道草Ep.2 毎日何をするかが問題
2026-09-20 16:42

道草Ep.2 毎日何をするかが問題

2回目ですけど相変わらずタイトル間違えて言ってますね。「時差ボケ座談会サイドノート」なんですが「座談会」が抜けとる。


・会社の50歳セミナーを受けて引退を真面目に考え始めた話

・フランス語を開始したきっかけ

・フランス語の先生の話

・体力低下を防ぐための駅前ジム

・ウクレレと歌もやろうかと


感想

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サマリー

50歳前後で定年退職を現実的に考え始めた話から、会社のセミナーをきっかけに退職後の時間の使い方を考えるようになった経緯を語る。育児と仕事を両立してきた経験や、中規模の職場で事情に応じた対応をしてもらえたことも振り返る。退職後の旅行を見据えてフランス語を始め、パリでの会話や先生との交流について話す。体力低下への備えとして女性専用ジムに通い、さらにウクレレと歌にも取り組みながら、友人に会う時間を含めたこれからの暮らしを思い描いている。

定年退職を考え始めた背景
はい、それでは、みちくさして迷子中〜時差ボケサイドノート〜についてです。
えっとあの、今回が2回目なんですけれども、退職、
定年退職を考え始めたっていうのは、だいたいそうですね、50歳になるかならないかぐらいの頃でした。
あの、私自身はこの間もお話ししたかもしれませんが、あの
雇用規解均等法の3年目ぐらいの世代なんですよね。
で、あの、そうなってくるとですね、当時まだ産休、育休、あの産休はありましたけど、ちゃんとした育児休業というものが設定されていない時代で、
はっきり言って、あの子供を産んだ後の女性社員というものに対して、どういうふうにその
仕事に戻って来させるかとか、そういうノウハウについては、ありとあらゆる企業が全く何のノーアイディアだったっていう、そういう時代です。
言ったら、そのどんなに今、女性社員への理解がある会社だとしても、当時はほとんどいなかったんですね。
特に私は放送局にいましたので、その、性社員の女性社員というのが、まあまあいない時代でした。
で、しかも子供を産んでなおそこにいる人というのは、何らかのその、こう、助けを家族から得られたか、あのものすごい体力のあった人。
それによって、こう、いろんな手を使いながら、まあいろんな人の手を足りながらですね、子供たちを育てながら会社にいることを選んだ人たちで、その中での生き延びたサバイバーみたいな人しか、会社には女性として残っていなかったっていう記憶があります。
だからこそ、あの、自分が定年退職ができるっていう考えが全然なかったんですよね。だから、できるとは思えない以上、あんまりその思い浮かべても仕方がなくて、だとすると、まあ、あんまり多くを考えずに、できるところまで走ろう。
大きな荷物を持っているときってあるじゃないですか、あの角まで行こう。あの角まで、あそこの車が見えてるあそこら辺まで行こうみたいな。で、あれを越えたら、今度は、じゃあ、今度はあの信号まで行こうみたいな。
その、そこまで行けたら次を考えよう。とりあえずそこまでだ、みたいな。それに近い状態で、あんまり先を考えてもしょうがないから、今目の前にあるタスクだけ何とかしよう。今目の前にいる子どもたちと、それから今目の前にある仕事を何とかしようみたいな感じで、ずっと続けてきたもんですから。
はっきり言って、自分が定年退職を迎える姿というのは、本当の本当の最後に至るまで、あんまりリアリティを持って考えることができなかったんですよね。
結果的には、何とか対価なく定年することができて、本当にありがたかったなと思います。
こういう状態になれたのは、もちろん会社が当時にしては、もう本当に破格に働く女の人たちに対して、理解があったかどうかは、そこまでは私がちょっと判断できるあれではないんですが、でも話せばわかってくれる人はそこにいたっていうイメージでしたね。
そこがありがたかったと思います。ある程度中規模以下の会社だったってことも良かったのかもしれません。これが何万人とかいうような社員を抱えていくような会社だったりする場合、私が何らかのことで困っていて、それを人事とか自分の上司とかに行った場合には、
その仕組みごと変えないと、私個人には当てはめようがないっていうことが起きると思うんです。ところが、まあまあ小さな職場の小さな会社でしたので、厳密に言うとここはこうなんだけど、これについては一応運用上こういうやり方で何とかしのごうと。
