第49回の担当はわたるです。
鹿子裕文さんによるノンフィクションエッセイ、「へろへろ 雑誌『ヨレヨレ』と「宅老所よりあい」の人々」から、
谷川俊太郎さんが、生前通われていた「宅老所よりあい」によせた詩を引用しました。
老いて行った時にどんな自分になるのか。
家族が置いていく中でどんな気持ちなのか。
このポッドキャストで何度も話している「老い」について、今回も雑談しました!
★毎週月曜日 夕方5時に配信しています★
【メンバー】
わたる:発起人。テレビの制作会社ディレクター。テレビを見るより本が好き。
ひかる:わたるの大学からの友だち。会社員。道端に落ちているものを写真におさめたり、飼い犬を愛でるのが好き。
つかだ:ひかるの前の会社の先輩。ゆいこの塾の友だち。つかだくんと呼ばれているけど、みんなと仲がいいつもり。本が好き。
ゆいこ:みんなの友だち。ラジオやポッドキャストが好き。小学生からくるりを聴いている。
かしま:ゆいこの幼馴染。IN YOU RADIOのサムネイルをデザインしたデザイナー。
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00:06
IN YOU RADIO
小説や映画、ドラマや絵本など、日常で出会った言葉たち。
心に残った言葉に、その人だけの経験や、普段考えていることが透けて見えてくる。
引用する言葉から、あなたの中に湧き上がる何かが垣間見えたら。
メンバーたちが持ち合った言葉を取り上げながら、社会や生活を考え雑談するポッドキャストです。
はい、お願いします。
渡るです。
今日も二人でお届けします。
今日はですね、渡るの引用を持ってきました。
久しぶりの引用会。
スタンダード通常会でございますが。
今回持ってきた本は、本です、本を持ってきました。
エッセイ、ノンフィクションですね。
カノコヒロフミさんのヘロヘロっていう本。
ちくま文庫から出ている本で、サブタイトル。
雑誌ヨレヨレと宅老女寄り合いの人々っていう本なんですけど。
ちょっとこれじゃあ、売り?なんていうんだっけ、背拍子に書かれてる。
あらすじ。
福岡の街中に毅然としてボケた婆様がいた。
一人のお年寄りが最後まで自分らしく生きるために、介護施設寄り合いが始まる。
自分たちで自分たちの場、ちゅうやつを作ったらよかっちゃろうもん。
熱くて肩破り、超個性的な人々が前代未聞の特別養護老人ホームの開設を目指し、
あらゆる困難を笑いと知恵と勇気で乗り越えていく実力痛快エッセイ。
面白そう。
めっちゃ面白い。
めっちゃ気になる。
宅老女寄り合い、自宅の宅に老人の老人のところ。
宅老女寄り合いっていうのは、介護資格を持った下村恵美子さんという人が、
その人が中心になって、特養とか老人ホームに入った方がいい暮らしをしている。
自分ではなかなか生活していけないだろうなっていうぐらいの老人なんだけど、性格がきつすぎて手に負えないみたいな。
03:02
そういうきついおばあさんとか、いろんな理由で家族にアテンドしてもらえないような老人を集めてきて、
そんな人こそ元気にまだ生きてほしいっていうすごい強い熱い思いで下村恵美子さんがいろんな反送をして、
あと村瀬孝夫さんとか、この二人でとにかくいろんな人に頭を下げてお金を集めて、
古いコミカ回想して、宅老女を作ってみんなで暮らしていったり、
あとはこの金子さんという方が雑誌ヨレヨレという寄り合いの月刊誌みたいなもの、フリーペーパーみたいな雑誌を作って配信してたんだけど、
それについての話なんですけど、その中に谷川俊太郎さんの詩が出てくるんですよ。
なぜかというと谷川さんは福岡に住まれてたのかな。
かなり宅老女寄り合いの活動にすごい感謝を持っていたし、
それより前にも代表の下村絵美子さんがお金を集めるためにもいろんなところで講演会をしてたんだけど、
宅老女寄り合いの活動の報告会みたいな。
その時にその講演会でたまたま立食パーティーがあって、そこで谷川さんがいて、
で、谷川さんが隅の方で立食パーティーだから一人で食べてたんだけど、
その姿を見てなんて素敵なお尻をしてるんだって言って勝手にバシャバシャ写真を撮ってたと。
で、谷川さんがなんか変なやついるぞと。勝手に人の写真を撮ってるやつがいるぞ。
しかもケツばっかり撮ってる。どうしたんですかみたいになって、
