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2022-08-13 12:36

#166 ホリエモンとの思い出② eiga.co.jp計画

雑談・ビジネス編 

■出演
亀山 敬司(DMM.com 会長)
長谷川 文二郎(42 Tokyo事務局長)

00:02
はい、どうもDMM.comの亀山です。
OT2東京の文次郎です。よろしくお願いします。
はい、どうも。前回続いて、ホリエモン物語②ということですかね。
前回はね、ホリエさんとの出会いということで、たまたますごいですね、本当に。
インターネットが始まって、反明期みたいなところで、ちょうど加賀市にホリエさんが来てたところで出会えたっていうところを聞きましたけど。
本当にね、まさに偶然の出会いでもなかったらあんまなかったって思うんだけどね。
でもそこからじゃあ、信仰があるっていうことなんですかね。
そこで俺も話しては、若いミツラで生意気なんだけども、でも力はありそうだなと思ったわけよ、その時。
話聞いてても、考え方がとても斬新だったし、これは一緒に仕事したいなと思ったのよ、その時ね。
ちょうどDMEもその頃、俺としては配信をやろうと思ってたんだけど、アダルトの配信から始めようと思ってたから、そこから手をつけてた時なんだけど。
ただ同時に、できれば将来映画とかそういったことも考えてたんだよね。
ただ当時俺の思いだと、映画とかも配信したいなみたいな本当は夢はあったんだけど。
ただ俺がワーナーとかディズニーならどうするかなと思った時に、多分国境とか超えれるってな、インターネットって。
だからインターネットが仮に、彼らが配信の時代が来るとしたら、アメリカから世界中にやっちゃうなと思った。
だから今はワーナージャパンとかディズニージャパンとかがあったとしても、配給ってなると多分日本でそれは許可しないんじゃないかなと。
アメリカから配信して世界中にやるみたいな世界になるんじゃないかなと思ったわけよ。
とは言っても少なくとも日本の人たちがどの映画を見たらいいかっていうので、何らかのポータルサイトができる可能性があるかなと思ってね。
みんなが配給会社というか、いちいち行くっていうのは結構手間でもあります。
ということは少なくとも映画ファンを集めておくサイトを作れば、もしかしたら将来そういった配信とからしがかりになるかもしれないなと思って、
映画使用GPってドメインを取って、映画のポータルサイトみたいなものを作りたいと思ったわけよ。
03:00
なるほどなるほど。
なんでそこに関して、かといっても俺もそういうコネクションとかないじゃない。
映画会社とかさっぱりわかんないから。
まあその頃鎌橋の田舎にいて、コスコとインターネット勉強しようと思ったからさ。
なんでその長江さんがそのメーカーを探してくれる。
そのシステムをこういうものが作ってくれる。
で、俺がその資金は出すっていう。
そういう座組で一緒にビジネスやらないって話になったわけよ。
で、映画使用GPってサイトをじゃあ3人で立ち上げましょうみたいな感じで、ちょっと俺が持ちかけた感じかな。
で、それにみんな面白そうなんでやりましょうってなって、その3人でプロジェクトが一応進んだという感じなんだよ。
すごいなんかあんま聞いたことのない話。
そうなのよ。もうその昔から野望は大きかったからね。
ところがさ、まあ一回じゃあその辺サイトとかの許可を、システム的には多分問題なくできますって話だったんだけど、
結局その長江さんの方にいろんなメーカーさんに当たってもらったりしたんだけど、
結局当時ってインターネットっていうのはまだまだ映画会社とかからすればステータスの低いもの。
なんで結局その予告編とかプレビューっていうんだけど、そういったものさえ流すのは無理だと。
で、要はパッケージの写真のJPEGとかなんていうか、そういう絵の許可も出せないみたいな。
へー。
うん。
っていうことはもうサイトをオープンしちゃって思ったら写真がノープリンティングってかな。
イメージ画像みたいなね。
っていうのを出せないっていう、もうタイトル戦ぐらいが載せれるのが関戸山みたいな状態になってて。
なるほど。
うん。
それは結構痛いですね。
うん。
いやこのパッケージ載せるのはインターネットに載せるなら俳優の許可も取らなきゃいけないとか。
はいはいはい。
あの日本の映画会社とかに行ってもね。
うん。
なんかなんかいろんなもう、もちろんその予告編とかもそのいろんなテレビとかに流すのは普通なんだけど、
インターネットに流すなんてみたいな。
うん。
うん。で、そういう風ようなもう時代だったから、もうこれはポータルサイトの情報サイトでさえ作れない。
うん。
もう配信なんていうのはいつのことなんや、みたいな話がね。
うん。
そう、そんな時代だったからさ、もうどうしたらファンサイトだけでも作っておけば何か足掛かりになるなと思ったけど、
それもなかなか進まなかったわけよ。
うん。
なるほどなあ。結構そういう時代だった。
うん。
そうそう。まあそれでも何とかこういろいろ宿泊やってたんだけどね。
06:01
うん。
うん。
そうそう。
まあその中で俺自身がただ勉強になったのは、まあその、ひたじゃんと同じ感じで、とにかくメールで仕事をさせてくださいって言うわけよ。
うん。
ああ、その堀江さんから。
うん、そうそう。
うん。
でもなんかたまに電話ダメなのって言ったら、いや電話はもうあの、あのダメですと。
あの効率悪いですと。
もうそのか、その頃からそれなんですね。
そうそう、その頃からそれなんですね。
うわ、すごいなあ。堀江さんってほんとじゃあ一貫されてるんすか。
