2024年の振り返り
IKUKO Labo ワンダーランド
こんにちは、IKUKO Laboの金田イクコです。
2005年が明けました。
1月6日月曜日の午前10時55分に収録を始めました。
なんか今日は、正月明けてから結構ずっとね、天気良かったんですけど、
今日はどんより曇ってて、うちの地方では雨的な感じです。
もう少し北の地方では雪なのかなっていう、そんなお天気ですかね。
それで、6日ということで仕事も始まっていて、それで今一人で家の中でいるので、
こうして収録をしているんですけれども、
あの、そうですね、2024年をずっと総括していて、
前回までの配信では何回か続けてそういう話をしたんじゃないかなと思うんですけど、
今年はどんな年だったよ、みたいな。
で、年明けましたしね、内心思ってたけど、
ちょっと口に出すのはどうかなと思って言えなかったようなことをズバッと言うと、
去年はダンスに時間と労力を継ぎ込み過ぎでしたね、はっきり言って。
本当にダンスってやってる人によって全然違うんで、
自分にぴったりくるところがあるならそれはいいんですけど、
なんやかんやと、なんて言ったらいいのかな、
自分のフィーリングにぴったりだなって思うところはなかなか見つからないっていうところです。
でも私、練習してる身なので、
そんな自分のフィーリングとか言ってる前に、
ちゃんと先生が教えた振りができるようになって、
ちゃんと1曲最後まで踊れてなんぼだと思っているので、
一生懸命練習はしたし、
この先生の振り付けがどうなったとか、選曲がどうなったとか、
そういうことは二の次というか置いといて、
こういうダンスを私はやりたいんだろうか、みたいなことも若干置いといて、
とりあえずはやるんだっていう1年間を去年過ごしたんですけれども、
さすがに年末までやってみると、
こういう方向性は違うなみたいな、そういうことも見えてくるし、
せっかくやるんだったらこうじゃなくてこうがいいなとかって見えてくるので、
今年も引き続き練習というか修行というか、
自分の柱の見直し
自分のやったことのない動きを練習させてもらいに行く場として、
今やっているレッスンは引き続き続けるだろうと思いますが、
それ以上の、何ていうのかな、去年は本当にやみくもに、
とにかくスケジュールさえ空いていれば全部詰めるぐらい、
感じで何でもイエスと言ってやってましたので、
それはさすがに今年はないなと。
去年について言えばですよ、
私だいたい年の初めに自分のこの活動を3つの柱に分けて、
3種類に分類するっていうんですかね。
そのイクコラボとしての活動を1つしたら、
もう1つは例えばYouTubeの朗読とか、
その内容は都度都度変わるんですけど、
その柱の1つにダンスって書いてて、
去年も書いてたしその前の年も書いてたはず。
ここ2、3年自分の柱の1つにダンスっていう位置付けて、
自分なりには課題意識を持ってっていうのかな、
目的、目標を持って取り組むべきものだから取り組むんだみたいに、
義務みたいな感じでしなければいけないこととしても組み込んじゃってて、
だから深く考えることなく粛々と来たスケジュールをこなすみたいにしてたし、
その途中で自主練自分でやるんだとか、
1人で練習するってこういう感じなんだとか、
自主練をこなしてやっていくと本番の時にとても楽だとか、
ここまではできる、ここからはできないみたいなのが分かってきたし、
そういう意味で去年1年は自分なりに成長はあったと思うんですけれども、
年末考えていたのは、
いやしかしこのダンスを自分の3つの柱の1つに組み込む必要があるんだろうかっていうことですよ。
そこまでの重要度を与えるべき?って、
必要?って。
結論が出ないまま年末年始をだらだらと過ごして、
その間本当に練習もしないって決めていたし、
ダンス動画を見て研究もしない、そのこと考えないっていうふうにしていった結果、
年が明けてしばらくしたら、
全然必要ないわって。
自分がやりたいことっていうのはあるんですけど、
だからといって次々といろんな先生を追いかけてバトルに出て、
っていう方向性では全くないっていうことがもうはっきりしましたね。
1つの柱じゃなくて、何て言うんだろう、趣味?
