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2017-05-03 13:19

第17回 渡部由紀子氏(株式会社 Be Unique代表取締役)【前編】

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今回も素晴らしい女性社長にお越しいただきました。株式会社Be Unique渡部由紀子社長です。

大学卒業後、バンコクで日本語教師として勤務。帰国後に(株)リクルートでの営業職を経て、2012 年に株式会社Be Uniqueを立ち上げました。グローバル化を目指す日本企業の発展に貢献する、現在の事業に行きつくまでのストーリーとは?

女性社長の成功までの道のりを、ぜひお聞きください!


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社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBizは、私の大好きな社長様のお一人、渡辺社長様です。
まずは、ご経歴をご紹介いたします。
1973年生まれ、大学卒業後、日本語教師の道を選択。
バンコクで1年間日本語教師と勤められた後、ご帰国され、リクイルドに入社。
営業職を務めながら、週末には飯田橋のボランティアで日本語を教えていらっしゃいました。
2000年に有志とともに飯田橋日本語学院を設立。
2008年、個人事業として引き継ぎ同校代表。
2012年4月、Be Uniqueとして法人科代表取締役を担えていらっしゃいます。
今現在、人材の紹介事業、ことワークも開始されていらっしゃり、
日本語学校の草分け的存在とも言える社長様でいらっしゃいます。
本も出されていらっしゃいまして、
サバイバル日本語テキスト日本語ファン&イージーという本を
アスクさんよりも出されていらっしゃる社長様でいらっしゃいます。
では最初のご質問です。
ご出身は東京でいらっしゃいますか。
生まれたのは東京で、8歳の時に埼玉県に引っ越しています。
小学校、中学校時代はどんな幼少期をお過ごしになられましたか。
小学校の時は転校もしたりして、結構真面目な優等生キャラでいたんじゃないかと思います。
中学校はですね、ちょっと何か当時、校内暴力とか結構怖い先生もたくさんいたりして、
割と激しく反抗期を学校でやっていたような覚えがあります。
そうですか、ちょっと見た感じとあまり想像つかない感じなんですが、
高校、大学も東京、埼玉でいらっしゃいますか。
そうですね、はい。
その頃はどのような感じでお過ごしになっていらっしゃいましたか。
高校自体は結構高校生を満喫していました。
ラグビー部のマネージャーをやったりとかしていて、
高校生は高校生らしく過ごして、大学は女子大だったんですけれども、
女子大は体育会のテニス部になぜか入りまして、
あまり真面目にやっていなかったんですけれども、
人は中国に短期留学をしまして、それが結構大きかったですね。
そうですか、中国の短期留学されたときはどんな思い出があるんですか。
全国の大学生が20人ぐらい寄り集まっていくような留学だったんですけれども、
非常に優秀な方が多くて、世の中にはこんなに頭いい人がいっぱいいるのかと思って、
すごくびっくりしました。
その頃の思い出がそのまま日本語学校につながってくるんでしょうか。
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日本語教師という仕事をしたのは大学の後半だったんですけれども、
高校時代からなんとなくちょうどバブル期が高校の後半ぐらいだったので、
テレビでジャパンバッシングとか、日本の旗を燃やされたりとか、
そういうのを見たり、社会科の先生は結構リベラルな考え方の先生が多かったので、
そういういろいろ影響を受けて、なんとなく日本について考えたりとか、
あと世界の方にもっと日本について知ってもらいたいなとか、
そういうことを考えていった高校時代でした。
大学でなんでそういう日本の文化ですとか歴史とかをもっと勉強したいなと思って、
そういう勉強をして、いろいろ考えた結果ですね、
勉強としてなんとかというよりも自分自身が一人の日本人として、
世界中の人となるべくたくさん会ってですね、
恋を深めていくというのが日本を知ってもらうのが一番いい方法なんじゃないかみたいなところに
