第13回目のキッカケインタビューは、今やTVCM放送もしている多くの人が知っているHP制作ツール「ペライチ」のファウンダーでもあり、エンジェル投資家と2度目の起業にチャレンジ中の橋田一秀さんです。1983年生まれの40歳でFORTYど真ん中の世代であり、新卒をNTTデータという大手からキャリアをスタートさせて途中でエンジニアに職種も変えてスタートアップを経てペライチを創業。その後、ラクスルから大型資金調達など華々しい実績を積み重ねているエピソードは多くのメディアに登場していますが、実は20代の頃は多々の苦労しているエピソードもあり、そんな話を赤裸々に語って頂いてます。同世代として学び多く、またこれからチャレンジをしていく20代の方にもぜひ聴いて頂きたい回です!橋田さんのPodcastではスタートアップ創業に関する起業家・起業家予備群に役立つ情報配信しているので、ぜひそちらもフォローしてみてください。 【キッカケストーリー】 1983年東京生まれ。東京理科大学工学部電気工学科修了後、株式会社NTTデータに就職。1年半で退職し、株式会社うるるでほぼ未経験ながらエンジニアとして就職。4年3ヶ月の勤務後に様々な出会いを経て2014年に株式会社ペライチを創業。0⇨1の事業立ち上げを行い、3度の資金調達を経て、2020年にラクスル株式会社から大型資金調達を実施。その後会社の成長フェーズの推移に伴い、2023年4月全役職を退任。同時にスタートアップを支援する組織、株式会社BOOTを設立。 エンジェル投資家としては2022年から投資活動を開始し、40件ほど実行。 ■本日のパーソナリティ こどもの未来株式会社:千葉祐大(https://twitter.com/Baccho1983) ■本日のインタビューゲスト 橋田 一秀さん

株式会社BOOT HP:https://bootinc.jp/

BOOTUP RADIO(Podcast):https://podcasters.spotify.com/pod/show/iafl5ngpkj/episodes/BOOTUP-RADIO-1-B-Dash-Camp-e24ibis この番組「40(FORTY)」は,、30〜40代の生き方・働き方を応援する音声番組です。 人生100年時代、ライフステージの変化の大きな世代も以前に比べて様々なチャレンジを求められることが増えてきたと感じます。 同世代の生き方・働き方を等身大でインタビューするコンテンツも週1回のペースでお届けする予定です。 パーソナリティは、こどもの未来株式会社の代表の千葉が担当します。 1983年1月生まれ、私自身が40歳になったことをキッカケにスタートした番組でもあります。 40歳を迎え、改めて30代の過ごし方を振り返り、40代の10年間をどう過ごしていくかを自分自身が考えるにあたって 日々情報収集していることや取り組んでいることも平日は毎日10分ずつお届けしていく予定です。 30−40代を応援する番組ですが、今の10−20代に対しても少しでも参考になればと思っていますし 50代以上の先輩方の生き方も参考にさせて頂く為にスペシャルゲストとしてお呼びする機会もあると思ってます。 こどもの未来株式会社では 「こどものみらいがワクワクするキッカケをつくる」ことをミッション・ビジョンに掲げており、 「自分が主人公の人生」を生きる人を1人でも応援するために、「生き方」・「働き方」/「仕事」と「育児」の両立をサポートする人材紹介事業もおこなっております。 ▼千葉祐大 個人のSNS Twitter:https://twitter.com/Baccho1983 Instagram:https://www.instagram.com/yutachiba1983/ Facwbook:https://www.facebook.com/Chibayuta note:https://note.com/babytech2020 mail:yuta.chiba@kodomono-mirai.co.jp ▼こどもの未来株式会社 HP:https://www.kodomono-mirai.co.jp/ note:https://note.com/kodomomirai Meety:https://meety.net/matches/rOPStmnWeJfz Yourust:https://youtrust.jp/users/yutachiba E-mail:contact@kodomono-mirai.co.jp


00:11
40代、30代、40代の生き方、働き方を応援する番組です。
パーソナリティの子供未来株式会社の千葉です。
今日ですね、きっかけインタビューという毎週やっている企画のもう12人目かなというところでして、
まさに同世代で、会社員からキャリアをスタートして、サービスを立ち上げて、バイアウトをして、今2度目のチャレンジをしているという、
いわゆるシリアルアントレプレナーと呼ぶ方に来ていただいているので、インタビューをしていきたいなと思っております。
今日はまた一緒のパーソナリティのグロースXの佐藤さんにも来ていただいているので、佐藤さんよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。グロースXの佐藤でございます。
本日のお話をお伺いしていただきます。
はい。
お願いします。早速ではご登場いただけますか?