自分がこうこれからずっと時間をかけて、
こう極めていけたらいいなぁみたいな、
そういう一筋の希望みたいなものでいい。
十分だって。
いろんなワークショップに行っても、
本当にその1時間2時間のものが吸収できないんだったら行っても無駄だし、
その1時間2時間を自主練に当てた方がもしかしたらいいのかもしれないじゃないですか。
要するにインプット多すぎても消化できない。
だったら要するに自分に合ったペースっていうのかな。
それでさせてもらおうっていうふうにもう気持ち決まってました。
今年のその3つの柱的なものも、
今年も一応用意はしてるんですけど、
柱に3本の柱にするんだっていうこと自体が、
もうすでにいらないなって思うようになっていて、
全ては1つの柱で説明がつくし、
やっていけるわと思いましたね。
この3本の柱っていうのはちょっと違和感があるんですけど、
何かを突破していかないといけないけど、
どうしても何からしていいか分からなかったり、
うまく立ち上がらないっていう時に、
そのことを3つの方向性に分けて考えると動き出すよっていう、
そういうメソッドだったんですよね。
これを私は20年か25年くらいやってて、
それなりに実際に効果は感じられるんですけど、
1つ弊害があるとしたら柔軟性に欠けますね。
自分で決めることなんで、
3つの柱これこれこれって一旦決めると、
何かやらなきゃいけないような感じになっていってしまうんですね。
でも本当の気持ちはそうじゃない場合もあるっていうか、
便宜的にそういうふうに3つに分けてるけど、
やりたい時もあればやりたくない時もありますよね。
その辺柔軟に対応していかないと、
これからの時代、2025年以降ですよね。
いろんなことにそんな風に形外化してる形式、
これを決めたんだからやるんだみたいに、
ずっと言ってても、
うまいことすり抜けていけないような気がしたんです。
何をすり抜けるんだろうっていうことですけど、
でも多分状況がとても流動的にどんどん変化していく時期に来ていると思うので、
その瞬間その瞬間で自分の対応を変えていくぐらいの、
軽いスタンスにいないと乗り切れないような気がして、
せっかく来ている新しい波に。
ですので今年は3本の柱を立てること自体をもうやめてしまっています。
新たなスタンスへの移行
また何かそういうものが必要だなと思う局面が来たら、
その時に考えればいいじゃない。
年が明けたとか、小読み状の1日が過ぎ、
新しい1日が来たからといって、
だからといって3本の柱を入れ替えたりしなきゃいけないという、
その小読みに私を合わせるという、
そのこと自体がすでにあんまり意味がなくなっているかなと感じています。
逆ですね。
私に計画が合わせる。
私がやりたいことに合わせた計画を立てるのであって、
私が立てた計画に私が合わせていくという時代は終わったんだなというふうに思いました。
でもそうやってその瞬間瞬間の波に乗っていくということがすなわち、
そういうダンスでゾーンに入ったりとか、
それもそういうことなんですよ。
その瞬間に乗るっていうことなので、
そうしたらもう段取りとかそういうことあんまりないほうが自由にできるし、
お仕事に関しても、
当然仕事の面はそうやって3つの柱に分けてずっと、
今年は楽室をこうするって言ったらもう粛々と楽室のことをやったりとかして今まで来てるんですけれども、
楽しい時と楽しくない時とやっぱりあるわけなので、
臨機応変はこれやりたい、これやらなきゃ、今やった方がいいと思ったらやるし、
そうじゃない時は完全に忘れ果てているで全然いいんじゃないかなと思います。
楽室にしても枠ビズにしても、
やった人の利益になる、やった人が幸せになるっていうプログラムであるっていう意味では一緒なので、
それをやるやらないは本当のこと言って相手の自由、
ただ知っていてやらないんだったらいいんですけど、
まず知らない、そういうものがあるということ。
だから知っていただくための努力というか、
働きかけはこちら側の義務だとは思いますけれども、
だからといってそれに私の人生を注ぎ込んで消耗させていくっていうのは本末転倒です。
そうじゃないですか、私の人生っていうものがあって、
その中でできるいろんな活動があって、
その一つがダンスだったり枠ビズだったり楽室だったり、あるいはまた新しく始まっていくかもしれない何かといろいろある中で、
これ何ですかって言ったら私が自分の人生の中で楽しんでいるプロジェクトでしかないわけ。
だから楽室に私がやりたくない時でも必死になってコミットして、
自分の人生時間をすり減らしてやらなきゃいけないって言うんだったら、それは害悪でしかないし、
そもそも私が幸せになっていないんだから、受講した人が幸せだろうがどうだろうがそれ以前に、
私が幸せじゃないっていう時点でもそれはやる価値がない活動だと言うことですよね。
そういう自分目線というか自分基準でやることを選ぶっていうことを多分去年1年で容量をつかんだというか、
こうやってやるのかみたいにちょっとつかんだかなっていう感じなので、
だから何が何でもダンスだったら全部やるとかそういうのもおかしな話だなって思って、
今年は変えていこうと思っています。
多分あんまりいろんなことをやらない年に、努力をしない年になるだろうし、
本当に無理矢理やっていた面も多いですね。
こういう世話係的なやつ、イベントの主催をするとか、運営に回るとか、
本当にそこをやりたいか、やってめっちゃ楽しいかとか、
あるいはすごく何かのメリットがあるかって言ったらないわけなんで、
ただこの局面で私がやらなかったらこれ立ち上がらないだろうなって、起きないだろうなっていう、
そういうのを目の当たりにした時に、ちょっと力を貸しておこうかみたいな。
みんな1回やったら2回目からはできるんですよ、自分たちで、私いなくても。
そういう意味で1回目だけ関わるって私も癖というかパターンなんですけど、
それはそれでよかったですけど、この状況は何に似てるかというと、
あれ何年だろう、2010年?
