夏休みの宿題の思い出
夏休みなんですよ。うちの子どもたちも中学生ともなりますと、何でもいいから自由研究ということにはならないようで、
学校からテーマを与えられて、それについて図書館とかで本を読んで、引用とかも明記して、自分で調べて書きなさいと、そんな宿題をやっているわけですよ。
こんなこと自分の中学生時代にやってたかなと思い出したんですけど、私は名古屋市立の中学校に通ってましたが、夏の生活という冊子があって、あれ?中学生はないんだっけ?小学生だっけ?
いや、小学生だわ、確か。中学生はそんなのもない。ちなみに夏の生活って変なドリルみたいなものなんですけど、薄い冊子で毎日、何月何日、1日1ページみたいな感じで、
算数だったり、国語だったり、主要な教科の何かしがあったり、今日は絵を描きましょうみたいになってたりするっていう、そういうのなんですけど、
私の場合は夏に進み、初日にそんなもん全部やっちゃって、8月31日まで全部やってしまって、あとは遊びほうげてたんですが、
よくあるじゃないですか、8月31日に宿題が終わってなくって、それに追われて大笑わみたいなやつ。
さざやさんとかでもあるあるみたいなやつ。1回も経験ないですね。
中学校の時そうだわっていう、中学の夏休みの宿題ってなんだったんだろう?あんま覚えてないし、その頃には僕も学習塾にも行ってましたから、それはそれでやってましたけど、
中2の時に、中2でいいんだよな、たぶん。何か課題だったのかな、いずれにしても覚えてるのは、理科で元素記号っていうのを習うんですよね。
それで、すげえ忘れてる、水素がHとか酸素がOとか、金属も全部ついてますよね。鉄がFEで銀がAGとかいうやつ。
あれ、なんで銀はAGなのかなって思ってたんですよ。英語かなって最初は思うじゃないですか。だけど英語で銀ってシルバーですもんね。
それぐらいさすがに知ってますよね、中学生でも。金がゴールド、銀がシルバー。銅はわかんないっていうな。銅はカッパーなんですよね。
でもね、カッパーがどうだっていうのは、たぶん当時の中学生は知ってる人は結構多い。なぜならですね、ドラーガの塔っていうナムコのゲームで、カッパーマトックっていうアイテム、誰が知ってるのかな。結構知ってる人いるんじゃないですか。
鶴橋ですね。壁掘ることができるアイテムがあって、それが最初は銅の鶴橋ですよ。アイテムとして取れるんですよね。だんだん面が進んでいくと銀の鶴橋、金の鶴橋で、なんとびっくりすることに私はドラーガの塔っていうゲーム一回もやったことないです。マジで。1秒もやったことない。
ただ、すごい有名なゲームで、何が有名って、攻略が難しいんですよね。全部で60面あって、60階まであるんだよな。塔っていうぐらいですから、1階から60階まで上がっていくと。ギルだっけ。なんか主人公の騎士がいて、ナイトね。カイっていう恋人だったかお姫様だったかを助けるっていうね。
ドラーガの塔のドラーガっていうのはボスキャラの名前ですね。なんか変な怪物の名前で、そいつが60階だか59階だかにいて、そいつを倒すっていう、そういう塔を登ってって倒すっていうゲームなんですけど、塔を上がっていくためにはですね、全ての面にアイテムがあるんですよ。
で、そのアイテムをですね、ちゃんと取っていかないと詰まるんですよね。上の方に上がっていって、立ち往生しちゃうみたいなね。敵が強すぎるし。っていうそういうゲームなんですけど、じゃあどうやったらアイテムが出るか。そこら辺に宝箱とか置いてあるわけじゃなくて、各面でですね、与えられてないんだよな。自分でそれを探し出して、見つけなきゃいけないんですよ。どうやったらアイテムが出るのか。
面によって、例えばその面に出てくる敵を4匹やっつけるとか、なんかいろいろあるんですよ。ここで剣を振るみたいなのがね。で、それがわかんないとアイテム取れないんですよ。で、取れなくても面を進めていくことはできちゃうんで。
っていうね。鬼畜仕様ですよね。本当に昔のゲームだなって感じますけれども。その攻略本がめちゃくちゃ売れてたんですよね。何百万部とね。なんかすごい当時記録的に売れてるって言って騒がれてましたもんね。
ゲームの攻略本っていうのはね、あの頃は本棚を埋め尽くしてましたよね。今全然見なくなりましたけれども。それはなぜかといえばネットを見ればそこに書いてあるからなんですけどね。昔は全部本でしたよね。