はい、いきましょうか。どう紹介していいかわからないので、いつもの名称で僕が言いますね。
8Cさんよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
お願いいたします。
ちょっとエピソードが長すぎて、収められるかどうかが一番難しいインタビューになるかなと思っているんですけれども、
8Cさんと呼んでしまったんですけど、簡単な自己紹介をまずお願いしてもよろしいでしょうか。
はい。株式会社ブート、代表取締役の8Cだと申します。
今、わかりやすい説明で言うと、おそらくもともとフェライチという会社を創業して、
そこを9年やって、最近、自分の持ち分株式を売却して、新しくまた会社を立ち上げたみたいなステータスになりますと。
主にやっていることが、いわゆるエンジェル投資家という仕事をやっていて、
現在、国内外のいわゆるスタートアップ企業に40社ぐらい投資をしていて、
そこの期限であったりとか、もうちょっと幅広くスタートアップの界隈を盛り上げていきたいなというふうに思って活動しております。
よろしくお願いします。
お願いします。ありがとうございます。
そうですよね。最近、8Cさんとちょこちょこ会う機会が増えてきて嬉しいなと思っているんですけど、
エンジェル投資、40社やってるって、やっぱりペースが早いなというのも。
結構やってます。
いろいろ聞いていると思うんですけれども、僕と坂井さんのほうに同齢というか、同い年の世代だったりするんで、
どういう経緯でそなたがっていうのを、ぜひコーティーのユーザーにも届けたいなと思っております。
じゃあ、ベタですけれども、ファーストキャリアのところからぜひ伺いたいなと思うんですけれども、
会社はどちらだったんでしたっけ?
NTTデータというですね、いわゆる日本で最大級のSI企業、システム企業ですね。
今の失礼というか偏見かもしれないですけど、発信者から大企業からスタートしたんだみたいなことを、
僕は結構後半に会ってるんで思ったりするんですけれども、
そこを選んだ社会人のスタートの経緯とか、もしくはちょっと聞きたいなと思ったのが、
03:06
もともと独立をする志向とかっていうのがあったのかも知れないけど、合わせて聞いてみてもいいですか?
それは学生時代から社会人成り立てぐらいの時に関してですよね?
そうですね。
その時、企業主体とか全然なかったんですけど、
その後の話をしたほうが分かりやすくて、実はNTTデータを1年半ぐらいでやめるんですよ。
でもやっぱりその頃、例えば大企業に入ってみて、
こういうものかっていうのが解像度上がって見えてきたっていうところと、
もちろんすごいいい会社で、非常に皆さん優秀で大きいものを作っていくっていうのはすごく経験として良かったんですけど、
僕のプライベートの友達とかで結構好き勝手生きてるやつがすごく多くてですね。
カフェ始めるって言って、お金ないから全部内装の前の、
いぬきの場所をもらってそこ全部壁壊すところから始めて、
自分たちで加工工事やってとか、そういうところから始めちゃってるやつとか、
友達とルームシェアとかしてたんですけど、結構好きなことやってるやつが多くてですね。
そういうの結構影響を受けたかなと思ってて、
自分は大企業に勤めていて、
20年かけて、僕だから就職して、
最初の就職から18年ぐらい経つんですけど、
15年とか20年かけて、こういういわゆる出世コースというか、
部長とかこんな感じなのかみたいな、
そういうイメージを持って結構長いなっていうのは、
その時入社して思った感想ですね。
なるほどですね。
なんか理由があって、会社辞めて好きなことやろうかなとかっていうのは、
ちょっとその時思いました。
ありがとうございます。結構でもそうですよね。
環境に人は当然影響されるっていうのは、もちろん誰でもそうかと思うんですけど、
ここからルームシェアしてるって話とか初めて聞きましたし、
周りの友人っていうところの影響もあったんだなっていうのは、
なるほどなと思って聞いていて。
ありがとうございます。
そしたら、その先じゃあまた違う会社に転職をするっていう感じなんですかね、
1年半で辞めた後。
1年半で辞めた後、実は1回友達と起業しようと思って失敗してるんですよ。
そんなに?
