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タッタッタッタッタッタータッタラッタータッターと、ということで、はい、みなさんこんばんは。
えー、みなさんと言っても何人が聞いてくれてるんでしょうか。はい、どうもこんばんは。
えーっと、今日は、5月28日でしたっけ?あったんです?木曜日ですね。
えー、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
というわけで、今日も今日とて、えー、このね、スターFを撮っていこうかなと思ってます。
ちなみに、いきなり余談なんですけど、今ね、めちゃめちゃカエルが鳴いてます。
もう、そんな、そんな時期かよと思ってるんですけどね。
もしかしたら、こう、カエルのクエクエと鳴いてる声が、えー、一緒に収録に入ってるかもしれないですけどね。
まあまあまあ、それはね、この時期に撮られたもんだよーぐらいで、暖かく、まあ見てやってくださいな。はい。
えー、今日は話していきたいのが、僕、言葉好きだよなって思ったんで、
ちょっとその、言葉について話していこうかなーという風に思ってます、今日は。はい。
で、えー、その、まあ言葉っていうのを、どう言ったらいいんだろう。
言語学みたいな感じのニュアンスじゃなくて、どちらかっていうと、表現みたいなニュアンスですかね。
なんかこう、表現とか、言い回しとか、なんだろ、そういう言葉のなんかこう、味わいみたいな、
そういうちょっとニュアンスで捉えてほしいかなっていうのを僕が思ってます。はい。
その、いわゆるそのなんだろう、英語が好きとか、そういう感じじゃなくて、
これもちょっと難しい、難しいなんか塩梅というか、難しいニュアンスの感じになるんですけど、
古典が好きとか、漢文が好きみたいな感じではなくって、
この今の、こうなんだろう、現代語の表現というか、味わいが好きなんだよねーみたいな、
ちょっとそういう話を今日しようかなと思ってます。はい。
で、この好きっていうのも、なんだろうな、先日、ちょっと遡ってもらったんですけど、
先日、金色のガッシュについて伝え方を取ったんですけど、なんだろうな、
今日話す好きっていうのは、なんだろう、まあ、どっちかというと真面目寄りの好き。
真面目寄りの好きというか、好きに真面目もヘタクラもあんのかよっていう、そういう話もあるんだけど、
個人的にはラフな好きっていうよりも、どっちかっていうとこうなんだろう、
興味深いというか、味わい深いとか、なんかお菓子みたいな、糸お菓子みたいな、
そういう、なんとなく好きかなっていう風に思ってるんで、
なんかテイストとしては、好きは好きなんだけど、あんまり趣味的な好きっていうよりも、
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なんか興味深いんだよね、なんか味わい深いと思ってるんだよねーみたいな、
そういうちょっと好きの話をしようかなとは思ってます。
で、あと、僕一応、歌詞、曲の歌詞とか名言とかも好きなんですけど、
この言葉が好きなんだよねっていうのは、たぶん若干そこに紐づくというか、
具体抽象の関係にはなってるかなって思ってて、
僕がそういう言葉の表現とか、味わいとか言い回しとか、そういうのが好きだから、
そこに付随する歌詞とか名言とかにも結構心を動かされるっていうのはあるかもしれないけど、
もう好きになってんのかなーみたいなことを一応ふわーっとは思ってる。
そんな感じですかね。一応前置きとしては。
今日はね、言葉好きなんだよねって話をちょっとしていこうと思ってます。
で、結構ね、話そうかなって思ったきっかけは一応最近あったんですけど、
前々からやっぱ好きだなーっていう感覚があって、好きだなーというか、
なんかこだわりあるよなーって感覚が自分の中であって、
明らかにそのすごい言葉の細部とかにこだわってたりするし、
あとはそのこだわってる人の表現とかをつい見ちゃったりするし、
なんか前々からやっぱ好きな、これ自分自身に対して、
好きな人だよなーっていう感覚が結構あったんです、前々からね。
で、最近ちょっとこういうきっかけみたいなのがあって、
一応そのきっかけを話すと、
自己理解の、自己理解プログラムの同期の人なんですけど、
比較的仲いい人ってちょっとLINEのやり取りをしたんですね。
LINEもラフなLINEのやり取りじゃん。
またそういう深めのトークをしたんですけど、
で、そこで話題に上がったのが、
言語と感情っていうのは真逆の性質を持っているものなんじゃないかっていう話があって、
それも相手の主張というか相手の意見としては、
言語っていうものと感情っていうものは、
ある種反対の性質を実は持っているんじゃないかなっていう、
そういう主張があって、それについてどう思う?みたいな。
そういうふうにどう思う?っていうふうな聞き方をされたんです。
でね、ちょっと待って、どんなやり取りしてる?
