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2023-06-01 09:19

#50 AIの身体性から考える"偏り"の良さ - Inputalk Design

【平日朝9時配信】「Inputalk Design」は、デザイナーのイワイ(@iwi_des)とりゅー(@ryuki_kyoto)が、最近インプットしたことについて、10分くらい話していくPodcastです。

#50のトピックは「AIの身体性から考える"偏り"の良さ」です。

ちょっとしたスキマ時間のゆるいインプットにどうぞ。

00:02
Inputalk Designです。この番組は、現役デザイナーのIwaiとRyuが、 最近インプットしたことについておしゃべりするラジオ番組です。
共、UI, UXを中心にいろんなデザインをしているIwaiです。
メンタルヘルスのセルフケアアプリ、 AverifyのデザイナーをしているRyuです。
お願いします。
はい、お願いします。
今日のトピックは僕から。
はいはい。
Twitterのドットエッシーさんのツイートで、
AIの身体性みたいなものの話なんだけど、
いろんな解釈がありそうなツイートを一旦まず引用します。
はいはい。
あるツイートに対して、その人のフォロワーさんが引用率下に対して、
またそれで変身してるみたいな構想になってるんだけど、
それを最初から言うと、
AI論争で見かける、絵描きの作業の本質はアイデアやセンスであり、
その実現の困難さが物理的制約に過ぎないという考えに同意できないと。
心と身体は一体のもので、結局は手とか目の神経の連動が必要になる。
手の好みと頭の好みは別。
で、次のツイートで、そういう、これなんか五運ジョークっていう、
未知事かなんだけど、
いろんな制約、無技術、肉体、頭、心の制約があるからこそ、
絵が人に刺さったりとか、しばらく取れなくなったりすると思う。
AIによる画像生成の過程だと、そういう個別具体性が削ぎ落とされてしまう。
それに対して、ただ別のフォロワーの人が、
道具は身体の拡張であるっていう命題もありますと。
なんか杖や眼鏡を身につける人にとっては、
もう体の一部分になっていると同様に、
AIの利用者にとっては、AIは体の拡張部分であって、
手とか目とか神経連動は同様に存在するとも言えるのでは、みたいな。
でも元のドット絵師の人は、
自分がドット絵を描いているのは、まさにこの道具の身体化現象が面白いからなんだけど、
ベクターとかアニメーションとか3Dとか、技術が複雑化していくにつれて、
頭だけの作業になってしまって、
心理的な失恋性みたいなのが引き出せなくなりがち。
AIを触っているとそのことに気づけなくなっちゃうと思います。
プロンプトン入力は、やっぱり呪文とデータの関係性とか、元データの偏り方とか、
考えなきゃいけないことがあまりにも複雑かつ外部すぎて、
身体性が介入する余地が少ない、ないわけではないけど、みたいな。
最後に、創作の道具というよりかは万華鏡とかテレビに近い利用価値があると思っているみたいな。
03:04
なるほど、おもろい考え方や。
人間の持つ制約がありつつ生み出されたものだからこそ、
良いと思えるものがあるんじゃないかっていう。
それは何でかと言うと、
AIを使うことが結構頭の作業になっていて、
そういう意味で、
作りながら、手で考えたからこそ出た、みたいな。
そういうものがなくなっちゃいがちなんじゃないかと裏取られて。
確かにね。
UXとか考えるときは、
見ろとかってずっとコネコネしてるみたいな感じ。
良いけど、具体にしてみないとそれが本当に良いかはわかりづらい。
AIだと一応具体として、
生成されたものが出てくるんだけど。
結構あれじゃない?これ結構下流の話をしてるんじゃないかな。
上流の話もあるけど。
なんで手の形がこうなったのかみたいな。
なんでこの色が使われたのかみたいなところじゃない?
それがAIでは最も美しいっていうか、
過去にやって美しいものみたいなのを
組み合わせてると思うんだけど、
人ってやっぱり人が作ったものには偏りができてると思うんですよ。
それが今回は身体的な偏りが
主にフォーカスされてると思うんだけど、
多分それ以外にもいっぱいあって、
もともとは技術的な制約だったと思うし。
他とは違うことになって面白いものに結びつくんじゃないかな。
引いてて思ったな。
結局同じ、
解像度低めの人から見たらほぼ同じだと思える2つの絵で、
こっちは人間が描いた、こっちはAIが描いたってなった時に、
感動とか心を動かされるみたいなところに差が生まれるのでは?
みたいなことなのかな。
なんでかっていうと、これ人間描いたの?マジで?っていう。
とか、こここうなってるんだ、そういうこと?
06:02
みたいなのがあるのかな。
僕逆だな。これ人間描いてんのすごくね?は
どんどん減ってく気がするな。
この人の顔全然上手いとは言えねえけど、
なんか好きなんだよなっていうのが増えてく気がする。そっちに価値があるんじゃないかなって。
はいはいはいはい。
特定の人をアレするコメントじゃないのは分かってほしいんだけど、
コミケとかコミティアとか行った時にめちゃくちゃ上手いんだけど、
全然刺さらない絵を描いてる人がいたんだよね。
めっちゃ上手いって思うけど、なんか目を離した2秒後には忘れてるような絵。
めっちゃ美しいんだよ。本当に。
けど、やっぱ本を買うのは下手でもなんかぐっとくるものがあるイラストというか。
なるほど。
なんかね、そこにそっちに価値があるんじゃないかなって。
逆に言えばそれがAIでできれば別に俺はAIでもいいと思ってる。
結局それを解釈すると人間だし。
なるほどな、確かに。
なんか凄さのところがなんかそのシンプルな技術力とかそういうところじゃなくてなんだろう。
そこから感じられるなんか作り手のなんかね、
考えとかなんか感情とかなんかそういうものとかなんかいいみたいな。
自分の中で言語化されちぎれないなんかいいみたいなもの。
胸を打つものが何なのかって言うと偏りで、
それが心による偏りなのか道具による偏りなのか体による偏りなのかみたいな。
そういう言葉じゃないかな。
綺麗だな。
分類ができた。
分類ができた。
他にもいっぱいあると思うけどな。
絵以外にもだし偏り型についてる。
偏りじゃないかもしれないし。
うんうんうん。
光栄ですね。
確かにね。なんだろうね。
究極に人間じゃなくても偏っているのがグッとくるかもしれない話だったけど。
人間だと自然的に偏りが生まれるから、
なんとこは良いよねってことだよね。
09:01
面白い。
皆さんも偏った人生を送ってみていかがでしょうか。
悪いことじゃない。むしろ良いみたいな。
楽しいよ。
今日も一日頑張っていきましょう。
ありがとうございました。
09:19

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