そうそう。
で、それこそルームシェアしてた友達と事業やろうと思ったんですけど、
全然なんかやっぱ事業やったこともないし、
結論揉めて、ルームシェアしてる人と揉めるってむちゃくちゃしんどいんですよ。
4,6時中一緒にいなきゃいけないし。超揉めました。
めっちゃしんどくて。
06:01
で、ルームシェアそのときは3人でシェアしてて、
もう1人の人は一回りぐらい上の歳の人で、僕らが25歳とかで、
もう1人の人が35,6歳、6,7歳ぐらいだったと思うんですけど、
その人は別に事業に関わってなかったんで、仲裁してもらってましたね。
なるほど。お兄さんがこう堂々と。
お兄さんが。でもなんか向こうも折れないし、
今思えば握りがよくなかったなって思っているんですけど、
すごい端的に言うと、僕は共同創業者と思ってやってたんだけど、
向こうは僕に雇われた人だと思っていたみたいな。
だから講師料、セミナー事業とかもやってたんですけど、
講師料払いみたいな、そういう揉め方だったんですよね。
なんかシンプルに握りが甘かったっていうところだったんですけど、
それでそういうのもあって、いや貧道と思って、
で、ルームシェアを解消して、1回実家に帰って、
実家は都内なんで、田舎から出てきて戻りましたとかっていう話じゃなくて、
都内の実家に頭下げてもう1回入れてもらって、
そこから知り合いの仕事を手伝うみたいなことをやってたんですよね。
実家も辞めちゃったし。
で、その時に結構、俺どうしたらいいんだっけなーみたいな、
僕はその期間のことをモラトリアム期間って呼んでますけど、
モラトリアムしてたんですよ。本当はどうしたらいいんでしたっけみたいな。
で、結構いろいろ仕事を手伝ったりとか、いろいろ自分で人生どうしようかなって考えた時に、
やっぱり自分はインターネット好きだなと思ったので、
やっぱりそれでいきなり起業するっていうほどのアイデアもなくて、
だったので、まずはインターネットをやってる会社に入ろうと思って、
転職活動をするんですよね。
なんですけど、社会人3年目、ブランク半年以上、
しかもリーマンショック直後みたいな感じだったんで、
マジで転職史上冷え込んでるんですよ。
一番使えないキャリアの人ですよ、マジで。
そうなんですよ。
なるほど、そんなきっかけがあったんですね。
洋ちゃんすごいですね。僕ら同齢だから、僕と洋ちゃんその頃まだ新卒1社目の人材で働いてた時代なので、
リーマンショックがリアルな鮮明をよぎるだけではあるんですけど、
なるほどなと思って。
本当そんな感じですね。
なのでそこから会社辞めて半年経ってたんですけど、
次の転職先を探してたんだけどなかなか見つからず、
自分もこれだみたいなところが軸が定まりきってなくて、
いろんな会社を見てみたりとか、書類出してみたりとか、
ほとんど書類で落ちるんですけど、
なんかやってましたね。
09:00
結構リーマンショック後で転職活動で結構苦労されたっていうところだと思うんですけど、
そこから環境が変わったきっかけとかっていうのは次どういうものがあったりするんですか?
ゆるゆる転職活動、別に1日面接を何本もやってるみたいなステータスじゃなくて、
ゆるっとやってたんですけど、
週1、2回ぐらい転職サイト見てポチポチしながらやってたんですよね。
たまに書類が通るので会いに行くみたいな感じ。
今みたいに、当時2009年だったんでカジュアル面談とかなくて、
とりあえず書類出して、ひたすら書類出して一時面接行くみたいな感じですよね。
だから多分週に1本面接あればいいほうみたいな感じ。
ゆるゆるとやってたんです。
お仕事を手伝いながらゆるゆるとやってたんですよ。
それからしばらく経って、あるときに僕の友達が連絡くれて、
当時ガラ系でしたよね、スマホ系じゃなくてガラ系で友達からメールが来て、
ハッシー転職活動してるんだってと。
いい会社あるから受けてみなよって連絡いただいたんですよ。
僕の知り合いの、彼の知り合いの会社がいい会社だと思うから、
今人募集してるから行ってみてって連絡くれて、
つないでもらって行ったのがうるうるだったんですよ。
2009年の秋ですね。
10月ぐらいだったと思うんですけどね。
せっかく紹介いただいたんで、わからないけど行ってみようって。
でも実際ウェブサービスを作っている会社だったので、条件には合致すると言ってみたんですね。
行ったらものすごいベンチャー企業で、オフィスが今も勝時にあるんですけど、
当時は勝時駅徒歩2分の倉庫ビル、駅が近かったんですけど当時。
めっちゃ駅が近くて、駅から近い小さい倉庫ビルだったんですよ。
6階建てで、1階がすごい倉庫になってて、要は天井高くて、
トラックが3台ぐらいつけれる。
わかります?倉庫ビル。床が高くなっているところ。
だからその床が高くなっているところに階段があって、
その階段の床が高くなっているところに雨晒しのエレベーターがあって、そこが入り口みたいな。
6階建てで、4階と6階が当時オフィスで。
面接受けに行って、4階だったかな。4階のところに行ってですね。
