4-31 涙の告白:お休みしていた理由
Welcomeback
#科学系ポッドキャストの日
イベントホスト「サイエントーク」
https://scien-talk.com/
イベントトークテーマ「サプライズ」
🎵 プレイリスト
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奏でる細胞(by タツ〔細胞学〕&ゆりか〔リベラルアーツ講師〕)アメリカから配信する科学番組👉 Spotify番組ページ
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サマリー
「奏でる細胞」のゆりかが、約11年間勤めたリベラルアーツ校の日本語講師を離れ、研究者としてラボに戻った理由を語る。教育や子育て、ポッドキャストを通じた出会いに励まされ、博士課程で培った科学の手法を人類の科学の発展に役立てたいと決意したという。復帰後のラボでは、昔の仲間から歓迎され、進歩した測定技術や国際的な環境を楽しんでいる。今後の番組では、23歳頃までに得る教育・言語・科学などの経験がその後の人生を豊かにするという視点を軸に、子どもや若者の成長について扱いたいと話す。
番組再開と人生の転機
一生懸命やって、で、ゆりかさん励ますからさ、夢叶えていくじゃないですか。 そうね。
そういった人たちの人生に、あの、大きな影響を与えたことも僕はすごいと思います。 実はね、励ましながら、励まされてたのよ。 ああ、一緒にね。
そうそうそう、20代を知ってるね。私の20代を知ってるね。 みんなさ、いい笑顔でさ、あの、髪の毛白くなってきてるけど、あの、ウェルカムバックっつって。 そうそうそう。
奏でる細胞。奏でる細胞は、サイエンスと音楽を愛する2人が、アメリカ、インディアナから楽しく奏でるようにおしゃべりする番組です。
はい、こんにちは、たつです。皆さんご機嫌いかがでしょうか。今回はですね、科学系ポッドキャストの日という企画に乗っております。
毎月10日に科学系のポッドキャストや、科学系以外のポッドキャストも参加して、一つのテーマに合わせておしゃべりする回です。
今回はですね、4周年記念ということで、サイエントークさんがですね、ホストをしてくださってます。今回のテーマはサプライズということなんですが、
サプライズということで、実は収録した回があるのですが、その回とは別にですね、今回、奏でる細胞が少しお休みをしていたところから再開する時にですね、
お休みしてた理由を語る回ということになってます。サプライズの回もですね、また今度時間を見つけて放送しようと思うんですが、
今回は僕はポッドキャストをやってきてですね、こんなにも感動するというか、心を動かされる回があるのかなというふうに僕が驚いた、
とても良い回になってます。ポッドキャストをやってきて良かったなと感じた回です。なのでぜひ皆さんにも聞いて欲しくて、この回を科学系ポッドキャストの日、テーマ、サプライズに乗せて放送させていただくことに
しました。
それではお聞きください。
こんにちは、たつです。
こんにちは、ゆりかです。
今回はですね、前回久しぶりに奏でる細胞が復活したということで、その時にね、その間何をしてたのかっていうことを多分聞きたい人もいると思うので、今回語っていただこうと思うんですけど、大きな人生の転機が
ありましたね、ゆりかさん。
そうなのよ。
今日はそれをちょっと語っていただきたいと思うんですけど、どんな順番で語りますか、ゆりかさん。
リベラルアーツ校での11年間
そうね、やっぱり奏でる細胞をしながら、その間にね、聞いてくださる方だとか、後は昔の科学教室のことを思い出すことが多かったりだとか、後はそれを機にもう一度出会った方だとか、科学に関わる、科学だけじゃない
んだけども、私の豊かな人生に関わってくださる方と、
出会うことができたのね。だから、ポッドキャストをしていなければ、やっぱりなかなかないような出会いっていうのがいっぱいあったわけ。
そう、そんな中で、いろんな方の話を聞いたりなんかしていくうちに、私も元気ついたんでしょうね、元気が。
元気が。
元気があふれてきたんでしょうね。
そうですね、もうだいたい4年くらいやってますからね、ポッドキャストね。
そうね、そうすると、3年くらい前から、科学の世界に、毎日科学の実験室に行かない生活になってから、10年が過ぎちゃってたわけ。
