1. イケハヤラジオ
  2. 失われた贈与を求めて。
2024-06-02 22:46

失われた贈与を求めて。


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はい今日もコツコツやってますかということで、日曜日ですね。 いやー昨日は精算的な一日でした。
あの娘たちと一緒にですね、道を直すという。 道を直したり、鳥の面倒を見たり、なんだ?
そう、なんだ? あの豚汁作ったりしてましたね。
あの、いい一日でした。
あの、いやそう、まあ特に話すことねーな。 あの、いやでもいいんですよ。子供たちと一緒にですね、こう田舎のなんかやるべきことをやるっていうのは、なかなかね、いいもんだなと思いましたね。
はい、あのね、あの大きくなった時に思い出になるんじゃないかなと思って、あのね、雨が降ったときは、お父さんと一緒にあの道のデコボコを直したっていう。
なかなか、なかなか経験しない思い出だと思うので、なんかそんな思い出をきっと覚えてくれるのかな。
あと、丸太も運ばないとダメですね。もうなんか田舎はやることいっぱいあって、草刈りはまあまだいいのかな、ちょっとでもやらないといけないエリアが出てきて、草刈り今日しようかな。
はい、ということで、のんびり山の散歩をしながらですね、撮っていきたいと思いますと。
で、なんかちょっとハマっているのがありまして、それは雑魚です。
送ることっていうのは非常に面白いなと思っているんですよね。
で、鳥居さんがツイートしてたのかな、あの投稿していたのがチラッと入ってきて、
あの、そうだなと思ったのさ、僕らってなんかあんまり送るっていうことってどうでしょうね、大人になってやらないような気がするんだよね。
あの、普通に来てるとさ、ね。
僕も一応会社を経営していて、うーん、なんか、いやなんか全然ね、すいませんって感じだけど、なんかいわゆるお中元とかの手繰りって、
いやーなんかね、返さなきゃいけないなとかって思いながらも返してなかったり、
あるいは、うーん、なんかなんだろう、送りたいと思っても、なんかね、こう、なんかね、送るのってめんどくさいよね。
いや、本当はね、送ったほうがいいというかさ、日々の忙しさに流されて、なんかそういうのって失われがちですよね、というのがあったり、
まあ、なんだろう、こうやっぱり、普段生きていると、なんかあんまりそうやって送り物をする機会って、そもそもあんまりないですよね。
多分ね、でもこれ昔って多分もっと多分、贈与ってものって多分きっと回っていたような気がするんですよね。
まあきっとね、うーん、まあみんながその、金銭的なその取引ではなくて、単純になんかこう渡してくれる、もうプレゼントしてくれる。
うん、で、そこは別に見返りか何かを期待しているとかではなくて、まあ関係性を維持するためだったり、あるいは本当に純粋な、まあ善意、好意。
まああとは単純に余ってるから、っていう理由で、いろんなものをさ、うーん、きっと渡し合ってた、うーん、配り合ってたと思うんだよね。
まあこれは本当にそうかもしれないけどね。でもね、なんでそう思うかって言うと田舎に住んでいるとそうなんですよ。
田舎に住んでいるとね、要するにこれ余剰がね、結構ね、あの季節的に余剰が生まれるんだよね、田舎って。
例えば今だと何だろうな、今だとね、まあスナップエンドとかすごい取れるかな、ちょっともうずれたかな、あの豆です、今。
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豆がね、取れる、すごい豆取れる。で、こういう時期はね、あの豆が余るんですよ、要するに。
もう家でもね、正直食べきれないぐらい、まあ今年うちやってないですけど、一昨年かな、去年かな、なんか豆やってたんですけど、もうね、なんかね、もうちょっと飽きる。