いきなり社長とCTOが面接なんですよ。
もう早速わかる。
いろいろ話を聞いてですね。
そのとき、今から14年半ぐらい前の話なんですけど、
今でも覚えている質問が1個だけあって、
12:00
社長から、何でここ来たの?みたいな話とかいろいろあった後に、
要はWebサービス将来作りたいと思ってますって自分で言ってるんですよ。
なるほど、企業したいんだみたいな。
企業っていうほどのものかどうかわかんないですけど、
自分で将来的には作れるようになりたいですみたいな。
社長から、それ作ったら実際いくら稼ぎたいの?みたいな。
年報いくらぐらい欲しいの?みたいな。
独立したら年報いくらぐらい欲しいの?みたいな。
全然考えてなかったんで、とりあえず僕2000万ぐらいって答えたんですよね。
ちなみに、そこから自分で、その後僕ペラリッジを立ち上げて会社経営するんですけど、
年報2000万円になったことはないですね。
ないない。それはさておき、僕その質問だけはすごい覚えていて。
あとCTOから聞かれたのが、当時僕、エンジニアになるんですけど、
エンジニアになりたかったわけじゃなくて、
プログラミングって僕何回か学生時代とか、それから社会人1年目とかで研修とかでやってるんですけど、
もう全然つまんなくて挫折してるんですよ。
だったので、全く僕はプログラマーにはなるまいと思っていたんですよね。
企画とか好きなんで、いわゆるディレクターとか、もっとビジネス職に憧れてたんですよね。
そういう職種がいいと思ってたんですけど、残念ながらその時のウルフにはその職種はもうないですと。
ただエンジニアだったら対応できる可能性があると言われまして、CTOから。
特に将来自分でサービスを作りたいんだったら、自分でコードをかけたほうがいいと思うし、
もともとSEやってたからなんとなくの素養あるんじゃないみたいなところで、
それで先行進めてみないかって言われて、うーんみたいな。
そうちゃそうかもと思ったので、それで進めてくださいって、それで進むことになるんですよね。
なるほどね。いやいいですね。ウルフのスタート生々しいというか、当時はそうされるような話が。
ウルフって会社は今は上場してね、すごいね。
僕も会社なんですけども、そこで橋田がいたっていうのがやっぱすごいなと思いますし、
代表のおじさんとか顔が浮かんでてね、個人的に楽しいなと思って聞いていますけれども。
本当にお世話になってて。
僕も今でも4年と3ヶ月その後に在籍したんですけど、今でも社長って言ったら星さんのことになっちゃうんです。
僕は星さんのこと社長って呼んでるんで。
社長って言うのも星さんのことをすごい。
良いですね。後半、橋田さんと言えば知ってる人も多いので。
15:02
今ベライチってテレビCMとかもまだやったりしてるんで知ってる人も増えてると思うんですけど、
その橋田さんになる前のエピソードを聞いて個人的にはめちゃめちゃ楽しいなと思います。
この後も結構不意を曲折ありまして。
一番最初にMTって言ったキャリアって何の職種で入ったんですか?
いわゆる総合職で入って、500人ぐらい同期がいて、
専門職採用が一部あるんですけど、
高専卒でプログラミング性がある人とかが1割ぐらいいて、
それ以外は総合職採用で、
いわゆる配属ガチャがあるわけですよね。
3ヶ月研修やって終わったら、
君は明日からここねみたいになるわけですよ。
その時も僕は法人、NTTでやって今は分かんないですけど、
当時ものすごいでかい会社だったんで、
大きく公共部門、法人部門、金融部門みたいに分かれていて、
あとはその他、バックオフィスとかってなってて、
要はクライアントに向いてるクライアントの大きいカテゴリーが3つありますと。
大体はその3つのどれかに配属される。
あなたは法人部門で、法人部門行ってくださいみたいになって、
行くと20人、30人ぐらい配属されてて、
その中のまるまるプロジェクトですみたいになるんですよね。
っていう感じで、僕は何してたかっていうと、
法人事業部に配属されて、
SAPっていうドイツのパッケージソフトがあるんですけど、
それをカスタマイズして導入することをやっているプロジェクト。
大きい部門、SAP部門みたいなのがあって、
エンティティデータの中の、
それの部署に配属されましたね。
なるほど。
カスタマイズ導入のお手伝いを。
新卒1年目になったらほとんど役に立たないんですけど、
そんなことを学びながら、いわゆるOJTやってましたね。
やってました。
なるほど。
結構ね、やっぱり何て言うんでしょう、
先ほどそれどの会社にいたかもそうですけど、
どういう方向を触手だったかみたいなことで、
ゆくゆくのところに関わってくるのかなと思ってます。
いわゆるSEです。
エンジニアも頑張れるかなみたいなね、
さっきの面接のときの話で。
実態で言うと、
エンティティデータのいわゆるプロパーシャリのSEって、
ほとんどコード書けないんですよ。
書けなくて成り立つ仕事なんですね。
いわゆるシステム開発って、
ウォーターフォールって聞いたことあります?