大学の後半にたどり着きまして、その段階で日本語教師という仕事を知ったので、
これだということで、当時は中国好きで何回も行っていたので、
最初は中国で日本語教師をやろうと思って行ったんですけれども、
なかなか私の中国語も伸びずに結構大変で、
最終的にはタイにちょうどポジションがありましたので、
行ったというのが最初のキャリアになります。
ご就職されず、タイの方で日本語教師として就職をする、
日本ではなくということでいらっしゃいますね。
そうですね。
なぜタイを選ばれたんですか。
ぶっちゃけタイで求人があったみたいな。
なるほど。
すいません。直前にベトナムに行く予定があって、
ベトナムに行くつもりでいろいろ準備していたんですけれども、
直前にキャンセルになって、
じゃあこっちのタイに行くみたいなことを就職家の方に言われて、
じゃあそうしますみたいな感じで。
なるほど。
渡辺社長らしい、来たものを全部受け入れるみたいな感じでいらっしゃいますね。
その後タイに行かれたと日本に戻られてリクルートに就職されていらっしゃるんですが、
これは何か理由があられたんですか。
そうですね。最初タイに行った段階では、
このまま海外で日本語教師を続けたいなと思っていたんですけれども、
タイで1年してみて感じたのは、
大学とか企業さんで教える機会が多かったんですけれども、
私自身全く社会経験がなかったので、
いわゆる企業の役員クラスの方を教えたりとか、
そういうときに非常に自分自身の未熟さというか、
感じることが多くて、
このまま先生だけを続けていくというのはどうなのかな、
というふうに考えるようになりました。
なので、本当に若いときに経験をしていくべきことはしておきたいと思って、
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一度帰国して、最低3年は社会経験をしようということで、
しかもやるんだったらちょっと厳しい仕事をしたいなということで、
営業職で探していたところ、
たまたまリクルートの方でご縁をいただきましたので、
入社をいたしました。
なるほど。一回日本語教師からリクルートの方に行って、
また戻ってくるという、こういう歴史であったらですね、
リクルートでの思い出って何かございましたか。
リクルートは面白かったですね。
面白かったというか、
まず最初仕事に行ってみたら、
夜9時ぐらいになっても全然社内の風景が変わらなくて、
それにすごくびっくりしました。
本当に9時なのかな、時計が壊れたのかなと思うぐらいみんな、
普通にそれぐらい仕事をしていたのが、
まず最初に印象に残りました。
すごく面白かった。
一人一人が尖ってるというか、
そういうリーダークラスとマネージャークラスのやりとりとかも聞いてて、
すごく勉強になることもありましたし、
そこでの3年間がなければ、
今の自分はないなと思うぐらい、
本当に勉強になりましたね。
マネージャーさん、
お世話になったマネージャーさんたちもみんな素晴らしくて、
非常に鍛えてもらったなと感じています。
以上成績もよろしかったというのを聞いているんですが。
そうですね。
結構良かったと思います。
聞かれていたら嫌ですね。
いやいや、
ただ元上司の方々が大変喜んでいらっしゃると思うんですけども。
3年間リクルートを務めになった後、
日本語学校を立ち上げていらっしゃるんですけども、
3年でスパッと辞められたんですか。
はい、3年で辞められました。
3年で辞められました。
それは何かもう3年って決めていたからとか。
3年はやろうってまず決めていたのと、
本当にタイミングとして、
当時ボランティアを一緒にやっていた代表の方が、
渡辺さん一緒に学校をやらないみたいな感じで、
声をかけられたのがちょうどその時期だったんですね。
本当に迷いなく、
はい、
辞めたという感じです。
リクルートを務めながら、
日本語学校を立ち上げて、
日本語学校を立ち上げて、
日本語学校を立ち上げて、
辞めたという感じです。
そのリクルートの元上司の方々は、
大変反対されたんじゃないですか。
そうですね、
結構嫌なタイミングで辞めてしまったなと思って、
当時の直続の年も、
今のリクルートに言えないんですけれども、
本当に、
嫌がられながら、
嫌がられながらというか、
ちょっとご迷惑をかけてしまったなというふうに、
今でも反省しております。
ご成績が良かったので、
そういうふうに。
新規の提案をしていたんですね。
事業部として、
新規でこういうことをやったらどうだ、
