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『ドゥブロヴニクの旧市街』

1979年登録、文化遺産、保有国:クロアチア

登録基準:(ⅰ)(ⅲ)(ⅳ)


-出演者-

◇かな恵(世界遺産アカデミー認定講師、世界遺産検定マイスター) 

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◇あけひとみ(世界遺産アカデミー認定講師、世界遺産検定マイスター)

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◇ミド(世界遺産アカデミー認定講師、世界遺産検定マイスター) 

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サマリー

今回は、デブロブニクの旧市街についてお話します。デブロブニクはクロアチアの世界遺産であり、海上都市として栄えている歴史的な街です。魔女宅のモデルとしても知られています。デブロブニクの魅力をご紹介します。デブロブニクの旧市街は、城壁に囲まれた美しいリゾート地であり、ヨーロッパの歴史や文化に触れることができます。感染症の歴史や現在の社会の動向についても考えさせられます。

デブロブニクの魅力と位置
みなさん、こんにちは。行きたくなる世界遺産です。この番組は、学校の教科書や旅行雑誌には載っていない、世界遺産の魅力について楽しく迫っちゃおうという番組です。
そして、みなさんのお耳の音申します。世界遺産プランニングチームパスワードから、世界遺産検定マイスターのみどです。
かなえです。あけひとみです。
はい、ということで、今回は、かなえさんから。
そうです。
どこの世界遺産ですか?
もう作得いいですか?
何か喋りたかったですか?
アメリカかな?
アメリカ、そうですね。
当てる感じですか?
いやいや、当てない。
すごい急に来たから、びっくりしてしまって。
アメリカの時は、すごい長丁場だったから、前半。
何か話したいことないですか?
ないです。
早いな。
にじみ出るものなんで。
では行きたいと思います。
今日ご紹介する世界遺産は、クロアチアの世界遺産です。
クロアチア。初かな。
私がご紹介するのは、デブロブニクの旧市街です。
いいね。行きたい。
行きたいよ、ここは。
魔女宅の。
魔女宅、そうですね。
魔女の宅急便とか、紅の豚とかのモデルになってるとも言われるような。
あと、洋画とかでもロケ地になってたりとか。
どこかしらで見たことあるんじゃないかなって思いますけども。
きっとこのエピソードのサムネには、みんながイメージしてるあの画像になってると思うんですけど。
高いところから見た。
めっちゃ綺麗ですよね。
綺麗。
最近やっぱ、まだまだ暖かくならない。収録してるのは今、2月ですかね。
2月で結構ね、寒い時期があったと思うんですけども。
雨が降って。
その日に撮っております。
そうなんですよね。なので、ちょっと暖かいところを想像してしまいがちなんですよね、そういう時って。
なので、今日デブロブニクを持ってきたんです。
デブロブニクは暖かいところなんですか?
寒くもなりそうですけどね。
でも、なんか風景見せると暖かくなるんで。
ちょっとそういうね、リゾート地っぽいところを今日は拾ってきました。
なるほど。
いやー、楽しみですね。
最高。
ということで、紹介していきたいと思うんですけれども、デブロブニクは、クロアチアの南部に、南のほうにあります。
で、アドリア海に面している、小さな港町になるんですけど、
ここまで行くためには、もちろん飛行機使うんですが、
日本からだと、定期で直行便っていうのが出てないみたいなんですね。
なので、ヨーロッパの主要都市で乗り継いで、クロアチアにザグレブっていうのかな、まで行く必要があります。
で、ヨーロッパは、パリだったり、ワルシャワだったり、あとイスタンベルとかもね、乗り継い便が出てきたんですけど、
だいたいトータルで15時間くらいかけて、クロアチアまで行きます。
ちょっと遠いですけど、
でも、直行がなかったとしたら、そんなもんじゃないですかね。
そうですかね。
うん。
確かに。
で、クロアチアの空港に着きます。
で、着いたら、またさらに510キロ先に、デブロブニクがあるんですね。
遠いな。
510キロ!?
510キロって、どれくらいですか?
だって、時速100キロで5時間かかったよ。
やばいよね。
やばいですね。
そうなんですよ。
やばいですね。
だから、そこから国内線に乗り換えて、飛行機で行く人もいれば、電車を使ったりとか、バスを使ったりとか、いろんな交通手段があるので、時間は様々なんですけど、ちょっとデブロブニクに行くには、時間がかかりますよっていうことは、はい。