で、僕はそのドルアーガの塔の攻略本を見て、カッパーマトックっていうアイテムがあったってことを知ってる。こんなこと全然話すつもりなかったんだけどな。話は出してたのね。話は戻します。
だからAGがなんで銀なのかって、シルバーだったらSVでも良さそうじゃないですか。SIでもね。SIはシリコンですよね。軽素。とかっていうのを調べたんですよね。
英語もあるっていうか英語と同じものもあるんですけれども。H、水素のHとかそうですよね。ハイドロジェンのHですもんね。結局、例えばラテン語から来てるとかそういうのがあるんですよね。
で、それを辞書で調べて、百科辞典ですね、たぶんね。で調べて、主だった中学生で習うような元素記号についてバーッと書き出すみたいなのをやった。これ宿題とかじゃないかもしれないですね。勝手に僕がやってたのかもしれないですね。
あとは、3年生の時にはたぶん国語の先生だったかな。これも2年生かも。2年か3年か忘れましたけど。日記書けって言われてて、ただ小学生の日記みたいなやつじゃなくて、その日思ったこととかを書けっていう風に小川先生、国語の真っ赤な服とか着てた派手な。
自由研究の経験
派手な先生ですけど、に言われてて、それやってたんですよ。まあまあそれで普通そんな大したことを書かないんですけど、所詮中学生ですからね。僕はね結構ね、そういうのやれって言われると燃えるタイプなんで、毎日何かしらちょっと面白いことを書くみたいなのをやろうと思ってやったんですよね。
そういうのは昔から好きなんですよ。だからね、僕基本的にやっぱりね、なんか調べて書くみたいなことが好きで。小説とか一回も書いたことないですね。全く興味はないし、書こうと思ったこともないですね。読むにはしますよ。だけどなんか読んで、ああこういうの書きたいなとか思ったことは一度たりともないですね。
説明的文章、新書とかですよね。別にそんな好きじゃないですよ。僕物語の方が好きでしたからね、昔はね。今でもそうかもしれないですね。なのにも関わらず、説明的文章を書きたいという感じではないんだけど、なんか書くのが好きって感じかな。ちょっと違うんですね、そこはね。
ああいう文章を書きたいなと思ったことはたぶん一度もないですね。じゃなくて、ただシンプルになんか調べてそれをまとめて書くみたいなのがずっと好きなんですよ。
それは自分の記憶だと最初は小学校4年生の時に伊勢湾台風について調べて書いたと。
母とかおじいちゃんおばあちゃんとかですね、伊勢湾台風、そういうのでかい台風がですね、昔名古屋愛知県であって人がいっぱい死んでるんですけど、その伊勢湾台風の記憶について喋ってもらってそれを書いたり、あと図書館に行って伊勢湾台風の本を読んでそれをまとめたりっていうのをまとめたんですよ。
それはたぶん夏の自由研究でやりましたね。したらね、これは先生に激称されたと。ここがたぶん、調べて書くは最初じゃないかな。小1の時から作文とか関数文みたいなのはやっぱ課題があるじゃないですか。
それは書いてて、だけどね、戦害家作までだったなぁ。戦害家作、だから賞を取ったことはないんですよ。しかも僕はどっちかっていうと自分では関数文より作文が得意だったんですけど、作文は全然箒にも棒にもかかんなくて、関数文は戦害家作になりましたね。
今はなって思いますけど、知らないですけど、僕完全に自分の力で全部書いてるので、親が書いてるやつにはかなわないだろうなとは今は思います。何の根拠もないけど、正直思いますもんね。どうやったってこれ親が全部書いてるとは言わないけど入れじれしてんだろうみたいな文章ありますもんね。
本当にそんなことをやって何の意味があるんだろうと思いますけど、まあまあまあいいっすわ。僕は作文とかすごい得意で、関数文はなんで苦手だったかっていうと、別に本なんか読んだって何も思わないことってあるじゃないですか。いまだにありますけど。
ねえ、結構関数文ってテクニックなんですよね。ちょっと主人公に手紙を書いてみる気持ちでとかですね。あらすじを書いてまとめるみたいなのはあんまりいい評価もらえないじゃないですか。
自分の本を読んで自分がどう考えたかを書くのが大事だっていうことですよね。だからそういうテクニックとかあって、作文ってもっとなんかそのだから作文がそうか物語ですよね。小学生の作文ってね。
