2023-10-31 11:59

レジュメについて話してみよう

ポッドキャストを収録する際のレジュメについて話しています。

 

#ポッドキャスト

#声日記

サマリー

今回のポッドキャストでは、ポッドキャストの台本の書き方について話しています。台本はレジュメと同じで、概要や構成を書き、本編ではアウトラインを書いて話していくことがポイントです。レジュメの書き方やポッドキャストの聞き方について話しています。

ポッドキャストの台本の書き方
今回のポッドキャストでは、ポッドキャストの台本の書き方について話をしていこうと思います。
これね、台本って皆さんどれだけ用意されてるんでしょうかね。
私の場合は台本っていうかレジュメっていう風に言うのが正しい代物をいつも書いてるんですけれども、
ちなみにこちらのポッドキャストの方はですね、本当に何にもなしでiPhoneのボイスメモだけを起動して喋っておりますので、
そういう風なものもなくノープランで始めておりますので、話があっちゃこっちゃいくことになりますけれども、
けれども、私は自分のポッドキャスト番組、Aノートサブカルにおいてはですね、
ほぼ毎回何かしらレジュメのようなものを作って、それを見ながらおしゃべりをしていることが多いです。
で、そのレジュメに何が書いているかというと、まずざっくりとした構成ですね。
私の番組、オープニングと本編とエンディングという構成をとっております。
で、オープニングの方ではその日何を喋るのかっていう風なのを1分程度でまとまるような内容っていう風なのを
箇条書きで書いておいて、それを読み上げますと。で、本編は本編なので、その時にやっている企画通りのことを喋っていきます。
で、エンディングの方は毎回読み上げる提携文という風なのがあるんですよね。
例えば、普段の回でしたらこの番組を長々と聞いて下さいましてありがとうございました。
当番組への感想コメントはみたいな感じで、どこに感想を書いたらいいのとかっていう風なのを提携文で用意しているので、
それについてね、いろいろと喋るという風なのをいつもやってたりしております。
で、その他、エンディングの方でね、お知らせ事とかそういう風なのがありましたら読み上げるという風なのがありますので、
そういう風なのを網羅的にアウトライン形式で書いていくという風なのをやってたりしておりますね。
で、本編の部分で何を書いているかというと、こっちの方もその日にすべきトークのアウトラインをひたすら書いていくという風なことをやっております。
私はレジュメって言ってるのは、過剰書きにして全部書いてたりするので、なるべく本文を読み上げるだけにならないようにしていくという風なことを気をつけてやってたりしております。
これ、ポッドキャストで、私は台本の書き方という風なので話をしちゃいましたけれども、台本を用意するという風なのはあんまり良くないなという風な感じがするんですね。
定型文を読み上げるところと普段の字のしゃべりの部分って、はっきりと読んでるなというのがわかるんですよ。
で、台本って思い始めて書き始めてしまうと、ひどい場合には台本を朗読しているだけという風な状況になるので、これは避けた方がいいなって、どのポッドキャストに対しても常に思っていることだったりしておりますね。
でね、前回の方ではですね、意外と台本読み上げた方がいいんじゃねえかみたいなことを言ってて、真逆じゃねえかという風な部分だったりするんですけどね、これがね、難しいところなんですよ。
なんかそれこそオーディブルみたいな感じで、ただ単々と情報を伝えたりお話を伝えたりするっていう風なことをやりたいんだったら台本の読み上げでもいいと思うんですけども、
それは果たしてポッドキャストかっていう風なのが、私の中ですごく根強く反感を覚える部分だったりするんですよね。
だから最低限そういう朗読のパートがあった後には、台本から外れて何かを喋るパートがあった方がいいなーって思うんですよね。
昨日と話してる内容違うじゃねえかという部分もあるんですけどね。まあそういう風なこともありますわ。台本なしで喋ってるんだから。
昨日その話した部分で、やっぱり台本を読み上げるような形っていうのが聞きやすいとは思うんですけども、そこから外れる瞬間っていう風なのが、