なんかノーテレフォンってね、歌をね、YouTubeで流してたりしますからね。
ははは。
20代からそうだよ。20代前半から。
20代からノーテレフォンなわけなんですか。
ノーテレフォンだ。うん。
そっか、じゃあ食い下がらないわけですね。
じゃあ堀江さんもその頃は電話はダメなんですかって聞いたわけですか。
いや、そうそう。俺も電話、電話かけちゃダメなのって、いやメールじゃないと僕の仕事できないみたいな。
うわ、すげえなあ。
で、じゃあ堀江さんもメールを打つわけ。
そうなんだ。それで俺もしょうがなく、それまで、そうそう、メールで仕事なんてほとんどしたことなかったから。
うんうん。
なんで、もうしょうがないからって、俺タイピングソフト買ってるね。
ははは。
ワープルもやったことないからさ。だから、なんだっけ、あの、北都の県だっけな、わかんないけど。
とにかくタイピングを早くするための。
タイピングで間違えると、お前はすでに死んでいるとか言われながら。
ははは。
そうか、そういう時代だった。
そうですね、これを聞いてる人で、パソコンのソフトをでっかいビデオみたいな感じで買うっていうのも知らない人は多いんじゃないですかね。
ははは。
そうか。
いやいや。
じゃあそれで覚えて、じゃあ堀江さんとはメールでやり取りして。
そうそう。
仕事して。
どうしても急ぐ時だったら、ちょっと若い奴呼んできて、ちょっと俺が喋る通りに売ってくれとか言って。
そっちもその頃からやってるんですね、そういうことを。
タイピングやってもなかなかできないから、音声のタイピングみたいなやつないのかみたいな。
喋ったらタイピングしてくれる?
はいはい、音声入力的な。
そうそう。で、なんかあったと思うんだけど、なんかやってもいまいち今みたいに精度悪いからさ、なんか全然使い物にならないわけよ。
なるほどなるほど。
結局手で売ったほうが早いみたいな。
そうそう。で、しょうがないから俺もね、もうちょっとね、その頃俺38ぐらいだったからね、確かもう大変だね。今更そんなこと勉強するのかね。
まあそうですよね。同じ20代ってわけじゃないわけですね。38の人と大学中退してぐらいだから、もう20前半の。
20、まあ2、3ぐらいだったと思うんだよね、確かね。
えーすごいな。おもろいな。その構図が面白いですね。それがじゃあ石川加賀と東京を結んでたわけですね。
そうだよ。俺はね、四十の世代みたいな、なんていうかな。僕も宿泊しながらそのタイピング勉強したわけよ。
そっかそっか。それはでもじゃあその、映画CO.jpが例え飛んだというかね、したとしても良かったことなんじゃないですか?
09:09
なかなかその仕事には進まなかったけど、とりあえず俺が頑張って勉強するきっかけはあのホリエーモンの固くない電話かけんなっていう。
それかけたこととかないんですか?電話番号すら知らないみたいな状況なんですか?
そうだったね。電話はたぶんしたことないから。だから話したのはそのカガシであったのと、まあその後1回訪ねていったときぐらいかな。
それ以外は本当にメールで、すごいなスパイみたいな感じですね。
まあでもおかげで彼に育てられたおかげで今の俺があるんで、ありがとうございますって書いてあります。
ここでありがとうを言っておきましょうね。それがホリエさんに届くといいですね。
ナウボイスというか音声メディアでホリエさんにありがとうって言ってます。
いやホリエマン別に俺を育てたいと思ったわけじゃなくて嫌だっただけだと思うんだけど勝手におかげさまになりましたみたいな。
素晴らしい。おかげさまですね。何事も。
まあただやっててもなかなかそのうまく進まないのと、一方でちょうどホリエモンがねちょうど上場の準備に入った頃だったね。当時がね。
だからやっぱりその辺の中でホリエモンはいろんな仕事がたぶんいっぱいになってきたんだろうね。
だからあんまりその辺も仕事もシステム側であろうがなんでもあんまりうまく、悪く言えば二の次三の次にされてしまったのはある。
結局のところこれじゃなかなか出し開かないねって言って、運営費をずっと出しててもこれ合わないなと思って、やっぱりもう辞めようかって話になって。
その時2回目に俺が東京行ってホリエモンに会って、こういう感じだからもうこのプロジェクトは終わりにしようかって言って。
俺もサーバーとかいらないから全部それホリエモンにあげるから、それで全部このプロジェクト無しにしようってなって。
ホリエモンも全然それでいいですよみたいな感じで。
っていうので映画CGとJP野望プロジェクトはとんざって終わりました。
ここで頑張って張り合ってたらもしかしたら映画ドットコムさんとかに戦ってた未来もあったかもしれない。
そうだね。ちょっと早すぎたのかもしれないね当時は本当に。
サイトの提供なさなかったんだよね、情報が。
あとはやり方というかすごい業界の進め方みたいなのをもし知ってる人がいたりしたらまた。
でもそれにしてもちょっと早すぎたというかインターネットっていうところがまだ舐められていた時代ってことだね。
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ホリエモンはそこから先上場に向けていき、長谷さんはまた別の会社を色々やってたりして。
俺はまた加賀市に戻ってDMMをコツコツ作り出したという感じで一旦そこでお別れになりましたという感じでございます。
これはまだ続きの話があるってことか。
そうだね。じゃあまたその続きは次回でということで。
ありがとうございます。
12:36

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