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田中嘉人のStammer Studio どうもStammerの田中嘉人です。
Stammerは、吃音の人という意味です。 私はStammerです。
つまり、吃音の人なんですけれども、 そんな私が一人で喋っていくポッドキャストです。
今回もよろしくお願いします。 私ですね、小学校の教員をやってるんですけれども、
子供たちの発言とか行動に、やっぱり敏感なんですよね。 この前、1年生の子供が、うんと思うことを言ってて、
みんな休み時間、イカゲームやろうぜとか言ってるんですよ。 イカゲームやるの?
やばくないか、この子たち。何しだせんかな。 あんまり良くない遊びとかしてないかなと思って、こっそり見に行ったんですよ。
そしたらね、結局イカゲームは何だったかというと、 平均台みたいな丸太があって、その上で2チームに分かれて、
歩いてきて、じゃんけんして、負けた方が落ちるみたいな、普通の遊びだったんですね。 昔から本当にあるやつ。
それをイカゲームって言ってるんですよね。 だから、多分あれじゃないですか、イカゲームの中、僕も全部見たわけじゃないんですけど、
あの人がガラス張りの床みたいなやつから下に落ちていくシーンじゃないですかね。 それを多分見た子が、
松一ですよ。言ってるんでしょうね。 だからちょっと、ああなるほどなと思った反面、
でもこの子たちの頭の中では、じゃんけんで負けて、この丸太から落ちると死ぬっていう想定になってるんだ、みたいな。
うーんと思って、それはそれで微妙だなぁと思って、そういうことがあったんですよ。
で、そのイカゲームってエンタメじゃないですか。 すごい今では流行ってから結構経ってますけど、
やっぱり未だにもう本当に小っちゃい子から見てるわけですよね。 デスゲームですよね。
あ、そうそう。でね、その松一ですよ。 松一の子供たちのイカゲーム、丸太の上からじゃんけんをして負けた人が落ちるみたいな。
その原因も一応ね、ゲームマスターがいるんですよ。 だから従来の丸太じゃんけんと違うのはそこかな。
なんかね、ゲームマスターが指示を出してくるんですよ。 楽しませてもらいましたよ、皆さんみたいな。
そういうね、上から言ってくるようなゲームマスターがいるんですよね。
ということがありました。でね、やっぱエンタメって何だろうっていう今日話なんですよ。
だからもうその小っちゃい頃の中にも、そういう人が死んでいくエンタメを見て、
面白えってなっちゃってるんですよ、今の世の中ね。 エンタメって何だったんだっけっていう話ですね。
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ただ面白ければいいのかみたいな。 面白いに越したことはないと思うんですけど、本当にそれでいいのかなっていう話です。
ということでね、ちょっとエンタメの話をしたんですけど、文学もエンタメだと思うんですよね。
小説とかね、本ですね、物語か。 物語の中でも文学。
で、それって何かのインタビューでね、すごい作家の人が、全然名前とか覚えてないんですけど、
やっぱり文学っていうのは、世界で起きていること、世の中で起きていることと、その読んだ人を近づけることだみたいな。
そんな話をしてた気がするんですよね。 また別のね、作家の人は
文学とか物語によって人々を目覚めさせるんだじゃないけど、宗教じゃないんですけど、
そういう役割が文学とかエンタメにはなきゃいけないみたいなね、そういう話を聞いたことがあるんですよ。
これ要するに、読んだ人が自分とは遠い世界で起こっていることを自分ごととして捉えて、考え方を変えたり価値観変わったり、
あわよくば行動を起こしてほしいみたいな、そういうことだと思うんです。
そうやって人々を変えていく、人々の頭の中とか行動を変えていく、人間をより良い方向へ導いていくためのもの。
僕の拡大解釈かもしれないですけど、そういう役割が文学とかエンタメにはあるんだみたいなことを、プロの人が言ってた気がするんですよね。
あとね、音楽ってミュージシャン、ロックミュージシャン、アジアンカーフージェネレーションの曲の中に、夜を越えてっていうのがあるんですけど、
その中の歌詞で、身近な誰かがどこに来れても気づいてないような素振りで見てみるふりをできるだろうか。
