視覚思考者とのコミュニケーション
こんにちは、自由で楽しい毎日を。IKUKO Laboの金田イクコです。このポッドキャストは私の音声日記です。毎日の暮らしの中で気になったあれこれを気ままにおしゃべりしています。よかったら最後までお聞きください。
こんにちは、IKUKO Laboの金田イクコです。
4月18日ですね、木曜日朝の9時半ぐらいになりました。
今日はちょっと曇り模様なんですけれども、この1週間ですね、月曜から毎日何か用事があって、
その前の日曜日から、いやその前からだ、なんか結構、同日月火水と出かける予定がずっと入っていました。
なので今日は久しぶりにそういった予定がない日になります。
こういう日は後回しにしているいろんな作業をね、進めるべき日なのでありますが、
後回しにする作業っていうのは気が向かない作業なので、めんどくさいなと、どうしようかな、みたいな感じでまったりしております。
今日やらなくちゃいけないなと思っている作業は、あの、昨日お話ししましたかね、新しく始めようとしているプロジェクトがあるんですけど、
そのホームページを作るっていう作業ですね。で、いつものようにワードプレスをインストールするだけなので、そこまではできてるんですけど、
インストールした後ですよ。当然ながらめんどくさいのは。考えなきゃいけないじゃないですか。何を書くとか、
特にこのビジュアルですよね。画像をどういうふうにしようか、みたいなのは本当に悩ましいです。
最近は自分で考えずにキャンバ見て、キャンバのテンプレートを探して、なんかキーワードで探せるんですよ。こんな感じのって、
女性のとか言っとくとなんかそれっぽいやつ出してくれるので、それをそのまま使うっていうことが多いですけど、何にしてもめんどくさいんですね。
もう一個やらなきゃいけないなと思っているのは何だったかな、さっきまで覚えてたんだけど、
めんどくさすぎて後回しにしているうちに忘れちゃうっていうやつですね。
まあね、忘れたら忘れたで、やらなくても別段問題ないことだということですので、
無理にやらなきゃいけないことはないですね。
昨日ね、私ちょっとぼーっとYouTubeをね、見ていたら、ゆる言語学ラジオっていうYouTubeのチャンネルがあるんですね。
そもそもは言語学について熱く語り合うみたいな言語学オタクの男の人2人なんですけど、
この掛け合いが面白くて、私言語学にはさほど興味はないんですけど、掛け合いの面白さでたまに見てたんですね。
ただ昨日見たらたまたま出てたので。
考え事の違い
あのね、言語学の話じゃなくして、なんだったかな。
なんかね、考え事をするときに、人ってどうやって考えてますかっていう話で、どうやってって何がって。
それ聞いてみると、実は言葉を使って考えてる人とそうじゃない人がいるんだっていう話を、
そのゆる言語学ラジオでしてました。
なんかね、そういう本が出ているそうで、その本を読んだらそういうことが書いてあったよっていう話なんですけど、
その言いたいことは、当然考え事は言葉を使ってするでしょっていうのが私の考えたこともない、そうじゃないことがあるなんて。
だから、もうそれを前提にして私は生きているわけなんですけれど、
もうすべて考えるときは言葉で考えるし、だからわけ分かんなくなってきたらノートを開いて、ばーっとその浮かんでる単語を書くんですよ。
この間、大高知直ちゃんとZoomでやったのもまさにそれで、2人でばーっと思ってることを言いながら、
それを直ちゃんがGoogleのスプレッドシートの上から順にばーっと書いてくれるんですね、言葉で。
そうしていくうちに、なんとなくイメージが湧いてきて、こういうことができそうだねっていうふうにまとまっていくんです。
ところが、世の中には考え事が言葉じゃない人がいるっていう。
これ事実らしくて、ちゃんと研究した先生がいるらしいんですよ。
じゃあどうやって考えてるのって言ったら、イメージなんですって。
イメージっていうよりは絵で。絵画?図形?なんかその目に見える感じの絵で考えちゃうっていう人が一定数いるらしいんですよ。
びっくりしませんか?え、どうなんですか?
これは聞いてらっしゃる方の中にも、え、俺絵で考えるけどそれがどうした?っていう人がいるかもしれないですよね。
あの、私がなんでこんなびっくりしてるかっていうとですね、うちの楽室のツトムがですね、もしかしたらというか間違いなく絵で考える人?
