1. 神田大介の経験
  2. 自分の意思で生きる
2024-03-01 09:58

自分の意思で生きる

サマリー

そのポッドキャストでは、個人の不安がテーマとなっており、賃金労働や老後の不安、自由な生き方についての考察が行われます。

個人の不安
不安。この不安というのがね、結構でかいテーマなんじゃないかなと思ってまして、私たちがこの賃金労働に従事しているのって不安だからじゃないかなと思っているんですよ。
やっぱりね、自分の子供を育てるためにはこれこれのね、蓄えがないといけないというような不安。
老後をね、過不足なく過ごすためには2千万円持っていなきゃいけないという不安。
みんながこういうふうにね、会社に行って働いているのに私だけ働かないということに対する不安。
社会生活が認めないんじゃないかという不安。みんなからね、外れていく不安。
ノタレジの不安。その不安の首根っこをつかまれている感じがするんですよね。
会社に入っていく私が思ったのが、財系貯蓄制度というのがあるんですよね。
これは私の勤務先の場合だと2種類があって、年金にするかあるいは自宅の購入に充てるかどっちかなんですけれども、年金にすればですね、これね、制度としては、私が例えば1万円とかを拒出する、出すんですよ。
会社もね、いくらだったかな、1万円だったかな。1万円とかじゃないな、たぶん。1対1ってデカすぎますもんね。
とにかくそうすると会社も金出してくれるんですよ。
自分と会社で毎月ちょっとずつ宅配を作って、年金として返してもらうということもできると。
あるいは家を買うときに使うということもできるという、そういう仕組みですね。
これ何だと思います?
要はね、一生働かせるための甘い蜜なわけですよね。
だってそれ以外の理由で会社が私に給料よりも余分にお金を出す必要ないでしょ。
年金にするということは定年まで働くということと同義ですもんね。
だから定年まで働いてほしいわけです、会社は。
それは政府も一緒ですよね。
だって企業が売ろうっていかないと労働力がないと税金もらえませんからね。
だから働いてもらおうと。
不動産もそうですよ。
不動産って1億円とかするから一発で出せる人ってまずいなくてよっぽど資産化に生まれないとね。
どうするかってローンを組むわけです。
ローンって何か。
でね、フラット35とか35年ローンとかもありますよね。
これね、すごい30歳で借りたとしても65歳。65歳って定年ですもんね。
これも人間を働かせ続けるための道具ですよね。
そういったものに我々は囲まれている。
社会保障の年金とか全部そうですよね。
年金の制度はよく知られている通り、今我々が働いている分は今お年寄りである人たち、高齢者の方のために使われるわけです。
その人たちの年金が私たちの払っているものによって支えられていると。
常にそういうふうに垂直の関係というか、同時代の人が払うわけです。
なので我々の世代って人数がまあまあ多いから、第二次ベビーブームは世代ですからね。
その下の世代は人数が少ないので、第三次ベビーブームが起きなかったので、年金負担が上がるに決まっているんですよ。
もしくは年金の額が減りますよね。だって支えきれない。
社会制度の関与
今まで1000人の人が1000人の人を支えていたのが500人になっちゃうと。
そしたらどうするかというと、その500人が今までの2倍お金を払うか、
もしくは支えられていた1000人が今までの2分の1で我慢するか、年金をね。
どっちかしかないじゃないですか。多分両方なんですよね。
両方のバランスのいいところで制度ができるんだろうと思いますけれども、
どっちみち楽じゃないっていうね。
そういう社会において我々がどうなっていくのかっていうところに対する不安ね。
そういうのが未来に対するぼんやりとした不安っていうのをみんな持ってるんですよね。
それが利用されているんじゃないかなとずっと思っていて、
なんでそんなことを言うかというと、私は未来に対するぼんやりとした不安がないんですよ。
なぜないか。40歳までに死ぬと思ってたからですね。
私の抱えていた不安というのは、早くしないと死ぬっていうことだけです。
何言ってるのかなと思うかもしれませんけど、だって父親が39歳で死んでるし、
私の父は男ばっかり5人兄弟の3番目なんですが、上2人も30代までに死んでます。
40の声聞かずに死んでます。