家族5人いて、苗もね、4本ぐらいしか苗を植えてないですけど、なんかもう、いやもうちょっと豆多いんだけど、みたいな。
豆いる?みたいな感じになったりとかさ、あと、あのシーズンだと菊芋も育てたんですよ、菊芋とかもね、もう1回取るとめちゃくちゃ取れんだよね、もうボコボコ取れて。
こんな菊芋いらねえな、みたいな。結構あの、めんどくさいんですよ、菊芋って。あの味もいいし美味しいんだけど、あのなんだ、結構ね、凸凹してるからね、こう泥をね、落とすのがすごいね、めんどくさくて、うん。
とか、あとなんだろう、まああと、タケノコだよね。もう終わりましたから、こっちのシーズンはね。でもタケノコの時期はもう本当にすごいよね、あのもうどんどんタケノコが配られてくるみたいな感じで。
これはさ、あの、まあなんだろう、こう、うーん、こういう形だったのかもしれないと思うんだよね、このある種、その資本主義みたいなのがそんなに発展する前っていうのはさ、自然にまあひもづいた暮らしっていうのは当然、まあ常識的で、で、自然っていうのはそんななんか都合がいいもんじゃないからやっぱり余るんだよね、基本ね。
だからタケノコがたくさんなる竹林をさ、持ってる人はさ、いや多分困ってんだよね、基本ね。もうちょっとタケノコ出すぎてるんだけどみたいな感じになって、で、それで多分近所の人とかにちょっとうちの竹林のタケノコちょっと持ってってくんねみたいな感じで、で、もうなんだったらもう買ってさ、それをそう、もう集落の人に配ったりとか多分してて、で、でも竹林持ってない人からするとさ、ああありがとうございますって感じで、でもそういう人はさ、まあ例えば漁師さん、で、山の漁師さんとかだとやっぱり漁師とかでもね、あのお肉余るんだよね、これね。
いや、ね、例えば鹿が2頭獲れましたって言ってさ、で、家族4人ですって言ったらさ、いやいやって感じや、ちょっと多いんだけどみたいな感じで、だから実際やっぱりね、あの漁師さん、この集落もう少なくなってきますけどやっぱりあの肉くれますよ、うん、で、まあ多分もう本当にお2人かな、夫婦お2人で、まあ高齢とかだとさ、いやまあ確かにそうだよね、鹿1頭獲れましたって言ってさ、そんなに、そんなに肉ばっか食わないよって言って、しかもそうこうしてるうちにもう1頭獲れましたみたいなさ、イノシ取れましたみたいになってくると、
冷凍庫パンパンだよねみたいな話になるよね、で、そんなに肉食いたいかって言うと多分そんなもんねって感じだったりするとね、あの通りすがいで、おいって言って肉いるかみたいな感じで肉くれるんですよ、で、余っていて、うん、で、なんかこれすごくね、うん、なんか現象の姿とか多分そういうふうに役割分担というかさ、まあ余剰が必ず生まれていて、で、その余剰ってのさ、まあ近しい人たち、まあ主に多分同じエリアに住む人たちに、なんかこう義務し合ってたっていうのが、まあ僕らが住んでいなかったから、
いまだにそういうようなものはね、なんかこう肌感覚を持ってね、あの経験できるんですよね、だからこう、そういうものはさ、まあ当然ながらその、まあもっともっと分業が進んでいって、あるいはその保存技術とかさ、まあいろんな、そうだね、資本主義的な仕組みが発達してくるとさ、まあお金が介在した方がいいじゃんって判断になっていって、まあいろんなものがその商品経済にこう取り込まれていくわけですが、もちろんそれはそれでね、お金を稼いで、お金を運用して、で、そしてね、人が生きていけるように、それはすごくね、あの、まあめちゃくちゃ意味のあることなんですけど、