確かに。
そっか。
じゃあ、あの美しい風景は、それだけ時間をかけて、飛行に来てこそ見られる、あの風景ということで、それは見たら感動も等しようでしょうね。
いや、そうだと思いますね。
なので、ちょっと長いんですけどね、道のりは。
でも、行ったら多分、そんな移動時間なんて忘れちゃうんじゃないかなって。
うーん。
街も旧市街があって、ほんとに小さな街なんですけど、屋根は赤い瓦屋根で統一されていて、隣にはドリア海も青い、すごいキラキラした海があって、超いいコントラストなんで、たぶん写真映えとかもするし、めちゃめちゃ素敵で、小道がたくさんあったりとか、どこで写真撮ってもたぶん映えますよね。
てか、あれですよね、結構SNSで見ると、デブルフィニック行って写真撮ってる方とか多いじゃないですか、全然映えてない写真を見たことがないですよね。
確かに。
確かに。
どこ行っても。
デブルフィニックで映えない写真を撮るほうが難しいかもしれないですね。
そうですね。
気がしますね。
そうだね。
なんかこう、旧市街がまた似合うんですよね、あそこって。
すごい素敵だなっていうのがあって、歴史としても、もちろん海上都市、海上都市というか海上都市かな、海上都市として栄えていたりもしたので、13世紀から16世紀ごろまで、そういった都市として栄えて、
イタリアのベネチアも同じような都市なので、ライバルの都市だったみたいなんですね。
権力争いをしていたみたいな歴史もあったりするくらい、かなり力を持っていたデブルフィニックの街なんですけど、
いろんな人たちが行くかったりとか、いろんな商品が行くかったりするような場所でもあって、
さらに美しいということで、アドリア界の真珠っていうふうにも言われたりするくらい、いろんな人たちに美しい街だっていうふうに言われていたみたいです。
あれは真珠ですね。
真珠だと思いますね。
何々の真珠ってめっちゃあるじゃないですか。
でも、デブルフィニックは本当に真珠だったと思います。
いや、真珠だと思います。その名にふさわしいくらいの。
あれはそうですね、本物ですね。
思います。
なので、その感じも味わってみたいし、もちろんすんごい美しいんですけれども、
そういう美しい景色とはちょっと裏腹に、激動の歴史を歩んできた場所でもあるので、
そういうお話もしたいなと思うんですけれども。
いい声出たね。
すごい声。
ファンは喜ぶかもしれないですね。
そうだね。
ということで、お話をしたい。
デブロブニクの激動の歴史
最近の出来事で言うと、まず1991年にユーゴスラビア内戦というのがあります。
当時、このデブルフィニックは、ユーゴスラビア社会主義連邦から独立を宣言するんですね。
なんですけど、宣言したときに、その連邦軍、セルビアとかが侵入してくるんですけど、
独立なんて許さないぞって言ってる人たちが、侵入して紛争状態に陥ります。
で、いろんな特徴的な街でもあるんですけれども、
多くの建物とか、そういう城壁とかが破壊されてしまうっていうことなんかもあって、
そういう部分も、今現在のデブルフィニックでも感じ取れることができるんですね。
そういう跡が残ってたりとか。
傷跡が。
まだ破壊されたままの状態が結構見れるし、断崖の跡とか。
っていうのも、あの美しい街なんですけど、一部はそういった部分もまだ残ってたりするんですね。
で、解消都市として栄えていた頃に、今のデブルフィニックの街っていうのが、だんだん形ができていったそうなんですけど、
ほぼあそこって要塞なんですよ。
そんな要塞があったりとか、街自体も城壁で囲まれているので、
攻めにくい設計にはなっているんですけど、そういうかなり特徴的な街でもあって、
街の中も細道が縦にも横にもいろんな方向に伸びていくみたいな、
なかなか攻めにくいような、ちょっと特徴的な街づくりなんですけど、
そういうところも破壊されてしまったりっていうことがあって、
ただ、そこで市民の人たちが、なんとか当時の姿を取り戻せよっていうので、修復したりとか、
復興作業が行われて、今の形になっているんですね。
それが、もう本当に割と最近の出来事なので、
なんで、まだ破壊された部分っていうのは、もちろん残ってるんですけど、
でも、現地の人たちが頑張って修復して、あの形になったっていうのもすごいなと思ってて、
私はなんかすごい素敵なお話だなぁなんて思うんですけれども、
だからこそ、貴重な旧市街として残ってるっていうのも、本当にすごいことなんだなって思いますし、
そういう魅力なんかもあるのと、
あとは、もう一つ大きなことで言うと、ペストっていう菌が大流行したものがあるんですけど、
