1. 神田大介の経験
  2. 自虐はしないけど
2025-04-20 30:22

自虐はしないけど

サマリー

ポッドキャスト番組「桃山昌司」では、自虐をテーマに様々なエピソードが展開されています。特に、話者は自身の体験や周囲からの評価について深く掘り下げており、ニュースアプリに関する貢献についても言及しています。このエピソードでは、母子家庭で育った経験がどのように自身のアイデンティティや対人関係に影響を与えているかが語られています。また、話者はジェンダー問題についての意識の変化や、マイノリティ性を活かしたコミュニケーションに対する考え方も紹介しています。さらに、ジェンダー問題に関する報道の現状についても深く掘り下げ、特に障害者やマイノリティに関連する取材の難しさとリスペクトの重要性について語っています。安易な表現の使用が懸念される中で、社会を変えるための声を上げることの価値についても触れています。

自虐とポッドキャスト
人気ポッドキャスト、桃山昌司ですね。自虐について話をしてましたね。本当に相変わらず面白いですね、あの番組はね。
番組中にいきなり私の名前が出てきたので、ちょっとびっくりしましたけどね。こんにちは、ポッドキャストおじです。
はい、で、自虐は私ね、やったことないんですよ、多分ね。
自分の記憶なんてさらかじゃないですからね、なんとも言えませんが、おそらくないというのも、私の周りの人なら知ってると思いますけど、私ってすごい常に自慢をするタイプ。
いやでもそんなことないんですよ、聞いてくださいよ、あなた。私ね、朝日新聞のアプリっていうのがあるんです。
私、朝日新聞社に勤務する会社員なんですけど、そのアプリで今、記者コミュニケーション機能っていうのがあってですね、記者っていうのをフォローできる、ツイッターみたいな感じでね、記者のアカウントをフォローできるんです。
そうすると、その記者が記事を書いたりするとですね、記事が更新されました、みたいな感じでね、出てくるっていう、そういう仕組みなんですけど、ほとんどの人はそれしかやってないんですが、自分でなんかいろいろつぶやくこともできるんですよ。
それこそツイッターみたいにね。私、それ毎日基本的にやることにしてまして、たまにやらないときはやりますけど、土日とかもなるべくやるようにはしていて、偉いでしょ。誰も褒めてくんねえけど、僕しかいないんじゃないですかね。
一緒にポッドキャストやってくれている船越隆記者、デスク、政治部ですね。結構頻繁にやってますけど、毎日ってことはないと思いますね。彼ぐらいじゃないのかなあっていうね、要はですね、こういう記事を書きましたとか、こういうポッドキャストを配信しましたっていう告知じゃなくて、全然関係ない。
その時々のことを出力してるのって、ほんとあんまいないと思うんですけれども、頑張ってやってるんですね。なんで頑張ってやってるかっていうと、いろんな理由があるんですが、やっぱりそういうところからですね、基本的に別に新聞読んでる人はポッドキャスト聞いてないんで、ポッドキャスト聞いてる人はポッドキャスト聞いてる人なんですよ。
例えば朝日新聞にもですね、サイトがあってですね、そこに記事載ってるんですけれども、そこにポッドキャストの人も別に誰も聞いてくれないっていうのは過去明らかになっておりまして、そうですよね。みんなテキストを読みにあのサイトにアクセスしているので、ポッドキャストとか音声って異物でしかないですからね。
だから基本的に動画も一緒で、あのサイト上で動画を見に行こうよっていう人はいないわけですよ。だけどYouTubeなんかで朝日新聞で作った動画が出てくると、面白いなって見てくれる人はいて、実際その100万とか回ってる動画もありますからね。それは全然違うものなんですよね。
別にその全ての人を朝日新聞社のサイト上に集める必要はないわけで、そういう人ももちろんいてもらわないと大変困るんですけど、機関ですからね。とはいえ我々は報道機関だから、あらゆる人に伝えられる媒体は使って届けるのが当然だよねっていう考えはありましてですね。それはそれでいいんですけれども、ただやっぱりね、そう言ってもポッドキャストなんか取り分け儲からないんで。
どういうふうにその会社に貢献できているのかっていうのを示せないと、もう速攻取り過ごしになっちゃうんですよね。そういうことをずっとやってるんですけれども、最近は本当にありがたいことに仲間が増えてですね、今永くんとかすっごいやってくれるんで、今永って誰だよと思った人は朝ポキ聞いてほしいんですけど、それすごく助かってるんですが、ありがたいですね本当にね。