絵で考える人のことなんて呼んでたかな。
視覚、思考者だったかな。視覚って目で見る視覚ね。視覚のその目に映るものみたいなもので自分の考えを整理しているみたいな人。
で、私とツトムがどうもうまくコミュニケーションが取れてないっていうのは前からちらちら言ってると思うんですけど、
コミュニケーションが取れてないの感じ?そのすれ違う感じっていうのがまさにそういう感じなんですよ。
一つ例を挙げると、ツトム時々あるんですけど、何かしらの自分が思う良い作品が描けたらしい時に、
それをうちに持ってきて私の目の前に差し出すんですね、その絵を。絵だったり字だったりしますけど、要は作品を。
で、ホラーって言うんです。で、私見ますよね、その絵を。そうすると、いつも描いているような作品があるわけですよ。
で、私にとっても情報はそこで止まるので、何を見たらいいのかなですよね。
前に見た絵とどこが違うかよくわかんないし、前に見た絵も覚えてないし、もちろん。
このホラーって見せられた絵から私が何を読み取ったらいいのかがわからないんですね。
何を読み取らせたくてこれを見せてくるのかが全くわからないんですよ。
で、褒めてほしいのかな。いいねって言ってほしいのかなっていうような程度なんですけど、何を褒めたらいいかもわからないし、だっていつも描いているものとの違いがわからないので。
それはね、猫が犬になったとかそういうのはわかりますけど、そもそも何描いてあるかにも興味がないので、うんみたいな。
好みはありますよ。私好みの色だなとか、かわいいなとか、今日のやつは好きとか、ありますけど、ホラーって見せてくるには何か意図があるに違いないんですけど、全くつかめないんですね、その意図が。
で、なんか変な返事をやっぱりしますよね。うーんみたいな。で?って。つい聞き返しちゃう。何を言いたいの?って聞き返しちゃう。
そうなんですけど、本人は言えないんですよね。うーんみたいな。多分ですけど、言葉で言えないからその絵を見せてると思われるんですが、私はその絵から何を読み取ったらいいかがわからないので、うーんみたいになるっていう。
おかしい、どうしてこんな風なのかなって、ずっと思ってた。いつも絵を見せてくれるわけじゃなくて、違うんですけど、話をしてても本当に噛み合わないことが多いので、主には私が言ってることを、多分この人全然把握してないな、理解してないな、
私が言ってるその中身を頭の中に思い浮かべられていないなっていうのは話しててもわかるんですね。だから言っても無駄だから言わんとこみたいになってて、私の中で一人で考えて、こうするって、こうしようって決めたことだけ伝えて、これこれをこういう風にしたいからこういうものを作ってって言うと作ってくれるんですよ。
でも私が求めているのはそこの前の段階で、こういうことした方がいいのかな、それとも別のアイディアがあるのかな、ABCって3つ考えられるけどどれがいいかなっていう自分の中で迷っている部分を相談に乗ってほしいというか一緒に考えてほしいんですよね。
ところが一切それができないんです。だからこの人って何も考えていないのかなって、私からするとそういう風に思えて、だって現実は本当にその人を目の前に置いて私が喋っても本人は何にも言わない、うーんって、うーんって言ってて最後にいいんじゃないって言うんですよ。
これだったら別にいてくれなくていいわけです。私一人で考えるから。壁打ちって言いますよね、よくアイディアをポンポン投げ合って。壁打ちにすらならないんですよ、もう帰ってこないから。
もう優遇式自体だと思って。だから要は今ある楽室のあり方とかも、こんなコースがあってこんな内容でこれを受けた人は講師の資格が取れてとか、それを受け終わった人が始めた時にはこういうものを受けてもらったらとかっていういろんなコースがあったりするんです。
そしてそれぞれのコースの中には動画があって、いくつぐらいの内容、こんな内容の動画がいるよねとかってやっぱり物事って成し遂げようと思ったらその段取りとか準備しなきゃいけないものとか、あと何をどういうふうにやっていくのかっていうことを決めるとかが必要じゃないですか。
ただ筆持ってそこに立ってたらお客さんが来るわけじゃないので、そのそこにお客さん、生徒さんに出会って出会った生徒さんがちゃんと履修してくれるまでのやってもらわなきゃいけないこととかをすべて用意しなきゃいけないですよね、当然。
