1. 神田大介の経験
  2. 一橋大学に入ったけれど その2
2024-08-06 10:14

一橋大学に入ったけれど その2

00:06
はい、大学の話ですね。だから、私は討論会に入ってませんので、テヘランのね、もう記者に聞かれたときには入ってませんよ、というふうに言ったんですけど、
その後、特に助水会のお声掛けはなくですね、ていうか、別にテヘランに限った話じゃなくて、どこに行ってもですね、助水会か一つ橋卒家みたいなことで、
なんていうんですか、オルゴをかけられるっていうんですかね、仲間に誘われるっていう経験はもう一度たりともないですね。
聞けばいるっていうのはあるんですけどね、イランにも130人の中にもいたんじゃないのかな、知りませんけどね。
大体どうなんですか、大学とかって聞くもんなんですか、普通。私が少なくとも、私の勤務先の場合は別に大学はどこかなんて誰も知らないと思いますし、
どうなんだろうけど、これも一つ橋だからかもしれないですね。私らとかね、慶応の人とかはね、うちうちにそういうつながりとかあるのかもしれないですね。
はい、私の知らない世界ですね。だからその一つ橋大学は出たけれどっていうポッドキャストの中でも、なんでそんな番組を作ったのか、
ちなみにこれ一つ橋大学オフィシャルだっていうわけですけれども、そういう同窓会みたいな結束をもうちょっと固めたいと。
なぜならば、来年2025年は一つ橋大学の創立150周年であると。おめでたいですね、150年。
あれ、渋沢栄一が絡んでるんでしたっけね。この有様ですもんね。全然分かってないですけど、なんかそろそろ自由に乗ってこうってことなんじゃないですか。
同じことを思ってるんだと思いますよ、きっと。知名度不足。私がね、自分の地元で全然誰も一つ橋を知らないっていう。
まあ、っていうと語弊がありますけど、だからビジネスの世界では知ってる人は多いんですよね。
一つ橋卒の社長、例えば楽天の三木谷さんとかね、いっぱいいますし、それから一つ橋卒の官僚ね、これもそう少なくない。
一つ橋ってそもそも人数が少ないんですよね。事実上の単価大学的なところがあって、社会科学系の4学部しかないんですよ。
小学部、経済学部、法学部、社会学部、4つ。今なんか新しいのできたんですよね。データアナリックスみたいですね。
ごめんなさいね、だからもう1学部なんだろうな。いずれにしてもすごい少なくて、だって1学部あたり300人ぐらいしか取ってなかったとかで受験生をね。
だから1学年あたり1200人とか1500人とか取るんですよね。かける4年分だから5、6千人ですよね。
だからその、例えば早稲田だと小学部だけで3000人とかいたはずじゃないですか。ちょっとごめんなさいね、全然正確な数字じゃないんですけど。
03:08
日台が全部で3万人でしたっけ。っていうのと比べるとまあなんかちっちゃいんですよね。東大も理系から文系まで幅広くあるんで、学生の人数は一つ橋よりは必ず確実に多いはずなんですね。
学生の人数も少ないし、まあいい大学にしてけど。大学の話をポッドキャストに聞いたんで今喋ってるんですよね。
高校の話はまだ私ちゃんとしてないと思うんですけど、別に順番に喋ると決めたわけでもないんでね。
言っときますけど皆さん、私もう来月49歳ですよ。来年50歳です。50歳でね。フルムーンパスですよ。大人の休日クラブですよ私も。
なんで、そういう2回同じこと言うのとかってのはそれはしますからね。開き直んじゃないよね。
サンカイドって言うと思いますし、あと前言ってたことと話が違うってこともあるかもしれませんけれども、それは全て、それは全てそういう宇宙ですからね。
世界線がちょっとずれた。そういうことにすぎません。ので別に普通に喋っていこうと思いますけれども。
大学、なんでひとつ星にしたのかって話ですよね。それを中野ナカルティンさんもお話になってましたけれども。
別にどうせ番組に行くこともないだろうと思いますから、こっちで喋っちゃいますが。
私の場合は、まず高校生になって、これちょっと話したかしら。最初に理系に行こうと思ったんですよ。
うっすらとした理系に対する憧れがあって、私パソコン好きだったんで、プログラミングもかじってましたから、高校に入ってほとんどやらなくなっちゃったんですけど。
一応マシンゴをね、アセンブラもやってましたんで、だからそういうパソコンって言ったらやっぱり理系じゃないですか。
