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2025-06-01 23:16

#74 ちょうど良いがわかる大人になったゆえの贅沢な悩み

1 Mention

2025/6/1

ちょうど良いの幅はなぜこんなに狭いのか!という不満から、よくよく考えて自己肯定することにした話し。

それから後半には、かおりさんの声日記のアラビア語のアルファベットつながらない問題に共感した話しです。

#声日記 

 

 

 

 

サマリー

忙しさと暇さの狭い距離感を見つめ、心地よい状態を保つことが贅沢な悩みであると語っています。仕事の移動に伴う人手の多さと、その影響が自身の記憶に及ぶことを描きつつ、心の余裕やちょうど良さに気づく経験をシェアしています。このエピソードでは、ちょうど良い忙しさや心地よさについて考察されています。また、アラビア語の編集や使用時の困難についての具体的な事例が紹介され、リスナーとの交流も行われています。

公園日記の始まり
こんにちは、2025年6月1日日曜日午後5時20分です。
今日の公園日記です。
今日は久しぶりになりました。
公園日記ずっと撮ってなくて、ちょっと忙しかったので、
気持ちが忙しかったので、
5分10分の時間がなかったわけではないと思うんですけど、
気持ちがバタバタしていたので、公園日記が撮れなくなっていました。
そして今日はお昼ご飯も外に出てお昼を食べ、
仕事が終わってまた4時半ごろ職場を出て、
こうやってまた近所のモールのフードコートみたいなところでコーヒーを飲んでいる。
ということは、だいぶ心に余裕が出てきたということですね。
なので、公園日記を今日は撮ろう撮ろうと思って、
今日も昼ご飯もハンバーガー屋さんに行って、
ハンバーガーを食べながら公園日記を撮ろうかなと思ったら、
すぐ近くの席に14人連れぐらいの大人数のお客さんが来てしまったので、
ちょっと撮れず。
帰りに、みんな一応5時まで仕事なんですけど、
お昼ご飯を食べずに続けて働いた人は4時まででいいってことになっています。
それで私は今日はお昼ご飯を食べに昼休みを取ったので、
本当は5時まで働かなければならないところ。
4時20分ごろになったら他のスタッフもみんな帰ったので、
じゃあ私も帰ろうって言って4時半ごろ職場を出ました。
そして職場のすぐ隣のモールのフードコートでまずソフトクリームを買って食べ、
公園日記を撮ろうと思って、
ちょっとコーヒー屋さんみたいなところに来て、
この公園日記を撮っています。
仕事の忙しさ
先週は何が忙しかったって、
9人の人が移動していました。
移動していましたというのは、私の仕事がクロスボーダーのオフィスで空港に到着して、
ヨーロッパとか海外から来るお客さんがイルビルという隣の町の空港に到着して、
イルビルから2時間ぐらいかけて私のいる町のオフィス中継地点まで来て、
さらにそこから1時間ぐらいかけて国境に行ってシリア国内に入る。
逆のシリアの中のオフィスから3時間ぐらい陸路を移動して国境まで来て、
その国境を通過してまた私たちのオフィス、
イラクの方の私たちのオフィスでちょっと休憩して車を交換したりして、
人によってはそこで宿泊をして、
飛行機のスケジュールに合わせてイルビルに移動して、
イルビルから出国する休暇のためとか、もしくは本部からの出張の人とか、
その移動の人が、先週はなんと9人も移動してる人がいたんですよ。
9人移動するってことはイルビルからの、
イルビル空港に行くタクシーとか、
人によってはイルビルで宿泊が必要だったり、
それからイルビルとドホークの移動の手配とか、
ドホークでも泊まる場所が私たちのゲストハウスでは足りないからホテルを予約するとか、
人によっては滞在許可証が1年間のものが切れたのでそれを延長するとか、
私自身がすべてをやるわけではなくて、
ロジスティックオフィサーという人がそれを全部やらなきゃならないんですけど、
彼だけでも大変なので、少なくとも忘れないように、
明日は誰と誰が何時に移動だよねっていうのを確認するっていうぐらいのことが私の仕事で、
