奏でる細胞。奏でる細胞は、サイエンスと音楽を愛する2人がアメリカ、インディアナから楽しく奏でるようにおしゃべりする番組です。
こんにちは、ゆりかです。
今日は、かずさんとのお話のアフタートークの部分をまずは皆様にシェアしたいと思っております。
かずさんは前回までに私たちと一緒にお話ししてくださった方で、
アメリカに来る時のその心の動き、そしてアメリカに来てからのこの生活の変化、そんなことについてお話ししていただきました。
その後に私がすごく聞きたかったかずさんの好きなことについて、アフタートークで触れてますので、動画をお楽しみに。
そしてかずさんのお話の後に3つ届いたお便りを紹介したいと思います。
その3つがすごく幅広いご質問とお便りで見ててすごく楽しかったんですけども、
1つがちょっと前に放送した福島原発のこと、そして風評被害と戦うアミールイサムさんのところに対するお便りでした。
そこに関してはアミールイサムさん本人からお答えもいただいてますので、そこのお話。
あともう1つはなんとアメリカ軍関係の方から届いたんですよ。
アメリカ軍っていう聞くととてもドキドキすることなんですけども、その中にはたくさんの研究があって、そして市民の生活に深く関わっているんですけれども、そんなお話もしています。
そしてもう1つがテイコさんのアリゾナからのお便りなんです。
アリゾナってどんな暮らしなのかなとか、同じアメリカに住んでいても、州が変わると天気も違ければ、ちょっとした法律も違ければ、そして住んでいる人種の層も違いますよね。
だからテイコさんがどんなお暮らししているのかななんて想像しながらお便りを紹介しております。
3つのお便りも聞いてください。
ではまずはカズさんとのアフタートークからお聞きください。
吹奏楽部の間もお友達とおしゃべりするの好きでした?
いや、大学に入って吹奏楽部の時はあんまりしゃべれてなかったんじゃないかな。
じゃあ今今度アメリカに来て松山さんとおしゃべりする、あごめん、さとこさんとおしゃべりするのは楽しいですか?
楽しいですね。
毎日いろんな話しますけど楽しいですね。
飽きないっていうのはこういうことなんだなって。
ずっと耳に入れて飽きないものっていうのはやっぱそんなに多くないと思うんですけど。
松山と話してると飽きないですね。なんかずっと話してます。
いいよね。おしゃべりっていいよね。ということ、私それ聞きたかったの。
これいいな。
軽やかな方はやっぱりおしゃべりも軽やかで、そしておしゃべりが好きでずっとしゃべってても楽しいって、いいね、そこだね。
そこだね。
これはね、さとこさんも呼びたくなっちゃいましたね。
今回はかずさんとしゃべってさとこさんも呼ぼうかと、最初から4人で話そうかっていう話もしてたんですが、
多分大変だと思うので、そうすると赤ちゃんも入って5人収録になるんで。
それでね、じゃあ今度はさとこさんにもぜひ来ていただいて、いろいろお話ししてもらって。
おしゃべりしましょう。
あとかずさんともね、もうちょっとお話ししたいこと、研究のこととか、いろんなことまた話したいので、今回と限らずまた参加していただければと思います。
ぜひお願いします。また何かあれば。
中西部はもう今からとってもいい季節を迎えるから、どこかのタイミングで本当にお会いできることも夢見てますので。
先週の日すぐ行けるんでね。
すぐ行けちゃうの実は。
近いですもんね。
またイベントなので、こっちにも来ていただいて、僕らもそちらに行かせていただけるようにしたいと思うので。
ぜひぜひ会いましょう。
かずさん本当にありがとうございました。
すごい想像以上にすごいなんか心が満たされるお話ができた。かずさんありがとう。
ちなこさんありがとうございました。いろいろフォローいただいて。
いえいえ。
でもね、まだつかみきれない何かがあって、やっぱりいつからそんなに人ができてるのって思うのよ。
私、かずさんとさとこさん見ると、お若いのにいつからこんなに人ができてるの?立派なのよね。
私は妻のおかげです。
妻に会ったアメリカ来て、自分に適した環境にようやく来れた感じはちょっとありますね。
そういうのも、こういう環境があるよって、一つの環境だけじゃなくて、こういう環境もあるよ、ああいう環境もあるよって言ってやっぱり見せてもらって、
自分に一番合った環境でいたらいいよっていうのは、やっぱりそういうアドバイスというか、フォローしてもらいながらアメリカで生活できてて、
それが大きいと思います。
ラボもそうですけど、いい人たちに会えて、自分もそういうふうに振る舞いたいと思えるような人たちに会えて、
そういうのなので、私はどちらかというと後天的な方で、なのでさとこさんに助けられて、そういう感じを務めて。
あら、いいね。
