1. IKUKO Labo ワンダーランド
  2. エアプランツの自覚
2022-09-22 28:52

エアプランツの自覚

自分の特性を知る、だけじゃなく、それを受け入れて、それを活かせるような仕事の仕方をする。ということが大切なのは、誰しも、異論のないところでしょう。
私の場合、根っこを土の中にはらないエアプランツみたいな性質があると思っているのですが、エアプランツとしては、普通の植物のように、土に植えられたら死ぬわけなので、普通の植物だらけの世の中では気をつけていないとうっかり「植えられる」、まわりの人は善意で私を「植えようとする」ので、ほんとーーに気をつけないといけないな、と思う。

今日はそういう話をしてみました♥

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こんにちは、IKUKO Laboです。
9月22日木曜日の朝9時15分です。
今日は雨が降っていてですね、
この間、超巨大な台風が去っていった1日後、2日後、
また結構な量の雨が降っていて、どうしたことだ、みたいなことなんですけど、
そんな中で、昨日に引き続き、ポッドキャストを録音しています。
最近、YouTubeのライブ配信をするので、その時にも、
ライブ配信の時は、やっぱり雑談を混ぜながらっていうか、
その時思っているようなことも、しどろもどろ喋りながらやるので、
なんか、そっちで喋ったのか、このポッドキャストで喋ったのかが、自分でも記憶がなかったり、
あるいはもう一つ、自分専用のプライベートの日記もつけてて、
それ最近めんどくさいので、喋ったりしてつけるわけですけど、
そっちで喋ったんだったかなとか、話が行ったり来たりするかもしれませんが、
多分、昨日のポッドキャストで、
私のタイプ9ピースみたいな話をしてたかなと。
これはエニアグラムの考え方で、人間の性格みたいなのを9つに分類するとしたら、みたいな。
いろんな指針、指標を持って分類するわけなんですけど、
分類された人たちのクラスターを見ると、それをリアル実地で50人ぐらいの人をざっくり、
この人は多分このタイプみたいにして分けていくと、
明らかに他との違いが、特徴が見てわかるぐらい。
例えば、タイプ5進化の人たちに前に出てくださいって言ったら、
ほぼほぼ全員がメガネをかけていて、しかも黒縁のメガネをかけていて、
そして立地的で、笑顔はあまりなく、出てくる言葉は理論整然というか、
見るからに合理的なタイプ。
学者か何かみたいな雰囲気を醸し出している。
すごい一番わかりやすいのはタイプ5だなと思うんですけど、
そんな中で私がタイプ9ピースというふうに、
私以外の全員が一致してそうに決まっているって断言したぐらいのピースだったんですけど、
これは人口比でいうとすごい少ないタイプで、
その時も5、60人いる中で、私ともう一人の2人しかいませんでした。
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その時っていうのは、おととし受けていたそういったタイプ診断を
ビジネスに生かそうみたいなセミナーだったんですけど、
だから本当の趣旨はタイプを診断して、ああ面白いねじゃなくて、
それぞれのタイプの人にどうアプローチするといいだろうみたいな話ではあったんですけど、
私の興味関心は自分がタイプ9だって言われた瞬間に、えーとか言って終了してしまって、
タイプ9ピースの人っていうのはとにかく何を目指しているかというと、
常に自分の周りが平安であること、争い事がないこと、ストレスがないこと、
ストレスっていうか人と人が何かいがみ合っているとか、
そういう状況が何よりの苦手だとかって言って、
そういう環境からは一刻も早く逃げようとするし、
逃げられない場合は自ら乗り出してそれを解決しようとしたりもすると、
それでもやっぱり限界があって、
そのタイプ9的な我慢の袋みたいなやつがあって、
それが時々いっぱいになるとパンとはじけて、
そうすると人間関係をそう取り返してしまう。
会社であればある日突然辞めて、マンションも引き払ってどっか行っちゃうとか、
そういうしゃぶ台返し的な切り方をする。
人とか集団とかグループとか所属しているところと一切連絡を断つ。
そういう説明なんです。
タイプ9っていうのはこういう人だよって。
それがあまりにも自分に当てはまるので、
私もしぶしぶ、そうかもしれない、私もタイプ9かもしれない、
というふうに受け入れていったわけなんですけど、
