1. In Between Journeys
  2. 那覇と横浜で2拠点生活を送る..
2025-09-15 40:04

那覇と横浜で2拠点生活を送るフォトグラファーと一緒にこれまでを振り返ってみる的な話

003 「那覇と横浜で2拠点生活を送るフォトグラファーと一緒にこれまでを振り返ってみる的な話」

お話相手は中村亮先生

横浜出身、現在は那覇と横浜を行き来しながら広告領域のフォトグラファーとして活動中です📷

雑談が盛り上がったので前編・後編にわけて配信。今回は前編です🛴

最初のカメラはNikon D40 / アジア・中東を巡る旅 / 最初のキャリア / 若い頃の師匠の影響 / 横浜と東京 / 東京進出とキャリアの転機 / 九州に住んだキッカケ / 沖縄に住んだキッカケ / 大きな都市の違いがようやく見えてきた頃

🔗

👨‍💻 In Between Journeys on Social media

サマリー

このエピソードでは、沖縄と横浜を拠点に活動するフォトグラファーが自身のキャリアや旅の経験について語ります。独立を果たした彼の背景や、写真に対するアプローチの違いについても触れています。また、那覇と横浜で2拠点生活を送るフォトグラファーが、それぞれの地域についての文化やアイデンティティを振り返っています。東京と関西の違いや横浜の独自性についても触れ、地域ごとの魅力と意識の違いを考察しています。さらに、フォトグラファーが九州でのドローン撮影を通じて新たな視点を得て、多拠点生活を送る経緯について語ります。沖縄と東京での生活を比較し、写真を撮る楽しさや仕事の葛藤について深く掘り下げています。

沖縄への移住と挑戦
GOOD AFTERNOON, LADIES AND GENTLEMEN.
THIS IS THE PRE-BREAKING TRANSFER OF THE FRONT COMPUTER TO NAHA.
WE ARE NOW INVITING THOSE PASSENGERS TO THE ROOM.
IN BETWEEN JOURNEYS
39歳の時に独立して、沖縄に好きが気に入ったので、何とか残って2拠点でやってみようかなと。
チャレンジではありましたね、この1年は。
ちょっとその辺から紐解いていこうかなと思うんだけど、まずその沖縄になんで沖縄にした?
なんで?これもでも本当に普通に転職活動をしていて、たまたま見つけた求人が沖縄だったんですよ。
沖縄の広告系の会社も、小屋会社は多分誰もが知っているような会社だったりするんですけど、そこの制作の会社が沖縄にあって。
てことは…
あ、そうです。
知ってます?
それ系だと…しかないんですよ、多分。
広告系で沖縄に…誰もが知っていて沖縄に…
さすがです。
小会社があって、大きい千人規模の。そこのさらに小会社みたいな。
あ、えっと…
知り合いはいらっしゃる?仕事したことあります?
いないいないいない。知り合いはいないんだけど。
なんで知ってんすか?
僕も元々航空会社の人間だから、沖縄に住むってなった時は一旦リサーチはするから一通り。
なるほど。
なるほどね。
結構千人規模あるのかな。
でもあそこは主に運用周り?
そうですね。
デザイナーが多くて。
クリエイティブ?
ひたすらウェブのバナーを作るような感じ。
そのカメラマンということで。
今までの経験を生かすつつ、沖縄に住めるっていう。
最初はそんなノリですかね。
横浜も好きなんですけど、特に家族がいるわけでもないし。
横浜にこだわる必要がある。
フォトグラファーとしての成長
お、りょうくん。
おつかれさまです。
今収録中。
りょうくん今日行こうと思ってた。
行こうと思ってた。
今日アトリエンスですよね。
後で行こう。
行きましょう。
いいタイミング。
そんな感じで写真の仕事はずっと20年後の時からやってて。
今15年経ったくらいですね。
やっと独立することができたというか。
なるほどね。
りょうちゃん、写真の仕事15年前って、
いわゆるフォトグラファーとしてのキャリアはどういう高さで来たんですか。
そうですね。
もともと趣味で、学生の時に始めてっていうのも。
写真学校?
