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おはようございます。心理学者のじんぺーです。 この番組では心理学の研究のお話とか、
研究生活のお話とかしています。 今日はちょっと論文というよりは、自分の
考えていることとか、研究の方向性みたいなところを話したいなと思っています。 ノートのマガジンの記事で日本的感性の心理学というのを書いています。
マガジンといっても、まだ2本しか上がっていなくて、これ3本目にしたいなと思っているんですけど、ちょっとここで
少し言葉で話しながら自分の考えをまとめつつ、 記事の時はもう少しだけ
構成を整えて出したいなと思っています。 今日のテーマは
日本的感性を数値化、言語化するという傲慢さというテーマで話したいなと思います。
いやいやね、傲慢さというと強い言葉なんですけど、誰かを批判しているというよりも、自分に対するこう、自分というか研究という営みに対して時々
時々思うことなんですよね。
もちろん別に日本的感性とか日本芸術とか文化だけじゃなくて、世の中の事象すべてにおいてそれをある程度単純化して形式化して要素を削って削ってやるのが研究、多くの研究かなと思います。
心理学は特にそうですね、実験室で実験をする。
例えば、美しい、絵画が美しいとか音楽が美しいとかいろいろあると思うんですけど、普段皆さんが聞いている音楽とか見ている絵とか写真とかそういったものを研究で扱うとすると、
そういった普段使っている音楽とか聞いている音楽とか見ている絵とか使うのはもちろんできるんですけど、それをすごく単純化して、
例えばサビだけ流すとかね、それでもまだ単純じゃないんですよね。
歌詞を省いて三つの和音だけにするとかね、二小節だけにするとかわからないですけど、そういったいろんな方法で単純化して、
それによってどこの要素が効いているかというのがわかるので、要素分解して美しさに効いていることを調べるということをやってきたわけです。
自分はそういう流れはもちろん大事です。
実は要素分解はすごく大事なんですけど、それだけじゃわからないこともあるかなと思って俳句を使ったりとか、
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いけばな。いけばなも視覚的な対象物ですけど、だから本来はそれを要素を削って丸とか視覚とかを見せるのはさすがに単純すぎるんですけど、
私の今のボスが作った単純図形のね、だけど美しさも感じるような単純図形の刺激セットみたいなのを使ったりするわけなんですけど、
それはもちろん大事ですよ。だけどいけばなでしか測れないものがあるんじゃないかなと思ってやっているわけです。
ただこれまでやってきた研究だと、例えば対象性を聞いたりとか、対象性が高いほど美しいとか、非対象なほど美しいとかそういうことを見るわけなんですけど、
だから簡単に言うと美しさっていうのがゴールになっていて、その入り口は対象性っていうすごく単純な関係性ですよね。
対象性の高い低いが美しさを高めるか低めるかっていう単純な図式ですよね。
これがやっぱり違和感がある。違和感があるが、これいうやり方が心理学の中では一般的だし、もちろんいろんな要素を入れるのはできるんだけども、
何しても限界があるよねっていうこととかが思っているところです。
例えば対象性だけじゃなくて色。色が何色あるかっていう要素をまた入れる。
だからその色の種類数と対象性の具合が美しさにどう効くかみたいな。だから要素が二つになったっていう。
この要素が二つで美しさ全てを説明できるか。多分できない。
今度は何にいたしましょうね。
鼻の種類とか、鼻の高さとか、器の器とかね、画像の複雑性とか、あとパーソナリティーも入れてもいいかも。
だからそういう風に要素をどんどん増やしていくことは確かにできるんだけども、これで日本的感性を紐解いていけているのかという。
これがすごく悩むところでもあるし、難しいなと感じるところでもあります。
それがどこにあるかというと、日本的感性だけじゃないですよ。
芸術一般がそうだし、芸術じゃなくても宗教とか儀式とかね、いろんなものがそうではあると思うんですが、
特に日本的な芸術とか難しいなと思うのは、暗黙地とか神体地みたいなものに強く依存しているなという風に感じるからです。
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マニュアルというか、しなん書とか手引きみたいなのはもちろんあると思います。
いけばなであれ、書道であれ、絵文童ね、山砂さんの衣であってね、着物とかでもあってももちろんあると思うんですけど、
でもやっていく中でしかわからないとか、10年続けるからこそわかることみたいな世界観があるわけです。
古代染色の修斗さんもそうですよね、AIでRGBの色の並びはできるんだが、
それだけじゃ極めにはいかないというか、極めていけない何かがあるというところに難しさを感じますね。
色でいうとRGBの数値だけで色を表現できると言われた方が研究の特化化量はありそうなんだけども、それだけじゃない。
修斗さんはよくモーザンカラーと言ってますね、色以上の何かというのがある。
古代染色はむしろそっちの方が多いんじゃないかと。
目に見える色の要素、目に見えるというのも人それぞれ違うというのも踏まえた上でですけど、
物理的な色という以上の何かということのために染色しているんだということをおっしゃっていて、
いやそんなこと言われたら結構難しいけどなと思いながら修斗も対談をしていましたが、
逆に言うとそっちのモーザンカラーのモアのところにある位置要素とかで、
例えば心理学でやるとするとコンテキスト、文脈がどういうふうにあるかとか、歴史がどうあるかとか、
誰が作っているかとかそういうのは操作できるので、
そのモアのところのいくつかの要素は確かに実験できるんだけども、
それで説明できることって本当にごく一部だなというのも感じるんですよね。
だから心理学で日本的感染を明らかにしていきますというふうに言ってはいるし、
私の研究プロジェクトとかの多くはそれに関連しているんですけど、
難しいなというふうに感じますね。