いやあまりにも素敵なお尻だったんで写真撮っちゃいましたみたいなところから関係が始まってる。
ひょうきんすぎるな。
すごいひょうきんな人なんだ。
で、谷川さんもその寄り合いに来るようになって。
すごいね。
すごいいい場所だなっていうことで、いろんな交流があって。
一時期滞在してた時期もあるみたいなんだけど、谷川さんは。
で、その中で谷川さんが寄り合いにあてた詩を書いてるんですよ。
これがもうめちゃくちゃよくて。
僕は最初は朝日新聞でそれを見つけて、テレビで見られて、それでこの本を読んだんだけど。
寄り合いにあてた詩です。
全部読みますね。
寄り合い寄り合い谷川俊太郎
夜が近づくと魂は理屈を忘れる
06:00
愛のしょっぱさも生きることの酸っぱさも余計に味わえて
力むことなくあやかなまどろみにいい夢を見て
ヨレヨレの体もリスのよう木に駆けのぼり
甘い好みもいっぱいにとってくる
喜びには何の理由もなく
明日は近くて遠い
生きるだけさ死ぬまでは
全部頭文字が寄り合いになってて
一行ずつ寄り合い寄り合い寄り合い寄り合い
これが直筆で飾ってあるらしいと。
すごいな。
なんかこれいいなと思って。
その宅老状に集まる老人の人たちとの交流の中で多分考えたことが
谷川さんここに表されたんだなって思う。
夜が近づくと魂は理屈を忘れるっていうフレーズとかすごい素敵だし
愛のしょっぱさも生きることの酸っぱさも余計に味わえて
力むことなくあやかなまどろみにいい夢を見ると
ヨレヨレの体もリスのように木に駆けのぼって
甘い好みをたくさんとってくる
喜びには何の理由もなく
明日は近くて遠い
ここも忌みしん町だし
生きるだけさ死ぬまではっていう
ある種その死が近い土地が集まる場所において
生きるだけさと言ってるのはすごいいいなと
すごいなやっぱ研ぎ澄まされてるな
夜が近づくと魂は理屈を忘れる
どういう意味なんだろう
多分夜っていうのは人生の終盤
それまで仕事をしたり家族を養う責任を持ってたかもしれないけど
そういう固い自分が何かのために役に立つんだみたいなことから逃れる
谷川さんこれまで何回もそういう話書いてるじゃん
役は役御めになるみたいな話とか
面積ね
あやかなまどろみに
喜びには何の理由もなく
朝は近くて遠い
理屈ばっかで生きてると
愛のしょっぱさとか生きることの酸っぱさは
あまり味わえなくなってくる
だからむしろ
もうけちゃって老人になってもしわしわになって
冒頭過ごしてる人こそ
世に見える人こそ
生きることで感じる
しょっぱさとか酸っぱさとかが実は
09:00
とても味わえてるっていうことにもなんだろうし
確かにそうだね
ヨレヨレの体がリスのようになって木に駆け上ってるとか
すごい素敵な表現だし
甘い木の実いっぱい取ってくるって
リスのように生きよう
夜が近づくとね
リスのよう
ヨレヨレだけど
リスってちょっとしゅんびんさとか
愛のしょっぱさ
いいね
甘さじゃなくてしょっぱさっていうのがすごいいいよね
生きることの酸っぱさ
愛の一般的というか
普通愛の甘さと生きることの苦さとか言っちゃいそうじゃん
生きることは酸っぱいんだ
どんな感じなんだろうな
これぐらいの歳で見る世界
なんか今日Xでたまたま見た
誰かがこんなこと言ってましたみたいな
伝聞のツイートだった気がしたんだけど
年老いた女性の方が
年を取るのは初めてなので戸惑うことも多いですって言ったみたいなのを見て
そうだよなって思って
うちのばあちゃんがさ
しょっちゅう実家に帰るとどんどんいろんなことができなくなってくるとか
よく言ってんだよね
もう記憶も覚えてないし
すごい戸惑ってるみたいなことを言うわけ
そりゃそうだよな
だからその時に言うんだけど
返すのは
そりゃそうだって
初めてだからさみたいな
年を取るのも
赤ちゃんだってそうじゃん
レモン初めて
酸っぱいの食べて
嫌な顔するみたいなのさ
全部初めてで
年老いていくのも初めてでさ
何かができなくなることも初めてなんだよなきっと
避けられない
自分の病気とか怪我じゃなくて
もうベーシックのスペックとしてできなくなるみたいなことなんて
今まで体験したことなくてさ
そうだよね
そもそも戸惑うんだなって思うんだよね
12:00
そうだよね
経験しないことだもんな
それまで生きてきて
急激に老いることはないからさ
徐々にさ