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なんというかこう、そう、これは鳥さんでしたっけ、憧れがあるんじゃないかみたいな、ある種その象徴への象徴、童馳、そういう憧れですよね、うん、そういったものを僕らは持っている、うん、象徴っていうものはなんだか尊くて、昔あった、うーん、なんかわかんない、昭和よりもっと前かもしれないね、それはね、何かこう、人間がその商品経済、資本主義のその経済に取り込まれる前の現象の、ある種の、まあそれは多分、あくまでこうイメージのものに過ぎないし、本当にそうだったかどうかはわかんないですけど、
やっぱり何かをこうギブし合うこと、あのプレゼントし合うことっていうのはすごく憧れがある、そこに対して僕らは本当遠い何かを見るような、その象形を抱いているっていうその感覚っていうのは、なんかね、何かこう掘っていく価値があるような気がするんだよね、うん、なんで象徴ってものがさ、うーん、まあ少なくなっているわけだよね、まあきっと、まあ僕らが住んでいるさ、この山奥の中ではまあ象徴ってものが一定程度もちろんあるわけですよ、で、今年もたけのこいっぱいもらいました、はい、
し、まあね、多分いろいろまたトマトとかもらうのかな、まあいろいろもらうんですよ、うん、もらう卵ももらうことあればね、で、そういうものはでもさ、都会ではないですよね、で、うーん、何がこうそうしてしまう、そうさせているかっていうことを考えると、やっぱりね、まああえて、うーん、切り取るとやっぱ信頼だと思うんだよね、そういう信頼とかコミュニケーションみたいなものがさ、あの象徴とすごく紐づいている、で、逆に言うと、うーん、お金でやり取りをしたらさ、別に、うーん、お金が信頼を、
ある種、代弁してくれる、お金を払ったらさ、それはね、お金はお金じゃん、お金です、それが偽札とかではない限りさ、それは信頼できるじゃん、じゃあこれで、あの商品を、あの提供しますよっていうことが言えると、その間に私にじゃあ1万円くださいみたいなさ、話になってくる、で、でも何だろうね、僕らがこう、まあゆるーくそういう、この田舎にあるようなその造業の循環だと、やっぱ信頼っていうものがね、確実にまずベースにあるんですよ、で、僕はあのCNPをそう、多分今年20点ぐらいもうすでに配っているんだよね、
で、CNPとNFTは今1つ20万円ぐらいするから、もうすでに400万円分ぐらい僕配っているんですよ、あの造業してます、あのプレゼントします、はい、特にここには別に見返りとか求めてなくて、まあ本当感謝ですね、ありがとうございますとか、まああとあげたほうが面白いやって、余ってるわけですよ、まあタケノコみたいなもんだよ、うちにいっぱいCNPあるからどうぞCNPもらってってよって言って、で、渡してるわけ、うん、ですけど、でもここにはさ、信頼があるんですよ、あの、僕はその渡す人は当たり前だけど選んでます、なぜならやっぱり、あの、
売る人がいるんだよね、もらったものを世の中には、本当に恐ろしいことに、恐ろしいことに、商品経済っていうのはそういうふうに繋がっちゃってるからさ、僕からCNPをもらいました、ありがとうって言ってすぐメルカニに出すような輩が普通にいるんですよ、世の中には、本当に、それはさ、さすがに本意ではないわけですよ、僕としては、プレゼントは、その人に感謝とかさ、その人に、まあ僕は関係性を紡ぎたいというその意思があるのでね、その人とまあ今後仲良くしていきたいとかさ、まあCNPの場合だったら、まあね、まあ見返りは期待しないとはいえ、まあやっぱりCNPは
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いいね、もらって、そして喜んでくれたら、やっぱりきっと、うん、クリプトニンジャーCNPのために、まあ何かね、イベントに参加したとかさ、メタバスにログインしてくれて盛り上げてくれたりとか、まあそういうことしてくれるかな、みたいなさ、まあ健全な期待、あるいはまあすでにそれをしているってさ、そういう前提があったりするわけですよ、だからこの人だったら、うん、そうだな、あげても大丈夫だなってさ、そういう信頼関係、信頼の前提っていうのがあって、初めてゾウヨって成り立つんですよ、で、僕らがやっぱり今それを、うーん、まあすごく大きく枠組みで話すと、多分ね、