2010年までの何年間か、ずっとワードプレスの勉強会を小さな勉強会を粛々とやっていて、
ワードプレス以外もウェブに関する勉強会をちょくちょくやっている2、3年があって、
最後に2010年にワードキャンプっていう大きな、大きなって言っても当時200人ぐらいかな集客したイベントがやったんですけど、
その時の感じとすごい今の気持ちとよく似てて、なんか飽きちゃったっていうか、
思うほどのメリットがないんですよね、私にね。
ただやったっていう満足感、自分ができるかなと思ったことが実際にできたっていうその満足感はあったんですが、
それで十分だったんで、これを何回も続けていくとかってもう考えられないっていう、
その時の感じと今の感じとすごいよく似てて、これはどうなるのかって言ったらやっぱり一つ、
自分の中でのこの時代感が一個歯車がギーって回る時にそういう風になりがちだなと思います。
私は活動をやめたのでそのワードプレスの時、それまで親しくしていた人たちとも疎遠になりましたし、
疎遠になってどうなったかっていうと、私はネットショップを自分で作り始めてゴリゴリやってたんで、
そっちのネットショップの関係者、やってる人たちと新たに出会って、
即興性の重要性
そこでまた勉強会をやっていくみたいなことになってて、やってることは大体一緒なんですけど、
この中身がすごく変わるっていう局面が2010年にあったんですね。
同じような感じが今するので、多分そんな感じで変わるけど、前ほど劇的には全部切って全部変えるとかそうはならないはず。
でもうっすらとなっていくはず、去年までしていたことは。
そう、だってやっちゃったもん、私。やろうと思ったことを。
一回やったらそれで経験したってことになるので、もう終わってるんですよね。
すごいプロジェクト単位でしか物をやらない人間なんで、一回やったことはもういいっていうほどなんですよ。
今年のテーマとしては、やっぱりそういう即興性みたいなやつ。
あらかじめ決めておくんじゃなくて、その場で即興で動く。
ダンスでもそうだし、多分他のこと、あらゆる活動そうだと思うんですけど、
そういう即興で何かをするとか、そういうことを大事にするとか、
あらかじめ計画を立てておかないっていうことによって、新しい出会いとか、新しいプロジェクトと出会うとか、
奇跡のような出会うはずのない人と出会っちゃうとか、そういうことが起きてくる年だろうなと思うので、
逆に言うと今までやっていたことを引きずっていると、そういう新しい出会いがあったときにポンと飛び込めないっていう、
エネルギー的なことだと思うんですけど、多分波動みたいなもの。
高い低いとはまた違って、他の新しいものっていうのは新しい、今までと違う周波数の波動を持っているので、
そこに関わる、ジョインしようと思うと自分の波動も少し変わるんですよね。
そうすると今まで一緒につるんでた人たちと波動が合わなくなってくるっていうのは本当によくあることで、
どっちが良いとか悪いの問題じゃなくて、違う波動になってくっていう、ただそれだけなんですけど、
やっぱり前のやってたことに未練があると、どうしても新しい波動に合わないってなってくんで、
だから新しいものが来たとて、いつもいつもそこに飛び込めるわけではないんですね。
ただ2025年という年には、新しい何かが始まる年だというふうに感じているので、
逆に言うと2024年以前のやっていた活動からは少し距離を取るというか、関係性が薄まるのを放置するというか、
そういうのはしょうがないですよね。言っている時点で関係性が薄まっているからこんなことを思うわけなので、
関係性の変化
これからそうしようじゃなくて、既に薄まっているという、去年やっていたことたちからね、そう思います。
いろいろ、ダンスについても、うすうす、この先生とはノリが違うなって、どうしてもなんか溝を感じるなって、
私がそんなふうに思っちゃいけないと思って、ついていこうみたいに思っていてもやっぱりなんかノリが合わないよなってあるじゃないですか、そういうの。
向こうの作っている壁かもしれないんですけど、それはこちらからの努力で壁を越えるというか、
溝が埋まるようにしないとなって思って何年もいるっていう場合も、
もはや私が努力して埋めなきゃいけないような溝なら、もうその溝を埋める必要もない。
溝を埋めなくても勝手にジョインできるところがきっとある。
