サマリー
このエピソードでは、仕事でのミスによって生じる困難な状況とその反応について説明されており、特にCEOからの注意やその後のコミュニケーションの方法が取り上げられています。また、侍マインドセットを通じて責任を取ることの美学についても考察されています。エピソードでは、心理的安全性や仕事のミスに対する恐れについても触れられています。特に、異なる文化背景を持つ同僚との経験を通じて、個人が間違いを認識し改善することの重要性が語られています。
仕事でのミスとその影響
こんばんは、8月26日19時40分、今日の小江日記です。
今日も職場の帰りに、暗くなって涼しいので歩いて帰っています。
今日も職場に19時ぐらいまでいて、今日はちょっとやることがあったので、
それを終わらせて歩いて帰りながら、お腹が空いたのでどこかで何か食べよう、
どこに入ろうかなと思って歩いています。
もしかしたら昨日と同じカフェOutroladoに行って、
ちょっとしたクロワッサンとかペストリーみたいなものがあったので、
そんなものを食べるかもしれないし、もうちょっとがっつりちゃんと晩御飯を食べるかもしれないし、
今どうしようかなと思いながら歩いています。
今日はちょっと面白いというか興味深いことがあって、
でも一言で言うと、ポカをやらかして怒られたんです。
しかもヨーロッパのヘッドに、CEOに注意される件が一件ありまして、
でもすごくわかりやすい、詳細は話せませんが、
結構本当にわかりやすいシンプルに、それは私の確認不足でした。
そして確認不足のままに他の人に連絡をしてしまったので、誤解したままで連絡をしてしまって、
他の人も誤解させてしまったということがあった。
ただ、あんまりそんなに落ち込んでいないんですけど、
なんでかなと思ったときに、多分すごくわかりやすいミスで、
明らかに私が、それはしまった確認不足だったよねって思っているので、
そういう意味でもう本当にわかりやすく、
すみません、間違えましたって思っている部分が結構あるということと、
その結果として生じたことが、すごく他の人に迷惑をかけるとかではない状況なので、
もちろんリスクはあるという感じで怒られているんですけど、
でも今すぐ誰かに大きな迷惑とか痛みを生じさせているわけではないという点で、
なんとか解決というか、修正をする方法もあるなという感じでいうこと柄なのです。
コミュニケーションと責任
昨日の夜の時点でそれを発覚して、しかもCEOから直々にメッセージとかも来て、
直接のやり取りもして、メールも結構遅い時間に来て、
メールは今朝職場に行ってから返事をして、
基本的にはすみません、私がちょっと確認不足でした、大変申し訳ないという返事をしたんですね。
それで、多分そこに書いてある、これは他の人が悪いのではなくて、
他でもなく私のミスです、みたいな感じのことを、もしかしたらちょっと必要以上に書きすぎたからか、
他のCCに入っている方から、なんかちょっとすごい心配をしてみたいで、
そんなに罪の意識を感じないで、みたいな。
これは確認不足は確かにあったけど、あなただけが悪いんじゃなくて、
みんなちょっと誤解してしまったのよ、とかいうフォローの連絡をいただきました。
それに対して、私が返事した返事がちょっと楽しかったということなんですけど、
いやいや、明らかに私がミスがあったので、すみませんって書くのと同時に、
私の世代の日本人は、侍マインドセットで教育を受けているので、
何かミスをした時に、自分でミスを引き受ける方が、
他の人のせいにするよりずっといいというふうに教育を受けているので、
すごく私が悪いんですって書いてはいますけれども、
必ずしもそれですごく落ち込んだり、本当に罪の意識を深く感じているかというと、
必ずしもそうではないかもしれませんよって半分冗談混じりで書いたら、
その彼女はそうなんだ安心したっていうふうに言っていました。
ちょっと生徒としては、だから私がそのメールに若干オーバーなほどに、
これは全て私が悪いので、他の人が悪いのではありませんみたいなことを書きすぎたので、
よっぽど私が何かその罪の意識を感じて落ち込んでいるんじゃないかと思って心配してくれて、
連絡をしてくれたんだと思います。
半分冗談で書いたその侍マインドセットとは何ぞやっていうことを自分でも後で考えているんですけど、
今の若い人よりはずっとそういう教育の下で育ってきたんですみたいなことを書いた。
で、一個は侍腹斬りみたいなことかなって一瞬最初思ったんですけど、
自分がその罪を全部引き受けて自分の犠牲になるみたいな意味ではないんですよね。
そういう意味に聞こえたとしたらそれは誤解で、
これは多分美学のことを言っているんです。
そこまでは通じなかったかもしれないから、どこかで補足できる機会があったらしたいな。