遠くの街の出来事がニュースになっても僕らはいつも人ごとにして忘れてきたんだ。本当にこれでいいのかという歌詞があるんですよね。
やっぱりそのアジカンの後藤さんとかも、人々と世界で起きていることっていうのを人ごとじゃないようにして、自分ごとにして結びつけたいと思ってて、
それが世界を変えることなんだっていう。本当の世界がもしかしたら変わるかもしれないし、その個人の頭の中にある世界も変わるかもしれないし、
そういうことを僕たちはしたいんだみたいな。かっこいいですよね。
ロックンロールは無力だとか、音楽は無力だとか、ロックは死んだみたいなね。
そういうことが言われた時もあったけど、音楽で世界を変えるなんて青臭いみたいな。いやでも、それをしたいんだみたいなね。
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そういうことを言ってるからね。本当かっこいいなぁと思うんですよね。
文学とかもね、きっと目的というかはそんなに変わらないと思うんですよ。要はそういうことだと思うんですよね。
じゃあそのエンタメ見て、そんなデスゲームのエンタメ見て、それで人が変わってるかって言ったら、ちょっとそうは思えないと。
逆に良くない方向に子供とかになっちゃったりしてますよね。
人が死んでいくゲームが楽しいみたいな。でもそういうのって今の子だけじゃなくて、僕たちだってそういう同じことを思っていたらこれ面白いとかって思っちゃったんですよね。
やっぱりね、人間って実際に見たエンタメとか読んだ本の話とかを、あとニュースか、さっきのアジカンの歌詞じゃないですけど、遠くの国のニュースを、今戦争とかが各地で起きてますけど、
そういうのを見てやっぱり自分ごととしてなかなか捉えられないどころか、ちょっと興奮して楽しんじゃうみたいなところありますよね。
まあ興奮して楽しむ例じゃないんですけど、うちの妻の例で結構ニュースのこととかを言うんですよ。
あとは災害のこととか地震が起きたらどうしようとか、戦争が起きてああだよねこうだよねとかって言うんですけど、
これを僕が言い出すと喧嘩になるんで絶対に言わないんですけど、人事だよなーって僕は聞きながら思ってるんです。
まあでもその僕の態度も人事なのかな、で反省とかもしちゃうんですけど。
っていうのは、ちょっと前にね、アパートに住んでた頃、昔ですね、昔、なんか上の階で場所が同じ人の子が大学生で酔って帰ってきて、
本当は僕ん家の上の階の部屋に帰るはずなのに、酔ってわかんなくなってて、一階下の僕ん家に来ちゃって、
鍵をガチャガチャガチャガチャしてたんですよね。で、絶対に合うはずのない鍵を入れてガチャガチャガチャガチャやって、その時に妻が家にいて、
その時はそういうふうに上の階の人だってわかんないからすごい怯えてて、
マンションの会員会社とかに電話してすごいクレーム行ったり、で、事実がわかって、上の階の人が親子で謝りに来たんですよ。
手土産も持ってきたんですけど、もうそれもいりませんみたいな、すごいパニックになって怖がっちゃってるんですよね。
僕はその場にいなかったから、まあ大学生だし酒飲んで若気のいたらいいじゃん、許してあげなよとかって言ったら陽気に怒っちゃったよね、妻がね。
ていうので、ああ本当に怖かったんだなぁと思って、こんな言い方したらよくないかもしれないんですけど、
そのことでね、そのことでやっぱり現実に自分に起こったことで、すごい取り乱して、すごい心配して、すごいパニックになっちゃうわけなんですよ。
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なんだけど、なんか冷静に他の国で起こっていることとか戦争とかのことは語るんですよね。
もし起こったらどうなっちゃうんだろうねとかって、日本も巻き込まれるよとかって言うんですけど、
ん?巻き込まれるって本当に思ってなくない?って。
それ言うと喧嘩になっちゃうから言わないんですけど、でもこれうちの妻だけじゃないと思うんですよね、こういう人。
まあ普通そうだと思うんですよね。それで自分ごとにはなかなかできない。
マンションの人が部屋間違えて影をガチャガチャやっただけで、まあだけですったらあれですけど、こんなになるんだから、
本当に地震とか起きたり、本当に戦争とかに巻き込まれたり、なんかちょっとしたことで例えば窓ガラスが割れたり、そういう事件とか災害とかで、