私の感性にぴったりのそういう居場所がきっとあると信じて、変わっていくってことを恐れずに、
自然体でというかね、自分に合わないまま無理やり追いかけるっていうことをやめないといけないなって。
やめてもいいかなって思ってるってことです。
とてもとても抽象的なので何の話かわからないと思いますけど、
いろんなダンスなんか特に本当に行くところ行くところで先生ごとに、またはそのメンバーさんごとの色があるので、
必ずしも自分にぴったり合うなんてことはないに決まってるんですけど、
その中でも許容範囲みたいなところギリギリどうするみたいなのはあります。
ただ私がまだ少しでもちょっとチャレンジしたいという気持ちがある間は通い続けると思うんですけれども、
だからといって無理にそこの色に自分も染まろうってするのはもう無理だなと思いましたので、
これでだんだん縁が切れていくんだったらそれでしょうがないと思ったりしています。
今ダンスの話をしてたんですけど、多分他のもの、お仕事的なやつとか、
あと普通にお友達関係とか全部同じだと思うんですよ。
私が無理に合わせてその人たちに、自分のある部分いないふりして、
その人たちがOKっていう部分だけで無理にお付き合いをしているっていうところが非常に多いんですけど、
そういうところも自然に私が努力をやめたら、合わせる努力をやめたら、
そのまま本当に葉っぱが枯れて木から落ちるみたいにポロリと私が無理やりやめるとかしなくても、
自然と縁って切れていくんじゃないかなと本当に思っています。
なのでこれをある一つの話だけじゃなくて、
私が生きているこの生活全体をそういうスタンスでやり始めたら、いろんなものが落ちていくはずで、
私が維持する努力をやめるということですよね。
仲良くし続ける努力とかをやめたら、それで消えていくっていう関係性もかなりあるんじゃないかなって思っていますので、
私からすると関係性はたぶんすごいすっきりするだろうと思うし、
外から見たときに、あの人最近見ないねとか、消えたねみたいに言われることも起きてくるんじゃないかなと思っておりますが、
消えたねって言ってる人たちをこっちから見ると消えてるわけなんで、
お付き合いする必要がない人たちだったんだっていう。ただそういうことですよね。
人生の整理
こういうことってありますよ。
私結構こういうお別れするプロなので、古くは幼稚園の年長さんの時から何回繰り返したかわかんない。
引っ越しですね。引っ越しによる転園、転校を再現なく繰り返して10代を過ごしたので、周り中の知り合いがゼロに何度もリセットされるんですけど、
それでもちゃんと生きていけるってわかって10代の頃にすでに身についているので、
大人になった今でもそれはめんどくさいんで人間関係ってゼロから作るとか、
今あるものをそのまま生かせたらそれが一番いいんですけど、それでも維持するのに無駄な気を使うとか、
退屈なのにわかってるふりしてニコニコして話を聞くとか、そんな努力が必要なのであればマイナスなので、
これからどんどん落としていくんだろうなっていうふうに思っているということです。
年明け一発目のポッドキャストにしてはまあ後ろ向きな話ですけど、
でも、無駄なものは置いていくってやっぱり前に進むにあたって大事なことですよね。
これは物質界でこれを言ってるのがコンマリーメソッドですよね。
多分物を整理しましょうみたいなやつ、お別れをして今までありがとうねって言って捨てましょうって話でしょ。
それを人間関係とかに目に見えない関係性で行う断捨離が私が今言ってるやつですので、いいことですよ絶対。
やっぱり人生時間有限だし、いつも言ってますけど、今年私がだから65歳になる年なんですよね。
ってことは、やっぱり時間が一番貴重で、時間ってどうなってるかって言ったらそういう気苦労みたいなものをして、
努力っていうか報われない努力みたいな、そういうものを何年もしていて成果が出ないっていうことがあるなら、
まあさよならしてもいいんじゃないかなって、それはどんなことであれ。
これを新年の宣言として一応アップしておきますけれども、こんなこと喋ったこともきっと忘れちゃうんでしょうけど、
でもきっと今年の年末、2025年の年末には私いろんなものを整理して処分して、新しい立ち位置に立ってるんじゃないかなっていう、そんな予感がしております。
はい、本日は以上です。