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2026-03-03 10:35

ゲスト・ホスト論

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ホスト側にまわる方が楽/家に人を呼べない/数えられるくらいしか人が家にこない/自分の内面を感じ取られてしまう

サマリー

ホスト側になる方が楽だと感じている話し手が、ゲストとして知らない場所へ行くことや、自宅に人を招くことへの苦手意識について語る。自宅というパーソナルスペースに踏み込まれることへの抵抗感から、ホスト側でありながら自宅に人を招くことだけは苦手だと感じている。

ホスト側としての快適さ
今日はゲストとホストということで、ここ2,3日、知り合いの方が来てですね、自分の住んでいる街を紹介したりだとか、
あとは日本食のレストランとかにちょっと飛び込め営業したりというのを突き沿ったりとかっていうのをやっているんですけど、
やっぱりね、別にまだこの今住んでいる街が自分のホームだっていう感覚はそんなにはまだないですけど、
それでも来た人をですね、案内して、こういう場所がありますよとか、こうやって行くんですよとか、こういうご飯食べたら美味しいですよみたいなことをホスト側としてやるっていう経験を経てですね、
こっちの方がやっぱり向いてるなぁというふうに思いました。これ結構ずっと思ってることなんですけど、ゲスト問題とホスト問題。
ゲスト側になるのかホスト側になるのかっていうので、自分は圧倒的にホスト側の方がなんか楽っていうかショーに合ってるっていう感じはするんですよね。
逆にゲストという形で何でもかんでもお世話されたりとか、全然アウェーな場所に自分がゲストとして全く知らないところを探していくっていうところは、それはそれで面白さはあるものの、
やっぱり結構疲れるんだよなぁということは思いました。なんかね、これ結構昔からそうで、学生の時からイベントとかを主催したりして、毎週自分がホスト側として人を迎え入れるっていうことを本当に何年も欠かさずやってたんですけど、
それで来たのもやっぱなんかそれがショーに合ってるからなんですよね。いつもこの一定の場所に自分がいるということで、それをめがけて友人であるとか、そういった人たちが集まってきてくれるっていうのが非常に楽だったなーっていうのはあって、
だからといって別に新しいところに行ったりとか、誰かに招かれてゲストとして遊びに行くっていうことが嫌いなわけでは全然ないんですよね。ただやっぱり行って、ものすごい知ってる友人のところだけに行くっていうのは、正直ゲストというかそういう感覚すらないんですけれども、
全く知らないコミュニティーの場所に顔を出してみるとか、初めてそういったところに行ってみて、ちょっとその自分を伝えて受け入れてもらうっていうことは、やっぱり結構自分の中では少しエネルギーはいるものだよなというふうに思いました。
一方でホスト側もですね、やっぱりその受け入れるからには相手の方に楽しんでもらわないといけないとか、不都合がないようにとか、そういうことはしっかり気にしなきゃいけないというものの、それ自体も自分がゲスト側だった時に何でもあれやこれや全部お世話すると、それはそれでちょっと面倒くさいなというかやりすぎだなと思うこともあるので、
ホスト側ってやっぱり結構気軽なんですよね。明らかに相手側が困っていたりとか、難しいだろうなっていう時に手を差し伸べるっていうことをやりつつ、それ以外は相手が自由に動いたり行動、選択をしていくっていうところにあんまり干渉しないっていうのも結構大事だったりするので、
そういう意味でいくと全てのお世話をしなきゃいけないっていうわけでもないっていうのがあるのかなというふうに思いました。
ホスト側になった時にゲストが複数いる時も、そのゲスト同士のつながりとかコミュニケーションっていうところも本当に必要に応じて入ったりするけれども、基本的にはそこは自立してやっていただくっていうところに任せるところもあるので、
そういう意味でもあんまりホスト側の方がずっと気を張ってっていうわけでは意外とイメージよりはないのかなというふうに思ったりしています。
ただ、これなんか矛盾というか、唯一僕がホストになりきれないのが家ですね。自分が住んでいるお家に人を招くということができないというか、あんまりやりたくないし、人が来たらやっぱりちょっと落ち着かないっていうところもありますね。
