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大学って、一橋みなさん、どうやって選びましたか。私は教室の片隅に置いてある、ちなみに進学先を決めたのは3年になってからですけれども、
2年の時もあったのかな。片隅に置いてある、なんか全国大学情報みたいな、すげー分厚いやつ、冊子をペラペラめくって、そっから決めましたね。
インターネットとか当時ないっていうか、高校生が使うもんじゃないんで、そもそも日本では一般に使えるもんって全然なかったので、ない。
あとは進路相談室みたいなの、たぶんあったんじゃないですかね。知りませんけど、それは行ってないかな。
やっぱり基本的にはみんな偏差値で見えますよね。私も進学校に通ってたんで、朝日川高校というところですけど、
そうすると視野に入ってくるのは東大、京大、明大とかその辺になってくるわけですよ。
ひとつの詩っていうのは、やっぱり偏差値的に見ると上の方にあるっていうのは、そういう資料なんかを見ればわかったわけですね。
私もそんな別に、小中と比べてもちろん高校は全終わり地方から頭のいいやつが集まってくるんで、
かなわんな、みたいなやつはいっぱいいましたけど、すごいんですよね。渡田大山とかね。渡田大山っていう名前もすごいですよね。
大山って中国で一番長い山ですよね。渡田くんの場合は、私全然別に高校時代は面識ないですけど、名前知ってるっていうぐらい飛び抜けた頭良くて、
実力テストっていうのがありますよね。そういうのとかでも、みんなが、ちょっとこれ数字適当ですけど、平均が4,500点のテストで一人800点取るみたいな、そういう。
あれですよ。朝日学校とかで一応そういう、旧姓愛知一中ですから、すごい頭いい子が集まってるはずなのに、その中でも群を抜いてる人がいて、
それから数学オリンピック出るやつとか、伊能くんって言いましたけどね。自分のレベルなんていうのは、盆人なんだって気づかされるっていうね。
ただ盆人とはいえ、一応それなりに勉強できますんで、大学を自分で選ぶって時にどういうところになるかって言ったら、やっぱり偏差値の高いところにはなってくるんですよね。
で、そう、社会学っていうのが何かわからなかったんですよ、当時。で、調べたんですよね。調べたんだけど、やっぱりなんか漠然としたもので、
もちろんマークスウェーバーとかアンソニー・ギデンズみたいな名前は知るわけなんですけど、なんですか、社会学の人って、なんかその二人じゃないですね。忘れましたね。
で、よくわかんないんだけど、少なくとも他の学部よりいいんじゃないかなっていうこの雑な感じで決めて、誰にも相談しないんですよね。
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担任先生にはもちろん、親にも全く相談していないですね。
親はね、そんな情報を持ってないってのはわかってたし。先生もね、3年の時の担任は生物の先生でしたけど、いやいや、もちろん文系の大学のことだって知ってたとは思いますけど、
なんか私、3年の時の担任と、もう喋ったことないんじゃないのかな。西川先生と一緒でしたけどね。1年生の時の生物の西川先生に担当してもらって、3年は担任ですよ。
ただ文系なんで、もちろん生物の授業とか受けないですから、先生とはホームルームぐらいしか会わないんですよね。特に接点もないし、クラスの輪の中に担任の先生が大きい存在としていたかっていうと全然だったんで。
なんかあれらしいですね、ああいうのもね。先生も学年によって、自分の受け持つ担任によって、すごいいつまでも慕われる、すごく同窓会も先生中心になってみんなで盛り上がるっていう学年もあれば、しらっとした学年もあるみたいで、私たちの学年はたぶんしらっとした学年なんですよ。そういうのに当たっちゃった。別に全然いいけど。
あれですもんね。同じ学年の別のクラス、私高校ではボート部っていう部活に入ってて、そこの別のクラスにいた子の話なんかを聞くと、いまだに、今っていうのはだから令和6年ですね、になっても担任の先生を中心に毎年同窓会をやってると。
その担任の先生が元ミュージシャンだったっていうんでですね、そういう演奏とかも聞きに行ったとかなんとか言ってるんで、って思ってますけど。そういう担任の先生だったんで、距離感があったんでね、別にあんまり聞こうって思わなかったんですよね。当時からだからもう結構何でも自分で決めちゃうところはありましたね。