でもそれからつらつら考えると、ちょっと待てようですよね。
私は確かに今でも人間関係をそう取り返しても全然平気だったりするんですよ。
全然平気っていうことはないけど、
逆に一つの団体に取り込まれて、そこの中でずっといなきゃいけないっていうことほど苦痛なことはなくて、
どんな団体でもそうです。そこが居心地いい悪いに関わらず、
とにかく一刻も早くそこから出たいっていう衝動を感じるんですけど、
でも私の幼少期の育ち方を見ると、
それこそ幼稚園の頃から庭園、引っ越して幼稚園を変わる。
お友達いない状態で小学校にすぐ入学する。
ちょっと友達できたかなの辺で、
突然2年生の終わりぐらいに突然引っ越しをして転校するみたいな感じで、
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かなり小さい時期から、
引っ越し&転校生活みたいなのをずっとしていって、
ちっちゃい子供にとって学校を変わるっていうのは、
それこそ人間関係相入れ替えになるんですよね。
ほぼほぼ学校が小さい子供にとって世界のすべてじゃないですか。
学校と家しかないわけで。
家がそんなに暖かくいて楽しいっていう雰囲気でもなかったので、
頼りにはしていましたけれども、もちろん家族のことは。
それでもどっちかって言ったら、
私の介入してくるっていうかな、
あれはするな、これをしろみたいなことを常に言う親だったので、
介入されたくなくて防御するみたいな、
そういう距離感の中で学校が全部変わると。
それこそ振り出しに戻ってもう一回やり直しみたいな感覚。
それが1回、2回で終わらず、3回、4回、5回って続く頃には、
自分的にそれがデフォルトになっちゃって、
周りの環境、今いるクラスメイトとかに、
過度に依存しなくても別にやっていけるっていうのが、
もう高校の頃には確立していましたね。
今にして思えば。
そこを飛び出して大学行ったり就職したりしていくわけですけど、
もはやそれがデフォルトで、
会社に入る私の場合は学校の先生だったんで、
赴任するわけですよね、どっかの学校に。
そこに所属している意識なんて本当になくて、
一刻も早く家に帰りたいと。
また学校というところがすごくて、
人相入れ替え。
中学校だったんで、最長3年で子供は入れ替わる。
先生のほうは、
それぞれのこの、
排属から10年したら一応次の学校に変わるみたいな、
大体のルールがあったんですけど、
毎年毎年一部分は入れ替わるんです、
強制的にそういうわけで。
だから常に水の入れ替わっている池みたいな状態で、
池は維持されているんですけど、
その構成要因は常に常に入れ替わるっていうのが学校なんですよね。
だから一個のところに同じメンバーに囲まれて過ごすということは全然なくて、
だから7年も続いたのかなと、今にして思えば思うんですけど、
そこ辞めるとまた総督会じゃないですか、人間関係。
そんな感じで、タイプ9が我慢できるところまで我慢して、
ある日一旦切れたらもう元に戻らないとか言いますけど、
私に言わせれば、
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私がもともとそうだったからそういうことが起きたっていうより、
小さい時そういう環境でしたから、
それがデフォルトになっただけですけどっていう感じですよね。
だから環境が先か、
あるいは自分が例えばタイプ9で生まれるので、
それに応じた人生の展開が用意されているのか、
どっちが先か分かりませんけど、
少なくとも今62歳になりましたけど、
現時点で、
ここに来てもなお今あるグループから抜けて、
以後一切その人たちと会わなかったとしても、
全く何の支障もなくやっていけるっていう全ての、
お仕事含め団体とかが全てがそうだなって。
でも私にとってはそれが普通なんですけど、
どうやら他の人たちにとってはそうではないらしいと。
一度所属したグループ、コミュニティみたいなものは
とってもとっても大事みたいで、
抜けるなんてことはもう考えられない。
抜けるなんてことはもう考えもしないっていう風らしくて、
驚くわって思いますね。
これは終身雇用の何とかのだったとかいうよりも、
やっぱり日本人の文化的なのか分かりませんが、
自分の所属する共同体にずっといるんだって。
共同体の中に取り込まれたのが気持ちがいいっていうか、
その共同体の中で良いポジションを取っていきたいとか、
その共同体ありきでそこから抜けるなんてことは、