ウォーターフォール型でほとんど、
大きいプロジェクトってそうやってやるんですけど、
18:01
その中でいわゆる上流工程、
設計して製造する、
製造っていうのはプログラミングを書くことですけど、
プログラムの手前までをやって、
顧客セッションして、
作るものを決めて設計しますと。
設計の後はいわゆる、
二重系、三重系の人たちが入ってきて、
コードを書くみたいな、
いわゆるITどかたって言われるの、
そういう理由なんですけど、
グループ会社の人とか、
協力会社の人が入ってきてコードを書く。
主にコードを書く。
その手前とその後、
テストとか納品するみたいなところは、
いわゆるプロパーシャリとか、
近いグループ会社の人がやるって感じですね。
なので、実態としてはほぼコード書かないんですよ。
NTTデータのSEって。
なので、僕はほぼコード書けませんでした。
そのときまでは。
研修でやるんですよ、3ヶ月ぐらい。
2ヶ月ぐらいJavaの研修とかやるんですよ、Java。
なんか超つまんなくて、
ほぼ座学で、
もう嫌だと思って、
全然真面目に受けていませんでした。
おもしろいですね。ありがとうございます。
それででもウルルで、
長谷さんからですね、
一緒にやれるとかで、
やりますって入るのがまたおもしろいな。
これもう一個エピソードがあって、
入社のエピソードがもう一個あって、
そのままさっきの一時続きですけど、
一時面接が終わりましたと。
その後、社長からいきなり飲みに行こうって言われるんですよ。
今思えばぽいなって感じなんですけど、
マジっすかと思って、
じゃあ行きますかって。
合否も明らかにならないまま飲みに行くんですよ。
これ逆の立場に立つと、
こいつ見込みあんだと思ってるから、
飲みに誘ってるわけですけど、
マジかと思って、
じゃあ飲みに行きましょうって。
行きつけの中華料理屋に行ってですね。
駅前の行きつけの中華料理屋に行ってですね。
社長と僕と、
当時のCTOの長谷さんは、
システムトラブルのため来れず、
サーバー落ちまくってたんで来れず、
副社長の岡山さんと、
それから紹介してくれた友達と、
4人で飲みに行ったんですよ。
一言で言うと、
この人たちめっちゃいい人だなと思ったんですよね。
経営陣がめっちゃいい人たち。
すごくいいなと思ったんで、
もし合格したらこの会社入りたいなっていうふうに、
そのとき思ったんですよね。
だったんで、
実際それで合格して、
次が二次面接ですって言われて、
二次がおそらく最終。
次技術テストがありますって言われて、
翌週行って、
昼間に行って技術テスト受けるんですよ。
その技術テストが、
いわゆるペーパーテストなんですけど、
本当にプログラミングの問題が書いてあって、
それを紙に書くっていう感じなんですよね。
ちなみに僕の結果は、
そのテスト40点満点中、
2点だったんですけど、
21:02
2点ですが内定が出ました。
新卒3年目のポテンシャル対応で、
内定が出まして、
これちょっと理由があって、
僕はプログラミングは確かにできなかったんですけど、
基本的にプログラミングの問題なんですよ。
例えばですけど、
いわゆる、
FizzBuzz問題っていうのがあって、
これ有名なプログラミングの問題なんですけど、
Googleでは出てくると思います。
FizzBuzz問題ですね。
これ何かっていうと、
問題はこうで、
1から100までの整数を表示するプログラムを書いてくださいと。
ただし、3の倍数のときには、
Fizzと表示して、
5の倍数のときはBuzzと表示しなさいと。
もちろん15の倍数のときはFizzBuzzと表示するんですけど、
っていうプログラムを書きなさいと。
すごいシンプルな問題なんですよ。
シンプルな問題だからこそ、
結構プログラミングのレベルが出るんですよね。
書き方、
よくプログラミングやってることなくても、
書く人とか書き方によってめちゃくちゃプログラムって、
性能の差も出るし、
過読性、見やすさの差も出るんですよね。
見やすさがいいってことは、
後で変更したときにミスが起こりにくいわけですよ。
パッと見で書いてあるコードを見て、
どういう動きをするかを読んだ人が理解しやすいから、
それを回収するときもミスが起きにくい。
もちろん自分でレビューしてもミスが起きにくいわけですよ。
なので、
性能もそうだし、
過読性も問われるような問題なんですけど。
僕は全然プログラミングできなかったんで、
ただ、
数学の問題みたいに解いたわけですよ。
Nイコール1みたいなのあるじゃないですか。
高校とかの数学の問題で。
1から100まで表示しますと。
If Nが3の倍数のときとか書くわけですよ。
うろうぼえのプログラミングで書くんですよ。
それで書いて、
文法は全く合ってないけど、
ロジックは合ってるよね。
だから、