それはね、シンシナティ効果。
それはシンシナティは、やっぱり厚尾さんもいるし、翔太さんもいるし、みんなにこやか大らかで、研究はめちゃくちゃ本気でやってるから、
本当はもうちょっと神経質になってもおかしくないような立場の人たちが、みんな大らかにこやか、そして未来をみんな信じてて、
そこにいるっていうことですごいね。
和さんもさとこさんも、大きな柔らかいオーラに包まれてるのを感じます。
いいね。
いいね、シンシナティ効果。
本当だね、シンシナティ効果かもね。
シンシナティ効果のヨハがインディアナにも来てるって感じね。
うん。
間違いない。
うちは影響受けてる。
受けてる、受けてる。
本当にありがとうございました、忙しい中で時間を。
こちらこそありがとうございました。
さとこさんのご両親に会いたくなってしまった、今回の会話。
かわいい、よく育ってるね。
また大きくなってきて、部屋の中を十音無人に走り回るようになって。
もう何もかもを引っ張り出したり。
かわいいな。
小泉がちょっといろんなものに手を出すので。
そうなのよね、そうなのよね。
いろんなものを非難させなきゃいけないんだよね。
よかった、今日は本当にどうもありがとうございます。
ありがとうございました。
この期間にお便りをいただいてですね。
うれしいね。
なので、その中の一つにちょっと大事なやつがあって。
イサムさんが参加してくれた、ハーバードの公衆衛生学をやっているイサムさんが、
変わったボストン、変わらないボストンの中で、自分の研究のお話もしてくれて。
それが福島に関わるものだったんですけど、それに対するお便りをいただいたので、
イサムさんの方にそのメールを転送しまして、
イサムさんからしっかりとお返事をいただいたので。
丁寧な、確かなメールが届いてますので、それを紹介しましょうか。
まずはご質問の方から、メールいただいてありがとうございます。
お名前は、福島で被災した者さんからです。
イサムさんのお話を興味深く聞かせていただきましたが、
イサムさんのお話が全体的にふんわり、具体的な言葉がなく、
例えば放射線のこと、小児工場洗顔のことなどのお話は一切なく、
当時の対応の何がどう間違っていたのか、どう安全だったのか、
田舎などが全く見えてこず、ただ風評、被害、払拭、世界に伝えていくと言われても、
リスナーとしてはよくわかりませんでした。
具体的だったのは、チェルノブイリと福島のダメージの違いだけだったと思います。
専門家が出演されるポッドキャストで、当時の放射線量はこのくらいで安全だった、
健康調査のデータはこうだから福島県民に健康影響はない、
そんな言葉は一切なくふんわりと話を進めていくことに違和感でした。
そう思われてしまったのね。
ありがとうございます。
ぜひ具体例を示しながらお話ししてほしかったってことなんですけど、
まず僕の方から言い訳させてください。
実はイサムさんと僕とで2人でですね、
1時間半、約2時間収録したもう一つの音源があったんですね。
ただその途中で、
私がいない時よね。
そうですね。
僕とイサムさんだけでスタジオを借りてですね、じっくり話したんですね。
イサムさんの自己紹介を結構しっかり長くして、
どんな研究をしてきたかってことと、
この福島原発事故のお話もじっくり聞いたんですけど、
ちょっと僕の方がですね、
震災うつで心を痛めていた時間があったせいで、
途中でちょっと感情的になってしまったところがあって、
イサムさんから今回はやめましょうと、
また次回にしましょうということで、
取り直したのが後悔した音源なんです。
なので詳しい話のところが、
僕のせいで出せなかったってことなんですね。
だからたぶん、確かにイサムさんが研究していることの概要を話したんですけど、
具体的な数字とかっていう話は、
イサムさんがたぶん僕がそういうことになると感情的になるというか、
気持ちが落ち込んだりするので言わなかったんだと思うんですね。
だから一応そのことを踏まえて、やっぱり知りたい人もいたと思うし、
ただ一応概要欄にイサムさんの論文やイサムさんのホームページが貼ってあったので、
リンクを押して調べればどのくらいの交差線量だったかは、
調べればわかる状況にはしていたつもりなんですけども、
ポッドキャストリスナーの方として耳で情報が欲しかったってことなんで、
今回ちょっとイサムさんにやりやすくお伝えしてくださいといったところを、
心よくね。
ボストンからメールが届きましたので、
それをちょっと紹介させていただきたいと思います。
じゃあこれイサムさんからのメールのお返事ね。
まずは放射線のこと、当時の放射線量はどのくらいだったのかっていうお話です。
1986年のチェルノービリ原発事故と、
2011年の福島原発事故では、
