今日も皆さんと一緒に牛乳で乾杯していこうと思います。
昨日、SNSでいろいろ投稿しましたが、6月のラクノガ件数が9千数百戸しかなくなってしまって、8月ぐらいには8千戸台になってくるのではないかということで、
僕は知らなかったのですが、北海道も3千戸くらいしかないですね。
すごい数減っているなというところですが、
この夏明けて生産性も落ちて餌代も上がって、なかなかお財布が厳しくなってくると、退業しようかなという方も増えてくると思うので、
ここ少年場だなと思いながら、ぜひ今日も皆さん牛乳を一杯飲んでお出かけしていただけたらと思います。
今日も皆さんと牛乳で乾杯しようと思いますので、皆さんが牛乳を準備している間にちょっとお知らせをしたいなと思います。
川上牧場ノートというブログとか記事を書いているスラプリをやっております。
毎日配信しているこの音声配信を文字起こしして再構成したものをノートの記事として毎日上げておりますので、
ぜひ皆さんアカウント登録してログインして読んでいただけたらと思います。
この記事が面白いなとか、もっと深く知りたいと思われる方はメンバーシップというものを準備しておりますので、ぜひそちらのほうも検討していただけたらと思います。
皆さんの応援が川上牧場、いろんな活動につながっていきますので、ぜひこちらもよろしくお願いします。
あとインスタグラムのほうでやっております、ハッシュタグ未来の牛乳と称しまして、
皆さんのこんな牛乳あったらいいな、こんな牛製品食べてみたいなというものをデジタルアートにして販売しております。
こちらのデジタルアートの売り上げは川上が子ども食堂に牛乳を支援したりだとか、
小中高の食育活動に参加した際の活動品に当てさせていただこうと思っておりますので、ぜひ皆さんご支援よろしくお願いします。
皆さんのご支援が子どもたちの未来の牛乳を作っていくというそんな特別なデジタルアート体験となっておりますので、ぜひこちらもよろしくお願いします。
あと川上牧場公式LINEをやっておりまして、毎日365日こうやって配信しているんですけども、
なかなか毎日は来ていないという方のためにですね、週に1回まとめの記事が届くという公式LINEになっておりますので、
ぜひ音声配信を聞いている方はですね、概要欄にある公式LINEのお友達登録のリンクから見ていただけたら嬉しいなと思います。
あと昨日公式LINEでそれこそ投稿しましたけども、すずりというグッズ販売サイトでTシャツのセールが始まりましたので、
ぜひ川上牧場もイラストレーターとかデザイナーの皆さんとコラボした作品をあげておりますので、ぜひそちらの方もチェックしてみていただけたらと思います。よろしくお願いします。
丁寧に長文でご自身の経験と言葉をメッセージでいただいて感謝してありがたいなというところですけども。
この質問をいただいてですね、川上の楽能の牛との向き合い方みたいなところね。
あとは牛の死の判断みたいなのどうしているのかみたいなところもお話できたらいいなと思いますけどね。
このメッセージでいただいた一生に暮らしてきた猫を亡くした時に、あの判断で良かったのか他にできることがあったのではないかとそう考え続けることがあったということですけども、楽能でも本当にそういう場面はいっぱいあります。
そして命に関する判断はですね、結果を見てからも正解が確定しないことが多いです。
治療を選んでも後悔することがありますし、治療をしなくても後悔することがある。
だからこそ今回のメッセージにあった唯一の正解だったとは言い切れないという言葉はとても誠実だと思いました。
ではここから僕自身の考えを正直にお話ししていこうかなと思います。
メッセージの中では僕が割り切れない思いを抱えながら牛について判断しているのではないかと受け止めてくださいましたが、もちろん全く何も感じないわけではありません。
長く飼ってきた牛や、自分の牧場で生まれた牛、何度も治療した牛や、性格をよく知っている牛、一頭一頭に記憶があります。
ただ自分自身はですね、牛を基本的に、ここはちょっと皆さん驚かれるかなと思いますけども、経済動物として考えています。
牛を愛顔動物とは考えていなくて、可愛いなとかそういうので飼っているわけではないということですね。
ここは曖昧にせずにはっきり言っておきたいと思います。
自分が牛について判断するときの基準は、その牛が人や社会にどれだけ貢献できるかっていうのを考えています。
牛乳を生産して甲子を産んで、お肉になって大肥も牛から出ていますね。
牛から出たうんちやおしこを大肥に変えていたり、地域の景観を維持したり、人に学びや体験を与える、牧場で働く人の生活を支える、牛は様々な形で人に価値を提供しています。
その価値があるからこそ人は飼料・餌を用意し、牛舎を建てて病気を治療し、毎日世話をしています。
これは牛を道具として雑に扱うという意味ではなく、むしろ経済動物だからこそ健康に買う必要があります。
痛みを減らす必要があります。空腹や渇きを避ける必要があります。