ペストは、クロアチアだけじゃなくって、ヨーロッパ全体、世界中でも広まっていったものではあるんですけど、
14世紀から18世紀にかけて、ヨーロッパで大流行するんですね。
特に14世紀、1300年代っていうのがひどかったみたいで、
最終的にトータルで、ヨーロッパの人口の3分の1の人たちが亡くなってしまったって言われていて、
3000万人近くと言われてるんですけれども、
それくらいの人たちが亡くなった、ものすごいペストって、歴史とか社会も変えていったものなんですね。
確かに。
で、それに、一応、ドゥベローブニクも関わってたりはするんですけど、
そもそも、ペストっていうのは、ペスト菌がついたのみが付着したみたいで、
そののみにネズミが感染したのか、ネズミにそののみがついていったのかわからないですけど、
さらにそのネズミが船に乗ってヨーロッパに到着したのが始まりと言われてます。
それが有力みたいなんですけど、そこからどんどん感染していったと言われていて、
その時代っていうのは、肌もあまり出しちゃいけないよねとか、空気感染するとか、
あとは、医師たちもペストマスクって言った、鳥の口ばしのついたマスク、
あれをつけて治療をするっていうのが義務付けられるっていうような場所もあったりとかするくらい、
すごく街の雰囲気とかも、がらっと変わっていったらしくて、
あとは、私たちの文化とかにも影響してるところがあって、
もちろん菌が充満してるので、生水なんて飲めないんですね。
だからビールだったりとかワインを飲まざるを得なくなってしまったんですよ。
だからワインとかも、文化が発展していったのもペストの流行があったからっていうふうにも言われているんですよ。
たしかにアルコール分があれから消毒されてるんですかね。
まだ安心ですよね。普通の水飲むよりかは。
デブロブニクの美食文化と文化の発展
だからそういう文化の発展もあったりとか、あとはヨーロッパって美食文化とかって言われるじゃないですか。
マナーとかも厳しかったりするイメージですけど、ルネサンス以前までは手で食べる文化っていうのが主流だったんです。
そうなんですか。
手で掴んで食べるっていうのが主流だったんです。
そうなんですか。
なんですけど、でもペストの流行があったことで、そういう美食文化、ルネサンス以降は美食文化に発展していったよっていう原因の一つとしてはあるみたいで、
そういう感じで、本当にペストがあったことで、ものすごい文化が変わっていった。
世界中にもそれが広がっていったっていうので、本当に大きな感染病だったのかなって思うんですけど、
そういうペストっていうのも、もちろんクロアチアにも来るわけで、
デブロブニクっていうのは城壁に囲まれているので、閉ざされているので、もしそこに菌が入ってきちゃったら大変じゃないですか。
蔓延しちゃうし、本当に大変なことになるから、
っていうので、城壁の外にあるのが、ラザレットっていう建物があります。
この建物っていうのは、検疫所を兼ねた隔離施設になります。
そういった施設が、実はこのデブロブニクの城壁の外に設けられていたりもするので、
先ほど話した紛争の歴史とかもそうなんですけど、ヨーロッパにとってすごい大きな出来事だったペストの歴史っていうのにも触れることができていて、
この検疫所を導入した都市としては、このデブロブニクが世界で初めてのコロナ病史です。
なので、最近はコロナで検疫、検疫とかよく聞いたかもしれないんですけど、実はこのデブロブニクが起源だったりもするので、
私たちにも身近なルーツっていうのが、このデブロブニクにもあったりするので、
感染症ってすごい、私たちの社会とか文化にありふれて、今の文化を作っている歴史にもなっているんだなっていうので、
結構私は、感染症からどういうふうに大きく社会が動いていったのかみたいなところをつかみ入れるのが大好きなんですけど、
デブロブニクもそういう歴史を知ることができるので、結構リゾート地としても美しい街並みに触れられるし、
ヨーロッパの大きな文化とか歴史にも触れられるっていうので、すごい魅力的な場所だなというふうに思いますね。
いや、ペストって、それこそね、学校の教科書とかに載ってますけど、その当時はいまいちイメージできなかったけど、
やっぱこの昨今の新型コロナウイルスの蔓延で、なんかめちゃくちゃすごいリンクするなと思ってて。
そうですね。
で、言えば社会も変わるじゃないですか。コロナも、コロナ前ってリモートとかの会議とかってほぼなかったと思うんですけど、
リモートリモートになったりとか、そもそも会社自体がオフィス持たなくていいんじゃねみたいな潮流になったりとか、経済も変わったりして、
なんかそのデブロブニクの激動の瞬間を、なんか今だからちょっと共感できるっていうか、部分ってありますよね。
