はい、ちょっとまず2018年にツイートしたところを軽く読みます。
はい、なんか色々細分化されて、コアな内容でも映像化されたりする。
今こそスティーブンキングの死のロングウォークを淡々とした感じで映像化してほしい。
軍隊に囲まれ延々とひたすら歩き続けるだけの物語。
ただし一定速度以下に速度が落ちると警告を受け。
蓄積で射殺される。
はい、みたいな感じのツイートしました。
2018年2月。
そして今回2025年5月8日。
まあ前からこれ話題あがってたんだろうけど、
たまたま予告編が公開っていう話題をシネマトでヤフーニュース上で見つけて、
そこで知りました。
おーってなって。
まさかのこれは気になるとして、ちょっと記事の方見てみようと思います。
はい、タイトルから見ると歩行速度が落ちたら射殺。
スティーブンキング原作の死のロングウォーク映画化予告編が公開。
ちょっとそのまま読んでみよう。
モダンホラー小説の名称。
スティーブンキングの小説死のロングウォークが原作の映画
ザ・ロングウォークの予告編が
米ライオンゲートのYouTubeチャンネルで公開されたとのことです。
まだ俺映像見てないからちょっと見てみよう。
スティーブンキングが1979年にリチャード・バックマン名義で発表した死のロングウォークは、
近未来のアメリカを舞台に100人の少年たちが参加する年に一度の競技
ロングウォークを描いた作品。
細かいとこ覚えてないんだよな。
漠然とこのぐらいの感覚はあるけど、
何の脈絡もなくいきなり歩いてるシーンから始まったような気がするんだけどな。
ルールはひたすら南に歩くだけ。
勝者には生涯にわたって望むものが与えられるが、
歩行速度が時速4マイルかっこ約6.4キロ以下になると警告を受け、
3度目の警告で射殺される。
最後の1人になるまでゲームは終わらない。
はい、という感じのあらすじとなっています。
ちょっとあれか、テキストで書いた歩行速度をしたら即射殺っていう感じじゃないね。
一応3回目なんだね。
はい、でもうちょっとこの先書いてあるのが、
予告編では少年たちが互いの境遇を語り、冗談を交わし、
励まし合いながら1人また1人と射殺されていく、
絶望的な状況が映し出されているとのことです。
はい、まずちょっとスティーブン・キングについて触れよう。
スティーブン・キングさんというと、有名なところだと、
例えば古くはスタンドバイミー、
あとはイット、それが見えたら終わりだっけ。なんだっけ。
サブタイトルみたいな。ピエロのやつ。
イットとか、あとは、これもずいぶん昔になっちゃうか、
めちゃくちゃ当時でも話題になったし、個人的にも、
宇宙展開の作品が大好きなのでっていうところとか、
ドン電返しが好きっていうところも含めて、ミスト。
はい、突然、街。街というかもう、国全体なのかね。
霧が溢れてしまって、軍隊とか出て、
何が何やらわからない状態で、みたいな。
そう、最後に絶望のラストが待っているみたいな。
まあ、見たことある人多いと思うけど、
見たことない人はこれぜひ見てほしいです。
はい。とか、他に挙げると、
結構古くだと、何て言ったっけ。
名前出てこない。バトルランナー。
なんかね、ゲーム形式になっていて、
囚人かなんかが戦闘に参加するゲームみたいな感じになっていて、
なんかね、あれよくあの時代に描いてたね。
相当昔の、90年代、80年代、ひたしたらこの作品だと思うんだけど。
ターミネーターとかそういう時代かね。
今考えると、今も似たような作品ってあるんだけど、
当時でそういう作品があったっていう感じで、
この辺りはスティーブン・キングさんの作品、
あとあれか、シャイニングとかもそうか。
今だとお笑いのネタとかとして、
モノマネとかとして話題になったりしてるけど、
シャイニングも今見てどうなのかわかんないけど、
相当不気味な世界観というか。
そんな感じで個人的には、
今ってあんまりぶっちゃけ本読まないんだけど、
昔めちゃくちゃ好きで、
結構割といっぱい読んだってほど読んでないかもしれないけど、
いろんな作品を触れる中で、
