まずリブートシリーズの中心にいるのは、やっぱりシーザーですよね。
もうね、シーザーがかっこよすぎる。
惚れるチンパンジー。
チンパンジーに惚れる日が来るとは思わなかったですけど、
シーザーって圧倒的なリーダーなんですよ。
強いし、賢いし、仲間守るし、言葉に重みがある。
でもただの強いリーダーじゃないですよね。
シーザーは人間を完全には憎みきれない。
むしろどこかで人間を心配しているし、信じようとしている。
これはやっぱりシーザーが愛情を持って育てられた存在だからだと思うんですよ。
一作目で人間のウィルに育てられる。
そこには親子みたいな関係がある。
シーザーにとって人間は自分を閉じ込めた存在でもあるけど、
同時に愛をくれた存在でもある。
この複雑さがシーザーの大きさになっている気がします。
一方でコバ。
コバは人間を信じない。
というか信じられないですね。
それも当然で、コバは人間に虐げられてきた存在なんですよ。
実験されて、傷つけられて、利用されてきた。
だからコバにとっては人間は敵でしかない。
シーザーが人間を信じようとするたびにコバからしたら、
それは甘さに見える。裏切りに見えちゃう。
この対比がめちゃくちゃ強いんですよ。
愛情を持って育てられたシーザー。
虐げられてきたコバ。
同じジンパンジーでも見ている世界が全然違う。
これは人間社会でもめちゃくちゃあると思うんですよ。
同じことを見ていても、その人がこれまでどう扱われてきたかで見え方が全く変わる。
誰かが信じようといったときに、それを希望として受け取る人もいれば、
お前は痛みを知らないからそんなこと言えるんだって受け取る人もいる。
だからコバって悪役ではあるんですけど、ただの悪役じゃないんですよね。
もちろんやっていることは最悪です。
策略巡らせて、シーザーの息子のブルーアイズを巻き込んで、
ブルーアイズの友達のアッシュを殺して、戦争に向かわせる。
完全に支援で動いている。
でもその支援には理由がある。
だから見ていて憎いけど、少し分かってしまう。
この分かってしまう枠がサルの惑星のしんどいところですね。
そしてシーザーの周りにはまたいいキャラクターがいるんですよ。
まずロケット。リーダーに従う仲間としてのロケット。
一作目では最初はシーザーと対立するような存在だったのに、だんだん仲間になっていく。
で、このロケットの息子がアッシュ。
で、このアッシュがまたいいんですよ。
ブルーアイズと友達で若い世代のサルとして出てくる。
そしてブルーアイズ。シーザーの子供。揺れる思春期のブルーアイズ。
いいですね、この言い方。揺れる思春期ブルーアイズ。
父親が偉大すぎるんですよ。父親はシーザーなんだからそりゃ揺れますよ。
父親は王でありリーダーであり神話みたいな存在。
でも子供からしたら父親は父親でもある。尊敬もあるし反発もある。
で、そこにコバが入り込んでくる。
コバはブルーアイズの不信感を利用するんですよね。
人間を信じるシーザーは甘い。お前の父親は間違っている。サルは人間と戦うべきだ。
そういう空気に巻き込まれていく。
この辺本当に人間社会っぽいです。
若い人の不安とか、親への反発、正義感とか、承認欲求とか。
そこに傷ついた大人が自分の憎しみを流し込む。
最悪なんだけどものすごくリアル。
そしてアッシュがコバに反逆して殺される。
あそこはきついですね。
アッシュはただ従うだけじゃなかった。
ちゃんと自分の中に倫理があった。これは違うと思えるサルだった。
でもその正しさが殺される。
戦争って多分こういうことなんですよね。
一番まともな人から死んでいくみたいな。
そしてブルーアイズの中にも不信感が募っていく。
でも最終的にはシーザーとブルーアイズが仲直りする。
父と子の関係としてもいいし、リーダーと次の世代の関係としてもいい。
シーザーはリーダーとして完璧に見えるけど、父親としては不器用なところもある。