いや、全然です。
大学、普通に経済学部に行ってて。
バックパッカーみたいなのが流行ってたんで。
僕も旅に出たいな。
学生、卒業したら旅に出ようと。
それくらいの時に一眼レフを買って。
15年前だと、なんだ。
20年前ですね、買ったのは。
EOS5D Mark IIとか。
ニコンがあったんですけど。
ニコンのD40っていうカメラを最初に買いまして。
そのカメラを買うためにクレジットカードを作った。
カードで買って、分割払いでちょっとお金なかった。
1回大学卒業して、1年間フリーターでお金貯めて。
150万くらい。
それで旅に出た感じです。
23歳くらいの時かな。
どこ回ったの?
その時はアジア中東ですね。
タイから入って。
ロシア、ラオス、インド、ネパール、トルコ、シリア。
レバン、ヨルダン、イスラエル。
で、エジプト。
結構ディープな旅をしました。
多分斜めで行ってもめちゃくちゃ刺激的というか。
だいぶインパクトあるし。
そこにカメラ持ってってめちゃくちゃ楽しいよ。
ただ怖かったですね。
カメラ持って歩いてるだけで。
兵士の人にカメラしまえって言われたりとか。
言われるよね。
比較的その時は内戦とかもなく。
というか無知だったんで。
ノリで行ったみたいな感じなんですけど。
それ大事だよね。
そうですね。
その数年後なんかシリアで…とかって結構内戦が激しくなって。
そうですね。今も中東は緊張状態が続いてますけど。
なかなかアクセスしにくいですね。
いつかまた行きたいなっていうのもありますね。
なるほど。
それでカメラを持ってあっちこっち回って。
ある人でもそういう体験をすると
カメラというか写真のポテンシャルみたいなことを
家が大にも知ることになるじゃないですか。
そうですね。
そのままいきなり仕事にしたんですか?
そうですね。旅から帰ってきて。
音楽好きだからタワーレコードで働いたりとか
フリータワーやってたんですけど。
そろそろ就職しないから。
彼女もいたんで当時。
そうですね。
最初は消去法みたいな感じだったかもしれないです。
何やりたいかな。
強いて言うなら写真かなみたいな。
そんなのにで、
たまたま横浜の小さいスタジオで
募集してたんです。
タウンワークで募集してて。
給料は安かったですけど
アシスタントやって
そのままカメラマンになれる的な感じの。
そこがルーツというか写真の入り口ですね。
その時ってご師匠さん的な人はいたんですか?
いました。
今もご健在なんですけど。
師匠、そうですね。
写真の仕事する人って
スタジオとかアシスタントついて
独立みたいなルートだったんですけど。
そこの会社の社長が師匠と呼べる
人ではあるかなという感じですね。
言い悪いの話じゃなくて
写真のスタイルとデザインの影響
すごく若い時に
ご師匠さんだった人の
作り方思想って
残るよね?
めっちゃ残ってます。
残ってますね。
わかりやすく言うと
今でもそうなんですけど
暗めに撮っちゃうんですよ、写真。
飛ばないように。
それはもうその人のせいではなくて
そうやって教えられたわけが
飛んじゃうと修正効かない。
だからある種ちょっと守備というか
守りに入るというか
飛ばないように撮ろうみたいな
今でもそれはもう染み付いて
たまにやっぱ苦しくなる時もありますね。
適正露出で撮れる人すごいなって思います。
それは僕も。
でも、なんて言うんだろう
暗めに撮るのって
多分フィルムの時の
そうですね。まさにそうです。
バリバリフィルムでやってた人たちで
でも幸いにして
デジタルも
飛んだのは絶対戻さないけど
暗いのは
入られる
なんとか戻せるじゃん。
ある程度は。
そこはあるよね。
悩みでもある
やっぱ編集やる気になっちゃうんで
どうしても暗く
そうね。
まあ仕事やってると
取っ手出しっていうのはなかなかないんで
困ることはないんですけど
そこはもう癖として
よくも悪くもなのかな
おつかれさまです。
おつかれさまです。
録音中。
ツイートした横でお邪魔します。
いいね。
久しぶり。
なるほどな。
あれなんで
おじいちゃんの写真って
結構セクシーじゃん。
あ、まじですか。
僕はすごいそう思ってて
だからその
Morning Shotに