まず選択肢として頭の中にないっていうくらい、
長い長い歴史の中できっと培われた
そういう感覚があるんだろうなと思わざるを得ませんね。
ずっとほとんどの人が農民だったとするならば江戸時代以前に、
農民って農地を離れたら死ぬわけですから、
農地は持って動けませんから、田んぼとか畑とかは。
だから自分の田んぼ畑のあるところにしがみついて、
周りの共同体と協力してやっていくしか選択肢がなかった。
時代が長かったというよりもほぼほぼそれだった。
どうですかね。
昭和になってもまだ多くの人は、
地方に広がるこの田んぼ畑を耕しているようなお家に生まれた人は、
親はそういうふうに思って、共同体はあったと思うし、
さすがにこの令和になってそういうものが崩壊し始めているとはいえ、
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まだ会社に所属していれば何とかなるという名残があるし、
今後それがどうも崩壊しそうだなというのは私はそう思うし、
そういう予兆はあるとは思うんですけど、
みんな感覚的にそういうDNAに染み付いたような、
あと文化として根付いている、
自分の中というより自分の生まれる前からずっとそうでみたいな、
周り全員がそうでみたいな、
そういう感覚から離脱するというのはほぼほぼ不可能なんだろうなと。
私みたいに小さい頃から根付いたと思ったら引っこ抜かれて別の土地に放り出される。
そこで根っこを張ろうとしたらまた引っこ抜かれてまた別の土地の上に放り出されると。
本当に根っこごと引き抜かれて放り出されるみたいなことを繰り返すと、
すでに土の中に根を張らなくても生きていけるぞみたいに、
中学校ぐらいの時にはそう思っていましたね。
今ここにいるこいつらともずっと一緒にいるわけじゃないから、
将来の自分のより良き自分になるために勉強頑張ろうとかそんな感じでいて、
周りに目の前にいる教室の中にいるクラスメイトたちのことを全然リアルな人間としてあんまり感じてなかったような気がする、今にして思うと。
この人たちは確かにここにいる人間だけれども、私とは何も関係ない人たちで、
駅ですれ違う通行人の人たちとほぼほぼ一緒。
あれがたまたまこの1年間という括りで同じ教室の中に留まっているだけであって、
本質的には何の接点もない人たちなんだっていうのを、中学高校ぐらいの時にだんだんそういう感覚が芽生えてきて、
高3ぐらいになると完全にそういうふうになっていて、以後ずっとそんな感じで暮らしていて、
それでどうですか、この62歳までちゃんと生きていて、大病もせず幸せに生きていて、ということは生きれるわけですよ。
私的には自分のことをそう、水耕プランツっていうか、あとは今流行りの他肉植物みたいに、
そんなに水とかあげなくても、また土に植えてなくても生きている植物って言いますよね。
あんな感じの人間だなと思っているので、だからどこを、私をその分自分で何でもやるんだみたいなことは当然思っているわけですよ。
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誰かが助けてくれるなんてことは基本的にはないんだと思っているから、全てのことが自分でできるようにっていうふうに生きてきたので、
それはいろんなことができますよ。
一生懸命、こんなインターネットの時代ですし、自分がやりたいなと思ったようなことに関しては大体できるんです。
そういう人がチームにいてくれるととても便利っていう、そういうのはわかる。
だからといって、私を面白くもないような活動の中に呼んで、ずっとそれをそのまま利用し続けようっていうのは、
やっぱり水耕プランツとしては、土に埋められたら死ぬんです、逆に。
移動していかないと死んじゃう。根っこが腐っちゃいますよ、そんな土みたいなものに埋められたら。
やめてくださいって感じで、どうしてもそこからふわっと空中に浮き出て、どっかにフラフラと飛んでいきたくなるっていうのは、
土に植えられている人たちから見たら、もう勝手でしかなくて、なおかつ欠点のように見えるらしくて、
一つところに入れないんだねって、かわいそうにね、みたいに思うんですけど、私からしたらこの生死を分ける、命の危険さえ感じる、
そんな土に埋めといてくれるって、好きでもないあなたたちと一緒に一生過ごすなんて絶対嫌だからって思う。
どのグループでもそうなんですよ。そのグループが良くないからとかっていうことじゃなくて、