どちらも空間中に放射性物質が拡散し、
国際原子力事象評価尺度では深刻な事故レベル7となっています。
しかし、
ポッドキャストでもお話しした通り、
2つの事故では爆発場所が原子炉本体と原子炉の建物と異なることから、
空間中に拡散した放射性物質の量が異なります。
もう一回ね。
読まないで頭で理解してから喋った方がいいかもしれないね。
地面を追う方が分かりやすいかも。
耳で聞くっていうのはとても難しいかもね。
どちらも空間中に放射性物質が拡散したっていうことに関しては大変危険なことなんだけれども、
爆発した場所が違うということで、
拡散した放射性物質の量が違うのであると。
そうそう。同じ事故レベルに入れられているので、
2つの事故は同じレベル7。
レベル7という深刻な事故というカテゴリーに入るんだけれども、
拡散した放射性物質の量が違う。
ないのよ、レベル8は。
だからどっちもレベル7になっちゃうから。
出たらさ。
うん、そういうことね。
そうそう。
じゃあ出た量の方の比較をしましょう。
実際に事故後の行動調査から推測された事故発生から4ヶ月間での外部被曝。
外部被曝っていうのは体の外からの被曝。
線量は、その線量は福島県全体で平均0.8ミリシーベルト。
シーベルトっていうのは人体における放射線被曝の単位だそうです。
最高値の方でも25ミリシーベルトでした。
この事故に伴う事故後、4ヶ月の追加での福島県内での外部被曝の量の平均、
つまりこの0.8シーベルトっていうのは、
私たちの年間の放射線被曝量、2.1ミリシーベルトのおよそ40%に当たります。
つまり事故直後からの4ヶ月の間で、
普段より40%ほど多くの放射線被曝をしたと捉えられます。
分かります?
だから僕たちは自然に何もしなくても被曝してるんですね。
自然被曝っていうのがあるんですよ。
それが年間で2.1ミリシーベルトなんだけど、その約40%。
だから1年間に僕たちが自然から浴びる放射線量の40%ぐらいを、
事故後4ヶ月ぐらいでちょっと多い量を浴びてたっていうことで。
たった4ヶ月でね。
そういうことですね。
だから年間の放射線被曝量に計算した値もあるんですけど、
そちらだと大体最大で3倍程度。
普段に被曝してる量の3倍程度。
例えば僕たち実験室だと放射線同位体を使って研究するときがあるんだけど、
そういう放射線同位体を使って研究している人たちはもうちょっと被曝するので。
私もかつてやってたね。
ゆりかさんは妊娠する前まではやってて、
妊娠するとそこで被曝しちゃいけないからってことでしなくなるんだけれども。
アメリカの研究室だと、私が扱っているレベルの水素だと、
実は大丈夫だったんだよね。
日本は研究と変わるんだけどもね。
それを例に言いたかった。それから比べても全然低いってことだね。
だからイサムさんがポッドキャストの中で恐れるほどのものではないと。
いうふうに言った表現っていうのはこれを元にしている数字だということですね。
そうですね。
年間でも普通の人が2.1を浴びているうちの0.8を4ヶ月だということです。
数字的にはそういうことですね。
じゃあ次の小児がんのことについても書いてあるのでお願いします。
小児甲状腺がんのこと。
1986年のチェルノービリ原発事故の発生後、ベラルーシやウクライナでは、
事故発生から4,5年ほど経過してから小児甲状腺がんが発生し始め、
15歳未満の甲状腺がん、罹患率は1986年から1990年の5年間に比べ、
1991年から1994年の5年間は5倍から10倍に増加しました。
これは地上に降り注いだ放射性要素の吸収や、
牛乳や放射性要素で汚染された野菜、牛乳、肉を食べたことを原因と推測されています。
特に牛乳に含まれていた要素131による内部肥が爆に由来するところが大きかったと言われています。
つまり、大変なことになったんですよ。
小児甲状腺がんが増えたという。
チェルノービリの場合は。
福島の場合のものを比較して、数字を出てからちょっと語ってみましょうか。
2011年の福島原発事故の後にも、放射性要素は放出されましたが、事故がすぐに報道されたこと、
牛乳を含む食品等の流通制限、
実際の小児甲状腺被曝量の推定値などから、小児甲状腺がんが発生するレベルの放射性要素を小児が体内に取り込んでいるとは考えにくいです。
すぐに報道されたこと。
あとは、チェルノービリでよく言われてた牛乳だとかっていうのが流通しなかったってことね。
だから大丈夫ってことね。
一方で、事故から半年後に始まった福島県民健康調査の甲状腺検査では、今までにおよそ300例近くの甲状腺がん疑いが発見されています。
これはスクリーニング効果と呼ばれるもので、現時点では放射線の影響とは考えにくいという科学的な見解があります。
ここわかりにくくない?大丈夫?