プラスそれを広告宣伝するっていうことになっていくんですけど、その一切の作業に彼が主体的に携わることができないんですね。だってわかんないから、うーんって言ってるだけだから。実際に授業になったらそれはうまいことできるんです、素晴らしく。
ビジュアルシンカーの存在
で、なんでだろうっていうのが私の中でものすっごい疑問だったんですね。疑問っていうよりももう解けないから、解けない謎だから諦めていたし、まあなんなら不満に思ってましたよ。なんでこんなんなんだろうって。なんでもうちょっと考えてくれないんだろうって。
ところが、もしも人間には言語で思考する人と視覚で思考する、考える人がいるんだとして、彼が視覚思考者だったとしたら、私が言ってることが全くわからない理由もわかるし、だって抽象的な話っていうか未来の話ですからね。
これをああしたらどうなるだろうっていうのは、空想の力、空想する力がないとできないんですよ。だって目の前にそのものがないから。ないものを作っていくから。でも一旦できたらものすごく理解して、それをやることはできるんですね。
で、それが視覚、見えるビジュアルで考え事を彼がしているのだとしたら、まあ先のこととかは考えられないだろうし、今のこと、どんな絵を描こうということしか考えられないだろうなって思ったし、他の人たちが言ってることもあんまり興味がなかったりとか、だって理解できないっていうか、
頭の中に想像ができないので、人の言ってる抽象的な話がね。で、どうなのって思ってて、なんで人の言ってることがわかんないなんてバカなのって思ってたんですけど、バカって言うよりも考える方法が違いすぎて理解ができないんだとしたらどうしたらいいだろうって。
本当にね、この私の拙い喋りで伝わってるかどうかわかんないんですけど、この人はやる気がないんだとか能力がないんだって思ってたことが、実はそういう脳の仕組みの違いみたいなやつかな、言ってみたら。
だったとしたら、おっとちょっと待ったって感じなんですよね。じゃあそんな、そんな脳の使い方をして考える人なのだとしたら、それをもうしょうがない、最大限利用してお金を稼いでいただくとかしかないよねっていうか、もっと利用の仕方があるよねって。
活用か、利用って言うとなんかね、こっちだけが旨味がある感じがしますけど、もっと活用の仕方があるよねっていうことですわ。
で、それに気づいたのが昨日で、ああびっくりしたみたいな話です。そんなことあるって思ってないから私にも見えないんですよね。
だいたいあると思ってないものって見えないから、人がその話してても聞こえないしって、そういうもんらしいんですけど、要するに盲点ですよね。ストコーマってトンマベチ先生は言うんですけど、それだーっていう。ああびっくりしたって思いました。
で、まあね、本を買うほどでもないので、その元ネタの本ですね。図書館で予約をしましたが、ちょっとちらっと読んでみて、でも証拠があろうがなかろうが、実際絶対そうだわって思い当たる節がいっぱいあるので、
でも私が勝手に誤解して、全ての人は言葉で思考してるって考えてると思うから、話せばわかるだろうって。で、全ての情報は本とかインターネットにあるわけだから、それ読んだらわかるでしょって。
なんで読まないのって思ってたんです。ところが、読んでもわからないっていう人が言葉をね、いるっていうことがわかった今となっては、うーん、そうだったのかって感じですよね。
新たな視点と課題
いろいろ思い当たる。この間うちから作ってた、私のホームページの作り方を解説した動画がね、最後まで見れなかったり、見てもそれができなかったりする人が結構いるんですけど、言ってることがわからないんですね。
言葉が、言葉の意味が。ああ、そうかと思って、できない人にはできないことなんだなって。要は、みんな私に聞いてくるじゃん、なんかいろいろ。私はググるじゃん。で、ググって出てきたものを読んで、その人に伝えるわけね。
人間ググりマシーンですか、みたいな、ふうに私は思うんですけど、世の中の多くの人は私ほど早く文章が読めないんだなって。私、読むことだけ異常に早いので、俗に言うなんとかリーディングってやつに近いのかもしれないけど、文字列がバーッと並んでパッと見て、必要な情報がどこに書いてあるか分かる、見つけれるんですよ。
間違い発見マシーンみたいに、間違いじゃなくて、大事な、探してるキーワードね、関係ありそうなことがどの辺に書いてあるかなっていうのをパッと見つけれるので、飛ばしてそこだけ読むわけですよ。