でその後、今度また問題が起きたらその時もう1回考え直そうじゃないかっていうことを会社と個人とで話し合いながら、その度その度に進めていくことができたっていうことにありがたさを感じています。
50歳セミナーと退職後の生活設計
でまぁ、自分が定年退職するかもしれないなっていうことをある程度考え始めたのはまさに50歳になる頃で、でその頃ですね、定年退職ということを受け止めきれずになんかジタバタしちゃうっていう社員たちもやっぱ多いんですよね。
それまで会社にずっと通い続けてた、それは男性も女性もそうですが、ずっと通い続けてた人がある日突然通わなくなるっていうのは、なかなか現実問題受け止めようがない。それはあのご自宅にいらっしゃってたの専業主婦の奥様方もそうだったようで、
今まで会社に行っていた人が急に行かなくなって家にずっといるっていう状態になるっていうことは、これが私も女ですが、女であっても男であってもみんなやっぱ恐ろしいことだなというふうに思います。
でその、それについて会社も問題を把握して当時の人事部、人事局、人事部が50歳前後の人間社員たちから定年後の生活指導セミナーとか財務関係、経済状況についてのセミナーみたいなものを開始してくれたんですね。
でその時にその1日のスケジュールをどうする気かとかね、あなたはどうやって生活する気かとか、どんなことをその時は考えるのかっていうことを割とリアルに考えさせてくれるセミナーを講師を招いてやってくれまして、それがなかなか私個人にとっては非常に良かったなと思いました。
フランス語を始めたきっかけ
でその時に思ったのは、自分は語学が好きだなということで、語学って要するに英語とか外国語ですよね。
であの自分は大学時代の第2外国語として学んだのがフランス語だったんです。フランス語ってでも当時も学校ですごく難しいなと思って、こんなこの難しい言語を習うことにした自分をちょっと呪ったりもするぐらい難しかった記憶があるんですが、
ちょうど2014年代後半ぐらいに1回だけパリに旅行に行ったんですね。でその時に、
ブルブル美術館の2階のあたりでジュースを売っていた黒人の女性たちがいてパーラを開いてて、でその時に今日は暑いなと思ってたら向こうも、
めっちゃ暑いって言ったんですよ。でその時って自分大学時代のフランス語なんてくるっぷっち覚えてないと思ってたんですが、
すごく暑いって言ってるっていうのがその時分かって、本当だよね暑いよねって返したんです。
そしたら僕もそうだよねってほとんど手に手を握りしめ合わんばかりに非常に人間と人間の楽しい会話になったっていう記憶があって、
せっかく行くんだったらここの言葉をもっとちゃんとやっておけばよかったなって本当に思ったんです。
引退した後にきっと旅行いっぱいしたいよなと思って、まず行きたいのはやっぱりフランス行きたいなその滞在の時に、
パリじゃなかなか厳しいって言うじゃないですか。ところが私は子供連れてたせいか非常に気が合うというかなんかいて楽しかったんですよねフランスが。
当時のですよ。今はどうか知らないですが、でも本当にそこがよかったので、
じゃあそこにやっぱりもう一回行きたいからフランス語を習おうかなというふうに思って、
フランス語をね月に2回だけもう本当にわずかですけどだらだらと始めました。
それは一種の逃避みたいな感じでした。
当時子供たちのお弁当を作って朝ごはんを作って、子供たちのお弁当を作って、夜ご飯もだいたい作っておいて、洗濯機回して干してそれで家を飛び出すっていう生活をしてたんですけど、
その中で月に2回だけ自分に自由な時間をやろうというふうに思って始めたのがフランス語。
当時の部下の人たちから何を考えてそんなんするんですかみたいなことは言われましたが、
自分も何を考えてやってるかって言ったらまあ将来旅行の時にね、ちょっと楽しく話ができたらそれだけでいいじゃないっていうふうに思いまして、
目標はあくまでも低く低く、サバって言えればいいかな、サバって元気とかね、こんにちはみたいなそんな感じなんですけど、
そういう言葉が言えてちょっと世間話ができて何か注文できたらもう言うことないじゃんというふうに思って、
フランス語の先生との交流
先生にもその通り伝えて目標は低いっていう話をしながら始めたっていうのが開始した記憶です。