ここはとてもわかりやすいよ。
大丈夫?
うん。要は、いつも子供に対して甲状腺がんの検診っていうのはしないでしょ。普通は。
それが網羅的にされた場合、やっぱりがんの疑いが発見されてしまったということなんじゃないの?
うん。だから簡単に言うと…
一方がんだっていうことじゃなくて、がんの疑いがあったってことね。
そう。だからチェルノブイリンの時に子供たちで甲状腺がんが大量に出たわけ。すごい数ですよね。
すごい数。
甲状腺がんはあまり死なないがんとは言われているんだけれども、死亡に至る率が低いがんなんですけれども、でも子供たちにすごい起きたと。
これは僕のポーランドの友達とかも子供の時に髪の毛がめちゃくちゃ抜けて、それはがんになっていたことがわかったってことで、
大きなニュースになったのはチェルノブイリンは隠してたんだよね。だから事故があったことを知らなかったから子供たちは…
普通に牛乳飲んで普通に野菜食べてその汚染されたものを食べ続けたってことね。
そう。それでものすごく起きてたんだけれども、そういう接種を子供たちがしていないから。
福島ではね、していないから。
福島ではしていないから、福島では大丈夫なんだけれども、このがんが出たってことで甲状腺をとにかくしっかりと検査したんだよね。
で、見つかったものが甲状腺がんがん疑いが300例見つかったけれども、検査数から考えるとこれだけの検査をすれば300例出るのは…
どこの地域でも同じくらいだということね。
そういうこと。だからそれが特筆、福島県で発症率が高かったというわけではなくて、
いっぱいスクリーニングしたから人は見つかったからちょっと数が多いんじゃないかっていうのが報道されたりしたけれども、
そうではなくて探したスクリーニングの数が多くて発症率とかで考えると特筆高まってるわけではないというところですね。
ほんとしますね。
そこの解説もちょっとイサムさんの方があるので読んでください。
3番目のイサムさんのお話。
何がどう安全だったのか。
2021年に公開された原子放射線の影響に関する国連科学委員会の報告書では、
福島第一原発事故の結果はチェルノブイリ原発事故の結果よりもはるかに程度であったと述べられています。
実際に事故後の行動調査から推計された外部被曝、体の外からの被曝の推計線量は事故発生から4ヶ月間で福島県全体で平均0.8ミリシーベルトでした。
これ先ほどの値と一緒ね。
放射線被曝によって健康影響が発生すると科学的に判断される量が100ミリシーベルトなので、
福島事故の多くの方はその100分の1程度の追加被曝に限定されたと言えるので、健康影響を心配する必要はないと結論付けられます。
この理由の一つとして、福島第一原発の原子炉には専用の格納容器があり、
溶解燃料から放出した放射性核種の大半がその中に放置された一方、
チェルノービリ原発の原子炉には容器がなく、事故発生初期に起きた爆発の結果、
炉心が大気中に直接露出され、より多くの放射性物質が環境中に放出されたことが挙げられています。
すごくわかりやすい。
なんかカプセルみたいに抑えられたんですね。
そっちがなかったからチェルノービリの時には外に出てしまった。
チェルノービリの原発の事故っていうのがちゃんと研究されて福島に生かされたってことね。
そしてイサムさんからの最後の答えなんだけども、健康調査のデータについて。
事故から半年後に始まった福島県民健康調査では、外部被曝線量を算出する基本調査、
甲状腺がんを探す甲状腺検査、妊娠した方の体調をチェックする健康審査、
メンタルヘルスをチェックする心の健康度、生活習慣に関する調査、
そして事故後に生まれた赤ちゃんの状態をチェックする妊産婦調査の5つが実施されました。
妊産婦調査は事故から10年後、赤ちゃんの先天基形、先天異常が全国平均と変わらないということが明らかになったことから、
10年で終了となりました。よかったね。
他の調査はまだ継続されていますが、だんだんと収束しつつあります。
データや会議の議事録、公開されている論文などは、福島県庁の県民健康調査課のホームページや、