もちろん科学教室もしたし、UJの手伝いもしたし、たくさんの研究はずっと続いているのは、一番最初に私は見てたし、だからすごく科学から離れたなって気持ちはなかったの。
もちろんカナデル細胞をしてたしね。なんだけれども、ラボワークや論文を書く、科学論文を書くっていう作業からはずいぶん遠ざかってたわけ。
そうですね、ゆりかさんがポスト読として本気で研究していたのは、2010年、11年、12年とかそのくらいまででしたっけ。
そう、だから10年ぐらい経ったぐらいから、どうしようか、これから戻るんだろうか、いやもう二度と戻らないんだろうかっていうふうに思ってたわけよ。
同時に私がやっていたリベラルアーツの仕事もとっても楽しくて、やめるにやめられないっていう状況が続いていて、どうしようかと思ってたのですが、ようやくこの夏に自分の中でいろいろと整理整頓が整って、
そしてもう一度ラボに戻ろうと、本当にデータの最新のデータ、最先端のものに触れようというふうに決意が整いまして、そして採用に至り、働くことになったんです、戻ることになったんです。
おっと素晴らしいおめでとうございます。
どうもありがとうございます。
研究者ゆりかさんとしての初の収録ですね。
そうね今回ね、リベラルアーツを離れ、本当に医学部の研究っていうのかな、私は大社学の大社疾患、大社炎症応答の研究をずっとしてきたんですけれども、そこにまた戻るという決断をしました。
ありがとうございます。まずは11年勤め上げた日本語講師としてリベラルアーツ校でのお仕事、大変お疲れ様でした。
とても楽しかった、本当に同僚に恵まれ、学生に恵まれ、そして勤務時間というものが私の子育てにぴったり合っていて、人生を作り直すことができました。
すごくね、たくさん花束をゆりかさんがリベラルアーツ校を退職するということで、多くの花束が来てですね、多くの人たちの感謝の言葉を目にして、すごい本当に多くの学生さん、そして同僚の先生方と向き合って、
すごい良いものを作り上げた。
なんかね、良い人でいられた。
素晴らしい。
なんかこれは、ラボで働いた大学3年生からラボに入ったと思うと、10年以上、リベラルアーツにいた時間と同じくらい、もっと多くの時間を20代、特に20代そのままを30代の初めまでかな、ラボという研究室に
時間を使ってたんだけど、
その時にはなかった自分の良い部分っていうのかな、もう一度戻れたし、そこを引き出してくれる人たちばかりで、なんか生まれ変わったような毎日でした。そのリベラルアーツにいた11年はね。
本当にね、講師似合ってたというか、生徒さんたちがあんなに幸せな顔をしてると、先生としてすごい優秀な先生だったなって僕は思って、素晴らしいなと思います。
でもね、たつさん、アメリカで培ったことだと思いきや、そうではなくて、私はやっぱり大学生活は教職を取る勉強もしましたので、この向き合い方っていうのは日本の大学で学んだことだったんです。
そこはとても良かったなと思ってる。それをちゃんと使えたっていうのかな。
うまく使いこなしたというか。
使えた。やっぱり若い頃に、そこね実はこれからの奏でる細胞でも大事にしていきたいなと思ったんだけれども、後でまた話すんだけれども、若い頃、若さっていうのは何歳に設定しようか色々と考えたけども、
23歳くらいまでに出会ったもの、向き合ったもの、得たものっていうのはここまで自分たちの人生、自分の人生を豊かにしてくれるものかと。
だから23歳くらいの時までに思いっきり向き合ったものの一つが教育。私教職家庭ということでね、教育。
そして私は大学生活、とても読書に時間を割いたんだけれども、読書。そしてもちろんラブに通った、科学者になろうと思った時間。
この3つがね、ポスト読してる時には1つしか使ってなかったのね。なんだけど、そのまま終わっちゃうのかなってポスト読の時も思ったの。
私が考え感じ、感動したことっていうのは、科学のことだけだったのかなって思ってたの、実は。
そして今度は子供なんか生まれたりすると、すごく自分の感性っていうものが鈍くなっていく感じがしてたんだけども、このリベラルアーツの時に全部のピースを埋めることができたのね。
それは時間的余裕があったこともあったし、私のことを信頼してくれる人たちがたくさんいたってことに改めて気づいたってこと。
っていうのはやっぱりアメリカ生活が少しずつ長くなっていくと、最初の時は私の英語を聞いてくれる人なんていなかったのよ。