ブルーアイズもただの反抗期じゃなくて、自分で見て、自分で間違えて、自分で戻ってくる。
そこがすごく良かったです。
あとモーリス。賢いオランウータンのモーリス。
モーリスがいるだけで画面の知性が上がる。
モーリスって静かな賢者ですよね。
シーザーが王だとしたらモーリスは横にいる哲学者みたいな存在。
感情で動きすぎない。
でも冷たくもない。
見ている。分かっている。そして優しい。
このシリーズでモーリスの存在はかなり大きいと思います。
シーザーが怒りや悲しみに飲まれそうになる時も、
モーリスがいることで猿たちの社会にちゃんと知性と慈悲が残っている感じがする。
で、コーネリア。
シーザーの奥さんですね。
ちなみに一作目でもコーネリアスという名前の猿が出てきますけど、
シーザーの家族としてコーネリア。
そして子供たちがいる。
この家族がいるシーザーというのも大事ですよね。
シーザーは単に群れのリーダーじゃなくて、
父でもあり夫でもある。
だからこそ判断に重みがある。
守るものがある。
守るものがあるから強いんだけど、
守るものがあるから傷ついていく。
リーダーって孤独だけど孤独ではいられないんですよね。
誰かの命を背負っているから。
そして次に人間側。
ライジングではマルコムと息子が出てきます。
人間にもいろいろいる。
これも大事です。
猿の惑星って人間が悪で猿が正義という単純な話ではないんですよね。
人間の中にも猿と共存しようとする人がいる。
マルコムたちは戦いたくない人間側です。
一方でチンパンジーたちを憎む人間もいる。
猿たちの中にもシーザーのように人間を信じようとする者がいる。
一方でコバのように人間を憎む者もいる。
つまり人間対猿ではあるんだけど、実際にはもっと複雑。
戦いたくない人間と戦いたくない猿がいる。
なのに戦争になる。
これが一番しんどい。
戦いたくない人間と戦いたくない猿たちが交わると
普通なら平和になりそうじゃないですか。
でもならないんですよ。
なぜなら双方の中に戦いたい人、憎しみに飲まれた人、過去の傷から抜け出せない人、
恐怖に支配された人がいるから。
少数の暴走が全体の運命を決めてしまう。
コバの策略もそうだし、人間側のドレファスの愚行もそう。
でもドレファスはドレファスで彼なりに人間を守ろうとしているのもかもしれない。
でもその守ろうとする気持ちが結果的に破滅へ向かう。
ここもまた人間ぽい。
みんなのためと言いながら視野が狭くなっていく。
守るためと言いながら攻撃する。
恐怖が正義の顔をしてしまう。
このシリーズの怖さって猿が進化をする怖さじゃなくて
人間が人間のままでいる怖さなんですよね。
次に清戦期、グレートウォー。
ここではもう人類が絶滅危惧種になっている。
猿たちはかなり喋り上手になっている。
一作目から見ると本当に歴史が進んだ感じがします。
最初は脳だけだったシーザーたちがだんだん言葉を獲得していく。
言葉を得るということはただ便利になるだけじゃないんですよね。
記憶を語れるようになる。
怒りを語れるようになる。
祈りを語れるようになる。
そして物語を作れるようになる。
これがサピエンス全史的だなと思ったところです。
人間もおそらく言葉と物語で集団を大きくしてきた。
猿たちも同じように言葉を持って、
掟を持って歴史を持ち始める。
でもそれは同時に争いも高度化するということでもある。
グレートウォーでは大差が出てきます。
まるでヒトラー、ナチスのような存在として描かれている。
支配、選別、強制労働、軍隊、収容所的な空気。
かなり露骨に人類の歴史の最悪な部分が重ねられている感じがしました。
人間は自分たちが滅びそうになっているのに、それでもまだ支配しようとする。
もう絶滅危惧士なのにまだ偉そう。
ここがすごいですよね。
弱くなっても支配欲は消えない。
追い詰められても反省するとは限らない。