大したことやってないなと思うんですけど、
手配屋さんなので、旅行代理店なので、
人によってはまたそれがちょっと変更になるんだけど、
こういうふうにしていいかななんて相談を受けたり、
ということを9人分やるっていうのは、
1週間で9人分やるっていうのはなかなかないことで、
9人は大変です。
1週間あたり3人、4人ぐらいだったら全然余裕なんですけど、
9人移動するってなると大変です。
ちょっと皆さん分散してぜひ移動してほしいと思いますね。
ということで、それが何よりも脳のメモリーがいっぱいになってたんですね。
9人が移動することの、あっちに行ってこっちに行って、
あそこを予約して、あっちを予約してっていうので。
本当に私が忙しかったわけでは全然ないんですけど、
車を運転して送り迎えするわけでなし。
大したことは何もしてないんだけど、脳のメモリーが取られていました。
なので公園日記が取れなかった。
心地よいちょうどいい
今週はなんと1人しか移動する人がおらず、
なのでそれで脳のメモリーがだいぶ余裕があるっていうのがあるのかなと思うんですけど、
それだけではなく、
先月から、シリア国内の団体内の人事関係のお仕事にちょっと手を出し始めてたので、
それで結構忙しくなってたっていうのもあります。
で、まあまあまあそれは引き続き続くんですが、
今ちょっと落ち着いていて、そのことでも今あんまり動いていることがないっていうので、
あんまり今は忙しくないけど、6月10日、12日ぐらいになったらまた忙しくなると思われます。
そして私は思いましたが、なぜすごく忙しいっていうのとすごく暇っていうのの距離がこんなに狭いのでしょう。
なんかちょうどいいっていう時が少なくて、すごい忙しいかすごい暇か、
どっちかの時がすぐどっちかになっちゃう気がするんですよ。
そんなことありませんかっていうふうにここしばらく考えてたんですけど、
それって悪いことのように思ってたんですけど、
だんだん考えているうちに、
それというのは自分にとって心地よいちょうどいいっていうのがどこだっていうことを見つけたがゆえの悩み、
悩みというかちょっと贅沢な、自分のちょうどいいを知っている人ゆえの贅沢な悩みっていう気がしてきました。
つまりここがちょうどいいっていうことをだんだん見つけることができて、
そこにその感じを知っているんですよ。
なのでそこからずれた時にすぐ、忙しい側にずれたなっていうことに気づいてしまうし、
暇側にずれたなっていうことに気づいてしまうようになったんですね。
昔だったら多分常に忙しい側にぶれてて、それが当たり前っていうふうになっていたので、
ちょっと無理をしながらもこんなもんでしょうっていうふうに無理して1日12時間とか働いてた頃に比べると、
そうではなくて体も楽で気持ちも楽で、でも充実していてちょうどいいっていう、
これぐらいがちょうどいいっていうことがわかったがゆえに、
そこからちょっとでも忙しい側にずれると、すごい忙しいなって思うようになり、
そこからまたちょっとでも暇な方にずれると、暇だな退屈だなって思うようになったような気がします。
つまり本当に心地よいちょうどいいっていうところでバランスがすごい取れているとき以外は、
忙しいなとかもしくは暇だなって結構常にどっちかだっていうふうに感じてるんですけど、
それはある意味ちょっといいこと、賢くなったっていうことなのかなっていうふうに考えました。
それって他の例で言うとお風呂ですね。
人間のお風呂の温度の敏感さってすごいって私思ってるんです。
お風呂って38度とかだったら多分だいぶぬるいなって思うと思うんですよ。
それが今度は43度ぐらいだったら暑くて入れないって思うと思うんですよ。
すると多分39度でもぬるいかもしれない。
多分お風呂が本当にちょうどいい温かいな、ちょうどいいなって思う温度って、
多分3度ぐらいの隙間?3度ぐらいの間しかちょうどいいお風呂ってないんじゃないですかね。
このように温度というものがマイナス何十度から、
じゃあ凍らないとして0度から100度までお湯の温度がある中で、
その幅の中の3度ぐらいでしかお風呂が気持ちよくないっていうのは結構センシティブだというか敏感だなというふうに思うんですよね。