だいたいあると聞きやすいかなっていう風な気がするんですよ。実際昨日例に挙げた早水健郎さんのポッドキャストにしてもですね、
台本を読んでるんだなっていうパートと補足を入れる際に質に戻って喋っているなっていう風なパートが入ってたりするんですね。
これは意図的なものなんじゃないかなって私は思っております。そういう風にするのって、一人喋りってどうしてもトーンが一定になってしまうんですよね。
私はトーンが一定にならないようにですね、それこそ喋り方を変えるとか声のトーンを変えるとかっていう風なのを今現在は無意識にいろいろとやってたりしております。
だから楽しそうに話してる時とかはもう声を高くしたりするんですけども嫌なことを言う時はこういう低い声だね。
なんかそういう風なことを考えたりするのどうかと思いますねみたいな感じの言い回しとかをしたりするような感じで、
声のトーンを一定じゃなくすることでなるべく聞きやすさを担保したいなという風に思うんですけどね。
ちなみにこういう風なことを頑張ってやってても声のトーンが一定で聞き取りづらいですみたいなことを言われたりしておりますからね。
腹が立つなーっていう風なのをしょっちゅう思ってたりしてますけどね。
余談の話が逸れましたけれども、そんな感じで台本とおぼしき部分と、あとはそうじゃない部分っていう風なのが分かるようなのが繰り返し繰り返し入ることによって、
やっぱりあの注意を引くっていう風なことができるのかもなーっていうのはね、なんか思ってたりはするわけなので。
私はそういう風にただただ読み上げるよりはそういう風にした方がいいかなとは思っております。
で台本の話にも、台本というかレジュメの話に戻っていくんですけれども。
レジュメの構成と内容
レジュメの方では、えっとそうですね、これあのエッセイの書き方とほとんど一緒です。
ブログ書かれた方だったらだいたいの書き方とかわかると思うんですけれども、
あの英語作文においてのエッセイみたいな感じですね。
まず最初にこの話っていう風なのはどういう風な話なんですっていう風なのを短く書きます。
これがあの私の番組ではオープニングにあたります。
で、ボディっていうかその本編っていう風なのはエッセイのボディパーツにあたるところですね。
それをそうですね、なんか例えば5個ぐらいの項目に分けていきましょうか。
だいたいこんなような結論を持ってるんだけど、これを言う根拠はこういう風なものがあってっていう風な感じですね。
まあそれこそ小論文とかレポートとかを書くような感じの構成を作って、
それの穴埋めをするようなものっていう風なのをレジュメに書いていくようにしております。
で、特に私の番組ではですね、紹介をするとか、
あとはこれの元になっているのはこういう記事です、こういう論文ですっていう風なのを話すことが多いので、
例えば1900何十何年に公表されたどこどこの調査結果によればとかっていう風なのを必ずメモをするようにしております。
これね覚えていることっていうのが全然できないので、
そういう風なのを必要な情報だけを最低限にまとめた上でレジュメに書き込んで、
それで本編に始まったらそれを見つついろいろと喋っていくっていう風なことを普段からやっていったりしております。
レジュメの量とポッドキャストの魅力
で、レジュメの量なんですけれども、私は一人で1時間ぐらい喋る際にはですね、少なくとも4千字から5千字ぐらいは書いているかなと思います。
ひどい時になると1万字とか2万字とかになるんですけれども、そんだけ書けるんだったらもうブログとか書いた方が早くないってね、いつも思うんですけどね。
いつも思うんですけれども、けれども私はポッドキャストが好きなのでポッドキャストで頑張って収録したりしてたりするんですよね。
なんか最近あのいろいろと思ってですね、ポッドキャストの方をやめてブログとかそういう風なもので書いて、
で、あとはちゃんと書籍にしてですね、売ったりなんだりした方がお金にもなし、なんかにもなるなっていう風に思ったりはするんですよ。
思ったりはするんですけれども、やっぱり私が書いている文章ってあくまでレジュメ用の文章であって、これあの文章にすると全然うまくいかないんですよね。