いつか誰か写真
フォトグラファー入れたいなって
思ってたんですけど
早くも2回目で今回入ってもらったんですけど
ありがとうございます。
LITORの空間と
そのモーニングレイブ
コーヒーレイブっていう
コンセプトというか
タイルを
僕のスタイルの写真じゃないなって思って
僕の写真ってどっちかっていうと
おそらくりょうちゃん
結構真逆なとこに
あれもわかる気がします。
りょうちゃんの写真は僕からすると
すごいセクシーで
写真に質度があるというか
で、なんていうのかな
写真の表面
フラットに平面で見たときの表面にも
テクスチャーがあるし
でもちゃんと立体感があるっていう
なんていうのかな
すごく今っぽい
写真単体としてもきちんと成立してるし
今のデジタルデバイスで見ることを前提とした
インスタグラムとか
スマホの画面で見るってなったときの
そこのテクスチャーもちゃんとあるっていうのが
めっちゃ今っぽいなって
僕の写真ってどっちかっていうと
質度ゼロみたいな
カラッとしててクリアで
っていうのが僕の写真と
どっちかの癖が出ちゃう
で、それって何でだろうな
今日りょうちゃんと喋るっていうのを
今日の昼間に決めて
何の話をしようかなと思って
でもやっぱりりょうちゃん写真の人だから
写真の話したいなと思って
でも僕もフォトグラファーでもあるから
改めて僕の写真とりょうちゃんの写真の違いって
何かなって考えると
そこの質度
写真がまとってる質度の違い
僕のその質度が全く変わるんだけど
質度がだいぶ抑えめの写真で
何がルーツなんだろうなと思い返したら
僕が最初に仕事で来て
デザイナーさんの写真
デザインっていうかディレクションが
すごく
大阪でやってらっしゃるデザイナーさん
すごく
なんていうかな
クリエーなパキッとしたデザイン
ただその方の語彙力も少し変わった人なんだけど
日本的な
すごい一蜜な
クリエーな
っていう淀みがない感じのデザインではなくて
もうちょっとヨーロッパっぽい感じ
本来だったらもう少し
質度感を伴いそうなものなんだけど
余計な装飾とか嫌う
例えばタイプグラフィー組みにしても
エンジンを
引きたくなるじゃん
ザブトンとかじゃなくて
写真の上でザブトン引いて
タイプグラフィーかっこよくて
エアドソフトで撮って
いかにベースの写真の良さを生かしたまま
余計なトリミングとかしないで
その中にいかにタイプグラフィーが出てくるか
その時に変なフチつけたりとか
ザブトン引いたりとかはすんな
それがハマるように
ちゃんと飛ぶ気持ちを知ることに
タイプをしてる
なるほど
だからもうどちらかというと
僕は割とピンをバキバキに
全部絞って
合わせる写真を撮りがちだし
っていうの結構そこから来てるなっていう
今日改めの思い出した
それってりょうちゃんの場合
どっから来てんのかなっていう
なるほど
今話聞いてたら
やっぱり最初の視聴者さんから来てた
そうですね
ただちょっと僕も
そこに結構長くいてしまって
6年半くらい
結構長いね
アシスタントとしては1年2年で
そこからカメラマンとして
やらせてもらってたんですけど
なんかちょっとやっぱ
このままじゃいけないなって
なんか思うんですよね
横浜と東京って
なんか地方の人からしたら
同じ都会みたいな
でも僕らからすると
やっぱ全然違うんですよ
横浜近いけど
でもなんだろうな
ファッションにしても
デザインにしてもやっぱもう違う
なんかそれにどっかで
気づいたというか
まぁちょっと遅すぎたんですけど
30歳を超えてたんで
このままじゃよくないなみたいな
でもなんか漠然と
この視聴にずっとついてって
まぁいいのかなぁと
なんかいろいろあったんですけど
お祝いはスタジオついで
みたいな話をされたときに
いやなんか
ちょっとやっぱ東京出てみたいな
東京って言うんですか
東京って言うのか分かんないですけど
要は横浜ローカルで
東京のルーツと地域意識
勝負してきたかどうかみたいなことが
そこすごく興味があって
僕は生まれは東京の
かつしかも新宿つって
大都会
大都会っちゃ大都会
でもまぁうちの実家なら
陸の孤島って言われてるところ
本当ですか?
そんなとこあるんですか?