○か×かで言えば×だけど、
こいつ分かってるなって思われたから、
多分合格したんですよね。
僕は必死だったわけですよ。
そのとき、
もう26歳で後がなかったんで、
この会社入れなかったら、
もうちょっとまたモナトリアム続くのかなと思って。
結構後がなかったんですよ。
必死でしたよ。
なので、
プログラミングは別にできないけど、
頑張ろうと思ってですね。
なるべく頑張って回答したわけですよね。
SQLの問題とかもあって、
SQLも別にSQLのセレクト、
24:02
アスタリスクとか書けないわけですけど、
この情報を取り出したければ、
このテーブルとこのテーブルをキーにしてくっつけて、
みたいな説明を書いたわけですよ。
こいつ分かってる。
なんとなく分かってると、
見込みあるなと思ってもらえたんじゃないかなと思います。
いいですね。
若い頃の人、
楽しくてボリュームも効いちゃってるんですけど、
すごいありますよね。
僕は1社目の定職のときに、
人材で広告のリスティングの運用とかで発注してて、
2社目、
SEMの運用に行ってるんですけど、
運用担当の募集で来たときに、
リスティング運用できますかって言われて、
僕、代理店の発注でディレクションしてたけど、
自分で提言をしたことなかったんですよ。
でも、もうできますって即答して帰って。
何とかするっていうね。
何とかしたっていうことを思い出したので。
長尻に合わせるって大事ですよね。
ぜひ聞いてる人は、
カッシーさんにもそうだっていうのは、
勇気のあるエピソードかなと思うんで。
前半と後半でいくので、
前半ちょっともう1個ぐらい
エピソード聞きたいなと思っていて。
ウルルで4年半、
もう2個ぐらい聞きたいかな。
すごい成長されたというか、
やったことがあるので、
その辺聞きたいなと思うと、
あとそこの次が多分、
皆さんが知ってる、
ペライチを創業したかっていうところだと思うんで、
ちょっとそのぐらいまで聞ければ。
入社直後の、
それで結局入社するんですよ。
入社直後のエピソードとしては、
2009年の年末ぐらいに入社をしてですね。
最初1日目に入社したら、
本が6冊ぐらい積まれていて、
じゃあこれやってねみたいな感じなんですよ。
朝と夜だけ質問していいよみたいな。
基本そういう感じ。
CTOはさ、
さっき言ったように、
システムトラブルでサーバー落ちまくるし、
当時、
だからサーバーリソースが貧弱すぎて、
ユーザー増えてたときちょっと増えてて、
オンプレのサーバー、
オンプレっていうか、
多分サクラのサーバーだったと思うんですけど、
サクラのサーバーが根を挙げまくっていて、
頻繁に落ちると。
作ってたシステムのサービスの、
CDを1人で作ってて、
そこに業務委託の外部の人が1人と、
それから、
僕ともう1人同期入社の初心者が2人みたいな、
僕ともう1人はほぼ戦力、
まだ本番のコード触ってない、
システム関わってないんで、
もうなんか、
ほぼだからCTOと業務委託1人でやってたみたいな状態。
当時AWSが出てきたぐらい、
まだ日本のリージョンとかなかったぐらいなんで、
でもやっぱこれやばいから、
AWS移行しようみたいな話で、
翌年AWS移行したんですけど、
そんな感じの状態で、
CTOとかもう全然、
僕とかもう1人もいたんで、
構ってらんないんで、
とりあえず入社して、
ひたすら社協、社協って分かります?
本に書いてある、
社協ってお坊さんが、
お経を書き写すことを社協って言うんですけど、
27:02
社協を写すですね。
これよくプログラムの業界で使われてて、
要は教科書に書いてあるコードを、
そのまま見ながら書き写し、
プログラムエディターに書き写して、
それを実行すると。
でも動かないと。
社協したはずなのに動かないと。
というのを自分であらこうだ唸りながら、
ここが一文字スペルミスってるとか、
最初そういうふうにやったわけです。
今となっては、
今となってはいろいろオンラインで学べるプログラムもあるし、
プログラミングスクールもいっぱいあるじゃないですか。
当時そんなものはなくてですね。
なので本で勉強すると。
ローカルに環境。
ローカルのパソコンに環境作って、
本で同じように書き写して、
あ、動いたとか。
本に書いてある、
じゃあこうするにはどうしたらいいでしょうみたいな、
ものを自分で考えてコードを書くというので、
トレーニングするわけですね。
でも当時ラッキーだったのは、
超ラッキーで、
要は新卒1年目ぐらいの給料、
20万ぐらいもらいながら、
実はそれやれてたので、
お金もらいながら学べる環境があるっていうのは、
めちゃくちゃラッキーですよね。
すごいありがたかったなと思ってて。
それでやってたんですけど、
僕実は最初全然素質がなくてですね、
プログラミングの素質がなくて、
全然もう使い物にならなかったんですよ。