なんでなのかな、なんかあのリッスンで喋ってるやつを書き起こしても、あの文章にしたら人の一冊やそれぐらいだったら軽々とできるんじゃねっていう風に思ってリッスンを始めて書き起こしとかっていうのもやってたりしてるんですけども、
読みづらいんですよね。だからあの話し言葉であのなんか話してる内容があっちゃこっちゃに行くから読みづらいっていう風なのもあると思うんですけども、
それを整理したとしてもなおやっぱり読みづらいんですよね。これはなんでなのかっていうのが全然わかんないんです。ただ、ポッドキャストとか音で聞く文にはこういうようにあっちゃこっちゃ転がるような話をしてたとしても聞けるっていう風なのが、文章と音の聞き取り方の違いでこんなに違うんだなっていう風なところがね、なんか不思議なところだなと思っております。
どっちかっていうと、あのポッドキャストで配信をする際にはですね、いかに脱線させるかっていう風なところが面白かったりするんですよね。これあれですよ、あの授業、学校の授業とかで思い出しててほしいんですけれども、あの授業の内容よりも先生が授業の途中に思いついていったふとした一言とかの方が覚えていることありませんかね。そんなような感じのことと思ってもらえるといいかなと思います。
で、私は意図してそういう風なのを盛り込んでいる場合が時々あります。ちなみにこちらのポッドキャストの方では全然なかったりするんですけれど。そういう風なのを盛り込んで、ちょっと覚えておいてもらいたいっていう風に思うような感じで喋るっていう風なことがあるんですけれども。でもそういうような形で、なんか違うような脱線が挟み込めるようになって、30分から40分間ぐらいの声を聞かすっていう風なことをやってたりするんですよね。
やっぱり技術的にも、ポッドキャストをやる際には台本よりはレジュメの形式の方がいいんじゃねえかなってやっぱり最終的には思いますね。けれども今現在流行っておりますのはオーリブルで聞いた方がいいんじゃねえですかっていう風な感じのロードコンテンツ系の一人喋りの方が受けがいいんだろうなーっていうのは思ってたりしておりますね。
あとなんだろうな、早水健郎さんは結局そんな感じだなーとは思っておりますけれども、なんかやっぱり人気が出ているような一人喋りのポッドキャスト番組、例えば話し方の話っていう、どっか話し方アドバイザーみたいな女性が喋ってるポッドキャスト番組ありましたけども、あれとかも多分台本が決まっていて、それで喋っているっていう風な番組だったりするのでね。
だからああいうような形式っていう風なのが実は広く聞かれやすいんだろうけれども、けれどもそれがポッドキャストとして面白いかっていう風に言われるとそうではねえんじゃねえのかっていう風なのがありますね。そもそもポッドキャストって何っていう風な部分がですね、多分人によって全然違いますから。
だから、他の人のポッドキャストの基準においてみれば、お前のポッドキャストこそ聞きづらいし、ポッドキャストじゃないんじゃないのっていう風に思われることもあるなーっていう風なのもね、思ったり思わなかったりしておりますね。
私はインターネットラジオから始まって、今現在のポッドキャストまでいろいろと柔らかくやっておりますね。40代にして若い老害をやっておりますから、まあそういう風なもんだと思って受け止めていただけるとありがたいです。
リスナーとの関わり方について
というわけで、今回はレジュメの話をすると言っててね。レジュメの話はしたんだかしてないんだかっていう風なお話となっております。でね、書き方についてはですね、結局のところ過剰書きでエッセイ形式になるような形のね、最低限のやつが全部埋まっていればレジュメとしては成立するよっていう風なのだけは覚えておいてもらえればいいんじゃねえかなーって思っております。
で、次は何を話しましょうかね。リスナーとの関わり方について考えてみようかなと思います。私はリスナーとの関わり方すごく下手です。なんで人の事例を紹介してですね、私はどうしてそういう風になれないのかなって話を次回できればなと思っておりますので、また明日もよかったらお付き合いください。
11:59

コメント

スクロール