必要そうだったら戻ってきて前の方を読むんですね。そういうふうに視線が行ったり来たりするんですよ、実は本を読んでいるとき。でも多くの人は文章の行をちゃんと縦書きだったら右上から順番に上から下へ読んでいきますよね。
私逆にそれができなくて、音読のときはできますけど、目読、目だけで読んでいるときは本当にそんなもうまどろっこしくて絶対できないんですよ、一時一時読んでいくっていうことが。バーッと見て、それから必要なとこを読んでいくっていう感じなんです。
だから気が付くと飛ばし飛ばし読んじゃってて、後で何の話だったって言われて、え?みたいになることがあるんですけど、でも自分の知りたいことだけはそこで見つけちゃうので、見つけたらもうよしってなっちゃうっていう感じなんですね。
まさにGoogleことに特化した能力みたいな風になっていて、でも別に楽しいわけじゃないので、そうやってわからないことを調べているのって、なんでみんな私にそれ聞くのかなと思ってたんですよ。自分で調べればいいじゃん、自分で読めばいいじゃんって。読めない人がいたんだということが非常に驚きでした。
なんで私の周りにそういう質問が多いのかって言ったら、当然ながら読める人は自分で読んで解決してるからですよね。ビンゴって感じじゃないですか。そうじゃない人が情報が手に入らなくて困ってるから、ちょっとしたきっかけで私に質問してくるっていうことですね。
そうなのであればもう理解できる。どうしてこんなことになっているのかが。なるほどと。じゃあ何?書いてあることを要約して教えてあげるだけで、それがビジネスになるのって言ったらイエスですよね。
私たち言語志向者にとっては何言ってるの。書いてあることを要約して教えてくれるなんて、今時AIでチャットGPTでも無料で、他にもいろいろあるのでAIで、無料で自分でそれ打ち込んで、ボンとボタンを押したら要約がボンと出てくるじゃん、それ読めばいいじゃんって思うんですけど。
でも読めない人がいるんですね。読めない人はGoogleもできないしAIに聞くこともできないんですよね。言葉で思考してないから、自分の知りたいことわからないことを言葉に変換することが非常に難しいんですよね。そういうことですよね。
だからGoogleもできないし、それからAIの質問するところにさ、それを打ち込むこともできない。キーボードが使えないんじゃないんです。自分の聞きたいことを言葉に変換することが苦手なんですよね。苦手だったりとか、うまく変換できないから違うこと尋ねちゃうみたいな。そういうことですよね。
そりゃそうですわ。そりゃGoogleれませんわ。Googleってもちゃんとした情報出ませんし、出てきた情報をまた読まないかっていう言葉で。その言葉を認識するのにも時間がかかるから、そりゃやりたくないよねって。
で、いくちゃん教えてになるし、なんならいくちゃんやってになりますね。で、うちのツトムがなんかあると、もうiPadごと私の前に持ってきて差し出すんです。うまくできなくてさって言うんですよ。何がって。何をしようとしてて、どこまでやったらどうなったのってこと。私聞かなきゃわからないじゃないですか。
まずそれを聞くのにひと手間かかり、そして結局、なんか言ってもわかんないから私がやるってなるんですけど、本当にね、本当にこの人バカなのかなって思ってたんですけど、
言語思考的にはもうバカだとしても、そうじゃないやり方で考え事をしているのだとしたら、それは有識問題だなと思いました。
こんな手間のかかる、この社会に適応できない人を、要は世話をするみたいな感じにしかなりようがないなと思う反面、でもきっとそういう人もいるんだろうし、他にもね、一定数。
そういう人たち同士の中では、この絵だけで会話が通じているのかもしれないっていう、そういう可能性。この絵を見せるだけで何か言いたいことが伝わるのかもしれない。同じような人たち同士だったら。いやー、これはちょっと不思議だな。
私から見るとテレパシーで会話している人みたいなもんですよ、それ。だって全然わかんないんだもん、絵見ても。何が言いたいか。びっくりする話じゃないですか。そういうわけで、びっくりしたよっていう話をしていますが、
本当ちょっと認識が本当に私180度ひっくり返っちゃったので、今まで考えてたやり方っていうのがちょっと間違ってたかもしれない、根本から。ちょっともう一回考え直さなきゃって思っているところです。