これなんか子供の時の環境とか、というか子供の時からそれが多分苦手だったとは思うんですけど、特に小学校の時とか友達の家遊び行ったり、友達が家に来たりするじゃないですか。
でも僕ほとんど友達の家行ってたんですよ。もちろん学校とか小学校の友達とかって家でゲームができるとかそういう環境があるところに人が集まるので、別に僕の家にそういったゲームがなかったっていうのも一つ理由としてはあるとは思うんですけれども、
でもやっぱり子供心に自分の家にはあんまり来てほしくないなぁとは思ってました。それは何でかっていうと、多分いろんな自分のホスト側はやりたいというか、性に合ってるとか言いつつ、パーソナルスペースに細かくというか近くに入って来られるっていうことに関しては結構嫌がってるんだなっていうふうに思います。
別にね、僕は逆に人の家とか行くのすごい好きで、結構くつろいだりするんですけど、人の家にイチャモンつけることほとんどないですからね。別に多少汚くてもそれだけでその人のことを見下したり嫌いになったりしないというか、
自分の家も汚いしぐらいの感じで全くそういうの気にならないタイプの割に逆に自分が家とかに誰かを招くっていうときは、なんか汚いと思われたら嫌だなとかそういうふうに思ってしまうっていうところがなぜかあります。
先ほどずっと言ってたようなホスト側っていうのが気が楽だって言ってる割に自分の家っていうのはなんか別問題っていうのはあるんですよね。これ大人になってからもほとんどそうで、大学になってからとか働き始めてからとかそういうのがあっても、
友達とかを家に招き入れるっていうのは本当に数えるぐらいしかないというか、逆に数えるぐらいしかないからこそすごく覚えてるぐらい誰が来たとかどういう時に来たとかっていうのを今でも覚えてるぐらい数が少ないというか、
そしてそれだけちょっと緊張モードになってるっていうのはなぜかあります。この辺が自分自身の人となりを表してる部分もあるのかなって考えながら思ってました。
自宅に人を招くことへの抵抗
ゲストというよりはホスト側として少し開かれた場所で誰かを待ち受ける。そして来た人に対して困ってるようであれば少しアドバイスというかこうしたらいいですよみたいなことをやる。
そういった受け入れるということに対しては非常に積極的ではあるが、かといって本当に自分のパーソナルスペース、具体的に言えば家のように何ていうのかな日々の生活と接続してしまっている。
それはその家っていうハード的なものだけじゃなくてそこから立ち上がれる立ち現れるような自分のソフトな内面の世界もありのままの自分というかそういう普段の地続きの生活というか態度というか即席というか
そういうものを相手に見られたりそこから何か感じ取られてしまうということは逆にすごく気にしてしまうのかなというふうに思います。
こういうところがなかなか自分の造物を見せるみたいな完璧に自分を出し切ることができないっていうところにつながっているのかなというふうに思いますね。
たぶんその本当にいろんな層がある中で最後の最後のドス黒い部分っていうんですかね本当にあるがままの自分みたいなものをある一定以上の友人ぐらいにしか見せれてない。
もちろんパートナーもそうですけどそういうパートナーとか親しい友人ぐらいにしかやっぱりそういった自分の飾れてない何もフィルターのかかってない自分っていうのは見せれない人間なんだなと改めてこのホストゲスト問題ね考えて思いました。
ただとにかくねこのホスト側としてあれやこれやあのちょっとおもてなしっていうんですかね相手に喜んでもらいたいって思う気持ちはなんか結構いいものでそれを考えている時とか行動している時っていうのはなんかね結構自分の中でも充実感があるというか。
まあ自分の中のやっぱりその承認欲求みたいなものがかなり満たされている感覚っていうのはすごく感じるのでもちろんよしわるしはあると思うんですけれども結構ね自分のこのホスト機質みたいなその受け入れる側としての世話の焼き方みたいなところはすごくちょっと気に入っている部分はあるのかなというふうに思います。
というところで今日はこんな感じで終われればと思います。
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