あるんですよ
なんだけど
僕の場合は東京の中でも
ルーツは都心部ではあるものの
僕の母方の実家は
寅さんの
かつしか柴生田
柴生田
柴生田だったり
あと僕の親戚も
わりと母方の親戚が
その辺多かったりとかっていうので
あと僕の両親のお友達が
比較的浅草とか
浅下町
そうそうそうそう
東京の中でも
いわゆる東側に
すごく小っちゃい時から
慣れ親しんでたので
西側も全然海上とか無くて
山手線で行ったら
例えば神田東京の入楽町とか
の匂い
東側は小さい時から
分かる街がある
西側は新宿駅は近いから
分かるんだよ
渋谷とか全然分からない
そうなんですね
同じ東京でも
そうっすよね
だからよく渋谷の八甲前で
待ち合わせみたいなの
あったじゃん
あったと聞いてるんだけど
僕自身実は経験がない
やりましたね
東京生まれのくせして
渋谷の八甲がどこにあったのかは
東京出るまで知らなかった
僕は学校が池袋だったから
新宿と池袋はまだ分かるけど
渋谷は全然分かんないし
渋谷は超怖ぇ
イメージがあったから
世代的に言うと僕が
1999年に大学に入る年
だから90年代後半で
要は学校のギャルとか
ギャルとかが先輩にいた世代
だからとにかく怖い
カラーギャングとか流行ったんですか?
カラーギャングはもっと上か
もっと上のめちゃめちゃ怖い世代
僕らその少ししただけ
ギャルが出始めた
街ごとの池袋はこういう形で
新宿はこういう形で
渋谷はこういう形で
今から見たら
今年になった振り返ると
些細な話かもしれないんだけど
どこの街なのかってことと
どういうところで遊んでるのか
高校生とか中学生なりの
アイデンティティーみたいな
部分もあるじゃないですか
って考えると
東京の中でも
西側が全然わからない
渋谷とか下北とか全然
吉祥寺とかって世界観が全然
足を踏み入れたことほとんどない
そうですよね
人間からすると横浜って
超怖いみたいな
西のトップクラスが
集う街みたいな感じ
横浜の人ってすごい
イメージ
面白いですね
横浜の人って横浜って
アイデンティティーが
あるかもしれないですね
すごくしっかり
変な話、東京にいらっしゃる方って
東京ご出身の方ではない方も
たくさんいて
僕が知ってる東京の方って
地元の人が多い
ちっちゃいとかそういう人と
仲良くしていただいたりとか
西に行けば行くほど
いろんな地域の人たちが混ざって
それも面白さがあるのも実
その人たちが東京を体現してる
っていうわけでは
なかったりするじゃないですか
これはよく思われてる
だけど横浜はやっぱり
横浜っていうか
横浜では神奈川
川崎とかも含めて
神奈川の人は
全員レペゼン神奈川な感じが
それが背負ってる感じがすごい
そこ湘南の方の人とか
横浜のアイデンティティ
なんかプライドみたいのは
あるのかな
なんか自分たちで
ローカルのカルチャーを作ってる
っていう意識が
すごくちゃんとある
それはすごくいい
そういう気がして
そこが面白いなと思いながら
僕の場合はたまたま
高校生になるまでの間に
神奈川の知恵があんまりいなかった
あんまりそこの世界を
見ることができなくて
僕はそのまま
高校卒業したら京都に行っちゃったから
むしろ関西で
そういう各地
各関西のね
なるほど
すごい
僕はあれすごい好きなんだけど
ある種の
地元愛って言葉じゃないんだよな
あれ何なんだろう
不思議なんだよな
京都の人って
めちゃめちゃ京都の人なんですよ
でも
いわゆるこう
共同愛っていうような言葉から
その人たちが持ってるかっていうと
なんかそんな気もしなくて
なんかすごい不思議な感じ
大阪の人とか神戸の人とか
奈良の人とかもそうやし
関西の人の
地域に対するローカル
自分のローカルに対する
スタンスとか
心持ちって
やっぱ関東と全然違うのが
すごいな
僕はすごい好きなんですけど
そうなんですね
横浜ってなんだろうな
でもなんかよく
埼玉
よく県民省とか
横浜ってなんか