その中の一つとして死のロングウォークも読みました。
ただね、今思い出した最後まで読まなかったかな。
ぶち壊しになっちゃうかもしれないけど。
あまりに淡々としすぎて、
途中で読むのやめちゃったような気もします。
その世界観めちゃくちゃ惹かれながらも、
どうなるのかなとか思いつつも。
いうとあれなんだけど、
でもね、なんだろうな。
たぶんね、ちゃんと覚えてないから、
あくまで記憶で辿るだけで、
正確ではないと思ってもらいたいけど、
たぶんね、何の意味もくらくもなく、
歩いてるシーンから始まり、
何事かと思ったらいきなり刺さされたみたいな。
で、状況説明が入ってみたいな感じだったと思うんだよな。
たぶんこれも細かい弱さも、
体疲れても歩くしかないっていう、
止まるわけにはいかない。
時速6.4キロ未満以下に落ちると刺さされてしまうので、
3度目の警告でっていうのはあるけど。
そういう状況の中、
時速約6.4キロっていうのが、
どのぐらいか分からない。
そんなにすごい速い速度はないと思うんだよね。
だから別に歩いてればいいっていうだけの話ではあるんだけど、
それが逆に重く心にのしかかってくるみたいな。
なんかさ、ダッシュとかでずっと走りながら
行かなきゃいけないとかさ、
明らかダッシュの速度から落ちて歩いちゃった時点でアウトっていうとさ、
なんかもう体的な限界もあって、
ある人は諦めついちゃいそうじゃん。
もう限界だって。
ただ歩くだけっていうのがここポイントになっていて、
なんかさ、歩くだけならまあなんとかなるじゃん。
と言ってもさ、とんでもない距離歩きゃ足の限界とかさ、
骨痛くなるとかそういうこともあると思うけど、
そういうところの絶妙なこのライン引きというか、
ボーダーラインの引き方っていうのがなんとも言えない状況。
あとはね、記憶にあるのだと多分そういうふうに、
もう完全にそんな感じだったんじゃないかなっていうところで話をしてしまうけど、
なんでこんなことになったのかとか、
回想的にその状況に至るまでのストーリーが多分描かれていると思います。
その中で日常的なこんなことがあった、こんなことがあったとか、
これ分かんない、本当にそんな内容があったか分かんないけど、
こんな状況になるんだったらあの時にこうしとけばよかったとかさ、
そういう後悔の念とかさ、生きて残れたらみたいなところとかも考えたりするじゃん。
そういう中でお互い、さっきあらすじの方にも書いてあったけど、
励まし合ったりとか、動画でも描かれてるって書いてある予告編。
そんな感じの人間模様が工作していくみたいな作品だった気がします。
ひねがたぶん最後まで読んでないな。
っていう状況ではあるんだけど、たぶんね、これね、
もう当時普通に紙の小説で見てるからさ、
微かな記憶だから間違ったらごめんなさいなんだけど、
割と厚めの文庫本で、厚めのなんかこの死のロングウォークっていう作品、
1本だけ掲載した小説じゃなかったっけな。
だからなんかね、この感じで最後までって、
この分厚い本、どこまで、これだけ、この感じでずっと淡々と続くのかなと思うと、
ちょっとね、また今度読もうみたいなので止まってしまって、
そのままなってしまったのかもしれない。
ラストとか全然覚えてないから、たぶん読み切ってない気がします。
でも映画としてなるんだったら見たいっていうのはあるんだけど、
なんかね、そのね、本当にいい作品だっていうところで止まっちゃったままなんだよね。
で、そんな中、スティーブン・キングさんっていうと短編集みたいなのもあったりして、
ミストってね、たぶん短編集に入ったはずなんだよね、あの名作ミスト。
なんかね、これも今回死のロングウォークっていう件についてこうやって触れてるけど、
なんかさ、スティーブン・キングさんの作品って、
映像化不可能みたいな言い方を結構昔化されてると思うんだよね。
キャッチコピー的にそういう風に言ってるだけとかっていうのもあるかもしれないけど、
ただね、なんか映像化してしまうとチンプになりすぎてしまうとかさ、
なんかそういうところで表現が難しいとか、