それから気温もそう言ってみれば、例えば何か火星には人は住めないみたいな、
そういう話の中で思うのは宇宙の中で地球みたいに本当にちょうどよく人間が住める、
寒くもなく暑くもなく生きていける人間だけじゃなくて生き物が生きていける温度っていうのは、
ある意味その温度幅を考えるとマイナス何千度からプラスも何千度、太陽のすぐ近くの何千度っていうのがある宇宙の中で、
もう奇跡のように本当にちょうどいい、ちょうどいいというか本当にちょうどいいから生物や人間が地球に発生して住んでるんだと思うんですけど、
地球ぐらいしか今のところ見つかってないっていうことじゃないですか、人類や生物が住めるのが。
っていうことは本当に奇跡のように狭い、細い幅の間で私たちは奇跡のように暮らしてると。
これがまたちょっとでも温暖化で暑くなっていくと、ずっと暮らせなくなる危機が高まるわけじゃないですか。
もしくは氷河期とかで来て恐竜竜が絶滅したみたいなことも起こったこともあるわけなので、
ちょうどいいっていうのは本当に幅が狭いっていうことは割とそういうもんなんだなっていう気がしてきました。
ちょうどいいの幅が狭い、本当にちょうどいいっていう時っていうのがごくごく限られたことしかなくて、
そうじゃない時は多すぎる、少なすぎる、暑すぎる、寒すぎるってなる。
そうなったってことがわかるっていうことは、生き物としてバランスが取れているのかなっていうふうに思えてきました。
何を言っているか、ちょっと恋日記が久しぶりなので、どういうふうに話したらいいかわからなくなっているっていうのがあります。
でもそれに共感いただけるでしょうか。
ちょうどいい時はごくごく少ない、しかしちょうどいい時がごくごく少ないっていうことがわかるっていうことは結構、
生き物として調整能力というか認知能力がレベルが高いということで、ちょっと自己認識を、効力感を上げているといったところです。
ご飯の量とかもそうだよね。少ないとお腹が空いてるし、多いと食べすぎて気持ち悪くなるし、その腹八分目みたいな、今がちょうどお腹もいっぱいだし、いっぱいすぎずに満足したし、
でも少なすぎないっていう時ってピタっていうところがあるじゃないですか。
ちょうど良い忙しさの理解
それをちゃんとわかった方がいいわけじゃないですか。多すぎたり少なすぎにならず。
なのでちょうどいいっていうのが針の先ほどしかないし、それがちゃんとわかるっていう能力は生き物として重要なような気がしています。
なので仕事が忙しすぎたり暇すぎたりすることも文句を言わずに、私は今忙しすぎると思っているな、よしよし、忙しすぎることがわかるようになったな。
もしくは暇すぎてつまらないと思ってるな、よしよし、ちゃんと自分の心地よい忙しさっていうのがわかるようになったなというふうにこれからは思うと思いました。
はい、もう一個別のトピックです。
ガオリさんのほどほどの毎日、いつも楽しみに聞かせていただいております。
今日のトピックで、アラビア語のPDFを編集して、
イブラワーハイトさんの何か広報の資料か何かでアラビア語のところを編集したら、アラビア語の文字がつながらなくなってっていう話、私すごいわかります。
マニアックな話をしているなと思ってこれは、でも私はすごいわかるよ、私がコメントせず指導すると思いましたのでコメントしました。
アラビア語の、私は最近似たようなことがありまして、アラビア語と英語の二言語でなっている契約書をちょっと編集というか更新するネタがあって、
ほとんど日付だけを更新すればよかったので、アラビア語の方にも、その契約書にはアラビア語ってアラビア語の数字で日付を書いたりすることもできるんですけど、
アラビア数字っていう意味じゃなくて、これ話混乱するんですけど、普通に私たちが書く1,2,3,4っていうのをアラビア数字って呼ぶときがありますよね、何でだかわからないけど、そうではなくて本当にアラビア語の1,2,3っていうアラビア語でしか使わない1,2,3っていう書き方もあるんですよ。
私の言いたいことは、少なくとも私の今回編集した契約書については日付は英語とか日本語が使うのと一緒の数字で日付が書いてあったから、それの編集ができたんですけど、