何か数ヶ月やったんですけど、
全くレベルが低くてですね。
レベルが低くてですね。
なので、
半年経ったところで、
最初は、
ちょっと今話したのに、
うるうるのエピソードを聞いてる途中だったんですけど、
最初は苦戦されてたんですね。
いやもう苦戦して、
そうだから結局全然できるようにならなくて、
半年経ったときに、
一応使用期間ってあるじゃないですか。
そうで、
使用期間で、
僕全然ダメだったんで、
これクビになるかなと思っていて、
クビになるかなと思って。
もう全然ダメ。
もうマジでダメ社員でした。
半年間使用期間あるじゃないですか。
で、使用期間が終わりそうなときに、
だから半年経ったけど、
全然戦力になってなくて、
一個も本番のソースコードにコミットできてなかったんで、
やばいと。
僕自身もこれダメだろうなって思っていて、
11月に入社したんで、
5月か5月の、
すごい今でもそれ覚えてるんですけど、
当時CTOの長谷さんに呼ばれて、
ハッシー飯行こうかって言われて、
飯連れてってもらったんですけど、
勝利時代だったんで、
トリトンスクエアって、
30:00
でっかいタワーみたいなの3つあるんですけど、
そこの焼肉屋に行ったんですよね。
焼肉屋に行って、
僕冷麺食ってたんですけど、
冷麺の味全然覚えてなくて、
これクビだろうなと思ってたんですよ正直。
これダメだなと。
僕自身は頑張っているつもりなんだけど、
結果としてアウトプット全然出てないと。
だから僕自身ダメだろうな、
ダメだったらどうしようかなって思ってたんですよ。
その時彼から言われたのは、
ハッシーと、
現状成果が正直出てないですと。
このままだとちょっと置いておけないねと。
これも多分一生忘れないなと思ってるんですけど、
ベンチャーって普通じゃダメなんだよねと。
ちょっとすごいぐらいじゃないと、
ベンチャーで働くっていうのはちょっと難しいと思うと、
言われまして。
ごもっともですと。
どうするって言われて、
僕はその時、
これ多分ダメだろうなと思ってたけど、
でも半年間、
自分の中で結構本気でやってたので、
ダメだとしても、
エンジニアの道を諦めたくないんで、
どっか自分で、
他の会社を探す、
転職活動するかとか考えてたんですよね、
みたいな話をしたんですよ。
そうしたら分かったと。
じゃあ、
正社員じゃなくてアルバイトだったら置いておけるよって言われて、
じゃあそれでお願いしますって。
時給1000円ぐらいのアルバイトになりました。
まじですか、そんなことあったんですか?
全然知らなかった。
手取りが3万円ぐらい減りましたけど、
それでも一応置いてもらってたんですよ。
だから、
基本1日8時間の、
20日で160時間、
もうちょっとか、176時間とか、
×1000円、
17.6万円。
手取りが13、14万ぐらい。
でも全然実家で住んでたから、
お金かかんないんですよ。
お金もらえてるだけええやんけっていう話なんですけど、
それで置いてもらって、
あるとき、
ちょっとある仕事を任せてもらって、
そこでグッと伸びたっていうか、
エンジニアだけじゃないかもしれないですけど、
特にエンジニアの成長曲線って、
人の能力の成長曲線って、
いわゆるこうなること多いじゃないですか。
これポッドキャストですよね。
緩やかに、
これ今画面で手でやってますけど、
要は波があるというか、
リニアに斜め直線で伸びるわけではなくて、
33:00
ちょっと上がって平坦になって、
ちょっと上がって平坦になって、
っていうことを繰り返すっていうのが、
細かい一般的に言われていることだと思うんですけど、
僕自身もそうで、
ずっとこう、
ずっと下をたどって張っていて、
ちょっと大変な仕事のときとか、
よくギリギリの負荷で成長するとかっていうと思うんですけど、
そこでグッと伸びて、
何かを掴んで、
自分の中ではプログラミングのコツじゃないけど、
何かを掴んで、
グッとできるようになって、
そこからある程度成果を出せ、
コンスタントに出せるようになってきた、
っていうタイミングがあったんですよ。
それが来るのがすごい遅くて、
一方で同期ニュースした彼とかは、
もうちょっと早く掴んでいて、
僕よりも早く成果を出してたんですよね。
っていうところもあったんで、
やっぱりその後、
だからさらに半年ぐらいかな、
アルバイトで続けさせてもらって、
で、あるときに、
その陽介さん、
長谷さん、CTOの長谷さんから、
僕、自分の席が会議室の前だったんですよね。
朝、会議室から出てきた、
役員会議を終えて、
会議室から出てきた長谷さんから、
8日前から正社員でって言われて、
ちょまどさん、
要は確か4月2日とか、
何か3日とかだったんですよ。
で、
高上りで正社員で、
1日から。
何かそんなのもあって、
その半年後ぐらいですけど、