40代くらいから老眼になってきてとかさ
常に関節が痛いとかさ
朝眠いのに起きちゃうとかさ
徐々にそうなっていくんだろうけどね
でもやっぱ
明らかに
誰かに世話を焼いてもらわないといけなくなるみたいなことになるのはやっぱすごい
それを受け入れるのはすごい難しいよね
うちのおじいちゃんとかもよく言ってる
迷惑かけちゃうから死んだほうがいいんだみたいなことを言ったりもするんだけど
そんなことないでしょうって言っちゃうけど
でもそう思うかもなって思うよね
そうなんだよな
プライドとか余計なプライドとかさ
特に男性はね
自分でいろいろ頑張ってやってきた過去とかあると
自分は何でも自分のことができるんだって
思いすぎると
いざそうじゃなくなった時に辛いみたいな
苦しいみたいなのは多分あると思うんだよ
だからもう死にたいみたいな逆になって
振り切っちゃう場合もあるのかもしれないけど
それどうしたらいいのかってすごく難しい
今から
前回も話したけど上坂さんのポッドキャストで
上坂さんのおじいさんが
あー言ってたね
バッキバキのホモソっていうか
経営者かなんかだったから
経営者だったから
自分のプライドがすごく高くて
自分が何でも自分でやってきたから
それができなくなっていくことが認められなくて
すごい人に迷惑かけ
そういう意味で
すごいきつい言い方したりとか
年取って自分ができなくなっていくことに合わせて
どんどんプライドが高くなっていくみたいな
それを守るために
できない自分を追い隠すために
それが嫌すぎて
自分もそんなにそうで
上坂さんもそんなにそうで
嫌だから
自分ができないということをちゃんと自覚するとか
すぐに切れないような訓練を
カードゲームで負けても切れないようにするみたいな
果たしてそれでカバーできるんだろうか
みたいな気持ちになるよね
上坂さんっていうのは
過人の上坂さんのことなんだけど
そこまでの認知すらもしできなくなったら
15:02
そのコントロールすらできないわけじゃん
最近見たんだけど
これ本当かどうかわかんないんで
あれなんですけど
これもソースがXで申し訳ないんだけど
ブルースウィリスが
その自分
認知症で自分がブルースウィリスだったことを忘れて
生きているみたいなのを見て
すごい衝撃的なことだなと思って
自分が何十年かけて生きてきた
培ってきた功績とか
自分はこういう人間であるみたいなのを忘れる
でも生まれ変わるぐらいのことで
でももしかしたら
それで幸せな面もあるのかもな
みたいな気もしてて
だからそれぐらい認知症って
本当なんかこう
全てをひっくり返せることっていうか
俺もそれ2年前くらいかな
結構進行していることは知ってて
ブルースウィリスが家族と過ごしてる動画を見たことあって
その時にこんな自分が
世界的な大俳優
歴史に名を刻むような人だったってことも忘れてるぐらいまで進行してたっていうのは
すごいショックだった確かに
俺もいろんな映画で見てきたから
ショックだけど
でもなんかすごい幸せそうだったけど
家族が
私もそれ見た
家族とブルースウィリスすごい幸せそうに
みんなで手を取り合って
誕生日お祝いしてて
なんかおこがましいかなと思った
悲しいとかって気持ちが
よっぽどなんかそうやってさ
弱さが存在することによって
人が寄り合う
寄り合いじゃないけど
そうやって人が集まって
みんなでなんかこう
生きてることを祝福することって
何かをアチーブすることよりも
よっぽど尊いことだなって思ったね
まあもちろんすごい功績残したから
それに勝るものはないんだけど
まだし絶対大変な側面あるだろうからさ
そこは幸せな場面が切り取られてると思うけど
まあでもそれは
忘れてしまうことが一概に悲しいとか
っていうことでもないし
それを他人が決めることでもないし
っていうことだよね
そうだね
どうなるんだろう
なんかうちのばあちゃんとか見てるとやっぱり
認知症であることは分かってるんだよね自分が
よりなんかつらい
なんかこう
それすごいね
分かってんな
そうそうまあ段階があるからね
18:01
だからすっかりもう
振り切っちゃえば逆に
もう何も分かんなければ
そちらが穏やかなかもしれないけど
まあね確かにね
分かんないけどそれはちょっと言えないけど
分かってるからこそつらいって
自分がどんどん忘れてることとか
