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メタ音声配信ラジオ、おはようございます。いわみです。
これを収録しているのは、早朝というか、明け方なんですが、
なんか雨の音が聞こえて、まだ降ってるような感じですかね。
今日話してみたいことは、前回の続きみたいになるんですけど、
支配についてみたいな話の続きで、
ぼくが会社を辞められない理由という話をしてみたいと思います。
前回話したことは、あまりにも分かりにくい話だと自分で聞いてみて思ったので、
もう少し分かりやすい話にしてみようかなと思って。
支配という言葉がちょっと強いので、人によっては不快感を感じる人もいるんじゃないかなと思うけど、
でもこの言葉が一番しっくりくるというか、よくよく考えてみると、
これは支配以外の何者でもないよなって思うので、めげずにこの言葉を使っていきたいと思います。
会社を辞められない理由、そもそも会社を辞めたいのかという話ですけど、
事情さえ許されるならば、ぼくは会社を辞めたいというのがずっと思ってますね。
実際にそれに向けてちゃんと言語化しだしたのが3,4年前なので、
当初の予定ではもう少し早く辞めている予定だったんですけど、
2年ぐらいでいけるかなと思ったけど、かれこれ4年以上経っているということですね。
それは何でなんだろうと思うと、もちろん一つに経済的な理由というのがあります。
収入金がなくなってしまうから、家族を養っていけなくなる。
自分の生活費もまかなえなくなるという。
多少副業とかで稼げるようになりましたけど、すごく不安定だし、金額的にも足りないしということですね。
でもそれだけじゃないなと思ったんですよね。
経済的なものだけだったら、やりうねては何とでもなるというのは、
強がりじゃなくて、がんばれば稼げる方っていくらでもあるんですよね。
それはわかっているんだけど、がんばれないというところがあって、正直に言うと。
今やっている仕事が、別にそこまで苦痛なわけじゃないし、
それである程度の収入が得られているから、満足しているわけではないけど、
現状に甘んじているというところですね。
仲間をつくっているというか、
こういう状況に置かれている、チューブラリンな状況で悩んでいるというか、考えている人っていうのは、
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僕以外にも結構いるんじゃないかなと僕は想像するんですよね。
それでこれは自分の場合ということですけど、
それもある意味で、会社から支配されているということだなということですね。
会社からもらっているものが、組織からもらっているものが、
お金だけじゃなかったということですね。
毎月給料を支給されますけど、それも重要な会社に行く理由になっていますけど、
それ以外にですね、自分の中で意識していない、言語化できていないものがあったという、
それが何かというと、
自分の中で意識していない、言語化できていないものがあったということですね。
自分の中で意識していない、言語化できていないものがあったという、
それが何かというと、社会欲求的なものということですよね。
社会欲求というのは何かというと、社会とつながっている感覚、つながりたい欲求ということですけど、
それをもう一つ先に進めると、家族とかそれほど近くない人、
もしくは自分がほとんど知らない人から認められている、受け入れられている感覚、
仕事をしていると、何ていうか、ちょっとずつだけどそういうことってありますよね。
全く知らない人と仕事はしないかもしれないけど、する人もいますよね。
そういう人と仕事上とはいえ、仕事上だからこそというのか、
それなりに何ていうかやり取りをしたりとか、
無条件で受け入れられている部分って少なからずあるじゃないですか。
受け入れられているというのは人間として、存在としてみたいな、仕事だから普通に付き合いますよね。
仕事じゃなかったら別にしゃべることもないし、ここぐらいですけど、
そういう関係というか、そういうやり取りみたいなのが思いのほかですね、
人間というか生物というか、生きていくのに結構重要な栄養素というか、
要部になっていると思うんですよね。
だから本当に食欲とか睡眠欲とか精欲とかと一緒に社会欲求というふうに言ったのはですね、
すごく鋭い洞察だなって改めて思っちゃいましたけど、
よくよく自分でちゃんと考えたことがなくてそれを、
自分は会社にそういうのを代替してもらっている部分があるんだというところですね。
何となく無意識でそれがわかっているから、お金は何とかなるかもしれないけど、
会社を辞められないという状況がですね、今まで続いていたんじゃないかなって思いました。
社会欲求の器みたいなのが人によって違うと思うんですね。
どのぐらい満たされたいのかっていう。
強い人もいるし弱い人もいる。
僕は普通ぐらいじゃないかなと思いますけど、
むしろちょっと弱い方だと自分では思っていますけど、
今は妻と子供がいるので、それでほとんどの社会欲求というのは満たせているんですよね。
だからこそ、結婚した後で個人の働き方の趣向が強くなったという部分はあるかもしれないと思ったりとか、
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社会欲求がそこである程度満たせているから、仕事はそれほど社会欲求を必要としないみたいなところですね。
それもあるんですよね。
それでこの話も特にオチというか結論はないので、こんな感じで終わりにするんですけど、
今まで話したこととかこれから話していくことをなんとなくつなげて言語化すること、発信すること、
メタ認知すること、それが支配からの脱却みたいなことですね。
呪いを解くということも言えるかもしれませんけど、
強い言葉をあまり好きじゃない人もいるかもしれませんけど、僕はそういうふうに思ったということですね。
この話は興味深いのでまた話してみたいと思います。
あ、そうだ。ちょうど何日か前にそれに近いネットの記事を見つけたことがある。
毎日新聞だったかな。多分3,4年前の記事なんですけど、
この記事も合わせて読みたいみたいなところで出てきて、
アンテナを立てているとそういうのが目についたときに読めるようになるみたいなところがあって、
どういう記事かというと、メルカリとかフリマで物を売るのはお金のためだけじゃなくて、
証人欲求が満たせているという回答が結構あったというアンケート結果みたいなのが紹介されていたのがあってですね。
毎日新聞って無料だと途中までしか読めないので、最後までこれ読んでないんですけど、
タイトルだけ読めば十分かなと思って。
つまりそのフリマアプリでコマゴマとした物を売って、
これ送料とか出待ちとか考えたら全然儲かってないよなっていう、
メルカリとかでも僕見たりしますけど、
その人が何を持ってそれをやっているのかというと、
その社会欲求みたいな、その証人欲求的なものも含まれているっていうですね。
これアンケートで言われて、
はい、私はフリマアプリで証人欲求を満たしていますというのは、
結構客観視できている人だなと思っておりますけど、
他で社会と繋がっている感覚のない人が、
そういうコマゴマとした物をメルカリとかフリマアプリで売ったりやり取りをすることで、
社会と繋がっていたりとか自分が認められたりするのがあって、
だからそれほど儲からなくても続けているんだみたいな人が結構いるんだって思うと、
うん、なんていうか、
そういう人が結構いっぱいいるんですよね。
だからそれほど儲からなくても続けているんだみたいな人が結構いるんだって思うと、
納得感があるというか、理解はできますよね。
はい、そういう話でした。
雨が止むといいなと思いながら、
今日もこれから会社に行っていこうよと思います。
皆さんも良い一日を過ごしてください。
さよなら。