そしたら本当に恐怖すると思うんですよ。でもやっぱりそれを、だからそんなに現実味を帯びている感じがしないんですよね、話してる時とかに、
そういうニュース見て話してる時とか。みんなそうだなぁと思うんですよね。
うちの父親とかも、なんか小説とか好きで、時代小説とか好きでいっぱい読んでるんですよ。
その中には、こう自由に生きるみたいな人の話がたくさんあるんですけど、
だけど自分の息子の僕には、就職浪人とかしないで、夢を追いかけないで、
そんなのを諦めて、まずは働くことが一番大事なんだとか、で、自分の歩いてきた道に背負うとするわけなんですよね。
いやいや、いろんな本から影響を受けてるんじゃないんかい、みたいな。いろんなかっこいい人の話とか、読んでるでしょ、みたいな。
そういう自由に生きる人がモデルの漫画とか、本とか好きでしょ、あんた、みたいな。息子にはダメなんかい、それが、みたいな。
だからもう自分の生活は別なんですよね。そういうのはね、やっぱり人間の差がとしてしょうがないと思うんですよね。
だからあと、デスゲームの話にもそうですけど、自分ごとじゃない恐ろしいこと、人の身に起こった不幸とか恐ろしいことを楽しむっていうのは、人間の闇ですよね、真理というか。
SNSってそんな人間の真理をついてますよね、あれ。だから盛り上がるんだから。叩く人をさらに叩いたりさ。めちゃくちゃだから盛り上がってますよ。
でもこれって今に始まったことじゃなくて、わかんないですけど、コロシアムとかね、グラディエーターの世界とか、それとかあと、なんか海外の文学とか読んでも、ブッチャーボーイっていう本があるんですけど、
アイルランドの昔の話ですね。 その主人公の母親がちょっと精神的に異常があるんですけど、
それをやっぱりその周りの人、近所の人がすごいかわいそうがあるというか、表向きはね、そういう感じなんですけど、明らかにその人の話のたれにしてるわけですよね、その主人公のお母さんを。
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で、そのアイルランドの片田舎、昔のね、やっぱそれぐらいしかエンタメがないんだと、っていうのを何かの解説で読んだんかな、そういうアイルランドの昔の世の中を描いてるみたいな。
でも日本もそうですよね。日本の田舎とかも。 都会は都会でエンタメが普及してても、やっぱりそういう誰かが恐ろしい思いをしたり、誰かを傷つけているものを、やっぱどうしても
人事として人間は楽しむ作家があると。そういうのはやっぱりね、いろんな本とか身の回りの人からも感じるんですよね。
で、自分もやっぱりそういうところがありますよね。 だから今でも覚えてるのはやっぱりちっちゃい頃とかも、やっぱりちっちゃい子って銃とか剣とか殺し合いとか戦いとか好きですよね。
それで戦争とか戦車とかね、そういうのに盛り上がるわけですよね。 僕もその例に漏れず、中学生の頃サバイバルゲームとかやってましたし。
やっぱその戦争もののゲームとか、戦略画とか、ファンタジーの世界であっても戦って人が死んでいったりするものをやっぱ夢中になってやってますよね。
全然僕も自分の周りの人のこととか今の子供のことは言えないんですけどね。
そういうことをね、まず前提として人間はそんな感じなんだということを感じるっていうか、まずはそういう話なんです。
でそのエンタメとか文学とか音楽とか芸術とか本当はそういう人間を、人間はそういうもんだから人のことは人のことになっちゃうし、人のことを自分にすることはできないし、
世界のことを自分ごととしてはなかなか遠い世界のことをね、自分ごととしては考えられないからそれを繋げていくのがエンタメなんだみたいな話だと思うんですよ。
でもね、そういうふうに作られているすごい良いお話とか本とかエンタメとかいっぱいあると思うんですよね。
で、本の話になっていくんですけど、中村文則さんの本でアール帝国っていうのがあったと思うんですよ。
それいきなり冒頭から戦争が始まるんですよね。で架空の国なんですよね、その舞台は。
で、その本がすっごい面白いとかつって、なんかアメトークとかの読書芸人とかで紹介させたのかな。
で、その本を僕も読んだんですけど、中身は今の日本の歴史第二次世界大戦とか沖縄戦の悲惨さとかが物語の中では架空の世界として描かれるんですけど、