私の英語に寄り添ってくれる人なんかいなかったんだけど、少しずつ英語が上手くなっていったことと、私が英語の使い方、あと表情の作り方、いろんなアメリカナイズされるって言ったら変かもしれないけども、見せ方を
覚えてきたのね。
それによって、明らかに信頼していただけてるなっていう感覚をアメリカでも掴むことができたのね。
その自信っていうのはとても大きかった。この11年間は私に心の底から喜びを与えてくれたの。
それはすれ違うアメリカ人とか、たった半年しか一緒に授業をしない学生だったりだとか、年がとても離れた学生たちよね。そういう人たちから感じ取って学び取ってエネルギーになったのね。だからとっても感謝してる。
この11年間。
本当にさ、学生さんたちがセメスター終わるごとに、僕にまでお礼を言いに来て。
そうだったね。面白かったね。なんて素直な人たちだったんだろうね。
すごいよね。彼らがさ、どんどんどんどん日本好きになっていって。
私がいい人でいられた。とってもいい人でいられた。
ユリカ先生のおかげで、僕は日本も大好きだし、日本語も大好きなんですっていうあの子たちがね。
そしてね、あともう一つサービスラーニングっていうあれは大きかったな。
とても新しい学問のエリアに出会えて、そこに私も関われたことっていうのは良かったな。
何人か本当に人生変わるぐらいの取り組み方で、実際日本に仕事を取るのが夢なんだとか、日本に住むのが夢なんだって言って。
一生懸命やって、ユリカさん励ますからさ、夢叶えていくじゃないですか。
そうね。
そういった人たちの人生に大きな影響を与えたことも僕はすごいと思います。
実はね、励ましながら、励まされてたのよ。
一緒にね、そういうことも。
それで、若い子たちと一緒にいるってことは本当に幸せなことで、
あとはアメリカにいるっていうことは年齢を気にしなくていいのね、この国は。
日本とは違って。
それで、私ももう一回チャレンジしようっていう気持ちがすごく湧き上がってきたの。
それもあったんだね。
すごくあった。とってもあった。
研究者としてラボへ戻る決意
そして、あと私が何年何かをすることができるかなって思ったときに、
たとえそれ残りが5年であったとしても、10年であったとしても20年であったとしても、
何をしようかっていうふうに考えだしたのね。
で、嬉しいことに開くは気通り乗り始めているし、だから開くをつかんじゃった私は。
行使をしなくてもいいかなと。
そういうことだね。
まさかこんな日が来ると思わなかったけれども、これは開くがあれば私がやりたいっていうこの人と人との出会いの場っていうのは大丈夫だと。
コミュニケーションを大事にして、世界平和につながるようなコミュニケーションをやる、お手伝いをするってことだよね。
それは開くでできる。
そう。で、開くの一人歩きでもよしと。
私の手から離れてってもいいと。
そう、もうよしと。そこまで作り上げたなっていう自信があるのね。
そのシステムは確立したからね。
確立したから。
そう考えた時に自分がやりたいことは何かと考えたわけですね。
そう。その時に私はちょっと涙が出ちゃう。実は何をしたいかっていうふうに思った時に、私は薄い薄い紙一枚でもいいから、人類の科学の発展に貢献したいなって思ったの。
大きな発見じゃなくてもいいけども、人類が2万年続けてきたこの発展への努力の中に私も入りたいなって思ったの。
で、子どもを育てることとか学生を教えることも本当に大切な大切な貢献だって思ったんだけれども、
せっかく博士までとって頑張ってきた。頑張ってきたじゃないな。博士までとって培った科学の手法だったり、科学の方法だったり、技術だったり、そういうものを紙一枚でも人類の膨大な歴史の中のたった紙一枚、
本当のピースかもしれないけども、そこを私の手で重ねたいなって思ったの。で、できると思ったのそれが。できるできる。
そう、それ、ごめんね。
いや、ありがとうありがとう。
いやー、それでね、この夏ですね、ゆりかさんが仕事をしたいということで、可能性を探って、そしたらもうぴったりのものがあるので、じゃあぜひやってもらおうということで、研究室に参加するということでやり始め
研究室での再出発と変化
ましたね、ゆりかさん。
今何週目ですか?3週間たち過ぎましたか?
過ぎましたね。
10月1日から研究者ゆりかとして研究室に入りまして、研究室のお仲間とか雰囲気とかどうですか?もう全然ブランク感じないでやれてるんじゃないですか?