なんかまあでも一緒か。その時何か出来事があって、その時何を思ったかとか書くのか。僕結局なんかテーマ、課題図書とか与えられて書くっていうよりは自分で好きに書くのが好きだったっていうだけかもしれませんね。
しかも別に大して評価はもらえなかったんですけれども、小4の時のイセワン台風に関してはめっちゃ褒めてもらえたんですよ。別に賞取ったりとかないですよ。てか学校の宿題でしかないし。
でもそれはなんか子供心ですね。こういうことをやると褒めてもらえるのかっていうふうには思ったんですよね。だから中学のさっきの元素記号の由来を調べるみたいなのもハイドルジェンオキシジェンみたいなやつね。全部調べて書くまとめるじゃないですか。
高校時代の学び
国語の日記のやつは別に調べ物はしないかな。毎日毎日何かしら書く。その日の出来事とかでちょっとエッセイっぽいことを書いたり。これがね、当時書いたノートが残ってないんですよね。あったら読みたいんだけど。絶対どっかで捨てられてるんですよね。
まあ、しゃあないですね。で、高校入ってからも、例えば世界史の勉強をするというときには、図書館で何でしょう。何でもいいんですけど、例えばイスラム教についてまとめると。
ムハンマドっていう人がいて、当時マホメットって言ってたような気がしますけど、ムハンマドがいて、どういう馬や蝶とかですよね。いろいろあってみたいな経緯を書いていくと。
それはね、だからいろいろ本を参考書とかをたくさん積んで、それをブワーッと自分で読んでまとめていくんですよ。で、書いていくんですよね。好きなんですよね。
そういうのはね、昔から別に誰にやれって言われたわけでもないし、その勉強法とか誰にも教えてもらってない。特に高校の時は塾行ってないんで、予備校とか全く行ってないんで、勝手にやってるだけなんですけど。
まあまあ小論文対策だと思って、自分はそういうふうにやってたんですけどね。結局好きなんですよ。楽しい。そういうのをやるのが。
大学行ってからももう大学1年生ですぐにゼミ入って、沖縄はなぜ独立せず本土復帰、日本復帰の道を選んだのかみたいなのを調べて書いて。
これもね、皆さんに拍手をいただいた。そういうの多いですね。賞とかもらってないんだよな。皆さんに喜んでいただいたっていう経験があって。
ちなみにそれは大学1年生2年生が、普通ゼミは大学3年から始まるんですよ。でも1年生2年生もゼミやっていいですよって前期ゼミって言ってましたけど。
意識高い学生はですね、意識高いだけじゃないですね。単位ももらえますからね。ゼミを取るわけですね。
で、僕それ入ってて国際社会学の梶田孝道先生っていうところのゼミ入ったんですけど。何人いた?15人ぐらいいて、ほぼ2年生なんですよ。
1年生で入ったのって僕以外誰かいたんだっけ。いたかもしれません。全然覚えてません。
たぶん僕一人かもしくは2、3人とかそんなもんだったと思うんですよね。一応最後1年やるんですけど、自由なテーマでですね、それぞれゼミ論みたいなの出すんですよね。
卒論みたいなもんです。卒論みたいなもんですけど、全然そんな大したもんじゃないですけど、ゼミ論っていうのを出すんですよね。それはだからすごい、私はそうですね、本をいっぱい読んだのと、私がすごかったのは、ちゃんと沖縄のことについて調べるなら、ちゃんと調べようということで、小室創始研究会とか行ってるところが偉いなと思うんですけど、自分で行ってますけど。
調べて書くんですよ、それもね。だって沖縄のこと書くのに沖縄の人に話聞かないといけないんですよ。東京にいる沖縄の人っていうと沖縄県民会みたいなのあって、小室創始っていうのは沖縄の古典があって、それの研究をしている人たちがいるんですよね。勉強会とかやってて、どこで見つけてきたんだろう、そんなの。
でもそこに行ったりしてね、話聞いたりしたんですけど。2年生諸君たちからですね、先輩ですよね。ゼミの後半というか最後の辺は毎回何人かが発表するんですよ。3、4人とかが4回ぐらいに分かれてゼミ論を発表していくんですよね。僕の時だけみんなが拍手してくれたんですよね。偉いでしょ。内容が良かったからだと思いますよ。