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明らかに作者、作家の方は、こう、戦争っていう世界のどこかで起こっている現実と、平和ボケじゃないですけど、
この日本を、日本人を、読み手を繋げようとしてるんですよね。
すごい生々しい沖縄戦の描写とかが出てくるんですよね。本の中では架空の世界の話として描かれているけど、
その中でこれですね、アウシュビルツとかルワンダギャクサスとか沖縄戦とか、それは本の中では小説の話だと。
だが向こうの方が現実で、我々の方が現実じゃない可能性だってあるじゃないか、とかって言って、だから物語とか架空のものが現実だっていうこともあるでしょ。
そっちだって、こう、自分ごととして真剣に考えなきゃいけないっていうか、考えるきっかけにしなきゃいけないよ、みたいなことを多分アンに言ってると僕は受け取ったんですよね。
なんですけど、これをただ単純にエンタメとして面白いっていう風に言っちゃう風潮があると。これに限らないと思うんですよ。
作家の人は本当には世界と人々の頭を結びつけたいと思ってるけど、やっぱり受け手によるのか、世の中の風潮によるのか。
やっぱり面白いからね、結局。でもとはいえ、読まれるには面白さが必要だから、めちゃくちゃ面白いのは確かに面白いんですよね、話として。
なので、本当に読んだ人に与えたい示唆っていうか、面白さに負けちゃうこと、それはそれでいいんだと思うんですよね。難しいですよね、いいんだと思うんですけど負けちゃうこともあるなって。
で、僕の中でそうじゃなかったやつが、リアリティかな、がすごかったのはやっぱ戦争映画ですよね。話自体も多分すごく面白いんですけど、それよりもやっぱりそのリアリティの方がすげー入ってきたみたいな。
プライベートライアンっていう映画ですね。見た時期も中学生だったから余計多感だったからだと思うんですけど、
とにかく怖い、戦争。恐ろしい。ただ人が死ぬからとかじゃなくて、苦痛とか恐怖がとんでもない。そうやって感情移入しちゃうとね。
あれも大人になってから見返すと話もすごいよくできてて、戦争の理不尽さとかがわかるんですけど、やっぱ描写がすごくて、とにかくやっぱ戦争の怖さを伝えてるんですよね。
あと最近で言うとね、ペリリュー島の戦いを描いた玉砕した島ですけど、日本軍が。
楽園のゲルニカっていう漫画もあれも怖いですね。本当に生々しさを伝えてるんですよ。
そういうふうに伝えたいことというかメッセージがすごく出てくるものもありますよね。
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それも多分人の感じ方によるんでしょうね。でも面白くてもいいと思うんですよ。面白くてもっていうか、面白いにこうしたことはないっていうか。
僕はもちろんR帝国も面白さと考えさせられることっていうのを両方受け取ったんですけど。
あと村上隆さんの5分後の世界ですね。これもすっごい考えさせられたけど、これは面白さのほうが僕的には勝ったんですよ。
続き読みたい、続編読みたいになっちゃったやつですよね。でも中身はすごいリアルなんですよね。
考えさせられることがたくさんあって、今の日本とか人間とか、人間の在り方か日本人の在り方かをすごい考えさせられたし。
やっぱり世界と自分を近づけるっていうものが文学の一つで、いわゆる面白いだけしかやっぱり感じないんじゃ、受け取りとしてはダメだなぁと僕は思いますね。
今このYouTubeでの刺激とか、ゲームの面白さとか動画とか、あとNetflixとかもそうなのかなぁ。面白いがやっぱり強すぎますよね。
そういう世の中だからやっぱり面白くないとっていうのもあるから、多分作家の人はすごい戦っていると思うんですよ。
面白くて、かつ人々の頭の中を変えられるような作品を作ろうと、それがプロの作家ですよね。すごい世界ですよね。
全然分かったフリしてるけど分かってないと思うんですけど、いわゆる面白いっていうのがなくても、ハマるとさらにまた人生楽しくなりそうだなっていう感じはしてます。
だから純文学とかね、そういうの面白いっていう人は、また今の世の中の一般的な風潮じゃない本当の面白さを知っている人たちなんでしょうね。
そこで僕も最近アメリカ文学がちょっと面白いなぁと思ってます。だからだんだんそういう目が開けてきたのかなぁと思うんですけど。