どんなに素敵でもそこに一生いなさいって言われた瞬間に私は逃げたくなるので、
これっていうのは分からない人には分からないんだなっていうことがこの間分かった、感覚的に。
でもこういう感覚が分かる人も一部いる、特にインターネットの中でさまよっている人たちには結構多い感覚じゃないかなって、
それは思うんですよ。だから私の居場所はこういうネットを介してつながってくださる人たち、本当にうっすらなわけですよ。それでも十分です。
水耕プランツとしては栄養はそれで十分なので、それ以外のじっとりした、私を取り込んで自分のものにしようみたいな、
そういうじっとりした感覚の方がむしろ恐ろしいなというふうに感じているということを今朝は思ってそれを話したいと思いました。
つまりエニアグラム的にいうタイプ9のほほんと平和に見える、何やってもいいよって、
大丈夫だよ、みんなで頑張ろうよとかって慰めてくれるみたいなムーミンみたいな人だねっていうふうに表現されるんですけど、
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本当そういうふうに見えるかもしれないけど、それは外から見たときの評価というか、そういうふうに見え方をしているよって、
という部分で私は同意しますけど、本人的には、だからわかんない、土に埋まっているのが嬉しいタイプ9っていうのもいるかもしれないんでね、普通の植物みたいにね。
わかりませんけど、私は少なくとも同じタイプ9だとはいえ、そうやって囲い込まれたり拘束されたり、
あれはするなこれをしろって言われるようなグループに所属するとか、そういうことは一切無理ですね。
たとえそれがどんなにお金が儲かるとかいう話であったとしても無理で、
お金が儲からない、お金が関係ないからみんな平等なんだよみたいなグループでもダメで、どうでもいいんですよ中身は。
じゃなくて取り込まれるのが死ぬっていうだけの話で。
だからネットからのこういう個人事業とかに向いている、ネットからのこうやってネットで何か発信していくっていうのか、
ネットの中でコンテンツを楽しむ、作ったりするのも楽しめるっていうネットからのそういう人じゃないかなと、私は思いますね自分のこと。
聞いていらっしゃる皆様はどうですかその辺。
でもきっと皆さんどっかの会社とかに所属して、そういう人たちを全部切るとか考えたこともないだろうと思うんですけど、
でも私は全部切って平気です。
全部切っても平気なように、そういうふうに直接労働しなくてもお金が入ってくるような段取り。
直接労働っていうのは時給で働くとかそういうことですよ、どっか出社して何時から何時までそこにいないとお金が入ってこないっていうのは無理。
だからそうやって時間とか場所とかを拘束されるわけじゃないですか、契約で。
それ自体がもうすでに幸せじゃないので、そういう自由、時間とか場所の自由とかを確保した上で、でも生きていきたいというふうに思って、
今もいろいろ模索をしているわけですし、今までの人生でよく言われるのが、教育大を出てて先生の資格を持っているのに、
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なんでちゃんと働かないんですかみたいなことは割と言われたり、何なら子供からも言われたりとかしたんですけど、
資格はね、ただ言われた通り勉強して、大学出たら自動で手に入る資格ですからね、教員免許っていうのは。
単位取ったら取れる資格ですから取りましたっていう、ただそれだけじゃないですか。
運転免許取ったペーパードライバーと同じようなことで、講習受けて合格したらなれるんですっていう。
たまたま私は就職先が見つからなかったのでそのまま学校に就職しましたけど、やってみた結果、自分には向いてないと。
その場所が嫌だと。人間をそうやって朝登校して夕方帰る、それだけなら私もそれ以外の生活面も全部学校が管理しようみたいなとこですからね。
タバコ吸っちゃダメとかね、靴下の長さはこれだけとかね、髪染めたらダメとか、制服の下に赤い服着てちゃダメとか、ものすごい、本当に規則でがんじがらめにして、
そのどれだけがんじがらめにできたかを競うような、そんな場所だったんです、私から見えてた中学校っていうのはね。
私いつも先生のクラスの子はなんかダラダラしてますねとか、服装が乱れてますねとか、テストやっても平均点が他のクラスより低いですねとか、そんなことばっかり言われていたわけで、
そもそも私は子どもを拘束したくないわけですから、なぜなら自分がされるのが嫌だから。