みたいな感じで言われるんですけど
横浜の人って横浜好きだよねみたいな
横浜と神戸の人は
めっちゃ言われるよね
なんでなんすかね
別に割と特に
俺ら横浜だぜみたいな
人っていないし
中にはいるのかもしんないけど
僕が横浜って言っても
田舎の方だったんで
ただ好きは好きですね
っていうのも
横浜は都会とはいえ
田舎の部分も
持ち合わせてて
地域の色の差と文化体験
まあそれは多分ね
どこの地域でも一緒だと思うんですよ
なんかうまく言えないな
そうですね
程よく田舎で程よく都会
っていうのが
その話がいい気がします
なるほど
でもその程よく田舎で
程よく都会っていう
その
捉え方で
人気がめちゃめちゃある町って
たぶん今日本国だと福岡だと思う
めっちゃ都会やし
でもすぐ海もあるし
すぐ山もあるし
そういうバランスが取れてる町って
やっぱり好かれるのかね
福岡はわかります
僕も友達行って何回も行ったことあるし
九州
好きですね
まあ
ご飯もおいしいっていうのはもちろん
あるんですけど
でもなんかやっぱこう
僕の場合写真ベースに考えちゃうところもあるんで
写真も
なんか撮るとこいっぱいあるし
めっちゃわかる
逆に関西ってあんまこう
行くことがなくて
仕事以外で行ったことないぐらい
そうなんですよね
縁がないというか
まあ友達もいたりするんですけど
例えば
なんだろうな
横浜に住んでて
大阪行く
旅行でどっか行こう大阪とか
ってないづらい
気がして
でこの間僕生まれて初めて
名古屋行ったんですけど
だから名古屋も似たような感じで
大阪は行ってもらったんですけど
名古屋は行ったことない
名古屋大阪ってこう
旅行で行こうみたいになんない
なんかすごい悪い意味じゃなくて
都会から都会に
同じような感じなんだろうなみたいな
せっかくなら
海が綺麗なとこ行きたい
僕の感覚は余裕ですけど
いやでも言ってることは
僕もすごいわかるというか
それこそ
もともと東京で生まれ育って
で18歳の時に
京都にいるんで
最初大阪って
すごい苦手だったんです
なんかその
感覚もしかしたらどっかであるのかもしれない
うん
よくないですけど行ったことないというか
そこで話を進めると
多分ここでこのPodcastを聞いてる
大阪の人が再生止めちゃうから
先に言っとくと今めちゃくちゃ好きなの
でもやっぱり
若い時
10代後半20代前半の頃で
なんとなく大阪に対する
苦手意識が
あって
あんまりこう
あんまり長い時間過ごす
でもねその後大阪のクラブでイベントやったりとかして
大阪の人たちもすごく
されてるんだけど
当時やっぱりなんかちょっと若い時は
苦手意識が
なんとなくあって
その後僕名古屋に住んでた時期も
あったんだけど
だからその辺
多分ね僕名古屋に住んでやっと
いわゆるその東京名古屋
大阪っていう大都市
違いの面白さというか
どうしてもこう関東から
東京から行ったから
大きな都市って
同じでしょって
なんかそれがまず大きいかも
そうそうそう
大きな都市と同じっていう完全に間違った
先入観を
持った状態だったから
その大阪は
自分の知ってる都会と違うっていうのが
あんまりこう
受け入れられなかった
なんなのこれっていう
でも
名古屋に行って
食文化とかも含めて
であの
なんて言ったらいいんだろうな
これはもう大阪がめちゃくちゃ有名だから
っていうことだと思うんだけど
大阪行ったら
食事ってこうで
とかっていう
こういうとこから
受けたイメージがあるじゃない
で行って
ある種答え合わせをするんだけど
名古屋って
あんまりイメージが
僕は当時なかった
で行って
味噌カツとか味噌煮込みうどんとかもそうだし
店主とか
名古屋オリジナルの
喫茶店のモーニングブーカーみんなのやつとか
を体験して
あ、なんかこんなに
でかい街でこんな全然違う
感覚ってあるんだみたいなのを
名古屋に住んでるときにだいぶこう
イメージがリセットされて
そこから大阪とかも
改めて
