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木村咲希奈
この番組は、新発田市富塚にある、
敬和学園大学の大学生が、大学に関わるイベントや人、新発田のことなどをテーマにお届けします。
敬和キャンパスレポは、実践するリベラルアーツ、敬和学園大学の提供でお送りします。
金安優希
皆さん、こんばんは。
この番組は、敬和学園大学から大学のことや柴田、新潟のことを伝える30分番組です。
今回は、先週からお届けしています。
敬和学園大学の卒業生によるバンド、アメニのみなさんへのインタビュー、後半をお届けします。
卒業から10年、ずっと活動を続けてきた様子、さまざまうかがっています。
MCは、国際文化学科3年の木村さきなさんと、国際文化学科4年の金泉幸です。
そして、アメニの4人のみなさんと、6人で収録したものです。
それではどうぞ。
高橋信幸
敬和キャンパスレポ
文化祭の特別な思い出
外で新潟でライブとかやってても、やっぱり文化祭が何より特別だったですね。
高橋信幸
それがやっぱり自分らってちゃんと学生なんだなって思ったし。
それで、学園祭だけ変な話、家族見に来たりとかするじゃない。
なんか久しぶりの、久しぶりの父ちゃんと母ちゃんは来なかった。
佐藤泰一
来なかった。
高橋信幸
家遠いからね。
佐藤泰一
僕の両親は来てましたね。
父ちゃんは来てましたね。
高橋信幸
太一君のお父さんとお母さんにお世話になってますとか言われたりとか、
ああいうのすごい嬉しかったなって覚えてるんで、文化祭は特別だったなって思いますね。
小林泰眞
在学中、バンドの活動で記憶に残ってるっていうのは、やっぱり基本的に在学中だったので、
今でこそ社会人になって、仕事をしてからライブハウスに足を運んで、
リハーサルをして、本番という形で今やってるんですけど、
在学中は基本的にみんな休みを取って、昼とか早ければ午前中から集まって、
ちょっとご飯を食べたりとか、リハーサルをして、ちょっと時間があるのでオープンまで、
その間ずっとライブハウスで話をしたりとか、
そういうことが在学中はやっぱり今になって思うと、在学中だけだったかなと思うんで、
そういうのを思い出すと、記憶に残ってるのは、当時やっぱり在学中だからそういう感じだったんだなって思いますね。
木村咲希奈
ライブを見に来てくれるお客さんとかどんな方が多かったですか?
佐藤泰一
佐藤です。お客さんはそれこそ、やっぱり学生時代は大学の同級生であったりとか、
先輩であったり後輩であったりというのは来てくれていましたし、
やっぱり活動の期間が長くなればなるほど、それこそ社会人の方であったりとか幅広い方に来ていただけるようになっていて、
振り返ってみると多分学生の時からファンのお客さんで今も来てる方がいるよね。
高橋信幸
いる?
すげえ。
佐藤泰一
本当に学生の時から活動してて、こんなアマチュアバンドですけど聞きに来てくれるファンがいるっていうのは本当にありがたいなって思いますね。
小林泰眞
最初の頃はね、1人とか2人とかしか呼べない時もあった中で、今になって10人、15人、自分たちでやる時呼んで普通に来てくれるっていうのは非常にありがたいよね。
佐藤泰一
ありがたいですね。
佐藤泰一
それこそ当時は学生だったからみんなお金がなかったからノルマに追われて頑張って呼ばなきゃみたいなのは学生バンドあるあるでしたね。
それこそ1人増やす、2人増やすのに一生懸命みんなで連絡してたなっていうのは懐かしかったですし、
佐藤泰一
そういうところから今はそんなに一生懸命集客をするようなお誘いをしなくてもファンとして来てくれる方がいらっしゃったりするので、
なんかそこは本当に時間の流れを感じますね。
在学中のバンド活動
金安優希
そうですね、学生の頃なので曲も作りながら勉強もしながらバンド活動もしてっていうところでかなり忙しいと思うんですけど、
忙しかったかなと思うんですけど、そのバンドの楽曲の方向性っていうのはどういう風に決まっていったのかなっていうのを。
高橋信幸
その時々なんですけど、大学にいた頃とかは割とこう、
この敬和学園大学の夜にいた人とかは多分わかると思うんですけど、
敬和って夜本当暗くて、本当暗くてめっちゃ星見えるんですよ。
だから夜にギター弾いてたんですよ、僕よく。
それで上バーって見るとめっちゃ星出てるんですよ。
それがあってずっとなんか星がある状態で曲を書いてたので、
大学中とか卒業した後とかは星の曲がすごく多くて、
その後はいろいろあっていわゆるフォーロックっていう曲も書くようにはなったんですけど、
やっぱりその時々の状況がすごく反映されているというか。
なので一概にこれっていうのはちょっと難しくて、
ただその中でもやっぱり今でも昔から来てくれるお客さんとか、
新しく僕たちを知ってくれたお客さんとかが好きだって言ってくれるのが星の曲が多いので、
なので自分たち的には割と星の曲とかが多いですよっていうふうには皆さんに伝えていると思います。
金安優希
じゃあ結構夜にこう来るというか思いつくことが多かった。
高橋信幸
そうですね、夜の方が気持ち暗くないですか。
夜ってすごい嫌じゃん。暗くなるしみたいな。
だからそういう時にやっぱり何か言葉を書きたくなったりとか。
だいたいすごい気分のっている時に星見ないでしょ。
すごいテンション上がっている時、星って目に入らないけどすごく嫌なことがあったなとか、
ちょっと気分が沈んだ時とかにようやく木が緑なことに気づけるというか。
なんかそういうふうに思うので。
なのでそれがあって星の曲が多いです。
暗い時に曲を書いてます。
小林泰眞
よく幸せだといい曲できないって言ってたもんね。
佐藤泰一
いや書けねー。
高橋信幸
ありがとうとか好きとかはちゃんとそのまま言いなさいって。
伝えられへんだから言いなさい。
伝えられないことは曲にしなさい。
以上。
はい先生。
なんか哲学みたいだね。
金安優希
メンバーの皆さんで喧嘩とかはされなかったですか?