それこそ迷惑かけてることも
あったりとか
だからそうだよなやっぱなんか
できないことに対するさ
寛容さみたいなのがすごいない社会に生きてるからさ
で自分も
何かできない人とか特別な配慮が必要な人に対して
やっぱりその
なんかなんだよみたいな
こっちがその分の負担を負ってみたいな
そういう話っていろんなところであるじゃん
例えばなんか
高育てしてる人の代わりに
独身の人が何かをやるとかさ
なんか身体的に何かできない人の代わりに何かやる
そういう構造がいろんなところであって
そういう時にやっぱり
自分はできる側っていう感覚を持っている人ほど
やっぱりその
それがなんか自分にブーメランで返ってくるみたいな
だからこそできなくなった時に
そういう自分を受け入れられないし
甘えられないみたいなところも
やっぱり出てきてしまうのかなみたいな風には思うよね
なんだろうな
どうしたらいいんだろうみたいな思うよね
どうやったら自分のできなさとかもある
できなさもあるし弱いところもあるみたいなものを
受け入れられるのかってすごく難しい
だから当たり前に能力主義とか
何かができるようになったら給料が上がるみたいな
それでやっぱ何か欲しいものが買える
そういう植物的なものにつながっていくと
なんか社会に貢献できてたり
自分の人生が豊かになったような気になってしまう
それはすごいいいことだと思うんだけどね
常にそこに労働に関わって
積極的に関わって自分の労働力を注ぎ込むのが
当たり前になってくるとそうなるのか
もしかしたらここからAIとか
いろんな科学技術が発達することによって
21:02
その辺変わるかもしれないね
今ってさ
仕事の場で能力主義的なところが求められるのは
仕方ない部分もあると思うし
構造上そうなると思うんだけど
家庭も結構あるじゃん
家事ができないっていう
どっちかが家事が全然できないとか
子育てするときに気が利かないみたいな
今私が別のことやってて
今手が塞がってるんだから
じゃあ先回りしてこれやろうみたいな
いわゆる職場でも求められるような
スキルと言っちゃえばスキルだし
気遣いみたいなことができないと
家庭という1個のプロジェクトを回していく上でも
すごい足枷になるっていうか
負荷になっちゃうから
家庭では家庭なりの
できることみたいなのが求められる気がしてて
それが介護とかになった時に
リソースを奪っちゃうみたいな
辛さにつながると思うんだよ
ケアされる側が
リソースを奪ってしまうから
何も自分ができないせいで
それが申し訳ないみたいな
感情ってあると思うんだけど
それがいろんな
欲しいんちの世界じゃないけど
いろんな家事とか
いろんな家のことを
いろいろなIOT的な機械が
できるようになった時に
もしかしたらそこの
やるせなさというか
かわされていくとかあんのかな
みたいな話してて思ったのよ
人に迷惑をかけるってことが
減っていく
その役割が機械になることになってた時に
それって軽くなっていくのかな
面白い
っていうのは
どっかで話したいなって思ってたテーマなんだけど
なんか
最近責任転換みたいなことすごい気になってて
ほー
いろいろあるんだけど
ビジネスの世界って
責任をうまく逃れる
うまく逃がすみたいな
言い回しめっちゃするなって
思っててみんな
例えば
キキカイカイっていう
ポッドキャスト最近聞いて
あーって思ったんだけど
ビジネス界隈で
それで言うとっていう枕言葉
めっちゃ言うみたいな
確かに言うね
それで言うとっていうのは
どういう流れで使うかにもよるんだけど
その前の人が何かを言いました
あなたどう思いますかって聞かれた時に
それで言うとを挟むことによって
自分はあくまで
客体
客観視してる立場である
そういうスタンスを取れると
だからあんまり別に
それで言うとって言う必要なくて
私はこう思いますって言えばいいんだけど
そこにそれで言うとを挟むことによって
あくまでも主は
24:02
質問者で
自分はそこに乗っかっている人みたいな
ポジション取れるから
よく使われるよねみたいなこととか
あとはこれ私とかも
よく使うけど
何々っていう認識でいますか
認識であってますかっていう
言い方すごいすると思ってて
それなんか私はこう思います
私はこうですじゃなくて
認識ということを挟むことによって