ちょっとLINE見ていいですか、今。
書いてあった、書いてあった。
言語っていうのは本来確定的で他者と共有可能なものなんだけど、
一方で感情っていうものは結構曖昧で個人内のものが多いだろうから、
そもそも返還コストが高くて、
そういうのっていうのはある種、感情を豊かに感じるっていうことと、
言語化をするっていうのは反対の性質を持っているものなんじゃないかなっていう、
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相手はそういう意見だったんですよ。
これ別に意見の否定とかじゃなくて、
これは捉え方の違いというか、
僕はこういう考え方をしてるって話なんですけど、
僕は常に言語っていうものは少ないだと思ってるんですよ。
これは僕は二つの観点から言語が少ないと思っていて、
一つ目は伝達量がまず少ないっていうこと。
伝達できる情報量が少ないよねっていう観点と、
もう一個はそもそも語彙が僕は少ないっていうふうに思ってるんですよ。
この言語とか言語化に関してはこの二つを持っていて、
これってまずどういうことかっていうのを順に話していくんですけど、
まず伝達できる情報量が少ないよっていう話があると思うんですけど、
言葉の伝達できる情報量って僕はたかが知れてると思っていて、
言い方悪いんですけど、言い方悪いんですけどたかが知れてると思って、
例えばなんですけど、
例えばすっごい嫌なことがあったとするじゃないですか。
例えばすっごい嫌なことがあって何にしようかな。
本当に何でもいいと思います。
例えば身内に不幸があったとか、失恋をしたとか、
仕事ですっごい嫌なことがあったとか、全然何でもいいんですけど。
相談をしたとして、それに対して、
分かるよーみたいな言うときってあると思うんですよ。
自分でもなんですけど、
僕はかなり共感力とか傾聴力がある側の人間だという自覚はあるんですけど、
でもそんな人間な僕でさえも思うんですけど、
分からないです。分かりきらないです。
分からないわけではないんですけど、
分かるよーとかっていう寄り添いだとか、
共感傾聴って僕はめっちゃ大事なことだと思っていて、
すっごいいいことだし、大事なことだし、
僕はこれからも全然していこうとは思ってるんですけど、
当人ではないから分かりきることはないんですよ。
分かるよー、その気持ち分かるよー、辛いよなーって言っても、
その辛いを自分が味わい切ることっていうのはないわけですよね。
なぜかというと、体験すべてを言葉に載せることができないからです。
僕はこれが情報の伝達量が低いっていうことだと思っていて、
これもあくまで例えば悩み相談みたいな場面を想定して例に出したんですけど、
どんな場面だったとしても、
言葉っていう共通のツールを使って、
誰かに伝えるっていうことはできるんだけど、
自分の体験とか見た景色とかすべてを言葉に載せて、
誰かに伝えるっていうことはできない。
これがだから言葉の伝達する情報量が少ないよねっていうことを
僕は裏付けていると思っています。
他にも例えば、もし仮になんですけど、
言葉の伝達量が100%だと仮定すると、
しなん書とかを読んだらマスターできるわけじゃないですか。
例えばですけど、これ極端な例を出しますよ。
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例えば大谷翔平が野球のしなん書を書いたとして、
それを読んだら、
読んだやつって野球がマスターできるわけじゃないですか。
もし言葉というものの伝達量が100%だったとしたら、
それは文字だったとしたらね。
大谷翔平が書いた野球しなん書みたいなやつを読んだら、
もう誰でも野球ができるわけじゃないですか。
でも現実はそうじゃない。
現実はどうしなきゃいけないかというと、
一定それを参考にした上で、
自分が練習してみたりとかして、
自分の体験とか肌感覚を味わって、