みたいな提案をしようとしていた時期だったので、
それもありまして。
なるほど。
3分コンサルティング。
ウィズビズが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングは、
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E社様、賞金1,000万円、年賞5,000万円、
従業員数4名の訪問介護業です。
うちは、訪問型の介護事業を営んでいる会社です。
最近、いろんな媒体で求言告告を出しているが、
一向に応募が来ないです。
来ないですね。
本当に弊社も大変採用には苦労しています。
1年後には、年賞を倍の1億円にしたいと思って、
様々な取組を行い、
おかげさまでお客様は順調に増えてきています。
しかし、このままでは、
今いるスタッフの負担がさらに重くなり、
もし急に辞められてもしたら、
と考えると不安が募ります。
なるほど。
そこで、最近テレビでよく見せる、
外国人高齢技能実習生など、
この際検討しようと考えています。
しかし、育ってきた文化の違いや
考え方の違いが多くありそうで、
ちゃんと働いてくれるかが心配です。
あと、うちの先輩スタッフが
ちゃんとしているかも不安があります。
新谷社長は、外国産業について
どうお考えか教えてください、
ということでいらっしゃいます。
人口減少時代に日本は突入しておりますので、
この35年間で約3000万人が人口減少するというのが、
ほぼ確定したというのが、
今の日本の状況です。
そうなってきますと、
事業をもし延ばそうと思うならば、
3000万人の方々が物は食べなくなるわけですし、
車にも乗らなくなってくる、
住宅も住まなくなってくる、
こういうことでございますので、
さらに企業側がすれば、
人が働かなくなるということでございますので、
何かしら生み出しながら、
その一つが女性活用であったりとか、
高齢者に働いていただくとか、
そういうことなんだと思うんですけれども、
もう一つの方法が、
やはり外国人の方々に働いていただくという部分も
あるのではないか、
というふうに私自身は思っております。
特に最近コンビニに行っても、
その前私が居酒屋に行っても、
ほとんどスタッフが外国人の方なんてことが、
多くございますので、
外国人の方をやはり戦力として
お役になるのは、
一つの方法だなと思っています。
ただし、外国人雇用の体制は、
法律的な少し壁が、
就労ビザの壁がございますので、
その辺をきちんと守って、
まずは採用していただくことが
必要なんじゃないかな、
というふうに思っています。
国の方も大変、
いろいろな制度で、
外国人採用がしやすいように、
環境を整えつつありますので、
その辺をぜひ細かく勉強されたら
いいんではないかな、
というふうに思っています。
私どもでも、
外国人雇用に関するレポートを出しているので、
ぜひとも、
お読みいただきたいなと思います。
また、やはり文化の違い、
考え方は非常にあります。
私はこう思います。
日本が一番世界の中で変わった国だと、
これを社長様方、
皆さん、
意識していただくべきなんじゃないかな、
というふうに思います。
これは社員の皆さんがための意識をしていただかないと、
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難しいんじゃないかなと。
日本ではこうなのと言っても、
外国人の方々は、
はてなマークが出てしまうということが
多いのではないかな、
というふうに思います。
その辺を理解いただき、
外国人の方々のことも考え、
そして、
でも日本はこういうふうに、
やるのが通常だというか、
常識だということを、
一つ一つ教えいただいた方が、
いいのではないかなと思います。
その辺も含めて、
教育マニュアルとか、
外国人採用に関しての、
雇用に関しての教育マニュアルとかを、
細かく作っていくべきなんではないかな、
というふうに、
私自身は思っております。
ぜひ、訪問介護業、
業績を伸ばしていっていただきたいなと思います。
本日の3分コンサルティング、
この辺で終わりにさせていただきます。
最後までお聞きいただきまして、
誠にありがとうございました。
本日のポトキャストはここまでになります。
働いてお楽しみに。
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