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どうもお疲れ様です、いかです。
この番組では、高校の国語科教諭をしている私、いかが、
仕事のことや仕事以外のことを緩くおしゃべりしていきます。
ここ数日は、秋の訪れを感じますね。
私は、7時過ぎぐらいに家をいつも出るんですけれども、
玄関を開けると、少しだけひんやりとした澄んだ空気がね、肌に触れますね。
数日前までじりじりと照りつける太陽、
それからじめじめと蒸し返すような暑さがありましたけれども、嘘みたいですね。
アパートの廊下からは、周りの家とか道とか空とか、結構ちゃんと見渡せるんですね。
あんまりにも爽やかで気持ちがいいんで、思わず立ち止まって、
昨日や今日なんかは深呼吸をしてしまいましたね。
今日はね、雲一つない快晴でしたね。
でもあの、私、雲があったらなお良かったなぁなんて思ってたんですよね。
あのね、秋の空によく浮かんでるイワシ雲ってご存知ですか?
あの、なんだろう、イワシの鱗みたいになってる雲ですね。
すごく高いところにある雲です。
私はね、こんな清々しい秋晴れの日にはね、このイワシ雲をね、思い出しちゃうんですよね。
で、それはね、ちょっと原因というか、理由があって、
以前お話しした小学校5、6年生の頃に担任を持ってもらった先生。
その先生からある日ね、お手紙いただいたんですよ。
それをね、思い出すんです、秋に。
私が教員採用試験に合格して、高校の国語科の教員になれるっていうことが決まった時に、
まあ、その旨をね、報告するためとか、あとは感謝を伝えるためとか、いうことで、
年賀状のやりとりも当時、あの、ちょこちょこしてたので、
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改めてお手紙を私が書いたんですね。
すると、ほどなくして、その先生から返事が返ってきました。
私ね、この手紙送られてきて初めて読んだ時、もう号泣しちゃいました。
珍しかったですね。私、あんまり泣いたりすることが少なくて、
あの、感情の起伏がそんなに激しくないんですよね。
だからよっぽどだったんだと思うんですけど、
その時ね、感動したとか嬉しかったとか、そういう単純な言葉で表すことができるような感情じゃなかったと思うんですよね。
言葉にできないような、大きく揺れ動く何か、みたいなもの。
私をそうさせたんですよね。
今考えたら、その言葉の一言一言から、
その先生の教師としての、それから人間としての在り方そのものを感じ取ったのかなぁなんて思います。
その先生のすべてを、すべてかわかんないけれど、すべてと捉えられるようなほどのものを
私に向けてくれたっていうことが、言いようもないぐらいありがたかったんだと思うんですよね。
こんなに純粋で強くて温かくて美しい言葉に出会ったのは、初めてだったかもしれません。
そんな私のね、人生にとって最も大切な手紙の冒頭に書かれているのが、イワシグモなんですよね。
高く澄みきった空に、イワシグモが気持ちよく漂う季節となりました。
この澄んだ空にも負けない、清らかな希望をあふれる手紙を送ってくれて、本当にありがとう。
私はね、この冒頭文がね、本当に大好きですね。
秋の清々しい空気を感じると、そして高い空を見るとね、いつもこの文章を思い出すんですよね。
そして今年もまた、そんな季節がやってきたなぁと、朝しみじみしてましたね。
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で、かえって、このラジオを収録する前に、久々にまた読み返してたんですけど、
当時の号泣っていうほどでもないですが、やはり涙ぐんでしまいますね。
私はこの先生に教わった誇りと、そして教員であるという誇りを持って、また明日からも頑張ろうと思いました。
そんな今日でしたね。
皆さんは忘れられない大切な手紙はありますか?
手紙ってやっぱり、なんだか特別な宝物のような気がしますよね。
私はしますね。
まあいろんなメディアがあるし、
昨日私はね、それこそ声ってすごいなぁと、
ラジオやポッドキャストというメディアのことを賞賛していたというか、褒めてたというか、すごいよねっていう話をしていたと思いますが、
もちろんポッドキャストも素敵なんですけど、
手紙となるとやっぱり特別な感じがどうしてもしてしまいます。
いつまでも持っておきたい、お守りにしておきたい、そんな手紙がいつあるだけでも私は幸せだなぁなんて思います。
今ね、一人暮らしをしている時にも、いつでも読めるように持ってきてるんですよね。
またいつかね、この先生に直接、今こんな風に頑張ってますって言える機会があればいいなと思っています。
また私が改めて手紙を書くというのも一つかもしれませんね。
今日はそんな素敵な手紙の話と、それに結びついた秋のお話でした。
では今日はこれで終わりたいと思います。ありがとうございました。