で、そういうのの一つとしてやっぱり私朝日新聞のアプリにも貢献してますよ。見せていかなきゃいけないと。だからこれ聞いてる人で朝日新聞のアプリ使ってる人、有料会員だけなんですけどね、月908人からなんでね、ちょっと助けると思ってやってくださいよ。
908人で毎日記事を紹介するようにしてるんですけど、結構ね、おもろいですよ本当。マジで。読んどいたほうがいいですよ。
今日私書いたの、これ収録してる時にですね、赤澤さんの話が来ましたね。経済再生大臣石破さんの最速近ですけどね、アメリカ行ったらいきなりトランプさん出てきちゃってどうしようって言ってね、隠したの隠したっていうふうに後で発言して、隠したも隠したの間違いだとかって言ってましたけれども
本当に隠したの隠したでしょっていうような話。書いた。昨日はイギリスの平等法について書いた。これはね、あのすごいちゃんと記事を補足することが欠けたと思いますよ。その真の意味みたいなね。偉いよね本当に。朝起きてやってるんですよ。だからその間にバーッと
勉強と評価の考え方
平等法に関してはAIとやり取りして、あと指揮者のコメントみたいなのを読もうと思って、SNS、各種SNSを渡り歩き、大体こういうことなのかっていうのを把握してそれから書いたんですけど、みたいにですね。毎日何かしら面白い記事をピックアップしてるし、てか面白い記事あるんですよね。結構ね。あれ読んどいたほうがいいですよ。マジで頭良くなりますよ。
ほら、頭良くなりますよという人は。たぶんこういう時にヒゲする人って多いと思うんです。いや本当に大した記事載ってないですよとか、本当に私の書いたものなんて本当にろくでもないんですけど、他の人が書いた記事はいいんだよね。ぜひ読んでくださいとかっていう言い方する人多いじゃないですか。私は一切たぶん知ったことなくて、私の書いた記事が一番面白いですね。だって本当にそうなのか。
価値観はそれぞれなんで、そうじゃないって思う人がいるのはちゃんと知ってます。さすがにそんなに視野狭くないですけど、私は私の書いた記事が一番面白いとは思ってますね。ポッドキャストもそうですよ。私が出演した番組が一番面白いです。
で、ただあるそういうこと言う人っていないのは、それは桃山秀次の方では桃山秀次の読み解きがされてるんで、ぜひ聞いてみるとすごい勉強に私もなりました。特に佐藤さんの話が勉強になりましたけど、じゃなくて多分多くの人ってなんとなく社交事例というか、そういうもんだっていうことでやってるんじゃないですかね。私にはそういうふうに見えるんですけどね。
で、ついに嫌だなって思ったのはいつからなのかな。僕の場合はですね、桃山さんの話の中でもそういう話ありましたけど、やっぱり他社からの認知ってすごくそういうところに影響してくると思うんです。
あの話の中だとワッコさんっていう方は女性ですけども背が高いと。確かに一度お会いしましたけどもね、大変スラッと背の高い方でしたね。で、その背高くて羨ましいって言われるんだけれども、背高いのは大変なこともいっぱいあるんだと思う。
という話をひとくさり、しかもそんなに嫌味にならないネタっぽい感じでちょっと入れることによって、世直しにつなげてるって話があって、すげーなと思ったんですけど、超ハイコンテキストだなと。
私の場合は背も高いんですけど、身長180cm、男性の中の高いっちゃ高いけど別にそんななんか多分ね、ワッコさんって男性にしたときには190センチ台ぐらいの高さなんですよ。
ないから、まあちょいデカい。クラスの背の順も別に一番後ろじゃなかったですもんね、私ね。常に3番目4番目ぐらいですよね。それで何か言われたことはないんですが、やっぱね、勉強ができることはすごい言われましたね。
なんかその前回も言いましたけど、そういうのがダサいっていう感じで、ガリ弁みたいなのがあったんで。勉強が小さい頃からできたんですよ。別に何の努力もしなくてもね。こういうこと言うから怒られるんでしょうけど。でも本当に事実だもんね。
だから事実なんだよ。それを隠すのが嫌になったっていうのはありますよね。だからそれ小学校の時でもすごい言われて、何点だったとかっていうやつ。小学校ぐらいの時って別に100点取るとかそんなに難しいことじゃないじゃないですか。