見直したらめちゃめちゃ面白い
でそう考えると
横浜とかも
すぐ近くにある街だから
全然違うなとかっていうのをやっと目が
抜けられるようになる
って考えたときに
やっぱ地域ごとの色の差ってあるな
ってことを
ちょっとずつ
体験して分かるようになって
いろんなきっかけがあって
ある日福岡にも
考えてるんですよ
福岡って
さっきリョウちゃんが
写真を撮る
会場とか
ロケーションとしての九州の
強さみたいなことを言ってた
僕も完全にそれで
あれ言ってたっけな
当時
ドローンが
ちょっとずつ始めてきたときで
まだ
DJIのファントムが
出てくるちょっと前ぐらい
だから誰でも操縦できる
っていうよりは結構むずい
ででかめのカメラ
乗せれるけど操縦なかなか
大変だし
あったじゃん
あの頃にすごいドローンの操作
映像もすごく上手い
センスがめっちゃある人で
ドローンも使ってて
っていう
ビデオグラファーが
長野にいらっしゃって
当時僕がよくお手伝いしてた
映像の仕事とかは
とてて彼がドローン
っていう感じで
ドローンのことは
あの人に全部お任せ
っていう認識があったんだけど
その年の
僕の誕生日の時に
DJIが
セールやってて
でファントム
あれなんだっけ3か4か
どっちか忘れちゃったけど
とりあえず誰でも簡単に飛ばせます
みたいなそこそこいい絵撮れます
みたいなのが出てきたタイミングで
セール
多分4番目勢いで買っちゃったもんね
九州での撮影体験
でちょうど自分の誕生日の時に
セールするみたいなタイミングで
降りられるようになった
当時で
十何キロくらい
バッテリーとか積もるんですけど
っていう
だいぶリーズナブルになってきて
その時に
でも
東京の
いろんな周辺に飛ばせるわけが当然
いなくて
どこだったら飛ばせるんだろうって調べたら
関東だと
長寿
富塾里
三浦半島のめっちゃ先っぽ
ほんとにもう
岐阜で
三崎口で降りて
三浦港
あの辺まで行かないと飛ばせる場所がなくて
そうだったんですね
2時間かかるじゃん
2時間とか2時間半かけて
三浦はちょっと分かんないから
行ってみてもいいかなと思ったんだけど
長寿とか
九十九里はよく知ってるから
しょっちゅう行ってました
九十九里で
ドローン飛ばしても
永遠と同じ景色だよね
それがいいと
だから
ちょっと練習するにしても
もうちょっとなんかないのかなって思って
でも2時間か2時間半かけて
移動する
ってなったら
飛行機で行ったらどこ行けんだっけ
ちょっと調べてみたら
気になって
同じ時間かけてドローン飛ばしに行く
で飛行機乗って飛ばしに行けるところってどこかな
で適当に検索したらたまたま
福岡空港が
羽田福岡がまあまあ2時間もあれば行けるから
福岡飛ばせんのかなって調べたら
福岡の糸島
の特に西のほう
佐賀の手前の景屋とか
あの辺でちょうど飛ばせるようになって
でも全然
行ったことのないところ
だからもうどうせ行くなら
知らんところで飛ばそうと思って
で行ってみて飛ばして
景屋の海岸で練習したんだけど
まあ
いい絵が撮れて
すごくて
やっぱり九州ってこう海と山が
すごい近いから
なんか
なだらかな光景が続いてるっていうよりは
急に崖になって急に海が
海も青い
綺麗な海で
関東で見ないような
すごい絵撮れるなと思って
でその時
たまたまこう
面白くてもともと
2泊3日ぐらいで福岡にいる予定だったんだけど
延長しまくって結局2週間
福岡から鹿児島の辺
ドローン持って飛ばせる
ちゃんと飛ばせば大丈夫だと調べて
飛ばして行っちゃったら
九州めちゃくちゃ面白いじゃんと思って
なんか九州素敵なところだな
って思いながら東京帰って
でその時に
ファーストフライトで
こう銅型写真旅行
撮ってたんだけど
それで撮った写真をネットに上げてたら
それがそのままこう当時
あのイギリスにあった
ラジコンとかドローンとかの専門誌
特集の
関東のミヒヤキの写真で
これ使いたいんだけどいい?