福島県立医科大学県民健康管理センターのホームページに掲載されております。
ありがとうございます。素晴らしいですね。
イサムさんから分かりやすくしっかりと応援してきて、よかったですね。
ご質問があったからこそ、私たちもこうやって聞けてよかったわ、私も。
きちんとまとまったやつを奏でる細胞のためにこうやって、
わざわざね、ありがたいわ。
改めて震災から15年経ってるわけですよね。
それで福島のデータっていうのはどうだったのかなということで、
ぼやっとね、チェル伸びるほどの被害は出てないよということもあったんだけれども。
ここにね、多くの科学者と多くの医師や、そして多くの県庁職員、
あとは公務員の方々が携わったんだろうなと思ったときに、
私なんかグッときました。
真剣に福島のことを守ろうという気持ちが。
この5つの検査項目、もう一回言うわよ、私。
基本調査、そうだね、外部被爆の基本調査が必要ね。
あとは甲状腺検査、一番がんの確率が高いと言われているその中でもね、
甲状腺に特化した甲状腺検査。
そしてやっぱり避難した方、避難したときに体がね、
いつもと違うところにお住まいになることになるから健康診査は必要でしょ。
そしてやっぱり心の問題は絶対に無視できない。
心の健康度、生活習慣に関する調査、
そして何だって生まれた赤ちゃんの状態をチェックするっていうね、
この5つ網羅されていて、
未来にもつながる大事な調査っていうのがされたんだなと思うと、
改めて、そして10年で終了となった検査もあるっていうのもまたいいじゃない、それが。
まだ続いてるっていうものもあるっていうのも、
だけど段々と収束しつつあるっていうのがまだいいじゃない。
そうね。
じゃあ、しっかりね、15年目にこれをね、各種ホームページでね、
公開されていることではあるけれども、
こうやって専門家のイサムさんに分かりやすく、
この質問のメールに合うように書いてもらったこと。
それだからこそのイサムさんの研究なんでしょうね。
風評被害っていうのね、
こう違う答えをどんどん膨らまして、
福島は危険だ危険だっていう風な言い方に変えていくっていうことも、
社会の流れとしてあるでしょ。
そこに対してイサムさんたちが、
いや大丈夫だよ、ここまでは大丈夫なんだ、ここまでは心配なんだ、
だから調査を続けるんだ。
でも風評被害っていうものは食い止めなきゃいけないっていう、
この研究の構図もまた見えてくるね。
間違いなくね、変な情報っていうのは流れてるんで、
それに対していやそうじゃないんだと。
正しい答えを、正しい情報を出し続けることが、
そういう間違った情報に戦うことであり、
変にね、福島のイメージが悪くなることを防ぐために、
しっかりとした調査もまず行われているけれども、
調査自体も大事だけど、こうやって情報をどう公開するか、
どう伝えていくかっていうのって大事で、
イサムさんの場合には福島で授業の形でね、
医師の卵の方々にそういうお話をしてるの、
プラス今もハーバードに行って、
ハーバードの公衆衛生学とか、
この間は何か領事館ですね、
領事館などでこういった情報を公開する活動をしてると。
それ大事だよね。
大事よ、大事よ。
そっか。
初めに出会った時のイサムさんは、
そういう研究をなさっている方じゃなかったけれども、
こうやってイサムさんの研究が、
いろんな形で動いていくっていうのも知れて、
私は嬉しかったな。
これに関わったのがこの5年間くらいかな。
もちろんね、公衆衛生とか、
大きな医学だとか科学っていう目では、
イサムさんはその舞台にずっといらっしゃった方だけれども、
福島の風評被害っていうことに関して特化して、
研究を進めているのはこの最近の話だからね。
あとね、偶然なんだけれども、
社会をつなぐ小児会ということで、
今西さんに、今西さんも、
社会に対してこういった情報をつなげた最初が、
最初のきっかけが福島県の情報、衛生情報に対して、
どうしても正しい情報を許せなかったと。
正しい情報発信をしたいって思ったのがきっかけだったっていうことです。
そうだね。
そうね。
黙ってたらいろんな情報がおひれ、背びれをつけてっていうの?