高橋信幸
あの、しました。
してたね。
してたけど大丈夫でした。
本当にありがとうございます。いろいろすいませんでした。
本当にすいませんでした。
いろいろあったんですけど、
いろいろありましたね。
すごい在学在学中の話で言えば、
朝7時に大地君のことを僕は迎えに行くよって言って、
全然迎えに行かないで部室で寝てたら、
めっちゃ怒られたこととかすごい覚えてるんですけど。
いろいろ喧嘩はあったんですけど、
結果仲良くずっとやれてます。
佐藤泰一
可愛い部類のものから重たいものまでいろいろありました。
すいませんでした。
高橋信幸
ここで話すにはヘビーのこともありますからね。
金安優希
そうですね。収録外で聞きますので。
佐藤泰一
それではお願いします。
金安優希
皆さんこんばんは。
本番組は、
敬和学園大学から大学のことや柴田、新潟のことを伝える30分番組です。
今回は先週からお届けしています。
敬和学園大学の卒業生によるバンド、
アメニの皆さんへのインタビュー、後半をお届けします。
卒業から10年、ずっと活動を続けてきた様子、
さまざま伺っています。
MCは国際文化学科3年の木村さきなさんと、
国際文化学科4年の金泉幸です。
そして、アメニの4人の皆さんと6人で収録したものです。
それではどうぞ。
高橋信幸
外で新潟でライブとかやってても、
やっぱり文化祭が何より特別だったですね。
それがやっぱり自分らってちゃんと学生なんだなって思ったし、
それで学園祭だけ、変な話家族見に来たりとかするじゃない。
久しぶりの父ちゃんとかじゃ来なかった。
家遠いからね。
僕の両親は来てましたね。
タイチ君のお父さんとお母さんに、
お世話になってますとか言われたりとか、
ああいうのすごい嬉しかったなって覚えてるんで、
文化祭は特別だったなって思いますね。
在学中の思い出
小林泰眞
在学中、バンドの活動で記憶に残ってるっていうのは、
やっぱり基本的に在学中だったので、
今でこそ社会人になって仕事をしてから、
ライブハウスに足を運んで、
リハーサルをして、
本番という形で今やってるんですけど、
在学中は基本的にみんな休みを取って、
昼とか早ければ午前中から集まって、
ちょっとご飯を食べたりとか、
リハーサルをして、
ちょっと時間があるのでオープンまで、
その間ずっとライブハウスで話をしたりとか、
そういうことが在学中はやっぱり今になって思うと、
活動の変化と学生時代のファン
小林泰眞
在学中だけだったかなと思うんで、
そういうのを思い出すと、
記憶に残ってるのは、
当時やっぱり在学中だから、
そういう感じだったんだなって思いますね。
ライブを見に来てくれるお客さんとか、
木村咲希奈
どんな方が多かったですか?
佐藤です。
佐藤泰一
お客さんはそれこそ、
学生時代はやっぱり大学生だったので、
学生時代はやっぱり大学の同級生であったりとか、
先輩であったり後輩であったりというのは来てくれていましたし、
やっぱり活動の期間が長くなればなるほど、
それこそ社会人の方であったりとか、
幅広い方に来ていただけるようになっていて、
振り返ってみると、
多分学生の時からファンのお客さんで、
高橋信幸
今も来てる方がいるよね。
金安優希
いる?