なんかその
それが違ったとしても違ったのは私じゃなくて
認識が違ったんだみたいな
っていうのでうまくみんな
使ってるなって思うので
それすごい気になってて
最近さらに出てきたのが
AI
AIでそれ使う人出てきて
例えば
みんな
仕事に
ホワイトワーカーの人は特に
仕事にAIを取り入れ始めていると思うんだけど
何かの企画を
考えてくるときにAIに考えさせるとか
資料をAIに
作ってもらうとかって結構あると思う
でこの間打ち合わせしたときに
私が企画を
お願いしていて
相手の人にね
その人が企画を挙げてきました
その企画の大枠を考えてるけど
資料は
AIに書かせてたのね
でミーティングしてるときに
ここってちょっと
気になったんですけどみたいな感じに
指摘したときに
これAIに書かせたんで
そんなこと言っていいよ
ダメだろうと思うんだけど
どんなプライドで仕事してるんだ
それもあるんだけど
何だろう
とりあえず私が勤めてるのが
ベンチャーってのもあるかもしれないけど
ラフでもいいから挙げてきたみたいな
そういう感じ
で一回AIに叩き
作らせましたとかAIにやらせました
みたいなのがすごく多いのね
でその時にみんな
そこのクオリティを担保
しないよっていう
言い訳エキスキューズとして
AIに書かせたんでとかって結構言うのよ
へーそうなんだ
みんなじゃないけどね
それすごい気になってて私は
いやなんかそういう
ちょっと話ずれたけど
AIとか機械に責任を
どんどん乗せていくみたいなことがあると
そういう言い訳とかもあるし逆にわかんないけど
介護法で言うと
人間が担ってたところをAIができるようになる
AIとか機械ができるようになると
なんか
自分ができないこと
責任を転嫁するっていうのが逆に
楽になる方法文法にも
つながることってもしかしたら
あんのかなって今しゃべってた
それねーさとさん
仕事の責任というか
結構重大だから
別に話したい
だけど今
気づいたことがあって
やっぱねー俺たちはね
役に立たなきゃいけないってことに
縛られすぎてるんだと思う
なんか
それをなぜそういう
ふうなことを思ったかというと
おばあちゃんが認知症で
料理はできなくなりました
料理ずっとやってくれてて
27:01
うちは
俺の両親とも働いて
おじいちゃんおばあちゃんと同居してて
だからおじいちゃんおばあちゃんが
親代わりみたいに育ってくれたんだけど
365日
おばあちゃんが夕飯作ってたんだけど
だからもう
3、4回子育てしてるわけよ
もっとだよな
で
そこでなんか自分が子育てさせた側だと
という加害者意識がすごいあるんだけど
それはそれで置いといて
で今
やっぱそのキッチンが
自分の職場だっていう意識が
めちゃくちゃ強いからおばあちゃんは
だから俺は例えば
実家帰ってみんなに料理
作ってる時とか
もう気書きじゃ入れないのよ
孫に作らせてしまって
自分が責任ある場なのに
やらせてしまっているってことが
すごいつらいらしくて
なんかすぐ着て
エプロンつけ始めて
なんかやろうかみたいな
手伝おうかみたいな
これ切ってとか皮むいてとか
簡単な味噌汁くらいだったらやってもらうんだけど
火はね
使えないからあんまり
これくらいはやってもらえるだろうな
みたいなことを言うんだけど
ほぼ自分でできちゃう場合もあるから
いちいちこれやってあれやって
ってやってるとすごい時間かかっちゃうなって時あるから
今日はいいよみたいな
任せてとか言うんだけど
そしたらその時は一旦
なんかあったら声かけてねとか言って戻るんだけど
やっぱ気になっちゃうみたいな
余計なことを
その時にやらなくていいことをやっちゃう
例えばまだ5時半なのに
お風呂の
うちは飯食った後8時9時に
お風呂入る家なんだけど
5時くらいにお風呂入り始めちゃったりとか
あとはもう暗くなって
新聞ももう撮って撮りに行ったのに
新聞撮りに郵便受け見に行ったりとか
夜めっちゃ真っ暗なのに草むしり
お風呂入りし始めるとか
しちゃうのね
それってやっぱりうちの祖母の中で
家族にとってすごい必要とされてきたこともあるけど
役に立つことが
本人に聞いたわけじゃないけど
役に立つことが
すごい重要視してるじゃん
みんな
誰かの役に立たなきゃいけない
本当にそこまで必要なのかなとか
あれだねでもさ