病気を予防し適切な治療を行い、その牛が持つ能力を発揮できるようにする必要があります。
不健康な牛からは持続的に価値を得ることはできません。
そして苦痛を放置することは生産者としても認められません。
一方で治療を続ければ必ず良い、長く生かせば必ず優しいという考えは、僕はそうは思わないということですね。
回復する可能性が低かったり、強い痛みが続いたり、自力で立てない、食べることができない、
治療を続けても生産や繁殖に戻れる見込みがほとんどない、
そういう牛に対して人の時間やお金、餌、薬、設備を投入し続けることが本当に牛のためなのか、僕はそこを考えています。
時にはもう少し治療すれば回復するかもしれない、ここまで世話をしたのだから何とか助けたい、
自分が諦めたと思いたくないという気持ちが出ることがあります。
でもその感情だけで治療を延ばすことは牛のためではなく、
人間が自分の気持ちを納得させるための延命になってしまう場合があると思います。
これは人間のエゴだと僕は思っています。
僕個人の考えですけれども、人の労力とかお金を大量に使って、
回復の見込みが低い家畜をただ生かし続けることは、人間の身勝手なことだなと思ったりします。
これは他の農家や飼い主に同じ考えを求めるものではありません。
それぞれの牧場に方針があり、経営条件があり、家族の考えがあり、動物との関係があります。
あくまで僕自身の判断基準です。
ここで人間の延命と家畜の延命を全く同じ問題として考えることには注意が必要です。
人間には自分の人生について意思を示す権利があります。
今回のメッセージをくださった方のように、判断できるうちに自分がどのような医療を望み、
どのような最後を迎えたいのかを言葉や書類に残すことができます。
本人の意思や尊厳、家族との関係、医療倫理、これらを含めて判断されます。
しかし牛は、私はこの治療を望みます。ここまでなら治療をしてほしいです。
回復しないなら延命しないでくださいと事前に意思表示することはできませんよね。
だから牛については飼い主が、使用者が判断しなければなりません。
その時に見るのは感情だけではなく、病気の原因や回復の可能性、
痛みの程度、立ち上がることができるか、食べられるか、
治療後にどのような生活が戻れるのか、再発の可能性、周囲の牛への影響、
治療に必要な人手と費用、他の牛の管理に与える影響、
こうした条件を総合的に考えます。
一頭に尽きっきりになることで、残りの牛の餌や作牛、分娩管理が遅れることがあります。
限られた資金を一頭の回復見込みの低い牛の治療に使うことで、
牛舎全体の初熱対策や、こうしの疾病予防に使えなくなることがあります。
牧場では一頭だけを見て判断することはできません。
一頭の命と牛群全体の生活が繋がっているからです。
これは消費者の方、一般の方には冷たい計算が聞こえるかもしれませんが、
でも経営が続かなければ、牧場にいる全ての牛を飼い続けることはできません。
農家自身や家族の生活も成り立たなくなります。
だから、経営を考えることは命を軽視することではなく、牧場全体を持続させるために必要な責任です。
治療するか出荷するか、安楽死を含めて命を終わらせる判断をするときに考えるのは、
まだ生きていけるかというところではなく、この先その牛にどのような時間が残るのかというところを見ます。
治療によって再び立ち上がり、食べて群れの中で生活して生産へ戻れる可能性があるのなら、治療する意味があります。
たとえすぐに生産へ戻れなくても、回復の見込みがあり、苦痛を減らせるなら治療を選ぶ場合もあります。
しかし治療を続けても強い苦痛が残り、回復の可能性が極めて低く、ただ死までの時間を延ばすだけなら、それを命を大切にしているとは考えられません。
メッセージにあった命を長く保つことと、その命にとって良い時間を守ることは必ずしも同じではないという考えは、家畜の現場にも通じる部分があります。
ただし、自分はそこで終わらず、もう一つ付け加えたいなと思います。
経済動物の場合は、その命にとって良い時間かどうかに加えて、社会に対する役割を果たせる状態化が判断材料になります。
これはペット、愛顔動物とは違う部分です。ペットの場合は一緒に暮らすこと自体が価値になります。
生産をしなくても飼い主の関係や存在そのものが、その家族の中で大きな意味を持ちます。
一方、家畜は人の食料や暮らしに役立つことを前提に、人間が繁殖させ、飼養してきた動物です。飼ってきた動物です。
その前提を無視して、生きている限り、どれだけ費用がかかっても飼い続けるべきだとするなら、僕は家畜という仕組みそのものが成立しなくなると思います。
ここで大切なのは、経済動物だから苦痛を無視していい、役に立たなくなったら雑魚に扱っていいということではありません。
むしろ逆で、人間の都合で生まれ、人間の管理下で生きているからこそ、人間には健康に買う責任や苦痛を減らす責任、適切な時期に治療する責任、そして回復が難しい時に苦痛を長引かせない責任があります。
生かす責任だけではなく、終わらせ方に責任を持つことも、飼養者の役割だと自分は考えています。