佐藤泰一
すげえ。
佐藤泰一
本当に学生の時から活動してて、
こんなアマチュアバンドですけど、
聴きに来てくれるファンがいるって本当にありがたいなって思いますね。
小林泰眞
最初の頃はね、
1人とか2人とかしか呼べない時もあった中で、
今になって10人、15人、
自分たちでやる時呼んで、
普通に来てくれるっていうのは非常にありがたいよね。
佐藤泰一
ありがたいですね。
それこそ当時は、
学生だったからみんなお金がなかったから、
佐藤泰一
ノルマに追われて頑張って呼ばなきゃみたいなのは、
学生バンドあるあるでしたね。
佐藤泰一
それこそ1人増やす、2人増やすのに、
佐藤泰一
一生懸命みんなで連絡してたなっていうのは、
佐藤泰一
懐かしかったですし、
そういうところから今はそんなに、
佐藤泰一
一生懸命集客をするようなお誘いをしなくても、
佐藤泰一
ファンとして来てくれる方がいらっしゃったりするので、
そこは本当に、
時間の流れを感じますね。
金安優希
そうですね、学生の頃なので、
曲も作りながら勉強もしながら、
バンド活動もしてっていうところで、
かなり忙しいと思うんですけど、
忙しかったかなと思うんですけど、
バンドの楽曲の方向性っていうのは、
どういうふうに決まっていったのかなっていうのを。
高橋信幸
その時々なんですけど、
大学にいた頃とかは、
この敬和学園大学の夜にいた人とかは、
多分わかると思うんですけど、
敬和って夜本当暗くて、
本当暗くてめっちゃ星見えるんですよ。
だから夜にギター弾いてたんですよ、僕よく。
それで上バーって見ると、
めっちゃ星出てるんですよ。
それがあって、ずっとなんか、
星がある状態で曲を書いてたので、
大学中とか、
卒業した後とかは、
星の曲がすごく多くて、
その後はいろいろあって、
いわゆるフォーロックっていう曲も
書くようにはなったんですけど、
やっぱりその時々の状況がすごく反映されているというか、
なので一概に、
これっていうのはちょっと難しくて、
ただその中でもやっぱり、
今でも昔から来てくれるお客さんとか、
新しく僕たちを知ってくれたお客さんとかが、
好きだって言ってくれるのが、
星の曲が多いので、
なので自分たち的には、
割と星の曲とかが多いですよっていう風には、
皆さんには伝えていると思います。
じゃあ結構夜にこう来るというか、
金安優希
思いつくことが多かった。
そうですね。夜の方が気持ち暗くないですか?
高橋信幸
そうですね。
夜ってすごいなんか嫌じゃん?
暗くなるしみたいな。
だからそういう時にやっぱ何か、
言葉を書きたくなったりとか、
だいたいすごい気分乗っている時に、
星見ないでしょ?
すごいテンション上がっている時、
星って目に入らないけど、
なんかすごく嫌なことあったなとか、
ちょっと気分が沈んだ時とかに、
ようやくなんか、
木が緑なことに気付けるというか、
なんかそういう風に思うので、
なのでそれがあって、
星の曲が多いです。
暗い時に曲を書いています。
笑
佐藤泰一
幸せだといい曲でいいんですか?
高橋信幸
よく幸せだといい曲できないって言ってたもんね。
いや、書けねえ。
ありがとうとか好きとかは、
ちゃんとそのまま言いなさいって。
木村咲希奈
伝えられへんだから言いなさい。
高橋信幸
伝えられないことは曲にしなさい。
以上。
笑
はい、先生。
なんか哲学みたいだね。
曲作りの背景とバンドの喧嘩エピソード
金安優希
メンバーの皆さんで喧嘩とかはされなかったですか?
あのー、しました。
小林泰眞
笑
してたね。
してたけど、
高橋信幸
大丈夫でした。
本当にありがとうございます。
いろいろすいませんでした。
佐藤泰一
本当にすいませんでした。
高橋信幸
いろいろあったんですけど、
佐藤泰一
いろいろありました。
高橋信幸
いろいろありましたね、本当に。
すごい、在学在学中の話で言えば、
朝7時に、
大地君のことを僕は迎えに行くよって言って、
全然迎えに行かないで部室で寝てたら、
めっちゃ怒られたこととか、
すごい覚えてるんですけど。
佐藤泰一
笑
高橋信幸
いろいろ喧嘩はあったんですけど、
結果、仲良くずっとやれてます。
可愛い部類のものから、
佐藤泰一
重たいものまで、いろいろありました。
佐藤泰一
笑
佐藤泰一
本当にすいませんでした。
小林泰眞
ここで話すには、
高橋信幸
ヘビーのこともありましたね。
金安優希
そうですね、収録外で聞きました。
金安優希
笑
高橋信幸
それではお願いします。
はい。