2024-03-15 04:51

2024.03.15

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#声日記

00:01
明確に5分で終わるというルールを作って、この日記を進めていこうというふうに思っていますが、
基本的に何かひとつ、ルールであったり、定型というものを厳密に決めておく方が、
大体の政策であったり、物事というのはスムーズに進んでいく。
特にその自由度というものも、なぜか上がっていくということを常々思っています。
基本的に、ポートキャストの方は、時間は特に設けずに、
1時間半を超えると、さすがにやばいなと思ってやめるんですけど、
基本的に何も決めずに、話し始めましょうかというところでお話をしているんですけれども、
実はその方が、内容というものがなくて良くなるというか、
実は不自由なことの方が多くて、何も上手い具合に話が跳ねなくても、
それはそれで、量がそのまま質に反転してしまうというか、
ダラダラとしているということ、それ自体が何かしらの意味を持ってしまうというところがあるので、
実はダラダラと喋る量を、量で何者かにするというところで、
実はそういうルールがあるとも言えるようなやり方をしているんですけれども、
基本的に5分で喋るというふうに決めてしまえば、
5分で喋るなりの形に、まずそこに何を収められるだろうかというところから考えていくとなると、
実は自由に時間を設けずに決めましょうという時間の制限がないときよりも、
内容に対して非常に敏感になるというか、
その5分の中に何を詰め込めるだろうかというような、
お弁当箱の歌のような発想になっていくということが、
1回だけやってみる段階でも非常に重いところではあるなというふうに思います。
でも基本的に僕はこれまで文章にせよ、ポッドキャストにせよ、
なるべくその時間的な制限を設けずに、
やることがあるとするとポッドキャストに関しては編集を全く入れない。
日記に関しては基本的に頭からずっと書いていって、
遡って後から前の段落だったり前の文に書き加えたり、
書き直したりするということは基本的に原則しないようにするというような、
どちらも後戻りできない。
一発勝負、即興性みたいなところを一つ自分の中に強く化して、
やり直さない、振り返らない、とにかく一気に頭から後ろまで、
喋ったり書いたりするということを自分に強く理しているんですけど、
それをなぜやるかというと、
自分でもよくわからないところまでいきたいというのが一番大きいんだと思います。
03:03
なので基本的に自分で書いたもののはずなんだけれども、
気づいたら話が論理的な整合性であったりとか、
わかりやすい筋道だった語りというものからどんどん逸脱していって、
連想であったり脱線みたいな方に自分の語りのコントロールが奪われていくというところに、
自分は愉快さを感じてやっているんだなという感じがするんですが、
5分という短い時間の中だと、
基本的に自分のコントロールを手放す暇がないというか、
自分の中でまだコントロールできるようなことを話しているだけで、
5分という時間はすぐに過ぎ去っていってしまう。
なので基本的に人が文章を読んだり、
何かものを聞いたりする時というのは、
誰かにとって未知であるもの、
そしてそれは聞き手であったり読み手であったりする人にとっては未知であるものである、
というようなところに一つ来たいと思って、
自分が知らないけれども誰かが知っていること、
誰かが既に知っていることを知りたいというか、
誰かにとっての基地で自分にとって未知のものを、
自分にとっての基地のものに変換していきたいというような欲望があるのではないかなというふうに思うんですけれども、
5分の間で話せることというのは、
やっぱり語っている側からすると、
当然のこと、決まりきったこと、当たり前のことのようなことしか話すことはできない。
それに対して基本的にダラダラとしゃべることで脱線していきたいと思っている側からすると、
物足りなさ、そんなことは分かっているんだけどなということしかしゃべれないという気持ちになりがちですが、
実はこれこそが他の人にとっては新規なものであったり、
なじみのないものであったりする可能性というのは非常によくあるような気もするので、
5分という時間はもしかするとかなりいい時間なのかもしれません。
以上で終わります。
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