そういうことなんですよ。あなたはでもその代わりに足が速かったり歌が上手かったりしたでしょ。私は本当にどん底もいいとこ、クラス最下位みたいな感じだったけど勉強はできたんです。それは神にもらったってやつで、知ったこっちゃないですから。
最初のうちは僕もテストとか答案が配られると右上とか左上とかに、僕のとこが右上だったかな。点数書いてあるじゃないですか。右下とかっていうこともあるか。とにかく点数書いてありますよね。あれを三角に折って隠すみたいな流儀があるじゃないですか。
あれね、僕もやったんですけど、途中で何かきっかけあったのかな。何そのことしないかねって思って、全部堂々と見せてましたね。どうせ点なんかいいしね。
たぶんね、嘘くさいっていうことは昔から嫌いだったんでしょうね。嘘だもんね。点数いいからね。その代わりなんですか。運動とか全然できなかったですけど、そっちでも逃げ隠れはしなかったですからね。ダメなものを丸見せていくっていうスタイルだったかな。
何がっていうと、別に休んだりしない体育とかもね。あと友達とやる野球とかにも参加をしてましたけれども、6でもなかったですけれども、それによって何か行かないとかそういうこともなかったですしね。
せいせい堂々とできない人間っていいじゃん。あ、ドッジボーとかそうだよな。あれ言ってんだよな。俺寝られるんですよ、すぐね。鈍いからね。よくぶつけられてましたけど、まあ、しゃあないですよね。
で、それは別に中学校に行っても、高校とかだとみんな勉強できるやつが、同じぐらいのやつが集まってくるじゃないですか。あんま関係ないんですけど、中学の時は別に僕は勉強はできましたよね。
で、なんだろうな。なんでそんな勉強できるの?みたいなの聞かれましたけどね。なんて答えてたんだろう。当時は全然開き直ってるというか、開き直りでもないんですけどね。一旦折れてもないから、なんだろうな。
わかんないって言ってたかもしれないですね。別にできるからできるんだよみたいなね。で、なんだよそれみたいな感じだったように思いますね。
そうですね。で、たぶん入社してからも、会社に入ってからも、高校、大学とかって同室の人が集まってるからあんまり別に、ただ何か私が引い出てることがあったときには、それは別に自慢する方向。
なんかそう、会社に入ってからも、いやー俺仕事できちゃうんだよねとかっていうふうには言ってる。それは少し年からですけども、でも1年目とかでもおそらく私はあんまりヒゲするところはなくて、だから覚えてるのは1年上の先輩に、ほんと神田君って偉そうだよねってすげえ言われた。
女性の先輩でしたけど。態度でかいよね。あ、デスクにも言われたな。態度でかいんですよ、たぶん私って。昔から。なんかそれをあんまり悪いとも思ってこなかったので、まあ普通思いますよね。
しょうがないよな、そういう生き方だからな。ずっとそうですね。ただそれってすごい覚悟も伴うわけですよ。だって俺仕事できるからねって言ったから、仕事できなかったら超ダサいじゃないですか。
まあ排水の陣じゃないですけども、自分をそうやって追い込んでるっていう。追い込まれたとは思ってもないですけど、できるからね。
母子家庭の影響
なんですよね。こそこそするのがすごいとにかく嫌いなんですよ。
なんか本当ダサい。心の底からダッセーなと思っちゃうんで。私は逃げも隠れもしないですし、ご批判はまじで受けますけれども、やることやってるからねっていうことでずっとここまで来てますね。
それは別に私の生き方だというだけであって、人に強制する気はない。子供を見ててもね、うちの長男なんかも、次男もそうですけれども、別に普通に勉強ができるタイプ。
とにかく長男は、次男の方は割とお友達に恵まれてありがたいなと思うんですけど、長男の方は学校で本当に妙な新学校のあだ名をつけられるっていう。もう言っていいのか、つくこま君みたいなこと言われてたんですよね。
つくば大附属駒場中学校高校っていうのが、多分東京の男子校では最も勉強ができる方がいく。改正よりもさらに上っていうね。でも改正より上って言っていいでしょうね。そもそも人数が少ないんで、つくこまの方がね。
つくこまって言われてたらしくて、ひどい言いようですよね。確かに長男は勉強ができたんですけど、本当にそれにヘキヘキしてて。そのことで本当に学校に行くのがちょっと嫌だっていうぐらい嫌がってて、気の毒なことだなと思ってたんですけれども。