そうやってスキルというものを習得していくものじゃないですか。
だから実際、言葉だろうが文字だろうが、
音声だろうが文字だろうが、
誰かを伝えるっていう動作っていうのは、
どう考えても減衰が起こっているんですよ、情報用に。
僕の体感ですけど、5%も伝わってないんだと思ってるんですよ。
僕の感覚ね。
これが僕の最初に言った、
伝達量がまず少ないよね。
言葉って伝達量が少ないものだよね、
っていうふうに思ってます。
で、2つ目に言った、
語彙が少ないよねっていう観点なんですけど、
最初LINEのきっかけの話に戻ると、
僕は、ちょっとごめんなさい、
話が2点、3点して申し訳ないですけど、
感情と言語っていうのが、
逆の性質を持ってるわけではなくて、
僕は言葉が常に少ないっていうものだと思ってるんですよ。
僕の捉え方は。
逆ではなくて、言葉が常に少ないんだと思ってるんですよ。
で、ごめんなさい、
ちょっとまださっきの話にくるんって戻るんですけど、
次が、語彙が少ないよねって話があったと思うんですけど、
感情って僕は、かなり微細なものだと思ってるんですよ。
微細っていうか、流度が高いものだと思ってるんです。
その人の感じるものっていうのは。
で、その感情を的確に表す言葉がない。
ないっていうか、少ない。
世の中には少ないんだと思う。
例えば、怒りにもいろんな怒りがあると思うんですよ。
だし、1秒前に怒りとかって、
アンガーマネジメントじゃないけど、
下がってったりすると思っていて、
もっと人間の感情って、もっと曖昧で、
共通可能な何か一つのワードに落とし込めないんだと思ってて、
これが僕は語彙って少ないと思ってるんです。
他にも見た景色とか、経験とかも、
本来はできないんだけど、
どう言ってるんだろう、これ伝わってますかね。
辞書に書かれてる言葉が少ないんだと思うんですよ、常に僕は。
だと思ってる。
もっと頭の中の経験とか、見た景色とか、
自分の体感とか、感覚とか、
感情とかっていうものの情報量ってもっと詰まってて、
微細で流度が高いんだと思うんだけど、
その流度が高いものを、
言葉には実際はできないんだと僕は思ってます。
語彙が少ないっていうのは、
情報量が少なく、
かつその情報量って比較に表せる語彙が少ないっていうものが、
僕はまず言葉だと思ってます。
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これが僕の前提認識です、
言葉に対しての。
言葉とか言語化とか表現っていうものに対しての、
これが僕の前提認識なんですよ。
で、なんだけど僕は言葉が好きなんです。
なんだけど。
これここまで前提の話です。
前提としてはそういう認識を持ってるんだけど、
でも僕は言葉好きなんですって話をしたくって、
で、これは何でかっていうと、
少なくてもそこに合う表現を持ってくるのがけなげだと思ってるからなんです、
僕は。
少ないのは分かってるんですよ。
分かってて、なんだけど、
そこにどうにか伝えんとする、
フィットせんとする表現とか、
ワードチョイスみたいな言い回しとかを持ってくるのが、
僕は美しいことだと思ってるんです。
だから言葉を僕はないがしろにしたくないし、
結構こだわりがある方だと思ってるし、
気にしちゃうし、見ちゃうし、
こうやって語っちゃうしみたいなところがあると思ってる。
で、近しいものをチョイスするのが美しいっていうのは、
例えばどういうことかっていうと、
さっきじゃ僕怒りって言葉を表現したと言ったと思うんですけど、
怒りにもいろんな怒りがあるじゃないですか。
例えば、
怒り、
まあ、動詞名詞とは適当にバーって出していきますけど、
怒りもあれば、
生きどおりとか、
怒る、
憤怒とか、
許せない、
やるせないとかもありますよね、
例えば。
でも、この辺とかって、
全部若干ニュアンスが違うじゃないですか、若干。
許せないとやるせないの。ニュアンスが違うじゃないですか。
やるせないって、
