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2025-11-18 20:06

(171) 性と規範と、対話のための一歩

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20歳前後の自分は「性」において男性規範におおいに縛られていただろうなあ、という回顧録みたいな話をしています。願わくば、大事な人とのすべてのコミュニケーションが少しでも幸せなものでありますように。

#声活

 

サマリー

このエピソードでは、桃山昌司のポッドキャストを通じて、性に関する社会規範やコミュニケーションの重要性が語られます。特に、性行為における男らしさや自己認識の変化、対話のプロセスについて議論されています。性行為に関するコミュニケーションの重要性が強調され、社会全体での知識の共有が薄い現状が問題視されています。若い世代に対しては、オープンな対話を促進し、より良い理解を深める必要性が強調されています。

性についてのイントロダクション
日本語圏の皆さん、こんばんは。 純朴声活です。
2025年11月18日に喋っています。 このまま公開するつもりです。
前回の更新が10月22日だったんで、 そうそう、気づいたらね、1ヶ月近くね、空いてるんですよね。
そんなに別に忙しかったわけでもないんだけど、 生活の中でパッと今から喋って撮ろう、みたいなタイミングがなかなか見出せずにいて、結構時間が経っちゃった感じですね。
僕は元気にやってましたよ。 すっかり涼しくなってきましたね。
今日は、タイトルを見た上で再生してくれてる人が多いと思うんだけれども、先にこれは多分冒頭で言っといたほうがいい。
僕は大真面目な話として、ここから先の話をするんだけれども、性ですね、セックスの話ではあるので、そういう話が真面目だろうがなんだろうが、そういう話は聞きたくないよという方は、
ここでチャンネル登録、高評価だけして帰っていただくのが良かろうと思うので、これは早めに言っておきます。
ここから先も聞き続けるよという人は、タイトルとか概要欄とか見た上で、それでも続き大丈夫だよという人はぜひ聞いてほしいですけれども、
ちょっとそういう話、ノーセンキューなんでという人は、また次のエピソードでお会いしましょう。
バイ。
というわけでここから行きますね。
きっかけは、桃山昌司さんというポッドキャスト番組のエピソード90。
にむらひとしさんがゲストの回で、セックスがうまいってどういうことですかっていうのがありまして、これを聞いて、僕も妻も聞いて、このエピソードの聞いて思ったことを持ち寄って話したっていうのがきっかけの一つですね。
もう一個がコテン株式会社という、コテンラジオとかやっている深井龍之介さんという人が代表やっている会社の新しい取り組みで、ジェンダーインクルーシブオーディオという20時間ぐらいの音声が公開されていて、
これは今は招待、少なくとも現時点では招待制の取り組みで、僕はこれまでコテンの活動を応援するっていう、金銭的に応援するっていうコテンクルーというののメンバーだったので、
最初の招待をもらえて早速聞いて、今15時間分ぐらい聞いたところなんですけども、この中で社会規範というものがすごく人々の行動とか思想に強い影響を与える行動、意思決定を規定するなということを改めてすごく強く感じていて、
その中で自分と割と規範は規範として認識しつつ、今の自分たちにとってはそれよりも規範に合わせるよりも、規範から外れても自分たちの目的に合っている方がいいよねっていうのを自分は割と選べている方だなという自己認識もしているんだけれども、
この桃山翔司さんのセックスについて語られているエピソードのことを思い出したりして、自分の中に存在した規範、自分がその規範にめちゃくちゃ影響を受けていたなという状態のことを思い出したりしたので、そこからそうだったなと思っていることを話してみるという回ですね。
何でしょう。
性の話って、これも規範だと思うんだけど、ちょっとメタになってきた話がね。
結構僕、この日本語文化圏に40年以上ごみを置いていて、性の話をオープンなところでするっていうことに、いくらか抵抗感を感じるので、自分もそういう社会を生きているなという感覚はすごくありますね。
特に僕は実名出して身元を明かして活動しているでしょ。
その上で、寄婚者だってことも公表していて、妻が純朴生活にも出てたことがあるし、僕の日記読んでくれたり、この純朴生活聞いてくれたりしてるとか、あるいは僕の友人、知人は僕の妻と会ったことある人もたくさんいるので、
性の話をするってときに、僕一人の話でもないから、ちゃんといろんなことに配慮して話さなきゃいけない話題だっていうのもありますよね。
それは似てる構造だけど別の話としては、僕はどこに住んでるかっていうのは、独占時代はマンションの名前まで東京都内の大田区蒲田に住んだときはマンション名まで当時のツイッターとかに書いてハッシュタグにして公表してたりしたんだけども、
結婚したら僕だけじゃなくて妻の自宅もバレるってことになるから、そういうのは一切やらなくなって、そういう面がありますよね。