飛んでちゃうからね。
それはね、声を出していかないとね。
たつさんもでもきっかけといえば、
ポッドキャストを始めるっていうきっかけは、
この震災だったじゃない?
自分の気持ちを声に出して伝えていくっていうこと?
あの震災からはずいぶん私たちも変わったわよね。
そうね。なんか、僕の仲間の中にもやっぱり震災を得てね、
自分の生き方を変えようっていう人たち。
変えようとして変えたわけじゃなくて、
価値観が変わってしまったっていうこともあって。
そうね。私の友達もずいぶんいたわよ。
福島で被爆した家族もいたしね。
でもそこでさ、みんなそれぞれなんだけど、
やっぱり悲しい思いをしたからこそ、
次に見つけた生き方っていうのは、
自分のことを大事にしようだったり、
周りの人たちを大事にしようだったり、
コミュニティを大事にしようだったり、
とても前向きなものがあって、
僕はその人たちの生き方とか、
あとね、発信し始めた人たちが多い。
自分の声をちゃんと届けていこう。
自分の声で伝えていこうっていう感じで、
YouTuberになったりとか、
ポッドキャスターになったりとか、
記事を書いたりとか。
でもそれもさ、震災の後すぐじゃないのよね。
5年とか6年経ってね。
初めてそうだった。
たっさんのお友達だって、
すごいつらかった時のことを話したのが、
震災後3年目か4年目だったわね。
そして、発信に変えていくのは、
またその後時間がかかるから、
5、6年経ってから。
でもね、やっぱり発信し続けることで、
この風評被害からも守っていきたいっていうこともあるし。
そういった意味で言うと、
多くの仲間たちに囲まれているような気分だね。
そうね、ほんとそうね。
たっさん特にそうね。
だからこうやって質問を受けたり、
それに対してイサムさんがお答えしたりっていうのを、
このキャッチボールが続くっていうのはとてもいいことね。
うん。
ありがたい。本当にお手紙どうもありがとうございました。
そしてイサムさんもお返事ありがとうございました。
次いきましょうか。
さつまいもまいさんからのお手紙です。
初めまして。いつも興味深くポートキャストを視聴させていただいてます。
ありがとうございます。
私自身も米国で生活しておりますが、
通常の方々とは異なる生活をしており、
ほら、どんなことかしら。
最近になってもう少し自分の話をした方がいいなと思い、
もう少し外向けの活動をしようと思っております。
それで思い連絡させていただいた形です。
ありがとうございます。
もう日本語を扱うことがほとんどないので、
拙い日本語になっているかもしれませんが、ご了承ください。
今では来米してからかれこれ16年になります。
来た当初は医学を勉強していましたが、
いろいろありまして、現在では空軍の技術開発調達部門におり、
初めて読みましたこの2C68文字熟語。
もう一回言いますよ。
空軍の技術開発調達部門におり、
とある兵器のシステム統合審査、
主にデザインを担当するエンジニアをしております。
ふむふむふむ。
前職、今も一応空軍予備役では、予備役っていうのかしら。
メディックをやっていました。
学生時は航空整理学を専門とするヒューマンファクターズの修士で卒業いたしました。
日本との大きな係りは修士修了後からほとんどありません。
かっこ書かれてます。事件があったためと書かれております。
がこちらでも苦戦しましたが、今では先進技術者として取り扱われているため、ありがたい状況です。
いわゆる伝統的な教育過程を通ってない世界で生活をしているので、
ご興味あれば連絡していただければと思います。
またいつも日本語でアメリカからの情報を発信する貴重な機会を、
ポッドキャストという形で配信していただいてありがとうございます。
これからも末永く続けていただいて、日本語で何かを得る貴重なお話をいただけると幸いです。
あらあら、嬉しいですね。
嬉しい。すごく嬉しい。
読むのが難しいぐらいの難しいお話でしたが、
難しいことされてるね。
空軍とかそういうことだね。
そうなんだね。
というかやっぱりお仕事っていっぱいあるよね。
自分の生きてるこの日常では知り得ないいろいろなお仕事があって、
私たちの生活を支えてるかと思うと本当に尊敬いたします。
さつま芋舞さんね。ありがとうございます。
でもなんか私、先進技術者としてこの国がね、さつま芋舞さんを受け入れている、
そしてリスペクトしているっていうのは嬉しいよね。
共にアメリカにいる者としてっていうのもええんだけれども、
大事に扱われている人たちがいるっていうのが嬉しいわ。
嬉しいね。僕は特にこの気持ちが近いなって感じるのは、
僕も体育軍人病院のお金をいただいて、体育軍人病院の研究員の一人として、
国の審査を通ってですね、最近もグラントの更新により、
久しぶりに雇用手続の書類を全部チェックされ、
軍施設に行ったのよね、たくさんね。
そう、全ての情報をチェックされ、全ての国籍をチェックされ、
これまでの学歴とかも日本の書類をちゃんと英語にしてくれということでチェックする。
そこら辺も合うんじゃない?さつまいもまいさんとその手続きの難しさと。
たぶん知らないと思うんだよね。指紋を取られるときってどうやって取るか知ってますかってことですよ。
普通にPPPのPじゃないの?