なんかまあ、あえてこう説明すると、
怒りと、
ちょっと悲しさ、
虚しさみたいなのが入り混じった感情をやるせないみたいな感じで表現する。
同じ、
怒りっていうカテゴライズの言葉なんだけど、
いろんな言葉があると思うんですよ。
で、今のその自分の感情とか、
経験、体験にフィットする表現はこれであろうって言って、
選んでくるのが僕は美しいことだと思ってるんですよ。
それは全然僕は無駄だと思わなくて、
それが僕はすっごい美しいと思ってるんですよ。
で、他にも色の表現とかも、
結構なんかよく、
日本がそもそも色にかけると、
色が結構豊富な言語だと僕は思っていて、
例えば、
白って200色あんねんみたいな話あると思うんですけど、
その例えば白も、
何だろう、例えばですけど、
晴れた日の雲みたいな、
白色って表現することもできるし、
買ったばかりのワイシャツの色、
みたいな感じで表現することもできるじゃないですか。
同じ白っていう、
ホワイトっていうカテゴライズの言葉なんだけど、
そこに対して持ってくる比喩とか表現とかによって、
印象って変わると思っていて、
もちろん変わったとって僕は常に少ないと思ってるんですよ。
その発信者というか、
筆者みたいな人の全てを表現する、
体現する言葉っていうのは事実上存在しないんだけど、
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でもそこに対して最もらしい、
近いものを持ってくるっていうのが、
僕はすごく美しいことだと思っていて。
だから僕はそういうのをつい見ちゃって、
歌詞とかに、
これってどういう意味なんだろうとかって考えちゃうし、
逆にこういう表現を持ってきたらそれはアッパレだよって思っちゃったりするし、
もっと短く言っていいのか分からないですけど、
例えばノートとかの簡単な読みもの書きものとかも、
こういう言葉選びしたんだこの人はみたいな感じで、
そこに結構胸を打たれるって言ったらちょっと大げさかもしれないけど、
すごい素敵な表現をする人なんだねこの人はっていうのを思ったりする。
結局それも、
こんな言い方したらあれですけど、
学校のテストの問題でこの時の筆者の気持ちを答えなさいじゃないけど、
わからないんだよね。
言葉にしてる時点で減衰は絶対起こってるから、
伝えたい、こういう情景とか感情を伝えたいとかっていうものに対しての減衰は起きてるんだけど、
でもそこに対して、
こういう表現とか、こういう言い回しとか、
こういう言葉選びみたいなのを持ってきたんだねっていう、
それが僕はすごくなんかね、
いいなって思っちゃうタチなんです。
あと、
ちょっと脱線気味になるんですけど、
とりわけ僕、
日本語っていう言語は、
比較的味わい深い言語だと思ってるんですよ。
ごめんなさい、
って言いつつも、
僕そんなにバイリンガルとか、
英語ペラペラに話せるとか、
あんまり言語学に精通してる人間でもないんですけど、
結構僕は日本語は味わい深い言語だと思っていて、
これを感じた例が僕2個あって、
色と感情に対しての、
表現の多さっていうのが、
僕は日本語結構あるなと思ってるんですよ。
例えば色も、
赤、青、黄色みたいな、
メジャーな色もあると思うんですけど、
僕がさっき例えで出した、
雲のような白色みたいな、
言い方もあったりするんですけど、
その色の名前として、
例えば、
これ灰色のイシューですけど、
鈍色っていう色があったりとか、
浅黄色っていう色があったりとか、
あるじゃないですか、
黄色とか、
その特殊な色、
なんか群青とか、
山吹色とか、
例えば同じような系統に属する、
青系統だろうと、
それを微細に表現するっていう言葉が、
かなり潤沢にある言語だと思ってるんです。
感情に関しても同じような感じで、
例えば、
さっき怒りをテーマにしましたけど、
悲しみとかも、
寂しい、悲しい以外に、
なんかあると思うんですよ。
悲壮感とか、
わかります?