いやすごいよね。昔撮ったキネ塚ってすごいよね。体が動くよね。びっくりした。
いきなり学会でしたよね。
いやその話がよくわかるってなんやしないのよ。なんだろうね。
楽しかった学会も。
UJに関わってきたこととか、あとよく研究者の方がうちに遊びに来るっていう環境だとか、あとはやっぱり科学教室をやってるっていう自負だとか、もちろん達さんが毎日毎日研究の話するからね、ブランクなかったのよ
13年間。
論文書くだとかデータ集めるっていう作業はまた違う大変さが出てくると思うけれども、あまりそういうブランクは感じなかったかな。そしてやっぱりね、科学は発展してるようでて、スピードはゆっくりなのよ。そうよ当
たり前よ。
壮大なテーマっていうのはね、そう簡単に進まないからね。
そうよ。待っててくれたのよ私のこと。
いやそして結構仲間残ってるじゃないですか、まだ大学にそのポスト6時代を知ってる仲間が。
20代を知ってるね、私の20代を知ってるね。
みんないい笑顔でさ、髪の毛白くなってきてるけど、あのウェルカムバックっつって。
私はさ色と施してるからさ、ちょっと若さはキープしてるつもりでいたからさ、その若さの秘密とかをさ聞かれてさ、ちょっと面白かったよね。
あなた方そういう研究してんじゃないのとか思ってさ、研究を我が身に使えとかっていう話ね。
若返りの研究してんのに自分に使ってないから、ゆるかさんの方が。
詳しくて、何飲んでんだとかね、何食べてんだとかって話をね、聞かれるよね、そういう話。
楽しいね、昔の仲間に出会う、出会うっていうかに戻る、おかえりなさいって言われるのは嬉しかったね。
おかえりなさい、ウェルカムバックなんだけど、そういう言葉なんだと思って、なんかとても嬉しかった。
あとね、やっぱりアメリカはいいなって思った。というのは、やっぱり男女差が日本より少ないし、あれこれ聞かないのよ、こっちの人って実は。
なんだろうな、なんでどうして、なんで来たのとかないのよ。あ、そうみたいな。
あ、ない。
誰も何も言わないよね。
そうだろうね。
ウェルカムバックってみんな、あれ、なんか1週間のバケーション上で帰ってきた感じのノリで。
ほんとだよね。
そうそうそうそう。で、まあ一応ね、子供大きくなったとか言って。
で、日本に1週間ずつ行って帰ってきた時にさ、ウェルカムバックって言うのと一緒だよね。
一緒一緒。
うん、そうそう。
で、そっか、子供大きくなったでしょって。
あのブラジル人さ、2ヶ月ぶりに帰ってきたんだよ。
あ、彼。
みんなでウェルカムバックって言ってたのとウェルカムバックって。
一緒一緒、一緒だった一緒だった。
一緒だったね。
一緒だった。ほぼ同時きりね、ラボに帰ってきたからね。
そう楽しかったわ。
そうそうそう。でもね、あの学生さんたちに私のこと、小学生だと思って実験教えてねーなんて言うと、一生懸命教えてくれるのよ。
今それがすごく楽しくて、手取り足取り教えてもらってんのね。
うん。
そう、楽しい。
ユリカさんにね、すごい良い人たちばっかりだよって、3週間働いてさ、会う人会う人、良い人たちばっかりだって言ってもらって、なんか僕もね、とても嬉しいというか誇らしいというか、良い仲間と仕事してきたなと改
めて思えるんで、すごく僕も嬉しいです。
うん、とても良い子たちよ。働き者だし、優しいし、丁寧だし、雑なところがなくて、そしてあともう一つは、ラボが13年前よりもインターナショナルになってる。
アメリカ人アメリカ人っていう人たちがあまりいないのかな、今の状況は。
だいぶ減りましたね。
でね、ラボの中で聞こえてくる言葉が英語だしスペイン語だし、もちろん私たち日本語も使うし、中国の方は中国語使ってんのかな、中国語人同士の時には。
でもあまり聞こえてこないね。
あまり中国語聞こえてこないね。だからスペイン語聞こえてくるね、随分ね。
ポルトガル語も聞こえてくるよ。
あれ楽しいね。あれはすごく楽しい。
そういった形でユリカさん本当におかえりなさい。
ありがとう。
これからは研究者ユリカとして奏でる細胞もついに科学教室の先生立つと、研究者ユリカのポルトガスになりましたけども。
そうね。ラボに戻ってびっくりしたのは、やっぱ測定技術は相当進んどるな。
鮮やかだよね。
びっくりしたな、あれは。とっても綺麗。顕微鏡の写真とか、ライブセルイメージとか。
早いね。
早い。感動。あれはね、毎回感動してる。本当に。あれ好き。
セクションさ、上から下まで撮って3Dなんか作るのさ、1時間2時間待ってたのよ。今1分かかんないからね。
かかんないね。
で、画像前よりいいってどういうこと?と思って。
綺麗だね。
楽しいでしょ?