どの指取りますか?
全部の指じゃないの?
10個取りますよね。
はいはい。
10個だけだと思ってます。
え、どういうこと?どこに指紋があるの?他に。
表とこの横も取るって分かってます。
横?
横長に取るんですけど、人差し指と中指の長さのこの違いのこの段差もすごい大事なんで、
2本ペアで全部取るって分かります。
たつさん、それだけでちょっとポッドキャスト1番組してもいいんじゃない?
あと、左手と右手を同時に取るパターンもあって。
へー、じゃあ何?アメリカの。
だってこれ1個ずつやったら10回で終わるでしょ。
そうね、そうよ。たとえばアメリカに帰ってくる時に飛行場でやるわけよ。
10本やる?
10本やるやるやる。
やってる?
私はそういうカテゴリーですので、指紋を差し出しておりますよ。
PPPのPよ、そんなん。
このパターンとこのパターンと親指同時のパターンとってやるんですよ。
すごいねー。
で、何の話かというと、まいさんもそんな厳しいセキュリティーの中で
やるでしょうね。
やってるんでしょうね。
でもこれね、10年前なかった。
最近の?技術が進歩したことにより?
最近多分この指紋の取り方のパターンちょっと増えて
あと、指の指紋は変わるかもしれないというか
この指紋の綺麗さ、明瞭さみたいなのが問題になった時に
いっぱい手を使う方々は指紋が消えちゃう方もいらっしゃるよね。
この指のパターンを一緒に取るみたいな。
すごいねー。
長さの違いとかが大事なの。
これなんでそれ取るの?って聞いたのよ。
聞く余裕はあるわけ?
あるよ。
ちょっと良かったです。
人間対人間の交流はそこにはあるかと思ってちょっとほっとしました。
ヒップホップのラッパーみたいな感じでさ。
そういうことね。
そこはちょっとアメリカンなのね。
そんな感じね。
ちょっと面白いね。
この軍関係っていうのはちょっと日本ではあまりない広がりだから
考えてみると私たちの周りにもアメリカ軍で働いてる方々多いじゃない?
太田さんもそうだしさ。
この軍関係っていうのはちょっとあるあるを話したらちょっと面白いかもね。
みんなで集まってね。
あるかもね。
でもなんか秘密だらけでさ、みんなこんにちはからさ、声がかけられない状況になっちゃうとかね。
いやー喋れないことが多いような気がする。
でしょ?でしょ?
だから喋れるテーマとしては指紋の取り方つらいっすよねーとかそういうことでしょうね。
つらくはない。つらくはない。リクエストが多いよねっていう。
私は高校生の母としてどんだけ多くの軍へのお誘いが子どもたちにやってくるかっていうこともお話ししてみたいわ。
だってさすがに私たち日本で高校生活を終えたけれども自衛隊からのお誘いっていうのは
まず第一高校の中に自衛隊オフィスはなかったでしょ?ないよね。
自衛隊の人たちが定期的に来てお話をして勧誘するってことも当時ね私たちが日本にいた時にはなかったと思うんだけれども
今アメリカの高校生たちは相当リクルートされてるね。
あと大学生たちにも大学の教員としても軍に所属してる学生はすごく多いし
所属しながら学校に来たりとかね。あとは軍に入る人も多いしさ。
軍と生活っていうのは面白いかもね。
俺は肩身が狭いよ。
肩身?
あなたは軍に従事したことがありますか?こういったサービスをしたことがありますか?
ドラクトのリストね。
あなたのお父さんお母さん身内誰かに軍に従事した人はいますか?みんな細かく書くわけ。ないから。
でも大丈夫あなたの息子はドラフトにちゃんと名前載せましたよ。ご存知で?
