソコンショップとかあったじゃないですか。
ありましたね。
そこの一つの大きなパソコンショップの社長さんがチケットをくれたんですよ。
アメリカ行きの。
これからは英語とPCだと言われて。
その時PCとかもほぼ触ったことがないし、もちろん飛行機に乗ったこともない。
そんな状態でチケットをもらって。
本当に嫌だったんですよ。
アメリカ?って。
なんだあいつ。偉いんですけど。
でもこんな機会がなければ、僕は絶対海外に行かなかったと思います。
飛行機も乗ったことないし、パスコードも持ってなかったので。
大学生のうちに行きたいかなと思って。
大学2年だか3年だかちょっと覚えてないですけど。
その社長さんがアメリカにも支店みたいなのがあったんで、そこに行くチケットだったんです。
それがたまたまシルコンバレーだったんですよ。
サンノゼっていうところ。
そこ行って、そこの社長さんの交換社とか関連会社に行ったらめちゃくちゃ面白かったんですよ。
春休みだか夏休みだかわからない。1ヶ月くらいいて。
なんだアメリカって。めちゃくちゃ面白いじゃん。天気いいし。カルフォルニアなんで。
最高だぜ。
で、俺大学卒業したら来ていいですか?とか言って、その現地の人に来いよ来いよ。
マジっすか?って。
で、大学4年になってみんな就活して。
僕は大した大学じゃないんで、みんな大した企業じゃない。
説明会とか1回ぐらい行ったんですけど、めちゃくちゃ僕にはよくわからない担当者に
なんでこんなこと言われなきゃいけないのかなと思いながら、どこだよこの会社と思いながら
もうやっぱアメリカ行こうと思って。でもう就活も辞めて。
でアメリカに行くことだけ、つーかバイトしてただけですけど。
で、いざ卒業してアメリカ行ったんですね。
そしたら、え?向こうの人は。
え、どうしたんだ?って言って。
いえ、向こう卒業したら来いよって言いましたよ。
え?とか言って。
え、行ったけども?みたいな。
おーっと。
え?って言って。そりゃそうですよね。僕はいけないんですよ、完全に。
ちゃんと連絡して、これこれこうですからねってそこまでちゃんと伝えてなかったんです。
あ、それしてなかったんですね。
また行きますよみたいなぐらいな感じ。
また行きますよがどの。
そうか、レベル関連が。
僕はだから遊びだと思ってたりしないし。
僕はもうこっちで働くつもりで。
いや、働くってお前。一応会社だよみたいな感じで。
いや、そうなんすか。住むとこは?って言ったら、いや別に決めてないですよ。
ビザは?ビザ?
はいはい。
でまあ学生ビザみたいなの。しょうがないから取って。
本当は行けないんですけどね。働くってこと。
1年ぐらい取れたのかな、学生ビザで。
住むとこは、そこの会社がねちょうどさっきパソコンショップやってるって言ってたでしょ。
アメリカにパソコンショップを作るって言ってた。一番行きまいてる時だった。
僕はもうその当時はPC市場とかもうめちゃくちゃアメリカ強かったんで
日本の企業が入れるような状態ではなかったのにチャレンジしようとしてたんですよ。
ちょうど人手が欲しかったんですよ。ちょうどよかったんですよ。
じゃあお前やってみるかみたいな感じで。
おーすごい。
で、そこの世界から来てた。台湾とか韓国とかいろんなとこから来てたんで
日本への帰国と就職
そいつらも住むとこ、ちょうど契約するようなとこだったんで
一つ部屋、そいつらちょっといい?って貸してくれて
なんかルームシェアって言って台湾の方と一緒に住んでましたね。
高いんですよ。当時、今は高いと思いますけど
当時のシェイコンバレーはそこそこ家賃が高い。千何百ドル取られて。
それがITの始まり。シェイコンバレーと知らずに。
でもなんかそこに来る人たち、チャレンジしてくる人たちの結構優秀な人が多くて
日本のIBMから来ました。なんとか銀行から来ました。チャレンジしてるんだ。
僕はもう幸いなことにそういう人たちとすごい仲良くさせてもらって
なんかそうか、社会人になったらこんな感じなんだ。
いやでもズバン抜けて能力高いからね。ズバン抜けてね。
でもそれは普通だと思っちゃった。こんな感じか。
で、僕は向こうで就職しようかなと思ってネジ目とか作って
1年いましたけどほぼ英語喋れてないです。
日常生活ぐらいできますけど、ちょっと難しい言葉使われたら
Excuse me?って言われちゃう。
だけど向こうで就職したいなと思って。
ディレクションにはI can speak English very fluently
リュージョン喋れますみたいなの書いて出して。
まあ面接受けてくれるんですけど、実際の面接したらすぐバレるんですよ。
ああ、そっかそっか。そうですよね。
Excuse me?とかやりまくってるからもう喋れないじゃん。
いや、みたいな感じで。どこも取ってくれなくて。
じゃあ日本に帰るか。そしたらまた例の社長が登場です。
お前何だ、日本に帰るのか。
だったら俺の知ってる会社があるから受けてみる。
最初僕はソフトバンクがちょうど来てる感じだったから
ソフトバンクでいっかみたいな感じだった。
当時そんな対象もなかった。
それを聞いたらその人がそんなとこ行くなって。
僕は何も知らないから。
こっちの方がいいからって言ってそこ受けて。
あの時受かって。
で、その会社としてはシリコンマレーからすげえ奴来る。
ただの外日印刷みたいな感じですよ。
普通に名刺渡し方も知らないんですよ。
電話も英語でMHPUしかやってないんで
御社はとか知らない状態でやってるんです。
御社って何ですか?その時初めて知ったくらい。
で、なんかすげえ奴来るみたいな感じで結構いじめられましたよ。
だからお前すごいんだって。
上の何とか課長とか何とか部長とか。
そこの会社の社長っていうか会長だったのかな。
のつてで俺来た。
で、シリコンマレーから来たみたいな。
僕はもうそういうつもりじゃないんですよ。
これを訳しておいて明日までにみたいな。
こんなマニュアルみたいな。
それはITの部品とかを扱う専門商社みたいな。
で、いいっすよとか言って1日かけて辞書を調べて
シリコンバレーの影響
2ページぐらいしか俺できないんですよ。
全然できないんだけどみたいな。
だんだんバレてきて。
別にできるなんて言ってないですよ。
で、なんか新聞読んでんのか。
何か意味あります?みたいな感じで。
朝来たら僕の机には必ず日経が置いてあって
お前それ読んでろって。
全然意味わかんないなって思う。
最初は。
ってことは最初はってことはだんだん変わってくる?