むしろ追い詰められたときほど誰かを支配したくなる。
嫌ですね、人間。僕も人間なんですけど。
そしてグレートウォーでいいのが、ノバとモーリスの絡みですね。
真ノバ、言葉を失った少女。
そのノバに名前を与えるのがモーリス。
ノバの名付け親はモーリス。
ここが本当にいい。
モーリスって相手が人間でも子供であれば見捨てないんですよ。
ここにまた子供はいつも垣根を超えるっていうテーマが出てくる。
大人たちは猿だ人間だ、敵だ味方だ、過去の恨みだ、未来の恐怖だと言っているけど、
子供はその強化をひょいと超えてしまう。
ブルワイズとアッシュもそう、マルコムの息子もそう、ノバもそう。
子供は相手が何者かよりも目の前で自分に優しくしてくれるか、自分を受け入れてくれるかを見ている。
もちろんそれはやさしさでもある。
だからコバはブルワイズを利用できた。
でも同時に希望でもある。
子供は垣根を超える。
大人が作った壁を子供はまだ絶対的なものとして信じていない。
だからこそ次の世界への可能性がある。
ただその可能性を大人は壊してしまう。
このシリーズそこが何度も描かれている気がします。
あとグレートウォーではバットウェーブ、このエンターテイナーなバットウェーブ。
このキャラクターが出てきて少しエンタメ感が強くなるんですよね。
重い話の中でちょっとした笑いと軽さを持ち込む存在。
最初は急に濃いやつでできたなと思うんですけど、でも必要なんですよね。
ずっと重いと見てる側も息詰まってきちゃうし。
バットウェーブがいることで世界の広がりも見える。
シーザーたち以外にも進化した猿がいる。
別の場所で別の生き方をしていた猿がいる。
これは次のキングダムにも繋がっていく感じがします。
そしてシーザーの弟ではなく息子の名前としてコーネリアスが出てくる。
この名前の引き継がれ方もいいですね。
シーザーの物語が単なる一代の英雄譚ではなく神話になっていく。
ここからキングダムです。
キングダムはシーザーの時代からかなり後の話。
もうシーザーは出てこない。
でもシーザーの名前が残っている。
ただし残っているからこそ変質もしている。
ここが面白いところで、歴史って本人がいなくなった後に勝手に使われているんですよね。
シーザーが何を言ったか、シーザーが何を望んだか。
それを後の時代の者たちがそれぞれの都合をよく解釈している。
キングダムのプロキシマスシーザーなんてまさにそうですよね。
シーザーの名前を使って自分の支配を正当化している。
これはもう完全に人間の歴史。
宗教も国家も思想も最初の理念があってそれを後の人が利用する。
創始者はそんなこと言ってないだろうみたいなことが平気で起きている。
猿たちも人間になってきている。
賢くなるってことは良くなることだけではない。
嘘もつけるし支配もできる。物語を利用することもできる。
ここがキングダムの怖さだと思います。
主人公のノア。ノアも賢い。
そして人間のメイ。メイも賢い。
でもメイは謎が多い。
そして正直猿的には印象が良くない。
人間的にはグッチョブンメイって感じで。
ここが難しいところで、僕ら人間なんでメイがやったことを
人間側から見ればよくやったと言える部分がある。
人間の未来のために動いている。
人間の知性とか通信、文明を取り戻そうとしている。
でも猿側に感情移入してみちゃうと、いやーとなる。
ノアからしたら裏切られたようにも見える。
信じていたのに。通じ合えたと思っていたのに。
最後にやっぱり人間は人間のために動く。
でもそれは悪なのかなー。ここがめちゃくちゃ難しい。
メイは悪人ではないと思うんですよ。
でも良い人とも言い切れない。
彼女は彼女の世界を背負っている。
ノアはノアの世界を背負っている。
それぞれが賢いからこそ完全には分かり合えない。
バカだから争うんじゃないですよね。
賢いから争う。未来を考えられるから争う。
自分の種族のことを考えられるから争う。