このなんかさっき言ったみたいにさ、心に重くのしかかってくる感じとか、表現。
そういう意味ではミストはあれか、視覚的にも多少あれか、
そういう部分があったかいいかもしれないけど、
死のロングウォークとかラストとかさ、
もう本当に心の、心的なところじゃん、描く場所って。
まあって言ってしまうとさ、
今最近のデスゲームだったからって全部そうかもしれないけど、
そこに比べると、よりなんかある種設定がマイルド。
マイルドとも言えないかな、
まあマイルドではあるよね、3回まで大丈夫だったりさ。
なんかもっととんでもなく理不尽に死んじゃうものとかもあったりするじゃん、
最近だと。
でね、ミストっていうのも同じように、
これいつか映画化されたりするのかなって、
すごいワクワク、ワクワクというか、
してくんないかなみたいな長い長い間思っていて、
映画化されて、まさかの映画化っていう感じで、
と言ってもあれか、ずいぶん前か、ミストに関しても。
あれね、実際に見てみて、
それも小説読んだ時の当時の記憶で、
さっきの死のロングウォークと同じ、曖昧なんだけど、
明確な描写ってのがあんまなかった気するんだよね。
全体的にぼかしてるんだけど、
映画の方も視覚的な情報はっきり覚えてないけど、
スーパーマーケットのシーンってあったと思います。
小説側で、小説ってさ、
小説本読む人だからとわかると思うけど、
勝手に頭の中で脳内再生されてくじゃん。
自分でキャラの見た目こうかなこうかなとか考えることもなく、
いつの間にか頭の中でそのキャラが存在して、
そのスーパーマーケットだったらスーパーマーケットの、
例えば棚の並び方とかさ、商品がどこにあるかとかさ、
バックヤードここから入るとかそういうのは勝手に頭の中で浮かんできたりすると思います。
ストーリー進行していく。
なんかね、その感じで勝手に再生されていたスーパーマーケットの中に
霧がこう、押し寄せてきて、
なんかね、そこに化け物がいるみたいな。
なんだっけ、もう完全にこれ嘘かもしれないけど、
映画側も、小説側も覚えてないけど、
なんかタコ、タコを飼ってイメージするんだけど。
そうで、そこにめちゃくちゃドキドキしながら、
当時読んでいて、
これが映像化された時に、期待感と反面、
いや、めっちゃチンプになっちゃうんじゃないのかなっていうところも思いつつ、
で、映画を見て多分ね、大満足だった気がします。
よく本当にあの感じを再現したなみたいな。
言っても繰り返しになるけど、長い期間経ってるから、
なんかね、それこそ美化して、
美化してというか、もう映画化されたことで満足しちゃってるとこもあるのかもしれないし、
まあ、とは言ってもな、
感覚的に違えば、いや微妙って、
個人的な性格からしても思うだろうかな。
だから満足だったんだろうね。
何よりもあの作品に関しては、
本当に最後のどんでん返しと、
宇宙、完全な宇宙展開っていう感じのところで、
満足したってところは個人的に大きかったっていうところが、
一番だと思うんだけど。
そうそうだからね、そんな感じで、
うん、なんかね、
ずーっとずーっとこの心の奥底というか、
にずっと、
留まっていた作品みたいなのも一つなんだね。
読み切ってないくせに何言ってんだって話あるんだけど、
でね、主人公が女性の検視官で、
描いてる人も女性なんだけど、そう、でなんかね、
いろいろと、まあ、事件に対しての捜査とか、
科学的な捜査とかっていうのはもちろんなんだけど、
その犯人を探したりとかさ、証拠を探したりとか、
アリバイ崩したりみたいな要素もあるんだけど、その時に
重要になってくるのが、まあ、その検視官っていうテーマの掘り、
その検視解剖、検視解剖っていうのか、解剖を行って
いろんなことを調べていくわけよ、DNAがどういうことか、
で、そこと並行して、その主人公自体の
人生観とかっていうのもすごい描かれて、
だからね、考えようによっては、当時さ、高校生だからさ、
感覚なんてわかんないと思うんだけどさ、何をそんなこと悩んでんだろうな、
みたいなことを思いながら見てたんだよね。
な、なんていうの?なんていうのかな?