それに類する、
細かい細かい、
流度の高い語彙というか、
ボキャブラリーが、
かなりいっぱいあるし、
かつ、
自由とか、
たとえとかも、
結構美しい言語だと思ってて、
日本語って割とね。
わかんない。
僕がそもそも、
日本語しかペラペラじゃないから、
英語とかわかんないし、
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中国語とか韓国語とかわかんないから、
そっちと比較っていうのは難しいんだけど、
そういう似たような言葉でも、
例えば、
赤って一括にせずに、
悲しいって一括にせずに、
そこの流度とか、
細かさみたいなのを、
分ける言葉が、
いっぱいあって、
僕は結構それがやっぱ、
いいなって思えてるんですよね。
僕自身は。
で、
あと、
その感覚を、
言葉でどう、
言葉でどう伝えていいか、
わかんないっていうのが、
このまさに僕の言ってる、
言葉の情報流が少ないよねっていう、
この裏付けかもしれないんですけど、
この感覚をどう伝えていいかなと思いつつ、
言葉にするんですけど、
なんかこの、
僕はそのね、
言葉の、
裏を考えちゃうんですね。
裏を考えるって言うとちょっとね、
印象悪くなっちゃうんですけど、
これ多分ね、
分かる人は分かるし、
分かんない人は全然分かんないと思うんだけど、
書いた人のそのね、
なんかね、
この言葉の裏側というか、
どういう意図、
意味を込めて、
この言葉を紡いでるんだろう、
みたいな、
そういう想像するんですよね。
多分これって結構そういう、
共感性とか共感力とか、
そういうセンサーが多分鋭い人は、
多分うんうんって分かると思うんですけど、
そういうなんかもう本当に、
日常的なやっぱりやり取りとかでも、
なんかその言葉のひとつから、
あれこの人ってこういう気持ちなのかなとか、
こういうこと考えてるんかな、
っていうところの多分センサーが、
結構敏感なんですよね。
敏感、
ごめん、敏感な人がいて、
敏感じゃない人が多分中にいるんだけど、
これ別にヨシア人の話はしなくて、
タイプの違いの話ではあるんだけど、
僕はとりわけやっぱり敏感な人なんですよ。
だから例えばSNSとかのやり取りとかでも、
そういう言葉のやっぱり一つ一つの表現とかっていうのに、
すごく多分、
これ別にあんまりこう、
これを聞いた人がさ、
軽快とか緊張とかしないでほしいんだけど、
でもやっぱりすごい愛意表現する人だなって思うときもあるし、
これが例えばそのSNSみたいな、
両方向のやり取りじゃなくて、
例えばそのノートとか、
あるいは小説とか、
あるいは曲の歌詞とかでもそうかもしれないけど、
これを書いた人、
ノートだったらその筆者の人だし、
歌詞だったら作詞家さんなんだけど、
どういう意図とかどういう願いを込めて、
その言葉の裏というか、
深みっていうかな、
みたいなものはどういうものがあるんだろうと。
結構僕はそれを考えて、
物語までいくとちょっと言い過ぎなんだけど、
その裏の物語とかを結構考えたりして、
この人ってどういう人なんだろうとか、
こういう思いを込めてこの言葉にしたんかな、
みたいなことを結構僕は考えてるんですよね。
だからまとめじゃないんだけど、
感情と言語とか、
あるいは言語、非言語みたいなのがあると思ってて、
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僕はここでどっちが重要とかって全然言うつもりはないんですよ。
別にどっちの方が大事だとかって言うつもりもないし、
言語って減衰してるから無駄じゃん、
情報量が少なくて無駄じゃんって言いたいわけでもなくて、
別にヨッシャーシとかじゃないんだけど、
僕は言語っていうものは情報量が少ないし、
これを表せる言葉っていうのは、
