2024年9月26日。週末がやってきた!仕事の帰りに、最近できたチャイニーズなティーショップで珍しい飲み物を飲みました。
こちらのポッドキャストのプロデューサーをしております!
サマリー
ポッドキャストのエピソードで、中国風のカフェで楽しむチーズフルーツティーについて語られています。収録の合間にボランティア活動や新しいポッドキャストの企画についても触れられ、音声日記の重要性が再確認されています。
チーズフルーツティーの楽しみ
2024年9月26日、木曜日、19時40分、今日の小江日記です。
今日は、新しくできたカフェ、気になっていたカフェに入って、
チーズフルーツティーという不思議な飲み物を飲みながら、これを録音しています。
美味しいです。写真をアップします。
これは、こんな飲み物を飲んだことがないんですが、どうやら中国人が通営している、オープンしたカフェみたいで、
カフェというか、茶姫茶みたいな感じでもお店の名前が書いてあって、
お茶、フルーツティーのカフェみたいな感じです。
ちょっと太いストローで、フルーツがゴロゴロ入って、スムージーみたいな、少し凍った部分もあって、
一番上にクリームチーズのクリームみたいなのが乗っている飲み物。
これ、7センデナールなので700円ですけど、それぐらい出してもいいんじゃないっていうぐらい珍しいし美味しい飲み物ですね。
それを飲みながら収録しています。
美味しいです。
恋日記久しぶりになってしまいましたが、久しぶりになると本当に少しまた腰を上げるのが重いみたいになった時に、
めげずに再開するっていう、これが重要なポイントですね。
今ちょっと音楽が少しうるさくなったので、よく聞こえるかな。
でもいい感じのBGMとも言えるかもしれません。
本週は日本からお客さんが来ていたりして、
それは私が仕事以外にボランティアで関わっている日本のNGOの活動のボランティアさんとして来ていて、
そちらの様子も実は私じゃないけど、そっちの団体のポッドキャストで、
昨日収録したものを先ほど編集をしまして、
仕事が終わってからそのポッドキャストの編集を1時間半くらいオフィスに残ってやってきたところです。
それをアップして、それは実はリッスンにもアンカーでやってるんだけど、
そちらのポッドキャストはリッスンにも登録をしましたので、
そちらのポッドキャストにも今日はリンクを貼ってみたいと思います。
そっちのボランティアの方の活動が、実は私がここにいる理由とも言えますね。
収入にするのは難しいので、今フルタイムで他のヨーロッパの団体で働いていますが、
そっちのボランティアのためにこの場所にいたいから、この土地でできる仕事を探したという側面もあります。
今言ってみてちょっと違うなと思いました。
そちらのボランティアでちょっと満たされない部分、満足できない部分を満たすためにヨーロッパの団体でも働いているという感じ。
音声日記の重要性
経済的なことだけじゃなくて、チームマネジメントとか、
それからポッドキャストだから言っちゃうけど、シリアに関わる仕事ができるのがそちらの今フルタイムで働いている方なので、
いろんなバランスをとって、やりたいと思っていることを何かを諦めずにできるように、どちらにも関わっています。
なんか言うとかっこいいけど、でも嘘じゃないと思います。
それともう一つと言えば、それだけでも私は何か物足りないと思っていて、
そのあたりで、また新しいポッドキャストの、別のもう一つのポッドキャストの企画もしていたりっていうところもあるし、
なんかこの音声業界というものには非常に違うな、ちょっとまた言い方が違うと思います。
音声業界って言っちゃうとちょっと違うんですけど、
ポッドキャスト界隈というものに非常に親しみと何かすごい引き付けられるものを感じているので、
ポッドキャスト界隈に何か絡んでいたいという気持ちもすごくあります。
それもあって、このリッスンはすごくちょっと興奮して、熱狂的に関わっている部分です。
熱狂的にっていうのもまた何か違いますね。
なんか熱狂的に関わると多分すぐ飽きるというか、なんかエネルギーが続かなくなるので、
なんか絡んでいたいみたいな気持ちがあって、
なんとなくそうだね、コミュニティ感覚っていうか、その仲間の片隅みたいなところに入れておいていただきたいっていう感じ。
それを今までポッドキャストのリスナーとしていろんなポッドキャストを聞いているだけでは感じなかったその気持ちを、
この声日記を自分でするということによって感じることができているので、
そんなに毎日は続かなかったりすることがあっても、諦めずにというか、めげずにというか続けたいと思っています。
このめげずに続けるっていう感じって何なのかというと、
そういうコミュニティ感覚みたいなものが自分の興味の原動力になっているからこそ、
