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こんにちは、ジャーナリングアドバイザーのKanaです。 今日も収録していきたいと思います。
前回の放送の続きですね、前回シリーズもののジャーナリングと私の物語ということでお話ししていて、
学生時代のジャーナリングどうやってやってたよっていう話から、社会に出ての決断を迫られる時にジャーナリングをこうやって活用してましたっていう話をしました。
その最後が、旦那さんと結婚するしないみたいな騒動をしてた時に、正社員で働いてた会社がもう無理ってなって適応障害で診断されて、
本当に多分人生の中でも一二を争うぐらいにしんどかった時期があったんですよね。 なのでそこの話から続きしていきたいなというふうに思います。
その時はですね、スポーツインストラクターの仕事をしていたんですよね。 でもそのスポーツインストラクターとは名ばかりで、結局やってたことってすごい営業だったんですよ。
スポーツジムに入会してもらうためにすごく数字を追いかけて、お客さんが来たら一生懸命体験をしてもらって、入会してもらうためにセールスをかける。
あとはその実際に今いる会員の人たちに他の人紹介してくださいみたいな感じで営業をかけるっていう、本当に営業の仕事だったんですよね。
外でチラシ配ったりとかもしましたし。 私は結構営業得意なんですよ。
人におすすめをするっていうのが多分得意だと思うんですけど、喋るのが好きなのも多分そういうのもあって、
すごい楽しかったんですよね。健康に関するものを売っているっていうのは、やっぱりこういいことをしているっていう感覚があって、仕事自体はすごい楽しかったし、みんなに定職だねって言われてたんですよ。
かなさんは本当にこの仕事合ってると思うって言われてて楽しかったんですけど、やっぱりね、私は組織の中での人間関係っていうのが下手くそで、
本当にずっとその学生時代から、社会というかその組織の中でうまく生きられないっていうのは感じていたんですけど、
やっぱり社会に出てもその組織ってなって、各お店ごとに5人ぐらいスタッフがいたので、その5人のスタッフとうまくやらなきゃいけなかったんですけど、どうしてもそれがすごく苦手。
で、いろんなことを考えすぎちゃったりとか、気を使いすぎて疲れちゃったり、あとはなんか私って多分表現が独特なんですよ。
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そんな人が発信してるんだって感じなんですけど、なんか誤解されやすいみたいなんですよね。
だから私がそう思って言ったんじゃなくても、その意味がうまく伝わらなかったりして、すごく難しかったんですよ。
適応障害ってなるぐらい、もう本当に朝起きて、ベッドから起き上がれなくて、行けないっていうのがあって、吐いたりとかもしたし、
めまいがすごくて動けないっていうのもあったり、本当にいわゆるそういうメンタルがやられた時に起こるみたいなことは一通り体験したんですよね。
精神科、診療内科にも通ったりもしたし、いろいろやっぱどん底かな、みたいな時ってあったんですけど、
その時もやっぱり書いてて、何がこんなに苦しいのかとか、なんでこんなにうまくできない自分とやりたい自分がきっこうしちゃうのかとか、
本当にどんなことを感じてるのかっていうのをひたすら書いていたんですよね。
でも結局、仕事に行けないってなって、休むってなったんだけど、休んでても治んないと思ったから、辞めることにしたんだよね。
で、辞めて、ちょうどその時に旦那さんも結婚するっていう話になってくれてたから結婚して、しばらくだから専業主婦になったんですよ。
で、その時も毎日時間があるわけじゃないですか、子供もいないで、主婦ってことはつまりずっと家に一人でいるってことなので、
ひたすら書いて、私の人生こんなはずじゃなかったって。人生、学生時代にだいぶ辛いこと味わってきたのに、なんでこんな大人になってまで悩んで、
こんなつまんない苦しい人生を送らなきゃいけないんだ、みたいなこととかずっと書いてて。
で、でもなんか書いていくうちに、いやでも私ってこんな風になっても意外と前向いてるじゃんとか、
なんかこう、こういう風にこんなんて乗り越えてきたよね、みたいなとかを書けるようにだんだんなってきて、
なんかこれからの人生どうしたいかなっていう風に、だんだん気持ちが前向いてきて、
適応しようがいいっていう感じではなくなったんですよね。
感知したかって言われると、んーって感じなんですけど、でももうなんだろう、もう外出れないとか、そのベッドから置き上がれないみたいなことはなくなって、
普通の日常生活は遅れるようになったんですよね。
やっぱりその時もジャーナリングでいろいろ吐き出してたから、回復が早かったんじゃないかなっていう風に思うんですよね。
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もちろん旦那さんが話聞いてくれたりとかはあったんですけど、
旦那さんは何しろ教員で、本当に家に1日2時間しかいないっていう感じだったので、
私にとって話を聞いてくれる人は旦那さんよりも濃厚だったんですよね。
一人でそういう適応障害で辛いのとかもどうにかするっていうのがあって、
で、だんだん元気になって、家にいるのも暇だからパートしようってなってパートしてみたんだけど、
やっぱり1年半ぐらいそこでパートしていく中で、やっぱり組織無理ってなって、
正職員じゃなかろうがバイトだろうが組織が無理だってなったんですよね。
で、辞める?どうする?みたいな感じで、
もう今度は適応障害とかになる前にバイトなんだし辞めようと思って、
すぐ辞めたいと思ってからはすぐ辞めますって言って、
辞めれたんですよね。その時も本当にいろいろ書いて、
で、辞めてからどうする?と。
その時が29歳だったんですよ。私よくいろんな配信で29歳の誕生日を迎える時に、
すごく今後の人生を考えたっていう話をしているんですけども、
それがちょうど29歳だったんですよね。組織で全然うまくいかない自分。
で、なんかこのままグダグダ人生過ごしていくのかな?みたいな。
でも30歳になっちゃうよみたいな。私の人生これでいいの?っていうのをすごく思ったのが、
そのタイミングだったんですよね。だからそれまでもだいぶジャーナリングして、
自分の人生を助けてもらったし、変えてもらってたっていう感覚はすごくあったんですけど、
やっぱりその私にとっては29歳っていうのが人生の転換点だったなと思います。
なので次回はその話。いよいよなんで私がジャーナリングアドバイザーになったのか?
みたいな話をできたらいいなというふうに思います。
このシリーズね、興味ある方はいるかどうかわかんないんですけど、
最後まで撮っていきたいなと思っていますので、
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では今日も最後まで聞いてくださってありがとうございました。また次回の放送でお会いしましょう。
かなでした。