池原の岡本勇輝さんとイベントをしたときには対照性の話とかして、
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やっぱりツッコまれましたね。
なんて言われたかな、ちょっとメモをしていたんですけど、
それだけじゃないよなみたいな感じだったかな。
自分が対照性で美しさはどう変わるかということを研究の成果を発表したときに、
それだけじゃないんだよなというふうに思ったって率直に伝えてくださったりとかしたし、
理由派によっても違うということをおっしゃっていたし。
それぞれの美しさに何が効いているかという話したときに、
対照性という言葉は出ることが結構少ないですよね。
むしろ無心に近づいていくとか、
事故がなくなっていく、
死体と虐待が一体化していくとかね。
そんなこと、今の現代心理学ではできるはずがなく、
困難を抱えていますね。
脳を測ればね、ちょっとだけ無我とか、
無我ということはちょっと、それも傲慢だな、
ただ、マインドフルネス状態とか、
デフォルトモードネットワークという、
何もやっていないときに働く脳のネットワークがあったりして、
それは人の自己内生とか、想像性とかと関わっていると言われるんですけど、
そういうのでちょっとは分かる、無我とかの一部の要素を研究することはできるかな。
次は、俳句の話にも行きましょうか。
今、曖昧会議をこれまで4回やってきたんですけど、
その人たちとの話を思い出しながら喋っているんですけど、
前住まどかさん、俳人のことで言うと、
ブソンですね、ヤサブソンの俳句で、
春の海、ヒネモスのたり、のたりかなという、
すごくいい俳句があるんですけど、
そのとき一緒にいたのはけいこちゃんね。
田中けいこさん、世界トップオブトップの通訳者の方をもってしても、
翻訳のしようがないとは言っていなかったかな、
でも難しいということを言っていたりとかして、
この翻訳できなさというのがどこにあるのか。
これもある意味での、研究じゃないけど、ある意味での言語化の難しさみたいなところかなというのも思います。
意味的には翻訳できたとしても、
意味じゃない他の要素が捉えられないというところですね。
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それはさっきのモアさんからのモアと似てて、
文脈とか歴史とか、ここで言うと音の響きとか、
いろんな要素がそこにもあるんですけど、
やっぱり意味以外のプラスアルファというところの研究かなと。
そう考える誰か、なんかちょっとしゃべってて。
物理的な目に入ってくる視覚要素とか、
色で言うと色だし、色のRGBだし、
クォリアと言いますか、意識に昇ってくる色の視覚情報だし、
俳句で言うとヒネモスのたりのたりかなというね、
その聞こえてくる音とか、意味とかね。
意味というのは、これも意味という言葉で使うと難しいな。
ヒネモスとか春の海とか、それの本当の意味ですよ。
辞書的な意味と言ったらいいかな。
以上の何かというところで、
それもモアさんワーズなのか、モアさんミーニングなのかわからないんですけど、
そこが研究なのかなと。
思ってますね。
無我とかは難しいな。
だから、研究できるっていうことは避けたい。
研究できるっていうことは避けたいけど、
一つずつ何かを進めていくことはできるって感じかな。
日本的感性を言葉とか数値とかで表現できることは、
正直不可能だろうなと思っていますが、
意味を進めることはできるかなとも思いますね。
それをやっているのかなと。
ゴールにたどり着かなくてもいいですからね。
近づいていく過程が面白いっていう捉え直しがいいのかな。
こないだ東梁さんとも対談しましたけど、
東梁さんもお寺でいろんな体験をされている。
祝い守りっていうお守り作りもそうだし、
座禅体験とかサウンドメディテーションとか、
現代音の展示とかね、半化粧を見たりとか、
いろんなことをやられてるんですけど、
それもどれもがやはり言語化できるところと、
ちょっとそこには全く届かない良さとかね、
あるのかなと思うので、
これが何パーセントみたいな話を考えてみるのは、
試行実験的には結構面白い。
100パーセントが完全にその現象の良さとか体験のことを言語化できる、
わかるとすると、言語化でできることはせいぜいどうでしょうね。
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5パーセント。もっと少ない?
5パーセントくらいはいけてほしい?
だからね、一応統計とかだったら説明力みたいなのでね、
30パーぐらいとかは割と目指せたりするんですけど、
もっといけるのは、今それは全然あるけど、
モデルの組み方によってね。
でもそのモデルの組み方も結局そこで使われてる刺激とか、
あとは使ってる変数ですよね。
美しいって言葉を使って、
美しいって言葉が何点になるかっていうことを、
30パーセントくらいいろんな要因を入れると説明できることはあり得るんですけど、
その30パーセントって、美しいを1点から7点で言語化したときの話なんで、
私たちの体験って別に1点から7点の美しいって、
自分の意識の上に昇ってくる、認知してる点数だけじゃないので、
相当難しいなと思います。
いやー、マニアックな話しちゃったな。
今日は金曜日でダラダラと話させていただきましたけども、
ノートになってる時はもうちょっとだけ待ってると思うので、
また読んでいただけると嬉しいです。
えーっと、今日は金曜日ですが、
週末は、
あーちょっと今週末も厳しいな。
ケルに行きますね、またね。
はい、なので今週末もおそらく生配信はできないと思います。
もしかしたら移動中の電車とかはいいかもね。
あのちょっとゲリラ的になるかもしれないんですけど。
できそうだったらやります。
そうじゃなくても対談が月曜日になるからそれは言っておかないと。
双川先生と話します。
29日月曜日の夜の7時半からですね。
多分双川先生のチャンネルからスタートかなと思いますが、
ぜひ遊びに来てください。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。
今日もいい1日にしていきましょう。
ジンビアでした。心を込めて。