まず難しいのはワードなんですけどね、アラビア語で書いたもので右から左に書くじゃないですか、そうするとカーソルが、それを私のパソコンみたいないつも英語とか日本語左から右に書いてある、いつもそっち向きに使っているワードとかで編集すると、
ある一部はカーソルが右から左に動くんだけど、そのある部分だけ左から右に動くみたいなバックスペースを押したときにどちら側が消えるかっていうのがすごいアトランダムになってしまうんですよ、両方のパソコンで編集しているうちに。
まずちょっとした日付を変えるとか数字、金額の数字をちょっと編集するっていうときにカーソルが左に行ったり右に行ったりするので、ちょっと消して数字を入れるみたいなことでもちょっと苦労したっていう話があります。
それはカオリさんのネタと完全に一緒の話ではないんだけど、右から左に書く文章を普段左から右で書くワードで開けたりすると、両方で編集したりするとそういうイレギュラーな動きをするようになってしまいますね。
さらに偶然というか、ある人の名前なんですけど、ちょっと間違ってたと。
こちらの現地のスタッフの人に確認してもらって、日付を変えてこれでOKだと思うんだけど、これで大丈夫かなって見てもらったら、これ名前の綴りが間違ってるよってなって。
じゃあその名前の綴りを直しましょうってなったときに、私の今のPCはアラビア語のタイピングはできるようになってないんですよ。
ただ私は普段どうやってるかっていうと、一応そのアラビア語のアルファベットがどれがどれであるかの認識までできるので、
同じアルファベットをどっかから見つけてきてコピーペーストをするというやり方で、ちょっとしたアラビア語の部分の編集も普段はやっています。
ところがそのYっていう字をDっていう字の後ろに持ってくるか前に持ってくるかぐらいのちょっとした違いだったんですけど、
それをコピーペーストで移動したらつながらなくなっちゃったんですよ、アラビア語が。
本当はつながらなきゃならないところが単独のアルファベットになってしまったんです。
これ何言ってるかわかんないと思いますけど、かおりさんにはわかると思います。
いろいろルールがあって、この字がこの字の後につったときはそこはつながないと。
ただこの字の後にこの字が来たときはつなげるとか、なんかそういうルールがあるんですね。
そのルールに沿わない形で単独のアルファベットが出てきてしまってつながらなかったので、
なんでだろうって普段は結構うまくいくんですけど今回はそれうまくいかなかったんで、
結局私は他の人にそれを送って編集をしてもらって送り返してもらうという対応をしました。
なのでかおりさんが言っていたPDFで、設定でどういう風にするとアラビア語がつながるようになるのかっていう話も、
もしかしたら私のケースも似たような、ワードでしたけど似たようなことが起こってたのかもしれないし、
今度アドビのPDFの話でしたっけかおりさんのは、またそういうアルファベットがつながらない問題が起こったときには、
教えていただいた設定を試したいと思いますので、永久保存版でどこかにかおりさんのティップスを保存しておきたいと思います。
どうもありがとうございます。
そんなところですかね、今日は。もう21分も話してしまいました。
そうですね、声日記は本当に毎日撮りたい。できれば多分これができるぐらいのちょうどいい忙しさ。
忙しすぎず、気持ちの忙しさというような意味で脳のメモリーというような意味では、
声日記を撮れるぐらいの心の余裕を常に保っておきたいですね。
もしくは逆に声日記を撮るということで、心の余裕が生まれるのかもしれないと思っているので、
瞑想の習慣とかそういうのみたいに、声日記を習慣にすることでむしろ心に落ち着きと余裕が生まれるのかもしれない。
なので、うまいペースを探っていきたいと思います。
じゃあ、今日の声日記は以上です。
聞いていただいてどうもありがとうございました。ではまた今度。できればまた明日。
23:16

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