最初入ったのは普通の法人営業部みたいな。
ザみたいな感じだったんですよ。
ちょっと離れた部署で
自分でプロダクトを海外から輸入して
それをブランディングして売るみたいな部署があったんですよ。
そこの人は声をかけてくれて
君はなんかこっち向きなんじゃないかって。
ですねってなってそっち。
移ってからは別にいい感じでしたけど。
その流れで今のお仕事には繋がってきてるっていう。
ITになんとなくずっとIT関係の。
そっか。
それがなければ今もない。
今アメリカ行くってことはチケットがなければ。
そうですね。
やっぱりアメリカにいるときの
そこに住んでるアメリカ人。
アメリカ人じゃないんですよもはや。
メキシコ人なの。
いろんな方が。
そういう人たちの生きる力が
すごい僕は刺激になりましたね。
そうか。
超適当なのに
すごい生きてるみたいな。
日本だとあんまりないじゃないですか。
みんな同じ言葉しない。
安全に暮らしてる。
僕はやっぱり必死というか。
そこの小山さん自身も必死さは自分にもあったというか。
僕はそんな必死ではない。
結局守られてはいましたね。
だけどそういう
勝負しに来てるやつら。
僕の行ってたお店にも
短大通いながら
ここで働いてお金貯めず
自分で払ってますとか。
ベトナム人とか。
アジアの人たちはすごい一生懸命
働きながら
学校のために働いてます。
そっかそっか。
えらいねみたいな。
年上のブラジル人みたいな
おじさんなんですけど
国語が終わったら
今度はお室デポ行って働かなきゃいけないんだ。
夜はなんとかの清掃だ。
子供3人いるかな。
みたいな。すげえ働いてるんですよ。
仕事場だよね。
そもそも物価も高いし。
でもすごい陽気に普段は。
ブラジル人だから。
俺サッカーやるから
俺タクっていうんですよ。タッコイ。
誘ってくれたりとか。
俺もサッカーやってたから。
だからなんかそういう
普段は
お店の中では
アメリカってより
上司に対して
縦のラインは
めちゃくちゃイエスさんみたいな感じなんですよ。
結構厳しいんですよ。
そのおっさんはただの従業員というか。
なんだけどサッカー行くと
監督みたいな感じで。
普段なんか
マネージャーみたいな
イエスさんって言ってるんだけど
マネージャーは走らないと言って
面白いなと思って。
そっか。
そこでやっぱりシュリコンバレーの体験っていうのが
当時はすごい刺激が
強かったような気がします。
何とでもなるだろう。
そっかそっか。
今もだからその部分は
もしかしたらあるのかもしれない。
新しい挑戦と出会い
そういうことですね。
あんまり意識はしてない。
実際若いというか
多感な時ですから
そういう時にそういう場所に行って
自らを晒してというか
そこにいることによって
いろんなものを吸収して
生き方とかもそうでしょうし。
影響はあったのかなと。
日本に帰ってきて普通に働いている中でも
もやもや感は絶対あったと思います。
つまんないなみたいな。
そっかそっか。
今ってもやもや感あります?
いやもうほぼないです。
そっか今はやりたいなって
思ってるところに行けてるし
場もあって
仲間の皆さんも緩い感じで
繋がる。
僕も子供さんにいて
家族もいるんで
そこのために我慢して
やらなきゃいけないことは
もちろんあるんで
完全に自分の好きなことだけ
というわけではもちろんない。
そんなやつは本当のクズですけど
ではない。
けどほぼ
もやもや感はない。
いいですね。
怖さはありますけどね。
そっかそっか。
どうなってるかな。
そうですよね。
無理をせず今やりたいことを
楽しみながら新しいことに
挑戦してきた小山さん。
学生時代にシリコンバレーで
過ごした経験。
そしてなんとでもなるだろう
という気持ち。
人との出会いや偶然を大切に
これからも自分らしく動き続ける
小山さんに今回は語って
いただきました。
小山さんありがとうございました。
それではまた次回
ユイナーさんの聞く人ラジオで
お会いしましょう。
27:00
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