っていうね。それをずっとやってる。会社に入ってからも。だって記者の仕事なんて基本的に取材とか言ってますけれども、どっか行って人の話聞いて書く。人の話が圧倒的に取材って多いんですけど、私結構昔から本読んだり図書館行ったり論文読んだりとかっていうのはやるようにはしていたつもりです。
ポッドキャスト制作の裏側
警察取材する時もちゃんと刑法とか刑事訴訟法とかに勉強する。自分なりに大学に行ったりとかじゃないんですけど、私社会学部なんで知って臨むと。そうしないとレベルの高い話できないですからね。
今何やってるかって言うと、途中バーンって全部吐きましたけれども、今何やってるかって言うと、ポッドキャスト作ってるわけですけれども、これも毎回毎回テーマが違うんで、しゃべるのは相手の記者ですから、それに合わせてうんぱんはいとか言ってりゃいいんですけれども、それだけだと全然面白くないので、
番組が始まる前にそのテーマに関してはこういうことを言えば、言えばというかこういう手について指摘をすれば面白くなるんじゃないかなみたいなのを必ず用意していくんですね。
それ全部勉強なわけです。下調べをしておくんですよね。最近AIが使えるんでね、すごい楽になりましたけれども。ひたすら調べって書くじゃなくてしゃべるになってますけれども、しゃべるって言っても、私がしゃべるというよりは相手にしゃべらせるとか、相手にぶつけて反応を取るみたいなことなんですけれども、いずれにしても一緒ですよね。
で、それをね、昨日その後輩の子にそういう話をしていて思ったんですけど、一緒だと思って何が一緒かっていうと、面白いポッドキャストを作るっていうことと得種を取るっていうことがすごい一緒なんですよね。
何言ってるのかなって思うかもしれませんけど、得種スクープってね、新聞記者だったら必ずね、取りたいものなんですよ。
そういうのってどうやって取るのかっていうと、何を書けば得種になるのかっていうのを考えるんですよね。
すごい一番単純なところだと事件とかそうですけれども、事件に関してどんな話が取れれば大きく扱われるのかっていうのを理解する。
で、それは誰に聞けば話が取れるそうかっていうのをやっていくっていうのは得種を取るっていうことなんですよね。
なんか前にも話した気がしますね。
ポッドキャストも一緒で、それぞれのテーマの時にこういう話をすれば、あるいはこういう味付けができれば聞いた人が面白がってくれるんじゃないかっていうのを最初に見つけろっておくっていうことなんですよ。
それはすごい大事で、そこにこだわりすぎちゃいけないんですよ。これ流れ違うわと思ったらさっさと捨てなきゃいけないんですけど。
それ捨てられない人って普段からやってないからなんですよ。もったいないと思っちゃう。だけど毎日やってるから別にどんどん捨てるんですよね。
そこにこだわったところで、別にまた次のやつでやればいいしみたいな話だから、バンバン捨てていくんですよね。
そうすると全部が全部面白くはいかないんですけど、だけど何本かに1本はスパーンと面白い展開になったりすると。
あとたまに自分が仕事でやってるポッドゲストでも自分がメインスピーカーになることもあるんですよ。
この間なんかだと例えば核武装は安上がりだとか言ってる人がいたんで、本当に安上がりなのかって話をしたんですけど。
あれとかはもうまさにもともと知ってることもありますけど、それに合わせてバーッと調べて、本当に日本が核武装をしようとしたらこういう法的な問題があるよねとか。
たぶんあんまり他の知ってないんじゃないかなと思うんですけど、原子力協定っていうのを結んでて、日本だけじゃないんですけど、ウランを輸入してるんですよね。原子力発電に使うウランを。
そのウランを輸入する先、オーストラリアとかカナダとかカザフスタンとかなんですけど、必ず原子力協定っていうのを2国間で、日本とカナダとか日本とカザフスタンとかで結んでて、
平和利用しないっていうことになった瞬間に、もう輸出してもらえなくなっちゃうんですよ。ウラン買えないんですよね。
それどういうことかというと、日本が核武装をしたら、もう原子力発電の燃料になるウランはどこからも売ってもらえなくなるんですよね、みたいな話とかをしたんですよね。
でね、そういうのっていうのもバーッと自分で調べる、そして喋るっていうことなんですよね。だから伊勢丸台風ですよね。もともとのやつに似てるなという感じですね。