そうですね。確かに。なんかコロナが流行してから、またそのペストの歴史が書かれた書籍とかって、すごいたくさん売れだしてるんですよ。
確かにね。
それくらい今に関わることがすごい大きくて、今言ってたみたいに、会社のあり方とかが変わったりとか、常識が変わってくるものだと思うので、すごい勉強になるなと思ったりとか、
なんか個人的には、日本も感染症ありましたよね。それはミナマダ病とか、4日1前足とか、イタイイタイ病とかね、いろいろありましたけど、
地域ごとにそういうものがあったりとかしたものの、なかなかこう3分の1がなくなる感染病を経験するっていうのが、どういうものなんだろうっていうのが想像がつかなかったんで、
自分自身もコロナウイルスが流行したときですごい恐ろしく感じてしまったんですけど、またヨーロッパの人たちにとってのコロナウイルスってどういうものなんだろうなとかっていうのも考えさせられたりとか、
考え方とか、ちょっと違うものがあったりするのかなとか、そういうのもすごい感じましたね。
過去から学べそうですよね。
今思ったんやけど、その当時1300年代で、3000万人がヨーロッパの3分の1の人口だったってことは、1万人いなかったってこと?
あ、1億人か。
1億人いなかった。そっから今、すごい人口になってるのかなと思っちゃった。
とんでもないことになってますよね。
なんか、13世紀って人口増加の途中だったんですよね。
ちょうど人口増加し始めてたんですけど、ただ一方で戦争とかが結構多かったんで、亡くなる人もいて、さらに大飢饉だったんですよ、ヨーロッパ自体が。
だからペストが流行してしまったっていうのも大きな要因としてあるんですよ。
やっぱり免疫がしっかりしてないとかかってしまう。
で、今実際に現在もアフリカの方とかではいっぱい感染者がいるので、やっぱり生活水準っていうのに大きく左右されるものなんですよね。
戦争をしていたから。
エトラ出血熱とかありますもんね。
そうなんですよ。
ペストの歴史と感染症から学ぶ
いやー、僕ね、てっきり今回は近江太夫さんから聞いたんですよ。
綺麗だからね、真珠だからね。
そうなんですよ。
まあまあ素敵だと思いますけどね。
ではないっていうことですね、この流れは。
いや、私そうですね。
ラガレットとかはすごい興味があったので、今日はちょっとペストからデュグロブニクとかヨーロッパを見ていきたいなっていうので。
感染症から見る世界さんと。
そうです。
いや、予想外でしたね。
本当ですか。
なんかね、コロナも少しずつ落ち着きつつありますけど、でもまたこれからいろんなウイルスとかも出てくるかもしれないですし、
なんかこういう社会の動きがどう変わってきたのかっていうのも、少しずつ触れておきながら、ちょっと対応できるようにはしていきたいななんていうふうにも思いますね。
なるほど。
なるほど。
締まりましたね。
締まりました。
勉強になりますね。
そういう角度でね、来るとは思わなかったので。
挙動不振が。
そそって言っちゃいましたけど。
言葉に出ちゃってるそのまま。
ということで、行きたくなる世界さんでは皆様からのお便りをお待ちしております。
エピソード概要欄のリンクから投稿してください。
番組フォローまだの方は、アップル、ポッドキャスト、スポティファイ、アマゾンミュージックなど各種媒体からフォロー、そして高評価いただけたら嬉しいです。
スポティファイでお聞きの方は、点々三つを押すと評価付けができます。
アップルでお聞きの方は、レビューを書いていただけたら僕たちの励みなので、どうぞよろしくお願いします。
エックスでの投稿は、ハッシュタグ、カタカナで生きせ顔をつけて投稿してください。
投稿内容はチェックしていただいて。
いただいて?
チェックしてます?
チェックしてますね。
僕がね。
僕が。
かねさんもチェックするんですよ。
知ってます。
知ってます。ありがとうございます。
お願いしますよ。
ありがとうございます。
はい。で、ちょっとね、引用させていただいたりとか、一絡み二絡みさせていただきたいなと思っておりますので、どうぞお手柔らかによろしくお願いします。
お願いします。
今年はまだちかえたりさん出てないですかね?
そうですね。
そうか。
そういう目線で考えてみます。
いや、別に煽ってるわけじゃないですよ。僕は煽ってるわけじゃないですよ。
みのさんがね、ちかえたりさん欲しいそうなので、ちょっと考えてみたいと思います。
はい。
では、次回を楽しみにしましょう。
はい。
それでは、バイバイ。
バイバイ。
バイバイ。
21:05

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