理学部かよくわかんないけど。理学部か。だからプログラミングとかやりたいなぁとうっすら思ってたんですよ。
したら高校2年生の時の物理のテストで5点取って、これは理系はダメだと思ってやめたんですけど。
そもそもやっぱりね、ブルーバックスとか読んでてもあんまりわからなかったしね。
で、一方でその読書体験の中で、やっぱりこれも前にも話したことだと思いますが、本田克一とかを読んでいて。
憎名だからさんつけたほうがいいのか。本田克一さんとか読んでいて、面白かったんですよね。
週刊誌のジャーナリズムとか好きだったので、相変わらず新聞は全然読んでないんですけど。
やっぱりそっちの道に進みたいなっていう気持ちがムクムク目覚め出すんですよ。
これは言ってないですけど、結局私にとって新聞記者っていう仕事は父親の仕事なんですよね。
なんですけど、8歳で死んでるじゃないですか。で、どう考えても過労死だろって感じで死んでるんですよね。
06:04
わかんないですけど。そうやって考えるとですね、新聞記者にはならないと思ってたんですよ。
なりたくない。なぜなら忙しいから。
だいたい私だって本当にね、父親と一緒に遊んだ記憶なんて本当に乏しいもんですし、
あの仕事じゃなかったらまだ生きてるんじゃないかなっていうような気持ちもやっぱりありましたからね。
その新聞記者にはなりたくない。
ザ・ラスト職業って感じでね、プロフェッションを持ってたんですけれども。
ただね、やっぱりカエルの子はカエルじゃないですけどね。
自分の興味関心っていうのがどうしたってそっちの方に向いてるんですよ。
そういう野田和一が書いた本とかね、朝日文庫とかで読みましたけど、
ブルーバックスだと明らかに朝日文庫の方が面白かったんですよね。
興味を持てた。
やっぱりちょっと消費網理論とかわからなかったもんな、全然。
量子力学とか。量子力学どころか単なるニュートン力学はわかってないですよね。
そういうことがあって、高2の段階で、
県立の公立の高校だったんで、理系か文系かを決めるのっていうのは、
2年生の3学期、3年生になる前なんですよ。
私学とかだとね、もっと早い段階で決めてるところもあるんじゃないかなと思いますけど、
2年の3学期の段階ではもうすでに文系に行こうと決めたんですね。
なんで文系学部に行こうと。そっからですよね。
文系学部ってしかし、全然興味の持ってる学部がなくて。
私が受験をしたのは1994年ですね。
93年に高校3年生になったわけですね。
の段階で、もう30年以上前ですけど、
なかったですね。全然ね。
まず文系学部の筆頭っていうと文学部ですかね。文学に興味がないんですよね。
あとこれね、ぶっちゃけた話でやっぱり就職の心配もしますもんね。
で、次に経済学部とかでしょ。経済とか経営とか。
ひとつが知ると小学部とか。
これもね、ビジネスに対する興味がわからなかったんですよね。
となると法学部ですよ。やっぱり東大法学部とかね。
大変な名門だってことは、それは当時から知ってましたし、
頭のいい子が目指すって言うと東大法学部なんですけど、
妙に私も世間地があるもんですから、東大の法学部に行くと大体官僚になるじゃないですか。
官僚になりたいという気は全くなかったですね。
さらさらない。
お国のために使える公募というのは大変重要な仕事だというのはもちろんわかってますけど、
09:01
私がやる仕事じゃないなと思ってましたね。
それは教師にならないというのと一緒ですね。
私がやらなくてもいい仕事に無理して作る必要はないだろうと思ってましたので、
法学部。あともちろん弁護士さんになるとかっていうケースもあるんでしょうけどね。
検事とか裁判官。それはちょっと面白そうだなと思いましたけど、
大学に入ってまでそういう試験勉強みたいなことをする気はなかったんですよね。
司法試験とか。
当時全然知りませんけど、公認会計士とかもそうですけど、
大学に行ったらやっぱりもっとのびのびに過ごしたいと思ってましたので、
法学部もちょっとピンとこなかったんですよね。
学部選びに困っちゃって、文系の学部ってあと何があるんだろうって思って調べてたら、
社会学部ってのはありますよということを知って、
あとは社会学部のある大学を調べたんですよ。
そしたら確かひとつ橋と立教しかなかったんですよね。
なかったってことはないかもしれないけど、当時僕が調べた中ではそれしかなくて、
消去法です。
10:14

コメント

スクロール