当時初めて教わったフランス語の先生っていうのは20代前半の女性ですごく頭のいいボキャブラリーの豊富で、文化的な話でも政治的な話でも何でもできるっていう人でした。
日本にはどうして来たんですかって聞くとアニメがやっぱり好きだからって言うんですね。
フランスの人本当に日本のことが好きな人多いなというふうに思うんですが、
彼女とは今もつながっていまして、大変クレバーな人です。
うちの次女や長女とも、うちの夫とも一回会ったことがあります。
将来一緒にフランス旅一緒にしたいなぁとは思います。
彼女がこれだけ世代の違う私と一緒に行ってくれるかどうかは分かりませんが、
彼女にいろんなところを連れてってもらってみたいなお礼もしながら回るのはすごい楽しいだろうなぁと今は思っています。
体力維持のための女性専用ジム
会社でのセミナーの時に思ったのは、会社に毎日通ってるっていうことはそれだけのベース部分の体力があるっていう状態ですよね。
その定年した後に一番怖いなぁと思ったのは体力の低下だと思ったんです。
ということもあって、退職する数年前から、だから5年、4年、5年前くらいからですかね。
すぐ近くの女性専用ジムに通い始めました。
すんごい安いです。
同世代以上の女性しかほぼいないっていう感じで。
そのコミュニティの面白さにもなれました。
おばあちゃんの一人語りとかを聞きながら一生懸命サーキットトレーニングをするみたいな。
なかなかいいです。
男性がいないので、何の気も使わないでいい。
男性がいてだから気使ってるんかいって言われたら、そうなんですけど、やっぱりあんまりひどい姿は見せたくないじゃないですか。
そこにはやはり見栄もありますしね。
でも女性ばっかりっていうその気安さで、どんなに汗かいてても、ちゃんと後拭いてもちろんされますけど、
でも化粧がボロボロになってても、髪の毛がボロボロボサボサになってても、そんなに出るまでは別にいいかなみたいな、そういう感じがあります。
ウクレレと歌で音楽を続ける
あと時間の使い方として、自分大学の時音楽をやってたんですよね。
で、歌も歌っていましたし、それからピアノも弾きますということもあって、
音楽的なある程度の知識はあるので、ウクレレをね、やろうかなと思いまして。
大学の音楽サークルで出会ったのは、今のだから結婚した夫なんですが、夫はギター弾きなんですが、歌者は苦手だというのですね。
だからなかなか一緒に活動はしないですし、やはり最後はね、自分自身どうしたいかだなと思いましたので、
自分が音楽したければ、自分でピアノを弾いて伴奏するか、何か楽器を弾きながら歌うかが一番早いです。
とはいえ、ギターっていうのはなかなか、私すごく手が小さいんですよ。
ということもあって、ギターはちょっとハードル高いなということで、ウクレレを開始しました。
現在5、6曲ぐらいのレパートリーができつつあります。
歌も歌って、もうちょいレパートリーを増やして、もう少し上手くなりたいなと思うので、ウクレレ、うめだまで習いに行こうかなとかいうことを現在考えているところです。
退職後の時間と人とのつながり
50前後のセミナーをやった時に一番心配したことは、自分自身の時間をどういうふうに使えるのかっていうことだったんですが、現状としては、日本語教員の試験対策の勉強がありますが、そこで言語学の面白さみたいなものもちょっと知りましたし、
フランス語があって、歌があって、楽器があって、ジムがあって、あとは友達と時々会って、どっかでご飯でも食べてっていうことができたら、おんのじじゃない?
これでお金的にしんどいよねってことになってきたら、もちろんもう一回働き始めることもありだと思いますし、
本当の意味で年を取って動けなくなるまで、まだあと15年から20年あるんじゃないかなとは思うので、その中でどういうふうに自分の残された時間を楽しむかということをいっぱい考えたいなというふうに思います。
そして、やっぱりこれぐらいの年齢になってくると、いろんな不法も届くこともありまして、会いたい友達、会いたい先輩、会いたい人々にはさっさと会っておくべきだなっていうふうに思っています。
なので、飲み会を企画したり、どっかに会いに行ったり、みたいなことをちょこまかとやっていけたらなって思っているところです。
道草して迷子中、じさぼけ座談会サイドノート、今日はここまでです。ありがとうございました。
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