ファーストフライトで
そんなのないじゃん
すごい
生まれて初めてドローン飛ばして撮った写真が
いきなり雑誌に載って
これは完全に
機材と九州のロケーションの力だから
絶対九州に見たほうがいいなって
で僕は九州に
練習する
ドローン機かよ
こんだけ
うちのりが良すぎるって
いうのがあって
九州で写真や映像撮ってたら
もっともっといいやつ撮れるかな
っていうのがあって
これは乗っかろうと思って九州に
行ったのが最初
沖縄への移住と新たな生活
面白いっすね
だからそんなのが
きっとりょうちゃんが沖縄に来たのにも
あるのかなっていう
だからそうっすね
例えば
同じ仕事で
さっきから
別に
嫌なわけじゃないんですけど
同じ仕事同じ内容同じ給料で
例えば大阪
名古屋
東京もそうかな
に会っても
揺れないと思うんですよ
だからやっぱり沖縄でっていうのが
負けないな
そうですね
今の給料とか
を維持して
沖縄に移住できるみたいな
それがベタかった
友達がいたりとかも
いろんな要素はあるんですけど
でもやっぱ写真撮れるっていう
休みの日に写真撮りに行けるっていう
それが結構一番
ベタかったかもしれない
なるほどね
沖縄で写真が撮れるっていうことが
そうですね海は好きなんで
みたいな
本当でもそんな感じの
きっかけかな
面白そうみたいな感じ
ざっくり
で実際
どう
そうですね
まあでもやっぱ結局
会社に勤めてたんで
写真の仕事とはいえ
仕事自体は好きでしたけど
そうですね
結構やっぱ
人間関係で悩むことが
多かったかな
まあまあまあ
会社だとやっぱどこでも
それはどこの会社でも
ありましたし
まあそうですね
それではそろそろ
またまた
お金も貯められたんで
やってみよう
みたいな感じで
独立しましたね
沖縄で独立してみて
どうですか
まあでも沖縄で独立するって言っても
でも今リョウちゃんは
神奈川と
沖縄の日拠点で
東京での仕事の葛藤
仕事をしてるって感じだもんね
仕事をしてるんですか
はい
はい
仕事をしてるって感じだもんね
そうですね
うーん
そうですね
まあ30代
まあその最初のスタジオ
終わって
その後まあ
割と大きい会社
そこが有名な会社に
入ったんですけど
カメラマンとして
そうですね
知ってます
言ったことあるかな
Aなんですけどアルファベットで
あーはいはい
あの
ストック
でまあ結構
撮影テストとかもあったりして
でまあまあ
そうですね
取り下げるとめちゃくちゃ長くなっちゃうんですけど
ごめんちょっと待って
ストックでAって
2つあるじゃん
OK
まあただやっぱそこでもう本当に
見事に挫折を味わったんですよね
うーん
まあやっぱこれがやっぱ
東京の違いだなっていうか
想像通りだったというか
まあやっぱ通用しなかったんですよね
なるほどね
まあでもそれがやっぱね
結構僕の人生では
うん
必要な時間だったなっていう
それに気づかずに
やってたら多分
今はないし
っていうなんか挫折を味わった
そうですね
もう本当に
あの1年会ってよかったなっていう
まあ今でも本当に
そこのカメラマンさんとか
まあディレクターさんとかと
たまに会って飲んだりとか
まだに信仰がある
うん
そうですね
東京に出てよかったなっていうか
うんうんうん
なんか
それってあれだよね
東京が良くて
横浜が悪いみたいな
話じゃなくて
そうですね
クライアントから求められるクオリティだったり
その
なんて言ったらいいのか
予算に対してどれくらい時間の
言い取りが持てるか
結局プロダクションの精度とクオリティを
どこまで出すかみたいな
そこの差が
いやそれはめっちゃわかる
その経験がめちゃくちゃでかかった
本当になんかもうカメラマンやめようかなって
思ったくらい
違ったんで
まあそうですね
なんかそこ
あれですごい難しいところで
なんて言ったらいいんだろうね
1位フォトグラファーの
個人である
自分としての
葛藤みたいなものもあるし
でもこう
クライアントから見たときには
別にフォトグラファーに仕事を発注してるわけではなくて
そうですね
プロダクションのチームに発注してるわけじゃない
そのチームとしてベストパフォーマンスを出すためには
どうしたらいいのか
そのチームの中で自分が
どういう動きをして
どう仕事をやっていくのがいいのかみたいな
悩ましさというか
そこの難しさみたいなのがあるよね
そうですね
わかる
40:04

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