それは40までに死ぬと考えても普通でしょ。
あと16歳の時に打ち殺された友達がいて、18歳の時には自殺一つした友達もいてね。
結局そうやって長生きできるっていう発想があんまりないんですよ。
じいちゃんばあちゃんは全員私が大学に上がる前に死にましたしね。
死、葬式でも何度も出たもんな、死っていうのがわりかし身近な存在なんですよね。
本当に父親のこと考えたら40までに死ぬ可能性大だろうなと思ってたんで、
それまでには家庭というものを築きたいなと思ってたんです。
自分が父親になるわけでしょ。
私は物心を続いた時には父親は死んじゃってたんで、ほぼね、8歳だから。
7歳の時も記憶とかありますけれども、あんまり家族断乱の思い出とかもなくてね、
働いてましたからね、帰ってくるのはいつも午前で、
私が幼稚園とか小学校に行く時間には寝てましたから、
会社に行くの8時半とか、8時半に起きてるとかだったかな。
そうやって考えるとですね、私はちゃんとした一家断乱みたいなのってあんまり過ごしたことがなくて、
それを経験したいっていうような衝動はありましたよね。
不安への対応
だからあれですもんね、7年半付き合った反応に振られたときは、
マジでこれはやばいなっていうかね、
しばらく本当にこの世の中に私が生きていることに意味があるんだろうかっていう、そういう時期がありましたね。
ですけれども、そこら辺もですね、結婚することによって解決もし、
子供もありがたいことに授かってですね、今来てるわけなんですけれども。
そうなんですよね。
それ以上のことなんて人生ないわけで、
だけどやっぱりみんな不安なわけです。
老後どうしようっていうね。
老後なんて知りませんもんね、私ね。別に野垂れ死ぬことには何の不安もないですからね。
そこじゃないですか。みんななんか自分が平均寿命ぐらいまで生きるっていうふうに思ってるところを首根っこ掴まれてるのかなっていうね。
別にそんななんか賃金労働しなくたって生きていけると思いますよ。
いや生きていけるしね、生きてる人いるじゃないですか。
あれをでもなんか、あれなんだよな、賃金労働している仲間うちで、
何々あの働き方、何々あの生き方、あれダサいよねとか、みすぼらしいよね、貧しいよね、ルンペンだよねみたいな言い方をするでしょ。
そうやって自分たちを正当化するっていうね。
あれですよね、高い車とか高い時計とか買う人、全員じゃないんだけど高い車買って、高いお金出して旅行とか行って、
すごい良かったとか、これはいい車だとかっていうのって、そのお金を出した自分を正当化するためっていうのがあるじゃないですか。
ある人もいるじゃないですか。その感じね。
私たちはこんなに毎日頑張って子供と会う時間も削って働いてるのに、
なんかあんな自由な生き方をしている人が、私と同じようにいい人生なわけがないっていうふうに思いたいという気持ちがどこかにあるんじゃないかな、というのは思いますね。
私はそういうふうにはなりたくないですし、今は賃金労働を続けていますけれども、何かそういう、
いつここを離れることになっても、別にあれですよ、私仕事に何の不満もないですけれども、
いつ離れることになってもいいようには準備はしているつもりですし、
老後の不安もありません。それはお金がたくさんあるから不安がないのではありません。
貧しくても楽しく生きていく自信があるから不安がないんですよ。
なんかすごい偉そうな、説教めいた感じになってしまいましたけれども、
とにかく私は嫌ですね。そういうふうに首根っこをつかまれたまま生きていくのはね。
なんで、自分で管理できる範囲内で全てのことをやっていきたいなと思っていますし、
世間様が何と言おうとね、自分がこう決めたっていうことについては、
意思を貫いていきたいなということも考えていますね。
なんかまあ、それが全てかな。
ちょっとなんか、この後話すには時間が足りませんけれども、
私は母の仕事に会ってないんですよ。イランにいたから。
イランから名古屋、実家に戻ってくれて母に頼まれましたけどね、私は断りました。
母のことで自分を優先したわけなんですけれども、母には感謝しています。
女でひとつで私をここまで育ててくれただけれども、自分の人生は自分で決めますよ。
母であってもそうだし、その社会の仕組み全体だとしてもそうですね。
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