強く拘束して強くプレッシャーをかければそのようになるし、子どもって、大人でもそうだと思うけど、強く拘束して強くプレッシャーをかけなかったらばーっと成績が上がるとかね、
そういうことって起きないわけですよ、普通に。それが昭和のやり方じゃないですか。
営業だってそうじゃないですか。営業を集めて、強くプレッシャーをかけて、そして一番の人二番の人っていうのを表彰していくみたいな、
飴と鞭で追い込まなかったら営業成績なんて上がらないと思うんですけど、同じ仕組みで中学はまるっきりそうでしたので、
私、水耕プランツである私にはまずそのメカニズムがどうしてもちょっと肌に合わない。
どころか教師としてその中にいるとやらされるではなくてやらせる立場になるわけで、二重に罪深いみたいな感じでしたね、私は。
まだ他の人にやれって言われるのはしょうがないよねって。そうだよね、普通って言ってやらないでいるとかサボるとかそういう選択もあるんですけど、
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やらせないといけないんですからね。本当に罪深いわと思って。できなかったですし、当然。
だからもう何かやっても意味のない仕事だったんです、私にとって。
だからそのやっても意味のない仕事をするための資格である教員免許って何の意味もないですね。
今は途中から免許更新が必要になってお金を払って講習を受けて、更新しないと無効になるというわけで、もうとうの昔に無効になっているんですけど、
教員不足で最近、無効になった免許でもまた講習を受けたら復活できるよとかって言ってるらしいですけど、
そんなことを全くどうでもよくて、そもそもやれないことはやらない。
スイコープランツなのにその土の中に人を埋めようみたいな、その土に植えて肥料をやって大きく育てようみたいなことはちょっとね。
してみるとあんまり資格とかも意味がないわけで、結局私がもし自分の人生でミスったことがあるとしたら、
自分がスイコープランツであるっていう自覚を持つのが遅すぎる。
今初めて、60くらいになって初めてそうだよなと思って受け入れることができたんですけど、
これはやっぱり30代くらいの時に受け入れて、そのように生きていったとしたら、
でも当時まだインターネットがなかった時代にそのように生きたら悲惨なことになったとしか思いませんけど、
でもそんな自分だからインターネットが世の中で使えるようになった時に井の一番に飛びついて、
そして何これ楽しいって思ったっていう、当然だよなって。
インターネットは私のためにこのタイミングで世界にリリースされたというくらい、
ネットのある現代、現在においてなぜまたわざわざ土に埋められにいかなくてはいけないのかと、
空中戦がいっぱいできるわけじゃないですか、こうして、声であったり動画であったりあるいは文章だけであったり、
何でもいいけど、そこで生きていく以外に自分の生きる場所なんかどこにもないわと、この世界のどこにも、
というふうにようやく認識できた、ここ最近の話でございますが、遅すぎるよねって話ですね。
本当、今そうですね、40代の時に戻れたとしたら、当時は本当に自信がなくて探り探り、こんなことやっても大丈夫なのかなとか、
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周りにそうやってネットで成功してる人っていうのが全然なかったので、ネットで成功するってどういうことみたいな、
40代ぐらいですと2001年とかあれですけど、2005、6年になってくるとネットで成功するってこんな感じみたいな成功者がイメージできていた。
それに一直線に進む道があったなというふうに今となっては思いますね。
アフリエーターだって何だってできたかもって思いますけど、まあそうは言っても、時間はそうこっちに戻せないので、今から今できることをやっていくっていう中で、
いかなる団体にも取り込まれて土に埋められることがないように、水耕プランツとして、そこは自覚を持って、
なんか来たなと思ったらシュッと避けるとか、そういうこれは生きてきた生活の知恵というか、そういうのを働かせて取り込まれないように生きていかないといけないなと思ったことでございました。
本日は以上です。
お聞きいただきありがとうございました。
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