ていうことは逆に、私とは違う性格なんですよ。私だったらそこで、つくこまだけど何かって言っちゃうんで、それ以上相手がいじってこなくなるんですよね。そういう感じでしたからね。
そう、だからやっぱり子どもに、逆に言うと私の考えを押しつけていないことも勝算かなって勝手に思ってるんですけど、じゃあお前は何を言ってんだと。そうだよ、俺は頭いいんだから当然だろって言いかけてやれみたいなことは言ってないと思いますし。
わかんない。もしかしたら言ったことがあるのかもしれないですけど、私としてはそういう記憶はないですけど、もしあったとしてもそれが長男に一切響いてないということですから、結果同じかなということです。
自分のことばっかり気になってるから他人のことが見てないんですよ。で、あなただってすべての人にとって他人ですから、あなた以外のすべての人にとって他人ですからね。誰もあんたのこと見てないから。
別にそんな自分の見え方見せ方みたいなのを考える必要あんのかなっていうふうに私は割り切るタイプ。もちろん割り切れない人も世の中いっぱいいるんだよってのはわかりますけれども、私はそういうふうに考えてますよということですね。
ただ一個ひげっていうのかなと思いつつ、明らかに私がカードとして利用してきたものがあって、それは母子家庭なんです。これはたぶんこのポッドキャストの中で何度も触れてるのかもしれないですけど、私8歳の時に父親が死んでるんですよね。
うちは母子家庭ですって言うと、一個の切り札になるんですよね。場の空気を変えることができるんですよ。いつ気づいたのかな。それは父親が死んだ瞬間からそれを感じてますよね。
転校してるわけですけれども、父親が死んじゃったんですね。母親の実家の方に転校したんですけれども、その時とか最初の挨拶で別に僕は母子家庭ですとは言ってないけど、先生とか当然知ってるわけですよね。
そういうことを切り出すと、相手の大人の顔色が変わるっていうのを子供ながら9歳とかで察知をしていてですね。別に普段からそんな風に使わないんですよ。そこまで僕も性格悪くないんで。
ただ、ここぞみたいな時には、僕は母子家庭なんでっていう切り札を出すっていうのの味、しめしめ感みたいなのはすごい体得するものがありましたね。開き直りもありますしね。それはね、父親いた方がいいに決まってるんじゃないですか。
二人揃ってた方がね。母親も働いてるし、朝からいないし。その切り札ぐらい使わせてくれよみたいな開き直りもありましたね。だからそれはある種、私なんか本当に戦国被災のみでっていう比喩とは違うよなでもな。戦国被災のみでって言っても切り札にならないですもんね。相手がそれで態度変えるんですかね。
この人は何か害にならない人だなぁとか思うのかもしれないですけど、攻撃性が乏しいなぁとかって安心する。腹を見せるみたいなことですかね。私のやつは攻撃性がありますもんね。内戸子家庭なんでっていうのは。子供の時とかってあんまりその攻撃性が見えないんですけどね。いや明らかにそれは分かってやってましたよ。
で、どうですかね。高校とか中学は全く使いませんでしたね。中学はヤンキー中学校だったんですけど、ヤンキーは母子家庭めっちゃ多いんで、だからといって私に共感してくれるわけでもないんですけど、何の切り札にもなりませんね。中学時代は一番私の手札として母子家庭は弱かったんですね。
高校と大学の経験
高校はちょっとだけあったかなぁ。あれこの話しましたっけ。高校の時に1年生で1年3組103だったんですけれども、名古屋市は母子家庭に対して、母子家庭っていうか多分片親家庭ですね。
に対して、ボールペンとシャープペンと万年筆の入ったセットをくれるんですよ。高校進学時に入学おめでとうございますみたいな。で、そのうち、俺だったらシャーペンかボールペンか持って行ってたんですよね、学校にね。
人が亡くなっちゃって、後にそれは自分が別の場所に入れてたってことがあるんですけど、亡くなっちゃったんですよ。で、それをある僕のクラスメイトが、男の子が持ってたんです。こいつ俺のペン盗みやがったなと。
なんせ治安のあれにヤンキー中学校から来てるんで、人は物を盗むと思ってますから。で、「それ俺のじゃない?」って言うと、「いやいやこれ俺のだよ!」って景色ばまるって。何?っていう感じになったんですけれども、別に喧嘩とかしてないですよ。すぐにそいつ気づいたんですね。あれはお前の?みたいな。そうなんですよ。その子の母子家庭だったんですよ。
