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メタ音声配信ラジオ、おはようございます。いわみです。
今日はですね、批判とか指摘に含まれる自己承認欲求の割合みたいなことについて考えたいと思います。
世の中を見回してみるとですね、いろんなところに批判とか指摘がですね、あるなぁと思うんですよね。
実際のリアルの世界で、仕事とか子育てをしていても思うし、ネットなんかですね、ツイッターとかなんか見てるとそういうのだらけに僕には思えるんですけど、
一見ですね、理論的なことというか、そうじゃなくてこうですよとか、それは間違ってますよっていうのを言っているように見えても、
そこにですね、承認欲求的なものはどのくらい含まれるんだろうなっていうのを僕は結構気になる立ちなんですよね。
俺のことを見てくれ、私を見てくれっていうのはですね、どのくらい中に含まれているんだろうっていうのはですね、
まずそもそもですね、そういう承認欲求的なものが全く含まれない批判とか指摘とかってあるのかなって思うんですよね。
アドバイスとか助言も僕は同じだと思っていて、基本的に求められていない助言とかアドバイスって批判なんですよね。
これどういうことかというと、そうじゃなくてこうだよって言ってるっていうのはですね、受け取られ方によってはあなたは間違ってるよって言ってるのと同じなことなので、
これ僕結構こされてするようになってですね、気づいたことがあるんですけど、全く気にしてない角度からですね、思わぬその批判とか助言が降ってきて、
ああそうだったのかって思うけど、後々よく考えてみると、いやそれどっちでも良くないかって思うとですね、
あの人は多分自分の意見を主張したかっただけなんだなっていう、思ったりすることがですね。
細かいことも含めれば本当にしょっちゅう起こりますね、こういうのは。皆さんはどう思っていますか。
この話と結びつけることができるなと思った話があって、パケット型とグルーミング型のコミュニケーションってですね、
この話僕何度か引用させてもらってるんですけど、音声配信でも何回か喋ってますが、
引用元というか原文はアカウントのケンスーさんっていうアカウントの方がいて、今漫画サービスとかやられてるのかな、あるとか、
あといろんなサービスもやってるネットの起業家の方ですよね。
対談のログミーっていうですね、サイトに書いてあったパケット型グルーミング型コミュニケーションですね。
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この記事自体はですね、別にコミュニケーションっていうよりもコミュニティを運営する方法みたいですね。
それについて対談なんですね。
パケット型っていうのは情報集約型って言われたりして、ヤフー知恵袋とか、質問をして答えが返ってくるっていう、
そこに全く指摘なことは含まれないっていうのがパケット型のコミュニティで、
グルーミング型っていうのは、これは毛づくろいっていう意味ですけど、
その承認行きを満たすためのSNSとかですね、そういうものが分けられるっていうことですね。
プラットフォームによって求められているものが違うから、
その運営者っていうのはそこをちゃんと見定めなければダメですみたいな、
そういう文脈の文章だったんですけど、その分け方が面白いなって思ったんですね。
パケット型とグルーミング型、情報を求められているのか、承認欲求、グルーミングを求められているのかっていう、
でもよく考えてみると、これはこんなに簡単に二分できるものじゃないよなって思ってきたんですね。
一見パケット型に見えても、根っこの方にはグルーミング型というか、承認欲求、
私を見て的なものが含まれるものってあるし、最初の方にも言ったように、
全く承認欲求を含まれない指摘とかアドバイスっていうのは、僕はあり得ないと思うんですよね。
本人にそのつもりがなくても、受け取り側はですね、どっちでもいいのに、
あの人は勝手にアドバイスをしてくるっていうのはですね、受けている本人からしたらですね、
完全に承認欲求を食らって消耗しているみたいなことになるわけですよね。
批判や指摘と承認欲求でいうと、パケット型っていうのは情報、批判や指摘っていうのも、
言っている方は情報として言っている、でもその実、中身は承認欲求を満たすための言動だったりとか、
つまりグルーミング型のコミュニケーションだったりですね。
もっと簡単に言うとこれはですね、フォーユーなのか、フォーミーなのかっていうですね。
まあこれは考えてみると、キリがないというか。
でも発信型と受け取り側でですね、全く違うものを感じていることっていうのはですね、
これはコミュニケーションがよくあって、厳密に言うと本当に一言一言ですね、いろいろ違うわけですよね、感じ方が。
今のコミュニティ全体のことが、プラットフォーム全体のことで言いましたけど、
人と人とのやりとりですね、一言ずつでそういう発信側と受け取り側の捉え方が変わってきてですね、
勘違いが起きてっていうことはですね、人と人とのもつり合いというか、
ぶつかり合いっていうのは全部こういうところが発端なのかなってですね、思ったりもしました。
はい、そういう話です。
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最後にコメント返しを一件させていただこうと思います。
前に話した言語化はですね、支配から脱出する武器になるみたいな話をしたんですが、
その代わりにですね、ラジオトークで日暮さんから差し入れとコメントをいただきました。
読み上げます。
いつも岩見さんがされる思考の言語化により、自分の中にある無意識の感覚に気づかされています。
私の仕事はいわゆるブルシッドジョブですが、それでも続けていられるのは、一応くだらないながらも社会の歯車の一つだから。
それに引き換え昔、自分が育休時代にストレスに感じていたのは、育児そのものより社会から取り残されたような孤独感でした。
どう考えてもクソジョブより子育ての方が母親にとっては重要な仕事なのに、単に他者からの認知がないというだけで、こうも人間って弱いのかなと。
ある程度社会が分かってきた今なら、もう少しまともな子育てができたかもと思うのですが、後の祭りですね、ということで。
ありがとうございます。
これは前々回の話にいただいたコメントなんですけど、ちょっと僕は不思議だなと思ったことがあって。
僕はその次の支配についての続きみたいな話をその時に撮って、収録した時は支配の脱却の武器になるという話をまだ配信する前に撮ったんですよね。
それでその配信した後で日暮さんコメントをくれたんで、その言いたいことがすごく伝わったなと思うのと、その続きで話したことと何となく同じことが伝わっているなと思ってですね、ちゃんと伝わったなと思ったということですね。
ありがとうございます。
はい、それでは今日はこれで終わりにしたいと思います。
お聞きいただいてありがとうございました。
良い一日をお過ごしください。さよなら。