でも私はやっぱりあんまりもう関係ないよなとか、ちょっと勝手に自分で仲間外れみたいな、
別に私なんてお呼びじゃないよなっていう気持ちになると、こういうのが続けられなくなっちゃうっていうのが多分あるんですよね。
それがなんとなく今までいろんなことをちょっとずつやっては続かなかったときにはいつもあるような気がしていて、
なんか自分が関わっても意味ないなみたいな、少しいじけた気持ちというか、
他にやることあるしなんて言い訳を言いながら、本当は興味あることをやめてしまったこともあると思うんですけれども、
声日記はそんな子供っぽいことをせずに、少し間が空いたとしても自分がやりたいなと思う限りは続けていきたいと思います。
あとね、実は声日記をうらぐで何食べたっていう切り口にしたのはある意味良かったんだけど、
気楽に食べたものの話だったら写真を撮って気楽に取り組めるからね。
でもなんかその話じゃつまんないなって思い始めちゃったところもきっとあるんですよ。
なんかもう少し職場のチームビルディング的な話とか、そういうことは本当は話したいんだよって思ってみたり、
仕事のこと多分私はもうちょっと話したいんですよね。
仕事のさっき話したイタリアって言っちゃったけど、ヨーロッパの団体のこともそうだし、
ボランティアで関わっている日本の団体の方のことも多分、ポッドキャストだったらもう少し話してもいいんじゃないかなと。
なかなかセンシティブさがあるので、あんまり文字で表現するのはちょっと何を出して何を出さないかっていうことを考えることで筆武将になってしまうんですけど、
音声であればもう少し出せる部分もあるんじゃないかなっていうことで、
多分だから何を食べただけじゃないことも話したいなって思っちゃったがゆえに、また何を話してよくて何を話していけないんだろうみたいな、
ちょっとぐるぐるしたところにはまってしまって、少しよし今日はやるぞという気持ちが忘れてしまっていた部分でもあります。
なのでもう一度ここまで話して気づいたのは、やっぱりこのまず収録の録音ボタンをポンと押すっていうところまでは、なんかカフェに入って飲み物を頼んでその写真撮って、よしこれを飲んだ話をしよう。
なんかちょっと珍しいものを食べたらこれを食べて話をしようなんて、それはきっかけにスタートするっていうのはいい考えだったかもしれないね。
何を話してよくて何を話していけないかっていう悩んでいると収録ボタンを押さなくなるから、こうやって今みたいに一度収録を始めてしまえば自然に口に出ることがあるし、
もしそれを間違ったことを言っちゃったとか言い過ぎちゃったなと思えば、その録音を消せばいいだけだからね、というふうに思いました。
そうですね、そういう意味では、日記っていうのは結構大切な気がしますね。日記っていうのは、その日あったこととその日感じたことを書く話す。
で、それが積み重なっていった時に少しずつ自分の中で積み重なっていって絡まっているものを解くみたいな効果もあるし、もしくはそれを積み重ね、自分の中では積み重ねもせずなんてことのないカジュアルな感じでこうやって外側に出しておくことで、
それを例えば後で見返す、聞き返した時に何か少し全体を貫いて紡いでいるものに気づくみたいな効果もあるし、日記をつけるっていうのはいいですよね。
だから、声で気軽に日記を紡いでいくっていうこのムーブメントはすごく気に入っているところでもあります。
はい、じゃあ今日はこれぐらいにしたいと思います。
明日、あさってお休みなのでまた収録をしたいと思います。
そして、その温めている企画の方のもう一個のポッドキャストっていうのも、明日ちょっと進めて見られたらいいななんていうふうにも思っていたりもします。
はい、じゃあどうもありがとうございました。またお会いしましょう。
16:04
コメント
コメント失礼します。私も「クルマの中からこんにちは」という名前なのでクルマの中で録っていますが、たまに部屋で録ると、え?って思われます。 何食べた?ってのは物理的な食べ物もありますが、「情報」や「気持ち」を「摂取」して感じたこと、も何食べた?に入るかなぁと思いました。あとはイラクで声日記とか、イラクでの声活(こえかつ、せいかつ)でもいいかなとも思いますが、別にタイトルに縛られなくてもいいのかな、とも思います。
ひろひろしさん、コメントどうもありがとうございます!お返事遅れて失礼しました。「クルマの中からこんにちは」というタイトルで部屋でとってたら、車じゃないやん!とつっこみたくなりますね。でもその突っ込みってちょっとしたコミュニケーションであって、リスナーにとってとくになにも問題なし!わたしも、タイトルに縛られないで話したいことを話すチャレンジをしていこうと思います。励まされました。ありがとうございます。
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