失ってんだよね、お互いに対する信頼っていうのはさ、まあ紡ぎ出すのがすごく難しくなっている、うーん、ね、人を信頼するってことはさ、なかなかね、当然裏切られる、傷つけられる、そういうさ、リスクもありますし、うーん、なんかそんな特にメリットがないんだよね、結局ね、人を信頼したところで、使ったお金は別にあんまり変わんないと思うよ、むしろお金はどんどんなくなっていくかもしれない、人を信頼すればするほど、っていうぐらいだから、なんでしょうね、こう他者を信頼して何がいいのっていうところはね、結構あるんですよ、本当に、
あの、クリプトの世界なんか本当そんな感じだよね、あの、うーん、Don't trust, verifyって言葉があって、あの、信頼するな、検証しろって、まあそれはまあそれすごくね、Don't trust, verifyってすごくね、あの、いい概念だと僕は思うんだけど、なんかね、そうやって、うーん、人を信頼するっていうことをある種否定するような、あの時代に今なっていて、うーん、まあそれはもうしょうがないんだよ、しょうがない、だからどんどんその、信頼をするっていうこと自体が失われているように僕は感じる、で、
それと多分連動しているのはその、雑用が失われている、雑用するっていうのはやっぱり信頼をベースにしているからさ、で、信頼っていうものが社会から減っていけばいくほど、やっぱり雑用する機会っていうのも減っていくわけですよ、うん、で、でも世の中ってのよくできていて、その希少性が高いものの方が、なんだろうね、こう、価値がある、そういう行為、そういう行いっていうものに珍しい行いの方が価値が高いんだよね、で、だから今、ある種、うーん、怒っていることで言うと、だからそう、
憧れっていう話をしましたけど、雑用っていうものが貴重になっているからさ、すごく珍しいものになっていて、だからその雑用に対する、うーん、なんだろう、こう、価値っていうのがね、うーん、一周回って、なのかわかんないですけど、多分上がってんだよね、うーん、何かを人にプレゼントするっていう、そういう機会自体がものすごく減ってしまっているが故に、うーん、みんながその雑用っていうものに何か美しさを見出したり、憧れを持っていたりするっていうような時代に、まあ今、なってんじゃないかなって思うんですよ、うん、で、
まあ、だから何なのって話が、うるさいしないけどさ、その、だから僕らは、うーん、やっぱり、この世の中にこう、欠けているもの、うーん、少ないもの、それをやっぱり作っていくべきなんですよね、まあいっぱいあるものをさ、作ってもしょうがないじゃん、で、少ないものを潤沢に作っていくと、えー、そこに価値っていうのをさ、当然宿っていくわけです、だとした時には、やっぱりね、まあ今、この世の中に減っているもの、少ないもの、で、どんどんこれから失われていくもの、それは信頼とか雑用なんだよね、うん、で、それがもしそうだとしたら、うーん、
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僕らはやっぱり、そうだね、この今のクリプト忍者、忍者だろうで、やっぱり信頼とか雑用とか、うーん、そういうもの、今の世の中で欠けていると思われるようなもの、それをこの社会にちゃんと提案していく、うーん、っていうことをね、やっぱりやる意味っていうのはすごくあるんじゃないかなというふうに思ってるんですよ、これはすごくよくわかんない話だと思います、正直、ははは、よくわかんない話なんですけど、いやでもね、こういうね、よくわかんないことをね、真面目にやっていく、雑用っていうものっていうのは、うーん、今、世の中で失われている、