で、だから、それで打ち解けて、後に仲良くなったんですけど、名古屋市内でそのペンを持っている子は全員母子家庭じゃない?母子家庭もいると思いますけど、もしくは親御さんが一切いない家庭っていうのがあると思いますので、そういう子もいるでしょうけど。
みたいなね。そういうのはあったんですけど、何が言いたいかっていうと、やっぱりそういう新学校、一応、喧嘩の名門校に行ってましたんで、だと母子家庭は少なかったかな。ただ、変なマウント取ってくるやつもいねえから、なんか不幸マウントとかあったかな?ない感じしますね。頭いいもんな、みんな。そんなことに囚われてないのかな。
知りませんけど、高校の時はあんまり使ってないですね。大学の時はでも、奨学金は僕3つもらってたんですけど、それも、でも大学ではあんまり話してないかな。
会社入ってからはいろんなとこで使ってますね。だから、ひげじゃないんですけどね。不幸マウンティングですよね。俺は奨学金を3つももらうような結構大変な家庭だったんだぞっていうことによって、相手を怯ませるっていう切り札としては使ってますよね。
いまだにそれを別に、もうすでに昔みたいに、それでなんかしてやるみたいな気持ちはないんですけど、ただ手札としては持ってますよね、常にね。
で、それをすることによって、私はそういう、いわゆるエリート街道を歩いてきたんじゃないんですよ、みたいなのを証明にするっていう使い方は、いまだにするときありますね。この間、空気会談さんっていうね、タレントさん、お笑いタレントさんがいらっしゃったときに。
それはね、もぐらさんが片親をすごくネタにしてるからなんですけど、そういうコーナーもね、ラジオでやってますからね。やってるからその連続で使ったんだな。
なんか今はそれでマウンティングを誰かに取ろうとは思わないんですけれども、朝日新聞記者とかっていう方が来て、結構なんかエリートって思われがちなんですよ。全然そんなことないと思いますけど。
そういうやつもいるっちゃいるよな。改正灯台みたいな。改正灯台が全員エリートかって微妙なところだと思いますけど、とにかくそういうのはあってですね。
で、私の場合だとそれは、朝日の人とか真面目だからな。そういうのが使いやすいっていうところはね、あったかもしれないですよね。
いやいや、でもやっぱり意識的に使ってきてはいると。で、それはじゃあしかしね、あんまりいいことじゃないような気もしますよね。
結局こうね、そういうある種、そうだな。こういうのが今世の中に溢れているような気もする。何かの当事者であるっていうことを利用して人に対してマウンティングを取るっていうのってすごいあると思うんですよ。
何かのマイノリティであるっていうことを使うっていうね。だからそのマウンティングを取る人の気持ちも僕はわかるんですよ。僕もやってるからね。
ただ他方はあんまり品のいいもんじゃないなっていうのもこれはある。ずっとありますよね。あんまりそんなにやるもんじゃないだろうと。
だから僕もそういう品のない使い方はしないようにっていうふうには心がけてますけれども、まあ臭いですよね。やっぱりそういうマイノリティマウンティングっていうのはダサいし。
それこそ表裏だと思うんですよ。つまり僕は別に誰に頼んだわけでもないのに、少なくとも中学校ぐらいまで勉強はできたみたいなのは。
高校行くと赤点になるんですけど、中学校ぐらいまでは全然本当に左手で100点取れるような感じだったんですけど、それはもらったもんじゃないですか。
で、母子家庭とかっていうのはもらったもんじゃないですか。何かのマイノリティであるっていうのもあるしもらったものですよね。
そこに苦痛や苦闘があるっていうことはその通りだと思いますよ。
うちは本当に母親が働いてて、片親とか大変なことはいっぱいありましたよ。
ただそれはそれっていうところもあって、そのことと何かそれを利用するっていうこととはまた別の話じゃないですか。
今、こわだかに物を話すときにマイノリティ性みたいなのに乗っからないと喋れないみたいなのってありませんかね。
僕はちょっと感じてるんですけどね。
ジェンダーの話とかっていうのはそういう点が大きいかな。
やっぱり性的マイノリティの当事者であるっていうことになったときに、一段話しやすくなってるっていうのはないですかね。
僕は本当に完全にしすへてる男性っていう、本当にジェンダーの世界では最もしょうもない存在なので、そこを一個クリアしていかないと地平に乗れない。