で、
まさにそういう感じで、
最初はかなり苦労しましたね。
全然プログラマーとしての能力が、
何か開花せずに、
もう全然ダメダメ、
ダメ社員でアルバイトになって、
みたいな、ありましたね。
おだしょー そのエピソードでも、
ありがとうございます。
でも聞いている人にとっては、
やっぱり成長曲線の人があって、
本当にそうだなと思うんですよね。
おだしょー うん。
おだしょー 取り場があったりとか、
何かのきっかけでそうなるっていうのは、
僕も過去の自分でもそうかなと思ったりはしますし、
ちょっとやべえ、
ウルルの話で前半打ち切りにしようかなと。
おだしょー 全部終わる、全部終わる。
おだしょー 最後に、
僕もウルルは共通の知人がたくさんいて、
すごいあるんですけど、
次これウルルの人に、
吉井からバイネーム出しまくってるんですけど、
この秋元さんと飲んだんですよ。
おだしょー ほう。
僕もご飯食べました、この前。
おだしょー うん。
おだしょー 吉子役員で、
ウルルって本当に上場しても役員ほとんど、
全然辞めてなくて、
秋元さんも上場しても役員で、
超ポジティブに卒業したっていう人。
秋元さんと飲んだときに、
めっちゃハッシーさんの話していて、
おだしょー うれしいなあ。
おだしょー もっと上司です。
もっと秋元さんの部下です、僕。
おだしょー Nですから、
一緒にプロダクトをやっていて、
ハッシーさんと秋元さんが一緒にやった
プロダクトの話とかって、
多分その話100回ぐらいしてくれてると思ってて、
めちゃくちゃ感謝されてるんですよね。
そのエピソードもちょっとあるんですけど、
36:01
入札情報速報サービスの
っていうサービスを作ってましたと。
2人目の上司が秋元さんで、
秋元さんが上司のときに、
いわゆるアップセルの機能を作りたい
みたいなところがあって、
要は入札、すいません、
Googleのアップセルの機能を作って、
そのアップセルの機能を作って、
そのアップセルの機能を作って、
そのアップセルの機能を作って、
そのアップセルの機能を作って、
そういうのを作ってほしいんですけど、
入札情報速報サービスについては。
それの、要は入札情報、
自分たち、お客さん向けの、
お客さんが自分たちで、
自分たちが入札情報をいろんな会社に、
入札をいろんな会社にしていく中で、
そのステータスを管理するような
アプリケーションが欲しいっていう
ニーズがあって、
その機能をNJSにビルドインしようと、
新しい機能として作ろうと。
それを追加料金なのか、
パッケージなのかで売ろう
っていうところの企画が立ち上がって、
で、それを僕がエンジニア、
何人か当時エンジニアいたんですけど、
僕がエンジニア側で、
その企画をメインに秋元さんと、
いろいろ株打ちしながら、
設計を、
仕様を作っていったっていう、
実際行動を僕が返したんですけど、
ただですね、
すごいですよ。
だから、
僕当時としては必死こいて
それを作ったんですけど、
後から考えると、
ひどい行動を書いていて、
数年後に、
ウルル卒業して、
3年、4年ぐらい経ったときに、
ウルルの毎週水曜のウルスイっていう会員に
呼ばれてですね、
OBとして何か喋ってくれって言われたんで、
行ったんですよ。
それを作ったみたいな話とかもしたんですけど、
社員のエンジニアの方からですね、
質問で、
質問というか、
後でエピソードで、
柱さんの書いたコード本当にクソだったんで、
全部書き直しましたみたいな、
フィールバックもらいまして、
そうだよねっていう。
これは何の恥ずかしい話では実はなくって、
恥ずかしいんだけど、
でも、
これはエンジニアとしてとても成長しているっていう
裏返しでもあるので、
よくエンジニアの世界で、
昨日書いたコードが自分でクソだと思えなければ、
成長してないって言われるんですよ。
だから、
エンジニアの世界で、
自分でクソだと思えなければ、
成長してないって言うんですよ。
つまり、
後で見返したときに、
うわー、
自分で書いたコードが、
例えば1年後に見返したときに、
これ全然ダメじゃんみたいな、
思ってたら、
めちゃくちゃ成長してるんですよね。
それはいいことだと思うんですけど、
あれだったんで全部書き直しましたって言われました。
後から入った人に。
でも、よかったですよ、それは。
いい経験でした。
本当に。
実際これだったからっていうのがあると思うので、
今日はここまでにさせていただいて、
この後まさに、
今、皆さんが知っている
エンジニアの星に行くかなと思っているので、
またインタビューできればと思うので、
カチさんありがとうございました。
39:01
ありがとうございました。
39:11

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