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#107 本当の自分なんてない?「分人」という考え方と、私の「からあげ」ペルソナ
2026-06-10 14:50

#107 本当の自分なんてない?「分人」という考え方と、私の「からあげ」ペルソナ

今回は近所の公園を散歩しながら、平野啓一郎さんの提唱する「分人」という考え方についてお話ししました。私自身の「からあげ」というネット人格の成り立ちから、リアルな自分との境界線や融合について掘り下げています。


オープニング・近所の公園から

直近のイベント告知(技術記事プラットフォーム・NT金沢)

メイントピック:「分人」という考え方について

個人(インディビジュアル)と分人(ディビジュアル)の違い

ハンドルネーム「からあげ」の誕生秘話

リアルな自分とペルソナが飲み込まれる危うさ

エンディング・お便り募集


■参考リンク

分人という考え方『私とは何か――「個人」から「分人」へ』書評(blog)

https://karaage.hatenadiary.jp/entry/2021/09/10/073000


私とは何か 「個人」から「分人」へ(Kindle)

https://amzn.to/4aEJvn3


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からあげ帝国放送局、始まります。この配信では、AIの会社で働きながら、作家として本を書いたり、個人でメーカーとしてものづくりを楽しむ私からあげが、技術の話であったり、個人のスモールビジネス、その他雑多なことをお話ししていく配信です。
今日もですね、いつものように近所の公園を散歩しながら収録しています。今日は結構ちょうどいい天気ですかね。少し涼しいぐらいで、絶好の散歩日和かなというところです。鳥もですね、ちゅんちゅん鳴いている。そんな感じですね。
最近というかですね、今月は結構いろいろイベントが多くてですね、来週の土曜日とかは、ZENという技術記事のプラットフォームのイベントでですね、オフラインで東京でイベントに行ったりですね。その次の週はNT金沢というですね、ものづくり系のイベントですね。金沢の方に行ったりします。
両方ともオフラインなので、なかなかですね、東京と金沢というところで来れる人も限られるかなと思いますが、よかったらですね、ちょっとZENの方はもういっぱいになっちゃって中止になっているかもしれないんですけれども、NT金沢の方はですね、金沢駅近くのですね、地下のところで入場無料で誰でもですね、見学できるような形になっているので、見に来ていただければというところですね。
最近作っているですね、デスクトップロボットというか、スタックちゃんという小さいロボットにですね、AI搭載して、なんかちょっとやってみようかなみたいな展示というかですね、ちょっとしたプチ出展をですね、プロトペディアさんというですね、ものづくりのプラットフォームの一部としてですね、展示をさせていただく予定です。
といったところでですね、宣伝は以上にして本題に入っていこうと思うんですけれど、今日はですね、文人っていう考え方についてお話しようかなと思っています。
このですね、話はですね、もともと知ったのが、古典ラジオでどこの回か忘れちゃったんですけれども、そのパーソナリティの深井龍之介さんですねが、文人っていう考え方があるんだよっていうのをその配信の中で、音声配信の中で話していて、そこで興味を持ってですね、いろいろ調べてみたっていうのがきっかけですね。
この文人っていうのは平野圭一郎さんという作家さんのですね、私とは何かっていう本ですね、そこで提唱されている概念です。
で、この文人っていうのは一言で言うのが結構難しいんですけれども、個人ですね、インディビジュアルに対応したですね、その反対語として文人っていう考え方を提唱していますと。
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で、この文人がどういうものかっていうと、よく本当の自分とかですね、一貫した自分、裏表のある人間ってあんまり良くないみたいな雰囲気があったりすると思うんですけれども、人間ってそんな単純というかですね、一貫した存在ではなくて、