ただ言ってみると、男なのに、しすへてる男性なのにジェンダーの問題に興味があって、それなりに知ってるっていう部分では一定の旗は立てられるんですけれども。
だからそれもあれですよね。しすへてる男性の中で自分がマイノリティであるっていうことの表明ですよね。
僕はフェミニズムわかってますみたいな。
そこを利用しないと喋れない感じにはなってるかもしれないですね。
一方で、女性だからジェンダーの問題を喋れると思ってるんじゃねえぞっていうようなところもちょっとありますけどね。
これ難しくって、やっぱりジェンダーの問題っていうのは女性の方が圧倒的に解像度が高くて、知識も多いし、勉強してますね。これは本当にそう。
報道におけるジェンダーの課題
ただ、なんていうのかな。僕も別にそんな偉そうに言えるほど勉強してるわけじゃないんですけれども、そこが違反つきましたみたいなね。
ある意味で、例えばね、僕が若かった頃の新聞社なんかで明らかにあっただろうと思うのは、障害者が何かをしたっていうとそれだけで記事になる。
記事には見出しを立てるっていう言葉があるんですけど、それの何がニュースなのっていうところを読者なりデスクに説明できないといけない。
事件っていうのは事件であるというだけで、例えば殺人事件とかニュースばりあるんですけども、普通に誰かが絵を描きましたとかだとそれはニュースにはならないわけです。
ただ、障害者の団体が絵を描きましたとチャリティーにかけますみたいな話っていうのはそれで違反がついちゃうんですよね。
僕はそこに対しては違和感を持ってたんですけれども、とはいえそれはありました。確実に。最新はさすがにちょっとなくなったと思いますね。
世間の風潮がだいぶ変わりましたので。ただ、ジェンダーがそれになってないかなっていう気はする。
これジェンダーの話ですからって言ったらそれで成立するっていうようなところがありはしないかって思っていて。
本当に、例えば性被害の問題とかの取材ってマジ大変で、体を心を蝕んでまで取材をしてる人もいるから、本当に僕はそこに対しては超強いリスペクトを持ってるんですよ。
それはすごいですよ。やっぱりそんなの別にイラクやシリアに行って取材をするのよりもよっぽど大変なことだなって、これはマジで思ってるんですよ。
だから多方ね、なんかこうちょっと味付けみたいにジェンダーを使ってる記事というのは、それは散見される気がしていて、そこはどうなのかなとは思ってるんですよ。
それは男性女性と関係ないってないんですけれども、一般に女性がジェンダーの記事を書いてるのも間違いなくて。
だから二つの構造がありますよね。まず男も書けよって話だし、書くときに安易な使い方はどうなのっていうところもありますけれども。
それで安易なものっていうのはやっぱり、さっきのマウンティングみたいな話と似た構造があるのかなって僕は思うところはありますよね。
利用してるっていうこと。何度も言いますけど自分もやってるんですよ。
なのでその疑問は理解しつつ、それを使うと話しやすくなるっていうのは本当にあるよなっていうのも分かりつつ話してるつもりではあるんですけど危ういですよね。
私も危ういし、結構世間も危ういと思っていて、マイノリティ制に依拠してですね、喋り続けるということは。
本当にマイノリティの当事者の人なんかが口をうるさくいうことでしか社会は変わんないっていうところもあって、それは本当に重々承知。
そういううるさい人がいたから社会って今変わってるんで、大変素晴らしい。マジ尊敬なんですよね。本当にね。
ただ、それをできる人とかやってきた人っていうのに対するリスペクトは忘れないようにしつつも、安易な形でそれが使われるっていうことは私はちょっとあんまり趣向しかねるところがあるなっていう話なんですけど続きましたがね。
結構難しい話ですよねこれってね。だから慎重に喋らないといけないと思うんです。
それでもカイスレスもやっぱりそういう人がいないと、やっぱり自分がマイノリティであるにも関わらず、そこで声をちゃんと上げてきた人がいるから今の世の中、
マシになった世の中ってあるわけなんで、そこは絶対忘れないようにしないといけない。ただ他方、おのれ自身を変えりみてるときにそこを安易化っていないのかっていうところに関しては常に一定の考えが必要だろうなっていう、そういう話ですね。
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