なので、それは十分な配慮が必要だと思っているので、今、事故を迎えたっていう扱いにしやすい20代の頃とかの話を中心にするつもり、
というよりはもうちょっといつの誰との話ですみたいなのはあまり直接的な言及はせずに、自分の42年生きてきた中で、そういう時期、そういう規範の中にいたな、そういう時期もあるなっていう話をするつもりなので、
あまり具体的に詮索してほしくはない話ではあるんだけれども、僕が思う今より一人一人がハッピーに生きていく社会に近づいていくためにはこういう話もしてったほうがいいなと思ったからするっていう感じですね。
対話的な性行為
ちょっと前置き長くなっちゃって、あんまり変な聞き方してほしくないっていう気持ちが出たから今みたいな話をしたんだけど、大丈夫ですね。
純朴生活を聞いてくれているもの好きな皆さん、いつもの皆さんに関しては別に変な聞き方はしなかろうと思うし、最終聞き手の自由だと思うので、僕は僕なりに配慮した話し方はしますけれども、自由に聞いてもらって大丈夫だと思います。
何かというと、特に僕が10代、20代、一旦20歳前後ぐらいにしておこうかな、20歳前後ぐらいの自分を思い返してみると、セックスというものに関して強い男たるものみたいなそういう規範の中にいたなと思っています。
振り返ってみると、あんまりこんなふうに振り返って考えてみることも全然なかったけれども、この桃山庄司のエピソードが概要欄からリンクしておきますけれども、
エピソードを聞いたり、男女のジェンダーキャップに関するいろいろな言説を見聞きする中で、自分もめちゃくちゃ規範の中にいたんだなって、そこから逃れるの難しかっただろうなと思っているんですよ。
それは何かというと、男として性行為によって、一旦異性愛に限定して話しますけれども、異性愛者同士の男女の性行為に限定して話しますね。
これは大事な前置きです。
に関して自分はそこにおいて、辞任としても男で、男たるもの、性行為を通じて相手の女性を喜ばせられる個体じゃなきゃいけないっていう規範がめっちゃあったなと思うんですよね。
特に若い頃ほどかな。
それによって、そこに関しては何でそうなっちゃったんだろうと思うと、そういうもんだと思い込まされたからだと思うんですよね。
社会からそういう無意識にそういうふうに思い込まされる環境があったからだろうなって、今のところ強くそう思ってますね。そう解釈しています。
で、その桃山昌司さんのエピソードを聞いたときに、そういう性行為って、最初に配られたポーカーだとして、最初に手札配られた5枚の手札で、それでバーンと何も考えずにそれをそのままぶつけるみたいな行為ではなくて、相手との対話によってより良いものを探していくっていう。
僕が聞いていて極めて対話的なプロセスの話をしてるなと思ったんですよね。
でもこれだけ言うと、それは複数相手がいることだから対話的に進めるって、そりゃそうでしょって。
実践できてる人からしたら、そりゃそうでしょっていうしか言いようのないような話だと思うんだけれども、
何ていうのかな、十分な性に対して、学校で習った性教育とかあったから、知識として赤ちゃんができるとはどういうことかっていうのは、知識としては別に知ってるとして、筆記試験だったら正解は書けたと思うんだけどね、20歳前後の自分ね。
でもそういうことではなくて、コミュニケーションとしての性行為みたいなのをまともに教わる機会はなかったので、
何となくメディア、僕が当時見てたテレビドラマとか漫画とかアニメとかの影響ってことになれるのかな、総合で描かれるような男性像とか女性像とかそういうものをインプットとした結果、
強いオスとしては女性を行為を通じて喜ばせることができる。そこにあんまり不安を見せないとか、自信を持って堂々としてるとか、そういうことが良いと多分感じてたと思います、自分は今振り返ると。
それは今思うとすごく対話からほど遠い態度だと思いますし、何でそうなっちゃってたんだろうなって。今の自分からすると結構不思議な感じ。
それで妻と感想について話したときに、男女の異性愛者同士の性行為における裏表の関係で言うと、男性がそうであるっていうことが、男性像の規範みたいなのが女性側にも共有されていればいい。
女性側は女性側で、男性の自信に傷をつけないようにとか、顔を立てるという意味で行為が何であれ良かったという、演技、良かったということにするための演技をするインセンティブも生じちゃうわけじゃないですか。
男性がそういう態度でいる感じ、全然良くなかったとしても良かったよってことにするインセンティブが働いちゃいますよね、そこにね。
それって男性は男性で何も本当は全然分かってない自信もないのにどうだいいだろうみたいな感じでいて、女性は女性で良かったって言ってて、そこに発展的なプロセスがないっていうのはめちゃくちゃ空虚なことじゃないですか、コミュニケーションとしては。
性コミュニケーションの課題
今はね、僕もビジネスパーソンなのでビジネス例え多くなりがちですけど、例えばそれは新しく仕事の現場に来た人がいて、自分は能力があるっていうことを見せなきゃいけないって言って、分かんないことを分かんないと言えずに、