なんか結局何でも武士道みたいな話なんですけど、
道だと思っていてその仕事のコミュニケーションとかを、
自分として美しい美学に沿ったやり方で物事を進めたいと。
その美学に沿ったときにミスがあって、
少なくとも私の側に明確な非があったときに、
言い訳とかをするのは美しくないというふうに思っているんですよね。
でも、もしかしたら他の人が悪いということもあったかもしれないけど、
それを私が言う必要がない。
とにかく自分に非がある、これは修正できると思ったときは、
すみませんでした、ここの点を間違えました、次からこれは気をつけます。
というふうにクリアーに謝るし、反省するのが、
美学とコミュニケーションの進め方
ある意味美しい、そのやり方が好きだと思っているわけです。
それに沿って行動しているんですよ。
どこか心の中に何かもなかったのは、
これを言うとすごい嫌な人みたいになるから、
言わないほうがいいかなと思いつつ、言いかけたから言っちゃうんですけど、
周りの人が結構言い訳をすぐする。
何かあったときにはこれは誰のせいだとか、
他人のせいにしなかったとしても環境のせいにしたり、
これは正直言って現地の人だけではなくて、
ヨーロッパの同僚も含めてなんですけど、
言い訳をすぐするなというのが正直あまり美しくないと思っているわけですね。
それでヨーロッパの同僚はもういいんですけど、
ほっといて大人だし、本部の人なので、
私がトレーニングする立場じゃない、
文化だということで自由にしていただいていいと思うんですけど、
少なくともローカルスタッフ、私がいつも周りで日々働いている人たちには、
物資道的なやり方の方を影響を受けてほしい、影響を与えたいと思っているんです。
つい最近も全く別の件ですけど、間違いを指摘されたときに、
すごくこれはこうだからみたいな、反省してはい直しますって言えばいいくらいの
ちょっとした間違いなのに、これはこうだからこうしたんです、みたいな
ぐたぐたと言い訳をしているやりとりがあったので、
そこは明らかに、いやすいません、そうですね、
今度からこう直しますって言った方が印象もいいし、直すのも簡単だし、
その言っている言い訳もあまりにもぐたぐたしていてわけがわからないので、
この言い訳を言うことで何一つ、あなたにいいことがないなっていうふうに思った件とかがあったり、
まあそれだけじゃなくて、そういうヘッドオブオフィスっていうポジションなので、
とにかく隠し事をするっていうのは一番良くないよと、
トランスパレンシーに勝ることはありません。間違いをするのは全く問題がないというか、
間違いはあります、誰でも。でもそれを隠そうとするっていうことが良くないよなんてことを、
よく皆さんに伝えているので、そういう意味で何かちょっと必要以上に、
ここで私がどのように謝るのかを見せようって思ったという気持ちが、
ないと言えば嘘になるぐらいちょっと意識はしましたね。
ただちょっと若干それでやりすぎたかもしれないっていう、
そのヨーロッパのあるマネージャーに心配されるぐらい、
そんなに罪を感じなくてもいいのよって優しく心配してくれるぐらい、
ちょっともしかしたら謝りすぎました。
はい、ちょっと一時停止して、結局昨日のオートロラドに来ました。
そして何か、ペストリー、ハムのペストリーみたいのを、
ターキーですけどね、ハムといっても、ターキーというのは七面鳥ですけど、
七面鳥ハムのロールっていうのを注文してみました。
あとアイス抹茶ラテ、抹茶流行ってるんですよ、結構。
はい、で、えっと、そうそう、だからね、
真摯に入ってる人に見せようなんて思いながら謝ってるっていうのは、
あんまりどうなんだろう、ずる賢いというか、ちょっと小賢しすぎるというか、
事実上あんまり反省してないっていうことで、あんまりそういう意味では、
種明かしをするのもどうかと思いつつ、
まあ仕方ないですよね、戦略家なんですよね、もともとが。
もうストレングスファインダーとか、戦略性とかっていうのが一番に出てきちゃうぐらい、
なんかそういういろいろなことを、ちょっと勝手に想像して妄想して考えて行動してしまうので、
もう仕方ない、それは強みでもあるし、もしかしたら弱みでも、
心理的安全性と反省
やりすぎると嫌な感じなので、弱みでもあるかもしれないけど、
まあ気をつけながらやりましょうということと、
だからその謝られた本人のCEOですよね、
まあもしかして私がそうやって計算して謝ったって思ったら、
嫌な気持ちになるかなって思うと、
それはそれでまたすいませんという気持ちになりますけど、
私が悪いと思って行動を改めようと思ったのは本当に事実。
なのでそれを全面に出した方がいいと思ったので、
そうした他の人ももっとあの時会わしてくれればって、