まあ体操ゲストも勝手に辞めてきようぐらいなんでね、正午でね。ましてや降参になったらそれは決めますよね、自分でね。
で、中野ナカルティンさん、ひとつばし大学を卒業して芸人として大変活躍されている、ひとつばし大学は出たけれどっていうポッドゲストの第一回ゲストは、真剣ゼミだけで合格した、ひとつばしに合格したっていうのが、なんか一つ売りになってるみたいで、ご自身でね、それをちょっと面白いですもんね、塾にも行ってないんだみたいな。
真剣ゼミの実際に宣伝キャラクターとかにもなってるみたいで、すごいなと思いますけど、真剣ゼミすらやってないですよね。
塾行ってないですね。降参の夏前まで部活やってましたんで、6月まで部活やってましたんで、それまでは塾なんかもちろん行く暇ないです。毎日練習ですからね。そっから塾に行くっていう感じにはならなかったですね。自分で全部やってました。
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学校の実習室みたいなのがあって、朝早く登校してそこで実習して普通に授業受けてるんだけど、授業中も勉強して。
授業、あれ何なんですかね。例えば、日本史の授業、申し訳ないんですけど、担当の先生に。私、世界史の選択だったんですよ。日本史って全くいらないんですよね。センター試験でも受けないし、二次試験にも出ない。
だから一行も、一ミリも聞く必要がないんで、それが三年生に回ってくるんですよね。一年生の時とかにやってくれれば、地理とかは普通にやってましたけど、全く聞いてないですもんね、日本史の授業はね。
中学校までの歴史、および世界史の中に出てくる日本史の、日本は当然世界の歴史の中に組み込まれますから、知識だけで定期試験は赤点を取らないぐらいの点数だけ取って、何とかしてたと。
あのね、担当の先生、日本史の先生も気も悪いでしょうしね、何とかなんなかったんですよね。学習指導要領、なんかそういうのでやらなきゃいけないのかな。
まあ日本史は日本史で面白いんだと思いますけど、私は世界史の選択だったんで。はい、というようなことで、三年生の時は学校の授業の間も関係ない教科の時には別に勉強し、学校が終わったら鶴巻図書館。
これがね、通学経路の途中にあったんで、行って8時までなんですよね。勉強し、家に帰ってきて勉強して寝るみたいな、そういう感じ。ひたすら自学自習だったんですね。
なんで塾行かなかったんですかね。特に親も何も言わなかったですしね。なんかもうすでにその時には多分、あんまりその親としてはね、手は離れたっていうふうに考えてたのかな。
まあ多分僕が塾に行きたいって言えば行ったと思いますけど、全然行きたくなかったんで。はい、模試ぐらい受けてましたね。それも夜ゼミ。夜行ゼミナールの模試が安いんですよ。
一応新学校にいるんで、そういう子ってちょっと安く受けられるみたいなのがあって、確か夜ゼミは500円で、河合塾も割引だったんじゃないかな、1000円とか。寸大が3000円みたいな。逆だったかもしれないですね、河合と寸大はね。
河合塾って名古屋の塾なんで、基本的にその名古屋で勉強できる子ってみんな河合塾行くんですよ。中学生の時から河合塾グリーンコースって言って河合塾に行きますから、なんで多分何もしなくても人が集まってくるんで3000円は河合塾だったかも。寸大が1000円かも。寸大とか夜ゼミっていうのは東京から進出してきた学習塾、新学塾ですかね。
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その夜ゼミのもしは受けてましたね。ひとつばしもしみたいなのがあったんで受けましたね。だけだな。あとは参考書をやってたんですけど、それ全部部活の先輩からもらったものだっていう。冒頭に入っててよかったですね、本当にね。
同期が14人、私も含めていたんですけれども、なぜか文系はその年、私一人しかいなくて、男女含めてですね。女子も全員文系でしたね。先輩が残していった参考書問題集っていうのがダンボールに山のように入ってたんですけど、文系のは全部私が独り占めという。いくらでもやることあるっていう恵まれた環境でしたね。