何か困っていることとか分かんないこととかありますかって職場の先輩みたいな人が聞いてくれたときに、いやもうバッチリ何にも大丈夫、自分でやれますって言って質問も相談もせずに仕事を進めて、その結果仕事の質が低かったとしてもバッチリだねって言われて、
研鑽の機会とかがないみたいな状態じゃないですか、職場的例えで言うとね、いやそれって本当にいい仕事とはほど遠いというか、分からないことは分からない、適切な助けを得るとか、
あるいは先輩後輩みたいな関係じゃなくて取引先との間で言えば、ここはもうちょっとこうできると嬉しいですっていうことをお互いに伝え合って、お互い思ってることをテーブルの上に乗せて、その上でじゃあベストは何でしょうねって探って、
A案、B案あるけどいろいろ話した結果、A案、B案のいいとこ取りのようなC案が見つかって、今回めっちゃいい仕事でしたねみたいな、そういうことを仕事の現場においては自分も志しているし、お仕事歴が浅い人に対してはいい仕事をするために分からないことがあったら分からないって言ってねとか、そういうことを言って働きかけたりそういう環境を作ったりもしてるわけですよね、僕はね。
にもかかわらず、それがこと性行為みたいな話になると、とってもそういう知見がお仕事、いい仕事ってのはこうだよねみたいな話に比べると全然シェアされてないし、話されていないし、そのことで空虚な状態に陥って、
それを改善する機会もなかなか得にくいっていうのは、すごい危ないことだなと思って、社会全体でセックスというものに関してより良いコミュニケーションになるチャンスがなかなかなくて、
その結果、あまりベストじゃない状態、ベストじゃない時間をベストじゃないとか、あるいはベターに向かっていかない時間を多くの人が過ごしちゃってるんだとしたら、それってめちゃくちゃ損失というか、社会にとって本当は楽しめたはずのコミュニケーションを楽しめないとか、何か無理してるとか、何か違うんだよなって違和感を持ってるとか、
そういう状態で過ごし続けるのって悲しいことだなと思いましてね。
なんで、まずは自分からこういう話をパブリックにしてみるっていうのは、何か良いのかなと、一歩踏み出すという意味では良いのかなと思って、幸い僕は比較的こういうのを今話しやすい立場だと思うんで、
今自分が20歳だとこれを話すのは難しいだろうなと思うので、20歳当時の自分はこういうのをオープンにできたとは思えないので、今の自分であれば別に配慮すべきところを配慮すればうまく切り出して話すこともできる立場にいるなと思ったので、試しに話してみたって感じですね。
なかなか仕事の話とか、特に僕が身を置いてる業界だと、情報はオープンにしてみんなでもっと良くなってこうよっていうオープンソースソフトウェア文化圏というかそういうところの近くで仕事してたりするんで、
相談はした方がいいよねみたいな、うんそうだよねっていう考えが広まりやすかったり、それでみんなのベターな明日に向かう足取りがちゃんと進んでいく感触があるんだけど、生の話って全然それに比べるとめちゃくちゃクローズドで改善のチャンスが少ないんじゃないかなとそんなふうに思えたので、
ちょっとそういう状況が前に進めばいいなと思います。
若い世代への重要なメッセージ
これ聞いてくれてる人はどうなんだろうな、同年代ぐらいの人が多い気がするんだけど、これは普段あんまり自分のポツケスでこういうこと思わないんだけど、
若い人にほど届いてほしいし、今の10代の人に対して性行為もコミュニケーションだよって歩み寄りとか、分かんないこと分かんないって言うとか、自信がなかった自信ないって言うとか、自分はこうでとかこういうのは嫌でとか、ちゃんとそういう話ができてたらいいなと思ってるんですよね、悲しいことにならないようにね。
なんで話してみました。
なんでどうでしょう。
人によってはこれを聞いてくれてる人のお子さんがちょうどそういう話をそろそろするかっていう年齢のお子さんとかいるんだれば是非こういう話、別に純朴生活聞かなくていいんだけど、こういう話を親からするとか、親からするのが難しければ別の大人からするとか何かそういう感じで、
とにかくね、ハッピーなコミュニケーションが増えたらいいなと思います。
強がりとか、見栄を張るとか、取り繕うとかそういうことが少しでもなくてね、体だけじゃなくて心もちゃんと裸に近づけて、リスペクトを持った人間同士のいいコミュニケーションが増えたらいいなと思います。
何かしらのきっかけになればいいなと思って、そういう話をしてみました。
2025年11月18日火曜日に喋ってみました。
またね、純朴生活結構大事にしてる場所なんで自分にとってね、またちょこちょこ更新していけたらいいなと思ってます。
それではまた次のエピソードでお会いしましょう。
See you next time.
Bye.
20:06

コメント

この話聞いて、自分があまり身に覚えがないの何だろうと考えていたら、きっと年上と付き合うことの方が多かったからだなーとか思ってました

コメントありがとうございます〜〜 聴いてくれた人が「身に覚えがある」となるのか「ない」となるのかもぜんぜんわからんので、ありがたい情報でした

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