うん、すごい楽しい。
よかった、それを味わってもらって。
23歳までの経験と教育の視点
それでなんだけども、これからのかなでる細胞でどんなことをしたいかなっていうことも3ヶ月考えてたのね。
ちょっと私自身が、気持ちを切り替えることとか脳を切り替える。
やっぱりね、使ってる脳が違うんだよ、たぶん。
脳波を取らせてあげたかったわ。
腰をやってるユリカと。
どなたかに私の脳波を。
研究者のユリカと、母親のユリカと。
再構築されていくから。
母親ってなると、バナナさんとかモグタンさんとか、そうかもね、今頭が前とは違うように動き出したって思ってるんじゃないかな。
もしかしたら、もやがかかったように深いこと考えられなくなっちゃったとか。
あとはもっともっと自分の時間が欲しいって思ったりとか、脳のキャパシティっていうのがどんどん変わっていくんだと思うのね。
そういう時ってあると思うんだけど、それと同じようにと言ったら大変失礼かもしれないんだけども、
違うものに向かっていくときに脳が再構築されていく感じがとてもあるのね。
それに私はやっぱり3ヶ月ぐらい時間がかかって、切り替えるっていうのかな。
すぐにはできないな、明日からこの仕事がある、これぐらいのお給料が出るからさあ移りなさいって言われたところで、
ちょっとそれは助走が必要だなっていうのがあって、3ヶ月かかってしまったんだけれども、
3ヶ月経ってみると、いろいろと変わってきたっていうのかな、脳の作りが変わってきた感じがして、
アジャストできていけてる感じがしてるんだけど、もしかしたらどっかでストレスで熱出すかもしれないけども。
そのときにやっぱり3ヶ月間何かなと思ったときに、先ほどちょっと触れたんだけども、若い頃に、若いって一体なんだろうって。
今私は若いっていう言葉をあまり使いたくないと言いながらも、若いっていうのは23歳ぐらいまでっていうふうに一応定義をしてね。
23歳ぐらいまでに手に入れたものっていうのが、その後の人生をいかに豊かにするかっていうことに挑んでるんだけれども、そういう説を唱えね、挑んでるんだけれども。
だからこそ子育てって大事だし、だからこそ若い時の学校選びだとか、あと専攻選ぶとか、仲間だとか友達とか先生っていうのがとっても大事だと思うのね。
そんなことをやっぱり科学教室の先生として一緒に共感し合ったりだとか、大事だよね、これはいいよねっていうようなポッドキャストを作っていくってどうかしらって思ってるの。
すごくいいアイディアで、しかもこの23歳っていうやつがポッドでたやつじゃなくて、一応エビデンスがある話もあってね。
だからそういうのも紹介しながら、23歳までに習得したもの、例えば言語とかも若い時に習得するとすごいアクセントとかも長く話せるとかね。
そういうのがあったりとか、科学も若い時から培ったものっていうのが長く影響するとかね。
ちょっとファンダメンタルなものでもいいかなと思うのね。というのは、じゃあ25になったら新しい言葉を勉強してもしょうがないのか。そうじゃなくて、やっぱり23歳ぐらいまでに世界の広さを理解したりだとか、多
くの人の考えがあるんだっていうこのマップができておくっていうの。
白紙でもいいから、白地図でもいいから大きな大きなマップを広げておいて、そこをその後の人生で埋めていくっていうのかな。
もう一枚新しいマップ作ってもいいし。
僕たちもみんなわかってるんで、例えば音楽とかも早期教育で入る時の脳の入る場所と後から入る場所が違かったりとか、それが言語だったりアートだったり、いろんな感覚だったり、音楽の分野、言葉の分野、科学の
分野。
多分いろんなところでそういうのがあって、だから若い時にこういうのを入れようみたいな世界観があると思うんだけど、一つユリカさんが大学教育や科学教室を通して感じた一つのものは23歳っていうラインがあ
って、その23歳までに入りやすいもの、届きやすいもの、育てやすいものっていうのが見えてきたんだよね。
それは詰め込もうとかそういうことではなくて、私はもう十分な大人になったから年齢的には、その23歳までの子どもたち、学生たちを守ることができる存在になってきたと思うのね。