他の人に関しても思うところがないわけではないですけど、
でも別にそれは私が言わなくてもいいからね、という感じ。
ご注文が来たので、ちょっと一旦中断してまた再開します。
なんだっけ、戦略家だなっていう話ですよね。
でも戦略家だけど反省をしたっていうことに関しては、
本当に反省をしたんだよっていうことと、
たぶん本当に仕事道として、
ここであの時誰がこうしなかったの悪いとかっていろいろ思うより、
私がこうしちゃったのが良くなかったな、
しまったしまった、次は直そうって思った方がよっぽど気持ちもいいですね、
という意味で、そういう行動基準で行動できてるんだなと思いました。
それが今さっき言った、それができない人なんですけど、
間違いを隠してしまうとか、謝れない、
間違いを指摘された時につまらない言い訳をしてしまう、
という人たちは結局安心してないからなんですね、普段から。
まさに心理的安全性とかっていう話だと思うんですけど、
まず契約とかもローカルスタッフの人の方が私より仕事を失う、
実際仕事を失うリスクが私より高いわけでは全然ないんだけど、
仕事を失ったらどうしようって思っているリスクを感じている度合いが断然高い。
私は外国人として働いているエキスパッドという立場の人たちって
2年ぐらいで契約して他の団体に転職するのが割と普通なので、
そんなにこの団体にしがみつくみたいな意識はないんですけど、
ローカルの人たちにとっては何年でもできるだけ長く働きたい、
他に仕事もないし、できるだけ長く働きたいって思っている人たちにとっては、
何か間違いをしたら仕事を失うことにつながるんじゃないかってすごく恐れている。
イタリア人の同僚はまた違うモチベーションだと思いますけどね、
誤りを認められないのはなぜか、きっともうちょっとカルチャーみたいなことなんだとは思いますけど、
少なくとも地元のイラクのシリアの同僚たちはやっぱり
サダム政権とかアサド政権とかそういう中でずっと育ってきているから、
それから社会主義的な体制というか、公務員的というかできるだけミスさえしなければ
最低限のことをしていて細々と仕事を続けた方がいいみたいな人が周りにたくさんいるので、
生活主義みたいなものが全くないから、ミスをできるだけしないように、
見せないようにしようというふうに、何となくずっとそういうものが周りにいっぱいあって、
その中で育ってきている人たちはどうしてもそれがすごく習慣として身についてしまっている。
それはある意味、技能独空なことですよね。育ってきた環境によってそうなってしまって、
今でも心理的な安全性を感じられないでいる。間違いをしたと思ったら隠さなきゃ、
隠さなきゃってすぐそういう発想になってしまうというのは決して自分にとっても幸せなことじゃないと思うので、
いかにむしろ間違いを見つけちゃった方がずっと楽だし、別にそんなに大して間違いを認めたからといって、
そんなにすぐやめさせられたりもしないよ、実はということを経験を通して
知ってほしいという気持ちもあります。だからCCに入っている人も意識したというのは、
ちょっと戦略家っぽすぎて嫌だなという話だけではなくて、
私にとって美しいと思うやり方を自分がやるだけではなくて、
他の人にも見えるように示したいという意識があるということですかね。
って言ったらすごいやけにかっこいいじゃないですか。
また自分がぽかをした話なのにかっこいいなと思って、
ちょっといい気分になっているということも、結局反省していないんじゃないっていう感じでもありますけど、
文化的背景から学ぶ
反省はしました。ちゃんとわかってますよ。
つまり落ち込むような形で反省したことがいい類のこと、他の人を傷つけてしまったとか、
そういう時は落ち込む仕方の反省をした方がいいと思うんですけど、
今回の話については、そういう誰かがとても悲しくなったみたいなことではないので、
正直全然あんまり落ち込んでないです。反省はしてますけど、それで許してください。
そういうことも含めて年の子というか、大人になって余裕が出たんだなという感じはしています。
私も若い時はもうちょっと自分の間違いを認められない言い訳の方が、
私は正しい、私は正しいっていう主張の方が全面に出てくるようなタイプだったとは思います。
それの反省もあって、反動もあって、今は本当にできるだけそういうふうにしないようにしています。
はい、じゃあ今日の公演日記は以上で、今からこのターキッシュハムロールと抹茶ラテの晩御飯を食べながらちょっとした作業をして、
でもあんまり遅くならないうちに家に帰りたいと思います。
はい、ではどうもありがとうございました。また今度。
20:39
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