その時々に応じて、例えば置かれた環境であったり、その周りの人との関係によって変わるものですよねという、環境とか人と自分との相互作用で自分という人間は振る舞いが決まるというか、発言するみたいな考え方を提唱しています。
本を読んでいて、さすが作家さんだなって思ったのが、個人で英語でインディビジュアルと言うんですけれども、これの語源とかに遡ってですね、ラテン語とかに遡っていた記憶があるんですけれども、結構昔に読んだので間違っていたらすいませんというところですが、
インディビジュアルのインっていうのは、いわゆる否定ですね。何々でないということを表しますと、インディビジュアルのディビジュアルは語源を遡ると分けられるみたいな意味合いになるらしいんですね。
確かに英語でディバイドとか分けるみたいな言葉があるので、そんな雰囲気なんだと思うんですけれども、要はインディビジュアルっていうのはもうそれ以上分けられないみたいな定義なんだよと語源を遡ってですね、定義付けた後ですね、そのインを取ると否定がなくなるのでディビジュアルになって分けられるようになるので、個人の対義語として文人っていうのを言えるんじゃないか。
インディビジュアルじゃなくてディビジュアルっていうですね、文人という言葉をですね、造語になるんですけれども提唱しているというところで、さすがですね、プロの作家さんはすごいなと思いましたね。一応自分も本とかは書いていますけれども、自分は技術書とかでですね、すごい日本語を上手に扱うみたいなことはやっぱりできてないなっていうのを、というか自分との格の違いをですね、
この部分を読んだだけで感じさせられましたねっていうところですね。で、文人の定義は決まったんですけれども、具体的にどういうことなのっていうと、この考え方は私的にはすごいしっくりきましたね。
というか、私自身がですね、結構文人の考え方に近いことをすごいずっと前からしてたっていうところですかね。具体的に言うと、私も唐揚げという名前でですね、実はですね、本名が別にあるんですけれども、このネット上ではですね、唐揚げという名前で活動していて、で、実際のというかですね、本名で普通に働いている自分とは結構違うんですね。
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やっぱり、というかですね、もともと遡ると、私がですね、この唐揚げという名前というかハンドルネームというかニックネームですかね、を使うようになったのって大学生ぐらいの頃だったと記憶しているんですけれども、なんでそんなことをしたかっていうと、やっぱり自分のですね、生活がですね、全然うだつが上がらないというか、大学でモテないし、考え方もすごい保守的ですし、
人見知りして、なかなか知らない人と話しかけたりすることも全然できないみたいなところがあって、自分自身があんまり好きじゃなかったんですね。今もそこまで好きなわけじゃないんですけれど、当時は本当にですね、それで自分のことがそんなに好きじゃなかったので、
自分のですね、理想的な、こうなりたいんだっていうですね、理想像みたいなものを作り上げて、自己破滅的で、その時音楽でロックとかやっていたので、やっぱり間違った、勘違いしたロック像っていうんですかね、いわゆるセックス、ドラッグ、ロックンロール的なですね、破滅的で、反社会的で、結構社交的というかですね、
女の子にも平気で自分から声をかけれるみたいなですね、理想像を作り上げてですね、それを演じる、要は遊びから始まったんですね。なのでですね、実は初期の頃のブログとかはですね、本当に全部下ネタとかですね、反社会的なことばっかり書いてありますね。
本当に初期のやばい奴は、もう今インターネットアーカイブにちょっと残っているぐらいなんですけれども、それでもですね、私のブログのですね、初期の方を読むと、わずかながらですが、そういった片鱗というかですね、痕跡が残っているのが見えるかなと思います。
これは少し極端な例かもしれないんですけれども、結構誰しもがですね、例えば仕事での自分であったり、昔のですね、友人、小学校時代の同級生と同窓会で会った時の自分とかですね、家族といる自分とか、一人でいる自分って、結構それぞれ違うのが当たり前なんじゃないかなって思います。
それこそですね、地元の友人同士でバカ話をしていた友人がですね、仕事だとすごいパシッとスーツを決めてですね、ピリッとしているみたいなこともあると思いますし、それとは逆にですね、ピシッとしていた人がですね、ちょっと家庭では良いパパさんとか、全然キャラクター違うじゃんっていうのは、誰しもがですね、よくあることとして理解できると思うんですけど、