で、もしそうだとしたら、私たちがそういう新しい、うーん、文化を作っていく、もう一度雑用を、うーん、再生していくっていう表現なのかわかんないけど、まあでもさ、実際こう、うーん、これ僕はマーケターだからさ、なんというか、人々の感覚、あるいは自分の感覚っていうのをすごく、まあもちろん、それを鋭敏に働かしていくのさ、マーケターの仕事としてやっているわけだけどさ、うーん、思うこと、感じることでやっぱりね、確かにね、雑用っていうのはね、何かすごく尊いこと、で、
うーん、そう簡単にはできないことだったり、でもね、やってみるとめちゃくちゃ面白い。そう、CNP、昨日、そうそうそう、こた先生もお渡しして、で、あとしんぼもさんっていうね、あの方も、めちゃくちゃ歩きまくるしんぼもさんが、あの、ご自身のね、えー、まあ、あの、もともと知っている方にCNPをね、一つプレゼントしたっていうとこがあって、で、まあ余談ですけど、その、しんぼもさん二つ、もうね、これまでCNPをね、お渡しして、もう残り三つしかありませんって言ったから、僕があの、三つ補充しておきました。
二つ配ったらイケハヤさんから三つもらったって。むしろ、ちょっと増えるみたいな。面白い。で、その、しんぼもさんが、かな、確か投稿しててちょっと面白かったのは、その、やっぱり、あげるときにさ、CNPって一個20万円ぐらいするから、ちょっとこう、うーんって悩む瞬間があるんだよね。で、これ僕もそうなる。で、僕、CNPいっぱい持ってんだけどさ、あの、とある方の、あの、まあ別にいいか、あの、FOXさんって方に、この間ちょっとお渡ししたんじゃね、FOXさん、すごくね、素敵な方で、オフ会にも来てくれて、
来てくれましたね。あの、FOXさん。で、そのFOXさん、なんか、FOXってさ、名前だからさ、いや、これはちょっと狐のお面の、あの、CNPをやっぱり渡したいなと思って。で、狐のお面のCNPってのがあるんですけど、それ結構レアなんですよ。めちゃくちゃレアで、僕もね、一つしか持ってない。
一つしか持ってないけど、いや、でもこれを僕がこう、やっぱりあげた方が、ねえ、そのCNPも喜ぶかなみたいな。ねえ、いや、だからそう、結構レアでさ、うわ、ちょっと悩んじゃった自分がいないね、そこに。一瞬悩んでしまって、いや、FOXさん、でもこれ超レアなやつだしなみたいな、俺一個しか持ってるしなとか思っちゃって、でもね、あの、僕はあげました。
で、あげたらね、やっぱり気持ちよかった。そうやって、大事なものをだからこそ託していく。で、一回託すとですね、そしてプレゼントして、相手がさ、喜んでくれて、で、姿を見ると、ああ、やっぱり自分がこうやってその価値を、自分のその金庫の中に入れとくよりも、まあ、そうやって、あの、自分がこの人にあげたいってものを人に渡して、で、喜んでもらった方が、やっぱり良かったなっていう人は思えるわけですよ。ねえ、で、これがね、やっぱり、こう、なんかね、今の時代、多分そういう経験をするってことは、
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すごくね、珍しいことになってると思います。冒頭でも言いましたけど、僕も全然そういうギフトをするってないんですよ。習慣としてないよね。もう友達に何かをさ、プレゼントするって、やります?学生時代はさ、そうですね、誕生日プレゼントをさ、用意したりとかさ、まあね、先輩の卒業祝いとかさ、用意したりとかさ、まあ、あったよね。でも、社会人だって、そのね、学校じゃなくなって、って言うとさ、友、友達の誕生日祝うとか多分あんまなくないですか?いや、いや、僕は友達いないだけ?でも、なくないですか?
