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イリカミネ イリカミネ 抱きしめて 毎日だって 切られて 切られて イリカミネ
三菱電機
さあ、神戸さん、この時間は。
はい。黒田征太郎さんという方をご存知でしょうか。
デザイナー、イラストレーター、有名なアーティストですね。知ってる?
私はお名前は知らなかったんですけれども、絵を見て、本で見たことがあるなと思い出しました。
北九州市の門司港にアトリオを構えておられて、
名誉だった、亡くなった長友圭介さんと組んだデザインユニットK2で、
とても強い存在感を放ってきた方です。
ライブペインティングとか、壁画の制作とかでも幅広く活動されています。
福岡市箱崎にあるブックスキューブリック箱崎店で、金曜日に黒田さんのトークイベントがあったので、行ってきました。
黒田、85歳。気がついたら、今、絵のようなものを描いて、
今、僕は絵のようなものと言いますけれども、ややこしい言い方かもわからないですけれども、
いまだに絵が何なのかわかってないんです。
聞き方によったら、ややこしい言い方というのはよくわかっています。
でも、絵のようなものを描いて、食ってられるんですよね。
すごいなと思います。それは。
威張っている意味でも何でもなくて、飯もちゃんとくれてますし、
家が欲しいとか、高い自動車が欲しいとか、どうもそういう仏欲はあんまりなくて、
3年ぐらい前に死んだ弟が、兄貴、家とか建てろよって言うけど、いらんねん。
建てたら掃除するのが大変やでしょ。守らなあかんのが僕は嫌なんですよ。
守らなあかんのが嫌で、3回離婚もしてるんですけどね。
とっても自由な方だなと。
85歳。私の父親が84歳。もうすぐ85になるのかな。
同い年なんですよ、ほぼ。
すごいなと思いましたね。
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高校中退して米国船、船の乗組員になって、
防央したり、アメリカやカナダの放浪をして、さまざまな職業を経てきてたんです。
なのになぜか、いつの間にか有名になってしまって、
資生堂の化粧品、ヴィンテージのキャラクターとしてCMやポスターに採用されてたんですって。
僕は小学校、中学校ぐらいのところだろうと思うので、よくわかってなかったんですよ。
でも調べたら、こんなCMのナレーションがあったんです。
今突然タバさんに渡してみました。
落書きした絵を褒められて、イラストをやる気になった。
おだてられて、のせられて、その気になれば本気になれる。
黒田聖太郎は自分を試しにアメリカへ。
英語もできずに飛び立った。28歳の春であった。
熱い心を満たす、資生堂ヴィンテージ。
というCMが流れていたので、それを映像を見て、子供の頃に見たなと思い出しました。
すごいなと。本当に有名人だったらしいんですよ。
こういった黒田さん。
俳優の松田裕作さんとか原田予翔さんとか、赤塚不二雄さん、漫画家。
当時の仲間と言われて、上がってくる名前がみんなキラ帽子のような人たちなんですよ。
黒田さんのスタートは海外で放浪していた時代に、雑誌の話の特集で始まった連載だったんだそうです。
黒田さんのお声をお聞きください。
80年代くらいにモロゴーをついた人間からずっと黒田さんって超有名人でしたね。
ですから、これもちゃんとお話しますけど、
僕は面白いものとか変なものを見たら、人にねえねえねえ見た?という癖があるんですよ。
その癖が出たのが、カラーとか放浪している時に、
僕は今もあるんですけども、肉声でしゃべるのはちょっと恥ずかしい。
じゃあ手紙だったら、
で、カナダで見たものとかを下手な絵と文章とも言えないようなカタカナで、漢字もほとんど知らないですから、
それを書いては投書してるんですね。
それが話の特集だった。
話の特集。話の特集に、
わだまことさんが、このバカみたいな黒田が面白いと思われて、
僕をピックアップしていただいて、
僕は何年かウロウロして日本に帰ってきたら、
イラストレーター黒田誠太郎になっていてびっくりした。