これが嫌ですね。
そしてもう一人の人間のトレヴェイさん。
僕はトレヴェイさんは分かっていて、
あの扉を開けなかったんだろうなと思いました。
人間でありながらプロキシマス側にいる。
でも完全に洗脳されているというよりは、
どこかで状況を理解している。
扉を開ける開けないという判断の中に、
彼なりの諦めとか恐れとか計算があったんじゃないかな。
ああいうキャラクターはまた人間っぽい。
大きな理想のために戦うわけでもなく、
完全な悪でもなく、
ただその場で生き延びている人。
たぶん歴史の中にはそういう人が一番多いんだと思います。
英雄でも悪役でもない。
ただ流されて敵をして、
どこか見て見ぬふりをする。
キングダムはシーザーの物語が終わった後の世界を描いているんですけど、
そこで見えてくるのは、
シーザーがいたから平和になる、ではないんですよね。
むしろシーザーの死後にシーザーの名が利用されている。
人間はまだどこかで生き延びている。
猿たちは猿たちで支配構造を作り始めている。
ノアとメイは出会ったけど、完全には交われない。
この終わり方がかなりいい。
そして同時にめちゃくちゃ嫌な終わり方でもある。
ここで終わるのかよって。
この終わり方で続きがすぐ見られないという空港も含めて、
人間かもしれません。
人間はいつも続きが気になるところで消える。
まあ映画会社の話なんですけど。
でもこのシリーズ全体がすごいのは、
猿の話をしているのに、結局ずっと人間の話をしているところなんですよね。
シーザーは人間を信じようとする。
コバは人間を憎む。
でも猿たちもだんだん人間に近づいていく。
言葉を持って家族を持って社会を作って神話を作って支配を作る。
そうなると人間とは何かという問いが出てくる。
人間とは二足歩行する生き物のことなのか、
言葉を話す生き物のことなのか、
道具を使う生き物なのか、
愛する生き物なのか、
憎む生き物なのか、
物語を信じる生き物なのか。
もしそうなら猿たちもかなり人間なんですよね。
そして逆に人間たちはどんどん言葉を失っていく。
グレートウォーでは人間が喋れなくなっていく。
猿が言葉を得て人間が言葉を失う。
この反転がすごい。
でも言葉を失ったノバがモーリスや猿たちと関係を結んでいく。
つまり言葉が全てでもない。
じゃあ何が大事なのか。
たぶん信頼なんですよね。
でもこのシリーズはその信頼がどれだけ壊れやすいかをずっと描いている。
シーザーとマルコムは信じ合いそうだった。
ブルーアイズとアッシュも世代を越えて未来を作れそうだった。
モーリスとノバも種族を越えて心を通わせた。
ノアとメイも一瞬は分かり合いそうだった。
でもそこに歴史が入ってくる。恐怖が入ってくる。
種族の利益が入ってくる。過去の傷が入ってくる。
すると一対一では通じ合えたものが集団になると壊れていく。
これめちゃくちゃ現実っぽいなと思います。
個人として会えば分かり合える。
でも国とか民族とか会社とか家族とか世代とか
そういう大きいラベルが乗った瞬間に急に分かり合えなくなる。
相手の顔が見えなくなる。
人間、猿、敵になる。
たぶんシーザーが偉大だったのはそこを最後まで顔で見ようとしたことなんですよね。
人間をまとめて憎まなかった。
猿をまとめて正しいとも思わなかった。
コバに対してもギリギリまで仲間として見ようとした。
でも最後は戦わざるを得ない。
シーザーvsコバ。
あれは単なるボス戦じゃなくて
シーザーの中にある希望とコバの中にある絶望の戦いだったと思います。
そしてシーザーはコバを倒す。
でもその後のシーザーも完全な勝者ではない。
むしろおもんにを背負っていく。
リーダーって勝って終わりじゃないんですよね。
勝った後に死者の記憶を背負う。
傷ついた仲間を連れて次の場所に行く。
シーザー最後までそれをやる。
だからかっこいい。
惚れるチンパンジーなんですよ。