だから社会の一員としてそれを守る存在、23歳までを大事に大事に包み込めるような考え方っていうのを多くの人と共感していきたいなと思うのね。
23歳までにこれをしなきゃダメとかって話じゃなくて、大事な年齢だよね、23歳までってねっていう。
20歳ってよく言われたり18歳って言われるところちょっと延長して23歳ぐらいっていうのかな。
大学卒業するぐらい、大学委員に入るぐらい、あとは大学行かなかったとしてもある程度の23歳っていうのをぐっと包み込むような。
でもね、すごいわかる。何かっていうと子育てっていうとね、結構みんな今1歳だからとか2歳だからとか3歳だとか、今今今って思っちゃうわけ。
そうね。
5歳までにとか10歳までにって思っちゃうんだけど、ゆりかさんのその言葉を聞いてると、やっぱ23歳までにっていうすごいもうちょっと大きい枠での子育てのことを考える。
子育てとはもう言えない年齢かもしれない。人間育てっていうのかもしれないけど、そういった意味で教育っていうものに関わった中で見えてきた大事なものっていうものを語っていきたいっていうことなんだよね。
で、何かそこに関わるいろんな研究結果だとか、あとこういう考えがあるよとかっていうのを多くの人から聞いてみたいなっていうふうに思ってるの。
そういうことね。だから研究者の人たちへのインタビューもこれまで通りにやったとしても、ゆりかさんが焦点を当てたいのは、じゃあ研究者になる前の23歳までのあなたはどうだったんですかみたいなことを聞いていき
たいってことね。
これからの奏でる細胞
そうそうそうそう。お父さんになっても、じゃあ子供たちに何伝えたいんですかってことだし、あと23歳以下の人に出会った時には、今何を見てるのって、世界をこんなふうに見てごらんって、あの有名な本があるんだ
けども、あの言葉が大好きで、世界をこんなふうに見てごらんって言える年になったのね。
私は言わなきゃいけない年齢になったのね。だけど23くらいまでの時に世界をこんなふうに見てみたいなっていうような、23くらいまでにね、そういうのができたら幸せなんじゃないかなって思うの。だからそう
いうことを奏でる細胞でやっていきたいなって思ってます。
いいですね。そういった形で、僕もどんなふうになっていくのかとても楽しみなんですけれども、研究者たつと、研究者ユリカとして、科学教室の先生でもあるわけですが、そしてひらくの著者でもあるユリカ先生と一緒
にね、この番組を続けていきたいと思います。
やっと戻ってくることができました。そしてこれからも番組をね、ゆっくりと僕らのペースで続けていければと思いますので、皆さんにも聞いていただけると嬉しいです。ということで、今後の奏でる細胞でいろんなこと
やっていきますけども、あとは11月の科学系ポッドキャストの日、トリビアですね。トリビアとかサプライズとかをやっていくので、次回から皆さん聞いていただければと思います。
はい。
はい。
日本語の講師という仕事を見つけて、それを決断して、子どもたちを大事にしながら、あとは自分のキャリアとして日本語講師としてリベラルアーツで一生懸命やったという人生を選んだことは、僕は本当にすごいなと思う
し、そのおかげでうちの家族はバラバラにならずに済めたので、とても感謝しています。
だから、子どもたちが優秀に大きく育って、このタイミングで研究者になりたいと思ったその気持ちに僕は寄り添いますし、その頑張れるところ、やりたいと思っていることが達成されるまで、全力で僕もサポートする
ので、これからも一緒に頑張っていければなと思います。
それを今エンドトークに使ったらいいんじゃない?
今使ってます。
あ、録音した?
おお、素晴らしい。
それでは最後までお付き合いいただいてありがとうございました。お相手は科学教室の先生達と、
ユリカでした。
ありがとうございました。
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