本来は辞書には載ってないんだけど、
そこに対して可能な限りそれを分かち合おうとするというか、
それを共有せんとするっていう最もらしい言葉とか表現とか、
そういうのを紡いでるのを見ると、
それはすごく僕は素敵なことだなと思って、
あーってなるの。
あーってなるのみたいな、
ここに来て語彙力が崩壊したんだけど、語彙力が。
なんかね、あ、いいなーってなるんだよね。
非言語も大事だと思うんですよ、結局。
非言語が結局情報量高いのが分かるんだけど、
僕はでもそこに対して最もそれらしいとする言葉を持ってくる、
みたいなのが手投げだなって思ってるんですよ。
だから僕は言葉っていうのは常に不完全で未熟だと思ってる。
常にね。だって足りないんだもん。
情報量も足りないし、語彙も足りない。
味わい深いと僕が思ってる日本語でさえも足りないと思ってて。
なんだけど、足りないなりにそれを組み合わせて紡いで、
そこに対して分かち合おうとするというか、
そこに対して最もらしかったり、何か伝えんとするっていうものを紡ぐのが
僕はすごい素敵なことだというふうに思ってるっていう話。
っていう話です、今日のお話は。
こんな感じかな。
だからめっちゃまとめると、言葉っていうのは少ないんだよって。
情報量も語彙も少ないんだけど、
少ないけど、でもそこから最もらしいのを紡ごうとするのがいいんじゃんっていう話です。
今日のお話はそんな感じでした。
終わった方がよろしい感じでいいですか?こんな感じで。
最後に余談なんですけど、最近めっちゃスタイル太ってるじゃないですか。
僕めちゃめちゃ考え事マンなんですよ。
思考マンというか内省マンなんですけど。
別に内省は今に始まったことがないんですよ。
昔からずっとこんな答えのないような、誰に話すでもないようなのめっちゃ考えてて。
考えてたんだけど、最近スタイフに発散してやろうかなって思って。
だから最近スタイフの頻度がちょっと高めなんですよ。
僕も気まぐれな人間なので、やるときはやるし、
辞めるときはバッタリいいかなって辞めるときは結構あって。
本当に気の向くままにみたいなところが正直あるんですけど。
ゆるいと聞いてもらえるのが一番いいね。僕は結構マイペースな人間だから。
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僕もこの思考を垂れ流したいなって言い方するとあるんだけど、
こんなこと考えてるんだけどね、っていうのを流したいっていうときが結構あって。
そこの場所としてこのスタイフを使わせてもらってるっていう形になる。
なので最近いろいろ考えてることあって、
もっと好き理解じゃないけど、もっとラフな好きとかも、
あれ話してもいいな、これ話してもいいなって思ってるんだけど、
日々温度感高いというか、これはスタイフにとってもええかなみたいなものを
自分の頭の中で優先的に話したりしてるんで。
今日はだから自分の中で未熟で不完全なんだけど、
そういう言葉とか表現とか言い回しが好きなんだよね。
自分はそこにこだわりあるし、それを大事にする人とか。
そこに対して言葉を紡ぐっていうプロセスはすごく美しいことだと思ってるんだよね。
そういう話を聞いたかったんで、それを今日はスタイフしたって感じです。
そんな感じで今日は終わろうかな。大体25分くらいなんで。
今日はこんな感じでスタイフ終わっちゃいます。
もしよかったらまだ聞いてない僕のスタイフの時、
もう一本聞いてもらえると嬉しいし、感想とかも意外ともらえるので。
これでマイペースにやってる身ではあるんだけど、
すごいモチベーションになるんで。
あれは面白いなとか興味深いなって思ったら、
ぜひぜひXの方でもいいんでコメントとかもらえるといいかなと思ってます。
今日はこれで終わります。
じゃあね。バイバイ。