なんかね、特にね、当時で感じたことが、なんか年齢に関して
っていうのはすごいね、本人がね、思い悩んでいるというか、
そういう感じだったのかね。バリバリなキャリアウーマンな感じだし、
主人公が。なんだっけな、
なんかね、まあこのままでいいのかみたいな、その検視官として
働いてはいるんだけど。で、恋人とかもいるんだけど、その設定とか、
なんかね、そういうところ、年齢、まあ今になって、
自分が年をとって、そこに重なるわけじゃないんだけど、
なんか当時はさ、高校生の状態でそれを読んでいるか、感覚って
何もわかんないしさ、特にね、ちょうどね、そのベンチに
座って読んでいたときに、まさしく見たシーンっていうのがね、
なんか謎に印象に残っているシーンがあって、
なんかその主人公の、
あれ死に該当するような人が、
なんかね、夜に鏡を見ては
ため息をついているみたいなシーンがあったの。で、それが
なんでため息をついているかっていうと、なんか
自分が年をとったっていうことに対しての、なんかその思いから
ため息をついているみたいな描写だったのね。そう。
で、たぶんね、当時のね、明確に覚えてるわけじゃないけど、
いやいや、そんなもん悩んだってしょうがないじゃん、みたいな。
なんか、年とったものは年とった。年とったのがどうにもなんないじゃん。
若返るわけにもいかないし。とかって思ったんだけど、
まあそれはやっぱりあれだね、当時高校生の感覚だったんだろうな
っていう感じ。まあ自分がさ、年をとってきてさ、
当然いろいろ思うことなんてあるじゃん、誰しもが。
そう、なんか今読んだら何を思うのかなとか
思いながら、そう。なんかあの、
まとまりも脈絡もないんだけど、ほんとにその小説、
昔の小説っていうところから、そのパトリシアコンウェルさんの
検出館シリーズ、それをなぜかね、いつまでもずーっと
その川沿いのベンチで
読んでいたあのシーンが頭に浮かんでくるんだよね。
その後になんかあったかな、特に何があったってことも
ないと思うんだけど、どうしたかも覚えてないんだけど、
遅れて学校に行ったのか、行かずに例えば帰ったのかとか
も記憶ないんだけど、多分なんかあの頃の感覚で言うと
いやでも夕方まで過ごすって
難しいか。どうだろうね。
まあみたいな、ちょっと話めちゃくちゃされたけど。
そうだからさ、
その今言った検出館シリーズっていうのはめちゃくちゃ面白いんだけど、
今読んでも面白いって思う人はいると思うの。
特にあれかね、今言ったまま
ある程度年齢を重ねた上で読んでこそ深みを感じる
作品なのかもしれないです。
ただ、もしかしたら今見ても逆にちょっとさっき言ったことを矛盾したけど
面白くないって思っちゃうのかなって思う側面が
やっぱり海外ドラマっていうのがさ、すごい勢いでこう
展開していて、すごい勢いでこう見ているわけじゃん。
そこと比較するような形になってしまうと
いやー微妙だなって思っちゃうのかどうなのか
みたいなところも思いつつ。
だから検出館シリーズなんてそれこそ海外ドラマなんないのかなとか思ったんだけど