まあね、具体的にどうしたらいいかわかんないんですけどね。だって私にはわかんないからさ、そんな頭考え、視覚を使って考えるなんていうことは本当に想像もできない。どんな状況なのか。だからどう利用したらいいかもわかんないですけど、でも何かあるってことがわかっただけでも、ちょっと次のステップに行くのに風穴が開くかなって感じです。
ほんで、そういうわけでやばいと、えーって自分の思ってた前提がガラッと崩れたので、これはやばいって、これからちょっともう一回立て直していきたいって思ったんですね。言語志向者ですので、機陣と言葉にして、これをこうしてこういうふうに言って思いたいんです。
目標設定シートの書き直し
で、今年は今年の目標なんかもう立てないとか言って、適当にザクッとしたことが書いてある目標設定シートっていうのが一応あるんですけど、以前はこれをこうする、これをこうする、これをこうするとかね、3つの柱とか言ってやってたんですけど、めんどくさいし、今年は何もしんとか言って、そのシートを開いて、いやいや新しい、私もちょっと目標立てようと思って、
いきなりやる気出して目標シートを書き直しましたよ、っていうか新しい目標を隣にビャーンって書いて矢印書いて、これはこれに変わりますみたいな。
で、新しい目標はですね、もうね、今までみたいにお金をいくら稼ぐとか、何々をどうするとか、そういう具体的な話はやめ、もう全部やめ。で、抽象的だけど理想的なこと、自分が今求めてる、それを一つバーンと書くのに留めました。
ちょっと読むと、2024年後半のテーマ、向かっていく気合のある人たちと出会い、新たなチャレンジを始める、っていうのが目標です。
本当にね、火曜日の夜に、あのズームで大小路直美ちゃんの主催の交流会に出たんですが、もうそこに来ていた人たちの気合の入り方がすごすぎて、みんな理想が高くて、本当に目先の自分のことごちゃごちゃ言ってないんですよ。
本当に日本を良くしたいとか、もう壮大すぎて私にはピンとこないぐらいなんですけど、本気でそういうことを言っている人たちに、10人ぐらいと一緒に1時間半、ズーム越しだけど過ごしたら、自分小さかったなと思って、私がやろうとしていることもそれは人助けになったりとか、一人一人をね、ウェブ作れない、ホームページ作れない人が自分で作れるようになったらいいなとか、
そんなような小さい話なんで、私はもうそういうことだけ一人一人、人から人へってやっていけばいいと思ってるんですけど、これもでもひいては一人の人が幸せになると、その周りの人にも幸せが伝播していくわけで、最終的には日本が良くなるとか世界が良くなるとかっていうことに、小石を池に投げ込んだらみたいな波紋が広がってみたいな感じでね。
で、私もその、私が投げ込んだ小石の先の先の先の先までイメージしたっていいはずだし、そういう高い資産っていうのがないと、結局は目の前の小さなことに翻弄されて、ああやっぱりダメだったとか、きっとやってもダメだからやめとこうとかって話になるわけ。
もう2つ3つ飛び越えた先の、日本全体の女の人たち、特に50代以上の人たちが生き生きして、自分がやりたいと思うことをのびのびとやって、成功する失敗するに関わらずチャレンジして、それを自分も楽しむし、周りの人もそれを別に何とも思わずに、ああそうなんだねって受け入れる。
そういう社会ができたら、これが一番いいし、あのもう息苦しくてたまらないので、あのみんながね、その忖度し合ってね、やりたいことをやらないどころか、言いたいことさえも言えずに忖度してじっとしてるみたいなこの硬着状態で、それこそ日本が良くなるはずなんかないし。
この硬着状態、この生きづらさが結局は周り回って少子化につながってるんだと私ははっきり言って思いますし、子供を産むのがしんどいし、産むだけなら産むんでしょうけどみんな、もう一生それを育てないといけないっていう、その重みを誰が背負うんですかっていうことになっちゃってて。
産んだ限りは女の人は背負わないといけないのはもう明らかなので、それを支えようっていう男性一人にそれをね、追っつけてももう今時の男の人ね、そんな持ちこたえられないし、どうなりますかっていう。
結局はみんなが思ってることを口に出して言うっていうところから始めない限り何にも変わらないと思うので、いきなり私もやる気を出しましたけれども、そんなわけで今年は資座を高く持って頑張っていきたいと思っているというところでございます。
はい、お聞きいただきありがとうございます。本日は以上です。