ただね、何ですかね、あとそうそう喋ってて思い出したのが、中学生の時、だからさっき言った元素記号の由来を調べたりしてる時に、他にも夏の宿題じゃなかったと思うんですけど、たぶん弁論大会みたいなのがあったんですよ。そんな名前じゃなかったと思いますけどね。
2年生の時も3年生の時も、僕はクラス代表になって、その学年の前で喋ってるんです、たぶん。ちょっと記憶が曖昧なんですけどね。3年生の時には確か割り箸の柔軟という話をして、これはもう週刊誌の記事の丸パクリですね。
要はこれも有名な話ですけど、割り箸って木を材木にした時に出る切れ箸から作ってるんで、帰って自然環境にいいんだよみたいな話。これは何か文章だったか新聴だったか、週刊誌に書いてあったのを覚えてて、それを適当に膨らましただけですね。
2年生の時は何喋ったか覚えてないんですけど、タイトルだけすごいはっきり覚えてて、僕のクラスのミルクランチ。何それっていう話でしょ。名古屋市の中学校って給食ないんですよ。今も確かないんです。牛乳だけ出るんですよ。
みんな弁当持ってきて、牛乳だけ学校でも配られるの飲むんですよね。っていう給食制度のあり方について何かしら一石を投じてたんだと思いますけど、内容は覚えてないです。ただタイトルが僕のクラスのミルクランチ。
調査と執筆の楽しさ
作文用紙が頭に思い浮かばいますけれども、ミルクとランチは英語で書いてましたね。コマ試写くれてるんで、そんなことないか。中二でミルクもランチも書ける。だけど縦書きでアルファベットを並べるっていうことがすごい座りが悪かったっていうのを覚えてるんですよね。何かそういうことだけ覚えてますね、人間ってのはね。
で喋った。それもやんやの火災でしたね。結局ね、三つ子の魂100までとか言いますけれども、変わんないっすね。僕は何かものを調べて、面白いことを人が聞いたときにへーって思ったりとか、それこそ本当に普通にずっと笑ったりとかね、いうことの反応が欲しいんですよ。
ただ、それは物語を作るであるとか、あるいは漫才のネタとかコントとかって一回も作ろうと思ったこともこれもないんですよね。お笑いは大好きなんですけど、見るの大好きだった。特に若い頃めっちゃ好きでしたね。よく見に行ってましたけれども、自分でやろうと思ったこと一度もないんですよね。
なんかそれじゃなかったんですね。もうちょい真面目な話をわかりやすく伝えるみたいなことが好きで、ほら、報道そのものですよ、こんなものはね。新聞記者の仕事というかね。でもはっきり言っておきますけど、報道の現場で新聞記者として難しい話を面白く届けられてる人って本当にいないですか?
全然。たまにいるんですよ。非常に少ないですね。あの人もこの人も本当にね、しかめ面して喋ってるや、なんかそれなりに聞こえてるんだろうみたいな代わりの人ばっかりですもんね。だからね、僕ね、そういう人たちにね、お前は軽いとかって文句言われるんですけど、軽く喋ってみろ。軽妙にお前は喋れるのかと申し上げたいですよね。
いずれにしましても、50歳になりますが、本当に変わんないなっていうことなんですよ。つまり、自分の子供もね、今見ててね、まだなんだかさっぱり、海のものとも山のものともって感じなんですけれども、やっぱなんか自分がもともと好きなこと、やって楽しいと思えることっていうのを仕事にできるといいだろうなと思いますね。
やっぱり僕、この仕事をやってて楽しいし、同じ感じですけど楽なんですよね。やっぱね、他の人よりも時間がかかってないんです。
ものを調べて書いたりすることに。ニュースの学校って番組やってますけど、あんなんとかね、あれまさにバーッと調べてドカーンと喋るみたいな仕事なんですけど、めちゃくちゃ早くできるんですよ、僕。しかも面白く喋れる。本当に自分のことを褒めるよね。
これね、普通の人がやるとめちゃくちゃ時間かかっちゃうんですよね。だからやっぱりね、同棲やるんだったら自分に適正がある仕事をやるのがいいんだろうな。でも僕の場合もたまたまって感じますけどね。
たまたまね、理系を志してた時期もあったんですけど、変に背伸びしなくてよかったなと思いますよ。今だってたぶん理系の研究室とかにいたら僕はほとんどポンコツだったと思いますから、あるいは理系の研究室に入っても結局なんか分店してたんじゃないかって気もしますんで、やっぱり自分に嘘をつかないって大事なことだなっていうふうに思いますね。