役に立ちたいっていうか
もっとすごく平たく言うと
喜ばせたいみたいな
ちょっと違うかもっとポジティブな感じだけど
喜ばせたいは
みたいなやっぱ感情って結構
早くかかる気がしててさ
私子育てしてないけどさ
よくすごいちっちゃい
乳幼児の子がさ
人に何でもいいから
家族とかに物を渡して
ありがとうって言ってもらうみたいな
あるじゃん
ああいうのとか見ててもさ
やっぱその
ただ何かをしてもらってるだけで
言い続けられないっていうか人は
ある程度の段階に達するとさ
何かをして喜んでもらうみたいなことに
まあその
脳の報酬系みたいなことだと思うんだけど
がやっぱ一定できてくるから
30:02
そこから逃れるのって
やっぱすごいむずいんだろうなって
逃れる
だし俺もだからそのさ
3回4回前くらいに
言ったその
目の見えない人
困っていると思って
困ってますかって
聞いちゃうのもやっぱり
役に立ちたいと思って
何か助けになりたいみたいな
それで感謝されたりとか
そういう人がより良い状態になったのを
目撃したいっていう
多分自己効力感
だと思うんだけど
なんかその
自己効力感って多分
人の
人との
関係性だけでは
なくても
補えるって
俺は思って
それは前に
柴田君との話で
手のひらに
感じる早春の
光
にも生き甲斐を
感じるみたいなことって
何かこの手のひらに
太陽が当たって
あったかくなっているっていうことが
ある種の
小さい自己効力感というか
自分の体が変化しているのを
感じる
世界に存在していて
体温が上がるみたいな
そこにすら
生きている心地を味わえる
みたいなことって
すごい役に立つみたいな
グラデーションの中で言えば
少しグラデーションが
ついている段階
レベル1みたいな
そういうのを
実感しておくことが
大事なんじゃないかなって
思っていて
明確に人助けになったとか
役に立っている
って思わなくとも
もちろんそういう時間は大事かもしれないけど
もちろん
自己
自家発電じゃないけどさ
うんうんうん
もし
人の役に立つっていうのが
生きがいとか心地だんだとしたら
もっとなんか
そうだね
身近なところでそれはできないかな
うん
そうだね
自分ができないことによって
意外とその周りの人が
なんか
そこで何かコミュニケーションが生まれるとか
逆に
思わぬ形で喜びが生まれてる
みたいなことって
あったりもするしね
なんか弱いロボットとかもさ
あーそうだね
そういう考えもあると思うけど
それと介護って結構
すごくセンシティブだし
なんかそこに
集約しきれない大変なことが
多すぎるから
そこで
結びつけるのはすごいちょっと気が引けるけど
うん
そうね
だから役に立つっていう
33:01
何か
役割を果たすとか
何かタスクをこなす
みたいなこと以外でも
人に幸せとか
喜びを与えることはできる
みたいなことだし
自分も幸せや喜びを
感じることができるっていうのを
認識しておくみたいな
すごい大事だよね
強引に結びつけるつもりはないんだけど
このさっきの谷川さんのね
詩にも
喜びには何の理由もなく
明日は近くて遠い
っていう
なんかそんな理由なんてなくたって
人がなんか
自ずと感じることとか
人との関係の中で自ずと立ち上がってくる
喜びみたいなのが
ある
っていうことを感じるんだよね
うんうんうん
何かその役に立つ
成果として目に見えなくて立って
不意に現れる喜び
みたいなものがきっとあって
それを大切にしたいなとは
思うんだよね
すごい結構喋ったね
盛り上がりましたね
思わぬところに広がって面白かった
いやでもその
責任天下はちょっと
ちょっと傷でならなかったから
別で話したいな
そうだね
別で話そう
というわけで
今回
誰が持ってきた引用は
かのこひろふみさん
のヘロヘロ
から
谷川俊太郎さんの詩
より愛より愛
夜が近づくと魂は理屈を忘れる
愛のしょっぱさも
生きることの酸っぱさも
余計に味わえて
力むことなく
あやかなまどろみにいい夢を見て
よれよれの体も
リスのよう
木に駆けのぼり
甘い好みをいっぱい取ってくる
喜びには何の理由もなく
明日は近くて遠い
生きるだけさ死ぬまでは
ありがとうございました
35:24
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