ジョン・チーバーとか、最初はやっぱりサリンジャーのキャッチャー・イン・ザ・ライとか、カポーティとかね。
あとあれか、グレート・ギャッツビーとか、ロング・グッド・バイとか。だからかなり村上春樹さんの小説とか、村上春樹さんのインタビューから入って、えーと思って読み始めたのが多いんですかね。
だからその、グッドエンド・バッドエンドとかっていうことじゃないんですよね、きっとね。バッドエンドでも面白いし、だからやっぱりちゃんと現実との距離を縮められるものを面白いと思える人間になりたいですよね。
そうすれば、最近エンタメを消費するっていう言葉があって、今その消費のスピードが速いとかって言って言われてますけど、
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消費じゃなくなると思うんですよ、そうすると。そうするとちゃんとなんか、血肉にできる気がしますね。いろんな面白さを分かれば。
単純な刺激とか、表面的な面白さとか、また見てとか、次見てとか、何回ももう見ちゃうとか、そういうのしか味わえないと、そういう人が多いとやっぱりエンタメを消費するって、まあそれは言われるよなって。
消費って言ってるぐらいだからそれは早いだろうみたいなのは思うんですよね。なくなったらまた次のが欲しくなるわけだから。
なんか言ってるのかな、多分そういう批判もあるでしょうね。なんか資本主義でそういう非物質みたいなエンタメみたいなもの、作品とかみたいなものも消費されちゃってるからみたいな、そういうなんか批判とか、そこに立ち向かっている芸術家もいるでしょうね。
ちゃんと自分の糧になって見方が変わったりするものが本当に面白いっていうのを知らなきゃいけないんですよね。
小学校の先生やってますけど、本は心の栄養だとかつって読書を推進したりするけど、読書に限らずいろんなものをなんか自分に取り入れていけるっていう
見方とか感じ方がセンスもあるのかなぁかすごく大事だなぁと思いますね。
でも単純な面白さも大事だなっていう。なんか自分の血肉にしなきゃ還元しなきゃって肩を入れて無理やり読むのも違うしね。
でも人は多分心の底では心の栄養みたいな、自分の価値観がこう変わっていくみたいな、自分が変わっていくみたいなのを求めてると思うんですよ。
まともな人間になりたがってるというか、教養ある、いろんなことを知ってる人間になりたいし、知識欲っていうのもそういうところから来てると思うので。
だからエンタメを消費するだけの人間になりたくないし、消費されるだけのエンタメの表面的な面白さに踊らされたくもないっていう。
今回はそういう話ですかね。
ということで、こういう話はしたかったはしたかったんですけどもっとなんか、本当は本の話をしたかったんですよ。
今ハマってるというか、ちょうど今夢中になっているアメリカ文学のこととか、庭科なりにちょっといろいろ言いたかったんですけど、
ジョン・チーワーっていう作家の名前も出したんですけど、全然話せなかったですけど。
そういう話をしたくて、この話をし始めたんですけど、細かい実際の本の話とかはできなかったですね。
でも、語ってみたいなっていう欲はありますね。
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やっぱり、自分が受けた影響とかも言っていきたいですよね。こういうふうに物の考え方変わりましたみたいな。
だから、僕が聞いてるポッドキャストとかも、単純に本の紹介をしてるやつとかじゃなくて、そういう喋り手の見方とか考え方がすごい出てるやつが大好きですね。
でも、ポッドキャストって結構その人の頭の中が伝わってくるから、ただ紹介してるだけのものであっても、
そういうその人が感じたこととかが入ってるのかなぁ。 だから面白いんでしょうね。
という、趣味との向き合い方って言ったら肩の力入ってるけど、作品とか、それこそ作家の人とかアーティストの人が魂削って命削って作ってるものを、
こっちもやっぱそうやって見たいよなぁ、消費はしたくないよなぁっていうのをすごい思ったっていう話です。
意外と熱い話になったんじゃないでしょうか。
ということで、今回もこれで終わりたいと思います。
もし、最後まで付き合ってくれてる方いたら本当にありがとうございます。
ということで、今回も終わりです。ありがとうございました。