それもですね、否定的に見ると演じていて一貫性がないみたいな、例えば俳優さんでも仕事でもプライベートでも、例えば木村拓也さんとかはひょっとしたらそんな感じかもしれないんですけれど、どこでも一貫してそうな人がやっぱりかっこいいというか、
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そのところどころでですね、ちょっと態度とかですね、キャラクターが変わるのはなんかかっこ悪いというかですね、裏表があるんじゃないかっていうふうに否定的に思われることもあるんじゃないかなと思うんですけれども、そうじゃなくてですね、そういうふうに周りとの関係性から自分の存在っていうものは変わっていくんだよ、変わり得るんだよっていうのを肯定する考え方が文人っていう考え方ですね。
なので、例えばですね、自分探しで一人で旅に出るみたいなことをよく言ったりもすると思うんですけれども、文人の考え方で言えばですね、普段とは違う一人でいるときの自分とかですね、旅先であったいつもとは合わない人との関係性で発言する、新たな自分を探しているとか見つけるような行為になるんじゃないかなと思ったりもしましたといったところですね。
で、こういった考え方がそれほど昔はメジャーじゃなかったっていうのはですね、やっぱりどうしても自分の一人の肉体という強い制約があるので、それにどうしても縛られるっていうところは多かったかなと思います。
仕事の自分と家庭での自分は全然違う人間なんだよみたいなことを言っても、いやいや同じ体でしょうみたいなことを突っ込まれて終わりだったんですけれども、最近はですね、やっぱりインターネットの発達とかですね、あとは例えばVTuberとかでアバターとかの発達ですよね。
そういうことで複数の自分の存在をですね、ある程度ですね、場所とかあと自分の肉体とかにですね、縛られる制約が薄れてきたので、こういう文人という考え方もよりですね、理解が進んでくるんじゃないかなっていうところと、結構当たり前のように一部では受け入れられていくんじゃないかなと思います。
さらにですね、今AIが発展するとですね、今だとなかなかこう同時にですね、2つの人格とか3つのですね、文人を発言するみたいなことが難しかったんですけれども、このAIで自分自身の文心をですね、同時に働かせることができるようになってきたので、なんかこのより文人という考え方はですね、強くなっていくというか、受け入れられていくんじゃないかなと思ったりします。
というところですね。ただ一方ですね、個人というですね、昔ながらの考えの強さっていうのも感じたりはしますね。やっぱりですね、とはいってもその一つの肉体っていうのは、なかなかこう逃れられない制約でもあったりしますし、私自身もですね、この唐揚げという存在とですね、実際の私が本名で活動している存在がですね、長年を通じてですね、
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なんかだんだん近づいてきたかなというふうには感じますね。自分自身の方がですね、少しだけ何て言うんですかね、積極的というか、反社会的になっているかわからないんですけれども、そんなような形になったりですね、唐揚げという名前でいろいろ実際のリアルのイベントにも出たりですね、はたまたですね、そのつながりで就職するみたいなですね、
その唐揚げという名前で活動していたですね、当初ではですね、想像もしなかったような事態になっているかなと思いますし、逆にですね、この唐揚げという存在もですね、私自身の結婚とか立場の変化とか、やっぱりそのある意味華麗というんですかね、多少落ち着いてきたというかですね、悪く言えば丸くなってきたという感じですね。
なのでそんなに最近は過激なこともですね、言わなくなってきたかなというところですね。なので昔はですね、なんか唐揚げさんって実際と全然違いますねってことをしょっちゅう言われてたんですけど、最近はですね、割とそこまでは言われなくなってきたかなという印象はありますね。
【佐藤】はい、ありがとうございます。
【佐藤】はい、ありがとうございます。
【佐藤】それではまた。
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