大人になって、まあ、子供の誕生日祝うとかあるけど、まあ、そうだね、それは強いて言えばギフトだけど、なんか、まあ、そういうものを除いて、なんか、あんまり関係がない他社。まあ、家族は家族じゃないですか?ね、それはまあ、なんか、ね、子供の誕生日祝いますよって話だって。でも、もっと関係のないと思われるような他社に対して、贈与する機会って本当に減ってると思うんだよね。まあ、少なくとも僕はもうほぼないです。うん。で、ほぼないからね、ほぼないから、CNPをね、今ね、渡すのがすごい楽しいんですよ。
本当にね、みなさんね、驚いてくれるのがすごい楽しい。
めっちゃね、驚く。本当にね、あのちょっと昨日投稿でも、あの皆さんの、あの、そのDMの返答をね、ちょっとあの個人情報見えない範囲でさ、あのちょっとスクショしたのを載せましたけど、あれマジでみんなね、あの本当に驚いて、えーみたいなね、全員もうね、もう綺麗にみんなね、え、そんな良いんですか?みたいな感じのね、反応が来るの。
すごい面白い。いやー、なんかそれが面白くなっちゃって、あの送ってるみたいな。ね、でもそんな贈り物って多分なかなか今はなくて、まあそれちょっとCNPがすごい特殊ですよね。あのめちゃくちゃ価値があるし、ね、その価値を認めてくれてる人もたくさんいるから、そうやってもらってみんな、えー、あげるよって言うとすごいみんな喜んで驚いてくれると。うん。
で、そして、僕としてはそういうのが楽しいんですよ。楽しくて送ってるっていうものがあって、で、僕はだから負けたらさ、自分がこれを楽しんでるってことがなんかね、面白いなと思うの。本当に。
何か価値のあるもの、価値を感じてくれるものを渡していくっていうことって、たぶん今すごいね、貴重なある種のエンターテインメントだし、まあもっと、もっと強いこと言うとたぶんね、これ特権階級的なんだよね、非常に。すごく、うーん、普通できないじゃん。ね、普通できないことを自分がやってるっていうさ、感覚すら得られる。
まあそれなんか別に俺が権利を持ってるとか、そういうなんかっていうよりなんかなんだろうな、こう、自分が特別な感じがする。渡すことによって。
面白いよね。あの、もらった人がすごく喜ぶっていう行為をすることによって、自分のある種の自尊心とかがたぶんね、高まるし、あと単に面白い。面白い。すごく。
うーん、なので僕はね、結構最近雑魚にハマってると。で、雑魚っていうのはだから、まあ今すごく貴重な、なんでしょうね、行いになっているっていう仮説があると。
人々がお互い信頼しないでいいようになったり、あるいは信頼しなくなっているって言うと、世の中でこう雑魚ってどんどんなくなっていく。
で、そして商品経済みたいなのが、まあね、もっともっと成熟してくると、そうやって余ったからあげますみたいな、そんな簡単な話じゃなくなくて、
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ね、余ったタケノコはメンマにして、あの、しっかり保存して、どっかに輸出するとかさ、そっちの方が合理的になってくるんだよね。
で、でも、なんだろうな、やっぱりこう、今僕らが実は求めているものって、そういう雑魚の復活とかだったり、あるいは新しい形で雑魚を楽しんでいくっていう、そういうスタンスなんじゃないかなと思うんですよ。
で、これはでもね、やってみないとわかんないと思います。雑魚をする、で、見ず知らずの他人ですよね。
まあ、家族とか、本当に親友とかだとね、これちょっと多分ね、意味が違ってくるんだよね。
僕がやっぱCNPあげるのが楽しいのはね、もうその人のこと、アイコンレベルでしか知らないみたいな、人。
俺等を見て、その人の活動を見て、でも誰だかわかんない。
FOXさんとか、ツーフーさんとかさ、ツーフーさんは僕じゃなくてコータ先生があげた方ですけど、
みんなよくわかんないですよ、名前。名前だけ見てもよくわかんないじゃん。
何なの?みたいな感じの方々がいて、で、そういう方々に対して選んで、この人はそう、それこそ名前がFOXだからキツネのおめんにしようかなーだったり、
この人はオロチ好きって言うから、じゃあオロチのこれ、このうちのオロチこれいいからこれあげようかなーだったり、
この猫を飼ってるから、じゃあその猫のキャラがいるんで、トワとセツナどっちにしようかなーとかだったり考えたり、
その瞬間ってのはすごくね、なんかね、バカみたいだけど面白いですよ。
っていうこの面白さに、またね、みんな気づきだすと僕は思うんだよね。
その、うーん、それ人のやっぱりコミュニケーションじゃないですか。
その、うーん、ある種SNSの延長だよね、これね。