載せるしかないもんね。
一応ノーは言えるんだけども免許を取りに行った時に免許取りに行くと同時に選挙権ももらえてそれでドラフトはどうだっていう流れになったわけよ。
本当にイエスとか言ってるんだよね。びっくりした私は。
選挙権までは想像はついたのね。ちょうどいいタイミングだったから。
そうかーって。
そうかタツさんはじゃあそういうのに対しては。
チェックはされてる。
されてるのね。
でもね聞いてみたいですね。やっぱりアメリカで同じようにというかちょっと違う世界かもしれないけど。
大体同じくらいいてね。16年もこちらにいてね。
これを聞いてくださってる人がどんな生活をしてるかっていうのはね。
ぜひねこうやってお手紙いただきたいと思います。
本当に嬉しいどうもありがとうございました。
お話させていただければと思います。
もう一ついただいて。
次のお便りを紹介します。
これはテイコさんからのお便りです。
タツさんユリカさん初めまして初めてお便りします。
奉壇でタツさんの投稿を拝見して拝聴し始めましたのでサブスクライバーとしてはまだ新米です。
私はアリゾナ住民でアリゾナのスコッツデールというところから拝聴しております。
テイコさんどうもありがとうございます。
タツさんとユリカさんがインディアナ州に在住されているのを知って
日本人のポッドキャストをアメリカ国内から聞けること本当に嬉しく思っています。
1989年にアメリカへの興味深さだけが理由で一人で答弁してもう37年になります。
話が長くなるのでここでは私の経歴を語るのはやめます。
今回はこんな人間がアリゾナでお二人のポッドキャストを楽しみにしていることをお知らせしたくメールします。
毎回とても興味深いお話ありがとう。
また感想をメールさせてください。
はい括弧砲弾とかのディスコードあると便利なんですけどね。
テイコさん本当にどうもありがとうございます。
アメリカのアリゾナのスコッツデールどんなところなのかなと思ってグーグルしたんです。
出てくる写真出てくる写真空がとっても青くてそして遠くに山が見えるんですね。
そこがインディアナとは全然違うところでした。
綺麗なところですね。そして暑そう。
スコッツデールっていうところはフェニックスの近くなんですね。
そして書いてましたグーグルにナイトライフが充実したところなんですね。
そこもまたインディアナと大きく違うところだなと思いました。
スコッツデールで育ったどんなセレブリティーがいるのかななんてググったらばなんとエマストーン。
ちょうど昨日私スパイダーマン見たんです。
そんな女優さんも排出してるんですね。
そしてテイコさん。
37年もアメリカにお住まいなんですね。
私はまだ18年ですからもう代々大先輩ですね。
どんな毎日があったのかって想像するだけで心がグッとします。
日本にいてもどこにいても大変なことも楽しいこともたくさんあるんでしょうけれども
アメリカで辛い時とか悲しい時とか寂しい時って
何十倍も、日本にいる何十倍も冷たい風が吹き荒れたりするんじゃないかななんて想像するんですね。
想像を超えるような辛いこともあるからこそ
想像を超えるような楽しいこともあったんじゃないかななんて思うんです。
というのはですね、私のちょうどたまたまお迎えに
90歳を過ぎになった日本の方が住んでたんです。
つい最近お亡くなりになったんですけれども
その方の人生を最後の数年に私が見ることができたんですけれども
アメリカに長くお住まいになる日本の先輩として
どんなことがあったのかなって時々聞くんです、私が。
そうすると戦後間もなく一人で船に乗ってアメリカにやってきたこととか
あとはレストランを経営なさってたんだけども
そこで大成功を収めることだとか
とっても生き生き話すんです。
そして彼女はね、ダンスが大好きだったの。
今はもう踊れないけどねって
ダンスをした日々のことを思い出すのよね。
もちろん日本語で私にお話ししてくださって楽しかったなあ。
アメリカにいると日本語でお話をしたり
日本語で物を聞くっていうことが
ちょっと努力しないと聞けなくなってくる中で
私たちが日本語でポッドキャストをして
それを聞いてくださるていこさんがいるってことが
当たり前に言われて本当は当たり前じゃないってことを
私も存じ上げております。
本当にだからこうやってお手紙をいただくってことは
とても嬉しかったです。
話が長くなるのでって書かれてますけれども
ていこさんも経歴というかどんな毎日を送ってきたのかな
なんてどんな景色を見てきたのかなって
私も興味があります。
そしてメールお便りどうもありがとうございました。