ですからわかんないもんですよ。
わださんに認めていただいた。
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それでこれができたんです。
なんですって。
わだまことさん。
わだまことさん。恩人だとおっしゃってましたけど、
帰ってきたらイラストレーター黒田誠太郎になってた。
人生面白いなあ。
すごいですよね。
すごいですね。
最後にこれとおっしゃってたのは、2月に出たバルカリの絵本の、
もしも猫が空を飛べたらっていうNHK出版から出た1980年の本です。
こういう絵本を書くような立場になってたと。
好きで書いてた。正式な勉強はちゃんとしてないとおっしゃってました。
絵の勉強も。
小学校の時も算数がわからなくて、
なんでこれを1たす1とかやらなきゃいけないのって質問をしたら、
バカって言われたそうです。先生から。
それから勉強やめちゃったんです。
で、高校は一応行ったんだけど、
関西の生まれで、滋賀県の高校に通って、
東京行きの列車に乗るわけですよ。
それに乗ったまま家出しちゃってるんですね。
誰にも言わずに家出してるんですよ。
だから勉強してないんだと、漢字も知らないんだとおっしゃってましたけど、
それにしても天性の自由さがあるんだそうですね。
語っておられたのは戦争のことです。
1939年生まれで、戦争を知る最後の世代なんだろうなと思います。
西宮市にあった自宅も空襲で開けてて、
2004年からはピカドンプロジェクトというアクションを始めてまして、
世界各地の黒田さんと一緒にアーティストが即興で絵とか演奏で表現をすると。
黒田さんが絵を描くと集まってきて、何を描いてるのかとかいっぱい聞かれるんだそうです。
そこでは原爆のキノコグモと、平和を表すメッセージと絵を見せて、
絵だったらみんな通じるとおっしゃってましたね。
そうした思いのある黒田さんはクレヨンを持ってきてたんですよ。
その場で即興でブックスキューブリックで絵を描いてくれました。
喋りながら絵を描いてどんどん見せてくれるんですけど、
そのクレヨン、沖縄の米軍兵からもらった自動焼銃の銃弾入れに入れてるんですよ。
だとおっしゃってました。
僕はこのクレヨンで人の心を打つんだっておっしゃってました。
なるほど。
黒田さんのお言葉です。
僕は絵と歌、音楽が人にとってすごい大事なものだと勝手に思ってます。
両方とも自然が人類というか人間に教えてくれたコミュニケーションのツール、道具だと思ってます。
なぜ絵があるのか。
最初からミケランジロさんが世の中にいて、
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諸君絵を見ろ、じゃないと思うんですね。
虹を最初見た生き物ってみんなびっくりしたと思うんですよ。
特に人間は驚いて欲しいと思ったと思うんですね。
自分の体の中に赤い色もあったりするわけですけども、黄色はなかなかない。
苦戦苦闘しながら砂を削ったり、花の汁を取ってきたりして、絵の具が僕できたと思うんです。
絵の具が一番、絵だと思って、最初の。
じゃあ音楽、歌はどうか。
これは空気が動いたら音が出ますよね。
風の音、ビューン、ヒューン。
すごい作詞だったんです。
これ描いてくれへんかと言われて、西島さんの文章を見たときに、
ここなんか描くときに、ビューンと言いながら描いてるんですよ。
ほんまです。
ですから、すごく嫌な言い方になるんですけども、
描いてるというよりも、描かされてるという気持ちで描いてると結構面白いから、
すごい楽にして描いてます、これは。苦労してはやってません。
先ほど申し上げた、もしも猫が空を飛べたらっていう本を描いたときの西島さんの文章を見ながら、
ビューン、ヒューンって言いながら描いたんです。
85歳。
自由だな。
自由。
いいですね、素敵ですね。
とてもお話聞いてて面白かったです。
いろんな活動されてますし、絵本もいっぱい出しておられますから、
黒田さんの活動にこれからも注目していただけたらなと思っています。
はい、ここまでカンメカネムビのキャッチアップでした。