あのSN、SNS社会の延長の一つの、まあ極北みたいな場所は多分ね、この雑用なんだよね。
雑用をしていく。コミュニケーションを楽しむっていうのはさ、基本的なSNSの、まあ、現象のさ、なんか、なんかメリットだったわけじゃん。
もう今よくわかんないなっていうけどさ。
雑用ってのは究極の形で、そうですね、コミュニケーションを楽しんでいくっていう一つの、まあ実践なんだよね、きっとね。
でも難しいですよ、雑用をでもするってこと自体はさ。
もちろん一定程度その、自分が何かを潤沢に持っていないといけない。
欠、うーん、足りん、足りてないもの、でもまあでも、何でも雑用ってありえるか。
うーん、まあ別に金銭的に価値がないものでも、あげたら喜ばれるものでも世の中にたくさんある。
うーん、ので、まあそうですね、あのー、ぜひね、まあ今日の話はまあ非常に取り留められない話なんですけど、
まとめると、まあ今のこの、うーん、現代社会、資本主義が高度に発達して、で、いろんな商品が溢れる社会においては、
うーん、雑用をするってことは多分すごく、うーん、なんかその機会なくなってんだよね。
で、僕自身のその、うーん、ビジネス、あるいは生活を見ても、何かを誰かにプレゼントすることは本当に家族を除いてないですね。
ないです。
全くなくなりました。
独立したっての頃はね、なんかちょっとね、一応あったんだよね。
なんかね、知り合いの会社にね、お中元送ってみたいなのやってたけど、もうなんかやることなくなっちゃいましたね。
みんなやってんのかな?なんかもうないよね、ああいう文化って。
うん、ね。
っていうような、なんか、で、まあそれはやっぱり信頼を、うーん、なんだろう、信頼とかコミュニケーションってものが多分ね、
まあなんか、じわじわと失われてるんじゃないかな、みたいなことをちょっと思うんですよ。
で、僕らはでもそれをさ、今再生させようとしてる、うーん、信頼をベースにしたコミュニティ、
で、そして相互のコミュニケーション、そういうものをさ、楽しむような文化をさ、僕ら2年ぐらい作ってきてるじゃないですか。
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で、そこで、さらにこれを、うーん、もっともっと楽しくするためにこう、贈与っていうのをさ、みんなでやっていく。
プレゼントし合っていく。
で、プレゼントし合うことによって、さらに、うーん、なんかコミュニケーションも、えー、深くなっていくし、
で、そしてその、まあ例えばNFTだったら、贈与されればされるほど、そのNFTの価値とかも高まっていくんですよ。
うん、ね。
なので、まあね、今贈与にハマってるって話でした。
ふふふ。
まあどこまでこう贈与っていうか難しいですけどね。
まあ贈与っていうのは基本的にはやっぱり見返りを期待しないで、もうありがとうっていう思いで渡していく。
うん。
見返り、まあ、でもやっぱり、まあ言ってても見返り的な何かは、まあ発生するんですけどね。
ふふふ。
だいたいね。
まあでも僕は、自分がCNPを渡している人は、まあ、まあなら別に、なんかね、見返りは特に期待してないですよ。
まあ、期待値で言うと、まあでもね、今後も仲良くしていこうよっていうね、そういうまあ意思表明かな。
ぜひ、今後、来年またNinketとかやるから、まあNinketを次ね、出店側に来てほしいし、あるいは遊びに来てほしいし、ぐらいの、まあそういう期待はあるから。
でもそれで、もしね、その人が、なんかね、忍者堂からいなくなったとしても、まあ別にそんな、なんかもう僕も気にしてないからね。
うん。
だからそのくらい、何かこう、うん、渡すときにさ、なんかこうね、あの、押し付けるような感じではなくて、まあ気持ちよく渡していくっていうところも含めて、非常に贈与って難しさはあったりもしますが、
まあ皆さんもね、ぜひね、あの、うん、そういうものを取り入れていく。
自分の大事な人に、うん、そうだね、ある種見ず知らずの人でもいいんですよ、それは。
うん、この人に感謝を示すっていうので、自分の大事なものを、まあ相手が喜んでくれるようなものを差し出していくっていうことをね、やっていくっていうのは、今、現代社会ですごく失われているものなんじゃないかなと僕は思います。
ただと、僕は全然やってこなかったんで、今、贈与が楽しいよって話でございました。
はい、ありがとうございました。
ふふふ。
ということで、えー、この後プレミアムも撮っていきたいと思います。
はい、それでは皆さん、良い日を。
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