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2025-05-02 09:53

友達のnoteを読んでみた

音夢パンダさんのnoteを読みました。
一人でも誰かに届け!
こちら↓
https://note.com/panda_otoyume/n/na665291f5862?sub_rt=share_b
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サマリー

音夢パンダは、自身の声に対する葛藤と希望を抱きながら、VTuberとしての道を選びます。最初は自己否定に苦しんでいますが、他者の言葉によって自分の声に新たな可能性を見出していきます。

声への葛藤
守りたい声があったから、音夢パンダのV人生はここから始まった。
序章、声がずっと嫌いだった。
僕が、音夢パンダという名前で声を届けて生きていこうと決めたのは、
単にVTuberという存在に憧れたからでも、目立ちたかったわけでも、
誰かの目に止まりたかったからでもありません。
その選択の根には、ずっと心の底に沈み込んでいた、
声という存在への葛藤と、それでも消えずに残り続けてきたほんの小さな希望がありました。
この名前や活動のスタイルには、いくつかのきっかけがあります。
でも、なぜ僕が声という表現手段にこだわり続けるのか、
その問いに対する答えは、もっと静かで、もっと深いところにあるのだと思っています。
だから今日は、その原点とも呼べる記憶を遡りながら、
僕の中でずっと言葉にならずにいた思いを、静かに丁寧に綴ってみたいと思います。
僕は自分の声がずっと嫌いでした。
物心がついた頃から、周囲の子どもたちとは少し違った高さの声をしていたことに気づいていました。
その声は、時にかわいいねと言われることもあったけれど、
それ以上に笑われたり、からかわれたり、無視されたりといった苦い経験のほうが多く残っています。
男子たちには声高とからかわれ、女子たちにはぶりっ子っぽいよねと面と向かって言われたり、
出口を言われ、無視されたりしたこともあります。
ただ、普通に話しているだけなのに、どうしてそんな風に受け取られるんだろうと、いつも心の奥がざわついていました。
そういった日々の中で、僕は少しずつ、自分の声に対して、
これは人を遠ざけてしまうものなんだ、と思うようになっていったのです。
ある日、自分の声を録音してみたことがあります。
そんなにおかしいのかな、と半分怖がりながらも確かめてみたくなったんです。
そして、再生してみた瞬間、そこから聞こえたのは、信じられないほど高く軽い声。
まるでアニメのキャラクターみたいで、自分とは思えませんでした。
自分では、もっと落ち着いて話しているつもりだったのに、
そこには、想像していたものとは全く異なる誰かが存在していて、耳を塞ぎたくなるほどの違和感に襲われました。
これじゃ、笑われても仕方ないかもしれない、と思ったのを今でも覚えています。
その夜、僕は布団の中で、じっと天井を見ながら眠れずにいました。
心がじわじわと冷えていくような、ひとりぼっちの感じだけが、ずっと胸に残っていました。
泣きたかったわけではありません。けれど、何かが深く傷ついてしまったことだけは、はっきりとわかりました。
それから僕は、声を隠すようになりました。
感情をできるだけ抑えて、低めのトーンで話すようになり、髪も短くして、服も某一種なものばかり選ぶようになって、自分のことを僕と呼び始めました。
それは、自分らしさというより、誰にも触れられないようにするための仮の姿だったのかもしれません。
グループでつるむような女子のノリにも、はじめからなじめませんでした。
でも、誰かとつながっていたくて、笑われたくなくて、せめて空気を壊さないように、愛想笑いだけは上手になっていきました。
中学生になる頃には、僕は一人が好きだからと自分に言い聞かせて、孤独を選んでいるふりをして、他人との距離を保っていました。
そして、一匹狼キャラを装うようになっていきました。
高校生になると、少しずつ周りの空気が変わっていきました。大人になってきたというか、あからさまに茶化すような人も減ってきました。
僕自身も、必要以上に身構えずに話せるようになっていた気がします。
ただ、高校生になっても声は変わりませんでした。
でも、鏡の中に映る自分を見て、そっと気づいたんです。
どう頑張っても、僕は男の子にはなれないんだなって。
背も低いし、骨格も華奢で、どこからどう見ても自分は女の子として育ってきた存在なんだということ。
でも、じゃあ女の子として生きていくのかと聞かれたら、それもよくわからなかった。
スカートや可愛い服が好きなわけでもないし、化粧にも興味が持てなかったし、女の子らしく振る舞うことになんとなく抵抗があって、
どちらかを選ぶという感覚では片付けられない自分をどうしたらいいのかずっと迷っていました。
そんなある日、ふとした会話の中で、また恋について言葉をかけられました。
声、綺麗だね。癒される声してるよね。すごく可愛い声をしてる。
こういう言葉は小さな頃から言われたことがありました。
でも、そのたびに笑われた記憶が頭をよぎって、また裏でネタにされるんじゃないかと疑ってしまって、素直に受け止めることができなかったんです。
褒め言葉のように聞こえても、本当は笑ってるんでしょ?って心のどこかで疑ってしまって、
嬉しさよりも先に冷たさが胸に広がってしまう、褒められることと傷つくことがいつも一続きになっている気がしていました。
けれど、その日だけはほんの少しだけ違いました。
まるで声優さんみたいだね。声優になればいいのに。
その一言がなぜかまっすぐ心に入ってきて、小さくて温かい火を灯されたような気がしたんです。
え?僕が?声優?その言葉を聞いた瞬間、僕の中で何かが止まりました。
信じられなかったし、すぐには意味がつかめなかったけれど、その言葉だけはなぜかまっすぐ心に届いたんです。
信じたいけど信じられない。でも、心のどこかではずっとそう言ってほしかったのかもしれません。
その日、僕の中に一つの思いが生まれました。
もしかしたら、自分の声でも誰かの心を温められるかもしれない。
そんなふうに思ったのは、たぶん人生で初めてのことでした。
声で誰かの心に何かを届けられるかもしれない。
ずっと避けていたはずの自分の声に、そんな可能性を見出しかけた瞬間でした。
とはいえ、そこで夢に向かって一直線に…とは行きませんでした。
だって僕の中にはまだ、からかわれた記憶も、自己否定もたくさん残っていたからです。
声の可能性
次回は、そこから僕がどんなふうに進もうとして、
どこで一度立ち止まり、そしてどんな出会いによってまた声に引き戻されたのか、
その続きをもう少し深く書いてみようと思います。
また読んでもらえたら嬉しいです。
ここまで読んでくれてありがとう。ではまた。
09:53

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